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ASAHI PENTAX Super-Multi-Coated TAKUMAR 28mm f3.5

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 光がガラスを透過する際、その境界では約4%の光が透過せずに反射します。一見して透明なガラスであっても我々がその存在を視認できるのは、ガラスそのものではなくその境界面の反射を見ることができるからなのでしょう。写真用レンズのガラス素材も例外とはならず、一枚のガラスには表裏2つの境界面がありますから、一枚のレンズを光が透過する際には約8%が反射によって失われる計算になります。写真用レンズの場合には数枚から場合によっては20枚以上ものガラス製レンズが使われていますから、この反射による損失は決して無視できない問題となります。光量自体の損失もさることながら、レンズ内部で反射した光はさらに鏡筒内で乱反射をし、映像のコントラストを下げたり、映像上にゴーストやフレアを発生させる原因ともなるため対策は必須となります。

 そして、開発されたのがレンズコーティングという技術です。レンズ表面に様々な物質を様々な方法で定着させた膜を作るることで境界面の反射をコントロールする技術となる訳ですが、カメラ・レンズメーカーは自社のコーティング技術を誇る為、製品名やスペック表記に独自の呼称を加える事も少なくありません。国内メーカではキヤノンのS.S.C.、富士フイルムのEBCなどの表記をいわゆるオールドレンズでも良く見かけますし、ローライのHFTやZeissのT*(ティー・スター)等、欧州のメーカー製品にも独特の呼称が存在します。「N」マークの金バッチで有名なナノクリスタルコーティングはニコンが半導体露光装置へも採用したた最新のコーティング技術を示します。この事からもコーティングがいかに重要な技術であるかはお分かりいただけるでしょう。そしてレンズコーティングを語る上で、頭文字をとって通称SMCと呼ばれるSuper-Multi-Coatedを採用したASAHI PENTAX(現リコー)のレンズは避けては通れない話題なのではないでしょうか。

 M42規格のスクリューマウントを採用し、高性能・堅牢でありつつも比較的低廉な価格で日本製一眼レフカメラの世界進出の立役者となった、ベストセラー機SPに代表される一連のPENTAXカメラシステムには「Auto-Takumar」「Super-Takumar」レンズ群が用意されました。そしてそれらは、後継機に搭載された開放測光に対応させるための機構を搭載した「Super-Multi-Coated TAKUMAR」シリーズへと進化を果たします。採用されたコーティング技術が その名が示す通りの7層にも及ぶ多層膜コーティング(マルチコーティング)だった訳ですが、社史を紐解くと世界初の多層膜レンズコーティングとある「SMC」は、それまで主流だった一層コーティング(モノ・コーティング)のレンズに比べ優れた反射防止効果を持ち、画像先鋭度と逆光耐性の著しい向上をもたらしたとあります。今日では様々な光学製品で当たり前となったマルチコーティングですが、その歴史は「Super-Multi-Coated Takumar」に端を発すると言えるのでしょう。この「SMC」はレンズマウントがバヨネット方式となったKマウントのレンズにも引き継がれ、無論同社が展開する6x7判や6x4.5判の中判カメラの交換レンズにも採用。デジタルカメラ用レンズに最新のHDコーティングが採用されるまで同社製レンズの基幹技術として受け継がれました。面白いことに昨今の「オールドレンズ」ブームを受けて発売されたと思われる最新の50mmレンズには、HDコーティングを施したモダンタイプと、Classicの名を冠し「SMC」が施された2種類がラインナップされ、メーカー自らによってその違いを楽しめる仕掛けが用意されています。

 さて、そんな歴史あるM42マウントの「Super-Multi-Coated Takumar」ですが、爆発的に普及した結果、中古市場では非常に良く見かける存在でもあります。特に広角28mm・標準50mm・望遠135mmの3種は当時の鉄板アイテムでしたからなおさらです。ところが、製造から時間が経っていることや、コレクション品として扱われる事の少ない普及価格帯の製品であったあった為なのでしょう、「極上の個体」は案外珍しかったりもするのです。

 先日私が出会った、この個体は、光学系にカビや曇りの発生が無く、チリの混入もごく僅か。整備等の工具による作業痕も見受けられませんので、出荷直後の状態を高いレベルで保持していたように想像できます。無論、絞りの作動やヘリコイドのグリスの状態も良好で、奇跡的という表現も的確なほどに美しい個体でした。結果、勤務先に入庫した際、「何処かでぞんざいに扱われる前に・・・・」と妙な里親病?が突如発症してしまい入手となった訳ですが、設計当初は想定すらされていなかったであろう、フルサイズ6100万画素機という高解像度デジタルカメラでの試写、結果は以下の作例からとくとご覧くださいませ。クラシカルな描写がもてはやされる昨今では、エモい?ゴーストが発生しやすい単層コーティング時代のSuper Takumarの方が人気が有ったりもしますが、いずれも多くのカメラマンの手で時代を記録してきた伝統の28mmです。一本くらいは手元においても損はないのかもしれません。

 

  

 

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Super Takumarの50mmでも感じたのですが、想像以上に上質な写りをしてくれます。開放f値は時代を感じさせる3.5と控えめで、このクラスの広角レンズは光学ファインダーでは少々ピント合わせに支障を感じた記憶もありますが、ミラーレス一眼の明るいEVFと、拡大表示機能をという利点を生かしてストレスなくピント合わせに没頭できます。絞り開放では周辺に像の流れによる解像度の低下がありますが、中心部の解像度は十分ですし、周辺減光も想像していたよりも発生しませんでした。

 

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曇天とは言えそこそこの逆光状態ですが、SMCの面目躍如、ゴーストの発生は見られずすっきりとした画面を作ってくれます。現代のレンズと比べると全体のコントラストは控え目。少々重苦しい感じに写ったのですが被写体とのマッチングで、むしろ好印象です。直線基調の被写体ですが、歪曲収差もそこそこ控えめで広角らしいパースを生かした絵作りができました。f8まで絞り込んでも周辺の流れは若干残るようです。

 

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SMCの実力を探るべく、トンネル内で照明用の蛍光灯を撮影します。実は盛大なゴースト発生を想像していたのですが、完全に肩透かし。SMCマルチコーティングの威力を改めて思い知らされました。発売当時の人々には衝撃的なほどの逆光性能向上だったのではないかと思います。発売年代を考えてみますと本レンズは私よりも先輩にあたるので、この実力テストまがいな撮影に、随分無礼な扱いをしてしまったと少々反省。

 

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個体差もあるのかもしれませんが、曇天の影響もあって発色はやや青みがかった冷調になりました。結果として画面のポイントでもある橋の赤色が強調され良い感じになったのでJPEG撮って出しのままで。ホワイトバランスをオート設定にしてしまえばもっと無難な色調になったのかもしれませんが、ここは結果オーライという事で。

 

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しつこくも逆光性能を確かめたくて、意地悪く真夏の太陽を画面にいれてみました。単焦点レンズの威力でしょうか、構成枚数の少なさも手伝ってゴーストやフレアの類いは最小限と言って良いかと思います。fは11まで絞ると周辺の像の流れもかなり緩和されます。50年前のレトロフォーカス広角レンズだということを考えればこの描写に「優秀」以外の言葉は見あたりません。絞り羽根5枚に由来する10本の光条が発生し、結果太陽のギラギラ感を良く出してくれました。

 

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現代のレンズからすれば40cmという最短撮影距離は少々物足りない感じがするでしょうか。癖を確認する為あえて解放絞りで挑みましたが、アウトフォーカス部の描写も悪くありません。ボケ像にはやや硬さを感じますが、大きな崩れもなく思いのほか自然な描写に改めてレンズの実力を思い知りました。合焦させた電球のフィラメント部も良く解像しています。

 

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エッジの効いた被写体の周辺部では若干の色づきを感じますが、後処理で対応可能なレベルでしょう。ボケ像の大きな乱れや、解像感の物足りなさ、派手なゴースト・フレア等々を「味」としてオールドレンズを珍重する写真表現を否定するつもりはありませんが、それらを克服する為に設計者が心血を注いだ歴史の重みにもしっかりと目を向けたいものです。ちなみにいわゆるオールドレンズらしさを望むのであれば、SMCが採用される前の「Super Takumar」の方がお勧めになるのでしょう。

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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