Voigtländer APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical II
気象現象としてだけでなく、滝の周辺や庭の水まきといった場面でお目にかかる事もある「虹」ですが、自分自身の体験では、中学校時代に科学の授業でのプリズムを使った分光実験がとても印象に残っています。遮光した教室内でスリットを通過した太陽光が、三角プリズムを透過した後、綺麗に7色に分離するのを始めてみた時は素直に感動したものです。太陽光は様々な波長の光が混ざっている為に無色であると普段は感じていますが、プリズムを透過する際に波長による屈折率の違いから分離し、まるで手品の様に「虹」が現れた事で「光」と「色」にまつわる科学の神秘に触れた気分がしたものです。
さて、波長による屈折率の違いによって現れた「虹」は、私個人としては美しい思い出である事に間違いはないのですが、この光の性質が写真レンズの設計においては大変な厄介者となる事をも意味します。「分光」する事を目的として製造された実験用のプリズムの様な極端な色分解は発生しないとは言っても、少なくて3枚程度から多いものですと20枚以上(屈折の回数は最大でその倍)のレンズが組み込まれている写真用レンズにおいて、屈折時に発生する色分解を無視する訳にいかないのは想像に難くないでしょう。この色分解を原因とする撮影結果状の悪影響は「残存色収差」と呼ばれていますが、主として広角レンズにおいては、倍率色収差として画面周辺などでの色ズレや像の乱れの発生・望遠レンズでは軸上色収差としてピント面やボケ像の輪郭などでの色付き、解像度低下などの原因となります。それらを抑制する効果が望める蛍石やEDガラスに代表されるような特殊な屈折特性を持った光学素材の発見・発明、精密な非球面レンズの作成や、それらを複合的にシミュレートできるコンピューターを利用した設計技術の発展も加わった現代であっても、設計上の大きな大きなハードルであることは変わりないでしょう。
当然、レンズ設計の黎明期から色収差を補正する試みは続けられており、その過程で発明・設計されたレンズが「色消しレンズ」とも呼ばれる「アクロマート」・「アポクロマート」となります。波長の離れた2色の光(例えば赤と青)について補正された光学系を「アクロマート」、同様に3色(例えば赤・緑・青)について補正された光学系を「アポクロマート」と呼称(厳密には色収差以外の収差も補正されている事が併せて必須となりますが、細かい説明は割愛)しますが、「アポクロマート」の頭部分のアポ「APO」は、長い間高性能レンズの代名詞としても活用される様になりました。フイルム時代にはミノルタやシグマの特殊低分散ガラスを採用した製品には「APO」の名称が利用されていましたし、近年ではライカ製レンズの多くに「APO」が付与されています。撮像センサーの高画素化が進み、フイルム時代よりもさらに厳しい色収差への対応が必要となっている昨今、高性能レンズは実質的「アポクロマート」である事がほぼ必然となったからなのか、国内メーカーのレンズからは「APO」の文字を見る事は殆どなくなっていますが、逆にライカやツァイスといった海外メーカーの製品が近年率先して「APO」を記載するようになっているのが、摩訶不思議。
「APO」と言えば外せないエピソードとして、かつてのスプリングカメラ「Voigtländer BESSAⅡ」の存在があります。Voigtländerと言えば、かつては欧州を代表した光学機器・カメラメーカーですが、120フィルム(ブローニー判)を使用するスプリングカメラシリーズは、現代でも実際に撮影可能なクラシックカメラとして、ツァイスのイコンタシリーズと共に人気があります。1950年頃に登場した「BESSAⅡ」にはVoigtländerの看板レンズ、COLOR-SKOPAR(カラースコパー)やCOLOR-HELIAR(カラーヘリアー)の105mmレンズが装着されていましたが、APO-LANTHER(アポ・ランター) 105mm F4.5が搭載された高級モデルも極少数生産されました。レンズ鏡筒の先端には「三色・色消しレンズ」搭載である事をアピールする「赤・緑・黒(濃紺?)」のライン装飾が施される本機は、その希少性からマニア垂涎のコレクターアイテムともなりました。
APO-LANTHERの名前が出たところで、いよいよ本レンズについて。現在のVoigtländerは、日本の光学機器メーカーCOSINAが製造するカメラ・レンズに冠されるブランド名です。フイルム時代にライカ互換性を持たせたレンジファインダーカメラ・レンズを同ブランド下で展開を始めた同社は、当初からミラーレス構造に対応した交換レンズ設計のノウハウを蓄積した事もあってか、マイクロフォーサーズやソニーEマウント登場の初期段階から対応交換レンズを率先して開発。今やZeiss製品の製造も引き受ける同社は、光学設計の高い技術と、高精度に製造された金属パーツを武器に、描写性・操作性共に優れたマニュアルフォーカスレンズを数多く手がけ、交換レンズメーカーの中でも特殊な立ち位置と評価を獲得したと言えます。往年の銘レンズ APO-LANTHER は、2017年ソニーEマウント用マクロレンズ MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 に採用されて以降ラインナップを順当に拡充し、NikonZマウントに対応した本レンズ APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical IIでも「フォクトレンダー史上最高性能の標準レンズ」を謳います。メーカー純正には F1.2と言うハイスピードレンズだけでなく、F1.4・1.8さらにマクロを加えて4本もの50mmがひしめくNikon Zマウントですが、そこへ解放 F 値 「2」という現代では控えめなスペックで登場。収差補正を有利にするべく解放 F 値を欲張らず、デジタル補正の恩恵も受けずに最高性能を目指した新生APO-LANTHAR。評判の良いZシリーズのEVFを覗き、滑らかなフォーカスリングや絞り操作を楽しみながら写真を造る楽しみをもう一度思い出させてくれる貴重な一本に仕上がっています。マニュアルフォーカス専用でありながらも希望小売価格143,000円という価格設定ですが、各社のレンズ価格が高騰を続ける現在、その描写を見れば十分リーズナブルにも感じるでしょう。近似スペックで販売される某社のAPO-SUMMICRONとの価格差は実に約10倍なのです。
公表MTFからも判断ができますが、解放時から周辺まで均一な高い高解像力を誇ります。極周辺においても像の流れや解像感不足は微塵も感じられません。幅広い波長で色収差が補正されるアポクロマート設計の恩恵か、濁りの無い凛とした描写が印象的です。湿度が低く、透明感のある冬の空気感を見事に演出してくれました。
デジタル補正に頼らず、開放時は周辺光量が素直に落ち込むので、それを作画に生かすのが吉。周辺減光や口径食を抑えるのであれば、本レンズは絞りを F 2.8 に設定するのがオススメ。解放以外に F 2.8・16で絞りが円形になるというこだわりの設計を施された絞り羽根を搭載しています。
残存収差はアウトフォーカス部にもボケの癖として現れます。絞りを開けると、思ったよりも被写界深度が深くならない50mmですが、ピントピークからなだらかに解像度が落ちて行く様子が極めて自然で美しく癖がないのは、その残存収差の少なさ故なのでしょう。
最短撮影距離は45cmと、これまた欲張らない標準仕様。あえて美味しいところだけを提供するかのような紳士的なスペックと評しましょうか。輝点を含む背景のボケも、嫌味なエッジ感の無い自然体で好ましいですね。
冬の斜光線で浮かび上がる遊具とその陰。標準設定のJPEG撮って出しでもグリーンの発色が目に刺さるほどクリアに感じるのは、光線の質もさることながら、アポクロマートによって各色の焦点が綺麗に揃った結果なのでしょうか。
前日に付けられた砂場のフットプリントが湿った土壌に美しく描かれます。土の柔らかさが伝わって来る優れた質感描写も高性能の証なのでしょう。微細な凹凸の為、優秀なZシリーズのEVFであってもピント合わせには結構気を使います。ピントリング・絞りリング共に往年のマニュアルフォーカスNikkorと回転方向が一致しているのが、いにしえ?のニコンユーザーには地味に嬉しい仕様です。
クリスマス用に靴下のデザインをとりいれた壁飾り。繊維の質感、背景のレースの細かな編み目も周辺まで少しの澱みも感じません。同一焦点距離においてSIGMAのArt 50mm F 1.4 を使用していますが、ハンドリングの良さは圧倒的に本レンズに軍配が上がります。大型化し重量もかさみがちな高性能レンズの中にあって、やはり本レンズの立ち位置はかなり特殊になります。
完全な逆光状態ですが、フレアコントロールも上々。強烈な石畳の反射を受けても、描写への悪影響は感じません。単純な筒形の形状ですが、しっかりとした造りの金属製レンズフードが標準で付属するのでさらに安心。対してコシナ製のレンズキャップは、少々プラスチックの厚みが足りず、スプリングのテンションもやや弱い印象なので、紛失しないようにニコン製レンズキャップに交換してみるのも良いかもしれません。(2025年末時点ではZマウントには58mm径のレンズが無いので、Fマウントレンズ用のLC-58が好適でしょうか)
















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