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SIGMA 35mm F1.4 DG HSM | Art (Canon-EF)

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 SIGMAは、生産するレンズをその商品性格別にArt・Contemporary・Sportsと 三種のプロダクトラインに区分・再編成し、明確なプレゼンテーションをすることで、過去「廉価品」といったレッテルで一括りにされがちだった同社の製品を「レンズ専門メーカー」の作り出す「オリジナリティー溢れるレンズ」へと完全にイメージチェンジ、加えてどちらかと言えばカメラメーカよりも格下に扱われる事も多かったであろう自社の立ち位置を見事なほどに覆してしまいました。(少なくとも筆者はそのように思っております)

 再編されたプロダクトライン中、「圧倒的な描写性能。表現者のためのレンズ。」とされた、Artシリーズは、現在ではSIGMAを代表する商品群としてラインナップが拡充され、その性能の高さが多くのユーザーから認知されるに至っているのですが、その先鋒としての役割を担った第一号が本レンズ「35mm F1.4 DG HSM | Art 」でした。一種の設計で、多種のマウントに対応させることができるレンズメーカーとしての強みを生かし、6種のマウントが同時展開されました。(厳密には各マウント毎に物理的な構造変更だけでなく、光学性能的なチューニング等も必要なはずで、完全に同一設計ではない部分もあると思いますが)元来この手法は、コストダウン・収益性アップといったメーカー側のメリットが思い浮かぶのですが、昨今のSIGMA製レンズの高性能化を考えれば、「どんなボディーを所有していたとしてもSIGMAのレンズを使う事が出来る」というユーザー目線でのメリットも、より確かになった事でしょう。(二度目ですが、少なくとも筆者はそのように思っております)

 さて、焦点距離35mmの画角・明るいレンズが共に好きだった為、35/1.4というスペックのレンズは、自身の所有機材の遍歴を辿るとその思い出に事欠きません。生まれて初めて所有したのはNikonのAi Nikkor 35mm f1.4s、M型ライカと同時購入したSummilux-M 35mm f1.4、メイン機材のCONTAXへの移行時入手したDistagon 35mm f1.4が主な所有歴。各々それなりの期間利用しましたが、機材がデジタル化をしてからは長い間マイクロ4/3フォーマットの機材をメインに使用していたので、実はフルサイズフォーマットでこのスペックのレンズを使用するのは相当ご無沙汰となりました。しかも上記レンズは全てがフイルム時代の設計(Summiluxに至っては1960年代の設計)でしたから、最新設計の本レンズとその描写への期待は試用前から最高潮となりました。

 期待とは裏腹に、テストボディーとして使用したのは6100万画素を誇るα7RⅣですから、その高画素を活かした描写となるのか一抹の不安も無いとは言えなかったのですが、結果はご覧の通り全くの杞憂となったのです。絞り解放から中心部の解像度は相当に高く、周辺部に若干の解像度低下・減光を感じるものの、実用に際し全く問題にならないレベル。f4辺りから画面全域が超高解像度となり、周辺部に存在するどんなに細かなテクスチャーも完璧に解像してしまいます。歪曲収差やフレアコントロールも最新設計らしく非常に丁寧に処理されており、一切の不満はありません。ボケ像に至っては、広角レンズである事を忘れるほどに解放から美しいもので、しっかりとレンズの明るさ・ボケをいかした作画か可能でしょう。かと言って、無味乾燥な描写とはならず、空気感やその場の湿度、物体の質感といった要素までもしっかりと写し留めてくれるのは、さすが「Artシリーズ先鋒」の面目躍如といったところでしょう。たまたま入荷したCanon-EFマウント用のレンズをSIGMA純正のマウントアダプター併用で試用しましたが、現在では、ミラーレス一眼へ最適化したDNシリーズもリリースされています。これ以上いったい何を改善したのか気になって仕方がないのですが、それはまた別の機会という事で。

 

 

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正規のEマウント同等、とは言いませんがMC-11併用によるCanon-EFマウント用レンズでもAFによる撮影は十二分に可能です。落日後うす暗くなって帰路につくカラスを発見し咄嗟にカメラを上空へ。カメラのAFはこちらの意図を上手く汲み取ってビルの壁面へ。絞り開放ですが、ギリギリ広角レンズの特性でカラスも被写界深度内に入ってくれました。空のハイライト・ビルの壁面のシャドーともに微妙なトーン変化も再現されました。

  

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明るいレンズは、例え広角であったとしても「ボケ」を使いたくなるのが人情?ですよね。本レンズに関しその高い性能の噂は何度も耳にしていましたが、さすがに意地悪な被写体を最短(30cm)近くで撮ったので、多少は暴れたボケ像を覚悟していたのです・・・・・・が。んーーーーー。これはおみそれいたしました。極周辺で減光こそ感じますが、合焦部の解像感の高さや素直なボケ像、自身が過去に使用したどの35/1.4より好みの描写である事は間違いないですね。(個人の感想ですケド)

 

 

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過去にボケの大きさを求めて購入した他社35/1.4は、そのボケ像に存在するクセが馴染めず手を焼きました。結果、よりボケが素直と感じた解放f2のモデルへと買い替えてしまった経験があるのですが、本レンズの解放ボケ描写への心配は無用でしょう。広角レンズであることを忘れてしまうほどに、周辺まで質の高い素直なボケ像を見せてくれます。電気メーターに記された極小「QRコード」がリサイズ前のオリジナル画像でははしっかりと利用できたことも付け加えておきましょう。

 

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早朝らしい透明感がしっかりと「描写」されている気がしませんか?影の濃淡やどっしりとシャドーが落ちた扉の描写、壁面ハイライト部の微細なディテール描写が、見えない筈の空気を確かに感じさせてくれます。融雪剤の影響で褐色化したアスファルトやコンクリートの質感も良い塩梅ですね。ちなみに扉には「関係者以外立入禁止」のレタリングがあるのですが、オリジナルではフォントの判別ができるほど克明に記録されているのも驚きです。

 

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レンズとカメラボディーのメーカーが違う場合、基本は収差補正に必要なプロファイルデータがそれぞれに内包されていない為、いわゆるデジタル補正をアテにできないという制約が存在しています。しかしながら、SIGMA製のマウントコンバーターMC-11で同社製レンズを利用する際は「周辺光量、倍率色収差、歪曲収差などのカメラ側の補正機能に対応」との事。無論ボディー側で補正の有無は選択できるのですが、本レンズは補正無しでも取り立てて問題を感じないのは、基本設計が優秀な証なのでしょう。

 

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極端な逆光ではありませんが、やはり最新設計らしくフレアコントロールは見事です。強い光源の周辺であっても、シャドー部のトーン描写・解像感に不安はありません。木造パネルの表面にある年輪模様なども全域に渡りキッチリと解像し、歪曲収差や周辺減光といった欠点も非常に僅かなのはご覧の通り。

 

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住宅の解体現場を通りがかった際、残された隣家の壁面に丁度いい具合に西日が射し込んでいました。絞り込んで画面全体を被写界深度内に収めた一枚ですが、本当にツッコミ処がまるでないほどの高画質。壁面の微細な凹凸や、各種機器類に記載された文字情報も拡大すればしっかり確認可能なのです。だからと言ってその優等生っぷりを無理やりひけらかすような無粋な感じを受けないのが、これまた憎らしいじゃないですか。

 

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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