Leica Summicron M 35mm f2 ASPH Part 2

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M4ブラッククローム装着例(Bodyはもちろん私物ではありません。シリアル部分は画像加工しております)

製造年と私の誕生年が近い為、20数年前には購入を考えたこともあるM4ブラッククローム。当時に比べて大幅に価格が高騰してしまい、もはや宝くじで高額当選でもしない限りとても買えないシロモノになってしまいました。同じブラックでも市場では塗装モデル(いわゆるブラックペイント)の方が人気もあり高価ですが、個人的には渋めのブラッククロームが好きなんですよねー。

 

 欲を言えば、一度使用(試用?)したレンズ、特にその描写性能に代えがたい何かを見いだせたなら尚更の事、そのレンズを手放さずに生涯手元に置いておきたいものだと常々考えています。しかしながら、実際その野望を可能にするような収入や貯蓄等々は微塵もございませんので、新な機材を購入するにあたっては、結果的に持ち出し優先度の下がったレンズを売却するのがいつもの流れになっています。

 と言いましても、たとえ使用頻度が下がり、なおかつ換金性が非常に高かったとしても容易に手放せないレンズ、そういった物も中には存在しています。私にとってのそれが、この「Summicron M 35/2 ASPH」なのです。本レンズは、20世紀末に新品で入手し、M6のボディーと共に当時スナップやポートレート撮影などに持ち出していましたが、M型ライカのボディーを手放して以降、メイン機材のデジタル化などもあって、近年では防湿庫でダンマリを決め込む事が増えておりました。勿論、マイクロ4/3フォーマットカメラを導入する動機の一つでもあった、マウントアダプターを介しての撮影も行ってはいましたが、本来広角レンズである35mmが、4/3フォーマットでは70mm相当の画角という馴染みのない中望遠になってしまう事や、画面中心の良像域のみがトリミングされてしまうために、映像にこれといった面白みがなくなかなか持ち出す頻度の上昇には繋がりませんでした。

 さて、35mmサイズでのフルサイズミラーレス一眼、SONYのα7初代が2013年に登場し、一眼「レフ」では物理的に不可能だった、M(L)型ライカ用のレンズがデジタルカメラでも活用できるようになった事で、俄かに人気が出始めたマウントアダプターを併用しての撮影が、一気にブームとなりました。猫も杓子もといった感じで、国内外多数のメーカーがマウントアダプター事業に参入をしましたが、最近になっても都内デパートなどで行われる中古カメラの催事で目にするお客様の「α」の殆どに純正AFレンズではなく、マウントアダプターを介した他社のレンズが装着されている事からも、それはもう一過性のブームではなく、撮影スタイルの一つとして定着したと言う事なのでしょう。しかし一方で、何故フルサイズ「α」+マウントアダプターによる撮影がこれほどまでに人気を博したのか?そんな疑問も実は頭の隅に残ってはいたのですが、偶然入手(入荷)したジャンク「α7Ⅲ」(一部機能を無視すれば一応撮影は可能)によって、じわじわと腑に落ちる感覚を覚えました。

 EVFとは言えファインダー越しに実際のレンズの描写を確認しながら撮影するという、一眼レフでは当たり前なのにM型ライカでは不可能だったこの作業を行えることが、実は新鮮かつ衝撃となり、次第に私を虜にして行きました。M6時代にもとりわけ不便さを感じていた訳ではないのですが、レンズのヘリコイドや絞り操作に伴って変化する画像のピント位置、ボケ量を吟味しながらMマウントのレンズで撮影できる事に撮影作業の楽しさを再確認し、発売から10年を数えようとする「α7」を、何故もっと早く入手しなかったのか、過去の自分に文句を言いたい気分にもなったのです。(ホントは購入資金が無かっただけですが)加えて「α+Summicron」が紡ぐ「絵」が想像をはるかに超えて「上質」だった点も無視できません。Summicron M 35/2 ASPHは、かつてフイルムが全盛だった頃、ライカ社が非球面レンズを導入し物理的な性能向上を果たししつつも、かえって「没個性的」とされ、肥大化した外観・重量も含め巷では歓迎されない節もありました。ですが僅かのマイナーチェンジを経てほぼそのままの光学系で販売が続けられている事からも、当時から相当なポテンシャルを持っていたことが、2000万画素を大きく超えるセンサーを搭載するデジタルカメラの登場によって明確に証明されたとも言えるのかもしれません。

 ちなみに、本レンズが簡単には手放せない理由なのですが、これが「結納の返礼品」だからなのです。本レンズを手放す時があるとすれば、それは「私自身」が「不要」になった時なのでしょう。願わくは、このレンズが永遠に手元に残りますように・・・。

 

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α7系は、どういう訳か最近まで1:1のアスペクト比での撮影ができませんでしたが、当然ここはフイルム時代に想いを馳せ3:2の比率で撮影。比較的設計は新しいレンズですので、解放から中心部の解像度に不安は一切ありません。フルサイズセンサーの余裕もあってか、画面全体の諧調表現・コントラストも美しくメリハリのある映像となりました。周辺に向かって徐々に解像度が落ちて行きますが、画像が乱れるイメージではなく「ボケ」に近い緩やかな画質低下を見せます。この辺りが画面全体から感じる独特のリアリティーを生み出しているのかと感じています。

 

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初代8枚玉からSummicron35mmのボケ味は「やや硬め」で特に後ろ側で周辺にエッジを感じるボケ像となるのが「伝統?」です。ASPHになってからの世代も、二線化を感じる後ボケとなりますが、あまり「煩わしいボケ」に感じないのが不思議なところ。高額商品への忖度?などと勘ぐったりもしますが、このボケ像が写真ならではの巧みな空気感を生み出しているに違いないのです。雨上がりの少し冷たく湿った空気の感じが映像から見事に伝わってきます。

 

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さすがは単焦点レンズ、デジタル補正の恩恵は受けられませんが歪曲収差はほとんど実感できません。非球面化される前のモデルではやや樽型の収差を感じた記憶もありますが、本レンズではそれを感じる事はありません。木材、金属ボルト、水草、それぞれの質感がとても良い感じです。

 

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空気の澄んだ秋晴れのドピーカン。ハイライトとディープシャドーにどれほどの輝度差があるのでしょう。崩れ落ちた廃墟の天井からの木漏れ日を基準に、大胆にアンダー側に振った露出。センサーの懐の広さが試されるような状況でもありますが、豊富なシャドーの諧調は見事の一言。多諧調モノクロ印画紙では0~1号紙あたりを容赦なくチョイスしそうなシチュエーションです。

 

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M型ライカ用のレンズは距離計連動の制約から最短撮影距離はあまり短くありません。本レンズのスペックは70cm(一眼レフ用の35mmレンズだと40cm前後が一般的)となりますが、それはあくまで機械的な限界の話。ヘリコイド搭載のアダプターを利用すれば簡単に接写も可能となります。前後のボケ像が乱れたり全体の解像感が落ちる様子もなく、合焦部のシャプーネスも健在ですから簡単なマクロ撮影も十分に対応できます。 

 

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シャドーの描写がお気に入りとなったので、容赦なくマイナス補正方向にダイヤルを回してしまいます。クリスマスを控え、ムードを高める装飾を施した土産物店のウインドーをスナップ。異なる素材の質感や、人形のリアリティー、ガラス越しの店内の空気感などを高精細に記録します。画素ピッチが狭い高画素機=ノイジーというのはやはり過去の話なのでしょう。センサー性能の向上には目を見張るものがあります。

 

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一枚くらいはカラーも入れないと・・・・。しかし、カラーでも必要以上にローキーにしてしまう悪癖が発症してしまいました。ハイライト基準で露出を決定しても、決して潰れてしまう事がないのでこれくらいが「丁度良い」のかなぁ。と・・・。 

 


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夕刻、日没前ですが露出を切り詰めて深夜を思わせる描写に。宮沢賢治の童話「月夜のでんしんばしら」を思い出す一枚となりました。

 

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ライフワークとなりつつある植物の記録。これまではスクエアフォーマットを多用していましたが、「長方形」もいいものですね。開放ではご覧の通り周辺減光を感じる描写となりますが、ここを安易に補正してしまうのはやはり勿体無いですよね。

 

 

写真展のおしらせ

Top2022

 恒例となりました?東和銀行様本店ロビーでの写真展、急遽本年も開催の運びとなりました。今年は「hana*chrome」と題し「花」をテーマにしたスピンオフ的なチョイスです。平日銀行営業時間のみ、在廊もいたしませんが、お近くへお越しの機会などございましたら覗いていただけると嬉しいです。

2022年12月9日追記

 今回も無事に会期を終える事が出来ました。コロナ再拡大の懸念がある中にも関わらずご来場いただきました皆様、また何かのご縁で私の展示に足を留めて下さった皆様、本当にありがとうございました。会場で展示いたしました12点、本日よりWEB上にて公開させていただきました。右下蘭のギャラリーへお進みいただければ幸いです。

ZOMZ(ザゴルスク光学機械工場製) ORION-15 28mm f6 (L39)

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 オールドレンズという言葉が耳に馴染んでからそれなりに時間が経ちましたが、デジタルカメラが一般化するより前に「旧ソビエト連邦や東独製レンズ」のブームが起こっていたと記憶しています。中心となったのはバルナックライカのマウントであるL39のスクリューマウントレンズ群で、バルナックライカを模倣したいわゆる「フェイク・ライカ」「コピー・ライカ」などのボディーと共に一部で人気を集めました。ライカ純正のレンズに比べて非常に安価に手に入れる事が出来た事も人気の一因ではありますが、それらはライカやZeissの光学設計をコピーした物も多く、その性能が価格以上に魅力的だった事が挙げられます。加えて、製造から長い期間が経っていたことや、素材・工作精度のバラつきが多い事なども重なって、とても「個性的」な描写をする製品や個体も多く、これが現代へと続く「オールドレンズ信仰」の発端のようなムーブメントになっていったのではないかとも想像しています。

 さて、曲率の大きなメニスカス凸レンズ2枚を対象に配置し、画面平坦性の良さと歪曲の少なさから超広角レンズの元祖ともされたHypergon(ハイぺルゴン・ハイパーゴン・ヒパーゴン)は、極端な周辺減光特性がある為に、それを緩和するために露光中に回転させる「かざぐるま」をレンズ前面に配置したとてもユニークなレンズでした。そしてこのHypergonの凸レンズの内側に、やはり対称型にメニスカス凹レンズを配置し周辺減光を始めとした多くの欠点を解決すべくZeissによって製品化されたのが4群4枚対称構成のトポゴンとなります。ライカ判用としては、オリジナルのトポゴンの他ニコンやキヤノンでも25mmの広角レンズで採用(バックフォーカスが短いので、いずれもレンジファインダー用)されているものが有名ですが、本レンズ、ORION-15も焦点距離こそ28mmではありますが、立派なトポゴンタイプの広角レンズとなります。

 「コピー」という言葉にはどことなく「違法コピー」というニュアンスが含まれている事もあってか、ORION-15=トポゴン-コピーなどと聞くと「あの」ウルトラマンや、「あの」ガンダムや、「あの」クレヨンしんちゃんなどを思い出してしまうのですが、ドイツ・ワイマール共和国時代の技術支援の賜との事ですので、立派なトポゴン-ファミリーとして安心して?レビューを進めたいと思います。

 やはり、最初に驚いたのは中心部のシャープネスの高さです。撮影に試用したのがSONY製のα7 IIIと2,400万画素を超えるセンサー機種ですので、モニター上で悪戯に拡大を繰り返すとセンサーの解像度の方がレンズの解像度を超えているのはハッキリと分かるのですが、実際の映像から感じられるシャープネスには全く不満を覚えません。ライカ判のフイルムはデジタルで言う1,000万画素相当であるという話を鵜呑みにするのであれば、至極妥当なところでしょう。最新のデジタル対応レンズは、超1億画素をも想定した解像度で設計されているものもあり、そういった解像度の高いレンズを通した画像を見慣れていると、そればかりに注意が向いてしまいがちですが、映像から感じられるシャープ感はどうやら解像度のみによって決定される訳では無いのだろうと、改めて認識した次第です。

 改良Hypergonのトポゴンタイプといっても、やはり解放絞りでは周辺減光が発生します。ですが、裏面照射型のセンサーを採用した7 IIIでは、初期のフルサイズデジタルで感じられた極端な周辺減光や大きな画像の乱れを感じる事は無く、むしろ適度に残存するそれらによって、非常に印象的な映像を提供してくれます。本レンズを覗くと、実際の口径から少し(1.5絞り程?)絞られた状態が「解放絞り」であるf6になっている(参考:表題部の画像)事に気付きますが、これは残存収差と実際の画像のバランスを考えての設計なのかと合点がいきます。絞り込めば周辺の画質は徐々に改善し、深まる被写界深度も手伝ってとても端正な画像を形成します。しかし、実際のピント位置と被写界深度から感じるソレは、大きく違う事をMFアシストの拡大表示が示していますので、ピント調整にはしっかりと神経を使いたいものです。試写した日は日中雲に覆われる事が多く、低コントラストな状況で撮影するタイミングが多かったのですが、渋く優しめの発色や諧調の繋がりの良さなどは、本レンズの素性の良さが多分に影響しているに違いありません。古いレンズではありますが、構成枚数の少なさと非常に奥まった前玉位置によって、適度にハレ切りを行ってあげれば、逆光気味でも実用可能です。40.5mmと汎用性の高いフィルター径を採用していますが、フィルターを装着してしまうと絞りの操作が出来なくなる仕様の為に注意が必要です。もっとも解放の描写が非常に魅力的ですので、あえて絞りはf6に固定してフィルターやフードの装着してしまうのもストイックで良いかもしれません。

 日常の撮影はマイクロ4/3機を愛用しており、多数のレンズを撮影に持ち込むスタイルの自分としては、携行物を肥大化させるフルサイズ機にはやや否定的な感情も持ち合わせておりますが、ORION-15をクロップ無しで使用したいと考えると、ミラーレスボディーの一台でもあった方が良いのかなぁ、と本気で考えだしてしまいました。とても悲しいことですが、執筆時点(2022年9月)でORION-15の故郷は戦争状態にあります。ロシアから届いたこの素敵なレンズを心の底から喜んで扱える日が、どうか1日も早く訪れますよう願わずにいられません。

 

 

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本レンズの魅力が詰まった解放描写。対照型の利点である「歪曲収差の少なさ」や、中心部のシャープネスも見事の一言。戦前設計の広角レンズとは俄かには信じられません。そして周辺に向かって徐々に落ちてゆく光量と解像感が独特のリアリティーを感じさせます。人間の視界は本来は楕円形である事を考えると、周辺まで完璧に写し込んでしまう現代の映像の方がある種の虚構なのかもしれません。標準設定のままのJPEG撮って出しですが、コンクリート柱のハイライト部の立ち上がりを見るに、単なる眠い描写のオールドレンズではないことが分かります。

 

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曇天の日陰ですからもともとコントラストは低い状況です。しかしながら、この優しい発色とトーン再現の素晴らしさはどうでしょう。4枚という少ない構成枚数と経年劣化の原因となる貼り合わせ面の無い構成のお蔭でしょうか、精密な水彩画を思い起こさせる描写がとても印象的です。

 

Dsc00022 長い期間製造されたレンズですので、太平洋戦争末期の遺構でもあるこのホッパー跡と同時期に生産された個体もあるのでしょう。大胆にアンダー側に露出を振っていますがシャドーの諧調が豊富なようで、ハイライト側にトーンが出始めるまで切り詰めてもしっかりと暗部が描かれます。

 

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無常観なんて大げさに言うつもりもないのですが、古いもの、朽ちて行くものには、どういう訳か自然とレンズを向けてしまいがちです。現代のレンズは複雑な電子制御機構などが多く搭載されている為、流行りの「持続可能」という視点で見ればとても脆弱な存在と言えます。構造的に単純なスクリューマウントのオールドレンズは、逆説的には流行の先端を行っているのかもしれません。

 

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カメラ内蔵の基本設定でモノクロ化をしていますが、ブリーチバイパス処理をしたかのようなメタリックな質感となりました。こういったモノクロ画像を見ていると、ふたたび暗室に籠りたくなる衝動にかられますが、減少を続ける感材・薬品の種類と、反して高騰して行く価格に心を折られます。本当に銀塩写真のハードルが上がってしまったんですね。

 

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絞り開放の描写が面白くて、ほぼ撮影中絞りを動かす事を忘れていました。シャドーの諧調が豊富なのは、こういったローキー表現には最高の相棒になります。

 

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日中空を覆っていた雲が夕刻にまばらになってきました。思い切って空にカメラを向けましたが、思いのほか逆光耐性も高く安心しました。実際の風景はこれほどドラマチックな印象ではなかったのですが、ファインダーを覗くと写欲がみるみる湧いてきます。しかし、個人的にこれほどまで露出補正ダイヤルのマイナス側ばかりを使う撮影も珍しいものです。

 

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なんと言う事もない石畳の歩道ですが、ORION-15の魔法にかかればこの通り。非常に思わせぶりな映像を作ってくれます。映像もさることながら撮影者にも魔法がかかってしまう様で、ライブラリのORION-15フォルダがみるみる肥大化して行きます。

 

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ここ最近は1:1や4:3のアスペクト比を多用しているので、しばらくぶりに3:2(35㎜フルサイズ)で撮影すると、その長辺の長さにちょっと戸惑っています。学生時代はこのアスペクト比の画像を8x10(写真六つ切り)にノートリミングでプリントして提出していたのが、なんだか懐かしいです。この位の逆光では、特に気を使わなくても大丈夫そうですね。

 

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設計はカラー写真以前のレンズですが、カラーバランスの偏りは感じません。ホワイトバランスはオートを切ってありますが、少しブルー寄りな日陰の描写も自然です。どことなくコダクロームでの撮影結果を思い出す仕上がりが懐かしさを助長しますね。僅か映像に「銀」を感じるのはレンズの味なのか、映像エンジンの妙なのか、判断にはもう少し時間が必要ですね。

 

LEICA DG SUMMILUX 9mm / F1.7 ASPH.

 レンズは、標準画角(マイクロ4/3では25mm前後の焦点距離)の製品に最も明るい解放f値を与えられて設計されるのが一般的です。そして、近年ではf1.0やf0.95といった、非常に明るい標準レンズのスペックも、フイルム時代に比べれば珍しくは無くなっている印象が強いでしょう。望遠レンズであれば、焦点距離と有効口径、伴う重量や設定売価の関係もあり、フルサイズ画角の300~400mm近辺ではf2.8、800mmともなればf5.6辺りが実用的な最も明るいレンズとなりましょう。また、解放f値は描写性能を左右する光学的な収差にも影響(闇雲に明るくすると描写が悪化)しますので、超広角レンズやズームレンズなどではf2.8クラスが長い間定番化していました。しかし近年では素材研究や設計・加工技術の進歩に加え、デジタルによる画像補正の恩恵を受ける事が出来る為に、これまで想像もできないほどに明るい超広角レンズやズームレンズを目にする事も多くなりました。

 Panasonicが2022年に突如リリースした本レンズも、9mm(フルサイズ換算18mm画角)という超広角レンズでありながらも、Summilux名を与えられた解放f値1.7を誇るハイスピードレンズに仕上がっています。Panasonicでは近似焦点距離に7-1mm/f4や8-18mm/f2.8-4といった描写力に優れた超広角ズームレンズがすでにラインナップされておりますので、このタイミングにあえてLeica-DGブランド単焦点レンズを投入した姿勢に、「Micro4/3」を切り捨てていないという明確な意思表示を感じたのは私だけではないと思います。

 さて、そんな意思があったのかなかったのかは想像の域を脱しませんので、このレンズの存在価値について少々掘り下げてみましょう。何を隠そう、登場時一番驚いたのは実はその価格。スペックとLeica-DGネームから勝手に15万円コースを想像していたのですが、なんと税別6万円を切るという超が付くお買い得。これならサラリーマンのポケットマネー(全財産)で何とかなりそうな予感。フイルム時代に愛用していたCONTAXの18mm/f4は、この明るさ(暗さ)でも確か10万円以上の定価だった筈なので、良い時代になったものだとしみじみと実感しております。レンズ内手振れ補正の未搭載や、DGレンズのトレードマーク「絞り環」の不在等、コストダウンの影も見え隠れしますが、ブレに神経質になる必要性が低い超広角レンズですし、私の様に「絞り環」の誤作動を嫌うユーザーからすればむしろ英断かと。すでに8-18㎜を所有する身ではありましたが、1.7の解放f値と標榜するハーフマクロに期待を寄せて、近年では珍しく発売日に入手してしまった次第です。

 少し前では想像もできなかったスペック(価格含め)のレンズですが、その性能はさすがにLeica名を与えられただけあって隙が無く、解放から全画面に渡り非常に解像感が高く、深い被写界深度も手伝って「シャープなレンズだなぁ」というのが第一印象。よほどの接写でもなけれな絞りはf2.8程度でもパンフォーカスになります。単焦点だけあって構成枚数も比較的少ない為、逆光でもクリアな描写を実感できます。最短撮影9.5cmはレンズの全長5.2cmを考慮すれば、レンズ前面が被写体にぶつかりそうな勢いで、明るい解放f値を併用すれば、パースとボケを利用したこれまでにない表現を利用できるなど、その廉価に見合わない活躍をしてくれそうです。

 あまりに使い勝手が良いと8-18mmの去就問題に発展しかねないので、褒めるのはこの位にしておきますけどね。

 

 

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広角レンズ作例のおあつらえ向きな被写体。街灯上にウミネコらしき鳥がとまっているのですが、拡大するとくっきりと写っている事に驚き。解像度的には回折の影響が出ないf5.6辺りがピークでしょうか。無論被写界深度は相当に深いので、背景の入道雲までとてもシャープに写し取ります。

 

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ホタルイカ漁で有名な港町、シーズンオフでしたのでちょっと寂しい感じに。炎天下でしたが、機材全体が軽めなマイクロ4/3ですので足取りは思ったほど重くはならないものです。カメラバックのサイドポケットにも入ってしまいそうな小型レンズですので、置忘れには注意しないといけませんね。

 

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真夏の太陽光が降り注ぎますが、逆光耐性もなかなか高いレンズかと。直接太陽を画面に入れればゴーストの発生を確認できますが、画面全体のコントラストが下がるようなフレアが発生する気配はまるでありません。

 

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曇天のこういった状況も、逆光性能が低いレンズですとハイライトからの滲みが悪さをする事があるのですが、心配はありませんね。朽ちたコンクリートの質感も良い感じで出ています。

 

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超広角レンズでの接写。しかも解放とくれば、もっと荒れた映像を想像していましたが、超絶普通に写ってしまいました。さすがにf1.7ともなると、9㎜であってもかなりのボケ量になります。線路上のバラストはもう少し乱れたボケになると思ったのですが、これなら完全に実用になります。

 


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超広角レンズを持っている時にこういった被写体に出会うと、異常にテンションが上がるのですが、総じて当たり前な写真を撮ってしまいがちなのは如何ともしがたいですね・・・。しかし、非常に細かく写る遠景の被写体も、拡大してもビクともしない圧巻の解像度。

 

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レンズ内手振れ補正は非搭載ですが、この焦点域でこの明るさですから、多少薄暗い室内でもブレた写真を量産する心配は無用。超広角、しかもf1.7という明るさのレンズとは思えない緻密な描写に惚れ惚れします。

 

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ボケに癖が感じられそうな被写体を選んでみましたが、自然なボケ像にちょっと拍子抜け。最新設計のレンズだけあって、安易な欠点探し程度ではアラを見つけだせないようです。

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

 デジタルカメラが自身の機材の中心を占め、その圧倒的な利便性に随分と助けられていると感じる事が多いと思う昨今ではありますが、デジタルカメラの登場以来、なかなかに解決されない問題というものも存在しています。特に、実際その問題に遭遇したことがある方も決して少なくないであろう「ゴミの写り込み問題」は、写り込んだゴミの小ささに反比例して作品や作者に大きなダメージを与える事もあるので、とても厄介な問題となります。

 フイルム撮影の場合では、その表面に何かしらのゴミが付着したとしても、フイルムは一コマ毎に次々と送られますから、写り込みの影響はそのゴミの付着した一コマ限定で済む事がほとんどです。(例外もありますが)しかし、デジタルの場合は、撮像素子の表面(カバーガラスやローパスフィルーターなども含め)にゴミが付着した際、そのゴミを取り除かない限りは、以降全ての撮影画像にゴミが写り込んでしまうという深刻な事態に発展してしまいます。

 勿論、カメラメーカーもこの「ゴミ問題」を放置している訳ではなく、近年では殆どの機種で、センサーやカバーガラスのゴミを振り落としたり、ゴミの侵入を防ぐ構造を持たせたりといった対策を講じています。しかしそれでも、我々の生活環境はクリーンルームではないのですから、カメラ内へのゴミ侵入を完全に遮断する事はできませんし、とりわけレンズマウント部は、ゴミ最大の侵入ゲートとなりますから、「私は一切レンズ交換をしません」と豪語するお客様にそれなりの頻度で遭遇するのもある種納得の行く話ではあります。

 そんな訳で、デジタル時代になってからは「携行時の荷物を減らす」以外にも、「レンズ交換の頻度を下げてゴミの侵入を(ある程度)防ぐ」という新たな使命?を与えられたのが「高倍率標準ズームレンズ」なのではないかと思うのです。(長いプロローグですみません)12-100mm(35mmフルサイズ換算画角で24-200mm)という広角から望遠域までを一手に賄うM.ZUIKOの本レンズは、そのカバーする画角の広さに加え、解放f値を比較的明るめなf4とし、さらには防塵防滴構造や超強力な手振れ補正を装備し、描写性能も折り紙付きとなる「PRO」ラインの製品として販売されている点は特筆すべきでしょう。時として広角から望遠域までをカバーする高倍率ズームレンズは、画質面や解放f値の点で「それなり」と感じる事も多く、本気モードの「撮影」がメインとなる場面への投入にはどうしても本腰が入らないのが事実なのです。

 しかし、デジタル化移行当初から光学系のテレセントリック性に配慮し、小型センサー機のメリットを熟知してきたオリンパス(現OMDS)が放つ本レンズは、マイクロ4/3フォーマットの持つ強みを生かし、描写性能を犠牲にする事なく高倍率化を果たした標準ズームの決定版ともいえる性能を見せます。解放から完全に実用になる解像感、ズームレンズとは思えない癖の少ないボケ味は、多くの場面で納得のいく画像を提供してくれますし、とにかく強力な手振れ補正による圧倒的低速シャッターへの対応は、SNSなどで手持ち撮影の低速シャッター自慢を目にすることも多く、手持ち撮影の常識を覆したと評しても問題ないでしょう。実際、カメラホールディングに多少の心得があれば、1秒程度のスローシャッターでも望遠側で簡単にシャープな映像を手に入れることができます。近接能力もワイド時でレンズ前面から1.5cmと高く、よほどの事がなければマクロレンズの必要性も感じないかと思える程。欠点を挙げるとすれば、それは20万円を超えてしまうメーカー希望小売り価格くらいのものでしょうか。「ゴミ問題」への対応はともかく、本当にレンズ交換の必要性を感じる場面の少ない試用期間となりました。

 このレンズを買ってしまったら、当ブログの存在意義がなくなってしまいそうなので、断じて私個人は購入しないんですけどね・・・・・・・・・・・。

 

 

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ボケが小さくなりがちな小型センサー機ですが、100mmまである望遠があれば、そこそこ大きなボケを手に入れることができます。癖の非常に少ないボケ味と合焦部の高いシャープネスは、多くの場面で説得力の高い映像を与えてくれます。

 

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シャープネスが高いレンズが多いM4/3系の単焦点交換レンズと比べても見劣る点が少ないレンズかと思います。特に解放f値に必要性を感じない撮影であれば、本当にこれ一本で間に合ってしまいそうです。

 

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近接撮影でも「おまけ」的な妥協点は見いだせません。周辺まで丁寧な質感描写。気合いれて被写体と向き合えないと、平凡な写真を量産してしまいそうでちょっと怖かったりします。

 


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噴水用のプール内に設置されたイルミネーション用の電送ケーブルでしょうか。意識した訳ではないでしょうが、素敵な幾何学模様を形成していました。フルサイズ換算で200mmまでの望遠があれば、遠景をトリミングした撮影もレンズ交換なしで可能に。

 

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人物がブレていることからも低速シャッターなのはお分かりいただけるでしょう。1秒程度のスローシャッターであれば本レンズの手振れ補正は余裕で対応可能。高いISO感度に頼りたくない性格(フイルム時代の呪いなんですけどね)なので、この低速耐性は魅力です。

 

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逆光に近い状況ですが、コントラストの低下もない優秀な画質。「PRO」を冠するのは、様々な状況で欠点を見せることが少ない証。決して構成レンズの枚数は少なくはないのですが、そんな事は微塵も感じさせないクリアな描写です。

 

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広角側でも解像度は相当に高いレンズです。小さく、細かい被写体も繊細に描写。ガタイの良い望遠レンズ然とした大型のレンズ(M4/3にしては)ですが、広角レンズとしても無論優秀な一本になります。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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