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M.ZUIKO DIGITAL ED 17mm F1.2 PRO

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 「マイクロフォーサーズってボケないって言うじゃないですかぁー」

 初めてカメラを購入するというお客様に、軽く、小さく、比較的懐にも優しいマイクロフォーサーズのカメラを選択肢として提案すると、結構な確率でこう否定されてしまいます。十二分に写りの良いスマートフォンを持ちながらも、あえてカメラを購入したいのだという動機の一つには「ボケを生かしたた写真を撮りたい」という目的がしっかりと存在しているのだという事を改めて強く感じますし、むしろスマホの画像とカメラの画像の決定的な違いは「ボケ」にあると思っている方も相当に多いのでしょう。「ボケないカメラだったらいらない」そういった結論が存在するのもなるほど頷けます。

 この「マイクロフォーサーズ=ボケない」は言葉として分かり易い反面、重要な前提条件や枕詞が隠されている事に、カメラや写真の事を少し勉強すると気が付きます。「ピントを合わせた被写体までの距離が同じであり、且つ同一の画角・絞り値で撮影した場合」が前提であり、「より大型のセンサーを搭載した機種と比べると」という枕詞が続きます。仮に35ミリフルサイズ機で焦点距離50mmのレンズと同じ画角で撮影する為には、マイクロフォーサーズ機では25mmのレンズを用いる事になるのですが、「被写界深度」についての知識があれば、25mmは50mmよりも背景や前景がボケにくい事に気づくはず。(もちろん前述の通り被写体までの距離が同じで、且つ絞りが同じであれば・・・です)

 なるほど「マイクロフォーサーズ=ボケない」は確かに正しい一面を表していますが、それは絶対的な事象ではなく、あくまで大型センサー機との比較による相対値。それがちゃんと伝えられていないが故、初心の方にさえバッサリと切り捨てられてしまうのは、なんだかもったいないなぁと思うのです。被写界深度に関する知識を身に着け、それなりの条件を揃えることができれば、「マイクロフォーサーズもボケる」のだという事を、我々のような販売に従事する者がしっかりと啓蒙していかなければならないなぁ、と改めて反省したりしなかったり・・・・・。

 さて、被写界深度についての理解が進めば、マイクロフォーサーズの様な小型センサー機であっても、ボケを生かした撮影が可能となる条件をいくつか挙げることができるでしょう。「長い焦点距離のレンズ(いわゆる望遠レンズ)を使う」「被写体に近寄る」「ピントを合わせる被写体と背景や前景との距離を離す」そして「絞りを開けて撮影する」事です。前者の3条件は知識として持っていて損はありませんが、撮影条件や被写体の種類によって制限を受けますし、なんと言ってもフレーミングとの兼ね合いで実践できない場面も多いでしょう。結果、実際ボケを活用するには「絞りを開けて撮影する」事になるでしょう。これは解放f値の数字が小さいレンズを利用することでいつでも可能となる有効な手段ですから、小型センサーを採用している機種こそ、ズームレンズよりも明るいf値を持った単焦点レンズを入手することに大きな意味があるとも言えます。少々古い話になりますが、Panasonicが初期のマイクロフォーサーズ機GF1にキットレンズとして20mm f1.7という明るい単焦点レンズを採用していたのは、そういったメッセージも込められていたのでしょう。

 当然、メーカー側もそれを意識しているハズ。OMDS(旧オリンパス)からは、描写性能・防塵防滴性能に力を入れたPROシリーズに属するレンズとして、解放f値を1.2とした17mm・25mm・45mmの3レンズを堂々ラインナップしています。1.4ではなく1.2としているのは、やはりボケへの拘りも相当に大きいのだろうと想像できます。とても興味深かったのは、焦点距離が違うこの3本の基本的な描写傾向がとても似通っている事です。当然画角は大きく違う訳ですが、仕上がった画像から共通の雰囲気が漂ってくるのです。デジタルに特化した新しい性能基準のレンズですから、解放から極めて解像度が高く繊細な描写を見せる反面、その解放では僅かにハロを伴う絶妙な柔らかさを持った優しい写りを見せます。一段絞るだけでこのハロは解消し、透明感の高いスッキリとした描写へ変化。f2.8辺りですでに解像度のピークへ達し回折の影響が出始めるf8辺りまで極上の解像感をともなったキレの良い画像を提供してくれます。肝心のボケ味もエッジ感の少ないとても素直なものとなり好印象です。被写界深度が深くなる17mmは、さすがにボケ自体は控えめになりますが、広角レンズにありがちなエッジが目立つガチャついたボケになる様子も無く率先して絞りを開けられます。

 今回17mmを試用したことで、三兄弟、もとい三つ子のような印象を強く受けた1.2PROの三本。直販価格も全くの同価格(2025年現在税込み176,000円)と、決して安価とはいきませんが、全てを入手する価値もまた相当に大きいモノになるでしょう。冒頭、懐に(比較的)優しいと言った事を既に忘れているような発言ですが、OMDS製品としては、17mm・25mm・45mmのf1.8 (直販合計131,560円)シリーズが1.2PRO 一本分でお釣りも頂けますので、先ずはその辺から「決してボケないわけではないマイクロフォーサーズ」を是非とも体感してみて欲しいのです。

 

 

 

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雨に濡れたクラシックカー。ハロを纏う独特の解放描写が高い湿度の空気と好マッチング。17mmという短い焦点距離なので、本来被写界深度はそれなりの広さ。しかし被写体にしっかりと寄り1.2という絞りを生かす事でボケを伴った一味違うスナップが可能になります。最短撮影距離は20cmと驚異的な数値。寄る事でさらに大きなボケを手に入れる事もできます。

 

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解像度の高いレンズですが、無機質にならず程よい柔らかさを残した品のある描写をします。この辺りの雰囲気や素直なボケ味は25mmや45mmの1.2PROも同様の感想を抱きます。カメラ任せだとオートフォーカスの合焦点が思い通りになりにくい被写体ですが、フォーカスクラッチ機構を内蔵しているので、フォールディングをほぼ変えぬまま瞬時にマニュアルフォーカスへ切り替えが可能なのもシリーズ共通の利点。

 

 

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1.2という解放を実現する為に、15枚ものガラスを組み合わせた非常に凝ったレンズ構成を持つ本レンズですが、前後のボケ方にも差異や癖が感じられないのでその解放描写を多くのシチュエーションで楽しめます。ボカす事にこだわった設計、そんなメッセージさえ受け取れるのです。

 

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歳のせいか、最近はライカ判(24x35)や3:4の長方形フレーミングだと、この画角のレンズは少々広いと思う事が多くなった気がします。1:1にするとしっくりと来るので、17mmをカメラに付けた時は、スクエアフォーマットを多用しがちです。

 

 

  

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1.2PROシリーズは、3本共に解放では少し柔らかめな描写をしますが、17mmにはその傾向がより顕著に表れている気がします。解像度は十分に高いながらも、湿度を伴った様な妖艶な描写です。周辺まで解像感は保たれるので、描写性能が落ちていると言うより、紗や弱いディフューズ系のフィルターを掛けたような印象になります。

 
 
  
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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