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CONTAX Planar 85mm F1.2 AE-G 50Years

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 少々前の話になりますが、筆者、生誕50周年を迎えました。「人間50年」と言えば戦国武将の織田信長が好んで舞ったと言われる「敦盛」の一説がよく引き合いに出されますが、幸いにこれまで大きな事故や大病を患うと言った経験もなく人生を歩んでこれた事に感謝の念は尽きません。しかしながら、寄せては返せない年波にもまれ「健康体」とは縁遠くなってきたと感じる昨今、体重を筆頭に本気でいろいろ絞って行きたい(と、一応は思っている)辺境サラリーマンを今後もどうかご贔屓に。

 50年と言えば半世紀。カメラメーカーにとっても大きな節目となりますから、それを記念としたいわゆる「限定品」が作られるきっかけになったりもします。日本のカメラメーカーの多くが先の世界大戦前後に立ち上がっていましたから、1980年~1990年近辺を中心として様々な「50周年記念モデル」が誕生しました。銀塩一眼レフ全盛、マニュアルフォーカスからオートフォーカスに切り替わる時代とリンクするイメージでしょうか。中古カメラ店に勤務していると、しばしばこれらの記念モデルを目にする機会がありますが、フイルム時代のカメラの多くが流通相場を下落させた今日でも、それなりの金額で取引される事もあって驚きます。もっとも、高値が付くのは状態の良い品物に限りますので、使ってなんぼのカメラからすれば、明らかに存在理由を否定されているようでかける言葉もありません。逆に、これでもかと使い倒された記念モデルを持ち込まれたりすると、持ち主の漢っぷりが爆上がりしたりするから面白いものです。(容赦なく買取金額は下がるんですけど)

 これら記念モデル中でも創業50周年を記念したのCanon New F-1 や、NikonのI型販売50周年を記念した F5 あたりは、比較的メジャーな限定品として中古カメラの催事でウインドーをしばしば飾ります。付属する Planar 50mm f1.4 も含めた外装全てが金メッキとトカゲ皮で架装された CONTAX RTS 50周年記念セットあたりになると、明らかに使用する事を前提とされていない事もあって、時には未使用品の出品を目にする事もあるほどです。桐製の箱に格納される同製品は、ゴールドメッキ部分に非常にキズが付きやすい点や、説明書や鑑定書の有無に加え、輸送時の保護用に封入される発泡スチロールの球体2個(ゴルフボール大で二種)の有無さえその価値に影響したりと、その取り扱い時は細心の注意を払う場面となります。

 さて、ボディーほど多くは無いにせよ、レンズにも記念モデルが存在しています。前述の RTS 同様 CONTAX ブランドの誕生(CONTAXⅠ型の発表)50周年を記念して発売されたのが、本レンズ「CONTAX Planar 85mm F1.2 AE-G 50Years」になります。Planar 85mm といえば、開放 F1.4 のモデルが押しも押されもしない鉄板ポートレートレンズとして確固たる人気・地位を誇っていましたが、Zeiss が技術の粋を注入しさらに半絞り明るいプレミアムモデルとして投入されました。数字の上では僅か半絞りとは言え、増大する収差を抑え込みつつ性能を担保するため、同社139やAriaといった小型のボディーであれば本レンズの陰に隠れてしまうほどグラマラスなレンズでありました。F1.4モデルから2サイズアップのフィルター径77mmを採用し、そのガラス塊は覗き込む者を取り込んでしまう水晶玉の如く怪しい輝きを放ちます。価格は282,500円と当時発売されていた Canon New FD 85mm F1.2L (定価113,000)の2倍強を記録した事でもZeissの本気度を伺えますが、後の60周年モデルではさらに420,000円へと大幅な価格改定が行われた事から見れば、それでも良心的な価格設定であったと言えるのかもしれません。

 統計を取れるほどの個体数に遭遇した訳ではありませんので、これはあくまで個人的な感覚にすぎませんが、こういった限定レンズは、同様の限定品ボディーに比べ「しっかりと使用されていた」と思われる個体に遭遇する機会が多い気がしています。だからこそ、今回のような実地検品?という名目での借用も可能となるのですが、該当個体も50周年記念を記す印字が、実使用によって削れた中古品の様相を呈していました。この事は、レンズというものの存在意義がレンズ個体そのものより「描写」にこそ見出されると考えるユーザーが多いと言う事実を示しているのではないかと考えられます。限定品ゆえに持ち出す勇気も必要ですが、やはりそこは「どんな写り方をするのだろうか」という好奇心が勝るのでしょう。そう言えば 以前に GOLD 仕上げの Leica R3 の限定品をバリバリに屋外で使用していた御仁を一人存じておりますが、漢である以前に、盗まれやしないか周囲の人間が気を使って冷や冷やしていたのを思い出しました。付属していた金ピカのSummilux、写りは通常モデルとなにか違ったのでしょうか、気になるところではあります。

 

 


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「あれ?発色渋いなー」というのが第一印象。手前の門扉が大きくボケ、大口径中望遠ならではの描写にうっとり。もともとは真っ白だったと思われる金属椅子の座面には一部に白い塗料が残っていますが、RAWデータ上にはその周囲に派手なフリンジが確認できます。なかなかに盛大なフリンジなので、Lightroom上での修正が必須となりますが、それを自動化させるレンズプロファイルが2026年現在用意されていないのが残念なところ。もっとも、国内でたった500本しか販売されなかった限定レンズですから、仕方ないのですけど。

 

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最短撮影距離はちょっと長めと感じる1mジャスト。F1.4 モデル同様、あと一歩欲しいと思う処ではありますが、性能低下する部分は潔く切り捨てる Zeiss の哲学だと思って納得することとしましょう。当然ですが、開放での被写界深度は極薄となり、僅かの距離差で大きなボケ像を造ります。遠距離の被写体で感じたボケ像のクセも、ボケ自体が大きくなる近距離での撮影ではご覧の通り。機会があれば人物撮影に是非とも挑戦したいところ。

 

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遠景をちょっと切り取るのに、85mmという焦点距離の画角はお気に入り。普段使いで持ち歩くのに875gは少々キツイですが、少し絞り気味にした時の繊細な描写は心地よく、病みつきになります。SONY αに取り付けての試写でしたが、GM 85mmとの比較は野暮ってものですかねぇ。

 

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ポートレートではウエストショットになる程度の距離感での撮影。滲みを含みつつしっかりと解像する合焦部と、被写体の形状をわずかに残すボケ味によって絶妙な奥行感が得られました。独特なタッチと柔らかく豊富なトーンが印象派絵画を思い起こされます。当時発売されていた他社の85mm はどんな写りをするのでしょうか・・・・いけないスイッチを押された気分になります。

 

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85mmともなると、これくらいの撮影距離では2つほど絞ってもそれほど被写界深度は期待できないですね。縮小画像だと分かりにくいのですが、ピントを合わせた薔薇の鋳造オブジェだけ、不気味な立体感が宿ります。デジタル歪曲補正は働いていませんが、歪曲収差や像面の湾曲もほぼ感じられないのは「Planar」の名に恥じません。

 Dsc07138_2

相当に意地の悪い被写体を開放で撮影してみます。未補正のRAWデータでは画像全体がマゼンタに転んだようなカラーバランスと感じるほどに壮大なフリンジの影響がありました。デジタル対応の最新レンズではお目にかかれないほどの見事なフリンジでしたが、現像時に除去を行う事によって、新緑ならではの明るい緑色や空の青みが復元。手間はかかりますが、線の細い独特な描写によってこのレンズならではの世界が広がります。嫌なゴーストの発生が無いのは、伝家の宝刀 T* コーティングのお蔭でしょうね。
 

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撮影者自身の足が写り込むセルフポートレート?。古いアメリカ製のキャンピングカーを再利用した屋台の後部です。これくらい大きな被写体ですとEVFで拡大表示をしなくともピント合わせに不自由はありません。最近視力の衰えを隠せなくなった50周年記念の限定 My Body からすると、ミラーレス機のEVF拡大機能は天の恵み。OVFでの85mm開放撮影ともなれば、おそらくミスカットを大量生成することになったでしょう。それにしても春先とは言え、ピーカン状態でもこのしっとりとした画質です。

 

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ポートレートに置き換えれば全身ショットを撮影するような距離にフォーカスを合わせます。開放絞りではまるでゴッホ絵画のような独特な描写となりました。発色の渋さ、周辺光量落ち、ざわついた背景描写が混ざりあう事で独特な世界を造り上げたようです。販売価格が大幅に上昇した60周年モデルの描写との違いが気になってしまったので、どなたか私の勤め先へ持ち込んでは頂けないでしょうか。(苦笑)

 

Dsc07081

フイルム全盛時代にも一度だけ本レンズを借用した経験があります。焦点距離・明るさから考えて、当然ポートレート撮影を意識した設計を施されていたと想像できますが、遠景描写での確かな性能に当時驚いた記憶があります。撮影時にEVFの拡大画像で、飛行機雲を作りながら飛翔するジェット機の機体をしっかりと解像していた事で当時の記憶がよみがえりました。
 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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