MINOLTA AF 100mm f2.8 MACRO

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 Aマウント一眼レフ用交換レンズをミラーレス一眼(α7RⅣ)で活用できるLA-EA5を入手して以降、50mmf1.4・20mmf2.8と、MINOLTA-α時代の設計を引き継いだSony製Aマウントのレンズの試用を断続的に続けています。単純に「光学的性能」という括りでは現行の最新レンズには敵わない部分はもちろん存在はしているのでしょうが、学生時代にも感じた、Nikkorとは一味違う写りの魅力をデジタル写真でも強く感じる事が出来る、そんな感想を抱いています。そして、MINOLTA-α時代からその高評価を不動の物としていた、「100mmマクロ」への興味も日増しに強くなっていたのです。

 本レンズの原型は、1986年に発売されたMINOLTA AF100mm f2.8 MACRO に遡ります。MINOLTA-αシステムは1985年発売のα7000でスタートを切っていますから、システム登場の極めて初期から本レンズが投入されている事が分かります。その後は、円形絞りの導入と新意匠への変更を果たした<New>タイプ、距離情報をボディーへ伝える為のエンコーダーの搭載で、フラッシュ自動調光の制御精度を高めたADI調光対応(D)タイプへと進化。そしてコニカミノルタ、ソニーへのブランド変遷を経つつ今日に至ります。(D)タイプ以降はマニュアルフォーカス時の操作性を高める為の幅広のピントリングを採用したことで、外観上は全く別のレンズのような佇まいとなりましたが、光学系は初代から踏襲されています。人気も高く看板レンズ的な役割も担う中望遠マクロレンズですから、40年近いロングセラーとなった本レンズの描写については、メーカー側にも巷の評価を裏付けるだけの相当な自信があったのだろうと想像できます。

 当初は50mm・20mmに次いで、100mmもSONY製で統一することを考えていたのですが、借用した際、広げられたピントリングの操作感触が思った以上に重く渋く、(入手した個体による「差」も無視できませんが)近接撮影時のピントの微調整は逆に手こずる事が多かった為、あえて旧世代の<New>タイプを購入候補としました。ピントリングはレンズ先端の薄いリングのみになりますが、保持バランスは決して悪くなく操作感に不満は出ませんでした。円形絞りの採用で、少し絞った際のボケ描写に初期モデルよりも期待できるのが選択理由の一つですが、ベストセラーレンズ故に中古市場への流入が多く、現状人気薄のAマウントレンズですから10,000円程度で状態の良い個体が入手できるのも大きな魅力です。ADI調光やデジタル補正の恩恵が不要であるなら<New>モデルは100mmマクロの隠れベストバイと言えるでしょうか。

 解放から優秀な解像感を見せるピント面、そこからなだらかに繋がるボケ像により、総じて「品」の高さを感じる描写力はなるほど評判通り。前後のボケはエッジの目立たない優しい物なので、花の接写は勿論、ポートレートレンズとしても実力を発揮する筈です。約40年前というフイルム時代の設計ながら、その描写力は6000万画素機でも尚更に魅力の高さを見いだせる事に驚きを禁じ得ません。マイクロフォーサーズでは45mm・90mmのマクロレンズを愛用していますが、フルサイズミラーレスでのマクロ1本目は、どうやら本レンズに決定してしまいそうです。(特にAF作動時のメカノイズには目、もとい耳を塞ぐ方向で調整は必要ですけど)

 

 

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フイルム時代からその「ボケ」に定評のある本レンズ。デジタルでの描写もご覧の通り。フルサイズ、中望遠、絞り解放とボケの大きくなる要素が多い事を加味して考えても、非常に柔らかく癖を感じさせないボケ像を見せます。前後ともにとても均質で合焦部を見事に引き立てます。

  

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ボケ像が乱れやすい被写体を選定してもこの通り。合焦面も絞り解放から解像度が十分に高く、非常に繊細な描写をします。100mmという焦点距離で日陰の接写ともなれば、下がったシャッタースピードでブレ写真の量産も覚悟しましたが、ボディー内手振れ補正のアシストもあって歩留まりの良い撮影となりました。レンズに手振れ補正を持たない旧タイプのレンズであっても、機材進化の恩恵をうけられるのは頼もしいですね。
 
 

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100mm MACROが<New>タイプにモデルチェンジした際、外装デザインのモダン化に加え、円形絞りが採用されたのは非常に評価される点です。花弁の厚みがあるため解放では被写界深度が浅く映像の説得力が下がるため、少し絞って撮影をしましたが、背景の輝点がきれいな「玉ボケ」になっていることがわかります。口径食も少なく周辺まで形を崩さず美しいボケ像を作ります。初代100mmは中古相場が<New>よりさらに一段お安くなっていますが、ボケにこだわるのであれば、<New>タイプ以降のモデルをチョイスした方が幸せになれるかもしれません。

 

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明るい中望遠レンズですからポートレートレンズとしてもその真価を発揮してくれるでしょう。まして本レンズのようなボケ像が美しいレンズであればなおさらの事。マクロレンズらしいシャープな合焦面と、そこから始まるなだらかで美しいボケが紡ぐ映像にウットリしてしまいます。初夏の木漏れ日が降り注ぐコントラストの高い難条件でしたが、階調のつながりも良く、陶器の質感描写も秀逸です。
 

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ハイライト基準で、日陰に咲くバラを一枚。被写界深度は浅く合焦部はごく一部になりますが、前後のアウトフォーカス部分とのつながりが非常に美しいので、こういった厚みのある被写体も自然に写し取ってくれます。何度でも申しますが、「あの価格」で「この描写」が手に入ってしまうのは、なんだか申し訳無い気すらしてきます。

 

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丁度花弁の部分にだけ木漏れ日が当たる条件で撮影。軽い逆光状態での撮影ですが、描写はクリアーそのもの。光学系の状態の良い中古が入手できて幸いです。Aマウントのレンズは、ボディーから取り外した状態では機構上、絞の羽根がある一定まで閉じた状態となるため、ガラスの状態を見るためにはピンセットや精密ドライバー等を使い、絞りの連動レバーをスライドさせる必要があります。中古カメラ店では、あらかじめレンズのリアキャップの中央に穴をあけた専用の工具を自作したりするのですが、個人的にAマウントレンズへの興味が高まってしまた昨今、自分専用の工具を新調してしまいました。

 

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炎天下の蓮を絞をf8まで絞って撮影。画面全域が非常に高い解像感で満たされ、重厚感のある描写となります。かといって、質感を失うようなことはなく花や葉の手触りが伝わってくる感じさえ覚えます。しかし強烈な日差しの下ハイライト基準で露出を切り詰めましたが、シャドー部の「黒」の描写がなんとも美しく吸い込まれるような感覚です。

 

Zeiss Otus 55mm f1.4 ZF.2 (APO-Distagon)

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 50mm付近の焦点距離と解放f値1.4のスペックを持った単焦点レンズは、フイルム一眼レフの時代にほぼ全てのカメラメーカーから販売をされていました。135フォーマットフイルム(いわゆる35mmフルサイズ)において「標準レンズ」とも呼ばれるその焦点距離は、遠近感や画角が比較的人間の視覚に近い事に由来する癖の少ない描写特性を持つことに加え、解放f値の明るさ、適度な被写界深度、比較的短い最短撮影距離の特性から対応可能な撮影場面も多く、文字通りの「標準」として活躍しました。私の学んだ大学の授業では、1学年目の前期課題のほとんどはこの50mmだけを使用する縛りが与えられていたのですが、撮影の技術・理論の基礎習得にはとても有効な手段であったのだろうと今更ながらに感じています。

 ところでこれら「標準レンズ」には、多くのユーザーにとって初めて手にする1本(いわば、そのメーカーの名刺的な役割)となるからこその大事な使命が存在しています。それは、十分な性能を適度な大きさと重量そして価格で提供されなければならないという事です。この二律、三律背反とも言える命題のため、標準レンズ設計の歴史を紐解くと結果としてはある種の最適解、総じて「変形ダブルガウスタイプ」と称される6群7枚の光学系へと導かれていったように感じます。かつて各社が公開していた50mm f1.4のレンズ構成図、そしてその描写特性に共通点が多い事からは、逆に「標準」であることの難しさを感じ取れるとも言えるのではないでしょうか。

 さて、デジタル一眼が主流とっなた昨今、「標準」の役割を「標準ズームレンズ」へとバトンタッチしたかつての「単焦点レンズ」には、新たな時代がやってきたとも言えるでしょう。開放をf値を1.8としたことで安価となった単焦点レンズの入門モデルとして(いわゆる撒餌レンズ)、また解放f値を0.95やf1.2などとした明るさ・描写性能を極めたフラッグシップ的モデルとして様々な新レンズが登場しては話題に上っています。さらに「標準」の中でその代表を務めたと言ってもいい、解放f値1.4のモデルさえ「標準」に課せられたコストの枷が外された事もあるのか「6群7枚変形ダブルガウスタイプ」ではない新設計のレンズもお目見えするようになったのです。中でも「純正」よりも高額な定価設定で登場した「非純正」のSIGMA 50mm f1.4 DG Artや、当初40万円を超える売価でお目見えした本レンズには度肝をぬかれました。

 Zeiss曰く「標準レンズにおける完璧の概念を塗り替えた」とした、全長140mm超、重量約1Kg、フィルター径77mmと、135mmクラスの大口径望遠レンズに匹敵する装いを有する本レンズは、百花繚乱ともいえる現行焦点距離50mm付近のレンズで、間違いなく究極の一本であると言えるでしょう。Zeiss標準レンズ伝統のPlanarに類する設計ではなく、広角レンズでの採用例が多いDistagonタイプ(いわゆるレトロフォーカスタイプ)による非球面レンズを含む10群12枚のレンズ構成は、なんとその半数が異常部分分散特性レンズで占められるという遠慮(?)の無さで、設計の概念すらも塗り替える勢いです。一眼レフの黎明期に良く見られた性能確保の手段同様に、焦点距離を僅か長めの55mmに設定した事からも、設計者の強いメッセージが伝わってきます。この塗り替えられた標準レンズの概念、拙い映像では伝えきれないその魅力を是非皆様の眼力で汲み取って頂ければ有難いのです。

 

 

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f1.4。標準設定のJPEG撮って出しでこの色ノリです。もともと派手に彩色されたオブジェでしたが、どちらかと言えば派手目になるといわれる記憶の中の映像よりもさらにビビッドに感じます。開放描写で問題になる周辺光量落ちや口径食の影響も限りなく軽微でしょう。なによりボケた背景の切り株や庭石にもしっかりと立体感が宿っているのは一種不気味なほど。

  

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丁度、恐竜オブジェの背びれがボケチャートとして役立ちました。距離に応じて徐々に大きくなるボケ像が確認できます。硬すぎず、柔らかすぎず、前後に均質に広がるボケ像、いい塩梅です。旧来の設計ですと口径食の影響もあって背景が同心円状に渦を巻いたように変形する通称グルグルボケが目立ちやすい状況ですが、本レンズでは当然目立ちませんよね。ピントの切れ込みも解放とは考えられないほどシャープです。

 

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モノクロにすることで、トーンの繋がり、優れたコントラスト再現性が確認できます。高解像度センサーの恩恵もありますが、合焦部を拡大すると、オブジェ構成素材の結晶の粒を感じられるほどのシャープネスに驚きます。

 

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さすがに多少の破綻を生じ「味わい」のある描写をするだろうと想像したピーカンの建造物。こんなに「普通」に写ってしまうとは。。。。。。周辺光量落ちはさすがに感じ取れますが、それ以外に突っ込む要素が見当たりません。描写のクセに頼れないレンズ、実力試験試をされている気もしなくはありません。

 

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対称光学系を基本とした変形ガウスタイプのメリットに歪曲収差の補正が挙げられますが、レトロフォーカスタイプで設計された本レンズも非球面レンズや最新の設計技術を活用し、非常に高いレベルで補正がされています。デジタル補正の恩恵を得られない組み合わせでの利用ですが、歪曲の影響を実写で感じる事は殆ど無いかと思います。

 

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かなり輝度差の大きい被写体でしたが、露出補正のみで飛びやつぶれの少ない映像を手に入れられました。部分補正をせずにこの仕上がりです。センサーのダイナミックレンジを生かし切る相当に懐の深いレンズだと感じます。

 

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本来絞り込んで撮影するのが妥当な被写体ですが、機械精度も高くEVFでもマニュアルフォーカスによるピント合わせが快適なので、絞りを開けてファインダー像の変化をついつい楽しんでしまいます。フリンジの少なさもアピールポイントとされていますが、なるほどこんな光源下でもエッジに不用意な色づきは発生しません。太陽を避けたフレーミングにしてはいますが、逆光の耐性も当然高いレベルで確保されているとお知らせしておきます。

 

 

MINOLTA AF REFLEX 500mm f8

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 凸レンズや凹レンズを通過する際に光が曲がる(屈折する)性質を利用して焦点を結ぶ様に設計された大多数の写真用レンズでは、一般的に焦点距離が長くなればなるほどレンズ全長も長くなります。設計手法や利用する光学素材によっても変化しますので一概には言えない部分もあるのですが、大雑把に言ってしまえば50mmの焦点距離のレンズならば5cm。100mmならば10cmといった感じでレンズの全長は変化します。スポーツ中継のカメラマンブースに、大砲の様なレンズが並んでいる様子を見た事もあるかと思いますが、それは遠景の被写体を大きく写す為の望遠レンズの焦点距離が500mmや1000mmと非常に長い事が要因の一つです。加えて、画像の明るさを得るためレンズ口径も比例して大きくする必要があるので、超望遠レンズは「長く」「大きく」「重く」大砲のような外観となり、そして価格も「高く」なるのが一般的なのです。

 さて、上記の「屈折光学系」をざっくりと1枚の凸レンズで説明すると、そのレンズと焦点が結ばれる(ピントが合う)点との距離が「焦点距離」となるのですが、レンズではなく向かい合わせに配置した鏡(凹面鏡)の反射の利用によって光を往復させて焦点を結ばせる「反射光学系」は、焦点距離を理屈上半分程度に縮める事ができます。そして、そのメリットから主として焦点距離500mm以上の望遠レンズに各社で採用され「反射望遠レンズ」などとも表記されるのが本レンズを含めたレフレックスレンズ群になります。

 前述した通りレンズ全長を短く全体を小型化できる以外にも、大口径のレンズが光学系に存在しない為に軽量化・低価格化できる点、主光学系が光を屈折させない為に色収差の発生が少ないといったメリットがあるため、AF化される前のフイルム時代はカメラメーカー・レンズメーカーには必ずと言えるほど500mmのレフレックスレンズが商品化されていました。中には1000mmや1600・2000mmという超長焦点距離のレンズを有するメーカーや、小型化の恩恵をあまり得られない250mmや350mmといったレンズにまでレフレックス方式を採用したり、ズーム化を果たした例などもありました。半面、絞り調整の機構を持てずf値が固定である点(しかも500mmレンズでf8と決して明るくない)や副鏡の存在がボケ像を大きく乱す(光源がドーナツ状に写る通称リングボケ)といった欠点の存在から、どちらかと言えば「特殊レンズ」として扱われることも多いのが実際のところだったと感じています。

 そして、フイルム時代MINOLTAα7000の発売以降、一眼レフカメラに一挙にオートフォーカス化の波が押し寄せつつも、AF化が遅れていたレフレックスレンズでしたが、光学設計の最適化と第二世代となるα7700iに搭載された多点測距センサーの恩恵を受ける形でAF化を果たしたのが、本レンズMINOLTA AF REFERX 500mm f8となります。プラスチック外装の採用によって小型軽量化に一層の磨きをかけ、手振れ補正機構が実用化されていなかった当時は、AF化でピント合わせの負担も軽減された事で「手持ちでもいける超望遠」として唯一無二の魅力を放っていました。無論他社のAFシステムも徐々に測距点の多点化へと進化を果たしますが、結果としてAF化された35mmフルサイズ用のレフレックスレンズは当レンズ1機種(APSフイルム規格のVECTIS用に400mmのミラーレンズが存在していました)だったのはなんとも残念な話です。以降デジタル化したAマウントのSONY製α用レンズとしても存在を続けたのは意外とも感じましたが、AF一眼システムの先駆者としての意地とプライドがしっかりと引き継がれた事の証明だったのかもしれません。

 本レンズをLA-EA5を併用しミラーレス機α7RⅣでの撮影する際は、AFでの撮影も勿論可能ではありますが、やはり反射光学系という特殊性や解放f値が8と暗い影響もあってか、残念ながら「小気味よいAF利用による撮影」とは行かない様です。うす暗い状態では全く被写体を捉えてくれない事も稀ではありませんし、上手くAFが作動したとしても、被写体を「捉える」と言うよりはじりじりと「探り当てる」かの様なレンズ挙動になんだか懐かしさも感じてしまいます。結果、像を拡大した上でのMF撮影の方が随分とストレスフリーだったりするので、これなら他社のMFミラーレンズを使っても同じなのでは・・・・と思う事も。MINOLTA製レンズであってもEXIF情報にレンズ名が記載されるというLA-EA5併用のメリットはあるのですけどね。ちなみにSONYのHPによると、本レンズは最新(後?)のSONYバージョンでもレンズ補正に関する情報はありませんので、Lightroomでもプロフファイルを利用したデジタル補正は本MINOLTA同様アクティブにはならないかと思われます。元より色収差をはじめとして収差が少なく、デジタル補正の必然性はあまり無いタイプのレンズなのかもしれません。SONY版は中古市場ではあまり見かけないレンズですが、使用する機会があったら是非検証してみたいものです。

 

 

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レフレックスレンズの欠点としてボケ像の乱れは有名ですが、光源がドーナツ状に描写される「リングボケ」はそれを期待して利用する場面も存在しますし、その為にこそ本レンズを入手する動機にもなったりします。木漏れ日を反射する路面のイチョウの葉が、あたかもイルミネーションの様な演出で描かれました。さしずめ被写体のパイロンは、クリスマスに肩を寄せ合う恋人の様です。

 

ちょっと言い過ぎですかね。

 

ちなみにリングボケだけを求めるのであれば、保護フィルターの中央に丸く切り抜いた黒紙を両面テープで貼り付けるという力技もあったり。(自己責任でどうぞ)

  

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シャープネスは低くはありませんが、500mmのレンズの被写界深度は浅く、合焦面の前後のボケ像がやや乱れる為にピント自体が甘く感じてしまう事もあるようです。微妙なピント位置の違いが全体のイメージを変える事もあるようで、なかなか使いこなすのは難しいなと感じました。

 

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思っていたよりも周辺光量がしっかり落ちて、雰囲気のある写真に仕上がりました。被写体がカラスだったこともあり、一部のハイライトを除いてがっつりダークになるよう露出をコントロール。そこそこの遠景でしたが、ボケの乱れとは無縁な青空が背景だとレフレックスレンズのクセは感じられません。

 

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薄暗い竹林での撮影です。他のレンズよりも像のコントラストが低いのか、AFはまったく役に立たず前後に行ったり来たり。あきらめてMF撮影に切り替えましたが、ピントリングがレンズ前方にあるため操作バランスは今一つです。過去のレフレックスレンズのような幅広のピントリングがあれば操作性は格段に上がりそうなので、ミラーレスバージョンが発売されるなら是非とも搭載して欲しいものです。

 

 

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硬質な物体で、特徴あるボケを逆に生かしてみようと被写体をチョイス。屋内駐車場に整列した自動車を選択。学生時代に鉄道写真を撮影する為にReflex Nikkorを借用した事を思い出しました。あの時は架線柱の乱れたボケ像に手を焼いた記憶がありますが、それは私の付き合い方に工夫が無かっただけなのかも。

 

 

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西日を浴びた自動販売機が美しく輝いていたので一枚。遠景の被写体では被写界深度を稼げるので、目立った癖は感じずシャープな印象に。強い光線を反射した金属部のエッジにも妙な色づきを認めないのは、やはり反射光学系の特徴である色収差の少なさが効いているのでしょうか。

  

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合焦部との距離が開けばボケ像の乱れも緩やかに感じます。浅い被写界深度ですがかろうじてベンチの質感は表現されているのかと。屈折光学系の500mmレンズ、最近では随分と小型化された物も存在しますが、まだまだレフレックスにはかないません。人目をはばからずに超望遠によるスナップが撮影できるのは、他人のカメラに過敏に反応する現代では本レンズの新しいメリットになるかもしれないのです。

 

SONY AF 20mm f2.8 (SAL20F28)

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 写真学校在学の2年生の頃にカラー実習なる授業がありました。撮影したカラーネガフイルムを校内の自動フイルム現像機で現像し、仕上がったネガを原版にして暗室で引き伸ばし、そして自動プリント現像機でプリントした作品で講師の講評を受けるといった授業だったのですが、別授業の通年必修科目ではモノクロのプリント提出が必要だったため、課題撮影時に「カラーフイルム」と「モノクロフイルム」を装填した別々のカメラを持つスタイルが基本になりました。現代のデジタルカメラであれば、撮影現場で仕上がり設定を変えたり、帰宅後にPC上で1枚のRAWデータからモノクロ・カラー両方のデータを生成することもたやすいですから、そんな手間は不要なのですが、フイルムではそうはいきません。仕上がりの質を気にしなければ、カラーネガフイルムからモノクロプリントを作成することも可能だったのですが、「質」をめっぽう気にする体質の大学でしたから、フイルム入れ替えの手間を惜しむモノグサ筆者などは、カメラ2台持ちが最善の選択となった訳なのです。

 さて、当時はメインにNikonのシステムを使用しており、当然のことながらトラブルに備えてボディを複数台所有していたのですが、ここで、どうせなら全く使用したことの無いシステム一式を試してみたいという謎性癖が発動してしまい、アルバイト先からMINOLTAα8700iのボディとともに20mm/50mm/100mmマクロの三本のレンズを借用しカラー撮影に利用しました。丁度MINOLTAのαシリーズが3世代目のα-xiシリーズに移行し、同時に多くのレンズにマイナーチェンジが施された頃でしたので、旧世代となったボディや旧バージョンの中古レンズ在庫が比較的潤沢に店頭にあった事も選択の理由になりましたが、α7000の発売以降他社に先駆けてAF一眼レフの一時代を築いたMINOLTAのAFシステムに強い興味があったのも事実です。

 このようにして、借用故に長期間とはいかなかったものの人生初のMINOLTAを味わった訳なのですが、中でも20mmf2.8は記憶に強く残りました。自身の手持ちNikonシステムでは24mmが最も広い画角のレンズでしたので、より広い画角やパースが強烈だった事もありますが、ピント面のシャープさと広角レンズにしては比較的柔らかめに感じられるボケ味、殆ど感じられない歪曲収差など超広角レンズとして総合的に高い描写力を持っていた点に関心しました。フィルター口径は72mmと小型の部類ではありませんがレンズ全長は比較的短く、高い効果が望める花形のレンズフードや(当時Nikonは花形フードを採用していなかった)リアフォーカスによる小気味いいAF駆動なども好印象でした。本レンズはαシステム立ち上げ初期から存在しましたが、マイナーチェンジを受けつつも基本光学系はそのままSONYのデジタル一眼レフカメラαのシステムへも引き継がれました。当初αはAPS-C機のみの構成でしたが、フルサイズ対応の本レンズが存在していたのはやはり後のフルサイズ一眼レフα900の開発が織り込み済みだったのでしょうし、それは同時に本レンズが当初からフルサイズデジタル一眼に対応できる高い性能を持っていた事の証明にもなるのでしょう。デジタル時代になって必然性が無くなってしまいましたが、機会があるならあの漆黒のカラー暗室(日本語としてなんか矛盾してますが)に再び潜って作業をしてみたいものです。

 

 

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絞り解放から、中心部はなかなかに高い解像度を持ったレンズです。周辺へ向かうにしたがって徐々に解像度・コントラスト・光量が落ち、代わりに収差の影響もあってか少しフレアっぽい描写を見せます。しかし嫌味な像の流れなどは感じられない味わい深い映像を提供してくれます。

 

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学生時代の試用ではボケが素直な超広角というイメージを持ちましたが、その感覚は間違っていなかったようです。被写体によっては多少チリチリとした感じも出ていますが、超広角での解放・近距離撮影である点を考えると、十分優秀なボケ味といって良いのではないでしょうか。

 

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シーズンを終え岸辺に重ねられた観覧用のボートが巨大な生物の躯の様です。LA-EA5を使った撮影では、SONY製レンズは画像データに使用レンズの情報も書き込まれるので、結果としてLightroom上でレンズ毎のプロファイルデータを用いた収差補正も可能()となります。歪曲収差や周辺減光、倍率色収差など超広角レンズで問題になりがちな欠点も補ってはくれますが、あえて旧タイプのレンズに敬意を表し無補正を選択することもできます。補正の有無はワンクリックで比較・選択できるのがデジタル化の恩恵ですよね。

()SONY製のAマウントレンズ(一部除く)では、ボディー内で生成されるJPEGデータには、カメラ側の設定により自動的にレンズプロファイルによるデジタル補正が適用されます。(適用しない設定も選択可能です)LightroomにおいてはRAWデータの現像時にプロファイルを適用したデジタル補正利用の有無を選択できますが、この機能、同一スペックのレンズであっても、MINOLTAやKonica/MINOLTA時代のAマウントレンズでは利用できないようですね。

 

 

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直線基調の被写体なので、こちらはレンズプロファイルによる補正をオンに。元から歪曲収差はそれほど大きくはないと感じていますが、周辺減光と共に多少の歪曲は修正されているようで、被写体によっては積極的に活用したいと感じました。太陽がかなり傾いた夕刻でしたので超広角とはいえ手振れを警戒しましたが、ボディー内手振れ補正も自動で最適化されるのは心強いですね。純正アダプターさまさまです。

 

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合焦部の高い解像感、丁寧に補正された歪曲収差は好印象。周辺部も大きな画像の崩れを感じる事はありません。収差の影響で点光源はやや形を乱した印象なので、星野写真などでは最新の高性能レンズには適わないのでしょう。しかし、非球面や低分散ガラスなどを採用せずにこの描写はなかなかに侮れません。

 

SONY AF 50mm f1.4 (SAL50F14)

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 齢50を迎えた筆者などは、SONYと言えばウォークマンやハンディーカム、トリニトロンなど、かつて一世を風靡した製品や技術名を真っ先に思い出します。また、パーソナルコンピューターのVAIOや家庭用ゲーム機のPlayStation、液晶テレビのBRAVIAなどは比較的新しい記憶として刻まれています。一方で、βムービーやメモリースティックなど、民生品では主流になり損ねたメディア規格などの断片記憶なども残っていたりするのですが、これほど多くの呼称が思い浮かぶ製品(技術)を作り出しているメーカーはあまり思い当たりません。恐らくですが、日本に生活していてSONY製品やその恩恵に一度も触れた事の無い方は、そうそうおられないのではないかと想像します。

 そんなSONYですが、まさか一眼カメラメーカーとして世界的に有名になる日が来るとは、お釈迦様が存じていたかどうかは不明ですが、片田舎に住まう元カメラ小僧には全く想像もできない事でした。映像・音響機器メーカーとして先進的かつ高い技術を元から持っていたことは説明するまでもありませんが、カメラの製造技術を同事業から撤退したコニカミノルタ(旧MINOLTA)から引き継いだこと、デジタルカメラの基幹部品である撮像素子の製造メーカーでもあったこと、なにより写真の主流が銀塩アナログ写真からデジタル写真へと大きく流れを変えたこと、これらが奇跡的とも思われるタイミングで融合し、誕生したのがSONY「α」なのでしょう。MINOLTAから引き継いだ「α」マウント(Aマウント)レンズ群とともに、1000万画素のAPS-C一眼レフ機「α100」でデジタル一眼カメラメーカーとして産声を上げたのは2006年と、割と最近の話(2023年現在)。その後Eマウントでミラーレス一眼参入し、FEマウントの「α7」でフルサイズミラーレス一眼の市場を開拓すると、センサーメーカとしての強みを存分に発揮し、超高画素機の投入・裏面照射や積層型センサーの開発・像面位相差やAI技術を用いた高性能AFの実装・果ては世界初のグローバルシャッター搭載機の発表などで、瞬く間に市場の牽引役としての地位を固めてしまいました。しかし、過去「β」で覇権を握れなかったSONYが「α」でデジタル一眼の覇権競いとは、運命めいた何かを感じてしまう話ではありますが・・・・・。

 さて、かく言う私、普段は小型センサー機であるマイクロフォーサーズフォーマットのカメラを愛用しているのですが、ひょんなことからSONYのα7RⅣという超高画素のフルサイズミラーレス一眼を入手・試用しております。(撮影画像に影響の出ない部分の故障を抱えた訳あり品の為、あえて「試」用)当初手持ちのLeica SUMMICRON-M35mmの「母艦」としての導入が主目的ではありましたが、フイルム時代のレンズがフルサイズで活用できる機材としての利用価値が非常に高く、もっぱら撮影時の必携機材となってしまいました。とりわけ純正アダプターのLA-EA5は画期的で、ミラーレス化の影響で中古市場価格が極端に下がったAマウントのレンズでも絞りやAFの制御がボディー側から行う事が可能となりますし(ボディーによって制約はありますが)、レンズの焦点距離を始めとした撮影情報が画像データに内包されるので、後々の画像管理にも好都合です。初期MINOLTAのαレンズでさえボディー内手振れ補正の焦点距離による最適化が自動で行われたのには正直感動してしまいました。

 こうして、α7RⅣとLA-EA5の競演で一眼レフ用Aマウントレンズを存分に利用できる世界線が構築された訳ですが、同時に写真学生時代にアルバイト先から借用したα8700iと数本のレンズの描写がふと思い出されました。そして30年の歳月を経て、再びそれらのレンズを最新の高画素デジタルで撮影したらどんな「絵」がでてくるのだろうかと、抑えられない興味が湧いてきました。偶然ですが、当時MINOLTAブランドで借用したそれら数本のレンズは、SONYブランドでも継続販売(2023年現在は直販サイトでの販売は終了)されていた為、経年劣化の少ない個体の入手も望めます。主流はミラーレスのFE/Eマウントへと移行してますから、案外レアな商品とは言え価格も抑えられるのが嬉しいところ。懐かしさと新しさの同居したこれらのレンズを揃えて手元に置いておきたいという厄介な欲求、しばらくは上手く抑える手段が思いつかないのだと思います。

 

 

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開放f1.4ではさすがに周辺光量は落ち、自然と画面中央に鑑賞の眼が向かいます。合焦面は非常に繊細なイメージで解像力は十分ですが、逆光に近い状況では、僅かのハロを纏った感じでノスタルジーを誘います。手持ちのAi Nikkor50mm f1.4より開放のハロが少ないと感じるのは、やはり設計が新しい(と言っても1980年代)からでしょうか、あるいはデジタル向けにチューニングが施されたのでしょうか。

 

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一眼レフ用の50mm f1.4クラスのレンズで良く見られる6群7枚の構成レンズでは、解放時は少し固めの後ボケと逆に柔らかい前ボケを特徴とするレンズが多いことが経験的に多いと感じます。本レンズもその特徴を有しており、手前に入れたバラの花は大きく自然なボケ味で描写されました。日陰では解放絞りでもあまり目立ったハロは感じられず、コントラストのあるキリっとした描写になりました。

 

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少し絞ってあげると、とても端正で透明感のある描写へ。背景のボケもトゲトゲしさを潜めとても素直なボケ像になります。本レンズの絞り羽根は7枚と標準的ですが、手の込んだ円形絞りを採用した恩恵もあるのでしょう。合焦面の解像感もさらに上がり、センサーの高解像度に引けをとらない描写になっていると感じます。

 

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高画素機は画素そのもののサイズが小さくなるため、解像度と引き換えに諧調再現やダイナミックレンジでは不利になるというのが定説ですが、センサーの性能にはどこまで伸び代があるのでしょう。水面に散った白バラの花びらを基準に、白飛びを起こさない様露出を切り詰めましたが、粘るシャドー部に驚きを禁じ得ません。

 

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なかなかにコントラストのある条件ですが、水面に映った雲がディテールを損なわないようにマイナス側に露出を補正。開放絞りでの撮影ですが、適度な周辺光量落ちが良い塩梅で雰囲気を高めてくれました。中間調からシャドーへのグレーの繋がりが何とも言えません。

 

Dsc00710

撮影で訪れた庭園では、ハロウィンを意識してか南瓜がお出迎え。開放の優しい描写に誘われたのか、亡くなった祖母がこの季節に家庭菜園で育てていた南瓜を思い出しました。そういえば当時はハロウィンなんてほとんどの人が知らなかったはずなのに、近年の異様なまでの盛り上がりは一体なんなんでしょうねぇ。。。「OBON」にナスやキュウリの置物を飾る外国人って、、、、まさか、いないですよね。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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