M.ZUIKO DIGITAL ED 100-400mm F5.0-6.3 IS

 マイクロ4/3フォーマットのデジタルカメラをリリースするOMデジタルソリューションズ(旧オリンパス)とPanasonicの両雄からは、魚眼レンズから超望遠レンズまで、非常に多彩なレンズがリリースされています。仮に両社のレンズラインナップが双方ともに同じレンズで固められていたのならば、OMにはOMのレンズを、パナソニックにはパナソニックのレンズをセットしてしまえば事は足りてしまい、マウントが共通である事のメリットがあまり生かされなくなってしまいますが、両社のカタログを覗くと、標準ズームレンズなどの一部を除いて、焦点距離や解放f値が少しずつ違うラインナップとして展開されている事に気が付きます。無論多少の意思疎通があっての結果とは思いますが、我々は単純計算で2倍と膨らんだラインナップからレンズを選択できるという喜びがある一方で、毎回取捨選択を迫られるという悩み直面する事になります。

 実際、35mmフルサイズ画角で200-800mmという望遠~超望遠を一本でカバーする100-400mmのズームレンズにおいては、レンズ全長・口径ともに肥大化しやすい超望遠レンズであっても、フルサイズ用レンズ比で圧倒的に小型化されるというマイクロ4/3フォーマットならではのメリット発揮できるため、OMとパナソニック、二つのブランドから同一焦点距離ではありつつ、若干スペックに差異を持って商品が展開されています。無論、ボディーとブランドを合わせて購入してしまうのが「安牌」なのは分かりきってはいるのですが、隣の芝生が青く見えるのも世の常、人の業。悩める事もまた喜びとして、ここはしっかり悩んでみるのが吉でしょう。

 さて、野鳥、モータースポーツ、鉄道、航空機等、被写体への接近ができない、もしくは容易でない撮影において絶対的なアドバンテージを誇る本レンズは、近年進歩が目覚ましい手振れ補正機能のアシストを活かし、手持ちでの800mm画角での撮影をいとも簡単に可能とします。さすがに1/125秒以下のシャッターで全てのコマをブラさずに・・・とはいきませんが、EVF表示も安定しますのでいわゆる歩留まりの良い撮影を行えます。上位機種の高速連写を併用すれば正に鬼に金棒でしょう。さらに電子シャッター利用時はメカシャッター作動に伴う振動もなくなりますので、ローリングシャッター歪みが問題になりにくい被写体であれば積極的に活用したいものです。PROシリーズでのキレの良い(というかキレすぎる)画像を見慣れていても、遜色のない合焦面のキレは必要にして十二分で、1~2段程絞り込めばピクセル等倍で確認しても超望遠域での撮影を疑う程にシャープな結像をします。状況によって後ボケはやや硬めな印象も受けますが、もともとのボケが大きいですから気になる場面は少ないでしょう。100mm側での解放はf5と、Panasonic製100-400のf4より僅か控えめですが、どちらかと言えば400mm側が使用前提での購入候補となるレンズでしょうから、影響は少ないと言えます。PROシリーズの特徴でもある便利なフォーカスクラッチは未装備ですから、MFでピントを追い込みたいユーザーには減点かもしれませんが、描写性、携帯性、操作性どれをとっても高いレベルでまとまった秀作レンズと言って間違いないでしょう。

 そして何より一日持ち歩いても三脚座が手に食い込まないのが、Panasonic製100-400と比べて最大の利点だったかもしれません。(三脚は一度も使わなかったですケド) 

 

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半逆光でもクリアな描写です。最近のレンズのコーティングはほんと優秀ですよね。背景のボケは二線ボケの傾向があり硬めな印象ですが、この辺りはPanasonic製の100-400に似ています。

 

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斜光を浴びたTVアンテナ。小さな画像でも本レンズの高いシャープネスはしっかり伝わるかと。少し絞っただけでこの描写ですから、鉄道や航空機といった硬質な被写体と相性はきっといいのでしょうね。

 

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公園内の街灯をスナップ。ほぼテレ端の撮影です。拡大していくとフィラメントの影やポールの部品など、非常に細かい部分までしっかりと解像しているのが分かります。シャープネス至上とは言いませんが、被写体によっては仕上がりを左右する事があるのも事実です。

 

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前ボケは後ろに比べ柔らかい感じでしょうか。おそらく戦時下からの遺構ですが、立ち入りが出来ない為、超望遠での切り取りに挑戦。夕刻でかなり暗かったのですが、レンズの軽さと強力な手振れ補正に助けられました。

 

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水の描写からもシャッタースピードが決して速くない事はお分かりいただけると思います。夕刻・超望遠・手持ち撮影、フイルムの時代では考えられなかったシチュエーションでの撮影をいとも簡単にこなしてくれました。

 

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さすがの手振れ補正も被写体ブレは天敵です。超望遠域の撮影ではそよ風さえも難敵に。小刻みに高速連写をして「当り」のコマを射止めます。質感の表現も上々です。

 

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望遠レンズの「圧縮効果」を生かして撮影。近年は肖像権の問題で人物のスナップ撮影には色々と神経を使ったりもしますが、望遠レンズの浅い被写界深度と、コロナ禍でのマスク外出のおかげ?で、これなら「個人の特定」には当たらないでしょう。

 

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普段は広角レンズでこういった被写体を撮影することが多いのですが、今回は望遠レンズでチャレンジ。背景の枝をぼかして撮影しましたが、存外面白い画になりました。最近のスマホでは、背景のボケをデジタル処理で生成してしまいますが、それもそう遠くない未来には当たり前になってしまうんでしょうか?
 

 

Leica APO-Summicron-M 50mm f/2 ASPH

 遠近感や画角的に大きな癖がないという特徴を持つ35mm判での「50mm」前後の画角を持ったレンズが「標準レンズ」と呼ばれるのには、「標準」という言葉に「平均的な」といった意味合いも含まれているからなのでしょう。近年では単焦点レンズよりもズームレンズがより「平均的」でありますから、50mmを挟み広角側・望遠側にそれぞれ焦点域を広げたズームレンズがカメラとセットで販売される「標準レンズ」として定着しています。無論、販売戦略的にその価格も極めて「標準的」であることが「標準レンズ」に課された命題ともなっています。

 さて、デジタル化を果たして久しい、レンズ交換式距離計連動カメラであるライカM型へ話を移しましょう。その構造上、レンズラインナップにズームレンズを持た(て)ない距離計連動カメラであるM型ライカは、その前身であるバルナック型、さらにはレンズ交換もできない初期のA型ライカの時代から長きにわたり焦点距離「50mm」の単焦点レンズが「標準レンズ」としてその座に君臨しています。2022年現在なんと6種類もの50mmレンズが現行品として用意されている点からも、ライカにおける「標準」レンズの「特殊性」が伺える訳ですが、その「特殊な標準レンズ」の最たる一本が本レンズAPO-Summicronという事になるでしょう。Summicronの50mmといえば、1954年のライカM3発売から現在に至るまで、M型ライカの正に「標準」として不動の地位を獲得していますが、現行Summicronの基本設計は1979年とのこと。フイルムカメラであるライカM6の時代に、フードを引き出し式にした現在のデザインとなってからは基本的には不変を貫いているのですから、今風に言えば立派な「オールドレンズ」という事にもなるのでしょう。

 そんな歴史あるSummicron、その最新モデルが本レンズAPO-Summicron-M 50mm f/2 ASPHとなる訳です。その名に冠するAPOは、言わずと知れたアポクロマートレンズの採用であり、非球面レンズやフローティングといった画質向上へのテクノロジーも惜しみなく取り入れ、控えめなf2という解放値の恩恵もあって「性能値」はどの絞りであっても公称MTF値がほぼ上部に張り付いたようなグラフを形成します。曰く「現代の高画素なデジタルカメラの性能をフルに引き出す目的で初めて設計・製造されたレンズ」との事。ライカ基準で考えれば「標準」的な価格となるであろう30万円程(これだって、庶民からすればちょっとアレですが)の旧来Summicronの価格の約3倍(より明るい解放f値のSummiluxと比べても約2倍!!)を上納金として求めてくる超ドSな価格設定を思えば、その描写には興味が湧かないはずがありません。

 先日、とても幸いなことにM10-Pとともに入荷した個体をほんの僅かな時間だけ借用し、その一端を垣間見る事が出来ましたので、趣を変え、写真毎に少しずつコメントをさせていただく形式で紹介させていただきます。ちなみに私的な画質への解釈が入りこまぬ様、画像はM10-Pのデフォルト設定で書き出したJPEGへ、透かしの追加とリサイズのみのレタッチ(WBはデイライト)になっています。無論個体差等の影響も存在する前提ではありますが、ライカの考える現代の「標準」画質について、皆さんはどうお感じになるのでしょうか、機会があったら是非伺ってみたいものです。

 

 

L1000034  レンジファインダー機で撮影するなんて、何年振りなのでしょうか。M10-Pは2022年時点で生産完了品とは言え、それなりに新しいデジタルカメラですので「ライブビュー撮影」だってもちろん可能です。でもライカを持ってライブビューってちょっと無粋なイメージが漂いましたんで、素直にレンジファインダーのみで撮影開始です。一眼レフやライブビューなどを使って撮影する際は、水平線や垂直線、画面の端々がどこまで写り込むのかを結構気にしておりますが、レンジファインダーでは無意味とまでは言いませんが、アテにならない部分もありますから、ある程度「適当」にフレーミング。結果、かえって画面外への想像力を働かせるような画面構成に一役買ったりするのが面白いところです。被写体はかなり色の濃いアスファルトでしたので、ややマイナスに補正。f値は5.6。さすがに最新の設計と言うべきでしょう、画面全体が非常にスッキリとした現代的な描写です。被写界深度内はアスファルトの粒一つ一つ、劣化した塗装のひび割れなど、画面の隅まで見事に解像。必要以上に拡大していっても、ハイライトエッジに妙な色づきが表れる事もなく、「APO」の効果も実感できます。2000万画素クラスではまだまだ計り切れない実力が眠っている事は間違いありません。

 

L1000039 前項、ライブビューについてちょっとお話ししましたが、撮影直後に結果をモニターで確認するというデジタルならではの「お約束」も、なんだか禁忌を犯しているようで今回の撮影では封印しました。これまで懐疑的だった背面にモニターを持たないM型デジタルの存在理由はこれなのか・・・と妙に腑に落ちた感覚がしたのですが、「便利」を何の疑問も持たずに享受してしまっていた自分にちょっと反省しつつ、自室に戻ってからモニターで初めて画像を確認して「コレ」です。ん?エクタクロームE100VSのスキャンデータなんてフォルダーに入ってたか?そう思うくらいにAPO-Summicronの解放描写はデジタル離れした物でした。最新のレンズを通しデジタルカメラから出てきた映像に、まるでフイルムライカで撮影された写真を見せられているかのような感覚。新しいとか、古いとか、アナログだとかデジタルだとか、ライカが持つ「画像」の基準には、ひょっとしてそんな判断要素は存在しないのでは?何とも言えない感想を抱いた一枚となりました。

 「硬め」という一言では片づけられない独特の存在感を放つボケ像が、解放でも揺るがない合焦面のピントのキメの細かさを引き立てます。僅かに感じる周辺光量落ちも画面中央への視点誘導に効果的に働いてくれました。50mmf2の被写界深度が思っていたよりも随分浅く感じたのは、合焦部の解像度が異様なまでに高いからなのでしょうか。はたまた独特のボケ像の影響なのでしょうか。謎は深まります。

 ピントを合わせたのは画面中央、反射鏡のヒサシの角。ピント面と被写界深度(ピントが合って見える範囲)の違いを感じさせる一枚。おそらく合焦面の先鋭度が高すぎるが故に、それ以外の部分がなんとなくアウトフォーカスに見えてしまうのかも。開放1.2クラスの中望遠でもないのに、被写界深度の存在をこれほど頼りなく感じるレンズって、いったい何者なのでしょう。

L1000045 こういった平面の被写体はチョットしたテストチャート代わりになります。絞り解放ですが、隅々まで高い解像度を発揮し、ブロック塀のざらっとした手触りや鎖の冷たい感触が伝わって来るようです。害獣除けのネットの細かな編み目も妥協することなく妙な色づきもありませんし、道路を挟んだ反対側の建物との間の「空気」もちゃんと「被写体」になっていますよね。それにしても、同じ解放絞りで撮影した平面と立体を比べると、違うレンズで撮ったかの様な二面性を持っているような気もしてきます。一本で二本の働き。それでも価格は10本分以上ですが。。。。。。

 

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 普段でしたら、ライブビューファインダー越しの映像を頼りにリアルタムで補正をかけて撮影するスタイルが定着していますので、こんな風に露出を外すカットを撮影することは殆どありませんし、多少ミスをしたとしてもその場で確認からリカバリーまで出来てしまうのですが、測光範囲や個体差、またその癖を理解していないカメラで、映像未確認のま撮影を続行しましたので、ちょっと補正をかけすぎてしまっていた様です。本来ならば没カットということになりますが、なんだかネガフイルムやインスタント機で撮影したような郷愁漂う風合いに仕上がったので、恥を忍んで紹介いたしました。画面が傾いているのもご愛敬で。

 デジタルカメラの時代になってから、「テレセントリック性に配慮し設計したレンズ」などと言う言葉を目にするようになりました。簡単に言えば、現代ではセンサーに対しなるべくその周辺まで入射光を直交させる事で、周辺減光や色収差などの悪影響を抑えた特性をもった設計をする事がデジタルカメラ用のレンズには求められています。しかしながら、小型カメラの黎明期から存在しているライカのレンズには、到底「テレセントリック性」などには配慮されていませんし、驚くことに、現代のレンズでもとりわけ配慮をしている訳ではないと語られています。むしろ過去の財産でもあるオールドライカレンズも、デジタルカメラでもその特性をしっかりと味わえるよう、センサーや画像エンジンなどボディー側で最大限の配慮をしているのがライカのカメラという事になるのだとか・・・。ライカのレンズをアダプターを介して他社のカメラで撮影しても、総合的には「ライカの画像」ではないという事になるのでしょう。

 ライカを語るにはボディーもセットでなければならない。うーん。説得力はありますが我が家の財務大臣の説得は無理そうですねぇ。

 

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 比較的新しいM型ライカのレンズにはそのマウント表面に「6bitコード」と呼ばれる6個の白と黒の極小タイル状の模様が刻まれています。この模様の反射の違い(白と黒で2の6乗ですから64種に分類されている)をボディー側で読み取ることで、レンズに合わせた補正が行われメタデータに反映される仕組みとなっていますが、このデジタル時代に電気的ではなく、物理的(ボディー側のセンサー自体は電気仕掛けですが)に情報の授受をやってのけるのが、いかにもDRズミクロンやヴィゾフレックスを世に出してきたエニグマの発明国家の製品なのだと、関心することしきりです。当然本レンズにも同コードは存在し、LightRoom上でもそのメタデータを利用することが可能な訳ですが、最新のレンズでさえフイルムでの使用も想定(MPなどフイルムライカもちゃんと現行品)している筈ですから、ゴリゴリのデジタル補正なんて無縁でしょう。フイルム上にもきっと同じ映像を写し込んでしまうに違いないのです。

 ピントを合わせたガラスの破断面、妙にシャープでちょっと不気味ですよね。被写体も被写体ですが、その場の雰囲気をさらに盛って写し込む、そんな力が宿っているように感じるのです。たとえ100万円を無邪気に使い込める身分であっても、買うか?という質問には即答出来ねますが、このレンズでなければ出会えない映像が存在することを確かに認識した、そんな午後のひと時となりました。

 

DG VARIO-ELMARIT 50-200mm/F2.8-4.0 ASPH

 Panasonicからはマイクロ4/3マウント向けに、解放f値を2.8-4の可変とすることにより小型・軽量化を推し進め、3本で超広角域から望遠域までをカバーするLeicaネームのDGレンズが発売されています。広角域8-18mm・標準域12-60mmは既に当ブログでは紹介済みですので、本編はそのラストバッター、望遠域をカバーする50-200mmを取り上げたいと思います。

 解放絞りをf2.8として、「大三元」とも称される3本のレンズで広角域から望遠域までをカバーするレンズのラインナップはフイルムカメラの時代から存在しましたが、デジタル時代となってISO感度の設定に自由度が生まれると、レンズの小型・軽量化の為に開放をf4へと落とし「小三元」などとも呼ばれる派生ラインナップが生み出されました。とすると、可変f値の本シリーズは「中三元」(そんなアガリ役は無いですが・・・)とでも言ったら良いのでしょうか。小型センサー機においてその恩恵はとりわけ望遠レンズの小型軽量化に現れている事を再三お伝えしておりますが、本レンズはテレ側の解放をf4と控えることで、その特徴をさらに際立たせた存在となっています。その多くが35mmサイズ用のレンズとしては200mmがテレ端となる「三元」レンズですが、なんと本レンズでは、35mmサイズで400mm相当の「超望遠域」までをカバーするのが最大の特徴です。とりあえず3本持てば無敵の布陣、毛利元就もビックリな三本の矢となります。

 描写性もLeica社お墨付きは伊達ではなく、他2本同様非常に優秀と感じます。200mm側ではボケのエッジにやや硬さを残しますが、ズーム全域で非常に解像感が高く目の覚めるようなシャープな映像を堪能できます。解像のピークは開放から2絞りあたりからでしょうか、ズームレンズとは思えないほどの精緻な描写に驚きます。M.ZUIKO ED 40-150mm F2.8 PROがあれば、1.4倍のテレコンバーターを併用することで35mm判で420mmの画角となりますが、超望遠域が撮影のメインとなる場合は、DG VARIO-ELMARIT 50-200mm/F2.8-4.0 ASPH(本レンズ)の方が、取り回しが良いと感じました。強力な手振れ補正は本レンズにももちろん装備され、400mm相当という狭い画角ながら、安定したフレーミングを可能にし、1/60秒以下の低速シャッターでも軽々と手持ち撮影を可能にしてくれます。この事は長焦点レンズながら三脚座を備えない思い切りの良さにも繋がり、結果カメラバック内での占有率低下や軽量化にも一役買っています。

 「中三元」この3本を所有できたなら、レンズ選びで悩むという写真道楽最大の楽しみ一つが無くなってしまうのではないか?という新たな悩みが生まれてしまいそうです。M.ZUIKO ED 40-150mm F2.8 PROに加えG X VARIO 35-100mm/F2.8も含めると、マイクロ4/3には個性際立つ3本の「三元」望遠ズームレンズが存在する事に。やはり悩みの種は簡単には尽きないものなのですね。

 

 

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テレ側です。これで解放の描写。拡大するとコンクリート壁のひび割れの様子や、鉄柵固定用の針金のほつれまで描写されています。望遠ズームレンズは比較的性能が優秀な物が多い印象を持っていますが、ここまでくれば「別格」といって良いのでは。

 

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テレ端、解放の描写。ボケはどちらかといえば像のエッジを残すタイプですが、十分に素直できれいなボケと言って差し支えないかと。驚いたのはこの被写体にG9の被写体認識が反応して自動で手前の像にピントを合わせてくれた事です。判別対象に「狐」って無かったですよねぇ?ひょっとしてオカルト??

 

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解放ではアウトフォーカス部のハイライトが少し滲んだ感じで、こんな被写体には絶妙にマッチ。葉の輪郭にボケ像の特徴が表れています。合焦部の解像度に全く不満はないですね。

 

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絞りを一段半ほど絞っただけで、さらに解像感が上がるのがわかります。撚った針金や、錆びた煙突の表面の様子など、至極精密な描写力に圧倒されます。画像のヌケも良く、ストンと落ちた窓のシャドー部がいい感じです。

 

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これもテレ端の解放描写。背景にボケの硬さを感じられる部分がありますが、この程度なら全く気にならないレベルですね。

 

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こんなものにまで人工の樹脂製品が使われていることにオドロキ。やはり天然素材で作るより長持ちするのが理由なんでしょうかねぇ。効果(ご利益?)には違いはないのでしょう。

 

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望遠レンズの特徴である遠近感の圧縮が、画面に良いリズムを与えてくれます。それにしても並んだ給油機に張られた注意書きのメモ、ちゃんと読めてしまうのに驚きです。

 


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スズメ。最近都会ではあまり姿を見なくなっているとか。そういえば、地元でも昔に比べればその鳴き声を耳にしなくなっているのかも。そのツブラな瞳にはしっかりと「キャッチライト」が・・・。ほんと、すごいレンズですよ。

 

LEICA DG NOCTICRON 42.5mm/F1.2

 生まれて初めて手にしたカメラやレンズがLeicaだった、という恵まれた?人は例外とさせていただきますが、Leicaに興味を持ったのは、写真の世界に足を踏み込んで少し時間が経ってから、というのがセオリー(諸説あります)でしょうか。そして、きっとそのブランドに興味を持つと、レンズ毎に耳慣れない呼称がつけられている事に疑問を感じる人も多いでしょう。日本ブランドのレンズではNikkor(ニッコール)であったり、Takumar(タクマー)であったりと、レンズシステム全体を指すブランド名こそ耳にしますが、個々のレンズにそれぞれの呼称が与えられる事は非常に希なケースであるからです。片や、LeicaやCONTAXなどのヨーロッパにその起源を持つブランドのレンズには、ある一定のルールを持ちつつも、レンズ個々に別の名前が与えられている事が多いようです。もしかしたら、人名においてファミリーネームとファーストネームの扱いに差異が生じている様に、歴史背景や文化の違いがこういった面にも影響しているのかと勝手な想像を巡らせると、なかなかに興味深いものです。

 さて、話をLeicaへ戻しましょう。前述の通りLeicaのレンズは、様々な由来を持つ個性的なネーミングがされています。一部例外はありますが、基本的には解放f値をある一定の基準として

f0.95/1.0/1.2/1.25:Noctilux

f1.4/1.5:Summilux

f1.5/2.4/2.5:Summarit

f2:Summicron・Summar・Summitar

f2.8:Elmarit

f3.5/3.4/4:Elmar

他:Hektor・TelytThambar・Elmax 等々

と、こんな具合に分類することができます。古い世代では一製品にのみ与えられた名称も多いのですが、現行製品(2022年)にも引き継がれて利用されている名称を色付きで記載してみました。中でも、もっとも明るいf値を与えられた「Noctilux」という名称は、耳にした際に特殊な余韻を残(すような気が)しますが、それは語源にラテン語の「夜」を意味する言葉から派生した「Noct」を含んでいるからでしょうか。Noctといえば、「ノクターン」を想起される方も多いかと思いますが(ノクターンに「夜想曲」という和訳を付けた方のセンスには脱帽します)、カメラ好きにはNoct Nikkor 58mm f1.2が有名でしょう。何れにしましても、夜の灯りですらも撮影可能な明るさを持ったそれらのレンズに、とても似つかわしい響きだと感じます。(最新のデジタルカメラなら高ISO感度と手振れ補正で、わりかしどんなレンズでも夜間に撮れちゃうんですけどね)

 ところでお気づきかと思いますが、本稿レンズの解放f値は1.2でありながらも、前述したルールには則っていません。本来ならば「Noctilux 42.5mm f1.2」としても不思議ではありませんが、「Nocticron」というこれまでに聞き覚えの無い名称が与えられています。無論、その時代の最高の明るさを持ったレンズ=Noctiluxであるとすれば、2022年現在Noctiluxを名乗れるのはM型Leica用のNoctilux50mm f0.95という事になりますが(Noctilux 75mm f1.25には気付かなかった事にして・・・)、純血ライカレンズではないPanasonic製レンズには、やはり「Noctilux」は与えられなかったのでは?というのは、さすがにちょっと意地の悪い見方ですよね。ここは「Noctilux」と「Summicron」の間の明るさ=「Nocti+cron」なのだということで、むしろ唯一無二の名称を与えられていることにLeica社の良心を感じ取るべき所なのでしょう。

 余談が過ぎました。レンズの本分はやはりその「描写」にこそありますから、その部分をちょっとだけお話ししましょう。現在マイクロ4/3フォーマットという同じ土俵でしのぎを削るオリンパス(OMデジタルソリューションズ)からも、近似スペックでM.ZUIKO DIGITAL ED 45mm F1.2 PROがリリースされており、購入者は否応なくその比較検討を強要される形になっています。かく言う私も、一本を選択(金策)するのに2年の時間を必要としてしまいました。両者ともに開放絞りから十分に実用となるピントのキレ、高い解像度とやや控えめなコントラストで紡がれた繊細な画像を形成し、正に「ポートレートレンズ」の王道を往くもので、絞り込んで行くにしたがい、さらに増す解像感は被写体のリアリティーを余す所なくセンサーに叩き込みます。凝視した視覚に近いとされる画角を持つ中望遠レンズとしての存在感は両社一歩もに譲りません。注目する点とすれば、やはり「中望遠+開けた絞り」での「ボケ像」の在り様、に尽きるでしょうか。ボケ像のエッジが柔らかく、滲むように溶けて行くのが「ZUIKO」、一方ボケ像に実像のエッジをやや残すことで立体感をより強く感じ取れるのが「Nocticron」そんな印象を受けました。特に「Nocticron」では、ボケ量の大きさだけでなく、その表情が絞りによって多少変化する様です。

 究極的には表現目的に合わせた二刀流が理想と感じましたが、描写特性の似たM.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PROをすでに所有していたこともあり(無論2本目の補正予算は国会を通らなかったので)、私のチョイスはキャラクターの少々違う「Nocticron」と決定したのでした。

 後悔って訳では決してないのですが、「ZUIKO」もやっぱり欲しいんですよね・・・・・。

 

 

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ボケ像の特徴を出す被写体を選んでみました。大口径レンズらしい大きいボケですが、ボケの中に被写体の名残りを感じさせる僅かなエッジを感じます。

 

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直射日光の当らない日陰、コントラストの低い条件ですが、独特の空気感と立体感を醸します。最短撮影距離は50cm。欲を言えば35cmが欲しいですがこれもZUIKO45mmと共通。わざとでしょうか(苦笑)

 

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モノクロ+映り物は大好きな被写体です。切り取り感の出始める中望遠の画角は作者の「意思」をフレーミングで表現する感覚が気に入っています。

 

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モニターで確認したときは、背景が少しうるさく感じたのですが、半切サイズにプリントしたものを鑑賞したら、その空気感にハッとさせられました。やはり「写真」はプリントすることも大事なのだなぁと、しみじみ感じた一枚です。

 

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ZUIKOとNocticron、選択に結論を出させた一枚です。後悔は、、、してません。
多分。
 

M.ZUIKO DIGITAL ED 45mm F1.2 PRO

 振り返ってみますと、自身と写真との関わりには幾度かの転機があったと実感しています。そして、その転機の原因には機材が絡んでくることも少なくありません。そんな経験をさせてくれた機材の一つに「単焦点中望遠レンズ」があります。およそ85~150mm前後の焦点距離(35ミリフルサイズセンサーにおける)と、f2よりも明るい解放値を与えられたこれらのレンズは、その光学的特性から遠近感の誇張によって被写体を過度に変形させる心配もなく、明るいf値を使う事による前後のボケは効果的に対象を浮かび上がらせてくれます。また、人物が被写体となれば、相手との距離が適度に取れる事で、会話や指示を出す際に余計なプレッシャー与えにくく、ライティングの自由度も上げ易いという利点も生み出します。 

 そんな理由から「ポートレートレンズ」と称される事も多いこの「単焦点中望遠レンズ」と、私との出会いは暗室ワークを始めとした本格的な創作活動を開始した高校時代に遡ります。当時師事していたカメラ店の店主に勧められ、後にのめり込んでいった人物撮影用に入手したのが「AF Nikkor 85mm f1.8」という「単焦点中望遠レンズ」です。それまでは、風景や日常のスナップ、部活動の記録などの為に広角や望遠域のズームレンズを多用した撮影が多かった為、単焦点中望遠レンズで撮影された写真には、まさに「目から鱗」が剥がれ落ちたかのような衝撃を受けました。人物を浮かび上がらせる大きなボケ、引き伸ばし用のピントルーぺ像に浮かんだ恐ろしいまでの解像感は、それまで「レンズを変えて変化するのは画角と遠近感だけ」と漠然と思っていた自分の感覚を一変させただけでなく、純真無垢な写真少年(当社比)を、ハンドルネームにレンズ名称を使い、レンズの描写をアテに一杯呷ってはブログの記事を書く、そんな大人に育ててしまったのです。

 さて、写真人生の一大転機とも言える出会いをもたらせたこの「単焦点中望遠レンズ」ですが、マイクロ4/3フォーマットデジタルカメラ用にも、各社から数種類が用意されています。オリンパスからリリースされているのは解放f値1.7と1.2、2本の45mmレンズと、少し焦点距離を伸ばした75mmf1.8の3本が当てはまるでしょうか。M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8は既に別項で取り扱っておりますので、45mmへ目を向けたいと思います。撒き餌レンズなどとも称され3本中最廉価となる15mm/1.7であっても十分な明るさを誇りますが、ひと絞り程度であっても「明るい方が好き」(あくまで予算が許すなら)な筆者としましては、やはりPROを冠する本レンズ「M.ZUIKO DIGITAL ED 45mm F1.2 PRO」へと食指が動きます。

 オリンパス純正レンズのラインナップでは、最も明るいレンズの一本となる本製品は、35ミリフルサイズカメラの90mm/1.2相当ですから、その小柄な外観には驚きすら覚えます。描写の実力は、すでに同ラインの25mmの体験から何の疑いも持ち合わせていませんでしたが、期待以上の映像に終始口角が上がりっぱなしでした。開放では非常に先鋭度が高いながらも、僅かに纏ったハロによって絶妙な柔らかさを演出。紗をかけたようにコントラストを僅かに控えた極上なボケが合焦部を一層引き立てます。1段ほど絞るだけでハロは消え、全体の解像感はさらに上がり、f2.8辺りからは被写体の実物を切り取ってきたかの様な瑞々しさに、ため息を漏らすほど。フォーカスクラッチも搭載していますから、f1.2のごく薄い被写界深度であってもMFで瞬時にピント修正ができるのも有難く、標準装備されるレンズフードも深さやロック方法に不満はありません。同画角のフルサイズ用レンズと比べれば1/3程度となる価格はもはやバーゲンプライス。近似焦点レンズのPanasonic製42.5mm/1.2と、どちらを入手すべきか、それが唯一の悩みの種となるでしょう。

 

 

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解放絞りでは独特の柔らかさを持った、まさにポートレートレンズ。それでも合焦部の解像感は悪くありません。絞ごとに描写の変化を楽しめるのは、明るいレンズの特権でしょう。

 

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こちらも解放。さすがにf1.2です。小型センサー機でもこのボケ量。ボケ像は本当に癖がないお手本のようです。

 

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雲のディテールを残すために、あえて露出を切り詰めます。小型センサー機ですので、f8程度まで絞れば中望遠とは思えないような被写界深度を手に入れられます。

 

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f2.8です。柔らかさを残しつつも極上のピントのキレ。性能の高いレンズを使うと、ちょっぴり上達したような気分に浸れます。

 

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ボケ像が非常に素直なので、こういった被写体も画面が騒がしくならずに済みます。

 

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明るい被写体が画面のウエイトを占めると、多分割測光とはいえカメラ任せの露出はアンダー側に転がります。しかしあえて無補正で。歴史を刻んだ車体の重厚感にはこのくらいのトーンが似合います。絞り込んだ時の隙のないシャープネスが被写体の魅力を高めてくれました。

 

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近接描写も優秀です。ボケの始まり方も非常に癖がなく、ピントのキレも文句がありません。

 

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一眼レフでは、ファインダーを覗くのがためらわれる(というか、危険な)被写体。自動で減光されるEVFならではの撮影でした。逆光耐性も十分で、思った以上にトーンが再現されました。

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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