For SONY FE with Mount Adapter Feed

Zeiss Otus 55mm f1.4 ZF.2 (APO-Distagon)

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 50mm付近の焦点距離と解放f値1.4のスペックを持った単焦点レンズは、フイルム一眼レフの時代にほぼ全てのカメラメーカーから販売をされていました。135フォーマットフイルム(いわゆる35mmフルサイズ)において「標準レンズ」とも呼ばれるその焦点距離は、遠近感や画角が比較的人間の視覚に近い事に由来する癖の少ない描写特性を持つことに加え、解放f値の明るさ、適度な被写界深度、比較的短い最短撮影距離の特性から対応可能な撮影場面も多く、文字通りの「標準」として活躍しました。私の学んだ大学の授業では、1学年目の前期課題のほとんどはこの50mmだけを使用する縛りが与えられていたのですが、撮影の技術・理論の基礎習得にはとても有効な手段であったのだろうと今更ながらに感じています。

 ところでこれら「標準レンズ」には、多くのユーザーにとって初めて手にする1本(いわば、そのメーカーの名刺的な役割)となるからこその大事な使命が存在しています。それは、十分な性能を適度な大きさと重量そして価格で提供されなければならないという事です。この二律、三律背反とも言える命題のため、標準レンズ設計の歴史を紐解くと結果としてはある種の最適解、総じて「変形ダブルガウスタイプ」と称される6群7枚の光学系へと導かれていったように感じます。かつて各社が公開していた50mm f1.4のレンズ構成図、そしてその描写特性に共通点が多い事からは、逆に「標準」であることの難しさを感じ取れるとも言えるのではないでしょうか。

 さて、デジタル一眼が主流とっなた昨今、「標準」の役割を「標準ズームレンズ」へとバトンタッチしたかつての「単焦点レンズ」には、新たな時代がやってきたとも言えるでしょう。開放をf値を1.8としたことで安価となった単焦点レンズの入門モデルとして(いわゆる撒餌レンズ)、また解放f値を0.95やf1.2などとした明るさ・描写性能を極めたフラッグシップ的モデルとして様々な新レンズが登場しては話題に上っています。さらに「標準」の中でその代表を務めたと言ってもいい、解放f値1.4のモデルさえ「標準」に課せられたコストの枷が外された事もあるのか「6群7枚変形ダブルガウスタイプ」ではない新設計のレンズもお目見えするようになったのです。中でも「純正」よりも高額な定価設定で登場した「非純正」のSIGMA 50mm f1.4 DG Artや、当初40万円を超える売価でお目見えした本レンズには度肝をぬかれました。

 Zeiss曰く「標準レンズにおける完璧の概念を塗り替えた」とした、全長140mm超、重量約1Kg、フィルター径77mmと、135mmクラスの大口径望遠レンズに匹敵する装いを有する本レンズは、百花繚乱ともいえる現行焦点距離50mm付近のレンズで、間違いなく究極の一本であると言えるでしょう。Zeiss標準レンズ伝統のPlanarに類する設計ではなく、広角レンズでの採用例が多いDistagonタイプ(いわゆるレトロフォーカスタイプ)による非球面レンズを含む10群12枚のレンズ構成は、なんとその半数が異常部分分散特性レンズで占められるという遠慮(?)の無さで、設計の概念すらも塗り替える勢いです。一眼レフの黎明期に良く見られた性能確保の手段同様に、焦点距離を僅か長めの55mmに設定した事からも、設計者の強いメッセージが伝わってきます。この塗り替えられた標準レンズの概念、拙い映像では伝えきれないその魅力を是非皆様の眼力で汲み取って頂ければ有難いのです。

 

 

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f1.4。標準設定のJPEG撮って出しでこの色ノリです。もともと派手に彩色されたオブジェでしたが、どちらかと言えば派手目になるといわれる記憶の中の映像よりもさらにビビッドに感じます。開放描写で問題になる周辺光量落ちや口径食の影響も限りなく軽微でしょう。なによりボケた背景の切り株や庭石にもしっかりと立体感が宿っているのは一種不気味なほど。

  

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丁度、恐竜オブジェの背びれがボケチャートとして役立ちました。距離に応じて徐々に大きくなるボケ像が確認できます。硬すぎず、柔らかすぎず、前後に均質に広がるボケ像、いい塩梅です。旧来の設計ですと口径食の影響もあって背景が同心円状に渦を巻いたように変形する通称グルグルボケが目立ちやすい状況ですが、本レンズでは当然目立ちませんよね。ピントの切れ込みも解放とは考えられないほどシャープです。

 

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モノクロにすることで、トーンの繋がり、優れたコントラスト再現性が確認できます。高解像度センサーの恩恵もありますが、合焦部を拡大すると、オブジェ構成素材の結晶の粒を感じられるほどのシャープネスに驚きます。

 

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さすがに多少の破綻を生じ「味わい」のある描写をするだろうと想像したピーカンの建造物。こんなに「普通」に写ってしまうとは。。。。。。周辺光量落ちはさすがに感じ取れますが、それ以外に突っ込む要素が見当たりません。描写のクセに頼れないレンズ、実力試験試をされている気もしなくはありません。

 

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対称光学系を基本とした変形ガウスタイプのメリットに歪曲収差の補正が挙げられますが、レトロフォーカスタイプで設計された本レンズも非球面レンズや最新の設計技術を活用し、非常に高いレベルで補正がされています。デジタル補正の恩恵を得られない組み合わせでの利用ですが、歪曲の影響を実写で感じる事は殆ど無いかと思います。

 

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かなり輝度差の大きい被写体でしたが、露出補正のみで飛びやつぶれの少ない映像を手に入れられました。部分補正をせずにこの仕上がりです。センサーのダイナミックレンジを生かし切る相当に懐の深いレンズだと感じます。

 

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本来絞り込んで撮影するのが妥当な被写体ですが、機械精度も高くEVFでもマニュアルフォーカスによるピント合わせが快適なので、絞りを開けてファインダー像の変化をついつい楽しんでしまいます。フリンジの少なさもアピールポイントとされていますが、なるほどこんな光源下でもエッジに不用意な色づきは発生しません。太陽を避けたフレーミングにしてはいますが、逆光の耐性も当然高いレベルで確保されているとお知らせしておきます。

 

 

MINOLTA AF REFLEX 500mm f8

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 凸レンズや凹レンズを通過する際に光が曲がる(屈折する)性質を利用して焦点を結ぶ様に設計された大多数の写真用レンズでは、一般的に焦点距離が長くなればなるほどレンズ全長も長くなります。設計手法や利用する光学素材によっても変化しますので一概には言えない部分もあるのですが、大雑把に言ってしまえば50mmの焦点距離のレンズならば5cm。100mmならば10cmといった感じでレンズの全長は変化します。スポーツ中継のカメラマンブースに、大砲の様なレンズが並んでいる様子を見た事もあるかと思いますが、それは遠景の被写体を大きく写す為の望遠レンズの焦点距離が500mmや1000mmと非常に長い事が要因の一つです。加えて、画像の明るさを得るためレンズ口径も比例して大きくする必要があるので、超望遠レンズは「長く」「大きく」「重く」大砲のような外観となり、そして価格も「高く」なるのが一般的なのです。

 さて、上記の「屈折光学系」をざっくりと1枚の凸レンズで説明すると、そのレンズと焦点が結ばれる(ピントが合う)点との距離が「焦点距離」となるのですが、レンズではなく向かい合わせに配置した鏡(凹面鏡)の反射の利用によって光を往復させて焦点を結ばせる「反射光学系」は、焦点距離を理屈上半分程度に縮める事ができます。そして、そのメリットから主として焦点距離500mm以上の望遠レンズに各社で採用され「反射望遠レンズ」などとも表記されるのが本レンズを含めたレフレックスレンズ群になります。

 前述した通りレンズ全長を短く全体を小型化できる以外にも、大口径のレンズが光学系に存在しない為に軽量化・低価格化できる点、主光学系が光を屈折させない為に色収差の発生が少ないといったメリットがあるため、AF化される前のフイルム時代はカメラメーカー・レンズメーカーには必ずと言えるほど500mmのレフレックスレンズが商品化されていました。中には1000mmや1600・2000mmという超長焦点距離のレンズを有するメーカーや、小型化の恩恵をあまり得られない250mmや350mmといったレンズにまでレフレックス方式を採用したり、ズーム化を果たした例などもありました。半面、絞り調整の機構を持てずf値が固定である点(しかも500mmレンズでf8と決して明るくない)や副鏡の存在がボケ像を大きく乱す(光源がドーナツ状に写る通称リングボケ)といった欠点の存在から、どちらかと言えば「特殊レンズ」として扱われることも多いのが実際のところだったと感じています。

 そして、フイルム時代MINOLTAα7000の発売以降、一眼レフカメラに一挙にオートフォーカス化の波が押し寄せつつも、AF化が遅れていたレフレックスレンズでしたが、光学設計の最適化と第二世代となるα7700iに搭載された多点測距センサーの恩恵を受ける形でAF化を果たしたのが、本レンズMINOLTA AF REFERX 500mm f8となります。プラスチック外装の採用によって小型軽量化に一層の磨きをかけ、手振れ補正機構が実用化されていなかった当時は、AF化でピント合わせの負担も軽減された事で「手持ちでもいける超望遠」として唯一無二の魅力を放っていました。無論他社のAFシステムも徐々に測距点の多点化へと進化を果たしますが、結果としてAF化された35mmフルサイズ用のレフレックスレンズは当レンズ1機種(APSフイルム規格のVECTIS用に400mmのミラーレンズが存在していました)だったのはなんとも残念な話です。以降デジタル化したAマウントのSONY製α用レンズとしても存在を続けたのは意外とも感じましたが、AF一眼システムの先駆者としての意地とプライドがしっかりと引き継がれた事の証明だったのかもしれません。

 本レンズをLA-EA5を併用しミラーレス機α7RⅣでの撮影する際は、AFでの撮影も勿論可能ではありますが、やはり反射光学系という特殊性や解放f値が8と暗い影響もあってか、残念ながら「小気味よいAF利用による撮影」とは行かない様です。うす暗い状態では全く被写体を捉えてくれない事も稀ではありませんし、上手くAFが作動したとしても、被写体を「捉える」と言うよりはじりじりと「探り当てる」かの様なレンズ挙動になんだか懐かしさも感じてしまいます。結果、像を拡大した上でのMF撮影の方が随分とストレスフリーだったりするので、これなら他社のMFミラーレンズを使っても同じなのでは・・・・と思う事も。MINOLTA製レンズであってもEXIF情報にレンズ名が記載されるというLA-EA5併用のメリットはあるのですけどね。ちなみにSONYのHPによると、本レンズは最新(後?)のSONYバージョンでもレンズ補正に関する情報はありませんので、Lightroomでもプロフファイルを利用したデジタル補正は本MINOLTA同様アクティブにはならないかと思われます。元より色収差をはじめとして収差が少なく、デジタル補正の必然性はあまり無いタイプのレンズなのかもしれません。SONY版は中古市場ではあまり見かけないレンズですが、使用する機会があったら是非検証してみたいものです。

 

 

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レフレックスレンズの欠点としてボケ像の乱れは有名ですが、光源がドーナツ状に描写される「リングボケ」はそれを期待して利用する場面も存在しますし、その為にこそ本レンズを入手する動機にもなったりします。木漏れ日を反射する路面のイチョウの葉が、あたかもイルミネーションの様な演出で描かれました。さしずめ被写体のパイロンは、クリスマスに肩を寄せ合う恋人の様です。

 

ちょっと言い過ぎですかね。

 

ちなみにリングボケだけを求めるのであれば、保護フィルターの中央に丸く切り抜いた黒紙を両面テープで貼り付けるという力技もあったり。(自己責任でどうぞ)

  

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シャープネスは低くはありませんが、500mmのレンズの被写界深度は浅く、合焦面の前後のボケ像がやや乱れる為にピント自体が甘く感じてしまう事もあるようです。微妙なピント位置の違いが全体のイメージを変える事もあるようで、なかなか使いこなすのは難しいなと感じました。

 

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思っていたよりも周辺光量がしっかり落ちて、雰囲気のある写真に仕上がりました。被写体がカラスだったこともあり、一部のハイライトを除いてがっつりダークになるよう露出をコントロール。そこそこの遠景でしたが、ボケの乱れとは無縁な青空が背景だとレフレックスレンズのクセは感じられません。

 

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薄暗い竹林での撮影です。他のレンズよりも像のコントラストが低いのか、AFはまったく役に立たず前後に行ったり来たり。あきらめてMF撮影に切り替えましたが、ピントリングがレンズ前方にあるため操作バランスは今一つです。過去のレフレックスレンズのような幅広のピントリングがあれば操作性は格段に上がりそうなので、ミラーレスバージョンが発売されるなら是非とも搭載して欲しいものです。

 

 

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硬質な物体で、特徴あるボケを逆に生かしてみようと被写体をチョイス。屋内駐車場に整列した自動車を選択。学生時代に鉄道写真を撮影する為にReflex Nikkorを借用した事を思い出しました。あの時は架線柱の乱れたボケ像に手を焼いた記憶がありますが、それは私の付き合い方に工夫が無かっただけなのかも。

 

 

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西日を浴びた自動販売機が美しく輝いていたので一枚。遠景の被写体では被写界深度を稼げるので、目立った癖は感じずシャープな印象に。強い光線を反射した金属部のエッジにも妙な色づきを認めないのは、やはり反射光学系の特徴である色収差の少なさが効いているのでしょうか。

  

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合焦部との距離が開けばボケ像の乱れも緩やかに感じます。浅い被写界深度ですがかろうじてベンチの質感は表現されているのかと。屈折光学系の500mmレンズ、最近では随分と小型化された物も存在しますが、まだまだレフレックスにはかないません。人目をはばからずに超望遠によるスナップが撮影できるのは、他人のカメラに過敏に反応する現代では本レンズの新しいメリットになるかもしれないのです。

 

SONY AF 20mm f2.8 (SAL20F28)

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 写真学校在学の2年生の頃にカラー実習なる授業がありました。撮影したカラーネガフイルムを校内の自動フイルム現像機で現像し、仕上がったネガを原版にして暗室で引き伸ばし、そして自動プリント現像機でプリントした作品で講師の講評を受けるといった授業だったのですが、別授業の通年必修科目ではモノクロのプリント提出が必要だったため、課題撮影時に「カラーフイルム」と「モノクロフイルム」を装填した別々のカメラを持つスタイルが基本になりました。現代のデジタルカメラであれば、撮影現場で仕上がり設定を変えたり、帰宅後にPC上で1枚のRAWデータからモノクロ・カラー両方のデータを生成することもたやすいですから、そんな手間は不要なのですが、フイルムではそうはいきません。仕上がりの質を気にしなければ、カラーネガフイルムからモノクロプリントを作成することも可能だったのですが、「質」をめっぽう気にする体質の大学でしたから、フイルム入れ替えの手間を惜しむモノグサ筆者などは、カメラ2台持ちが最善の選択となった訳なのです。

 さて、当時はメインにNikonのシステムを使用しており、当然のことながらトラブルに備えてボディを複数台所有していたのですが、ここで、どうせなら全く使用したことの無いシステム一式を試してみたいという謎性癖が発動してしまい、アルバイト先からMINOLTAα8700iのボディとともに20mm/50mm/100mmマクロの三本のレンズを借用しカラー撮影に利用しました。丁度MINOLTAのαシリーズが3世代目のα-xiシリーズに移行し、同時に多くのレンズにマイナーチェンジが施された頃でしたので、旧世代となったボディや旧バージョンの中古レンズ在庫が比較的潤沢に店頭にあった事も選択の理由になりましたが、α7000の発売以降他社に先駆けてAF一眼レフの一時代を築いたMINOLTAのAFシステムに強い興味があったのも事実です。

 このようにして、借用故に長期間とはいかなかったものの人生初のMINOLTAを味わった訳なのですが、中でも20mmf2.8は記憶に強く残りました。自身の手持ちNikonシステムでは24mmが最も広い画角のレンズでしたので、より広い画角やパースが強烈だった事もありますが、ピント面のシャープさと広角レンズにしては比較的柔らかめに感じられるボケ味、殆ど感じられない歪曲収差など超広角レンズとして総合的に高い描写力を持っていた点に関心しました。フィルター口径は72mmと小型の部類ではありませんがレンズ全長は比較的短く、高い効果が望める花形のレンズフードや(当時Nikonは花形フードを採用していなかった)リアフォーカスによる小気味いいAF駆動なども好印象でした。本レンズはαシステム立ち上げ初期から存在しましたが、マイナーチェンジを受けつつも基本光学系はそのままSONYのデジタル一眼レフカメラαのシステムへも引き継がれました。当初αはAPS-C機のみの構成でしたが、フルサイズ対応の本レンズが存在していたのはやはり後のフルサイズ一眼レフα900の開発が織り込み済みだったのでしょうし、それは同時に本レンズが当初からフルサイズデジタル一眼に対応できる高い性能を持っていた事の証明にもなるのでしょう。デジタル時代になって必然性が無くなってしまいましたが、機会があるならあの漆黒のカラー暗室(日本語としてなんか矛盾してますが)に再び潜って作業をしてみたいものです。

 

 

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絞り解放から、中心部はなかなかに高い解像度を持ったレンズです。周辺へ向かうにしたがって徐々に解像度・コントラスト・光量が落ち、代わりに収差の影響もあってか少しフレアっぽい描写を見せます。しかし嫌味な像の流れなどは感じられない味わい深い映像を提供してくれます。

 

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学生時代の試用ではボケが素直な超広角というイメージを持ちましたが、その感覚は間違っていなかったようです。被写体によっては多少チリチリとした感じも出ていますが、超広角での解放・近距離撮影である点を考えると、十分優秀なボケ味といって良いのではないでしょうか。

 

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シーズンを終え岸辺に重ねられた観覧用のボートが巨大な生物の躯の様です。LA-EA5を使った撮影では、SONY製レンズは画像データに使用レンズの情報も書き込まれるので、結果としてLightroom上でレンズ毎のプロファイルデータを用いた収差補正も可能()となります。歪曲収差や周辺減光、倍率色収差など超広角レンズで問題になりがちな欠点も補ってはくれますが、あえて旧タイプのレンズに敬意を表し無補正を選択することもできます。補正の有無はワンクリックで比較・選択できるのがデジタル化の恩恵ですよね。

()SONY製のAマウントレンズ(一部除く)では、ボディー内で生成されるJPEGデータには、カメラ側の設定により自動的にレンズプロファイルによるデジタル補正が適用されます。(適用しない設定も選択可能です)LightroomにおいてはRAWデータの現像時にプロファイルを適用したデジタル補正利用の有無を選択できますが、この機能、同一スペックのレンズであっても、MINOLTAやKonica/MINOLTA時代のAマウントレンズでは利用できないようですね。

 

 

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直線基調の被写体なので、こちらはレンズプロファイルによる補正をオンに。元から歪曲収差はそれほど大きくはないと感じていますが、周辺減光と共に多少の歪曲は修正されているようで、被写体によっては積極的に活用したいと感じました。太陽がかなり傾いた夕刻でしたので超広角とはいえ手振れを警戒しましたが、ボディー内手振れ補正も自動で最適化されるのは心強いですね。純正アダプターさまさまです。

 

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合焦部の高い解像感、丁寧に補正された歪曲収差は好印象。周辺部も大きな画像の崩れを感じる事はありません。収差の影響で点光源はやや形を乱した印象なので、星野写真などでは最新の高性能レンズには適わないのでしょう。しかし、非球面や低分散ガラスなどを採用せずにこの描写はなかなかに侮れません。

 

SONY AF 50mm f1.4 (SAL50F14)

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 齢50を迎えた筆者などは、SONYと言えばウォークマンやハンディーカム、トリニトロンなど、かつて一世を風靡した製品や技術名を真っ先に思い出します。また、パーソナルコンピューターのVAIOや家庭用ゲーム機のPlayStation、液晶テレビのBRAVIAなどは比較的新しい記憶として刻まれています。一方で、βムービーやメモリースティックなど、民生品では主流になり損ねたメディア規格などの断片記憶なども残っていたりするのですが、これほど多くの呼称が思い浮かぶ製品(技術)を作り出しているメーカーはあまり思い当たりません。恐らくですが、日本に生活していてSONY製品やその恩恵に一度も触れた事の無い方は、そうそうおられないのではないかと想像します。

 そんなSONYですが、まさか一眼カメラメーカーとして世界的に有名になる日が来るとは、お釈迦様が存じていたかどうかは不明ですが、片田舎に住まう元カメラ小僧には全く想像もできない事でした。映像・音響機器メーカーとして先進的かつ高い技術を元から持っていたことは説明するまでもありませんが、カメラの製造技術を同事業から撤退したコニカミノルタ(旧MINOLTA)から引き継いだこと、デジタルカメラの基幹部品である撮像素子の製造メーカーでもあったこと、なにより写真の主流が銀塩アナログ写真からデジタル写真へと大きく流れを変えたこと、これらが奇跡的とも思われるタイミングで融合し、誕生したのがSONY「α」なのでしょう。MINOLTAから引き継いだ「α」マウント(Aマウント)レンズ群とともに、1000万画素のAPS-C一眼レフ機「α100」でデジタル一眼カメラメーカーとして産声を上げたのは2006年と、割と最近の話(2023年現在)。その後Eマウントでミラーレス一眼参入し、FEマウントの「α7」でフルサイズミラーレス一眼の市場を開拓すると、センサーメーカとしての強みを存分に発揮し、超高画素機の投入・裏面照射や積層型センサーの開発・像面位相差やAI技術を用いた高性能AFの実装・果ては世界初のグローバルシャッター搭載機の発表などで、瞬く間に市場の牽引役としての地位を固めてしまいました。しかし、過去「β」で覇権を握れなかったSONYが「α」でデジタル一眼の覇権競いとは、運命めいた何かを感じてしまう話ではありますが・・・・・。

 さて、かく言う私、普段は小型センサー機であるマイクロフォーサーズフォーマットのカメラを愛用しているのですが、ひょんなことからSONYのα7RⅣという超高画素のフルサイズミラーレス一眼を入手・試用しております。(撮影画像に影響の出ない部分の故障を抱えた訳あり品の為、あえて「試」用)当初手持ちのLeica SUMMICRON-M35mmの「母艦」としての導入が主目的ではありましたが、フイルム時代のレンズがフルサイズで活用できる機材としての利用価値が非常に高く、もっぱら撮影時の必携機材となってしまいました。とりわけ純正アダプターのLA-EA5は画期的で、ミラーレス化の影響で中古市場価格が極端に下がったAマウントのレンズでも絞りやAFの制御がボディー側から行う事が可能となりますし(ボディーによって制約はありますが)、レンズの焦点距離を始めとした撮影情報が画像データに内包されるので、後々の画像管理にも好都合です。初期MINOLTAのαレンズでさえボディー内手振れ補正の焦点距離による最適化が自動で行われたのには正直感動してしまいました。

 こうして、α7RⅣとLA-EA5の競演で一眼レフ用Aマウントレンズを存分に利用できる世界線が構築された訳ですが、同時に写真学生時代にアルバイト先から借用したα8700iと数本のレンズの描写がふと思い出されました。そして30年の歳月を経て、再びそれらのレンズを最新の高画素デジタルで撮影したらどんな「絵」がでてくるのだろうかと、抑えられない興味が湧いてきました。偶然ですが、当時MINOLTAブランドで借用したそれら数本のレンズは、SONYブランドでも継続販売(2023年現在は直販サイトでの販売は終了)されていた為、経年劣化の少ない個体の入手も望めます。主流はミラーレスのFE/Eマウントへと移行してますから、案外レアな商品とは言え価格も抑えられるのが嬉しいところ。懐かしさと新しさの同居したこれらのレンズを揃えて手元に置いておきたいという厄介な欲求、しばらくは上手く抑える手段が思いつかないのだと思います。

 

 

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開放f1.4ではさすがに周辺光量は落ち、自然と画面中央に鑑賞の眼が向かいます。合焦面は非常に繊細なイメージで解像力は十分ですが、逆光に近い状況では、僅かのハロを纏った感じでノスタルジーを誘います。手持ちのAi Nikkor50mm f1.4より開放のハロが少ないと感じるのは、やはり設計が新しい(と言っても1980年代)からでしょうか、あるいはデジタル向けにチューニングが施されたのでしょうか。

 

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一眼レフ用の50mm f1.4クラスのレンズで良く見られる6群7枚の構成レンズでは、解放時は少し固めの後ボケと逆に柔らかい前ボケを特徴とするレンズが多いことが経験的に多いと感じます。本レンズもその特徴を有しており、手前に入れたバラの花は大きく自然なボケ味で描写されました。日陰では解放絞りでもあまり目立ったハロは感じられず、コントラストのあるキリっとした描写になりました。

 

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少し絞ってあげると、とても端正で透明感のある描写へ。背景のボケもトゲトゲしさを潜めとても素直なボケ像になります。本レンズの絞り羽根は7枚と標準的ですが、手の込んだ円形絞りを採用した恩恵もあるのでしょう。合焦面の解像感もさらに上がり、センサーの高解像度に引けをとらない描写になっていると感じます。

 

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高画素機は画素そのもののサイズが小さくなるため、解像度と引き換えに諧調再現やダイナミックレンジでは不利になるというのが定説ですが、センサーの性能にはどこまで伸び代があるのでしょう。水面に散った白バラの花びらを基準に、白飛びを起こさない様露出を切り詰めましたが、粘るシャドー部に驚きを禁じ得ません。

 

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なかなかにコントラストのある条件ですが、水面に映った雲がディテールを損なわないようにマイナス側に露出を補正。開放絞りでの撮影ですが、適度な周辺光量落ちが良い塩梅で雰囲気を高めてくれました。中間調からシャドーへのグレーの繋がりが何とも言えません。

 

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撮影で訪れた庭園では、ハロウィンを意識してか南瓜がお出迎え。開放の優しい描写に誘われたのか、亡くなった祖母がこの季節に家庭菜園で育てていた南瓜を思い出しました。そういえば当時はハロウィンなんてほとんどの人が知らなかったはずなのに、近年の異様なまでの盛り上がりは一体なんなんでしょうねぇ。。。「OBON」にナスやキュウリの置物を飾る外国人って、、、、まさか、いないですよね。

 

ASAHI PENTAX Super-Multi-Coated TAKUMAR 28mm f3.5

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 光がガラスを透過する際、その境界では約4%の光が透過せずに反射します。一見して透明なガラスであっても我々がその存在を視認できるのは、ガラスそのものではなくその境界面の反射を見ることができるからなのでしょう。写真用レンズのガラス素材も例外とはならず、一枚のガラスには表裏2つの境界面がありますから、一枚のレンズを光が透過する際には約8%が反射によって失われる計算になります。写真用レンズの場合には数枚から場合によっては20枚以上ものガラス製レンズが使われていますから、この反射による損失は決して無視できない問題となります。光量自体の損失もさることながら、レンズ内部で反射した光はさらに鏡筒内で乱反射をし、映像のコントラストを下げたり、映像上にゴーストやフレアを発生させる原因ともなるため対策は必須となります。

 そして、開発されたのがレンズコーティングという技術です。レンズ表面に様々な物質を様々な方法で定着させた膜を作るることで境界面の反射をコントロールする技術となる訳ですが、カメラ・レンズメーカーは自社のコーティング技術を誇る為、製品名やスペック表記に独自の呼称を加える事も少なくありません。国内メーカではキヤノンのS.S.C.、富士フイルムのEBCなどの表記をいわゆるオールドレンズでも良く見かけますし、ローライのHFTやZeissのT*(ティー・スター)等、欧州のメーカー製品にも独特の呼称が存在します。「N」マークの金バッチで有名なナノクリスタルコーティングはニコンが半導体露光装置へも採用したた最新のコーティング技術を示します。この事からもコーティングがいかに重要な技術であるかはお分かりいただけるでしょう。そしてレンズコーティングを語る上で、頭文字をとって通称SMCと呼ばれるSuper-Multi-Coatedを採用したASAHI PENTAX(現リコー)のレンズは避けては通れない話題なのではないでしょうか。

 M42規格のスクリューマウントを採用し、高性能・堅牢でありつつも比較的低廉な価格で日本製一眼レフカメラの世界進出の立役者となった、ベストセラー機SPに代表される一連のPENTAXカメラシステムには「Auto-Takumar」「Super-Takumar」レンズ群が用意されました。そしてそれらは、後継機に搭載された開放測光に対応させるための機構を搭載した「Super-Multi-Coated TAKUMAR」シリーズへと進化を果たします。採用されたコーティング技術が その名が示す通りの7層にも及ぶ多層膜コーティング(マルチコーティング)だった訳ですが、社史を紐解くと世界初の多層膜レンズコーティングとある「SMC」は、それまで主流だった一層コーティング(モノ・コーティング)のレンズに比べ優れた反射防止効果を持ち、画像先鋭度と逆光耐性の著しい向上をもたらしたとあります。今日では様々な光学製品で当たり前となったマルチコーティングですが、その歴史は「Super-Multi-Coated Takumar」に端を発すると言えるのでしょう。この「SMC」はレンズマウントがバヨネット方式となったKマウントのレンズにも引き継がれ、無論同社が展開する6x7判や6x4.5判の中判カメラの交換レンズにも採用。デジタルカメラ用レンズに最新のHDコーティングが採用されるまで同社製レンズの基幹技術として受け継がれました。面白いことに昨今の「オールドレンズ」ブームを受けて発売されたと思われる最新の50mmレンズには、HDコーティングを施したモダンタイプと、Classicの名を冠し「SMC」が施された2種類がラインナップされ、メーカー自らによってその違いを楽しめる仕掛けが用意されています。

 さて、そんな歴史あるM42マウントの「Super-Multi-Coated Takumar」ですが、爆発的に普及した結果、中古市場では非常に良く見かける存在でもあります。特に広角28mm・標準50mm・望遠135mmの3種は当時の鉄板アイテムでしたからなおさらです。ところが、製造から時間が経っていることや、コレクション品として扱われる事の少ない普及価格帯の製品であったあった為なのでしょう、「極上の個体」は案外珍しかったりもするのです。

 先日私が出会った、この個体は、光学系にカビや曇りの発生が無く、チリの混入もごく僅か。整備等の工具による作業痕も見受けられませんので、出荷直後の状態を高いレベルで保持していたように想像できます。無論、絞りの作動やヘリコイドのグリスの状態も良好で、奇跡的という表現も的確なほどに美しい個体でした。結果、勤務先に入庫した際、「何処かでぞんざいに扱われる前に・・・・」と妙な里親病?が突如発症してしまい入手となった訳ですが、設計当初は想定すらされていなかったであろう、フルサイズ6100万画素機という高解像度デジタルカメラでの試写、結果は以下の作例からとくとご覧くださいませ。クラシカルな描写がもてはやされる昨今では、エモい?ゴーストが発生しやすい単層コーティング時代のSuper Takumarの方が人気が有ったりもしますが、いずれも多くのカメラマンの手で時代を記録してきた伝統の28mmです。一本くらいは手元においても損はないのかもしれません。

 

  

 

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Super Takumarの50mmでも感じたのですが、想像以上に上質な写りをしてくれます。開放f値は時代を感じさせる3.5と控えめで、このクラスの広角レンズは光学ファインダーでは少々ピント合わせに支障を感じた記憶もありますが、ミラーレス一眼の明るいEVFと、拡大表示機能をという利点を生かしてストレスなくピント合わせに没頭できます。絞り開放では周辺に像の流れによる解像度の低下がありますが、中心部の解像度は十分ですし、周辺減光も想像していたよりも発生しませんでした。

 

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曇天とは言えそこそこの逆光状態ですが、SMCの面目躍如、ゴーストの発生は見られずすっきりとした画面を作ってくれます。現代のレンズと比べると全体のコントラストは控え目。少々重苦しい感じに写ったのですが被写体とのマッチングで、むしろ好印象です。直線基調の被写体ですが、歪曲収差もそこそこ控えめで広角らしいパースを生かした絵作りができました。f8まで絞り込んでも周辺の流れは若干残るようです。

 

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SMCの実力を探るべく、トンネル内で照明用の蛍光灯を撮影します。実は盛大なゴースト発生を想像していたのですが、完全に肩透かし。SMCマルチコーティングの威力を改めて思い知らされました。発売当時の人々には衝撃的なほどの逆光性能向上だったのではないかと思います。発売年代を考えてみますと本レンズは私よりも先輩にあたるので、この実力テストまがいな撮影に、随分無礼な扱いをしてしまったと少々反省。

 

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個体差もあるのかもしれませんが、曇天の影響もあって発色はやや青みがかった冷調になりました。結果として画面のポイントでもある橋の赤色が強調され良い感じになったのでJPEG撮って出しのままで。ホワイトバランスをオート設定にしてしまえばもっと無難な色調になったのかもしれませんが、ここは結果オーライという事で。

 

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しつこくも逆光性能を確かめたくて、意地悪く真夏の太陽を画面にいれてみました。単焦点レンズの威力でしょうか、構成枚数の少なさも手伝ってゴーストやフレアの類いは最小限と言って良いかと思います。fは11まで絞ると周辺の像の流れもかなり緩和されます。50年前のレトロフォーカス広角レンズだということを考えればこの描写に「優秀」以外の言葉は見あたりません。絞り羽根5枚に由来する10本の光条が発生し、結果太陽のギラギラ感を良く出してくれました。

 

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現代のレンズからすれば40cmという最短撮影距離は少々物足りない感じがするでしょうか。癖を確認する為あえて解放絞りで挑みましたが、アウトフォーカス部の描写も悪くありません。ボケ像にはやや硬さを感じますが、大きな崩れもなく思いのほか自然な描写に改めてレンズの実力を思い知りました。合焦させた電球のフィラメント部も良く解像しています。

 

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エッジの効いた被写体の周辺部では若干の色づきを感じますが、後処理で対応可能なレベルでしょう。ボケ像の大きな乱れや、解像感の物足りなさ、派手なゴースト・フレア等々を「味」としてオールドレンズを珍重する写真表現を否定するつもりはありませんが、それらを克服する為に設計者が心血を注いだ歴史の重みにもしっかりと目を向けたいものです。ちなみにいわゆるオールドレンズらしさを望むのであれば、SMCが採用される前の「Super Takumar」の方がお勧めになるのでしょう。

 

Carl Zeiss Distagon 21mm f2.8 ZF.2

 

 20・24・28・35・50・85・100・200・300・400・500・600・・・・

 この不規則な数値の羅列を目にして「レンズの焦点距離」を想像する御仁は、ねっからの写真愛好家、もしくはカメラマニアという事になるのでしょうか。金属製のパトローネに入れられたコダック社による規格「135フィルム」と、そのフイルムを利用して24x36mmサイズの原版を撮影する、今で言う「35mmフルサイズ」は、写真の一つのスタンダードとして長期間存在します。その結果として、本来は画角を表す数値ではないはずのレンズの焦点距離値が「画角を表す目安」として定着していました。28mmと言えば広角、同じように、50mmは標準、500mmは超望遠といった感じで、焦点距離値を耳にすると頭の中では35mmフルサイズでの画角が自動的に想像されてしまうのは、一見便利なようで、実はフイルム時代を長く過ごした我々世代の悪癖なのかもしれません。

 2023年現在ではデジタルカメラが一般化し、デジタル一眼には様々なサイズ(メジャーなのはフォーサーズ・APS-C・35mmフルサイズの3種)の撮像素子が採用されています。結果、レンズの画角を表す為には焦点距離値だけでは不十分となり、例えば「フォーサーズで25mmの画角(フルサイズ換算で50mm相当の画角)」といった様な併記が必要になりましたし、APS-Cサイズのセンサーを搭載したデジタル一眼を販売する際に、お客様がフイルムでの撮影経験が長そうな(比較的年配の)方の場合には、付属する18-135mmのレンズは、フイルムカメラで言うところの28-200mmぐらいのイメージで・・・・という補足説明も不可欠になりました。単純に画角を表した数値をレンズスペックに据える事もそろそろ必要なのかと思いつつ、焦点距離値から得られる情報が多岐に渡るのも事実なので、この問題の解決はなかなかに一筋縄ではいかないといったところです。

 さて、焦点距離を話題にしようとしたら壮大な脱線をした訳ですが、本レンズ、35mmフルサイズでの超広角レンズを代表する画角を持つ21mmの紹介です。日本のメーカーコシナが製造・販売したニコンFマウント用のモデルですが、かつて私も愛用したYASICA/CONTAX時代のDistagon 21mm f2.8を直系の祖先にもつ伝統のレンズです。フイルム時代のそれも、設計は比較的新しい方に分類され、倍率色収差を軽減する為に広角レンズでありながらも特殊低分散レンズを採用するなど、高性能化の為に国内メーカー同等品に比べ全長・重量・価格、全てが大きく上回った弩級のレンズでした。本レンズも後継するMilvusシリーズの発売を受け生産を完了してしまいましたが、そのポテンシャルが決して劣る訳ではなく、高画素機であってもその魅力は十二分に発揮されます。開放から合焦部の解像感は非常に素晴らしい為、本来なら被写界深度をアテにしたラフなピント合わせでも十分な超広角レンズですが、拡大画像を利用したピントの追い込みが楽しくなります。併せて前後のボケも比較的癖が少なく被写体の立体感を際立たせます。極端な周辺減光も起きにくいので、安心して解放から利用ができるでしょう。いやむしろ積極的に開放を使いたくなる、そんな広角レンズなのです。Classicシリーズに分類される本レンズは、金属を利用したピントや絞りの操作感も上々で、数々の操作を経た上で得られる「一枚」の満足感は別格となります。コシナ製Zeissには、ライカMマウント用に同じ焦点距離でZM Biogon 21mm f2.8も存在しています。マウントアダプターを併用すれば同一ボディでの試写も可能となりますから、設計理論が異なる2本の比較、是非ともチャレンジしてみたいものです。

 余談となりますが、この近辺の画角を持つレンズ、日本のメーカーは20mm、Leica・Zeissといった海外勢は21mmという焦点距離を採用しているのですが、いったい何故なのでしょう。明確な理由があるのなら是非とも伺いたいのです。

 

 

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「空気感」捉えどころのない言葉の様にも聞こえますが、確かに「空気」という、その透明な存在が写っている。そんな一枚でしょうか。本レンズ、そんな気分になる映像を手にできる機会が多い気がするのです。

 

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ボケ像の確認の為に選んだ被写体。開放絞りですが、背景のボケ方にも癖が無く積極的に開放描写を楽しめます。接写域での撮影ですが、大きな破綻も無く想像以上に素直な描写です。広角レンズですが、接写・解放となれば必然的に被写界深度は浅くなります。AF対応のレンズではないですが、極上の操作感でピント合わせが楽しくなるレンズです。

   

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カラーも気持ちの良い映像を提供してくれます。RAW現像時Lightroomをメインで利用していますが、収差補正のプロファイルにカメラメーカー以外のレンズも網羅しているので、いざという時活用できます。もっとも、元のレンズもかなり高度な補正をされている場合は、無補正でも十分だったりするのですが。

 

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LeicaやZeissのレンズを使った時、希にその結果は「写真が上手くなった」と錯覚させてくれます。久方ぶりにそんな感覚に陥らせてくれた一枚。フイルム時代から愛用するレンズの画角と描写なのですが、高画素のデジタルカメラによって新たな息吹を吹き込まれたようです。借用したレンズですが、これは間違いなく「買い」の一本だと確信。

  

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縦位置のフレーミングで強調されたパースが気持ちの良い一枚。合焦部の木材の質感は気味が悪い程です。超広角独特の周辺減光も丁度良い塩梅に雰囲気を高めてくれました。

 

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センサーとレンズ性能の相乗効果でしょうか。モノクロ撮影での諧調再現がとても気持ちが良いのです。Summicronでも感じたのですが、ハイライトを飛ばさぬ様な露出決定を行ってもシャドー部の諧調がしっかりと残ってくれ、どうしてもローキーに寄せた露出決定が増えてしまう今日この頃です。

 

Carl Zeiss Distagon 18mm f3.5 ZF.2

 

 18mmという焦点距離、分類からすれば「超広角レンズ」という事になるのでしょうが、フイルム時代に感じていた「特殊なレンズ」という印象は随分と薄れてしまった感があります。昨今のいわゆる大三元レンズでは、さらに広角となる15mmや16mmを採用するレンズも多いですし、加えて20mmをワイド端とする標準ズームなども登場し始めていますから、それも当然の事なのでしょう。カメラ機能をウリにするスマートフォンなどでは、18mm以上の広い画角を得られるレンズを搭載したモデルも登場しており、SNS等の普及でそれらによって撮影された画像に触れる機会も爆発的に増えた事で、以前は独特と感じていたその「超広角の写り」が日常的なモノに変わってきたという側面もあるのかもしれません。

 そんなかつての特殊レンズ18mmですが、YASICA/CONTAX時代のDistagon18mm f4が付き合いの始りです。比較的高額なレンズが多いコンタックス製品中で例外的に安価だったのが入手のきっかけですが、独特な青空の発色や、丁寧に補正された歪曲収差、どことなく優しさを帯びた描写が気に入り、同Distagon21mm f2.8を入手するまで相棒を務めてもらいました。小型軽量ゆえ持ち歩きの負担が少ないという美点もありましたが、ねじ込み式のフィルターが利用できない(専用のリング併用で86mm径のフィルターを利用)事や、一眼レフのマット面でのピント合わせに苦労するといった難点を、上記21mmが纏めてカバーしてしまったため、任を解かれたという経緯を持っています。

 さて、そんなDistagon18mmを直系の先祖に持つ本レンズ。手元の資料によりますと、CPU内蔵(ニコン曰くのPタイプ)のZF.2仕様として発売されたのが2010年です。フイルム時代からの光学系を踏襲するレンズもあるコシナ製Zeissですが、本レンズは明るさを僅かに明るいf3.5とした新設計レンズとなります。美点であった小型軽量な躯体を引き継ぎつつも、82mmのねじ込みフィルターの採用、高い効果が見込める花形レンズフード同梱など時代に即したアップデートモデルとなっています。昨今のレンズ群からすれば少々長めの30cmという最短撮影距離もしっかりと?引き継いでいますが、デジタルカメラでの利用も視野に入れた新設計ですので、その描写に期待は高まります。6100万画素という「超」が付く高画素機α7RⅣを使用しての試写でしたので、期待を裏切る残念な粗探しになってしまうのか?との疑念も抱きましたが、全くの杞憂でした。18mmという焦点距離こそ珍しくはなくなりましたが、Zeissレンズが放つ魅力にはやはり一点の曇りもないことを再確認する初夏の一日となりました。すでに後継Milvus18mm f2.8へとそのバトンを渡していますが、工芸品とも言える美しい金属鏡筒を纏った本レンズ、程度の良い中古品を見つけたら是非とも入手したいものです。

 

 

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歪曲収差がとても良く補正されているので、超広角の特徴でもある遠近感を強調するフレーミングが気持ち良く決まります。パンフォーカスを意識してf8程度に絞った映像ですが、手前の金属椅子の座面から背景の植物まで妥協無く解像しています。レンガ・材木・金属というマテリアルそれぞれがもつ質感も非常に丁寧に描かれているのは脅威とすら感じます。

  

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薄曇りのシチュエーションでしたが、少し渋めの発色が被写体にマッチしてくれました。癖の出る映像を期待して、近距離の被写体を解放絞りで撮影しましたが良い意味で裏切られました。遠景の光点がボケた部分には少々の癖を感じますが、正直ここまで無難な写りをしてしまうとは想定外。

 

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散水用の背の低い水道蛇口をローアングルで撮影。ハイライトが飛びすぎないようややマイナス側に補正をかけました。結果シャドー部の豊かな階調が絶妙な空気感を生み、蛇口の金属光沢を引き立ててくれました。よく見ればボケ像に少し硬い印象を受けますが、画面全体をうるさく感じさせる程では無いようです。

 

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意地の悪い被写体を選んでも、欠点と感じるような大きな歪曲収差は感じられません。カメラメーカー製のレンズではないので、焦点距離を考えればデジタル補正を前提とせずに光学設計のみでこの補正状況には驚嘆。Zeiss伝統の18mmはコシナ製造の新設計になっても確かにそのDNAを引き継いでいるのでしょう。

 

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白い花弁の階調を残したかったので、大胆にアンダーに振った露出。シャドーが粘ってくれたので、曇天の重い空気感をうまく醸してくれました。リヤカーのタイヤの溝や床板の木目、一枚一枚丁寧に記録された花弁、一瞬を切り取った写真でありながら時間をかけて描いた細密画のようにも見えてくるから不思議です。


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言うなれば本物よりもリアルに感じてしまう樹木の描写。モニターで拡大して思わずため息交じりに唸りを漏らした一枚となりました。正確な統計ではありませんが、これまで「Zeiss」の刻印を持ったレンズは、撮影時の想定を超えた映像に出会える機会を多く与えてくれた気がするのです。

 

 

Leica Summicron M 35mm f2 ASPH Part 2

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M4ブラッククローム装着例(Bodyはもちろん私物ではありません。シリアル部分は画像加工しております)

製造年と私の誕生年が近い為、20数年前には購入を考えたこともあるM4ブラッククローム。当時に比べて大幅に価格が高騰してしまい、もはや宝くじで高額当選でもしない限りとても買えないシロモノになってしまいました。同じブラックでも市場では塗装モデル(いわゆるブラックペイント)の方が人気もあり高価ですが、個人的には渋めのブラッククロームが好きなんですよねー。

 

 欲を言えば、一度使用(試用?)したレンズ、特にその描写性能に代えがたい何かを見いだせたなら尚更の事、そのレンズを手放さずに生涯手元に置いておきたいものだと常々考えています。しかしながら、実際その野望を可能にするような収入や貯蓄等々は微塵もございませんので、新な機材を購入するにあたっては、結果的に持ち出し優先度の下がったレンズを売却するのがいつもの流れになっています。

 と言いましても、たとえ使用頻度が下がり、なおかつ換金性が非常に高かったとしても容易に手放せないレンズ、そういった物も中には存在しています。私にとってのそれが、この「Summicron M 35/2 ASPH」なのです。本レンズは、20世紀末に新品で入手し、M6のボディーと共に当時スナップやポートレート撮影などに持ち出していましたが、M型ライカのボディーを手放して以降、メイン機材のデジタル化などもあって、近年では防湿庫でダンマリを決め込む事が増えておりました。勿論、マイクロ4/3フォーマットカメラを導入する動機の一つでもあった、マウントアダプターを介しての撮影も行ってはいましたが、本来広角レンズである35mmが、4/3フォーマットでは70mm相当の画角という馴染みのない中望遠になってしまう事や、画面中心の良像域のみがトリミングされてしまうために、映像にこれといった面白みがなくなかなか持ち出す頻度の上昇には繋がりませんでした。

 さて、35mmサイズでのフルサイズミラーレス一眼、SONYのα7初代が2013年に登場し、一眼「レフ」では物理的に不可能だった、M(L)型ライカ用のレンズがデジタルカメラでも活用できるようになった事で、俄かに人気が出始めたマウントアダプターを併用しての撮影が、一気にブームとなりました。猫も杓子もといった感じで、国内外多数のメーカーがマウントアダプター事業に参入をしましたが、最近になっても都内デパートなどで行われる中古カメラの催事で目にするお客様の「α」の殆どに純正AFレンズではなく、マウントアダプターを介した他社のレンズが装着されている事からも、それはもう一過性のブームではなく、撮影スタイルの一つとして定着したと言う事なのでしょう。しかし一方で、何故フルサイズ「α」+マウントアダプターによる撮影がこれほどまでに人気を博したのか?そんな疑問も実は頭の隅に残ってはいたのですが、偶然入手(入荷)したジャンク「α7Ⅲ」(一部機能を無視すれば一応撮影は可能)によって、じわじわと腑に落ちる感覚を覚えました。

 EVFとは言えファインダー越しに実際のレンズの描写を確認しながら撮影するという、一眼レフでは当たり前なのにM型ライカでは不可能だったこの作業を行えることが、実は新鮮かつ衝撃となり、次第に私を虜にして行きました。M6時代にもとりわけ不便さを感じていた訳ではないのですが、レンズのヘリコイドや絞り操作に伴って変化する画像のピント位置、ボケ量を吟味しながらMマウントのレンズで撮影できる事に撮影作業の楽しさを再確認し、発売から10年を数えようとする「α7」を、何故もっと早く入手しなかったのか、過去の自分に文句を言いたい気分にもなったのです。(ホントは購入資金が無かっただけですが)加えて「α+Summicron」が紡ぐ「絵」が想像をはるかに超えて「上質」だった点も無視できません。Summicron M 35/2 ASPHは、かつてフイルムが全盛だった頃、ライカ社が非球面レンズを導入し物理的な性能向上を果たししつつも、かえって「没個性的」とされ、肥大化した外観・重量も含め巷では歓迎されない節もありました。ですが僅かのマイナーチェンジを経てほぼそのままの光学系で販売が続けられている事からも、当時から相当なポテンシャルを持っていたことが、2000万画素を大きく超えるセンサーを搭載するデジタルカメラの登場によって明確に証明されたとも言えるのかもしれません。

 ちなみに、本レンズが簡単には手放せない理由なのですが、これが「結納の返礼品」だからなのです。本レンズを手放す時があるとすれば、それは「私自身」が「不要」になった時なのでしょう。願わくは、このレンズが永遠に手元に残りますように・・・。

 

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α7系は、どういう訳か最近まで1:1のアスペクト比での撮影ができませんでしたが、当然ここはフイルム時代に想いを馳せ3:2の比率で撮影。比較的設計は新しいレンズですので、解放から中心部の解像度に不安は一切ありません。フルサイズセンサーの余裕もあってか、画面全体の諧調表現・コントラストも美しくメリハリのある映像となりました。周辺に向かって徐々に解像度が落ちて行きますが、画像が乱れるイメージではなく「ボケ」に近い緩やかな画質低下を見せます。この辺りが画面全体から感じる独特のリアリティーを生み出しているのかと感じています。

 

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初代8枚玉からSummicron35mmのボケ味は「やや硬め」で特に後ろ側で周辺にエッジを感じるボケ像となるのが「伝統?」です。ASPHになってからの世代も、二線化を感じる後ボケとなりますが、あまり「煩わしいボケ」に感じないのが不思議なところ。高額商品への忖度?などと勘ぐったりもしますが、このボケ像が写真ならではの巧みな空気感を生み出しているに違いないのです。雨上がりの少し冷たく湿った空気の感じが映像から見事に伝わってきます。

 

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さすがは単焦点レンズ、デジタル補正の恩恵は受けられませんが歪曲収差はほとんど実感できません。非球面化される前のモデルではやや樽型の収差を感じた記憶もありますが、本レンズではそれを感じる事はありません。木材、金属ボルト、水草、それぞれの質感がとても良い感じです。

 

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空気の澄んだ秋晴れのドピーカン。ハイライトとディープシャドーにどれほどの輝度差があるのでしょう。崩れ落ちた廃墟の天井からの木漏れ日を基準に、大胆にアンダー側に振った露出。センサーの懐の広さが試されるような状況でもありますが、豊富なシャドーの諧調は見事の一言。多諧調モノクロ印画紙では0~1号紙あたりを容赦なくチョイスしそうなシチュエーションです。

 

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M型ライカ用のレンズは距離計連動の制約から最短撮影距離はあまり短くありません。本レンズのスペックは70cm(一眼レフ用の35mmレンズだと40cm前後が一般的)となりますが、それはあくまで機械的な限界の話。ヘリコイド搭載のアダプターを利用すれば簡単に接写も可能となります。前後のボケ像が乱れたり全体の解像感が落ちる様子もなく、合焦部のシャプーネスも健在ですから簡単なマクロ撮影も十分に対応できます。 

 

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シャドーの描写がお気に入りとなったので、容赦なくマイナス補正方向にダイヤルを回してしまいます。クリスマスを控え、ムードを高める装飾を施した土産物店のウインドーをスナップ。異なる素材の質感や、人形のリアリティー、ガラス越しの店内の空気感などを高精細に記録します。画素ピッチが狭い高画素機=ノイジーというのはやはり過去の話なのでしょう。センサー性能の向上には目を見張るものがあります。

 

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一枚くらいはカラーも入れないと・・・・。しかし、カラーでも必要以上にローキーにしてしまう悪癖が発症してしまいました。ハイライト基準で露出を決定しても、決して潰れてしまう事がないのでこれくらいが「丁度良い」のかなぁ。と・・・。 

 


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夕刻、日没前ですが露出を切り詰めて深夜を思わせる描写に。宮沢賢治の童話「月夜のでんしんばしら」を思い出す一枚となりました。

 

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ライフワークとなりつつある植物の記録。これまではスクエアフォーマットを多用していましたが、「長方形」もいいものですね。開放ではご覧の通り周辺減光を感じる描写となりますが、ここを安易に補正してしまうのはやはり勿体無いですよね。

 

 

ZOMZ(ザゴルスク光学機械工場製) ORION-15 28mm f6 (L39)

Imager


 オールドレンズという言葉が耳に馴染んでからそれなりに時間が経ちましたが、デジタルカメラが一般化するより前に「旧ソビエト連邦や東独製レンズ」のブームが起こっていたと記憶しています。中心となったのはバルナックライカのマウントであるL39のスクリューマウントレンズ群で、バルナックライカを模倣したいわゆる「フェイク・ライカ」「コピー・ライカ」などのボディーと共に一部で人気を集めました。ライカ純正のレンズに比べて非常に安価に手に入れる事が出来た事も人気の一因ではありますが、それらはライカやZeissの光学設計をコピーした物も多く、その性能が価格以上に魅力的だった事が挙げられます。加えて、製造から長い期間が経っていたことや、素材・工作精度のバラつきが多い事なども重なって、とても「個性的」な描写をする製品や個体も多く、これが現代へと続く「オールドレンズ信仰」の発端のようなムーブメントになっていったのではないかとも想像しています。

 さて、曲率の大きなメニスカス凸レンズ2枚を対象に配置し、画面平坦性の良さと歪曲の少なさから超広角レンズの元祖ともされたHypergon(ハイぺルゴン・ハイパーゴン・ヒパーゴン)は、極端な周辺減光特性がある為に、それを緩和するために露光中に回転させる「かざぐるま」をレンズ前面に配置したとてもユニークなレンズでした。そしてこのHypergonの凸レンズの内側に、やはり対称型にメニスカス凹レンズを配置し周辺減光を始めとした多くの欠点を解決すべくZeissによって製品化されたのが4群4枚対称構成のトポゴンとなります。ライカ判用としては、オリジナルのトポゴンの他ニコンやキヤノンでも25mmの広角レンズで採用(バックフォーカスが短いので、いずれもレンジファインダー用)されているものが有名ですが、本レンズ、ORION-15も焦点距離こそ28mmではありますが、立派なトポゴンタイプの広角レンズとなります。

 「コピー」という言葉にはどことなく「違法コピー」というニュアンスが含まれている事もあってか、ORION-15=トポゴン-コピーなどと聞くと「あの」ウルトラマンや、「あの」ガンダムや、「あの」クレヨンしんちゃんなどを思い出してしまうのですが、ドイツ・ワイマール共和国時代の技術支援の賜との事ですので、立派なトポゴン-ファミリーとして安心して?レビューを進めたいと思います。

 やはり、最初に驚いたのは中心部のシャープネスの高さです。撮影に試用したのがSONY製のα7 IIIと2,400万画素を超えるセンサー機種ですので、モニター上で悪戯に拡大を繰り返すとセンサーの解像度の方がレンズの解像度を超えているのはハッキリと分かるのですが、実際の映像から感じられるシャープネスには全く不満を覚えません。ライカ判のフイルムはデジタルで言う1,000万画素相当であるという話を鵜呑みにするのであれば、至極妥当なところでしょう。最新のデジタル対応レンズは、超1億画素をも想定した解像度で設計されているものもあり、そういった解像度の高いレンズを通した画像を見慣れていると、そればかりに注意が向いてしまいがちですが、映像から感じられるシャープ感はどうやら解像度のみによって決定される訳では無いのだろうと、改めて認識した次第です。

 改良Hypergonのトポゴンタイプといっても、やはり解放絞りでは周辺減光が発生します。ですが、裏面照射型のセンサーを採用した7 IIIでは、初期のフルサイズデジタルで感じられた極端な周辺減光や大きな画像の乱れを感じる事は無く、むしろ適度に残存するそれらによって、非常に印象的な映像を提供してくれます。本レンズを覗くと、実際の口径から少し(1.5絞り程?)絞られた状態が「解放絞り」であるf6になっている(参考:表題部の画像)事に気付きますが、これは残存収差と実際の画像のバランスを考えての設計なのかと合点がいきます。絞り込めば周辺の画質は徐々に改善し、深まる被写界深度も手伝ってとても端正な画像を形成します。しかし、実際のピント位置と被写界深度から感じるソレは、大きく違う事をMFアシストの拡大表示が示していますので、ピント調整にはしっかりと神経を使いたいものです。試写した日は日中雲に覆われる事が多く、低コントラストな状況で撮影するタイミングが多かったのですが、渋く優しめの発色や諧調の繋がりの良さなどは、本レンズの素性の良さが多分に影響しているに違いありません。古いレンズではありますが、構成枚数の少なさと非常に奥まった前玉位置によって、適度にハレ切りを行ってあげれば、逆光気味でも実用可能です。40.5mmと汎用性の高いフィルター径を採用していますが、フィルターを装着してしまうと絞りの操作が出来なくなる仕様の為に注意が必要です。もっとも解放の描写が非常に魅力的ですので、あえて絞りはf6に固定してフィルターやフードの装着してしまうのもストイックで良いかもしれません。

 日常の撮影はマイクロ4/3機を愛用しており、多数のレンズを撮影に持ち込むスタイルの自分としては、携行物を肥大化させるフルサイズ機にはやや否定的な感情も持ち合わせておりますが、ORION-15をクロップ無しで使用したいと考えると、ミラーレスボディーの一台でもあった方が良いのかなぁ、と本気で考えだしてしまいました。とても悲しいことですが、執筆時点(2022年9月)でORION-15の故郷は戦争状態にあります。ロシアから届いたこの素敵なレンズを心の底から喜んで扱える日が、どうか1日も早く訪れますよう願わずにいられません。

 

 

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本レンズの魅力が詰まった解放描写。対照型の利点である「歪曲収差の少なさ」や、中心部のシャープネスも見事の一言。戦前設計の広角レンズとは俄かには信じられません。そして周辺に向かって徐々に落ちてゆく光量と解像感が独特のリアリティーを感じさせます。人間の視界は本来は楕円形である事を考えると、周辺まで完璧に写し込んでしまう現代の映像の方がある種の虚構なのかもしれません。標準設定のままのJPEG撮って出しですが、コンクリート柱のハイライト部の立ち上がりを見るに、単なる眠い描写のオールドレンズではないことが分かります。

 

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曇天の日陰ですからもともとコントラストは低い状況です。しかしながら、この優しい発色とトーン再現の素晴らしさはどうでしょう。4枚という少ない構成枚数と経年劣化の原因となる貼り合わせ面の無い構成のお蔭でしょうか、精密な水彩画を思い起こさせる描写がとても印象的です。

 

Dsc00022 長い期間製造されたレンズですので、太平洋戦争末期の遺構でもあるこのホッパー跡と同時期に生産された個体もあるのでしょう。大胆にアンダー側に露出を振っていますがシャドーの諧調が豊富なようで、ハイライト側にトーンが出始めるまで切り詰めてもしっかりと暗部が描かれます。

 

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無常観なんて大げさに言うつもりもないのですが、古いもの、朽ちて行くものには、どういう訳か自然とレンズを向けてしまいがちです。現代のレンズは複雑な電子制御機構などが多く搭載されている為、流行りの「持続可能」という視点で見ればとても脆弱な存在と言えます。構造的に単純なスクリューマウントのオールドレンズは、逆説的には流行の先端を行っているのかもしれません。

 

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カメラ内蔵の基本設定でモノクロ化をしていますが、ブリーチバイパス処理をしたかのようなメタリックな質感となりました。こういったモノクロ画像を見ていると、ふたたび暗室に籠りたくなる衝動にかられますが、減少を続ける感材・薬品の種類と、反して高騰して行く価格に心を折られます。本当に銀塩写真のハードルが上がってしまったんですね。

 

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絞り開放の描写が面白くて、ほぼ撮影中絞りを動かす事を忘れていました。シャドーの諧調が豊富なのは、こういったローキー表現には最高の相棒になります。

 

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日中空を覆っていた雲が夕刻にまばらになってきました。思い切って空にカメラを向けましたが、思いのほか逆光耐性も高く安心しました。実際の風景はこれほどドラマチックな印象ではなかったのですが、ファインダーを覗くと写欲がみるみる湧いてきます。しかし、個人的にこれほどまで露出補正ダイヤルのマイナス側ばかりを使う撮影も珍しいものです。

 

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なんと言う事もない石畳の歩道ですが、ORION-15の魔法にかかればこの通り。非常に思わせぶりな映像を作ってくれます。映像もさることながら撮影者にも魔法がかかってしまう様で、ライブラリのORION-15フォルダがみるみる肥大化して行きます。

 

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ここ最近は1:1や4:3のアスペクト比を多用しているので、しばらくぶりに3:2(35㎜フルサイズ)で撮影すると、その長辺の長さにちょっと戸惑っています。学生時代はこのアスペクト比の画像を8x10(写真六つ切り)にノートリミングでプリントして提出していたのが、なんだか懐かしいです。この位の逆光では、特に気を使わなくても大丈夫そうですね。

 

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設計はカラー写真以前のレンズですが、カラーバランスの偏りは感じません。ホワイトバランスはオートを切ってありますが、少しブルー寄りな日陰の描写も自然です。どことなくコダクロームでの撮影結果を思い出す仕上がりが懐かしさを助長しますね。僅か映像に「銀」を感じるのはレンズの味なのか、映像エンジンの妙なのか、判断にはもう少し時間が必要ですね。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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