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2026年8月

SIGMA 85mm F1.4 DG | Art (SONY-E)

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 「写真はレンズで決まる」そのレンズ群にドイツの光学メーカー「Carl Zeiss」の製品をラインナップした YASHICA / CONTAX が過去に広告で謳った言葉です。また「なぜならレンズがとても良いから」という文句でその製品を人々に広めたのは、同じくドイツのカメラメーカー「フォクトレンダー」(現在は日本の「コシナ」がブランド名として使用)でした。カメラ内部の内面反射処理や、シャッター機構の作動精度などの影響も無視はできませんが、銀塩写真においてレンズは結果として残される映像の仕上がりを左右するほぼ唯一無二の存在でありましたから、こういったキャッチコピーが利用されたのも頷ける話です。現在のデジタル写真においては、撮像センサーの特性や映像エンジンの性能、仕上がり設定やレンズ補正といったアフターエフェクトの有無等、映像に影響を与える要素が多岐にわたるため、レンズ単体の性能だけで映像の優劣を語る事にあまり意味が無くなってしまったと言えるのかもしれません。

 と、自らのブログの存在意義を揺るがす様な危険な書き出しになってしまった本項ですが、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申しあげます。ペコリ。

 とは言え、被写体が持つ光の情報をより正確にセンサーへ届けるというレンズ本来の役割に関しては、センサーの進化が著しい昨今その性能にフイルム時代より遥かに高い要求が出されている事は明らか。結果、高性能に設計されたレンズは高度な収差補正を施されたことでその個性を薄められ、やや画一的な進化の道を進んでいるような傾向が強まっているとも言われています。まだまだ発展途上で、癖や隙の大きかった銀塩写真時代のレンズが改めて見直され、その個性が「オールドレンズブーム」のような形でもてはやされているのは、ある種デジタル時代へのアンチテーゼと考えられなくもありません。近年急速に普及している「AI」(Automatic Maximum Aperture Indexing ・ウソです。ウソです。大事なので2回言います)も、時が経てば間違いや無駄もあったけど「人間の思考」の方が良かったなぁ~。なんて思い返される日が来るのではないかと、結構真剣に思ったりもします。

 良い機会ですので、レンズについての「性能」とは何かを少し考えてみたいと思います。先ずは撮影に際して「焦点距離」「明るさ( F値 )」「最短撮影距離」「最大撮影倍率」などは必ず把握しておかなければならない「性能」でしょう。記録という観点から写真を考えれば、どれだけ被写体の情報を正確にトレースするかの判断材料となる「解像度」や「MTF 値」「残存収差値」は重要な指標となります。表現的側面から見れば、感覚や好みが判断基準を占めるため数量的に表す事はできませんが、非合焦部の描写特性を表す「ボケ味」も重要なレンズ性能の一つと言えるでしょう。(ちなみに筆者は「塩味」を「しおあじ」と読む派なので、「ボケ味」は「ぼけあじ」と読む派でもあり、昨今にわかに耳にするようになった「ボケ感」には鳥肌が立つ派です。(苦笑))また、加えて車や時計などに比べれば重要度は低いとは思いますが、「デザイン」や「操作感」と言った要素も一つの「性能」と考えられる事もあるでしょうし、コスパといった言葉が示すように「価格」も、ある種の「性能」と考えられる場面が想像できます。

 そして、「全長」「口径」「重量」といった、大きさ(ちいささ)・重さ(軽さ)に関わる数値もまた重要な「性能」として考えられる訳ですが、レンズは実際に手に持って使用される物でありますから、他の性能が同等であるならば、使用・操作に差し障りがあるような極端な場合を除き「小さく」「軽い」物の方がが良しとされるのが一般的です。改良モデルが発売される際、先代比で減った堆積や重量を訴求ポイントとして宣伝したり、設計の自由度が増す事でレンズの小型化・軽量化を実現出来るのがミラーレス化のメリットの一つだと、至る所で耳にすることからもそれが証明されています。

 それでは実際に SIGMA によって至高の描写性能を与えられた Art シリーズ、その 85mm F1.4 においてミラーレス化の前後を比較してみましょう。本項で扱う 85mm F1.4 DG HSM | Art の SONY-E マウント対応レンズは 2018年にお目見えします。2016年に一眼レフ用の交換レンズとして登場した製品の基本設計を引き継ぐので、同一マウントでミラーレス専用設計か否かを比較できる恰好の素材となります。その堂々たるいでたち、全長152.2mm:フィルター径86:重量1210gは、空こそ飛びませんが唸る巨体で登場時相当な話題となったのですが、参考までにコン・バトラーVの身長は 57m:体重550t、もとい、過去デジタル一眼レフ用としてカメラメーカーが販売していたレンズ(全長:フィルター径:重量)を羅列すると、

Canon EF85mm F1.4L (105.4mm : 77 : 950g)

SONY Planar 85mm F1.4 ZA (75mm : 72:640g)

Nikon AF-S Nikkor 85mm F1.4G (84mm : 77 : 595g )

と、シグマ製品のその異常なまでの大きさが浮き彫りになります。

さらに、フイルム時代にポートレートレンズの代名詞的存在であったマニュアルフォーカスレンズ

CONTAX Planar 85mm F1.4 MM (64mm : 67 : 595g )

と比べるならば、SIGMA が頭一つどころか、二馬身ほども突き抜けていることに只々唖然とするばかり。隣に並べれば同じ焦点距離・明るさのレンズなのかどうか、業界に身を置く筆者からしても疑いを持ってしまうほどで、往年の「小錦 VS 舞の海」を思い出すばかりです(古)。

 そして、満を持してミラーレス専用設計となった後継 85mm F1.4 DG DN | Art が2020年にリリースされる事となりますが、全長 96.1mm(マイナス 56.1mm) : フィルター径 77 (2サイズダウン) : 重量 625g (マイナス 585g )と、ライ〇ップの CM に出演できるかと思えるようなスーパーダイエットを成し遂げます。他社製一眼レフ用レンズとの比較で、最小・最軽量とは言いきれませんが、描写性能向上の為にあれほどの巨大化をも辞さなかった Art シリーズにおいても、ミラーレス化の恩恵は額面通りに受け取れる事を分かり易く示したのです。

 さて、後継の登場と、販売されるレンズ交換式デジタルカメラがほぼミラーレス一色となった事で、本レンズは製造していた全てのマウントで販売を終了する事になりますが、いざ自由に手に入れる事が出来なくなると、改めてその存在が気になるのが人間の業とでも言いましょうか・・・・・。カメラに取り付けてフードを展開すると、中型クラスのカメラバックでは収まりきらない程の躯体、ボディーを合わせると 2Kg に迫る重量を半日も携行すれば、「小さい事・軽い事は正義」と言わんばかりにマイクロフォーサーズ機を愛用する筆者などには、ほぼ苦行。重量や大きさに関わる以外のあらゆる性能を、見事に後継機が引き継ぐ中で、あえて本レンズを所有したいというこの欲求の源にはなにやらマニアックな香りが。写真を単なる映像ではなく作品と考えるなら、それを決めるのはレンズではなく何なのでしょうか?そもそも、その生成映像にレンズはおろか、撮影者、被写体すらも必要としない「AI様」が何と返答するのか、機会があったら是非とも尋ねてみたいものです。

 

 

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前後の美しい玉ボケ、高い解像度の合焦部、逆光をものともしないヌケの良い画像。合成か、はたまた生成かと疑いをかけられても仕方のない「絵に描いた様な」映像とでも言いましょうか。開放からこれですから、とんでもないレンズであることはビシビシと伝わります。

 

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少し離れた位置から中央の樹皮にフォーカスを。焦点距離85mm程度であっても解放 F1.4 の被写界深度は思った以上に浅く、拡大すると合焦している部分は本当に僅かなのに驚きます。しかしながら、全体が大げさにボケた印象を受けないのは、合焦部から美しく連なる非合焦部の描写が優秀な証だと感じています。手前から奥まで映像の密度の様なものを感じます。

 

Dsc07883

近接側の描写も、乱れらしい乱れを微塵も感じさせません。事務用椅子をストックした什器を開放で撮影しましたが、こんなに端正な描写を見せるとは素直に驚きです。ミラーレス専用設計のDNタイプの方はさらにコントラストが高く、スッキリとしたボケ像を形成していたような記憶はありますが、僅かに滲みを感じられるこちらの描写も捨てがたいモノがあります。

 

Dsc07041

絞った時に映像の説得力やリアリティーが暴力的に増すのは、他の「 Art 」同様。壁面の落書きやボール痕など、そこに残された情報を何一つ漏らさない勢いでコピーします。扉の奥に存在する電気メーターと思われる部品が刻む数値までも完璧に視認できるほど強烈な解像度を見せつけます。

 

Dsc07077

大学生ともなると、誰からともなく煙草に手を出すのは昭和生まれ男子の記憶あるあるでしょうか。卒業後スタジオアシスタントを辞めるまでは筆者も喫煙派でした。喫煙所なるものが普及したのは自分が煙草を止めた後の話なので、その風景はガラス越しにしか撮影した事がないんですよね。
 

Dsc07897

かわいらしく並んだ2本のスコップを見つけスナップ。ちょうど背景に黄色の建材が写り込んだため信号機の様にカラフルな一枚となりました。人物のバストアップを撮るような距離感ですから、このレンズの背景描写がそれに好適なのは一目瞭然ですね。135mmに比べれば背景の情報も伝わりやすく、その場の雰囲気を残すのが85mm。上手く使い分けられたら言う事無しです。

 

Dsc07921

近接・開放絞りといった条件でも葉脈を描き切るほどの鋭さを持った合焦面。半面、大きくボケた背景はとても柔らかでトーンに満ちた優しい描写。F1.4クラスともなれば、中心解像度を保つため、その他の部分に多少のクセや欠点が出ても仕方ないとあきらめたのは、もはや過去の話なのですね。

 

Dsc07945

ハイライト基準で露出を決めると合焦部分はシャドーへと沈みました。夕刻とは言え初夏の強い日差しによる高コントラスト下でもこれだけ豊かな諧調が得られ、デフォルト設定のままで「眼福」とも言える美しいトーンが再現されます。敷き詰められたウッドチップが徐々にボケて行く様子や、シャドーに沈みつつも手触りを感じられるようなウッドチェアーの描写が、少し湿って青臭いその場の空気の匂いまで思い出させてくれます。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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