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Carl Zeiss Distagon 18mm f3.5 ZF.2

 

 18mmという焦点距離、分類からすれば「超広角レンズ」という事になるのでしょうが、フイルム時代に感じていた「特殊なレンズ」という印象は随分と薄れてしまった感があります。昨今のいわゆる大三元レンズでは、さらに広角となる15mmや16mmを採用するレンズも多いですし、加えて20mmをワイド端とする標準ズームなども登場し始めていますから、それも当然の事なのでしょう。カメラ機能をウリにするスマートフォンなどでは、18mm以上の広い画角を得られるレンズを搭載したモデルも登場しており、SNS等の普及でそれらによって撮影された画像に触れる機会も爆発的に増えた事で、以前は独特と感じていたその「超広角の写り」が日常的なモノに変わってきたという側面もあるのかもしれません。

 そんなかつての特殊レンズ18mmですが、YASICA/CONTAX時代のDistagon18mm f4が付き合いの始りです。比較的高額なレンズが多いコンタックス製品中で例外的に安価だったのが入手のきっかけですが、独特な青空の発色や、丁寧に補正された歪曲収差、どことなく優しさを帯びた描写が気に入り、同Distagon21mm f2.8を入手するまで相棒を務めてもらいました。小型軽量ゆえ持ち歩きの負担が少ないという美点もありましたが、ねじ込み式のフィルターが利用できない(専用のリング併用で86mm径のフィルターを利用)事や、一眼レフのマット面でのピント合わせに苦労するといった難点を、上記21mmが纏めてカバーしてしまったため、任を解かれたという経緯を持っています。

 さて、そんなDistagon18mmを直系の先祖に持つ本レンズ。手元の資料によりますと、CPU内蔵(ニコン曰くのPタイプ)のZF.2仕様として発売されたのが2010年です。フイルム時代からの光学系を踏襲するレンズもあるコシナ製Zeissですが、本レンズは明るさを僅かに明るいf3.5とした新設計レンズとなります。美点であった小型軽量な躯体を引き継ぎつつも、82mmのねじ込みフィルターの採用、高い効果が見込める花形レンズフード同梱など時代に即したアップデートモデルとなっています。昨今のレンズ群からすれば少々長めの30cmという最短撮影距離もしっかりと?引き継いでいますが、デジタルカメラでの利用も視野に入れた新設計ですので、その描写に期待は高まります。6100万画素という「超」が付く高画素機α7RⅣを使用しての試写でしたので、期待を裏切る残念な粗探しになってしまうのか?との疑念も抱きましたが、全くの杞憂でした。18mmという焦点距離こそ珍しくはなくなりましたが、Zeissレンズが放つ魅力にはやはり一点の曇りもないことを再確認する初夏の一日となりました。すでに後継Milvus18mm f2.8へとそのバトンを渡していますが、工芸品とも言える美しい金属鏡筒を纏った本レンズ、程度の良い中古品を見つけたら是非とも入手したいものです。

 

 

Dsc00040

歪曲収差がとても良く補正されているので、超広角の特徴でもある遠近感を強調するフレーミングが気持ち良く決まります。パンフォーカスを意識してf8程度に絞った映像ですが、手前の金属椅子の座面から背景の植物まで妥協無く解像しています。レンガ・材木・金属というマテリアルそれぞれがもつ質感も非常に丁寧に描かれているのは脅威とすら感じます。

  

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薄曇りのシチュエーションでしたが、少し渋めの発色が被写体にマッチしてくれました。癖の出る映像を期待して、近距離の被写体を解放絞りで撮影しましたが良い意味で裏切られました。遠景の光点がボケた部分には少々の癖を感じますが、正直ここまで無難な写りをしてしまうとは想定外。

 

Dsc00043

散水用の背の低い水道蛇口をローアングルで撮影。ハイライトが飛びすぎないようややマイナス側に補正をかけました。結果シャドー部の豊かな階調が絶妙な空気感を生み、蛇口の金属光沢を引き立ててくれました。よく見ればボケ像に少し硬い印象を受けますが、画面全体をうるさく感じさせる程では無いようです。

 

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意地の悪い被写体を選んでも、欠点と感じるような大きな歪曲収差は感じられません。カメラメーカー製のレンズではないので、焦点距離を考えればデジタル補正を前提とせずに光学設計のみでこの補正状況には驚嘆。Zeiss伝統の18mmはコシナ製造の新設計になっても確かにそのDNAを引き継いでいるのでしょう。

 

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白い花弁の階調を残したかったので、大胆にアンダーに振った露出。シャドーが粘ってくれたので、曇天の重い空気感をうまく醸してくれました。リヤカーのタイヤの溝や床板の木目、一枚一枚丁寧に記録された花弁、一瞬を切り取った写真でありながら時間をかけて描いた細密画のようにも見えてくるから不思議です。


Dsc00102

言うなれば本物よりもリアルに感じてしまう樹木の描写。モニターで拡大して思わずため息交じりに唸りを漏らした一枚となりました。正確な統計ではありませんが、これまで「Zeiss」の刻印を持ったレンズは、撮影時の想定を超えた映像に出会える機会を多く与えてくれた気がするのです。

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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