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SONY FE 50mm F2.8 Macro (SEL50M28)

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 来客者の女性比率が上がっていたり、平均年齢が下がっていると肌で感じることで、中古カメラ店の敷居は以前に比べれば随分と低くなったのかな?という印象を抱いています。インターネット上のフリマサイト・ネットオークションの広まりや、買取り・リユースショップチェーンの相次ぐ出店などもあって、これまで抱かれていた中古品・リユース品などへの抵抗感が随分と和らいだ事と、昭和レトロといった言葉に代表される、若年層を中心とした「古い物」を逆に「新しい物」として捉えるようなムーブ(ブーム?)によって、中古品に新たな価値が見出されていることなども理由になるのでしょう。オールドレンズという言葉が耳に馴染んで随分と経ちましたが、加えてオールドコンデジ、オールドデジイチ等、黎明期・発展途上期のデジタルカメラを指す言葉も頻繁に目にするようになりました。辺境に存在する我が勤務先でさえも、週末ともなれば若いカップルやカメラ女子がM42マウントの交換レンズや200万画素程度の初期コンデジ、フイルムコンパクトカメラといった商品をお求めに結構な頻度でお見えになるのですから、都市部では尚更強く感じられるのだろうと推察されます。

 中古店の暖簾をくぐる理由としては、上記のように「中古でしか入手できないもの」を求める他に現行品を「新品に比べ安価に購入できる」事も挙げられます。近年は転売ビズネスの横行で、品薄商品が「新品よりも高い値段で中古販売される」なんてケースも珍しくはなくなりましたが、程度の差こそあれど、中古品は新品に比べれば安価に販売されるのが一般的と言えます。量販店やネットショップで新品を購入し一眼カメラデビューを果たした若者が、思っていた以上に写真にハマった結果、さらなる交換レンズを安価に購入する為に「中古店」を訪れるといったパターン、これが経験的にきっかけの上位にランクインするのではないかと思っています。もちろん望むレンズは人それぞれなのですが、撮影する被写体によってある程度の傾向も見えてきます。日常スナップ・ポートレート派は「明るい単焦点」、アイドル・コスプレ派は「明るい望遠ズームレンズ」、飛行機・鉄道・野鳥・お子様お孫様運動会派は「超望遠ズームレンズ」、インスタ映えを目指す派は「Super-Takumar」といった具合でしょうか。

 そして、忘れてはいけないのがネイチャーフォト派が希望する「マクロ(接写)レンズ」(本題)なのです。日常の記録用途であればスマートフォンがその殆どを賄ってしまう現在でも、接写の様な特殊な条件となると、まだまだレンズ交換式カメラの存在意義は明確で、肉眼を大きく超える倍率で草花や昆虫などを捉える事ができる「マクロレンズ」は、時代を超えて高い人気を誇る交換レンズだと言えます。今現在はフイルム時代ほど多種多用なレンズが投入されている訳ではありませんが、フルサイズ換算で焦点距離50mm前後の画角を持った「標準マクロ」と100mm前後の「望遠マクロ」の最低2種類は殆どのメーカーから発売されていることからもその人気の高さは窺えます。

 さて、お嫁さんにするなら「快活な幼馴染」か「清楚なお金持ち」かという、某国民的RPG5作目の難題に比べればはるかに簡単なのでしょうが、「標準マクロ」「望遠マクロ」の「どっちを買えばいいのか問題」は、中古カメラ店においての頻発あるある相談と言えます。この質問を受ける際にユーザーの既存システムを確認すると、大抵は標準ズームレンズ1本(望遠域までの高倍率含む)や、標準ズームレンズ+望遠ズームレンズ(F値が明るくないタイプ)のいわゆるダブルズームキットである事が多いので、我々店員からすれば「幼馴染」「望遠マクロ」の方をお勧めするのがセオリーになっています。「望遠マクロ」は高倍率・キット系ズームレンズに比べ F 値が2.8と明るく、キットレンズよりも大きなボケ像を得やすい「単焦点望遠レンズ」としても活用できるため、いわゆるコスパの良い選択肢となるからです。通称タムQ(TAMRON製90mmマクロ)がポートレートマクロなどとも言われる様に、複数の使用目的が存在する事が価格差(標準マクロより望遠マクロの方が購入価格は高くなる)のデメリットを上回っていると考える方が多いのでしょう。また、ワーキングディスタンス(被写体とレンズ先端の距離)が標準マクロ比で長く、接写デビューに勧め易いという点も無視できません。実際の体感でも販売するマクロレンズの7~8割が「望遠マクロ」になるのは、多くの方がそのメリットに納得しているからなのでしょう。それでも、イオナズンは捨て難い。

 逆に考えると本レンズの様な「標準マクロ」の購入には、より明確な理由や強固な意志が介在していると言えるのかもしれません。「望遠マクロ」に比べ、広い画角・極端に浅くならない被写界深度といった物理特性が備わり、それらが必須となる撮影現場も少なからず存在します。昆虫や草花等ある程度の厚みを持った被写体を被写界深度を生かしてぼかさずに撮影する場合や、広い画角を生かして背景を取り入れたフレーミングを用いたいシチュエーションは当然起こり得るでしょう。文献や絵画の複写、標本の撮影といった学術記録用途であれば、これらの特性から「標準マクロ一択」となる場面さえもあるでしょう。そう言えば、過去 モデルスカウト 受験勉強で度々利用していた公立図書館の資料区画の複写台には Nikon F3 が備え付けられていましたが、装着されていたレンズは Micro-Nikkor 55mmだった事を記憶しています。当時は、それほど明るくはない標準画角のレンズにこれといった魅力を感じなかったのですが、今ではあえての「標準マクロ」、なかなかに興味深い一品と思っています。

 さて、SONYが一眼レフ用の Aマウントに用意した標準マクロレンズ AF 50mm F2.8 MACRO は、MINOLTA α 時代から基本設計が踏襲されロングセラーとなりました。フイルム時代には、標準マクロの撮影倍率は1/2倍止まりの物が多い中、等倍撮影まで対応した優等性でした。また解像度を優先した設計の為ボケ味が硬く感じる製品も多いマクロレンズ中、同社の発売する100mm同様に、素直で柔らかめなボケ味を持った稀有な存在であったと記憶しています。ミラーレス FE マウントへの刷新時、等倍撮影を引き継ぎつつ設計変更が行われた本レンズ FE 50mm F2.8 Macro は、高性能レンズの証「G」「G Master」の称号を与えられてはいませんが、非球面レンズ・EDレンズ・円形絞りを採用した意欲作で、鏡筒への撮影倍率表記など手を抜かない実直な作りにも好感が持てます。フィルター径55mmを採用する小型軽量な躯体は、感度が自由に操れる時代の寄れる標準レンズとしても、新たな存在感を光らせる一本に仕上がっているのではないでしょうか。「100mm」ではない方、ではなく「50mm」の指名買い、イイと思います。

 

 

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ある程度の厚みを持った被写体でも、比較的深い被写界深度を持つ50mmであればそのディテール描写を維持したままで接写が可能です。周辺部まで収差の悪影響を感じない端正な映像もマクロレンズの真骨頂と言えます。

 

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少し距離を取ってあげると、背景が広く入って来るのも望遠マクロとの違い。画面構成やボケの様子などを加味したフレーミングを気にする必要がありますが、そういったテクニカルな楽しみも撮影の醍醐味ではないかと。簡単に背景が溶けてくれる望遠マクロの撮影がサボリって訳でもないんですけどね。
 
 

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 標準マクロは本レンズも含め、レンズ一枚目のガラスが鏡筒先端からかなりカメラ側へ引っ込んだ構造(すり鉢とか蟻地獄なんて言われてます)をしている物が多数派。この部分がレンズフードの役割も兼ねてくれますが、最短撮影距離付近での被写体とレンズとの接触を避けるという目的もあるのでしょう。結果、保護フィルターを付けるべきか否か、某国民的RPG5作目の難・・・ry
  

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望遠に比べ、ワーキングディスタンスが短い標準マクロでは、やや不得手となる昆虫の接写。飼育用温室育ちの蝶は多少の来客には慣れているのか、近接での撮影を許してくれました。逆光気味な条件でしたが、濁りの無いクリアな描写を得られました。

 

Dsc_3025竹を割ったようなシャープな合焦部で切った竹を撮影。背景には落ちた小枝や竹の根など、うるさいボケの原因となる被写体が多い為、50mmのボケ量では若干ザワついた印象になります。この辺りは、撮影距離や被写体の大きさによるボケ方の印象を把握しておいた方が良いのかもしれません。

 

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葉の先端が爬虫類のシッポの様なかわいらしい造形をしていたのが目に留まりました。葉脈の一つ一つを克明に描写しつつ、若芽らしい柔らかさも伝わって来る質感描写が好印象。ここまでの接写になると被写界深度もさすがに浅く、ボケ像のクセにはあまり気を使わなくて良さそうですね。

 

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本レンズ、等倍接写もこなすマクロレンズにしてはとても小型軽量。当然遠景の描写も文句はありませんので、文字通りマクロもイケる「標準レンズ」として常用するのもアリでしょう。昨今大型化する傾向が強い標準ズームの代わりに「標準マクロ」、良いんじゃないでしょうか?

 
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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