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ELICAR V-HQ MACRO MC 55mm F2.8 (Nikon-F)

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 現職場に勤めて足掛け30年ほどになるでしょうか。おそらくこの業界に携わっていなければ、数量的・内容的に触れる事はなかったであろうカメラ・レンズ達が日々目の前を通り過ぎて行きます。一台で数百万円という価格で取引されるようなレアアイテムを取り扱ったり、コレクターの終活に携わりトラック満載のカメラや撮影機材を引き取るといった経験をしたりと、なかなかに想い出が尽きないと、時折感慨にふけったりもします。直接見たり、手に取る事は無いにせよ、お客様や業界の様々な方との交流の中で知識として知りえた機材なども加えれば、一般の方々の想像を遥かに超える数のカメラ・レンズに関して何かしらの知見を持っている事にはなるのでしょう。まあ、昨今話題のAIに頼めばあっという間に収集・整理が出来てしまう類いの情報ですから、さしたる自慢にもならないのですが、それでも個人的には自分の半生以上をかけて集めた宝物である事に変わりはないのです。

 さてそんな筆者ではありますが、今でも時折「何これ?」という機材に遭遇しては、改めてカメラの歴史の長さや重さに驚く事もあるのですが、本項で扱う「ELICAR」もそんな一本でした。妖艶な女性を(勝手に)イメージするような特徴的な名称の本レンズは、調べによると過去にタパック・インターナショナルが設計・企画し海外へ輸出販売された商品の一つで、同一光学系で「Vivitar」「Panagor」のブランドでも展開がされていたようです。これらの名称は、廉価品のズームレンズなどで過去に何度かお目にかかった事はあったのですが、「ELICAR」との邂逅は本レンズが初めて。恐らく当時は国内での流通は殆どなかったと思われますが、現在はeBay等の普及で中古カメラ・レンズの個人輸入に関するハードルが大きく下がった事や、オールドレンズへの関心が高まった事などが重なって、国内のオークション・フリマサイトでもチラホラと目にする機会が増えてきたようです。本レンズよりも先に「ELICAR」では 90mm F2.5のマクロレンズが注目されたようですが、こちらは、そのスペックからMF時代の「タムQ」との比較も気になるところ。

 ところで、マクロ(接写)レンズは、その用途から「性能」が重視される事が多く、サードパーティー製レンズには分が悪い印象が強くあります。薄利多売が常套であるため「性能」を担保するためのコストをかけにくいのが、ある種の宿命だったとも言えるからです。ですから、当時メーカ純正品がひしめいていた「標準マクロ」の市場へ投入された「ELICAR」には、何か特別な自信があったのではないかと勘ぐってしまうのです。当初、その珍しさに目を引かれただけの「ELICAR」、考えれば考えるほど、別に隠された魅力が眠っているに違い無いと思い始めたのです。

 改めて依頼品を見てみよう。(CV:銀河万丈さん)恐らくそれこそが最大の特徴と言えるのは「レンズ単体での等倍撮影」が可能な事です。AF化を果たす以前の 50mm クラスのマクロレンズは、メーカー純正品においては大多数1/2倍が最大の撮影倍率であり、等倍撮影の為には、専用に用意された中間リングの装着が不可欠でした。つまり無限遠から最短撮影距離までシームレスな撮影ができない事が、標準マクロの「当り前」だったのです。単体での等倍撮影が可能だった唯一の存在と言っても良い YASHICA/CONTAX マウント用の Zeiss製 Macro-Planar 60mm 2.8 AE の定価が128,000円であった事を考えれば、ELICAR 55mm の特殊性は際立つでしょう。鏡筒への細かな距離・倍率・被写界深度の指標は丁寧な彫り込みによるもので、絞り設定にも1/2絞毎のクリックが設けられているという徹底ぶり。自重落下を避ける目的で重めに調整されたヘリコイドは、無限遠から最短までの移動に約2回転を要するという本格派で、近距離撮影時の厳密なピント合わせと保持を可能としています。エレメントの直径からすればやや大柄となる 62mm のフィルター枠は、恐らくはマクロリングライト等のアタッチメントを前述の 90mm マクロと共通化するための配慮に違いないでしょう。入手した Nikon F マウント用の露出計連動用のツメ(カニ爪)がビス1本で止められていというコストダウンの跡も見て取れますが、総じてサードパーティー製とは思えない質実剛健なビルトクオリティーを見せてくれます。

 勿論、設計年代の古さもあって、微細なフリンジや収差が原因と思われる像の滲みなどを感じる場面はありますが、むしろそれらが描写の美しさを増幅する場面にも多々遭遇します。画面全域における解像度の高さ、歪曲収差や周辺減光の少なさなどは一級品のマクロレンズと評するに十分に値し、基本性能の高さは名だたる純正マクロレンズに勝るとも劣らないでしょう。僅か半日の試用でしたが、その描写には関心を通り超え感動する場面も多く、特に近接撮影時におけるボケの美しさは誇張ではなく特筆に値。その存在の特殊性から、今後状態の優れた個体に巡り合う可能性は高くは無いでしょう。手元に残る極上の個体、勤め先の倉庫へ戻るのではなく、しばし我家の防湿庫でくつろいでもらおうと決意するのです。

 

 

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正直聞き馴染みのないメーカーの製品だったので、当初はその性能を侮って当Blogで記事にするつもりはなかったのですが、試写一枚目から目を疑いました。拡大すれば非合焦部のハイライトエッジに若干の色付きを認めますが、画面周辺まで開放からとても分解能の高さを感じる「マクロレンズ」然とした写り。周辺減光も極周辺に僅か存在する程度。ボケのエッジは少し滲みを見せる様子が感じ取れるので、柔らかなボケ像が期待できます。

 

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想像した通り、ボケは前後共にエッジ感の少ないとても柔らかい様子です。解像度を優先して設計するマクロレンズにおいては、特に後ろ側のボケが硬くなるイメージがありますので、これは相当に意外な結果です。同社製品では兄弟レンズである90mmのマクロレンズが、欧州中心になかなかの評判らしいのですが、50mmのポテンシャルも相当に高いのではないかと思う次第。

 

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さらにボケの様子を確認するために丁度良い被写体を発見。間違いなくこのボケ像は「好き」なヤツです。まさかマクロレンズでこれを得られるとは驚き。たとえEVFであっても、ボケ像の中から合焦部が浮かび上がってくるのを確認するMFでのピント合わせには一種の快感を覚えます。ヘリコイドの回転角はかなり大きく操作に時間はかかりますが、開放での厳密なピント位置の調整には不可欠な機構でしょう。作り込みに手ヌキが無いのも好印象。

 

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合焦部から外れると、若干ハイライト中心に滲みが現れるのが柔らかいボケ像の正体なのでしょう。55mm F2.8 のマクロレンズと言えば真っ先に Micro Nikkor を想像するのですが、比較して検証してみる必要がありそうですね。あちらは定番レンズで在庫も潤沢ですから、陳列棚からちょいと拝借してみましょう。

 

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絞り込んだ時にどんなボケ味になるのか F8 で検証。意地の悪い被写体ですが、悪目立ちしやすい枝葉がとても素直に描写されておりこれにも驚き。レンズ型式の MC は恐らくマルチコーティングの意でしょう。さすがにコーティングの仕上がりには世代を感じますが、逆光性能も特に問題は無いようで安心しました。

 

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全域が被写界深度に収まる被写体・絞りを選ぶと、引き締まったマクロレンズらしい映像が手に入ります。線の細い緻密な描写で、細かい部分まで非常に高精細な映像を手に入れられます。開けて良し、絞って良しの優等生。純正メーカー品がひしめくカテゴリーで光る個性を持った一本に違いありません。

 

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開放から周辺減光をあまり感じないレンズですが、白い壁面を撮影するとその優秀さは一目瞭然。F4.5 あたりの絞りですが、収差による他の影響も影を潜めます。半絞り毎にクリックが用意されているのにも強い拘りが感じられますし、複写等の学術的な使用目的でも実力を発揮できると確信できます。

 

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高い解像度を実感できる一方で、絞りを開け気味で使えばシャープネスと適度な柔らかさを併せ持た持った描写を見せます。春の日差しを浴びたウッドチェアや壁材の柔らかな手触りが伝わってくるような印象を受けます。覗き穴?の先、遠景のボケには若干エッジが見られますが、この程度は無視できる範囲。方眼紙を撮影した訳ではないですが、問題になりそうな歪曲収差は感じられませんね。

 

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F8の描写。開放から2~3段絞ったいわゆる「オイシイ」ところ。開放でも十分な解像度を持っていますが、さらに鋭さを増し最新デジタル対応レンズの様なパキっとした描写を見せます。金属部品や籐の座面の質感も申し分ありません。高周波成分となる芝生も周辺まできっちりと描写します。

 

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公園にある水飲み場。見かける度についついカメラを向けてしまう被写体の一つです。小さい頃、指で穴を塞いで悪ガキ仲間と水を掛け合って遊んでいたのを思い出します。今だと、安全面・衛生面やらなんやらで問題視されてしまいますかね・・・・。こういった懐かしい思い出に写欲を掻き立てられるのは、やはり年齢のせいなのでしょうか?。

 


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最短撮影距離での等倍撮影。収差が大きくなる為か若干ハロの影響もあって、通常距離での映像に比べややソフトに描写される印象。枯れた袋果のモノクロ写真が、レントゲンやCT画像のような不思議な画になりました。合焦部の解像感、柔らかな後ボケは維持されており、総じて優秀な画を造り上げてくれます。

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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