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MINOLTA AF SOFT FOCUS 100mm F2.8

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 少し古い話になりますが、Nikon がフイルム一眼レフの「Nikon F」を発売したのが1959年。その後継モデルの最終版と考えられる「Nikon F6」を発売したのが2004年。ざっくりとした判断ですが、フイルム一眼レフがカメラの代名詞であったのはざっと50年ほどという計算になるでしょうか。デジタルカメラへも引き継がれた一眼レフ50年間の大きな技術の変革は、露出計の内蔵・自動露出(オートモード)の実装とシャッターの電子制御化・多分割方式測光の導入・モーター内蔵による連続撮影の高速化・ピント合わせの自動化(オートフォーカス)・その測距点の多点化などが挙げられます。

 同社はデジタル一眼レフの草分け「D1」を1999年に発売し、その歴史は2026年現在でほどなく30年を迎えるえる事になるのですが、思った以上に時が経っている事に今更ながら驚いてしまいます。その初期の進化は撮像素子と映像エンジンの改良をベースにした画質面での向上とボディー内手振れ補正機構の搭載・強化が主となりましたが、やがてはミラーレス化によって連写速度の劇的向上や、像面位相差AF+被写体認識+トラッキング技術による、対動体撮影性能の著しい進化がもたらされました。写真のデジタル化は、カメラのツールとしての性能向上だけでなく、その特性によって我々の撮影スタイルや人気撮影対象の変遷をも生み出していると言え、それによってカメラ店や写真店で扱う写真機材やアクセサリーの類いも随分と様変わりを見せる様になりました。以前は撮影機材の花形としてボディーと必ずと言っても良いほどにセット販売されていた「フラッシュ」と「三脚」は、昨今めっきり販売数を減らしたアクセサリーと言えます。高いISO感度下であっても画質が保たれるようになった事と、手振れ補正機構によってスローシャッター時の失敗原因が取り除かれたことで、光量を補う必要性とカメラを固定する必要性がフイルム時代に比べて極端に下がった事がその要因の一つに挙げられます。

 そういった点で考えると、本レンズの様な「ソフトフォーカスレンズ(以降:ソフトレンズ)」が徐々に姿を消していったのもデジタル化による影響の一つと言えるかもしれません。PC上でPhotoshopに代表される画像加工アプリを活用し、モニターで確認しながら撮影画像に対して細かな調整を時間の許す限り・何度も自由に・失敗のリスクもなしに行えるデジタル写真は、当然ソフトフォーカス画像を作成するのもお手の物。さらに言えば、撮影時に結果の排他的選択を迫られたフイルム時代と違い、通常の画像からソフトフォーカスの画像を生成するのですから、「通常」「ソフト」いずれの画像も手に入る訳です。結果「ソフトレンズ」は当然の事ながら、過去ポートレートや花の撮影などで愛用者の多かった「ソフトフィルター」も、現在ではあまり声のかからなくなったアクセサリーとなっているは自然の流れと言えましょう。(天体写真の分野では今も一定数需要がありますが)

 ところで、筆者自身の大学の卒業制作がソフトフォーカスと素粒子を表現に利用した風景写真がテーマであったため、様々なソフトレンズや軟焦点効果を付与するフィルターを利用した経験があります。モノクロでは、暗室でのプリント時点でソフトフィルターをかける手法を多用してポートレート作品を作っていましたし、ソフトフォーカスに関しては一家言ある・・・・と言えなくもない人生を送っているのかもしれません(単に、めんどくさいヤツという話も)。ソフトレンズに関しては、生活費の為に売却してしまった物が殆どですが、フィルターに関しては、相当数が現在も防湿庫のスペースを圧迫しています。この先これらを使用するケースは全くと言っていいほど想像できませんが、この世から引退する際には是非とも手荷物に加えていただきたいと思う大切なコレクションだったりします。ついでに御国までの道のりを「昇天距離」と呼ぶのかどうかは、是非ともその時に確認したいと思います。

 さて、筆者のソフトレンズとの出会いは、ポートレート撮影に明け暮れた高校生時代へと遡ります。当時お世話になっていた写真店で知り合った方に、Canon EF135mm F2.8 SOFT というソフトレンズを使い、とても素敵なポートレートを撮っておられる壮年男性がおられました。その方の作品に心奪われた事に加え、ソフト写真の撮影で難儀する事の多かったピント合わせをカメラに任せる事が出来る点にも惹かれ、あっという間に中古品の購入を決定してしまいました。発売から間もなかった富士フイルムのVeiviaの高濃度・高コントラストな画像特性が、ソフトレンズを使用してもリッチな発色をしてくれるという利点に繋がった事も加わり、フイルム代と現像代で両親を随分と悩ませた(と、50歳過ぎて確信)のも良い?思い出となっています。このレンズはEOSシステム・EFマウントでは最古参に分類されますが、FDマウント時代にもNew FD 85mm F2.8 SOFTなるレンズが存在する事から、それなりの需要をCanonも見込んでいたことが伺えます。

 本題へと進みましょう。MINOLTAが本 AF SOFT FOCUS 100mm F2.8 をラインナップへ加えたのは、1994年と記録されています。α7000の発売から見れば9年後ですから、大げさに話せば、マニュアルフォーカス時代の Varisoft Rokkor 85mm F2.8 の販売終了からはソフトレンズの不在期間が随分とある事になります。ソフトレンズ好きを自認する私がこれまで本レンズに触れた記憶がないのは、卒業制作を開始する間際の段階が丁度この端境期だった事と、卒業制作の為に新システムへ移行(当時はNikon主体)する事などは、到底考えられなかったからでしょう。そのままであれば関わる事の無かったであろうレンズの一つでですが、α7RⅣ+LA-EA5 の入手と共に Aマウント資産(遺産?)に興味が湧いた事で、過去のソフトフォーカス熱が再発したのかもしれません。

 他のソフトレンズと同様に、本レンズは発生する球面収差を逆手にとって、ソフトフォーカス画像を得られるような設計を施されています。ソフト量調整の操作リング上「0」の位置では、球面収差を良好に補正した通常の撮影をする事ができ、「1」「2」「3」と大きな数字になるほど増加する収差によって画像の滲みが大きく、ソフト効果が増して行きます。球面収差は絞りの影響も受け、絞り込むと収差が少なくなると言う特性がありますから、ボケの量、ソフトの量を、操作リングと絞り値双方の組み合わせで調整しながら好みの映像を導き出すのが、本レンズ活用の肝と言えます。絞り羽根は9枚と贅沢で、少ない口径食と相まって美しいボケ像にも期待できます。ソフト「0」での美麗描写は、「特殊レンズだから」と当初期待しなかった分、嬉しい誤算となりました。「ライカの90mmにハズレ無し」なんて巷ではよく耳にしますが、マクロと言い、F2と言い、MINOLTA の 100mm は大当たり揃いと言えるのかも。FEマウントであれば STFを冠したSONYの100mm GM も加えられ、もう4等分の花嫁状態。本レンズは経年劣化で内部レンズにクモリの発生する個体が多いですから、状態の良い物を見つけたら迷わず即確保が「吉」でしょう。何と言っても現状ではソフトフォーカスレンズ再販の可能性は低いのです。スープラ好きな T 総理による自動車税撤廃、是非とも実現して欲しいものです。

 

 

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卒業制作用にKIYOHARA SOFT VK50R を使って撮影した被写体が、ほぼ当時のまま残されていました。当時はコニカクローム3200と言う超高感度リバーサルフイルムを利用し素粒子表現を試みていました。高感度フイルムは総じて高コントラストですから、外の風景は完全に白飛びをしてしまっていたと記憶しています。そのプリントは大学の倉庫に提出作品として保管されているはずですが、同学の先輩でもある著名な写真作家の方々はじめ、卒業生で俳優の大塚寧々さんなどの作品も一緒に保管されているかと思うと、あらためてちょっと胸熱。

 

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開放付近ではほぼ円形となる9枚羽根の絞りによって、美しい後ボケを形成します。ソフト効果によって玉ボケのエッジも滲み美しいグラデーションに。半面、前ボケはガサガサとうるさくなりがちなのは、この種のレンズの特徴ですから使い方には多少のコツが必要です。

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薄暗いトンネル内での撮影。フイルム時代は三脚とスローシャッターに頼るか、超高感度フイルムを利用するかしないといけない条件ですが、感度変更と手振れ補正機構の恩恵を利用できるデジタルカメラでは手持ちでも十分撮影が可能に。さすがに俊敏なAFとはいきませんが、迷いながらもなんとか合焦に持ち込むカメラ性能に助けられます。トンネル内部を照らしていたのは無骨な照明器具だったのですが、ソフトを掛けた事で器具の形状がぼやけ、雰囲気にマッチしてくれました。

 


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ソフト量「0」、すなわち通常レンズ状態での高い描写性能が本レンズのもう一つの魅力。特殊レンズと侮る事なかれ。高画素センサーに負い目を見せない高い解像力もさることながら、老齢機関車が放つ重ねた時間の重みが伝わるような金属の質感描写、背景の枝葉や遠景の山肌の描写も良い感じです。

 


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ソフト時にざわつきがちな手前のボケですが、ソフト「0」では非常にきれいな前ボケを得られます。奥行のあるプレート部を被写界深度に納める為に少し絞っていますが、100mmという焦点距離も手伝って、量感豊かなボケを得られます。

 

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一番最初のカットに写っていた金属製の扉を建物裏側から接写。最短撮影距離は80cmと標準的な数値ですが、解像度・ボケ味ともにその描写性能は一級品。これ以上の接写は、これまた高性能な同社100mmのマクロレンズに譲りますが、ソフトの有り無しによる「二刀流」の存在感はなかなかのものです。
 
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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