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SONY FE 85mm F1.4 GM (SEL85F14GM)

Preparation

 

 

 

 85mmという焦点距離を持つ俗にポートレートレンズとも呼ばれるレンズは、自身にとって想い出に事欠かないレンズの一つです。実際は途中から路線?の変更がありましたが、将来「写真」に関係した仕事で飯を食っていきたいと本気で考え始めたきっかけが人物撮影だった事もその主な理由なのだろうと思っています。

 写真部に在籍し本格的に写真撮影を始めた高校時代はアイドル写真全盛の頃。部の先輩が地元百貨店の屋上イベントで撮影したアイドル写真を半切サイズに伸ばし、部室入口に飾ったりしていたのも懐かしい思い出。師事していた写真店主の勧めもあって、当時県内で盛んに開催されていたモデル撮影会に顔を出したり、小・中学校時代の同級生やその妹にまでモデルを依頼(男子校出身なので止むを得なかったのですが、今の時代で考えると軽く通報案件ですよねぇ・・・)するうち、徐々にポートレート撮影の世界にのめり込んでいきました。それ以前は、学校行事でのスナップや風景、部活動の記録などが写真部員としての主要被写体でしたから、使用する機材は広角系の標準ズームや望遠ズーム、それに400mm程度の超望遠といったものでしたが、主要被写体の変化に伴いポートレート撮影に適したレンズへと興味が移っていったのは当然の流れでした。

 当時「も」決して自由になるお金が多かったわけではありませんので、当初は自前の Ai Nikkor 50mm F1.4 に、マニュアルフォーカスレンズをAF化するTC-16ASという純正テレコンを装着し、80mm 約F2.3 のポートレートレンズ(仮)で他校の文化祭へ出向いてナンパモデルスカウトなどもしていましたが、やはり F2 よりも明るいレンズの大きなボケや、フィルター径52mmよりも大きな前玉を持ったレンズへの憧れは捨てきれず、幾ばくかの機材を下取りに出してAF Nikkor 85mm F1.8 の購入へと至りました。この人生初となる85mmの単焦点レンズは、解放から目の覚めるような合焦部のキレの良さ、焦点距離と解放 F値の相乗効果による大きなボケによって、それまでズームレンズやテレコン併用によって得られた物とは次元の違う写真の世界を見せてくれました。引き伸ばし時のピント確認をする際、ルーペ像に浮かんだ被写体の瞳の中に撮影している自身の姿がはっきりと写り込んでいたのを目撃したのがあまりに衝撃的で、後の私を単焦点レンズ偏愛者へと改宗させる大きな原動力?の一つとなりました。

 このNikkorは高校時代と大学の4年間、かけがえのない知人・友人の肖像を記録や、課題作成の相棒として苦楽を共にしたりと、自分の写真人生においてとても重要な時間傍らに存在していました。大学卒業以降このレンズは徐々に出番を減らし、システム変更とともに私の手元から離れることになるのですが、就職・結婚・育児・引っ越しと日々目まぐるしく変化する生活環境の中で、被写体として真剣に人物に向き合える時間を随分と減らしてしまった事も、少なからず影響していたのだろうと感じています。

 想い出はさておき、デジタルミラーレスの時代、ちょっとした偶然の重なりから手元にやってきたのが本レンズ FE 85mm F1.4 GM (Ⅰ型)となります。マウント径を大幅に拡大したCanonやNikonには、さらに明るい F 1.2 のレンズも存在していますが、小型なAPS-Cフォーマットで出発しながらもマウントを変更せずにフルサイズ化を果たしたSONY FEマウントでは、いたずらに F 1.2 へのチャレンジをするのではなく、最高の F 1.4 を造る事の方が重要と言わんばかりに、市場には最新高性能ボディや動画撮影への対応を果たすべく、AFの高速化や軽量化、各収差の補正強化を与えられたⅡ型がすでに投入されています。結果MINOLTA時代から数えれば、初代 AF 85mm F1.4・AF 85mm F1.4G・AF 85mm F1.4G(D)・AF 85 mm F1.4G(D)Limited、SONY時代となって Planar 85mm F1.4 ZA、ミラーレス化以降の FE 85mm F1.4 GM・同 GMⅡと、実に7種もの85mm F1.4 が存在するという奇妙な歴史が浮き彫りになるのですが、執着とも受け取れかねない 85mm F1.4 への愛が脈々と引き継がれている印象さえ受けます。近年急激に視野の狭くなり始めた自身にとっては、ポートレートレンズというよりむしろ「標準」的にさえ感じ始めているフルサイズ85mmの心地よい画角。学生時代を支えてくれた想い出のNikkor、フリー時代に代えがたい一枚一枚を提供してくれた伝説のCONTAX Planarに続き、3本目の伴侶としてどんな写真に出会わせてくれるのか、今からワクワクが止まらないのです。

 

 

Dsc_1238

開放で被写体に接近すると量感たっぷりのボケが発生します。これぞポートレートレンズの醍醐味です。さすがに口径食の影響もあるので、周辺では玉ボケ像がレモン状に変形することで若干のグルグル感も出てきます。これを嫌うのであれば1~2絞ほど絞り込んであげるとスッキリした背景になる印象です。
 
 


Dsc_0150

ベンチの水平線を基準とするか壁面の垂直線を基準とするか、フレーミングを迷っている際に突風が吹き、上方の枝葉から水滴が飛んでくるというハプニングに遭遇しました。こんな時にカメラを水滴から守らずに迷わずシャッターを切るのはある種の職業病でしょうか。本レンズ一応防塵防滴を謳っているのですが、過信は禁物ですよね。
 

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画面中央部だけをトリムする1:1の画面比では、さらに口径食の影響も感じなくなり綺麗な玉ボケが現れます。ボケ周辺のエッジを強く感じない柔らかな後ボケはGMレンズを名乗るなら当然でしょうか。前後の大きなボケを使える大口径単焦点は、その重さ・大きさに目をつむる事ができれば優秀なスナップシューターになってくれます。

 

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ピントはベンチの座面に。日陰での撮影ですが明快なコントラストが凛とした空気の感じを良く伝えてくれます。開放1.4ともなれば、多少の緩さを伴う映像も覚悟しましたが、最新設計のミラーレス単焦点にそれは杞憂というものでした。中望遠レンズは望遠レンズとは違い、例え解放であっても距離の開いた被写体は背景がさほど大きくボケない事を再認識。フレーミングにはもう少し気を遣うべきでしたね。反省反省。

 

Dsc_1623

最短撮影距離近くであれば、大きなボケを活用したマクロレンズ的な撮影もできます。AF時の最短撮影距離85cmでも合焦部の解像感に一切の不満はありません。シャドーをしっかり落とす為、露出を切り詰めてもシャドー部にしっかり諧調が残ってくれるのは有難いです。
 

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G Masterシーズは、そのボケ味にも注力して設計されています。前後のボケ方に大きな差が無く自然。それでいて被写体の情報を無暗に溶かしてしまわない良質のボケ。合焦部のシャープネスも当然文句の付け処がありません。
 

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ボケの繋がりを見たくて、公園に設置された遊歩道を撮影。傾きかけた夕刻の日差しが印象的な影を落としてくれます。遠近感の圧縮を見せ始める中望遠レンズ独特の描写でしょうか。昨今スマートフォンなどでは見かけのボケを大きくして小型センサーの欠点をカバーするといった機能も一般化しましたが、「写真」とはなんぞや?とデジタルデータ時代の映像に自分自身の基準を改めて考え直すタイミングに来ているのだと痛感しています。

 

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木道と水面の僅かな高低差によってもしっかりとボケが発生するのが大口径+中望遠の魅力の一つ。作例の数枚には電子マウントアダプターを併用しNikonのZ5Ⅱを使用。RAW現像の際にLightroom上でレンズプロファイルを対応させることで、色収差・歪曲収差の自動補正を加えます。操作やハンドリングフィールは長年馴染んでいることもあるので、Sony FEレンズの母艦としてNikonボディが選択できるのが存外の喜び。α7RⅣの圧倒的高画素も魅力ですが、Z5Ⅱの小気味よさもまた快適です。

 

Dsc06028

モニター上で像を拡大すると、ハイライト部分にはごくわずかのハロが発生していて、全体的な柔らかな印象を醸し出すのに一役買っているようです。昨今の高性能ズームレンズには「大吟醸」的な隙の無い高性能を感じますが、大口径単焦点に感じる「純米酒」かの如く旨味成分もまた、とても心地良いのです。

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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