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SONY FE 90mm f2.8 Macro G OSS (SEL90M28G)

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 車に興味がある方でしたら、トヨタ自動車が販売するGR86(先代名86)はSUBARUが生産するOEMだという事は良く知っておられるのではないでしょうか。分かり易い数字の車名ですから、ナンバープレートをお揃いの「86」番にしている個体にも良くお目にかかりますが、以前に一度だけ「86」ナンバーを付けたSUBARU BR-Zを見かけた事があり、オーナーさんはなかなかにトンチの効いた方だなぁ、と感心したのを覚えています。企業規模・車名の知名度ともに「86」が圧倒的なのでしょうが、なんとなくBR-Zの方を推したくなるのは個人的郷土愛ということでご容赦願えればと。

 カメラやレンズにも当然ながらOEMは存在していますが、販売会社・製造会社ともにその事実を公言する事は一般的には希です。しかしメーカーのホームページや製品のマニュアルで光学系の図面を公表するケースも多い「レンズ」の場合、双方を見比べれば一目瞭然ですからある種「公然の秘密」と言えなくもない場面もあります。少し前の話(と言ってもフイルム時代)になりますが、Leica社の一眼レフRシリーズ用の交換レンズとして発売された Vario-Elmar (バリオエルマー)R 28-70 mm F 3.5-4.5 が、日本のSIGMA製 UC ZOOM 28-70mm F3.5-4.5 のOEMなのではないかと言う噂にカメラファンはざわめきました。それもそのはず、定価20万円弱のLeica高級レンズの中身が、高校生のお年玉でも買えた我らがSIGMAのズームレンズ( 0 が一個消える程度のお値段)だと言うのですから。当時の月間カメラ雑誌にも比較の検証記事が載ったほどで、それによると両者の描写傾向は非常に似通ったものでありつつ、Vario-Elmarの方が、解像度や画面平坦性、収差の小ささなどの点で、より優秀な成績を示したという結論を出していたと記憶しています。勿論これはブランドへの過剰な忖度などではなく、使用する鏡筒の部材や品質、組み立て方法や精度にしっかりとコストをかける事によって、OEM元の設計技術の確かさが証明された事実を意味します。現在のSIGMAの礎を改めて確認できたとも言えるでしょうか。できることなら、過去に同レンズを「バリオシグマー」などと囃し立てていた自分に「黙ってSIGMAの株を買っておけ」と伝言する為のタイムスリップをしたいものだと心底思う今日この頃なのです。

 さて、なぜOEMについてスペースを割いたのかと言いますと、それはフルサイズSONY-Eマウント用の中望遠マクロレンズが 90mmという焦点距離でリリースされているからなのです。ご承知の通り、SONYのカメラ事業の源泉はMINOLTA。デジタル一眼レフのαシリーズをリリースするにあたり、当初MINOLTA ( Konika-MINOLTA ) 時代のレンズ資産の多くを引き継ぎました。当然ながらフイルム時代その性能に高い評価を与えられた100mmのマクロレンズも、型番 SAL100M28として継承されています。ミラーレス一眼αの時代へと移り行く中で、それらレンズ群はミラーレス専用設計の新レンズへと置き換えられることになりますが、中望遠マクロとして SAL100M28 を置き換えたのは SEL90M28 。すなわち90mmへと焦点距離が変更されたのです。察しの良い諸兄であればピンときたかもしれませんが、この新しい90mmのマクロレンズはひょっとしてTAMRON SP 90mm F 2.8 マクロ(通称タムQ)のOEMではないか?と想像が働いたのです。TAMRONと言えばSIGMAと人気を分かつ老舗交換レンズメーカー。とりわけ90mmのマクロレンズは、フイルム時代からリファインを続け人気を集める同社の看板レンズですし、SONYはTAMRONの大株主でもあるという資本の繋がりもあるので、これはもう文春ばりの特ダネを掴んだ気にもなりましたとさ。まぁ、その得意気分は両社のホームページ上に公開された各々のレンズ構成図によって一瞬で木端微塵になったのですが・・・・。ちなみに本レンズの登場から遅れて、2024年にTAMRONからもミラーレス専用設計のタムQ(Model F072)が発売され、再び「これは!!!」と思わされたのですが、やっぱり違う光学系というオチ。

 こうして、SEL90M28出生の秘密はゾーン0漆黒の闇へと葬られた訳ですが、操作性の非常に良い幅広のピントリングと効果の高いレンズ内手振れ補正の搭載を果たした本レンズは、目下愛用中のMINOLTA 100mm マクロが座る椅子を虎視眈々と狙っているのかもしれないのです。(我家の洗濯機さえ壊れなければ・・・・・・)

 

 

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前後のボケの様子が分かるような被写体を選択。やはりマクロレンズはボケが硬いというのは、すっかり過去の常識になりました。前後均質で柔らかなボケ像は良い塩梅で合焦部を引き立て、金属部材の質感、合焦部の先鋭度も文句の付けようがありません。

  

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円形絞りを採用していますので、少し絞った辺りでも玉ボケが多角形になってしまうのが抑制されています。細かなおしべをキッチリと解像し花びらと葉の質感も見事に描き分けた上で、ボケ像の柔らかさも加わる隙の無い描写。世代交代を余儀なくされたMINOLTAの100mmもこれなら後輩に喜んで道を開けた事でしょう。

 

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この画角(マクロの90mm)は、最近ではマイクロ4/3用の45mmを使用する事が多かったので、被写界深度が浅くて油断しました。ピントを送りながら数カット撮影しましたが、フォーカス位置によって得られる映像がかなり変化する為、奥行きのある被写体の場合はどこに合焦させるか慎重に考えないといけません。フルサイズの撮影は、やはり難しいと実感。質感・立体感ともに美しく、SLならではの機能美をしっかり映像化してくれます。

 

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倉庫内に雑然と並べられた機械部品を俯瞰撮影。驚いたことに、オリジナル画像では部品の下に敷かれた新聞紙の文字を読み取る事が出来るほどに解像されています。6000万画素とそれを生かし切るレンズの性能に再度驚かされました。

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大胆に前ボケを入れました。悪目立ちしやすい小枝ですが嫌な二線ボケにならないところは、さすが「G」レンズと言ったところでしょう。難しい光線状況ですが、すっきりと透明感のある描写です。

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日陰に入るとカメラは少々不安になるシャッタースピードを表示してきます。こんな時は手振れ補正が本当に助かります。フイルム時代は現像後に三脚使用をためらった自分を呪ったりすることもありましたが、手振れ補正+現地での映像確認によって救われたカットが随分と増えました。そういった面でのストレスはデジタルカメラになってかなり軽減されたと実感しています。

 

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フードの内面に反射した斜光が悪さをしたのか、画面上部がちょっとハレっぽい感じになりました。大型のしっかりとしたフードが付属しますが、状況確認を怠った撮影者の非ですね。ハイコントラスト下の硬質被写体ですが、キレキレのガチガチにならないのは意外です。退役した老齢車両への労りさえも感じるような優しい描写です。ポートレート撮影でも「タムQ」の良き好敵手となるでしょう。
 
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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