ASAHI PENTAX Super-Multi-Coated TAKUMAR 28mm f3.5

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 光がガラスを透過する際、その境界では約4%の光が透過せずに反射します。一見して透明なガラスであっても我々がその存在を視認できるのは、ガラスそのものではなくその境界面の反射を見ることができるからなのでしょう。写真用レンズのガラス素材も例外とはならず、一枚のガラスには表裏2つの境界面がありますから、一枚のレンズを光が透過する際には約8%が反射によって失われる計算になります。写真用レンズの場合には数枚から場合によっては20枚以上ものガラス製レンズが使われていますから、この反射による損失は決して無視できない問題となります。光量自体の損失もさることながら、レンズ内部で反射した光はさらに鏡筒内で乱反射をし、映像のコントラストを下げたり、映像上にゴーストやフレアを発生させる原因ともなるため対策は必須となります。

 そして、開発されたのがレンズコーティングという技術です。レンズ表面に様々な物質を様々な方法で定着させた膜を作るることで境界面の反射をコントロールする技術となる訳ですが、カメラ・レンズメーカーは自社のコーティング技術を誇る為、製品名やスペック表記に独自の呼称を加える事も少なくありません。国内メーカではキヤノンのS.S.C.、富士フイルムのEBCなどの表記をいわゆるオールドレンズでも良く見かけますし、ローライのHFTやZeissのT*(ティー・スター)等、欧州のメーカー製品にも独特の呼称が存在します。「N」マークの金バッチで有名なナノクリスタルコーティングはニコンが半導体露光装置へも採用したた最新のコーティング技術を示します。この事からもコーティングがいかに重要な技術であるかはお分かりいただけるでしょう。そしてレンズコーティングを語る上で、頭文字をとって通称SMCと呼ばれるSuper-Multi-Coatedを採用したASAHI PENTAX(現リコー)のレンズは避けては通れない話題なのではないでしょうか。

 M42規格のスクリューマウントを採用し、高性能・堅牢でありつつも比較的低廉な価格で日本製一眼レフカメラの世界進出の立役者となった、ベストセラー機SPに代表される一連のPENTAXカメラシステムには「Auto-Takumar」「Super-Takumar」レンズ群が用意されました。そしてそれらは、後継機に搭載された開放測光に対応させるための機構を搭載した「Super-Multi-Coated TAKUMAR」シリーズへと進化を果たします。採用されたコーティング技術が その名が示す通りの7層にも及ぶ多層膜コーティング(マルチコーティング)だった訳ですが、社史を紐解くと世界初の多層膜レンズコーティングとある「SMC」は、それまで主流だった一層コーティング(モノ・コーティング)のレンズに比べ優れた反射防止効果を持ち、画像先鋭度と逆光耐性の著しい向上をもたらしたとあります。今日では様々な光学製品で当たり前となったマルチコーティングですが、その歴史は「Super-Multi-Coated Takumar」に端を発すると言えるのでしょう。この「SMC」はレンズマウントがバヨネット方式となったKマウントのレンズにも引き継がれ、無論同社が展開する6x7判や6x4.5判の中判カメラの交換レンズにも採用。デジタルカメラ用レンズに最新のHDコーティングが採用されるまで同社製レンズの基幹技術として受け継がれました。面白いことに昨今の「オールドレンズ」ブームを受けて発売されたと思われる最新の50mmレンズには、HDコーティングを施したモダンタイプと、Classicの名を冠し「SMC」が施された2種類がラインナップされ、メーカー自らによってその違いを楽しめる仕掛けが用意されています。

 さて、そんな歴史あるM42マウントの「Super-Multi-Coated Takumar」ですが、爆発的に普及した結果、中古市場では非常に良く見かける存在でもあります。特に広角28mm・標準50mm・望遠135mmの3種は当時の鉄板アイテムでしたからなおさらです。ところが、製造から時間が経っていることや、コレクション品として扱われる事の少ない普及価格帯の製品であったあった為なのでしょう、「極上の個体」は案外珍しかったりもするのです。

 先日私が出会った、この個体は、光学系にカビや曇りの発生が無く、チリの混入もごく僅か。整備等の工具による作業痕も見受けられませんので、出荷直後の状態を高いレベルで保持していたように想像できます。無論、絞りの作動やヘリコイドのグリスの状態も良好で、奇跡的という表現も的確なほどに美しい個体でした。結果、勤務先に入庫した際、「何処かでぞんざいに扱われる前に・・・・」と妙な里親病?が突如発症してしまい入手となった訳ですが、設計当初は想定すらされていなかったであろう、フルサイズ6100万画素機という高解像度デジタルカメラでの試写、結果は以下の作例からとくとご覧くださいませ。クラシカルな描写がもてはやされる昨今では、エモい?ゴーストが発生しやすい単層コーティング時代のSuper Takumarの方が人気が有ったりもしますが、いずれも多くのカメラマンの手で時代を記録してきた伝統の28mmです。一本くらいは手元においても損はないのかもしれません。

 

  

 

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Super Takumarの50mmでも感じたのですが、想像以上に上質な写りをしてくれます。開放f値は時代を感じさせる3.5と控えめで、このクラスの広角レンズは光学ファインダーでは少々ピント合わせに支障を感じた記憶もありますが、ミラーレス一眼の明るいEVFと、拡大表示機能をという利点を生かしてストレスなくピント合わせに没頭できます。絞り開放では周辺に像の流れによる解像度の低下がありますが、中心部の解像度は十分ですし、周辺減光も想像していたよりも発生しませんでした。

 

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曇天とは言えそこそこの逆光状態ですが、SMCの面目躍如、ゴーストの発生は見られずすっきりとした画面を作ってくれます。現代のレンズと比べると全体のコントラストは控え目。少々重苦しい感じに写ったのですが被写体とのマッチングで、むしろ好印象です。直線基調の被写体ですが、歪曲収差もそこそこ控えめで広角らしいパースを生かした絵作りができました。f8まで絞り込んでも周辺の流れは若干残るようです。

 

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SMCの実力を探るべく、トンネル内で照明用の蛍光灯を撮影します。実は盛大なゴースト発生を想像していたのですが、完全に肩透かし。SMCマルチコーティングの威力を改めて思い知らされました。発売当時の人々には衝撃的なほどの逆光性能向上だったのではないかと思います。発売年代を考えてみますと本レンズは私よりも先輩にあたるので、この実力テストまがいな撮影に、随分無礼な扱いをしてしまったと少々反省。

 

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個体差もあるのかもしれませんが、曇天の影響もあって発色はやや青みがかった冷調になりました。結果として画面のポイントでもある橋の赤色が強調され良い感じになったのでJPEG撮って出しのままで。ホワイトバランスをオート設定にしてしまえばもっと無難な色調になったのかもしれませんが、ここは結果オーライという事で。

 

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しつこくも逆光性能を確かめたくて、意地悪く真夏の太陽を画面にいれてみました。単焦点レンズの威力でしょうか、構成枚数の少なさも手伝ってゴーストやフレアの類いは最小限と言って良いかと思います。fは11まで絞ると周辺の像の流れもかなり緩和されます。50年前のレトロフォーカス広角レンズだということを考えればこの描写に「優秀」以外の言葉は見あたりません。絞り羽根5枚に由来する10本の光条が発生し、結果太陽のギラギラ感を良く出してくれました。

 

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現代のレンズからすれば40cmという最短撮影距離は少々物足りない感じがするでしょうか。癖を確認する為あえて解放絞りで挑みましたが、アウトフォーカス部の描写も悪くありません。ボケ像にはやや硬さを感じますが、大きな崩れもなく思いのほか自然な描写に改めてレンズの実力を思い知りました。合焦させた電球のフィラメント部も良く解像しています。

 

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エッジの効いた被写体の周辺部では若干の色づきを感じますが、後処理で対応可能なレベルでしょう。ボケ像の大きな乱れや、解像感の物足りなさ、派手なゴースト・フレア等々を「味」としてオールドレンズを珍重する写真表現を否定するつもりはありませんが、それらを克服する為に設計者が心血を注いだ歴史の重みにもしっかりと目を向けたいものです。ちなみにいわゆるオールドレンズらしさを望むのであれば、SMCが採用される前の「Super Takumar」の方がお勧めになるのでしょう。

 

Carl Zeiss Distagon 21mm f2.8 ZF.2

 

 20・24・28・35・50・85・100・200・300・400・500・600・・・・

 この不規則な数値の羅列を目にして「レンズの焦点距離」を想像する御仁は、ねっからの写真愛好家、もしくはカメラマニアという事になるのでしょうか。金属製のパトローネに入れられたコダック社による規格「135フィルム」と、そのフイルムを利用して24x36mmサイズの原版を撮影する、今で言う「35mmフルサイズ」は、写真の一つのスタンダードとして長期間存在します。その結果として、本来は画角を表す数値ではないはずのレンズの焦点距離値が「画角を表す目安」として定着していました。28mmと言えば広角、同じように、50mmは標準、500mmは超望遠といった感じで、焦点距離値を耳にすると頭の中では35mmフルサイズでの画角が自動的に想像されてしまうのは、一見便利なようで、実はフイルム時代を長く過ごした我々世代の悪癖なのかもしれません。

 2023年現在ではデジタルカメラが一般化し、デジタル一眼には様々なサイズ(メジャーなのはフォーサーズ・APS-C・35mmフルサイズの3種)の撮像素子が採用されています。結果、レンズの画角を表す為には焦点距離値だけでは不十分となり、例えば「フォーサーズで25mmの画角(フルサイズ換算で50mm相当の画角)」といった様な併記が必要になりましたし、APS-Cサイズのセンサーを搭載したデジタル一眼を販売する際に、お客様がフイルムでの撮影経験が長そうな(比較的年配の)方の場合には、付属する18-135mmのレンズは、フイルムカメラで言うところの28-200mmぐらいのイメージで・・・・という補足説明も不可欠になりました。単純に画角を表した数値をレンズスペックに据える事もそろそろ必要なのかと思いつつ、焦点距離値から得られる情報が多岐に渡るのも事実なので、この問題の解決はなかなかに一筋縄ではいかないといったところです。

 さて、焦点距離を話題にしようとしたら壮大な脱線をした訳ですが、本レンズ、35mmフルサイズでの超広角レンズを代表する画角を持つ21mmの紹介です。日本のメーカーコシナが製造・販売したニコンFマウント用のモデルですが、かつて私も愛用したYASICA/CONTAX時代のDistagon 21mm f2.8を直系の祖先にもつ伝統のレンズです。フイルム時代のそれも、設計は比較的新しい方に分類され、倍率色収差を軽減する為に広角レンズでありながらも特殊低分散レンズを採用するなど、高性能化の為に国内メーカー同等品に比べ全長・重量・価格、全てが大きく上回った弩級のレンズでした。本レンズも後継するMilvusシリーズの発売を受け生産を完了してしまいましたが、そのポテンシャルが決して劣る訳ではなく、高画素機であってもその魅力は十二分に発揮されます。開放から合焦部の解像感は非常に素晴らしい為、本来なら被写界深度をアテにしたラフなピント合わせでも十分な超広角レンズですが、拡大画像を利用したピントの追い込みが楽しくなります。併せて前後のボケも比較的癖が少なく被写体の立体感を際立たせます。極端な周辺減光も起きにくいので、安心して解放から利用ができるでしょう。いやむしろ積極的に開放を使いたくなる、そんな広角レンズなのです。Classicシリーズに分類される本レンズは、金属を利用したピントや絞りの操作感も上々で、数々の操作を経た上で得られる「一枚」の満足感は別格となります。コシナ製Zeissには、ライカMマウント用に同じ焦点距離でZM Biogon 21mm f2.8も存在しています。マウントアダプターを併用すれば同一ボディでの試写も可能となりますから、設計理論が異なる2本の比較、是非ともチャレンジしてみたいものです。

 余談となりますが、この近辺の画角を持つレンズ、日本のメーカーは20mm、Leica・Zeissといった海外勢は21mmという焦点距離を採用しているのですが、いったい何故なのでしょう。明確な理由があるのなら是非とも伺いたいのです。

 

 

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「空気感」捉えどころのない言葉の様にも聞こえますが、確かに「空気」という、その透明な存在が写っている。そんな一枚でしょうか。本レンズ、そんな気分になる映像を手にできる機会が多い気がするのです。

 

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ボケ像の確認の為に選んだ被写体。開放絞りですが、背景のボケ方にも癖が無く積極的に開放描写を楽しめます。接写域での撮影ですが、大きな破綻も無く想像以上に素直な描写です。広角レンズですが、接写・解放となれば必然的に被写界深度は浅くなります。AF対応のレンズではないですが、極上の操作感でピント合わせが楽しくなるレンズです。

   

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カラーも気持ちの良い映像を提供してくれます。RAW現像時Lightroomをメインで利用していますが、収差補正のプロファイルにカメラメーカー以外のレンズも網羅しているので、いざという時活用できます。もっとも、元のレンズもかなり高度な補正をされている場合は、無補正でも十分だったりするのですが。

 

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LeicaやZeissのレンズを使った時、希にその結果は「写真が上手くなった」と錯覚させてくれます。久方ぶりにそんな感覚に陥らせてくれた一枚。フイルム時代から愛用するレンズの画角と描写なのですが、高画素のデジタルカメラによって新たな息吹を吹き込まれたようです。借用したレンズですが、これは間違いなく「買い」の一本だと確信。

  

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縦位置のフレーミングで強調されたパースが気持ちの良い一枚。合焦部の木材の質感は気味が悪い程です。超広角独特の周辺減光も丁度良い塩梅に雰囲気を高めてくれました。

 

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センサーとレンズ性能の相乗効果でしょうか。モノクロ撮影での諧調再現がとても気持ちが良いのです。Summicronでも感じたのですが、ハイライトを飛ばさぬ様な露出決定を行ってもシャドー部の諧調がしっかりと残ってくれ、どうしてもローキーに寄せた露出決定が増えてしまう今日この頃です。

 

Carl Zeiss Distagon 18mm f3.5 ZF.2

 

 18mmという焦点距離、分類からすれば「超広角レンズ」という事になるのでしょうが、フイルム時代に感じていた「特殊なレンズ」という印象は随分と薄れてしまった感があります。昨今のいわゆる大三元レンズでは、さらに広角となる15mmや16mmを採用するレンズも多いですし、加えて20mmをワイド端とする標準ズームなども登場し始めていますから、それも当然の事なのでしょう。カメラ機能をウリにするスマートフォンなどでは、18mm以上の広い画角を得られるレンズを搭載したモデルも登場しており、SNS等の普及でそれらによって撮影された画像に触れる機会も爆発的に増えた事で、以前は独特と感じていたその「超広角の写り」が日常的なモノに変わってきたという側面もあるのかもしれません。

 そんなかつての特殊レンズ18mmですが、YASICA/CONTAX時代のDistagon18mm f4が付き合いの始りです。比較的高額なレンズが多いコンタックス製品中で例外的に安価だったのが入手のきっかけですが、独特な青空の発色や、丁寧に補正された歪曲収差、どことなく優しさを帯びた描写が気に入り、同Distagon21mm f2.8を入手するまで相棒を務めてもらいました。小型軽量ゆえ持ち歩きの負担が少ないという美点もありましたが、ねじ込み式のフィルターが利用できない(専用のリング併用で86mm径のフィルターを利用)事や、一眼レフのマット面でのピント合わせに苦労するといった難点を、上記21mmが纏めてカバーしてしまったため、任を解かれたという経緯を持っています。

 さて、そんなDistagon18mmを直系の先祖に持つ本レンズ。手元の資料によりますと、CPU内蔵(ニコン曰くのPタイプ)のZF.2仕様として発売されたのが2010年です。フイルム時代からの光学系を踏襲するレンズもあるコシナ製Zeissですが、本レンズは明るさを僅かに明るいf3.5とした新設計レンズとなります。美点であった小型軽量な躯体を引き継ぎつつも、82mmのねじ込みフィルターの採用、高い効果が見込める花形レンズフード同梱など時代に即したアップデートモデルとなっています。昨今のレンズ群からすれば少々長めの30cmという最短撮影距離もしっかりと?引き継いでいますが、デジタルカメラでの利用も視野に入れた新設計ですので、その描写に期待は高まります。6100万画素という「超」が付く高画素機α7RⅣを使用しての試写でしたので、期待を裏切る残念な粗探しになってしまうのか?との疑念も抱きましたが、全くの杞憂でした。18mmという焦点距離こそ珍しくはなくなりましたが、Zeissレンズが放つ魅力にはやはり一点の曇りもないことを再確認する初夏の一日となりました。すでに後継Milvus18mm f2.8へとそのバトンを渡していますが、工芸品とも言える美しい金属鏡筒を纏った本レンズ、程度の良い中古品を見つけたら是非とも入手したいものです。

 

 

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歪曲収差がとても良く補正されているので、超広角の特徴でもある遠近感を強調するフレーミングが気持ち良く決まります。パンフォーカスを意識してf8程度に絞った映像ですが、手前の金属椅子の座面から背景の植物まで妥協無く解像しています。レンガ・材木・金属というマテリアルそれぞれがもつ質感も非常に丁寧に描かれているのは脅威とすら感じます。

  

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薄曇りのシチュエーションでしたが、少し渋めの発色が被写体にマッチしてくれました。癖の出る映像を期待して、近距離の被写体を解放絞りで撮影しましたが良い意味で裏切られました。遠景の光点がボケた部分には少々の癖を感じますが、正直ここまで無難な写りをしてしまうとは想定外。

 

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散水用の背の低い水道蛇口をローアングルで撮影。ハイライトが飛びすぎないようややマイナス側に補正をかけました。結果シャドー部の豊かな階調が絶妙な空気感を生み、蛇口の金属光沢を引き立ててくれました。よく見ればボケ像に少し硬い印象を受けますが、画面全体をうるさく感じさせる程では無いようです。

 

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意地の悪い被写体を選んでも、欠点と感じるような大きな歪曲収差は感じられません。カメラメーカー製のレンズではないので、焦点距離を考えればデジタル補正を前提とせずに光学設計のみでこの補正状況には驚嘆。Zeiss伝統の18mmはコシナ製造の新設計になっても確かにそのDNAを引き継いでいるのでしょう。

 

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白い花弁の階調を残したかったので、大胆にアンダーに振った露出。シャドーが粘ってくれたので、曇天の重い空気感をうまく醸してくれました。リヤカーのタイヤの溝や床板の木目、一枚一枚丁寧に記録された花弁、一瞬を切り取った写真でありながら時間をかけて描いた細密画のようにも見えてくるから不思議です。


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言うなれば本物よりもリアルに感じてしまう樹木の描写。モニターで拡大して思わずため息交じりに唸りを漏らした一枚となりました。正確な統計ではありませんが、これまで「Zeiss」の刻印を持ったレンズは、撮影時の想定を超えた映像に出会える機会を多く与えてくれた気がするのです。

 

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 90mm F3.5 MACRO IS PRO

 OMデジタルソリューションズをネット上で検索する際、「オリンパス」と入力してしまう癖がなかなか抜けない筆者のようような世代の人間の頭の中には、オリンパス=マクロという図式がこびり付いている方も多いのかと想像します。理由として、内視鏡や顕微鏡といった医療機器で多くの功績を上げている事や、接写専用のレンズやベローズ、フラッシュといったアクセサリーが他社に比べ非常に多く用意されていた事はもちろんですが、90mm と50mm に存在した解放f値がf2のマクロレンズの存在も大きいでしょう。マクロレンズでは接写時の結像性能を重視する設計の為、現在でも多くのレンズでf2.8~4を解放絞りとするのがセオリーですし、「1絞りの重さ」が現在のデジタルカメラとは比べ物にならなかったフイルムの時代には、特別な存在として記憶されているのも当然です。付け加えるならデジタル一眼Eシリーズにも、フルサイズ画角で100mm相当となるマクロレンズにしっかりとZUIKO DIGITAL ED 50mm f2Macroを存在させていた点なども、強い印象となって記憶に残っています。

 ところで、これまでOMデジタルソリューションズのマイクロ4/3フォーマット用レンズラインナップには、オリンパス時代から引き継いだ30mm f3.5・60mm f2.8と2本のマクロレンズが商品化されていました。小型センサーの特性を生かし、いずれもフルサイズ換算で2倍という高い撮影倍率を誇りますが、それ以外には「光る何か」を感じられなかったのは否めません。マイクロ4/3フォーマットを愛用する自身も、マクロレンズ購入に際しては迷い無くDG MACRO ELMARIT 45mm F2.8を選択していた程ですし、前述した「オリンパス=マクロ」の図式はやはり過去の物だったのでしょうか。

 さて、同社から新規にリリースされた本マクロレンズ、汚名返上・名誉挽回などと言うと少々大げさですが、旧オリンパス時代を彷彿とさせる相当に尖ったスペックを引っ提げての登場となりました。フルサイズ換算で150~200mmの前後の画角を有するいわゆる望遠マクロレンズは、フイルム時代には比較的当たり前の存在だったのですが、ミラーレスデジタル専用としてカメラメーカーがリリースするのは初の製品となります。解放絞値はf3.5と一見すると凡庸ともとれるかもしれまんが、注目すべき点はそこではなく、マクロレンズにおいて重要な「撮影倍率」なのです。通常使用で等倍(フルサイズ換算で2倍)を達成している撮影倍率が、搭載されたS-MACROモードに設定することでなんと2倍(同4倍)となり、2倍のテレコンバーター併用時には脅威の4倍(同8倍)にも到達するのです。当然ながら、これまでもこれに類する高い倍率での撮影を可能とさせるアクセサリーは存在していましたが、レンズ単体でAF・AEそして手振れ補正の恩恵をうけられる環境でのスペックとなれば、これはもう別次元の話です。

 この篠沢教授もビックリの撮影倍率は、数字からも分かるように解剖顕微鏡にも匹敵するような接写時の拡大撮影を可能としますが、長焦点化によってもたらされた長いワーキングディスタンスと大きなボケ、伝家の宝刀でもある強力な手振れ補正や防滴構造を搭載することで、これまで取れなかった撮影スタイルや、新たな被写体への挑戦までも可能としてくれるでしょう。当然のことながらマクロレンズに要求される高い解像力を与えられたレンズではありますが、合焦面前後には美しく且つなだらかにつながって行くボケ像が描かれ、極端に浅い被写界深度下であっても癖の少ない上品な画像を提供してくれます。マクロレンズとは言えど、遠景の被写体であってもその解像感は失われず、汎用性の高い望遠レンズとしても十二分に活躍してくれるでしょう。18枚という贅沢な構成のレンズではありますが、手に取るとそのあまりの軽さに、解放f値を3.5と抑えたメリットを感じ取れます。マストバイというよりも、このレンズの為にマイクロ4/3システムを追加しても良い、そう思う方も少なくはないのではないでしょうか。「マクロ撮影にOMデジタル在り」ひょっとして我々ユーザー以上に喜んでいるのはメーカーサイドの方々なのかもしれませんね。

 

 

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熱帯植物特有の大きな葉。外光を取り入れた半逆光下で絞り解放描写をチェックしました。葉脈一本一本を鋭く描く中心部の解像度に文句のつけようはありません。ごく僅かに感じるハイライト部の滲みと、前後のなだらかなボケ像が良い感じです。

 

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木陰の小さな蕾を接写。少々高い位置に存在する被写体で45mmでは踏み台が必要な場面ですが、望遠マクロのメリットを存分に発揮できました。90mmでないと撮れない被写体もありますが、同様に45mmの画角も絶対必要なのです。焦点距離のバリエーションが増えると撮影できる被写体が増え有難いのですが、荷物の増加は避けられません。マイクロ4/3で良かったと思える瞬間です。

 

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45mmと比べやはりボケは大きくなります。結果どこにピントを置くかで写真の内容も変化をしますが、前後のボケ像に大きな偏りはないので、必要以上に神経質にはならなくて良いみたいですね。

 

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解像度の高いマクロレンズには、ボケも硬くなる個体も存在しますが、本レンズは前後にとても柔らかいボケ像を形成してくれます。大胆に前ボケを使ったフレーミングも嫌みな癖が発生せずに安心して取り組めます。

 

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植物園で花の撮影時、左手首に違和感を感じさせた犯人は「蝶」でした。しきりと口のストローを伸ばして私の手首から「何か」を吸っていました(笑)。手振れ補正と軽量なレンズの特徴を生かし、片手でも難なく撮影ができました。ずいぶん昔に曲がり角を過ぎた私のお肌と、すこしくたびれた感じの蝶の羽根が奇跡のコラボを演じでくれました。

 

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昆虫にも詳しくはないので・・・。バッタやキリギリスの一種かと思いますが、バラにとまったこの一匹、その大きさは小指の爪ほどです。小さな被写体ですがマクロレンズを通して撮影することで、改めてその緻密な造形に驚きます。被写界深度が極端に浅くなるため、手持ち撮影ではピント面の維持が困難です。秒間10コマ以上の高速連写で数十枚を撮影したうちの一コマですが、価格高騰が続くフイルムでは簡単に(私の懐事情では)真似ができない撮影法ですね。そもそもモーターの音で逃げちゃうかもしれないですしね。

 

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メインは蕾、背景は咲いたバラの花です。溶けるという表現が似合う望遠レンズならではの大きなボケを生かした撮影法でしょうか。やはり浅い被写界深度のため、ピント位置には神経を使います。使う絞りによる被写界深度とボケの大きさを相談しながらの試行錯誤が必須ですね。

  

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夕飯の買い出しに出向いたスーパーの駐車場。キリスト教会堂の方向に丁度日没を控えた太陽が。雲の様子や太陽の位置が刻々と変化をしますが、超逆光下(良い子【一眼レフ】は真似しないでくださいね)でも安定した描写力には驚きました。構成枚数の多いレンズですが、この条件下でもゴースト・フレアは最小限。遠景でも優秀な結像性能を見せてくれます。

 

Voigtlander NOKTON classic 35mm F1.4

 

 

 Voigtlanderと聞いて「VITO」や「VITESSA」というフイルムカメラ、あるいはスチルカメラ用ズームレンズの元祖「Zoomer」などを連想する方は、わりかしディープなクラシックカメラファンということになるでしょうか?日本のカメラ・レンズメーカー「コシナ」がその名をブランドとして使い始めてからも、それなりに時間が経過していますから、今となってはこちらの方が馴染み深いと感じる方も多いのでしょう。しかし、デジタルカメラが登場する以前の「コシナ」を知っていた者からすれば、その変貌ぶりには驚きを隠せないのが事実です。当時は主にペンタックスKマウントのマニュアルフォーカス一眼レフや、各種マウントでのレンズ製造、あるいはOEM供給などを行っていましたが、どちらかと言えば低コスト重視の廉価製品が多く、「シグマ」・「タムロン」・「トキナー」といったサードパーティー御三家(?)の陰に隠れた存在であったと記憶しているからです。

 

 コシナがVoigtlanderブランドによる商品展開を始めたのは、確かカメラの主流がフイルムからデジタルへと移行を始める直前のあたりです。L39ライカスクリューマウントを採用したマニュアルフイルムカメラ「BESSA-L」とその交換レンズ群を皮切りに、レンジファインダーカメラ「BESSA-R」を発売したかと思えば、即座にライカMマウント互換のVMマウントを採用した「R2」へと進化、レンズ群もVMマウントを採用し「NOCTON」や「HELIAR」といったVoigtlander往年の名称を与えられた銘レンズ群を次々と充実させて行きました。価格も比較的低廉に抑えられていたことから、「プアマンズライカ」などと評される場面もありましたが、お客様曰くの「良く撮れんだー」が真理であり、やがてはZF、ZE、ZKマウントの一眼レフレンズ用レンズ群やレンジファインダー機Zeiss-IkonとZMマウントレンズ群、果ては中判カメラ・ハッセルブラッド用の交換レンズ、つまりは、あの「Zeiss」製品製造元の一つへと大躍進したのです。もちろん、コシナがこの下剋上的ブランディングに成功したのは、時代の変化やそれに伴う流行の影響もあったでしょうが、モノ作りメーカーとしての確固たるビジョンとその実現を支える確かな技術力が備わったメーカーだった、ただそれだけの事なのかもしれません。

 

 そんなVoigtlanderブランドの製品、ブランド名が持つ長い歴史から、安易に「伝統」や「レトロ」といった言葉を連想してしまいますが、現在のラインナップには、f値1.0を超える明るさを実現したレンズや、35mmフルサイズフォーマット用の焦点距離10mmの超広角レンズなどを筆頭に、非常に挑戦的かつ魅力的な最新鋭のレンズがゴロゴロしている事に驚きます。また、かなり早い段階でM4/3用の解放f0.95シリーズレンズ群をリリースするなど、ミラーレス機への順応スピードも特筆に値します。考えてみますと、「BESSA」以降始まったレンジファインダー用の交換レンズ作成のノウハウが、デジタル一眼のミラーレス化という時代の流れに見事に呼応したのかもしれません。2023年現在では、フルサイズミラーレスの先駆者であるSONY-α用の交換レンズだけでなく、最新ミラーレスNikon-ZやCanon-RFへの対応も着々と進行中。特筆すべきは、利便性追求が当たり前の世の中で、その全てがマニュアルフォーカス専用の単焦点レンズで占められている点で、それには「拘り」といった表現よりは「矜持」という言葉が相応しいと感じています。

 

 さて、魅力溢れる製品が多い中で取り上げたNOKTON classic 35mm F1.4 は、その美しい対称配置のレンズ構成から、ライカ製オールドレンズ代表の一角「Summilux-m 35mm f1.4」を想像します。現在は非球面レンズを採用して光学的性能を飛躍的に向上させた新型Summiluxへとバトンを渡していますが、設計当時の技術・光学素材では抑え込めなかった収差の大きさから、独特の描写特性を持つに至ったオリジナルのSummiluxの現市場人気は高く、可能であればフイルム時代に所有していた私に売却を留まるよう進言したいと思うほどに価格が高騰してしまいました。「味」と言えば聞こえは良いのですが、やはりそれなりに「癖」の多かったオリジナルSummilux。あえて非球面を採用せず、現代の設計技術と光学素材によってその美点のみを追求し「Classic」の銘を付与されたNOKTONは、すでに高い評価を得ているそのVMマウント版をミラーレスデジタル向けにファインチューンした逸品で、最短撮影距離の短縮化、電子マウント装備によるボディー内手振れ補正機構の最適化仕様となりますから、焦点距離35mm好きαユーザーであるならマストバイなレンズの一本ではないでしょうか。

 

 

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Summilux35mmをオリジナルとし、その描写を現代風にリファインしたと各所で評されていますが、なるほど言い得て妙。f1.4解放での描写にその特徴は色濃く表れます。解像度は十分ですが、全体的に紗をかけたような独特なソフトトーンが持ち味。ボケ(特に後ろ側)はややザワつく感じですが、全体的な柔らかい描写によってあまりガチャガチャと感じない印象です。周辺光量もしっかりと落ちますので、画面中心の良像域に自ずと視点が向けられる、美しい立体感を持った描写をしてくれます。

 

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大きなセンサーを使うメリットとして「広いダイナミックレンジが得られる」なんて言葉をよく目にしますが、ざっくり日本語化させてもらえれば、明るさ(暗さ)に対しての「懐が深い」って事ですかね。ヒストグラムの横軸が延びて分割数が増える印象です。調子こいてゴリゴリとアンダー側に露出を振る持病が発症したのは、シャドー部の軟調化に苦戦した元T-MAX100派のささやかな反撃なのでしょうか。。。(意味わからないですね、スミマセン)

 

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一見解像度が不足しているかの様な画像ですが、拡大すると合焦部の解像度は決して低くない点に気づきます。全体的にソフトに感じるのは残存収差による画像の僅かな滲み(ハイライト部で顕著)がその正体なのでしょう。現代では非球面レンズの導入がこういった収差補正のトレンドですが、Classicを名乗る本レンズはあえて球面レンズのみで構成し、設計とガラス素材の選定で本家Summiluxの「強すぎた癖」を抑え込んだようです。

 

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窓一つ無く、「雨どい」だけが存在する特徴的なビルの外壁。強烈な西日によって「雨どい」の固定金具が奇妙なほどに長い影を落とします。絞りf4での撮影ですが、僅かに残る周辺光量落ちとハイライト部の滲みが映像に独特の風合いをプラスしてくれました。純正レンズではない為にデジタル歪曲収差補正の恩恵はありませんが、対照型配置のメリットもあって光学的にかなり良質に補正されていると感じます。


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西日の射し込んだビルの隙間にある空調の室外機。かなり輝度差のある被写体ですが、ハイライト基準で露出を決定してもシャドーにまだ余裕を感じます。開放絞りでの撮影ですが、合焦部の室外機に貼られたラベルの文字もしっかり確認ができます。良いレンズと良いセンサーがあれば、これまで仕上がりに満足いかなかった被写体へのリベンジもできるという事でしょうか。ある程度の出費増は覚悟しなければなりませんが、フイルム時代に比べ大幅に上昇した機材の価格はいかんともしがたいですねぇ。比べてサラリーマンの給料って・・・・・(以下お察し)

 

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絞りをf4まで絞れば、画面の良像域は広がります。合焦部のシャープネスは非常に高く高密度センサーとの相性も良いようです。諧調も丁寧に描かれますので、排気用と思われる金属管の光沢感も素晴らしく、その硬さや冷たさが伝わってきます。

 

Dsc00318

開放での独特なふわっと感はやはりクセになります。画面中央部のシャープネスは必要十分で、周辺に向かってなだらかに解像度と光量が落ちて行きます。この緩やかな崩れ方が現代的に解釈したSummiluxの「味」なのでしょう。是非ポートレートでも使ってみたい一本ですね。

 

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この公園を訪れるとかなりの頻度で撮影してしまう被写体が、この道路上の指標。またもや、相当アンダーに露出振ってますが、この豊富なシャドー部諧調の為だけにでもフルサイズを購入する意味はありそうです。

 

Dsc00344

恥を忍んで「ヤラカシ」を。仕上がり設定をモノクロにして撮影していたため、知らないうちにホワイトバランスの設定が変更されていた事に気づいていませんでした。色温度2900Kで撮影されていた事に気づいたのはPCへのRAWデータ取り込み作業中という始末。しかし、瓢箪から駒とでも言いましょうか、これはこれで味わい深い仕上がりだったので、あえてWBを戻さずに現像してみました。フイルム時代のコダクローム40(タングステンタイプ)を思い起こさせる渋い発色ですね。そういえば学生時代このフイルムを使い、デイライト下の無補正でポートレートを撮るマイブームがありました。

 

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恥の上塗りでもう一つ。やはり同じホワイトバランス設定で撮影された1枚。こちらは富士クローム64Tを彷彿とさせる仕上がりに。(苦笑)揺れる水面に映った樹木と太陽ですが、異世界感がより増幅されたようです。オリジナルのSummiluxは強い光源があると派手にゴーストが入る場面にも遭遇しましたが、本レンズ、逆光耐性も悪くは無いようです。

 

  

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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