For Nikon Z Feed

Voigtländer APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical II

Pc160127

オリジナル APO-LANTHAR へのリスペクト「APOを示す三色の飾り」が意匠に
 
 
 

 気象現象としてだけでなく、滝の周辺や庭の水まきといった場面でお目にかかる事もある「虹」ですが、自分自身の体験では、中学校時代に科学の授業でのプリズムを使った分光実験がとても印象に残っています。遮光した教室内でスリットを通過した太陽光が、三角プリズムを透過した後、綺麗に7色に分離するのを始めてみた時は素直に感動したものです。太陽光は様々な波長の光が混ざっている為に無色であると普段は感じていますが、プリズムを透過する際に波長による屈折率の違いから分離し、まるで手品の様に「虹」が現れた事で「光」と「色」にまつわる科学の神秘に触れた気分がしたものです。

 さて、波長による屈折率の違いによって現れた「虹」は、私個人としては美しい思い出である事に間違いはないのですが、この光の性質が写真レンズの設計においては大変な厄介者となる事をも意味します。「分光」する事を目的として製造された実験用のプリズムの様な極端な色分解は発生しないとは言っても、少なくて3枚程度から多いものですと20枚以上(屈折の回数は最大でその倍)のレンズが組み込まれている写真用レンズにおいて、屈折時に発生する色分解を無視する訳にいかないのは想像に難くないでしょう。この色分解を原因とする撮影結果状の悪影響は「残存色収差」と呼ばれていますが、主として広角レンズにおいては、倍率色収差として画面周辺などでの色ズレや像の乱れの発生・望遠レンズでは軸上色収差としてピント面やボケ像の輪郭などでの色付き、解像度低下などの原因となります。それらを抑制する効果が望める蛍石やEDガラスに代表されるような特殊な屈折特性を持った光学素材の発見・発明、精密な非球面レンズの作成や、それらを複合的にシミュレートできるコンピューターを利用した設計技術の発展も加わった現代であっても、設計上の大きな大きなハードルであることは変わりないでしょう。

 当然、レンズ設計の黎明期から色収差を補正する試みは続けられており、その過程で発明・設計されたレンズが「色消しレンズ」とも呼ばれる「アクロマート」・「アポクロマート」となります。波長の離れた2色の光(例えば赤と青)について補正された光学系を「アクロマート」、同様に3色(例えば赤・緑・青)について補正された光学系を「アポクロマート」と呼称(厳密には色収差以外の収差も補正されている事が併せて必須となりますが、細かい説明は割愛)しますが、「アポクロマート」の頭部分のアポ「APO」は、長い間高性能レンズの代名詞としても活用される様になりました。フイルム時代にはミノルタやシグマの特殊低分散ガラスを採用した製品には「APO」の名称が利用されていましたし、近年ではライカ製レンズの多くに「APO」が付与されています。撮像センサーの高画素化が進み、フイルム時代よりもさらに厳しい色収差への対応が必要となっている昨今、高性能レンズは実質的「アポクロマート」である事がほぼ必然となったからなのか、国内メーカーのレンズからは「APO」の文字を見る事は殆どなくなっていますが、逆にライカやツァイスといった海外メーカーの製品が近年率先して「APO」を記載するようになっているのが、摩訶不思議。

 「APO」と言えば外せないエピソードとして、かつてのスプリングカメラ「Voigtländer BESSAⅡ」の存在があります。Voigtländerと言えば、かつては欧州を代表した光学機器・カメラメーカーですが、120フィルム(ブローニー判)を使用するスプリングカメラシリーズは、現代でも実際に撮影可能なクラシックカメラとして、ツァイスのイコンタシリーズと共に人気があります。1950年頃に登場した「BESSAⅡ」にはVoigtländerの看板レンズ、COLOR-SKOPAR(カラースコパー)やCOLOR-HELIAR(カラーヘリアー)の105mmレンズが装着されていましたが、APO-LANTHER(アポ・ランター) 105mm F4.5が搭載された高級モデルも極少数生産されました。レンズ鏡筒の先端には「三色・色消しレンズ」搭載である事をアピールする「赤・緑・黒(濃紺?)」のライン装飾が施される本機は、その希少性からマニア垂涎のコレクターアイテムともなりました。

 APO-LANTHERの名前が出たところで、いよいよ本レンズについて。現在のVoigtländerは、日本の光学機器メーカーCOSINAが製造するカメラ・レンズに冠されるブランド名です。フイルム時代にライカ互換性を持たせたレンジファインダーカメラ・レンズを同ブランド下で展開を始めた同社は、当初からミラーレス構造に対応した交換レンズ設計のノウハウを蓄積した事もあってか、マイクロフォーサーズやソニーEマウント登場の初期段階から対応交換レンズを率先して開発。今やZeiss製品の製造も引き受ける同社は、光学設計の高い技術と、高精度に製造された金属パーツを武器に、描写性・操作性共に優れたマニュアルフォーカスレンズを数多く手がけ、交換レンズメーカーの中でも特殊な立ち位置と評価を獲得したと言えます。往年の銘レンズ APO-LANTHER は、2017年ソニーEマウント用マクロレンズ MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 に採用されて以降ラインナップを順当に拡充し、NikonZマウントに対応した本レンズ APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical IIでも「フォクトレンダー史上最高性能の標準レンズ」を謳います。メーカー純正には F1.2と言うハイスピードレンズだけでなく、F1.4・1.8さらにマクロを加えて4本もの50mmがひしめくNikon Zマウントですが、そこへ解放 F 値 「2」という現代では控えめなスペックで登場。収差補正を有利にするべく解放 F 値を欲張らず、デジタル補正の恩恵も受けずに最高性能を目指した新生APO-LANTHAR。評判の良いZシリーズのEVFを覗き、滑らかなフォーカスリングや絞り操作を楽しみながら写真を造る楽しみをもう一度思い出させてくれる貴重な一本に仕上がっています。マニュアルフォーカス専用でありながらも希望小売価格143,000円という価格設定ですが、各社のレンズ価格が高騰を続ける現在、その描写を見れば十分リーズナブルにも感じるでしょう。近似スペックで販売される某社のAPO-SUMMICRONとの価格差は実に約10倍なのです。

 

 

 

Dsc_2499

公表MTFからも判断ができますが、解放時から周辺まで均一な高い高解像力を誇ります。極周辺においても像の流れや解像感不足は微塵も感じられません。幅広い波長で色収差が補正されるアポクロマート設計の恩恵か、濁りの無い凛とした描写が印象的です。湿度が低く、透明感のある冬の空気感を見事に演出してくれました。 

 

Dsc_2505

デジタル補正に頼らず、開放時は周辺光量が素直に落ち込むので、それを作画に生かすのが吉。周辺減光や口径食を抑えるのであれば、本レンズは絞りを F 2.8 に設定するのがオススメ。解放以外に F 2.8・16で絞りが円形になるというこだわりの設計を施された絞り羽根を搭載しています。

 

Dsc_2554

残存収差はアウトフォーカス部にもボケの癖として現れます。絞りを開けると、思ったよりも被写界深度が深くならない50mmですが、ピントピークからなだらかに解像度が落ちて行く様子が極めて自然で美しく癖がないのは、その残存収差の少なさ故なのでしょう。

 

Dsc_2555

最短撮影距離は45cmと、これまた欲張らない標準仕様。あえて美味しいところだけを提供するかのような紳士的なスペックと評しましょうか。輝点を含む背景のボケも、嫌味なエッジ感の無い自然体で好ましいですね。

 

Dsc_2569

冬の斜光線で浮かび上がる遊具とその陰。標準設定のJPEG撮って出しでもグリーンの発色が目に刺さるほどクリアに感じるのは、光線の質もさることながら、アポクロマートによって各色の焦点が綺麗に揃った結果なのでしょうか。

 

Dsc_2570

前日に付けられた砂場のフットプリントが湿った土壌に美しく描かれます。土の柔らかさが伝わって来る優れた質感描写も高性能の証なのでしょう。微細な凹凸の為、優秀なZシリーズのEVFであってもピント合わせには結構気を使います。ピントリング・絞りリング共に往年のマニュアルフォーカスNikkorと回転方向が一致しているのが、いにしえ?のニコンユーザーには地味に嬉しい仕様です。

 

Dsc_2584_2

クリスマス用に靴下のデザインをとりいれた壁飾り。繊維の質感、背景のレースの細かな編み目も周辺まで少しの澱みも感じません。同一焦点距離においてSIGMAのArt 50mm F 1.4 を使用していますが、ハンドリングの良さは圧倒的に本レンズに軍配が上がります。大型化し重量もかさみがちな高性能レンズの中にあって、やはり本レンズの立ち位置はかなり特殊になります。 

 

Dsc_2587

完全な逆光状態ですが、フレアコントロールも上々。強烈な石畳の反射を受けても、描写への悪影響は感じません。単純な筒形の形状ですが、しっかりとした造りの金属製レンズフードが標準で付属するのでさらに安心。対してコシナ製のレンズキャップは、少々プラスチックの厚みが足りず、スプリングのテンションもやや弱い印象なので、紛失しないようにニコン製レンズキャップに交換してみるのも良いかもしれません。(2025年末時点ではZマウントには58mm径のレンズが無いので、Fマウントレンズ用のLC-58が好適でしょうか)
 
 
 

NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena

P9130053

 
 
 Nikonがフルサイズデジタル一眼カメラのミラーレス化を図った際、そのマウント(ボディーとレンズの接合規格)を変更し「Zマウント」としたことは、当然の事だったとは言え大きなニュースとなりました。日本光学工業時代に開発された、レンズ交換式フイルム一眼レフその第一号機 Nikon F の発売と同時に産声をあげた 「Fマウント」は、カメラ・レンズの進歩に合わせた細かなアップデートを重ねつつも、その基本的な規格を維持したまま60年以上の長きに渡り関連製品が販売され続けていたからです。過去にはオートフォーカス化を機にマウント変更を行ったメーカーも存在する中で「不変」を貫けたのは、メーカーの姿勢や哲学のような物の影響も否定はしませんが、基本設計の優秀さや先見性がそれを可能にしたと考えるのが妥当でしょう。そして「Nikon F」がその高い完成度と揺るぎない堅牢性、レンズを中心とした撮影システムとしての高い汎用性を持って、日本の光学製品を世界へと羽ばたかせる立役者となった事実は「Fマウント」の存在を抜いて考えることなどできないのです。
 
 主流がデジタルとなり、やがて各社が開発の主力をミラーレス機へとシフトする中、35ミリフルサイズデジタルカメラのミラーレス化と「Zマウント」の採用をNikonが発表したのは、SONYのα7(フルサイズミラーレス機の先駆)の発表から5年後(2018年)の事。すでに完成の域に達していたFマウントデジタル一眼レフのシステムを置き換える為に、そしてなによりミラーレス化の恩恵を最大限に享受する為の規格策定に相当の時間がかかったのであろう事が想像できます。こうして誕生した「Zマウント」はミラーレス構造によって許された短いフランジバックを手に入れたと共に、Fマウントよりも11mmも広い55mmのマウント径を採用しました。この二点の大胆な変更はレンズ設計の自由度を飛躍的に高める事になる訳ですが、同時に「Fマウント」では物理的に不可能であったレンズの設計を可能とする事を意味しました。言い換えるならFマウントでは設計を断念したレンズに挑戦する事が「Zマウント」に与えられた使命の一つだったとも言えるかもしれません。
 
 それを裏付けたのは、Zマウントレンズの第一弾に名を連ねたNIKKOR Z 58mm f/0.95  S Noct の存在です。長年のライバルでもあるキヤノンは、レンジファインダー機時代に50mm F0.95、フィルム一眼レフの時代に50mm F1.0といったスペックのレンズを販売していましたが、Nikonからはついぞ F1.0 を超える明るさのレンズは登場しませんでした。Nikkor 銘に恥じぬ性能を持たせるためのハードルも相当に高かったとは思いますが、他社の製品を横目に物理的限界に挑戦しつつも辛酸をなめ続けた設計陣には同情を禁じ得ません。フイルム時代のNocto Nikkor 58mm F 1.2を礎とし、Zマウント発表とともに公表されたF0.95 Noct にはその目立つスペックや描写性能の裏に真のレゾンデートルを感じるのです。Nocto Nikkor というシリーズ的呼称ではなく、あえてレンズ名の最後に「Noct」という個別の名称を与えた理由にもそれは表れているのでしょう。
 
 そして「Noct」と同様に特別なアイデンティティを与えられたレンズ、それが 固有名称を持つ第二のレンズ NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena です。「Plena」の字面から初見では Zeiss の「Planar」と語源を共にする( Plan:平坦 <歪曲収差や像面湾曲を抑えた優れた設計を意味>)のかと早合点したのですが、実際はラテン語「Plenaum」(空間が満たされているの意)が由来であり、気圧が外部よりも高い状態にある密閉空間を示す用語として、工学・建築の分野などでも利用されているとの事ですが、二次元映像である写真と三次元的な要素をイメージする密度に関する言葉との関連性とはいったい何なのでしょうか。
 
 一見ミスマッチにも感じるその言葉と、女神を想起するようなミステリアスな響きを与えられた本レンズは、ミラーレス化以降活発に開発されている各社の最新大口径135mmレンズの一本に数えられます。主要スペックを見るに、手振れ補正機構を内蔵している為かCanonがレンズ使用枚数でトップとなる他は、レンズ構成群、全長、重量ともに最大となるのが「Plena」であり、価格に至っては頭二つほど飛びぬけた印象です。平均年収近辺でうろうろしている凡庸なサラリーマンには、もう簡単には手にできる価格ではありません。ここにもメーカーのただならぬ力の入れようが表れている訳ですが、もちろんレンズ枚数の多さが画質を上げるための必要条件ではなく、価格が上がったからとして、その描写性能も上がるとは限らないでしょう。まして個人的感情が多分に入り込む「描写性」に関する評価を絶対的な数値では示す事は出来ないのです。
 
 一通りのテスト撮影を終えた本レンズへの評価に際し、色々と思うところはあったのですが、果たして私自身はこのレンズが欲しいのか?とシンプルに考えることにしました。その答えは実写映像をみながら想像していただきたいのです。
 
【参考資料】<2025・10 現在>
SONY FE 135mm F1.8 GM【10群13枚 全長127mm 重量950g 直販298,100円】
Canon RF 135mm F1.8L IS USM【12群17枚 全長130.3mm 重量935g 直販338,800円】
NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena 【14群16枚 全長139.5mm 重量995g 直販399,300】
  
 
 

Dsc_0332

撮影可能だった博物館の展示スぺースにて。ガラスケース奥にあるクラシックな電話機を解放で一枚。うす暗い展示場でも F1.8 という明るさと、ボディー内手振れ補正のアシストを受けて余裕の一枚。本レンズ、画面全体に解放から文句のない解像度を示し、それは実写映像からもはっきりと感じられます。ガラスへの写り込みが効果的な前ボケに。

 

Dsc_0387

展示されていたクリスマスツリーの飾りを、解放による近距離撮影。レンズの癖が出やすいシチュエーションですが、合焦部はもちろん、周辺の背景まで少しも乱れが見られません。口径食にもかなり気を使って設計されているようで、周辺のボケた光源もしっかり形状を保っています。

 

Dsc_0339

エッジを少しも感じさせないボケ像ですが、かといって所在なく崩れてしまわずに、被写体の実像感を残しているのは見事。大口径レンズの解放にありがちな像の滲みもほぼ認められず、生地の糸一本一本が綺麗に描写されます。開放から使えるのではなく、とにかく解放で使いたいという欲求を抑えられません。

 

Dsc_0325

合焦部から前後ボケ像への繋がり方が異常な程にスムーズ、と言ってしまえばそれだけなのですが、この映像からは合焦部・非合焦部全てを含んだ、全描写範囲における膨大な枚数のレイヤーを統合したかのような印象を受けるのです。CTスキャン画像を元に3Dプリンターで立体を制作する過程と言えば近いのかもしれません。この濃密な情報が一平面上に集積されて表されたかのような描写による被写体の質感、それはもう鳥肌もの。「Plena」それが意味するところに、私なりの結論を導いた一枚となりました。

 

Dsc_0508

硬質な床面に反射する室内灯とそれによって生み出された家具の影。なんの変哲もない被写体ではありますが、映像から感じるそのリアリティーの凄まじさは特筆もの。レンズを通して生成された画像を見ていると言うより、実際にそこで目にしているような感覚に陥ります。

 

Dsc_0382

ポートレートを主眼に置いて設計されているであろう本レンズですが、絞り込んで遠景を描写するという、真逆とも思えるシチュエーションでさえ強烈な印象を与えてくれます。望遠レンズの特徴である遠近感の圧縮を受けた画像ですが、屋根瓦の重なり、針葉樹の葉や樹皮、スタッコ壁面に宿る一つ一つの立体感が、写真=平面であることを忘れさせます。

 

Dsc_0960

決して極端な接写を可能とするレンズではありませんが、薔薇の花のような比較的大きな被写体であれば、大きなボケを生かしてマクロレンズの様な撮影も可能です。大きくボケた背景の葉にさえも確かな前後感が宿り、結果被写体周辺の空気感がとても良く伝わってきます。

 

Dsc_0930

中学校時代に技術家庭科室(今は違う呼称でしょうか?)で使っていた事を思い出した、特徴ある木製の椅子。撮影に訪れたガーデンの屋外休憩所で再利用がされていました。賑わう教室、カーテン越しの日差し、すこし埃っぽい匂い、そんな懐かしい記憶が次々に想い出されます。

 

Dsc_0920

最短撮影距離付近での撮影。まだまだ暑い9月の下旬、高原では赤とんぼが羽根を休めていました。被写界深度を稼ぐ為、少しだけ絞っての撮影です。トンボの複眼や翅脈、体毛や棘、そのどれもが超高精細に記録されているのが圧縮された画像からでも伝わります。

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

PR



  • デル株式会社



    デル株式会社

    ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ

    EIZOロゴ