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CONTAX Planar 100mm F2 MM-G

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 欧米諸国のサブスクリプションサービス(サブスク)を利用する場面が増えてきたのですが、利用時に表示されるアカウント表記が日本の習慣である「姓>名(例:赤城 太郎)」ではなく、「名>姓(太郎 赤城)」となっている場合があって、私のようなグローバリズムから程遠い昭和人間は面を食らったような感覚を受ける事があります。さらに「Hello 太郎」 などといった書き出しで登録メールが届いたりすると、「こいつ、初対面で馴れ馴れしいヤツだな!!、そこは赤城 様だろ」と、自動返信メールと知りつつも悪態をついてしまったりする事もあったり(心の中だけですヨ)・・・。そもそも、全日本国民が苗字を名乗るようになったのが文明開化以降の割と最近の話ですから単純な比較はできないのですが、どういった経緯でこの違いが生じたのか、歴史や文化的背景を深堀してみるのも面白いかもしれません。「姓>名」の順が慣例になっているのは国際的には日本を含め少数派なようですが、過去さらにパスポート上のローマ字表記を多数派に合わせた「名>姓(TARO AKAGI)」としていたのはなんと日本だけだったとの事。2020年以降にようやくパスポート上の表記を国内表記に合わせた「姓>名(AKAGI TARO)」になったらしいのですが、これまたパスポートとは縁の無い生活を送っておりますので、知らなかった事実でした。

 以前に他レンズの記事で触れましたが、こういった姓名表記についての慣習と関係があるのかは定かではないながらも、欧州発祥のレンズにはレンズ毎に固有の名称(「名」に相当)が与えられるケースが多く、日本のカメラメーカー・レンズメーカーが販売するレンズには、その殆どでシリーズ全体を統括する一つのネーミング(「姓」に相当)が与えられているという事実が存在しています。Leica・Rodenstock・Schneider・Voigtländer・Zeiss といった名だたる欧州のメーカーが生産したレンズには、レンズ構成や、その特徴や役割、設計者や時にその愛犬の名前などに由来するユニーク且つ様々な名前が付けられていますが、日本製のレンズには過去多くのメーカーで、FUJI【FUJINON】・Konica【Hexanon】・MINOLTA【ROKKOR】・Nikon【Nikkor】・OLYMPUS【ZUIKO】・PENTAX【Takumar】 といった具合に、シリーズ全体を示す呼称が与えられていました。昨今では簡素化が進んで、各社でマウントの名称がそのままレンズ名に組み込まれるケースが殆どになっています。少々味気ないですが、分類の効率や誤伝達を防止には、単純な記号の羅列にしてしまうのが、現状では得策という事なのでしょう。

 さて、レンズに与えられた固有名称の中で最も有名な物の一つが Zeiss の「Planar」ではないでしょうか。ドイツ語で平坦「Plan」を由来とするその名の通り、像面湾曲・歪曲収差を抑え画面全域で高い結像性能を実現した「Planar」は、フイルム時代にプロカメラマン御用達だった  Hasselblad や二眼レフカメラの頂点に君臨する Rolleiflex 用レンズとしてだけではなく、大判カメラ用の交換レンズにもその名を見る事が出来ます。そして、35mmサイズ・フイルムカメラの YASHICA/CONTAX マウント用としてラインナップされたレンズ群では、標準 50・55mm と中望遠レンズの 85・100・135mm、接写用の 60・100mm と、開放F値を加えて分類すれば10種類もの「Planar」が供給されていました。とりわけ、Planar 85mm F1.4 はポートレートレンズの代表格として、その特徴的な描写が「Planar」信仰を不動のものとする一因ともなっています。

 そして、本レンズ Planar 100mm F2 は、役割的にも 85mm の陰に隠れがちだったことや、同一焦点距離には開放を F2.8 としながらも、近接撮影も可能な Macro-Planar が存在していた為に購入対象から外れるケースも多かったのでしょう。生産を完了した現在ではそこそこのレアアイテムとなっています。中古相場も高値で安定し、新品当時の定価が2万円ほど高額だった Macro-Planar と中古相場が逆転するに至ります。さらに、年代・機能・製造国別に4つに分類されるYASHICA/CONTAXのレンズ中、MM-G という識別符号が表記される Planar 100mm F2 MM-G は限定品顔負けの垂涎アイテムと言っても良いでしょう。Planar100mmに存在する AE-G・MM-G・MM-J 3種の中で、絞り値によっては光彩絞りの形状が正多角形ではなく、かざ車状となりボケ像が乱れる場合もある AE タイプの欠点を改善したマルチモード対応の「MM」である点、加えて「G」の文字が示す通りドイツ製(東西統合前の West Germany) である事などが、実用性・希少性両面で高い人気を生み出したのです。

 ガラス + 金属塊で670グラム、回転角に余裕を持たせた重厚なヘリコイドの作動、浅い被写界深度下でのマニュアルフォーカスによって、意識せずともじっくりと構える撮影スタイルに。撮影結果では、設計の古さ故に発生するフリンジ修正が現像時の大前提となりますが、最新デジタルでも基本性能の高さを実感できる優等性。豊富なトーンと粘るハイライトがネガフイルムでの撮影を思い出させてくれるようで、過去 Zeiss レンズで撮影していたブライダルフォトが脳裏に蘇ってきました。オールドレンズという括りはあまり好まないのですが、「古き良き・・・」を確かに感じ、その名に恥じない名レンズであることを実感できましょう。

 

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圧縮された遠近感や大きなボケ像によって「望遠レンズ」らしさが際立ちはじめる100mm。85/1.4 の様な滲みをともなった溶けるようなボケとは違い、非常に素直で周辺まで崩れない均質なボケ像を造るのが特徴。その語源から、より「Planar」らしいのはこの 100mmという事になりますね。解像度や高コントラストを押し付けるような現代のレンズとは明らかに違う描写からは、ほのかに銀塩テイストを感じます。

 

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Macro ではない Planar 100mm の最短撮影距離は1m、接写好きの自分からするとやはりもう一歩寄れれば・・・という場面に案外多く遭遇します。ピント面の立ち方・ボケの素直さも好みで、使い勝手にも好印象を持ちましたが、コシナ製Zeiss に存在する 100mm は Macro でありながらも開放 F2 のチート仕様にだったことを思い出しました。MM-G のプレミア相場を考えれば、素直にそちらを選ぶのが最適解なのでしょう。

 

Dsc_4731

良質かつ大きなボケと合焦部分の高い解像感がモノクロ映像で際立ちます。開放では滲みを伴う若干ソフトで特徴的な映像を見せる 85mm の Planar と比べ、絞りの変化を感じさせずに開放から隙の無い映像を造ります。冷涼な湧き水に例えられる様に、凛とした緊張感のようなものが映像から感じられます。

 

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前後のボケも均質でその発生もなだらかな為、浅い被写界深度下でも、非合焦部が醜くなりません。本来なら絞り込んで撮影する方が好ましい被写体かもしれませんが、せっかくなので気持ちの良い開放描写を楽しむことにしました。

 

Dsc_4751

恐らくは、再塗装前の防錆処置だと思うのですが、ドット絵で表現されたレトロゲームのキャラクターを思い出しました。本レンズ、執筆時点ではLightroomでの現像時に適応するレンズプロファイルが存在しない為、解放絞りで発生するフリンジなどは、個別にマニュアルで除去する必要があります。歪曲収差や周辺減光がほとんど気にならないレベルなのは、世代を超えてもさすがの「Planar」といったところです。

 

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せっかくのポートレートレンズですから、一応はポートレートっぽい撮影を。ちょっと相手が大柄ですが、デフォルトのカラー設定でも極上の仕上がをみせてくれました。車体の赤と背景の新緑のコントラストがとても気持ち良く描かれます。やはりどことなくフイルムライクに感じるこの写りが、被写体である旧型車両のポートレートにベストマッチしたのかと。
 

Dsc_4780

フイルム時代、自身の撮影ではISO800を超える感度は、どうしてもシャッタースピードを必要とする撮影で緊急的に止む無く利用する程度でした。それほどに画質の低下も顕著だったのですが、最新のデジタル機器では、この程度の設定で画質面での心配はほぼ無くなったのでは?と感じています。撮影領域が広がった事は、旧世代のレンズにとっても、新たな活躍の場が増えていると言えるのかもしれませんね。開放 F2 との合わせ技でうす暗い機関車の運転席でも余裕の撮影となりました。

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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