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MINOLTA AF 100mm f2

P2010192

 

 

 工業製品においては、メーカーからの卸売り価格に大きな差が生じにくく、販売価格も一定の幅に落ち着きやすい「新品」に比べ、「中古」商品の価格には様々な理由で広い「幅」が存在しています。「中古車」で例えれば、年式・走行キロ数・修理歴・車検・塗装色・グレード・オプションや改造の有無等によって、一見同じように見える車種であっても、ある店舗では30万円なのに、別の店舗では200万円の売価がついている、なんて事もよくある話です。加えて、何かしらのきっかけで「人気度」や「希少性」といったパラメーターに上昇フラグが立つと、相場が急騰するのも良く見る光景で、SNS普及によって情報の拡散にマッハの追い風が吹く今日では、某キャラクターの図柄が印刷(一部省略)された新品売価数百円のカードに100万円以上の値が付けられたり、地元(架空)の豆腐屋が配達に使っていたという理由(かなり省略)で、それまで数十万円だった中古車の相場が数倍の価格につり上がったりといった事象も、そう珍しい話ではなくなりました。自身が携わる業界に於いても、昨今のフイルム・オールドレンズ・CCDブームによって、数年前は見向きもされなかった商品に、目を疑うような高値が付けられてフリマサイトで取引されているのも茶飯事で、驚きを通り超えて人間の業の深さに思わず祈りを捧げたくなる心境にもなってきます。

 さて、なぜこのような書き出しで始まったのかと申しますと、今回取り上げるMINOLTA AF 100mm f 2 は、中古ならではの特徴的な値動きを見せるレンズとして、とても数奇な運命を辿っているからです。100mm f 2 と言うスペックのレンズは、2025年現在カメラメーカーが販売する純正レンズとしてはその姿を見る事はできませんが、フイルム時代には多くのメーカーがラインナップに加える言わば定番レンズの一つでありました。有名処としては、YAHICA/CONTAX用のZeiss Planar 100mm f 2、オート―フォーカスに対応した比較的新しい(それでも四半世紀前ですが)レンズとしては、Canon EF 100mm f 2や、Nikon Ai AF DC-Nikkor 105mm f 2 D(ニコンは伝統的に105mmを採用しますね)辺りが頭に浮かんできます。更に遡ってマニュアルフォーカス時代なら OLYMPUSのZUIKO 100mm f 2 や Canon New FD100mm f 2 なども知名度は高いでしょうか。明るさをさらに半絞りほど明るくした Nikon Ai Nikkor 105mm f1.8 S も一応は仲間に入れておきましょう(さらに古いものは割愛という事で)。MINOLTAはと言えば、まだカメラの自動露出(AE)が一般化する以前のAUTO TELE ROKKOR-PF(ロッコール)とその後継 MC ROKKOR-PF 時代にその存在を確認できますが、ボディーのマルチAE化に対応させた MD ROKKOR シリーズへは引き継がれませんでした。そして MINOLTA α7000 登場の後、オートフォーカスレンズ(Aマウント)として、復活を果たしたのが本レンズという事になります。

 さて、そんな各社から発売されていた100mm f 2 は、適度な遠近感の圧縮や明るい解放 f 値による豊かなボケを生かした特徴から、ポートレートなどに向くレンズとして重宝される一方、各社がポートレート用看板レンズとして掲げる85mmの f 1.4や1.2 クラスのレンズの陰に隠れがちであり、また明るさを1絞り我慢すれば、近接撮影も可能となる 100mm f 2.8 のマクロレンズや 70-200mm・80-200mm の大三元ズームレンズの利便性が手に入る事もあって、購入の選択肢から外れてしまうといった、ラインナップ中「微妙な立ち位置」のレンズという印象がどうしても強くなります。結果、販売本数が伸びず販売終了となるのですが、後に「珍品」「希少品」といった肩書と共に中古価格が上昇し、新品時を超えた売価で中古が取引されることも珍しくない人気商品になるところが、「物」相手とは言え、少々哀れにも思ってしまう、そんなレンズの一つなのです。

 当然MINOLTA AF 100mm f 2 にもこの事実は当てはまり、α7000 シリーズ用の交換レンズとし初期からラインナップされつつも、その後多くのレンズがデザインのモダン化を受けた <New>シリーズへと刷新される中で、その改変を受けることなくひっそりと製品群から姿を消してしまいます。人気・評価ともに非常に高かったAF 100mm f 2.8 MACROの存在もあってか、製造本数もあまり多くは無かったのでしょう、その後の中古市場でレア玉としてプレミア化し、当時中古業界に顔を出し始めていた筆者も、年に1~2本お目にかかるかどうかという状態だったと記憶しています。

 しかし、本レンズの運命はデジタル一眼のミラーレス化に翻弄される事になります。いち早くミラーレス化に舵を切ったSONYのカメララインナップからは、Aマウントを採用した一眼レフは早々に姿を消し、フイルム時代のMINOLTAから受け継がれてきたAマウントの資産を有効に活用できる未来が、早い段階から閉ざされてしまいました。マウントアダプターを併用してのミラーレスαでの利用は可能ではありますが、実用品としての存在価値に黄色信号が灯ったことに変わりなく、市場は冷酷に反応しました。多くのAマウント交換レンズ中古相場は急落し、それはプレミア価格を誇った本レンズも例外にはならなかったのです。かつては希少だった存在も、市場への相次ぐ放出からオークション・フリマサイトでも散見されるようになり、その取引価格も、依然として高値で安定していた ZUIKO や Canon New FDに比べれば、見る影もない程に落ち着きを見せてしまったのです。

 肝心な描写性能はと言えば・・・・。それは、下記作例に伴って記述を進めたいと思うのですが、今現在の中古相場は、このレンズの真の価値には決して見合ったものでは無い、と思うのが個人的な感想なのです。果たして本レンズのこの数奇な運命に、今後また新たなページが刻まれることはあるのでしょうか?

 

 

Dsc04308

絞り解放では、控えめなコントラストと実像感を残しつつもとても柔らかいボケ味が心地よく、まさにポートレンズに向いたレンズとの印象。MINOLTAのレンズは、かつて大先輩の篠山紀信氏が週刊誌の表紙を飾ったポートレートの撮影で使用していたエピソードも有名ですが、なるほど本レンズにはその血統が脈々と受け継がれているのでしょう。

  

Dsc04247

一段絞ると、全体的にコントラストも立ち上がりシャープネスも向上します。合焦部の力強さも増して画面全域がきりっとした良像になります。首都高で渋滞に捕まった際に助手席から撮影した道路の壁面ですが、金属やコンクリート、それぞれの質感も良い感じで描かれています。相変わらず懐かしい作動音を響かせる組み合わせで、AFは対象被写体に大まかに近づいてから微調整を経て合焦するという、これまた懐かしい挙動。ま、日常撮影では十分なスピードかと。

 

Dsc04350

最短撮影距離(1m)付近の描写。ボケの様子がわかり易いように、タイルの継ぎ目や文字の入ったプレートを画面に入れましたが、そのボケ像の素性の良さが伝わるかと。エッジを感じない優しいボケと、主張しすぎない品のある合焦面は、ポートレートへの好適性を再確認。

 

Dsc04318

遠景を切り取るスナップ撮影も100mmというレンズの画角が上手くマッチングします。斜光の当る小犬の毛並みや、ご婦人の靴裏のパターンなども非常に克明に記録されており、設計の古さを微塵も感じさせない安定描写は単焦点ならではでしょうか。前ボケの素性も良く、上手く遠近感を引き出してくれました。

 

Dsc04300

ビルの壁面に設置されたメンテナンス用?のリフトを遠方から撮影。外壁の細かなタイル一枚一枚が完璧に解像されて写っています。いわゆる高周波成分の多い被写体の為、ここまでレンズの解像度が高いと、ローパスレス構造のα7RⅣではモワレや偽色の発生が危ぶまれる領域です。晴天屋外の撮影なので、f11まで絞っての撮影ですが、回折の悪影響がでないギリギリの処でしょうか。f5.6~11辺りの描写は驚きの解像度を見せてくれます。

 

Dsc04339

陽が落ちかかってから海辺を散策。絞りの余裕はイコール、シャッタースピードの余裕に繋がります。フイルム時代からの名残ですが、撮影中にISO感度を変更するとアレルギーを発症(苦笑)してしまうので、感度ISO100のままで高速シャッターが切れるのは、明るい単焦点レンズの利点です。加えて、こんな被写体でもボケ像の品が絵づくりに貢献してくれるのは有難いです。

 

Dsc04291

ここまでの写真から、撮影地がパシフィコ横浜周辺である事に気づいた方もおられるでしょう。2025年カメラ・用品の見本市「CP+」へ出張した際の記録です。帰路に就く際、駐車場へのエレベーター前に素敵な景色が広がっていました。絞り込んだ上でハイライトに諧調を残すべく、かなり大幅なマイナス補正。路面アスファルトの粒が確認できる程の高解像度が重厚感ある一枚を届けてくれました。周辺にもカメラを構える来場者がチラホラいらっしゃいましたが、みなさん最新のズームレンズを利用されてました。(仕事柄、ついつい機材ウオッチしちゃいます:苦笑)余談ですが、本レンズはミノルタAマウントレンズでの採用例が多い55mmのフィルター径を採用。レンズフードはレンズ名が記載された専用品が用意されましたが、借用品の紛失・破損を恐れ、自前の100mmマクロ用のフードを流用しました(記載名以外は同じ物?)。希少レンズの場合、専用付属品も希少になるので、こんな小技も重要です。
 
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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