SIGMA 85mm F1.4 DG DN | Art (SONY-E)

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 「単焦点レンズが欲しいんですけど」・・・・・

そんな、主に若い世代のお客様のご来店を頂くことが増えました。

 「はい、ではこちらになります」

とおもむろにReflex Nikkor 2000mm F11(全長約600mm・口径約260mm 重量約17.5Kg)を持ってくるほど、小生根性が歪んでもいませんので、

 「どんな物を撮りたくて、何mmぐらいのレンズをお探しですか?」

と、深堀します。すると

 「写真始めたばかりで、そういうの良くわからなくて・・・・」

 

 これまで「単焦点」レンズを欲するお客様は「135mmのレンズで、明るめのレンズってありますか?」といった具合にある程度は商品やスペックを絞った相談を頂く、いわば写真撮影の経験をそれなりに持つ方であるケースが多かったので「良くわからなくて・・・・」に、当方少々面を食らいます。その後しばらく会話を続けると、どうやらネット上のブログ記事・インスタやXの投稿・インフルエンサーの動画レポートなどで、「単焦点は明るい」「単焦点はボケる」「単焦点は良く写る」といった様なワードに感化され、「単焦点レンズ」を欲しくなってはみたものの、実際「単焦点レンズ」とは何ものなのか、当のお客様は完全には理解してはおられないのだ、という結論に達します。

 そもそもの写真用レンズは「単焦点」が原点で、フランス人ダゲールによる銀板写真の発明(1839年)を始点とするのであれば、ズームレンズの始祖フォクトレンダー・ズーマー 36-82mm F2.8の登場(1959年)までの120年は「単焦点」レンズしか存在しなかった計算になります。老害認定を受ける世代に片足突っ込んでいる筆者などは、いまだにズームレンズの方が特別なレンズといった感覚を捨てきれずにいますが、ここ30年(2025年現在)でズームレンズのセットを購入して写真を始められるようなスタイルがすっかり定番化した事で、「カメラ」が「デジタルカメラ」の代名詞となったのと同様、「レンズ」という言葉の中へと「ズーム」が内包されたと考えるのが自然な流れなのかもしれません。逆説的には「単焦点」という言葉に、時代背景によって新たな特殊性が付与されたと言い換えられるでしょう。こう考えれば「単焦点レンズが欲しいんですけど・・・」からの一連の流れはなるほど腑に落ちる話。誰もが持っているズームレンズではない、その特殊な言葉の響きをもったレンズにトキメキを抑えられなくなったのでしょう。

 さて、単焦点レンズ数本から時に10本以上にまで値する画角を自在に扱えるることはもちろん、昨今は物理的な性能も十分以上に高く、過去「単焦点」レンズの独壇場とも言えた明るさ、それさえ匹敵する製品もちらほら見かけるようになるなど、ズームレンズの実用性・利便性・普及度は高まりました。大三元レンズなどとも言われるように、超広角から望遠まで F2.8クラスの明るさを持った3本のレンズで賄えることも当たり前です。結果として「単焦点」レンズの特殊性は、ある意味より際立ってきたとも言える昨今、SIGMAはそのラインナップの頂点であるArtシリーズに「単焦点」をこれでもかと揃えています。本レンズのような85mm F1.4 クラスと言えば、かつてはメーカー純正にしか存在しない一種花型レンズの代表で、どちらかと言えばレンズメーカーが手を出さないスペックの製品でした。「Art」シリーズは、そんな過去の不可侵領域においてその存在感をますます増しています。SIGMAのレンズが使えるならボディーメーカーにはこだわらない。現在そんな考え方も、決してマイノリティーではなくなったのでしょう。SIGMAの「Art」できっと新しい自分に出会えるに違い無いのです。

 

 

 

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被写体は人物ではないですが、「ポートレートレンズ」としての存在価値を存分に感じられる一枚。繊細なピントを見せる合焦面と、前後になだらかに広がるボケ像。距離の離れた背景は溶ける様に滲み、印象的な玉ボケが良いアクセントになります。かつて、カメラ雑誌の表紙を飾ったアイドルポートレートに写真家への憧れと尊敬の念を抱いた少年時代を思い出します。

  

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開放 F1.4 では大口径中望遠らしく被写界深度は極薄で、合焦点から少し離れた位置でも大きなボケを発生させます。奥行のある被写体では、ピントの合った場所の面積は非常に僅かとなるため、作者の狙いに直結した構図を作り易いとも言えます。

 

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背景には実際は小枝が写っているのですが、大きなボケによって川の流れをスローシャッターによって写し留めたような描写になりました。肉眼では実現されない大きなボケを伴った画像は、まさに写真ならではの表現。実際にファインダーを覗いて初めて気づく世界があるのも写真の醍醐味ではないでしょうか。

 

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十字架が想像される被写体を目にすると、思わず写真を撮りたくなる性分。駐車所に置かれたコーンの一部に近接して撮影。最短撮影距離は85cmと無難かもしれませんが、その領域でも描写力に陰りは見えません。被写界深度は激薄になりますので、息を殺して撮影。風化した樹脂の独特な質感が何とも言えません。

 

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大口径中望遠レンズですから解放絞り付近での描写性能に注目するのは当然ですが、絞り込んだ時の強烈な高解像度の描写についても追記しなければなりません。ほぼ逆光に近い条件ですが、壁面のコンクリートの砂粒や気泡による微細な凹凸を寸分の隙も無く描き切る細密描写が、画の力強さを土台から見事に支えてくれます。モニターで拡大しても全く破綻を見せない画像に思わず「エグいな~~~~」と声が出ます。

 

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絞りによって描写の表情に変化を見せるレンズを「絞りの効くレンズ」なんて言ったりもします。最近の高性能なズームレンズは、開けても・絞っても変化の少ない高性能ぶりを発揮してくれますが、単焦点レンズ、特にその解放描写には性能数値には表れない独特の「味」とも言うべき成分が宿り、手元にはそんなレンズたちが多く残っていきます。

  
 
 
 

MINOLTA AF 100mm F2

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 工業製品においては、メーカーからの卸売り価格に大きな差が生じにくく、販売価格も一定の幅に落ち着きやすい「新品」に比べ、「中古」商品の価格には様々な理由で広い「幅」が存在しています。「中古車」で例えれば、年式・走行キロ数・修理歴・車検・塗装色・グレード・オプションや改造の有無等によって、一見同じように見える車種であっても、ある店舗では30万円なのに、別の店舗では200万円の売価がついている、なんて事もよくある話です。加えて、何かしらのきっかけで「人気度」や「希少性」といったパラメーターに上昇フラグが立つと、相場が急騰するのも良く見る光景で、SNS普及によって情報の拡散にマッハの追い風が吹く今日では、某キャラクターの図柄が印刷(一部省略)された新品売価数百円のカードに100万円以上の値が付けられたり、地元(架空)の豆腐屋が配達に使っていたという理由(かなり省略)で、それまで数十万円だった中古車の相場が数倍の価格につり上がったりといった事象も、そう珍しい話ではなくなりました。自身が携わる業界に於いても、昨今のフイルム・オールドレンズ・CCDブームによって、数年前は見向きもされなかった商品に、目を疑うような高値が付けられてフリマサイトで取引されているのも茶飯事で、驚きを通り超えて人間の業の深さに思わず祈りを捧げたくなる心境にもなってきます。

 さて、なぜこのような書き出しで始まったのかと申しますと、今回取り上げるMINOLTA AF 100mm F2 は、中古ならではの特徴的な値動きを見せるレンズとして、とても数奇な運命を辿っているからです。100mm F2 と言うスペックのレンズは、2025年現在カメラメーカーが販売する純正レンズとしてはその姿を見る事はできませんが、フイルム時代には多くのメーカーがラインナップに加える言わば定番レンズの一つでありました。有名処としては、YAHICA/CONTAX用のZeiss Planar 100mm F2、オート―フォーカスに対応した比較的新しい(それでも四半世紀前ですが)レンズとしては、Canon EF 100mm F2や、Nikon Ai AF DC-Nikkor 105mm F2 D(ニコンは伝統的に105mmを採用しますね)辺りが頭に浮かんできます。更に遡ってマニュアルフォーカス時代なら OLYMPUSのZUIKO 100mm F2 や Canon New FD100mm F2 なども知名度は高いでしょうか。明るさをさらに半絞りほど明るくした Nikon Ai Nikkor 105mm F1.8 S も一応は仲間に入れておきましょう(さらに古いものは割愛という事で)。MINOLTAはと言えば、まだカメラの自動露出(AE)が一般化する以前のAUTO TELE ROKKOR-PF(ロッコール)とその後継 MC ROKKOR-PF 時代にその存在を確認できますが、ボディーのマルチAE化に対応させた MD ROKKOR シリーズへは引き継がれませんでした。そして MINOLTA α7000 登場の後、オートフォーカスレンズ(Aマウント)として、復活を果たしたのが本レンズという事になります。

 そんな各社から発売されていた100mm F2 は、適度な遠近感の圧縮や明るい解放 f 値による豊かなボケを生かした特徴から、ポートレートなどに向くレンズとして重宝される一方、各社がポートレート用看板レンズとして掲げる85mmの F1.4や1.2 クラスのレンズの陰に隠れがちであり、また明るさを1絞り我慢すれば、近接撮影も可能となる 100mm F2.8 のマクロレンズや 70-200mm・80-200mm の大三元ズームレンズの利便性が手に入る事もあって、購入の選択肢から外れてしまうといった、ラインナップ中「微妙な立ち位置」のレンズという印象がどうしても強くなります。結果、販売本数が伸びず販売終了となるのですが、後に「珍品」「希少品」といった肩書と共に中古価格が上昇し、新品時を超えた売価で中古が取引されることも珍しくない人気商品になるところが、「物」相手とは言え少々哀れにも思ってしまう、そんなレンズの一つなのです。

 当然MINOLTA AF 100mm F2 にもこの事実は当てはまり、α7000 シリーズ用の交換レンズとし初期からラインナップされつつも、その後多くのレンズがデザインのモダン化を受けた <New>シリーズへと刷新される中で、その改変を受けることなくひっそりと製品群から姿を消してしまいます。人気・評価ともに非常に高かったAF 100mm F2.8 MACROの存在もあってか、製造本数もあまり多くは無かったのでしょう、その後の中古市場でレア玉としてプレミア化し、当時中古業界に顔を出し始めていた筆者も、年に1~2本お目にかかるかどうかという状態だったと記憶しています。

 しかし、本レンズの運命はデジタル一眼のミラーレス化に翻弄される事になります。いち早くミラーレス化に舵を切ったSONYのカメララインナップからは、Aマウントを採用した一眼レフは早々に姿を消し、フイルム時代のMINOLTAから受け継がれてきたAマウントの資産を有効に活用できる未来が、早い段階から閉ざされてしまいました。マウントアダプターを併用してのミラーレスαでの利用は可能ではありますが、実用品としての存在価値に黄色信号が灯ったことに変わりなく、市場は冷酷に反応しました。多くのAマウント交換レンズ中古相場は急落し、それはプレミア価格を誇った本レンズも例外にはならなかったのです。かつては希少だった存在も、市場への相次ぐ放出からオークション・フリマサイトでも散見されるようになり、その取引価格も、依然として高値で安定していた ZUIKO や Canon New FDに比べれば、見る影もない程に落ち着きを見せてしまったのです。

 肝心な描写性能はと言えば・・・・。それは、下記作例に伴って記述を進めたいと思うのですが、今現在の中古相場は、このレンズの真の価値には決して見合ったものでは無い、と思うのが個人的な感想なのです。果たして本レンズのこの数奇な運命に、今後また新たなページが刻まれることはあるのでしょうか?

 

 

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絞り解放では、控えめなコントラストと実像感を残しつつもとても柔らかいボケ味が心地よく、まさにポートレンズに向いたレンズとの印象。MINOLTAのレンズは、かつて大先輩の篠山紀信氏が週刊誌の表紙を飾ったポートレートの撮影で使用していたエピソードも有名ですが、なるほど本レンズにはその血統が脈々と受け継がれているのでしょう。

  

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一段絞ると、全体的にコントラストも立ち上がりシャープネスも向上します。合焦部の力強さも増して画面全域がきりっとした良像になります。首都高で渋滞に捕まった際に助手席から撮影した道路の壁面ですが、金属やコンクリート、それぞれの質感も良い感じで描かれています。相変わらず懐かしい作動音を響かせる組み合わせで、AFは対象被写体に大まかに近づいてから微調整を経て合焦するという、これまた懐かしい挙動。ま、日常撮影では十分なスピードかと。

 

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最短撮影距離(1m)付近の描写。ボケの様子がわかり易いように、タイルの継ぎ目や文字の入ったプレートを画面に入れましたが、そのボケ像の素性の良さが伝わるかと。エッジを感じない優しいボケと、主張しすぎない品のある合焦面は、ポートレートへの好適性を再確認。

 

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遠景を切り取るスナップ撮影も100mmというレンズの画角が上手くマッチングします。斜光の当る小犬の毛並みや、ご婦人の靴裏のパターンなども非常に克明に記録されており、設計の古さを微塵も感じさせない安定描写は単焦点ならではでしょうか。前ボケの素性も良く、上手く遠近感を引き出してくれました。

 

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ビルの壁面に設置されたメンテナンス用?のリフトを遠方から撮影。外壁の細かなタイル一枚一枚が完璧に解像されて写っています。いわゆる高周波成分の多い被写体の為、ここまでレンズの解像度が高いと、ローパスレス構造のα7RⅣではモワレや偽色の発生が危ぶまれる領域です。晴天屋外の撮影なので、F11まで絞っての撮影ですが、回折の悪影響がでないギリギリの処でしょうか。F5.6~11辺りの描写は驚きの解像度を見せてくれます。

 

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陽が落ちかかってから海辺を散策。絞りの余裕はイコール、シャッタースピードの余裕に繋がります。フイルム時代からの名残ですが、撮影中にISO感度を変更するとアレルギーを発症(苦笑)してしまうので、感度ISO100のままで高速シャッターが切れるのは、明るい単焦点レンズの利点です。加えて、こんな被写体でもボケ像の品が絵づくりに貢献してくれるのは有難いです。

 

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ここまでの写真から、撮影地がパシフィコ横浜周辺である事に気づいた方もおられるでしょう。2025年カメラ・用品の見本市「CP+」へ出張した際の記録です。帰路に就く際、駐車場へのエレベーター前に素敵な景色が広がっていました。絞り込んだ上でハイライトに諧調を残すべく、かなり大幅なマイナス補正。路面アスファルトの粒が確認できる程の高解像度が重厚感ある一枚を届けてくれました。周辺にもカメラを構える来場者がチラホラいらっしゃいましたが、みなさん最新のズームレンズを利用されてました。(仕事柄、ついつい機材ウオッチしちゃいますねぇ)余談ですが、本レンズはミノルタAマウントレンズでの採用例が多い55mmのフィルター径を採用。レンズフードはレンズ名が記載された専用品が用意されましたが、借用品の紛失・破損を恐れ、自前の100mmマクロ用のフードを流用しました(記載名以外は同じ物?)。希少レンズの場合、専用付属品も希少になるので、こんな小技も重要です。
 
 
 

SIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO| Art (SONY-E)

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 Macro < マクロ > レンズと言えば、(Nikonでは伝統的にMicro < マイクロ > と表記しますが、詳しくはニッコール千夜一夜物語を紐解いてくださいませ)主たる存在目的は「接写」という事になるでしょうか。被写体に接近して撮影することで、小さな被写体をより大きく撮影する事をマクロ撮影と言ったりもしますが、なぜ一部のレンズにその名が冠されるのでしょうか、釈迦になんとやらかもしれませんが一応概略など以下に・・・。

 写真用のレンズには最短撮影距離という、それ以上被写体に接近できない(ピントを合わせる事が出来ない)限界の距離が設定されています。この設定にはレンズの先端が被写体に物理接触をしない事も大前提ですが、その撮影距離における描写性能がしっかりと保証されているという大切な理由も存在します。このため一般的な被写体を想定して設計されたレンズであれば、おおまかにそのレンズの焦点距離を10倍したあたりの値がひとつの目安(50mmのレンズであれば50cm、100mmのレンズなら1mといった具合)になるのですが、実際この程度の接近ではマクロ(拡大)撮影とは程遠いのです。被写体にもっと接近し拡大率の高い映像を得るためには、描写性能のピークを近距離側へ寄せ、最短撮影距離を縮めた設計が必要になるのです。そして、こうして特別な設計を施されたレンズに「マクロ」の冠が与えられる事になるのです。

 マクロレンズは近接撮影時の高い性能を確保する為の制約上、その殆どが単焦点レンズとなり、また近似焦点距離の一般レンズに比べ、解放 F値は大きく(暗く)なるという傾向がありますが、ミラーレス一眼の登場によってレンズ設計は劇的な進化を果たしていると感じる昨今でも、最新設計を施された本レンズでさえ解放 F値が変わらず2.8と抑えられている点に、マクロレンズに課せられた描写性能の敷居が相当に高い事が想像できます。だからこそとも言えますが、マクロレンズに関してはその性能の高さが評価されてきたレンズがフイルム時代から多く存在しています。レンズメーカー製の近似スペックレンズに限っても、揺るぎない定評のあるTAMRON SP90mm F2.8(旧製品は F2.5:通称タムキュー)や、カミソリマクロの異名を与えられた同社製マクロレンズ、70mm F2.8 EX DGといったところがすぐに思い浮かびます。従って、他の「Art」を冠するレンズ使用時に受けた強烈なイメージも残る中、ミラーレスに特化された本レンズへの期待値は相当に高いものとなったのは極めて自然な流れでした。

 外観は焦点距離の数値から判断する以上に「長い」印象。懐の深いフードを装着すれば、200mmレンズを思い浮かべるほどノッポな外観に。その長い鏡筒を活かしたとも言える全長の半分ほどを占める幅広マニュアルフォーカスリングは、操作感も滑らか且つ適度なトルクで好印象。嫌なアソビも無いので、AFに頼り切れない場面が多い接写時もストレス無く操作可能です。スイッチや絞りのクリック感も、他のArtレンズ同様に高いビルドクオリティーによって支えられた安定・安心感があり、「モノ」としての存在感も極上です。肝心の描写性能は想像のさらに上を行くもので、開放では前後の美しいボケの中に浮かんだ極薄のピント面が、ある種の儚さを纏った趣で立ち上がり、一段絞ってあげれば、増した解像感が被写体の細部まで描き切ります。前後のボケ像も均質に美しく広がり、「マクロレンズ=硬いボケ」だった過去の定石などは木っ端微塵と言えましょう。

 フルサイズα用の中望遠マクロは2025年現在で、純正のレンズ内手振れ補正を搭載した90mmマクロ、ミラーレス特化を果たした最新タムキューを加えたまさに三つ巴。クレオパトラ・楊貴妃・小野小町を前にして、いったい誰が簡単に順位なんて付けられるというのでしょうか。

 

 

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最近ではマイクロフォーサーズフォーマットでの撮影が多いので、105mmと言うレンズの被写界深度の浅さにあらためて驚いています。その深度の浅さから極薄のピント面の解像度の高さが際立ち、繊細なタッチがアニメのセル画(これも死語に近いですかね)を見せられているかのように印象的です。無論合焦面だけでなく、前後のボケ像も周辺まで崩れない高品位な映像を得られます。

 

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さすがはシグマを代表するArtシリーズ。高い解像度と美しいボケ味で、日常の風景を叙情的に切り取ってくれます。「マクロレンズ=接写が得意」ではありますが、極端な接写でなくとも寄れる中望遠レンズとしての存在価値が非常に高いのが100mm前後のマクロレンズです。

 

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マクロレンズと言えば自ずと高い解像度を期待するものです。SIGMAレンズにはその強烈な解像感から「カミソリマクロ」の異名を持つ70mmのマクロレンズも存在しますが、本レンズも決して引けを取らない高い解像力を誇ります。オリジナル画像を拡大すれば、木製の柵に打たれたボルトのネジ溝までクッキリと解像しているのを確認できます。

 

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「鳥肌もの」なんて表現をしますが、本当に鳥肌が立つような妖艶な描写。均質な前後のボケが醸し出す絶妙な立体感と、極端にアンダーに振った露出を受け止める豊富な諧調。ポートレートにも使えるマクロレンズとしては、不動の人気を誇るTAMRON製90mmマクロレンズ(通称タムキュー)を思い出しますが、本レンズも相当に高いポテンシャルを秘めていそうな予感アリです。

 

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映像を邪魔しない良質なボケ像によって、合焦面だけが浮かび上がる特徴的な描写を見せます。ミラーレス一眼への特化で旧来のシリーズとは似ても似つかない光学系を手に入れた本レンズには、レンズ内手振れ補正機構が内蔵されないので、ボディー内手振れ補正を前提とした設計と言えますが、そこには究極の光学性能を手に入れる為の取捨選択もあったのだろうと想像できます。

 

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開放絞りは F2.8。口径食の影響も悪目立ちはしない印象でしょうか。周辺では丸ボケに多少の変形を認めますが、エッジの柔らかいボケ味も功を奏し癖はほとんど感じません。ピントの合った紅葉の葉と背景の葉の間に感じる空気感も良い感じです。標準系のマクロと比べボケの大きな中望遠のマクロは、画面整理がやり易くマクロデビューにもおすすめです。

  
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わずかばかり木漏れ日の当る巨木に寄り添う蔦。かなりの悪条件ですが、ボディー内手振れ補正を頼りに撮影にした一枚。105mmレンズとしては長めの外観を有し、フード無しでも全長は約135mm、フード装着時の姿は200mmクラスのレンズに。しかしながら細身な鏡筒は遊びの無い極上のマニュアルフォーカスの操作性も加わって、微妙なピント調整が必要な接写時の保持バランスはなかなかの物です。
 
 

SONY Sonnar T* 135mm F1.8 ZA (SAL135F18Z)

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 カメラメーカー各社が発売するデジタル一眼レフが、APS-Cサイズ600万画素クラスのセンサー搭載機から徐々に1000万画素機に置き換えられ始めた頃、Konica-MINOLTAからカメラ事業を引き継いたSONYは、APS-Cサイズ1000万画素のセンサーを搭載したα100で華々しくデビューを飾りました。こうして始まったデジタル「一眼レフ」事業は、最終的にトランスルーセントミラーを採用した機種の投入によって、高速連写とトラッキングAFという、現在のミラーレス一眼のトレンド機能の礎を築きました。それでも、フイルム時代からの2強Canon・Nikonの後塵を拝す場面も多く、大成功だったとは言えないのかもしれません。しかしながら、NEXシリーズによって参入を果たしたミラーレス一眼事業では、α7シリーズの投入によるいち早いフルサイズ化を果たし他社から大きなアドバンテージを取って以降、ミラーレスデジタル一眼進化の牽引役としてその名を轟かせ続けている事実に異論をはさむ余地などないでしょう。 

 さて一方、システムとしてのレンズ交換式カメラを語る上で不可欠なのは、何と言っても交換レンズの存在です。α100が登場した際、APS-Cサイズのセンサーに合わせたデジタル専用交換レンズのDTシリーズが登場したと共に、MINOLTA時代からのレンズも、その多くがいわゆるデジタル補正(歪曲収差や周辺減光の自動補正等)への対応を含むリファイン・リニューアルを果たし再編されました。当然それらは、35ミリフルサイズセンサーをカバーするイメージサークルを持っていたものも多い事から、フルサイズセンサーを搭載した一眼レフの投入は、α100の登場時からすでにロードマップに織り込み済みであったことが想像できます。さらに、新たに加えられたZeiss製レンズの存在も大きな注目を浴びました。SONYは以前よりムービーカメラにZeiss製のレンズを搭載していたため、この協業に特段の驚きこそありませんでしたが、京セラのカメラ事業撤退で先行きが見えなかったZeissレンズのAF化・デジタル対応を待望していたファンにとっては福音ともなったことでしょう。

 こうして新たにお目見えしたSONY-Aマウント用のZeissレンズですが、個人的注目株はやはり2本の望遠単焦点レンズ。Planar 85mm F1.4 ZAは、伝説とも言えるヤシカ・コンタックス マウントの看板レンズの基本設計に順じた構成をベースにしてデジタルセンサーへの対応を果たした、チューニングモデルと言って差し支えない印象。一方で135mmは、ヤシカ・コンタックス時代に、5枚という非常に少ないレンズ構成でクリアな描写を売りとした解放f 2のPlanarとは全く違う新設計、8群11枚構成のSonnarタイプとなりました。本レンズよりも後発となったコシナ製のマニュアルフォーカスレンズ APO-Sonnar 135mm F2に比べ、解放 F値(1.8)・最短撮影距離(0.72m)と数値上のスペックが僅かに上回っているのが興味深いところ。想像の域は脱しませんが、極端に浅くなる被写界深度を考慮した上で、精度の高いオートフォーカスによるピント合わせを前提とした本レンズならではの仕様なのかもしれません。

 素人目にレンズ構成の差異は多分に感じますが、描写の方向性はヤシカ・コンタックス時代のPlanarに近い印象を受けました。当然デジタル時代に合わせた高い解像度を持ったレンズですが、シャープネスを押し付けるような描写ではなく、豊かなボケの中から非常に繊細なピント面が浮かび上がってくるような、そんなイメージを受けます。撮影は曇天下に行いましたが、それを差し引いて考えても、優しいコントラストで描く優雅な中間調が印象的でした。焦点距離と明るさがもたらすとても豊かなボケ像は、被写体によってはエッジを感じる部分もありますが二線ボケのような煩わしいものでは無く、被写体の情報を上手く残すタイプ。マウントアダプターLA-EA5を介した利用では、フォーカスや絞りの作動に伴うメカノイズがやや趣に欠ける部分もありますが、定価から考えると現在ではバーゲンと言って差し支えない金額で入手できるのも魅力です。

 2025年時点でミラーレス版にはZeiss製ではない「GM」を名乗るSONY純正とSIGMAのArtシリーズにも同一スペックの135mmが存在しています。この3種で贅沢な利き酒ならぬ利き撮りができたら、と妄想が止まらないのです。

 

 

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曇天下の撮影ではありましたが、絞り解放ではゴリゴリにコントラストが乗って来るタイプの描写ではなく、水彩画を想起させる自然で優しい描写を見せます。85mmと並び、ポートレートでの活躍が期待できます。背景のボケは多少のエッジ感は残りますが、望遠レンズらしい大きなボケが自然と合焦部を引き立ててくれます。さすがに周辺では若干口径食の影響が残っているようです。
 
 

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合焦部の解像感も解放から全く持って心配はありません。最新レンズの様なガチガチなキレを見せるタイプではなく、ボケの中から、ピント面が浮かび上がてくるような印象で、ヤシカ・コンタックス時代のPlanar135mmの描写を思い出します。レンズ構成は大きく異なっていますが、求める描写のベクトルは近いのかもしれません。

 

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開放絞りでの近接撮影となれば、さらにダイナミックにボケが発生します。しかしながら適度に被写体の存在感を残したボケ像のおかげでしょうか、圧縮された遠近感の中でも自然な立体感を感じる映像となりました。スクエアフォーマットで長辺部を整理すると、丁度、口径食・周辺減光の欠点部分がカットされるので、とても端正な画像となりますね。

 

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ヤシカ・コンタックスのPlanarは、最短撮影距離1.5mと135mmレンズの中でも長い部類に属し、近接能力は決して高くはありませんでした。同じく最短撮影距離1mのPlanar 85mmと共に、「もう少し寄れれば・・・・」ともどかしく思う事も。しかしながら本レンズは0.72mと、Planarの約半分まで接写が可能です。当然被写界深度は極薄となりますが、ピントを固定し微妙な体の前後とカメラの連写に依存しての1枚です。水滴のハイライトを生かす為、かなりアンダーに振った露出ですが、周辺減光が良い仕事をしてくれました。

  

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被写体の厚みを考えて、被写界深度を稼ぐべく少しだけ絞って撮影。ボケ像に感じるエッジ感が少しだけやわらぐ感じがしないでもないですね。絞りの羽根は9枚の円形絞りを採用していますので、玉ボケも綺麗な形を保ってくれます。こういった被写体を仰々しい機材で撮影していると、通りすがりの観光客と思しき方たちが、「あの人はいったい何を撮ってたんだろう?」と興味深げに私の去った後の被写体をのぞき込む場面に結構な確率で遭遇します。案外大したものは撮っていないんですけどね。スミマセン。。。

 

 

SONY FE 100mm F2.8 STF GM OSS (SEL100F28GM)

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 当ブログのタイトルは、戦場カメラマンとして歴史に名を残すロバート・キャパの著書「ちょっとピンぼけ」にあやかっています。この書籍タイトルは、原題「Slightly Out Of Focus」からのとてもセンスが光る和訳なのですが、そう感じる理由として「Out Of Focus」を一言で表現する「ボケ」という日本語の存在がとても大きいのだと感じています。画面全体にピントが合っていると感じられる、いわゆるパンフォーカスで撮影された写真を除けば、写真の中には「ピントの合った部分」と「ピントの合っていない部分」が存在しています。当然の事ながら作者は最も注視して欲しい被写体の部分にピントを合わせるのが一般的であり、ピントが合っていない部分は作画上の脇役であったり、場合によっては全く必要のない部分と考えられることさえあるでしょう。俗に言う「ピンぼけ」が失敗写真の代名詞になっている事からも、写真においてピントが合っている事は一種の大前提と言えなくもないのです。だからこそ、あえて「ピントの合っていない部分」に英語圏には存在しない特定の呼称を与えた、かつての日本人の感覚には尊敬の念さえ抱けるではありませんか。「KOBAN(交番)」や「KARAOKE(カラオケ)」の様に、それまで海外にはなかった日本独自の文化・風習が受け入れられる際、いわば輸出された日本語としてこれらの言葉が定着していった訳ですが、「ピントの合っていない部分」を表す言葉が、現在英語圏で「BOCHE」と日本語の発音そのままに表記される事が、なんだか誇らしいではありませんか。

 さて、レンズに話を移しましょう。写真レンズに求められる性能を考えた時、個人的な感覚や作風などにも影響されますから、答えを一つにまとめる事は出来ないのだろうとは思います。しかし、「ピントを合わせた部分がしっかりと結像・解像する」という点に関しては、議論以前にレンズという商品の性格上当たり前の事だと考えても良いでしょう。だからこそ、本レンズ「STF」のようにピントの合っていいない部分、すなわち「ボケ」にスポットを当てて設計をされたレンズが存在する意義とは何か、自然と興味が湧いてしまうのです。非合焦部への明確な名称「ボケ」を有する言語を用い、さらにその「味」にまで言及する「ボケフェチ」とも言える日本民族が拘った一本、その実力とはいったいどんな物なのでしょう。

 「STF(Smooth Trans Focus)」と銘打たれた本レンズは、アポダイゼーションと呼ばれる特殊な光学系を採用しています。ものすごくざっくり言えば、周辺に向かって濃度を増すNDフィルターの様な物なのですが、この効果でボケ像に発生するエッジを弱め、俗に言う「硬いボケ」や「二線ボケ」などを抑制する効果が期待できるのです。同様の構造・発想は富士フイルムのXF56mm F1.2 R APD(アポダイゼーションの略)やCanonのRF85mm F1.2L USM DSにも存在しますが、両レンズ共にその効果を持たせないノーマルなレンズも併売しています(した)。描写特性の違いを選択肢としてユーザーに与えるという面もありますが、前述した通りNDフィルター的効果の発生で、センサー面に到達する光量が落ちてしまうと言うデメリットが存在する事も理由にはなるでしょう。実際本レンズも解放F値は2.8としていますが、実際にセンサーへ到達する光量を表記するT値5.6を併記しています。単純計算で絞り解放の状態でもシャッタースピードにして2段分の光量ロスが発生している事になりますが、その辺りはレンズ内手振れ補正に自信もあるのか、SONYからはノーマルバージョンのレンズが発売されていないのが興味深いところです。 

 別のアプローチでは、過去にNikonからも105mmと135mmに「DC(Defocus-image Control)機構」を持たせた2種のレンズが存在していました。この機構はレンズに発生する収差(主に球面収差)を搭載されたDCリングの操作で意図的にコントロールし、ボケ像の柔らかさを変化させるという手法で、アポダイゼーション光学系のような減光は発生せず、調整の量によってはソフトレンズ的な応用もできる半面、効果は前ボケ・後ボケどちらかを選択する必要(後ボケを柔らかくすると逆に前ボケは硬くうるさく感じ、逆もまた然り)があり、さらに絞りの変化に応じたDCリングの操作が都度必要になるなど、使用には若干の慣れと工夫が不可欠なものでした。

 いずれにしましても、フルサイズ換算での85mm~135mm近辺の焦点距離で尚且つ明るい単焦点レンズへの実装が殆どな「ボケ」を意識したこれらの機構や構造ですが、やはりそれらのレンズはポートレート撮影などでの利用頻度が高く、メインとなる被写体を浮かび上がらせるためのより魅惑的な「ボケ」を演出できるレンズが求められているという事なのでしょう。物語の行間であったり、役者の三枚目、あるいは酒の肴といった様に、「ボケ」も本来は主要被写体を引き立てる役回りでありますが、時に主役以上に重要な立ち回りを見せる名脇役のごとく、上手く使いこなせばきっと作品の深みも増してくれるのでしょう。

 これは、本当に余談に過ぎない事なのですが、先ごろ映像に関わる若い世代の方たちから「ボケ感」という言葉を目や耳にするようになりました。恐らくはボケ像の様子(いわゆるボケ味)やボケの大きさの程度を指した言葉なのだと想像はできるのですが、個人的な感覚としては、「ボケ」という言葉には「ピントが合っていない感じ」のように「感」がすでに内包されているイメージがあるので、結果としては「ボケ感」という言葉にはどこか「頭痛が痛い」同様つまりは「ピントが合っていない感じの感じ」の様に素直に呑み込めない違和感が伴ってしまうのです。こんなことを公言すると「老害認定」を受けてしまいそうな恐怖もあるのですが、お客様からスマホの画像を見せられて、「こんな「ボケ感」が出せる単焦点のオールドレンズってありますかぁ?」なんて聞かれた時の、あの肩甲骨と背骨の間の筋肉がぞわぞわっとする感覚がどうあっても馴染めないのも事実なのです。

 

 

Dsc02759並んだ中央の駐禁の看板にフォーカス。合焦部から前後に綺麗に広がる「ボケ空間」を見る事が出来ます。アウトフォーカス部にある手前の看板の文字や背景の電信柱など、レンズによっては悪目立ちすることもあるハイライトを含んだボケ像のエッジが、どちらもとても緩やかに描写されています。

 

Dsc02515

こういった細い枝葉なども、二線ボケなどの影響で遠近の判断がつきにくくなる描写をしてしまいがちな被写体ですが、STFの効果でご覧の通り。安心して作画に取り入れることができます。

 

Dsc02596

水面の蓮の葉と写り込んだ薔薇の枝。水底に沈んだ枯れ葉もかすかに見えるでしょうか。非合焦部が非常に穏やかな反面、合焦部の先鋭な描写はさすがSONYレンズ最高峰の証GMの銘を冠するだけの事はあります。本レンズの祖先はMINOLTA時代のAF 135mm F2.8 STFと想像できますが、Eマウント化にあたって焦点距離を100mmとしたのはFE 135mm F1.8GMとのバッティングを避けるためなのでしょうか?

 

Dsc02719

口径食の影響が抑えられ画面周辺まで均質なボケ像を描く事も本レンズの特徴。もともとボケのエッジが綺麗に滲んでいる為に目立ちにくいのですが、水面の反射がボケた玉ボケの像も、周辺まで綺麗な円形を保っています。かなりの逆光条件でしたが、懐の深い大型レンズフードがしっかりと仕事をしてくれました。レンズ内の反射防止性能が高いのも言うまでもありません。

 

Dsc02444

テスト撮影を行ったのは丁度紅葉の入り頃でした。背景との距離はそこそこありますが、100mmにしてはボケ方が大きいと感じるのは、アポダイゼーションの効果でぼけの輪郭部がきれいに滲むからなのでしょう。200mm程度の望遠レンズを使った描写に近い印象にも感じます。

 

Dsc02565

ボケにだけ拘ったとするなら「GM」レンズとはならなかったでしょう。ちょっと絞り込んで庭園の片隅にまとめられた剪定用具をスナップ。合焦部の解像度と質感描写がすさまじく、拡大画像を見ると織物の繊維が一本ずつ確認できる程です。高い解像力と美しいボケの共存、まさに理想のレンズの形その一つなのでしょう。

 

Dsc02531

専門のマクロレンズ同等とはいきませんが、本レンズには切替によって、最短撮影距離を57cm(撮影倍率0.25倍)にするマクロ機構が内蔵されており、人物撮影だけでなくこういった植物などの撮影で重宝します。本来であればシームレスなのが一番ですが、恐らく画質を最善に保つための手段なのでしょう。MINOLTA時代の100mmマクロもボケ味には定評がありますが、ポートレートや遠景での利用が多ければ、STF一択で良いと思います。(資金があればの話ですが・・・)

 

Dsc02516

撮影前日の大雨が上がり霧が立ち込めた庭園。濃霧+アポダイゼーションの合わせ技なのでしょうか、とても幻想的な雰囲気に仕上がりました。所在なく溶けてしまうタイプのボケ像ではないので、木道の存在感がなんともリアルで良い塩梅に。

 

Dsc02709ポートレートなどでは、立体感を表現するために多用する半逆光のシチュエーション。ハイライト部分にのみ、わずかに紗をかけたかのような絶妙なボケ像と、合焦部のリアルな彫像の質感がその場の空気感を見事に演出。本レンズならではの絵作りと言えるでしょう。背景には印刷された段ボールが写りこんでおり、レンズによっては煩わしく見えてくる部分ですが、全く気になりませんね。

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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