SIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO| Art (SONY-E)
Macro<マクロ>レンズと言えば、(Nikonでは伝統的にMicro<マイクロ>と表記しますが、詳しくはニッコール千夜一夜物語を紐解いてくださいませ)主たる存在目的は「接写」という事になるでしょうか。被写体に接近して撮影することで、小さな被写体をより大きく撮影する事をマクロ撮影と言ったりもしますが、なぜ一部のレンズにその名が冠されるのでしょうか、釈迦になんとやらかもしれませんが一応概略など以下に・・・。
写真用のレンズには最短撮影距離という、それ以上被写体に接近できない(ピントを合わせる事が出来ない)限界の距離が設定されています。この設定にはレンズの先端が被写体に物理接触をしない事も大前提ですが、その撮影距離における描写性能がしっかりと保証されているという大切な理由も存在します。このため一般的な被写体を想定して設計されたレンズであれば、おおまかにそのレンズの焦点距離を10倍したあたりの値がひとつの目安(50mmのレンズであれば50cm、100mmのレンズなら1mといった具合)になるのですが、実際この程度の接近ではマクロ(拡大)撮影とは程遠いのです。被写体にもっと接近し拡大率の高い映像を得るためには、描写性能のピークを近距離側へ寄せ、最短撮影距離を縮めた設計が必要になるのです。そして、こうして特別な設計を施されたレンズに「マクロ」の冠が与えられる事になるのです。
マクロレンズは近接撮影時の高い性能を確保する為の制約上、その殆どが単焦点レンズとなり、また近似焦点距離の一般レンズに比べ、解放 f 値は大きく(暗く)なるという傾向がありますが、ミラーレス一眼の登場によってレンズ設計は劇的な進化を果たしていると感じる昨今でも、最新設計を施された本レンズでさえ解放f値が変わらず2.8と抑えられている点に、マクロレンズに課せられた描写性能の敷居が相当に高い事が想像できます。だからこそとも言えますが、マクロレンズに関してはその性能の高さが評価されてきたレンズがフイルム時代から多く存在しています。レンズメーカー製の近似スペックレンズに限っても、揺るぎない定評のあるTAMRON SP90mm f 2.8(旧製品はf2.5:通称タムキュー)や、カミソリマクロの異名を与えられた同社製マクロレンズ、70mmf2.8 EX DGといったところがすぐに思い浮かびます。従って、他の「Art」を冠するレンズ使用時に受けた強烈なイメージも残る中、ミラーレスに特化された本レンズへの期待値は相当に高いものとなったのは極めて自然な流れでした。
外観は焦点距離の数値から判断する以上に「長い」印象。懐の深いフードを装着すれば、200mmレンズを思い浮かべるほどノッポな外観に。その長い鏡筒を活かしたとも言える全長の半分ほどを占める幅広マニュアルフォーカスリングは、操作感も滑らか且つ適度なトルクで好印象。嫌なアソビも無いので、AFに頼り切れない場面が多い接写時もストレス無く操作可能です。スイッチや絞りのクリック感も、他のArtレンズ同様に高いビルドイクオリティーによって支えられた安定・安心感があり、「モノ」としての存在感も極上です。肝心の描写性能は想像のさらに上を行くもので、開放では前後の美しいボケの中に浮かんだ極薄のピント面が、ある種の儚さといった趣で立ち上がり、一段絞ってあげれば、増した解像感が被写体の細部まで描き切ります。前後のボケ像も均質に美しく広がり、「マクロレンズ=硬いボケ」だった過去の定石などは木っ端微塵と言えましょう。
フルサイズα用の中望遠マクロは2025年現在で、純正のレンズ内手振れ補正を搭載した90mmマクロ、ミラーレス特化を果たした最新タムキューを加えたまさに三つ巴。クレオパトラ・楊貴妃・小野小町を前にして、いったい誰が簡単に順位なんて付けられるというのでしょうか。
最近ではマイクロフォーサーズフォーマットでの撮影が多いので、105mmと言うレンズの被写界深度の浅さにあらためて驚いています。その深度の浅さから極薄のピント面の解像度の高さが際立ち、繊細なタッチがアニメのセル画(これも死語に近いですかね)を見せられているかのように印象的です。無論合焦面だけでなく、前後のボケ像も周辺まで崩れない高品位な映像を得られます。
さすがはシグマを代表するArtシリーズ。高い解像度と美しいボケ味で、日常の風景を叙情的に切り取ってくれます。「マクロレンズ=接写が得意」ではありますが、極端な接写でなくとも寄れる中望遠レンズとしての存在価値が非常に高いのが100mm前後のマクロレンズです。
マクロレンズと言えば自ずと高い解像度を期待するものです。SIGMAレンズにはその強烈な解像感から「カミソリマクロ」の異名を持つ70mmのマクロレンズも存在しますが、本レンズも決して引けを取らない高い解像力を誇ります。オリジナル画像を拡大すれば、木製の柵に打たれたボルトのネジ溝までクッキリと解像しているのを確認できます。
「鳥肌もの」なんて表現をしますが、本当に鳥肌が立つような妖艶な描写。均質な前後のボケが醸し出す絶妙な立体感と、極端にアンダーに振った露出を受け止める豊富な諧調。ポートレートにも使えるマクロレンズとしては、不動の人気を誇るTAMRON製90mmマクロレンズ(通称タムキュー)を思い出しますが、本レンズも相当に高いポテンシャルを秘めていそうな予感アリです。
映像を邪魔しない良質なボケ像によって、合焦面だけが浮かび上がる特徴的な描写を見せます。ミラーレス一眼への特化で旧来のシリーズとは似ても似つかない光学系を手に入れた本レンズには、レンズ内手振れ補正機構が内蔵されないので、ボディー内手振れ補正を前提とした設計と言えますが、そこには究極の光学性能を手に入れる為の取捨選択もあったのだろうと想像できます。
開放絞りはf2.8。口径食の影響も悪目立ちはしない印象でしょうか。周辺では丸ボケに多少の変形を認めますが、エッジの柔らかいボケ味も功を奏し癖はほとんど感じません。ピントの合った紅葉の葉と背景の葉の間に感じる空気感も良い感じです。標準系のマクロと比べボケの大きな中望遠のマクロは、画面整理がやり易くマクロデビューにもおすすめです。
わずかばかり木漏れ日の当る巨木に寄り添う蔦。かなりの悪条件ですが、ボディー内手振れ補正を頼りに撮影にした一枚。105mmレンズとしては長めの外観を有し、フード無しでも全長は約135mm、フード装着時の姿は200mmクラスのレンズに。しかしながら細身な鏡筒は遊びの無い極上のマニュアルフォーカスの操作性も加わって、微妙なピント調整が必要な接写時の保持バランスはなかなかの物です。
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