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2023年11月

SONY AF 20mm f2.8 (SAL20F28)

Dsc00867

 

 

 写真学校在学の2年生の頃にカラー実習なる授業がありました。撮影したカラーネガフイルムを校内の自動フイルム現像機で現像し、仕上がったネガを原版にして暗室で引き伸ばし、そして自動プリント現像機でプリントした作品で講師の講評を受けるといった授業だったのですが、別授業の通年必修科目ではモノクロのプリント提出が必要だったため、課題撮影時に「カラーフイルム」と「モノクロフイルム」を装填した別々のカメラを持つスタイルが基本になりました。現代のデジタルカメラであれば、撮影現場で仕上がり設定を変えたり、帰宅後にPC上で1枚のRAWデータからモノクロ・カラー両方のデータを生成することもたやすいですから、そんな手間は不要なのですが、フイルムではそうはいきません。仕上がりの質を気にしなければ、カラーネガフイルムからモノクロプリントを作成することも可能だったのですが、「質」をめっぽう気にする体質の大学でしたから、フイルム入れ替えの手間を惜しむモノグサ筆者などは、カメラ2台持ちが最善の選択となった訳なのです。

 さて、当時はメインにNikonのシステムを使用しており、当然のことながらトラブルに備えてボディを複数台所有していたのですが、ここで、どうせなら全く使用したことの無いシステム一式を試してみたいという謎性癖が発動してしまい、アルバイト先からMINOLTAα8700iのボディとともに20mm/50mm/100mmマクロの三本のレンズを借用しカラー撮影に利用しました。丁度MINOLTAのαシリーズが3世代目のα-xiシリーズに移行し、同時に多くのレンズにマイナーチェンジが施された頃でしたので、旧世代となったボディや旧バージョンの中古レンズ在庫が比較的潤沢に店頭にあった事も選択の理由になりましたが、α7000の発売以降他社に先駆けてAF一眼レフの一時代を築いたMINOLTAのAFシステムに強い興味があったのも事実です。

 このようにして、借用故に長期間とはいかなかったものの人生初のMINOLTAを味わった訳なのですが、中でも20mmf2.8は記憶に強く残りました。自身の手持ちNikonシステムでは24mmが最も広い画角のレンズでしたので、より広い画角やパースが強烈だった事もありますが、ピント面のシャープさと広角レンズにしては比較的柔らかめに感じられるボケ味、殆ど感じられない歪曲収差など超広角レンズとして総合的に高い描写力を持っていた点に関心しました。フィルター口径は72mmと小型の部類ではありませんがレンズ全長は比較的短く、高い効果が望める花形のレンズフードや(当時Nikonは花形フードを採用していなかった)リアフォーカスによる小気味いいAF駆動なども好印象でした。本レンズはαシステム立ち上げ初期から存在しましたが、マイナーチェンジを受けつつも基本光学系はそのままSONYのデジタル一眼レフカメラαのシステムへも引き継がれました。当初αはAPS-C機のみの構成でしたが、フルサイズ対応の本レンズが存在していたのはやはり後のフルサイズ一眼レフα900の開発が織り込み済みだったのでしょうし、それは同時に本レンズが当初からフルサイズデジタル一眼に対応できる高い性能を持っていた事の証明にもなるのでしょう。デジタル時代になって必然性が無くなってしまいましたが、機会があるならあの漆黒のカラー暗室(日本語としてなんか矛盾してますが)に再び潜って作業をしてみたいものです。

 

 

Dsc00745

絞り解放から、中心部はなかなかに高い解像度を持ったレンズです。周辺へ向かうにしたがって徐々に解像度・コントラスト・光量が落ち、代わりに収差の影響もあってか少しフレアっぽい描写を見せます。しかし嫌味な像の流れなどは感じられない味わい深い映像を提供してくれます。

 

Dsc00733

学生時代の試用ではボケが素直な超広角というイメージを持ちましたが、その感覚は間違っていなかったようです。被写体によっては多少チリチリとした感じも出ていますが、超広角での解放・近距離撮影である点を考えると、十分優秀なボケ味といって良いのではないでしょうか。

 

Dsc00808

シーズンを終え岸辺に重ねられた観覧用のボートが巨大な生物の躯の様です。LA-EA5を使った撮影では、SONY製レンズは画像データに使用レンズの情報も書き込まれるので、結果としてLightroom上でレンズ毎のプロファイルデータを用いた収差補正も可能()となります。歪曲収差や周辺減光、倍率色収差など超広角レンズで問題になりがちな欠点も補ってはくれますが、あえて旧タイプのレンズに敬意を表し無補正を選択することもできます。補正の有無はワンクリックで比較・選択できるのがデジタル化の恩恵ですよね。

()SONY製のAマウントレンズ(一部除く)では、ボディー内で生成されるJPEGデータには、カメラ側の設定により自動的にレンズプロファイルによるデジタル補正が適用されます。(適用しない設定も選択可能です)LightroomにおいてはRAWデータの現像時にプロファイルを適用したデジタル補正利用の有無を選択できますが、この機能、同一スペックのレンズであっても、MINOLTAやKonica/MINOLTA時代のAマウントレンズでは利用できないようですね。

 

 

Dsc00775

直線基調の被写体なので、こちらはレンズプロファイルによる補正をオンに。元から歪曲収差はそれほど大きくはないと感じていますが、周辺減光と共に多少の歪曲は修正されているようで、被写体によっては積極的に活用したいと感じました。太陽がかなり傾いた夕刻でしたので超広角とはいえ手振れを警戒しましたが、ボディー内手振れ補正も自動で最適化されるのは心強いですね。純正アダプターさまさまです。

 

Dsc00818

合焦部の高い解像感、丁寧に補正された歪曲収差は好印象。周辺部も大きな画像の崩れを感じる事はありません。収差の影響で点光源はやや形を乱した印象なので、星野写真などでは最新の高性能レンズには適わないのでしょう。しかし、非球面や低分散ガラスなどを採用せずにこの描写はなかなかに侮れません。

 

SONY AF 50mm f1.4 (SAL50F14)

Dsc00855

 

 

 齢50を迎えた筆者などは、SONYと言えばウォークマンやハンディーカム、トリニトロンなど、かつて一世を風靡した製品や技術名を真っ先に思い出します。また、パーソナルコンピューターのVAIOや家庭用ゲーム機のPlayStation、液晶テレビのBRAVIAなどは比較的新しい記憶として刻まれています。一方で、βムービーやメモリースティックなど、民生品では主流になり損ねたメディア規格などの断片記憶なども残っていたりするのですが、これほど多くの呼称が思い浮かぶ製品(技術)を作り出しているメーカーはあまり思い当たりません。恐らくですが、日本に生活していてSONY製品やその恩恵に一度も触れた事の無い方は、そうそうおられないのではないかと想像します。

 そんなSONYですが、まさか一眼カメラメーカーとして世界的に有名になる日が来るとは、お釈迦様が存じていたかどうかは不明ですが、片田舎に住まう元カメラ小僧には全く想像もできない事でした。映像・音響機器メーカーとして先進的かつ高い技術を元から持っていたことは説明するまでもありませんが、カメラの製造技術を同事業から撤退したコニカミノルタ(旧MINOLTA)から引き継いだこと、デジタルカメラの基幹部品である撮像素子の製造メーカーでもあったこと、なにより写真の主流が銀塩アナログ写真からデジタル写真へと大きく流れを変えたこと、これらが奇跡的とも思われるタイミングで融合し、誕生したのがSONY「α」なのでしょう。MINOLTAから引き継いだ「α」マウント(Aマウント)レンズ群とともに、1000万画素のAPS-C一眼レフ機「α100」でデジタル一眼カメラメーカーとして産声を上げたのは2006年と、割と最近の話(2023年現在)。その後Eマウントでミラーレス一眼参入し、FEマウントの「α7」でフルサイズミラーレス一眼の市場を開拓すると、センサーメーカとしての強みを存分に発揮し、超高画素機の投入・裏面照射や積層型センサーの開発・像面位相差やAI技術を用いた高性能AFの実装・果ては世界初のグローバルシャッター搭載機の発表などで、瞬く間に市場の牽引役としての地位を固めてしまいました。しかし、過去「β」で覇権を握れなかったSONYが「α」でデジタル一眼の覇権競いとは、運命めいた何かを感じてしまう話ではありますが・・・・・。

 さて、かく言う私、普段は小型センサー機であるマイクロフォーサーズフォーマットのカメラを愛用しているのですが、ひょんなことからSONYのα7RⅣという超高画素のフルサイズミラーレス一眼を入手・試用しております。(撮影画像に影響の出ない部分の故障を抱えた訳あり品の為、あえて「試」用)当初手持ちのLeica SUMMICRON-M35mmの「母艦」としての導入が主目的ではありましたが、フイルム時代のレンズがフルサイズで活用できる機材としての利用価値が非常に高く、もっぱら撮影時の必携機材となってしまいました。とりわけ純正アダプターのLA-EA5は画期的で、ミラーレス化の影響で中古市場価格が極端に下がったAマウントのレンズでも絞りやAFの制御がボディー側から行う事が可能となりますし(ボディーによって制約はありますが)、レンズの焦点距離を始めとした撮影情報が画像データに内包されるので、後々の画像管理にも好都合です。初期MINOLTAのαレンズでさえボディー内手振れ補正の焦点距離による最適化が自動で行われたのには正直感動してしまいました。

 こうして、α7RⅣとLA-EA5の競演で一眼レフ用Aマウントレンズを存分に利用できる世界線が構築された訳ですが、同時に写真学生時代にアルバイト先から借用したα8700iと数本のレンズの描写がふと思い出されました。そして30年の歳月を経て、再びそれらのレンズを最新の高画素デジタルで撮影したらどんな「絵」がでてくるのだろうかと、抑えられない興味が湧いてきました。偶然ですが、当時MINOLTAブランドで借用したそれら数本のレンズは、SONYブランドでも継続販売(2023年現在は直販サイトでの販売は終了)されていた為、経年劣化の少ない個体の入手も望めます。主流はミラーレスのFE/Eマウントへと移行してますから、案外レアな商品とは言え価格も抑えられるのが嬉しいところ。懐かしさと新しさの同居したこれらのレンズを揃えて手元に置いておきたいという厄介な欲求、しばらくは上手く抑える手段が思いつかないのだと思います。

 

 

Dsc00643

開放f1.4ではさすがに周辺光量は落ち、自然と画面中央に鑑賞の眼が向かいます。合焦面は非常に繊細なイメージで解像力は十分ですが、逆光に近い状況では、僅かのハロを纏った感じでノスタルジーを誘います。手持ちのAi Nikkor50mm f1.4より開放のハロが少ないと感じるのは、やはり設計が新しい(と言っても1980年代)からでしょうか、あるいはデジタル向けにチューニングが施されたのでしょうか。

 

Dsc00647

一眼レフ用の50mm f1.4クラスのレンズで良く見られる6群7枚の構成レンズでは、解放時は少し固めの後ボケと逆に柔らかい前ボケを特徴とするレンズが多いことが経験的に多いと感じます。本レンズもその特徴を有しており、手前に入れたバラの花は大きく自然なボケ味で描写されました。日陰では解放絞りでもあまり目立ったハロは感じられず、コントラストのあるキリっとした描写になりました。

 

Dsc00657

少し絞ってあげると、とても端正で透明感のある描写へ。背景のボケもトゲトゲしさを潜めとても素直なボケ像になります。本レンズの絞り羽根は7枚と標準的ですが、手の込んだ円形絞りを採用した恩恵もあるのでしょう。合焦面の解像感もさらに上がり、センサーの高解像度に引けをとらない描写になっていると感じます。

 

Dsc00661

高画素機は画素そのもののサイズが小さくなるため、解像度と引き換えに諧調再現やダイナミックレンジでは不利になるというのが定説ですが、センサーの性能にはどこまで伸び代があるのでしょう。水面に散った白バラの花びらを基準に、白飛びを起こさない様露出を切り詰めましたが、粘るシャドー部に驚きを禁じ得ません。

 

Dsc00668

なかなかにコントラストのある条件ですが、水面に映った雲がディテールを損なわないようにマイナス側に露出を補正。開放絞りでの撮影ですが、適度な周辺光量落ちが良い塩梅で雰囲気を高めてくれました。中間調からシャドーへのグレーの繋がりが何とも言えません。

 

Dsc00710

撮影で訪れた庭園では、ハロウィンを意識してか南瓜がお出迎え。開放の優しい描写に誘われたのか、亡くなった祖母がこの季節に家庭菜園で育てていた南瓜を思い出しました。そういえば当時はハロウィンなんてほとんどの人が知らなかったはずなのに、近年の異様なまでの盛り上がりは一体なんなんでしょうねぇ。。。「OBON」にナスやキュウリの置物を飾る外国人って、、、、まさか、いないですよね。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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