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MINOLTA AF 35mm f1.4(G)

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MINOLTA製Aマウント用の交換レンズは、モデル中盤に多くのレンズがマイナーチェンジ。
モダンな外装と幅広のピントリングを装備しましたが、そのうち一部の高価なモデルは、
結晶塗装風の外観とレンズ先端部へ金帯が施されるなど、特別仕様(G)タイプへ進化しました。
 
 

 フルサイズで焦点距離35mmのレンズは、自身にとっては「標準画角」の感覚があって、過去から現在に渡り好んで利用している事を折に触れてはお伝えしてきました。著名な赤城センセー曰くのこの標準画角論?は年齢に伴って長焦点化する傾向があるのだそうで、年を重ねるごとに、より画角の狭い(年喰って視野が狭くなる、と自虐しておられます)長焦点のレンズに「標準」を感じる様になるとの事。実際自分に当てはめてみても、近頃は50mm、場合によっては85mm辺りの画角がしっくりする事も多かったりするので、なかなかに的を得ているような気もしています。もしかしてフルサイズでの焦点距離数と年齢がリンクしているのでは?なんて思うと、85mmがマッチするタイミングって相当体調悪かったのか?などど過去を振り返ったりもしてしまいます。

 さておき、「迷ったら明るい方」を信条?とする筆者としては、35mmの中ではf1.4 のレンズがお気に入りです。ごく最近は f 1.2 の製品もちらほら出始めていますが、まだまだ個体数も少ないのでここは 買えなかった 気付かなかった事にしておきます。2025年5月の段階でSONY-Eマウント(フルサイズ)に対応する解放 f 1.4 のレンズの話をすると、FE 35mm f1.4 GM・FE 35mm f1.4 ZA が純正の新旧モデル。正式なラインセンス下で製造されている SIGMA製の 35mm f1.4 DG Art とその最新ミラーレス対応版 35mm f1.4 DG DN Art も忘れてはいけません。さらにLA-EA5併用前提でAマウントの製品を含めると、MINOLTA製のAF 35mm f1.4、その後継 AF 35mm f1.4(G)・SONY製へと移行したSAL35F14G・の3本がありますから、なかなかに豪勢なラインナップに。改めてレンズ(B級)グルメにとってのEマウント有用性が浮き彫りになった恰好です。

 そんな数ある 35mm f1.4 ですが、少し前にMINOLTA時代の逸品 AF 35mm f1.4(G)を借用する機会に恵まれましたので、そちらを取り上げてみたいと思います。本レンズのオリジナルは、事実上、世界初のシステムAF一眼レフα7000(当然フイルムです)の登場から約2年後に、35mm f1.4 というスペックとしては、これもまた世界初のオートフォーカス対応レンズとしてお目見えしました。当時、35mmサイズ一眼レフ用の交換レンズとしてSummilux、Nikkor、Distagonなどが35mm f 1.4 マニュアルフォーカスレンズとして君臨する中、MINOLTA製品としてはこれまで f 1.8 止まりだった35mmレンズ待望の一本として披露されたのです。初代製品は研削非球面レンズを導入して光学的性能の向上を謳い、さらに広角レンズでありながらも、ボケ像へ配慮した9枚の絞り羽根による円形絞りを採用するなど、メーカー肝入りの一本でした。その後、他のMINOLTAレンズが新意匠とマニュアルフォーカス時の操作性を向上させる幅広のピントリングを採用した<New>タイプへと切り替えられる中で、本レンズも同様の刷新と非球面レンズの製造法の変更(研削>ガラスモールド)を受け、レンズラインナップ中で特別な一本である証(G)を授けられて誕生したのです。

 時は既にズームレンズが台頭し、高額な広角単焦点レンズにとっては販売数を伸ばすのは難しい状況だったのは想像に難くありません。初代を含めても新品の販売本数はなかなか増えなかったのか、現在でも中古市場への流出は少なく、業界に身を置く自身にしてもそう滅多にお目にかかれないレンズとなりました。SONY製のデジタル一眼レフ用として、各種デジタル補正への自動対応を果たし、コーティングの見直しも図ったとされる最終バージョンの SAL35F14Gに至っては、お恥ずかしい話ながら中古商品を手に取った事が一度も無いという始末。中古相場の大幅な下落という憂き目をみたAマウントレンズ中、現在でもそこそこの価格で取引されるちょっとしたプレミアモデルとなっています。そんなかつての「英雄」(なんて言ったら怒られるか・・・)がいったどんな実力をもっていたのか、狭くなりかけた視野を目いっぱい広げてお伝えしてみようかと思います。

 

 


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開放では、合焦中心部のシャープネスはそこそこ高い感じですが、ハイライト部分を中心にややフレアがかった柔らかい描写が特徴。画面周辺へ向けなだらかに光量・解像度共に落ち込む、いわゆるオールドレンズ然とした描写でしょうか。しかしながら破綻を感じるいやな癖ではなく、作風・作画意図によっては魅力的にも感じるでしょう。当時としては後発のレンズでしたのでその辺りのバランス取りが上手なのかもしれませんね。ちょっぴり樽型の歪曲が残っていますが、最新モデルだと自動で補正されるのか、機会があったら試してみたいですね。

 

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新しいデジタル時代の35mm は f1.4の解放であっても、解放から相当にシャープネスが高く、こういった近代建築では硬質で冷たいイメージを伴って描写さがちですが、本レンズはその描写の緩さから、どこかしら温かみを帯び、コンクリートと言うよりは石造りの地下迷宮を撮影したような雰囲気でとらえてくれます。

 

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にわか雨が止んだ後、戻った日差で濡れたアスファルトに落ちる街灯の影。開放では残存する色収差の影響で、本来グレーな筈のアスファルトに偽色らしきが色づきが見えます。恐らくはデジタル撮影の為により強調された結果なのだと思いますが、前ボケに赤・後ボケにブルーのフリンジが存在するのが、拡大画像からよくわかります。

 

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絞りを5.6以上に絞り込むと、全域にわたってシャープネスが向上して、全体的にカチッとした描写へ変化します。繊細な合焦面というよりは、男性的でどっしりとした印象のピントの結び方です。解放付近の描写とは全く違う印象を受けるのもフイルム時代のハイスピードレンズにはよくある特徴です。

 

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f2~4辺り、少しだけ絞った所が安心して柔らかい描写を楽しめる本レンズの「スイートスポット」といえるでしょうか。雨上がりの湿った空気感が心地よく描写されています。純正アダプターの併用でAFも作動しますが、作動音がせわしないAFより、じっくりとMFでピントを追い込むのがより相応しい使用法なのでは?なんて感じます。

 

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画角の好みとは別に35mmが描く遠近感はとても心地よく、好んで使用する大きな理由です。5.6 くらいの絞りでシャープネスは一気に鋭くなります。周辺光量落ちも改善され、画面全体が隙の無い両像域で満たされます。 

 

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本レンズ、広角レンズとしては美しいボケ像を見せる事で当時高い評価を得ていました。若干の二線ボケは認められますが、ボケ像がガチャガチャとするほどのものでは無く、合焦部前後の広がりも自然。こういった被写体には解放の柔らかい描写が非常にマッチすると感じます。

 

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フイルム時代の撮影感覚が忘れられない(新しい事を覚えない)ので、ホワイトバランスは太陽光に設定する事が殆ど。結果、「電球色」のLEDで照明された展示館では、色温度が低くアンバーに転んだ発色になります。本レンズ解放の柔らかな画質と色調の相乗効果もあって、全体的に優しい雰囲気を演出してくれます。

 

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最短撮影距離は30cm。f 1.4としては頑張っていると評して良いのかと。かなり接近して撮影した一輪挿しは、幾何学模様がデザインされたクロスの上に置かれています。もっと汚らしく歪んだボケ像を想像しましたが、思いのほかまとまりの良い映像になりました。

 

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開放では、短焦点とは言え少し離れたアウトフォーカス部の被写体に適度なボケが発生します。それによって独特の距離感・空気感が生まれてきますので、周囲の状況を取り入れるようなポートレートにも好適なのかもしれません。窓ガラスの格子部に少し揺らいだような特徴的なボケを形成しましたが、それもまた良いアクセントとなってくれました。
 
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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