Nikon Ai Nikkor 50mm f1.4

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 手持ちレンズの最古参になるのが、このAi Nikkorの50mm。と言いましても本来の所有者は父なのですから、「手持ち」という形容も誤りということになるのでしょう。私が幼少時代に父が奮発・・・したかどうかは定かではありませんが、Nikon FEのボディーとともに購入してきたのが本レンズです。以来、当時趣味だった鉄道の駅撮り写真の撮影に欠かせない相棒となり、高校時代にはテレコンを併用したポートレート用の中望遠レンズとしても随分と活躍しました。また、クラスメイトを撮影したモノクロ写真で当時開催されていた「GEKKOフォトコンテスト 」に入賞するなど、思い出にも事欠かないレンズとなっています。

 しかし、大学に入ってからは家財を持ち出すうしろめたさ(?)もあって、後継のAi-sタイプをバイト代にて別途購入。その後はコンタックスへとメイン機材を変更したため本レンズを使用する機会は殆どなくなってしまいました。そして時が過ぎ、デジタルカメラがメイン機材となってからも既に15年という時間が流れ、あえて持ち出す機会も少ないまますっかり防湿庫の留守番をまかせっきりにして今日に至ります。

 何をもって「オールド」という称号を与えるかは議論の余地を残しますが、昨今ではフイルム時代に生産されていたレンズは大概「オールドレンズ」と呼ばれています。自分の半生以上を共に過ごしてきたレンズが年寄り呼ばわりされることに少々イラつきを覚えてしまうのですが、出番をすっかり減らしてしまった張本人のダブルススタンダードっぷりに呆れたりもしています。そんな私でさえ「お兄さん」と呼ばれなくなって久しいのですから、年を取ったことに恨み節を吐くのではなく、重ねた齢に誇りを持って「オールド」の称号を受け取れたらどんなにか素晴らしいことでしょう。

 本レンズは内部清掃・グリス交換・ピントリングのゴム交換と三度の修繕を経てこそいますが、非常にクリアな光学系を保ったままの現役バリバリで、私にとって、改めてマニュアルフォーカスレンズの堅牢さとNikonブランドのモノ作りの確かさを裏付ける存在となっています。学生時代はその描写に悪態をついたこともあったり、なかったりなのですが、Super-Takumar同様、デジタルの息吹を与える事で、新たな発見がいくつもありました。恐らくはこの先も「最古参」でありつづけるのでしょう。

 

 

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1.4の解放では、わずかハイライトに滲みを伴う画質となります。かといってコントラスト全体が極端に下がっているほどではありません。この辺はSuper-Takumar比で考えますと、新しいレンズという事になるのでしょうか。古いAuto-Nikkorだとどんな描写になるのか、興味がででしまいました。

 

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三つの点が逆三角形に並んでいると「顔」と認識する様に人間の脳にはプログラムされていると言われる、シミュラクラ現象を応用?した装飾でしょうか。農薬散布用の小型自動車に小動物をモチーフにしたかのような髭の装飾がおしゃれです。かなり古いもののようで、背景の自動車の「顔」デザインとの対比も面白いです。フイルムで使用していた時はややボケに硬さを感じて気にしていたのですが、こうして見ると存外素直で良い感じですねぇ。これも1.4解放時の描写です。

 

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昔の記憶が気になったので、よりボケの質を確認しやすい被写体をチョイス。後ボケはやや硬めで、二線ボケ傾向にあります。前ボケは柔らかい印象でしょうか。被写体によっては目立つかもしれませんが、「目の敵」にするほどでもないでしょうか?うーむ。なんで昔は毛嫌いしたのでしょうか?

 

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という事で、逆に少しざわついたボケを生かそうと、こんな被写体を撮影。これも解放なのですが、合焦部の解像感はなかなかです。真夏の炎天下の撮影だったのですが、どっしりと落ちたシャドー部と線の太さを感じる「Nikkor」らしい描写に満足満足。こういった被写体、フイルム時代はつきすぎるコントラストに手を焼いて現像方法やプリント調整を試行錯誤したものですが、JPEGの撮って出しでコレですからねぇ。しかも1/32000の電子シャッターを利用していますので、フイルム時代にはできなかった撮影という事になるのでしょう。(あ、テクニカルパンという手もあったか・・・・)

 

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45センチの最短撮影距離付近。フルサイズ換算で100mm相当の望遠レンズですから、マクロ的な撮影も可能になります。絞りはf5.6あたりですが、立体感を見事に描写。ボケの癖もおとなしくなっていい感じです。なかなかに多才なレンズだなぁ、と正直驚いています。防湿庫からの出動回数、少し増えるかもしれません。

 

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一枚位はカラーで。画面中央部をトリミングするマイクロ4/3だと、歪曲収差もほぼ皆無と言っていいでしょう。炎天下、芝生の照り返しで画面全体がグリーンにかぶっていますが、そのへん含めて季節感ということであえて無補正で。幼いころ近所の薬局に備え付けてあった有料の遊具、母親にせがんでは断られていた事をちょっと思い出しました。そういえばあの頃からこのレンズは我が家に存在していたのですね。

 

 

Leica Summarit M 50mm f1.5

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 Zeiss社が発表したかの有名なSonnar50mm-f1.5に対抗すべく、バルナックライカ用の 当時もっとも明るいレンズとして1949年に誕生したのが、このズマリットです。もともとはシュナイダー製のクセノンを母体とし、以降M型ライカ用のSummilux50/1.4へとバトンを渡すまで、約10年の間ライカのハイスピード標準レンズの座をつとめました。

 黎明期のハイスピードレンズにありがちな開放時の甘い描写故、クセ玉の代表格とされ、評価する人間の主観によっては「悪玉」とも「銘玉」とも、その評価は極端で、中古相場も世相を反映して乱高下する非常に奇特なレンズです。

 また、製造時期により多数のバリエーションが存在し、各々の保存条件や製造時のばらつきによっても描写性能が変化し、購入にはそれなりの覚悟を必要とします。 私の入手した個体も、購入時は中玉のコーティングが完全に劣化し、それによるフレアの オンパレードで、劣化が原因と解るまでは「う~ん、これがクセ玉の描写か」と 誤った見解を持ったほどでした。

 しかしながら、大変優秀な技術を持っておられる某有名レンズ研究所にて、新たな命を吹き込まれたSummaritは当初の想像を遙かに超えた性能を発揮し、掛け替えのない一本へと復活したのです。

 開放~f2.8程度までは微妙なソフト感をのこした独特の柔らかな描写をし、絹のベールを被せたかのような艶のある美しい画像を形成。f4以降急激に増す先鋭度は8あたりから、仕上がった原版をルーペで覗く目が痛むほどのシャープネスを発揮します。 開放から破綻のない優秀な性能を誇るSummicronを秀才に例えるなら、特定の条件における、撮影者の予測の範疇を越えた描写性能を持つこのSummaritはまさに「天才」の名を冠するレンズなのかもしれません。

 

 

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ズマリットの所有欲を増す危険な描写。全体的にハロが目立つ独特なソフト描写になります。しかし、ルーペでポジを拡大するとしっかりと合焦部分は細部まで解像されています。ボケ像はややざわついた感じもありますが、この年代のハイスピードレンズとしてはまとまりの良い描写と感じます。

 

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解放ではややソフト感が強いながらも、f4辺りから柔らかさと高いシャープネスが同居する独特の描写となります。再研磨+再コーティングのおかげでこの程度の光源ならばフレア・ゴーストの発生は見られません。

 


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屋外でかなり強い太陽の反射をいれましたが、特に問題は無いようです。絞り込むと非常にシャープで繊細な描写となります。解放描写とのギャップが何とも言えず、オールドレンズならではの楽しみとなります。

 

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M2以降のM型ライカで使用すると、50ミリのブライトフレームはフレームアウト部も確認しながらの撮影となります。M型ライカがスナップ撮影に好適とされる所以ともなります。同一被写体で同時に確認する術がないのですが、やはり、一眼レフとは一味違うフレーミングになるなぁ。と、感じています。

 

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絞り込んだ時の、非常に高いシャープネスを実感できる一枚。画面全体に写る芝生の一本一本が綺麗に解像されています。逆光気味ですが、レンズフードの効果もあってコントラストの高い映像となりました。ちなみに純正フード「XOONS」はチリメン塗装された角形の美しい造形で、単体で一万円以上の値が付く人気アイテムの一つです。

 

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35mmの画角が馴染んでいる自分にとって、50mmの画角はちょっとした望遠レンズ。気になった被写体を少しだけクローズアップする感覚は、M型ライカのブライトフレーム越しだとさらに強調されます。

 

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バブル期に賑わったリゾート施設。現在では民家の倉庫となっていました。写真の「記録」という特性だけを考えればスマートフォンの存在は偉大ですが、自分がいまだカメラを手放していないのは、きっと写真の「それ以外の何か」に囚われているからなのでしょう。

 

 

Lumix G 20mm f1.7 ASPH

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 その役割を販売戦略的に見れば、非常に重要な標準キットレンズ。そして、顧客ニーズの最大公約数を狙ったであろうズームレンズセットが、その販売の主流を担うデジタル一眼市場において、異端とも思われる単焦点レンズのキット化には、メーカーの確かな自信が垣間見えます。

 その自信を確かに裏付ける、35ミリフルサイズ換算で約40ミリとなる焦点距離のこの標準レンズは、丸みを帯びつつも十分にシャープな開放f値1.7の描写と、絞り込んだ際の解像感の非常に高い引き締まった画質ともに素晴らしく、明らかに同価格帯のズームレンズとは一線を画していると言えます。

 「誰でも」「簡単に」「綺麗な写真」が撮れることは、デジタル時代におけるカメラ・レンズ開発の1つの指標ではあるのでしょう。でもこのレンズには、

「もうちょっと工夫すれば、きっともっとイイ写真になるよ」

 といった「やる気」を起こさせてくれる、そんなアナログ時代のエッセンスが隠されているようです。パナソニックとの技術提携をしているライカ社往年の名機「ライカCL」の標準レンズとして、ズミクロンの40ミリが付属していた事を思い出せば、なるほど、このレンズには確かにサラブレッドの血が流れていてもおかしくはないようです。

 余談になりますが、巷ではこういった薄型のレンズを昨今「パンケーキレンズ」と呼称していますが、なんとも似つかわしくない「あだ名」を与えられたものだと、この新時代の高性能標準レンズに、わずかばかりの同情を覚えてしまう自分を発見するのです。

 

 

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首都高走行中(もちろん助手席ですよ)車内から撮影。フイルム歴が長い自分は、仕上がりをイメージしやすくする狙いもあってホワイトバランスは基本太陽光に固定しています。その為人口光源ではご覧の通り肉眼で感じる以上に独特の発色をします。オートホワイトバランスではもっとニュートラルな発色になるのでしょうが、写真の楽しみ方としては「太陽光」がしっくりきます。古い人間の証、なのでしょうか?

 


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有難いことにマイクロ4/3初期のボディーであるGF1でさえ、アスペクト比が選択可能でした。もちろんクロップがかかりますがアスペクト比1:1で撮影できるので、ハッセルで馴染んだスクエアが簡単に楽しめます。画素的には不利なのでしょうが、割り切れば案外十分と感じられます。

 

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自宅付近には過去に木工業で栄えた工業団地があります。取り壊す直前の工場跡はお気に入りの撮影スポットだったのですが、現在は新しい別の会社がたくさん入り風景が一変してしまいました。現在はモダンな美しい建物が多く建っていますが、写欲をまったく誘わないのには困ったものです。

 

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35mmフルサイズ換算での40ミリ。ライカCL系のユーザー以外にはあまり馴染みのない画角となりますが、開けても絞ってもとても優秀なレンズです。最初にこのレンズを購入しなかったら、もしかしたらマイクロ4/3のシステムを組んでいなかったかもしれません。

 

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夕闇が迫り、塒(ねぐら)へと急ぐ鳥の群れ。けたたましい鳴き声に、ちょっとした恐怖を覚えながらの撮影でした。連写をしつつ画面バランスを考えてチョイス。高速連写+結果確認で画面バランスを見ながらリテイクを重ねられるのはデジタルならではのメリットでしょう。

 

 

Carl Zeiss Apo-Sonnar 135mm f2 ZF.2

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 カメラの歴史の中で、これほどまでにクラッシックレンズに注目が集まった事があったでしょうか?マイクロフォーサーズのミラーレス一眼が登場してから本格化した、マウントアダプターを介しオールドレンズを用いる手法は、センサーをフルサイズ化したモデルの投入を受け、一つの撮影スタイルとして完全に市民権を得たようです。

 オールドレンズによる撮影は、フイルム時代のレンズ資産をデジタルカメラで上手く生かすための緊急回避策でもありますが、一方で、高性能でありながらも何処か画一的で、無個性的な現代のレンズがもたらす描写へのアンチ・テーゼといった側面も持ち合わせます。事実、高性能なガラス素材や、確立された設計理論、そしてコンピューターを利用した高度なシミュレーションを用いる術のなかった時代のレンズは、現在のレンズと比べはるかに残存収差が多く、その収差が結像に大きな影響を与えた個性的な描写を見せるものが少なくありません。設計者の腕は、これらの収差を少なくすることはもちろんの事、どの収差をどれ位のバランスで残すのか?といったところで発揮されていたのでしょう。対峙する際に緊張を求められるような、高精細・高密度な映像に囲まれている現代においては、旧世代のレンズ描写にある種の安堵感を求めてしまうのも、自然な流れなのでしょう。

 それでは、レンズの高性能化とはいったい何なのでしょうか?フイルム時代に比べ、2000万を軽く超えた撮像素子が投入されるようになった昨今では、レンズの結像性能にはより高いレベルが必要だとされています。残存収差を極めて低いレベルで抑えこみ、高解像・高コントラストな結像性能を与えられたレンズは、これからも、ただ引き換えに個性を失くして行くだけなのでしょうか?

 そんな心配はどうやら杞憂にすぎませんでした。そう確信させたのは、ドイツ光学メーカーの雄Carl Zeissが放つ最新設計のレンズ群です。中でも後発となる本135ミリは、残存色収差抑制への必要性から、伝統の「Planar」ではなく新たに「Apo-Sonnar」の冠を与えられ、その高性能ぶりは解放f値から遺憾なく発揮されます。135ミリともなれば、解放付近での被写界深度は極わずかしかありません。しかし、前後の非合焦部へのつながりがきわめて自然であるために、画面に不必要な緊張感が生まれません。10枚以上のガラスを通ってきたとは思えないほどの透明感あふれる描写は、ファインダーでも存分に堪能でき、センサーの性能を遥かに凌駕するであろう分解能の高さは、まるで細密描写された水彩画のごとく繊細な画像を形成します。ハイライトからディープシャドーまでの諧調も豊かで、HDR合成を見せられているかのような錯覚に陥ることさえあるでしょう。

 結像性能に対し一切の妥協を許さないとされるLeicaやZeissの哲学は、デジタル時代においても決して左右されることなく、個性とも受け取れる収差を徹底して排除することで、逆説的に究極の個性を手に入れたということになるのでしょうか。

 ただし、価格も相当に究極的ではあるのですが・・・・

 

 

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傷んで割れ目の見え始めた車両の塗装面。西日が射しこみ何とも言えない雰囲気が漂います。凹凸を見せる塗装面の質感や合焦している識別文字部のシャープネスが見事です。何という事もない日常の一コマを印象的に切り取ってくれます。単純明快、良いレンズです。

 

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このくらいの焦点距離になると、望遠レンズ特有の圧縮効果が表れてきます。旧国鉄の足尾線(現:わたらせ渓谷鉄道)の終着駅「間藤」から少し歩いたところにある有名なタンク。以前に訪れた時と比べ随分と腐食が進んでいるように感じます。

 

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京セラ時代のPlanar135mmにも感じた事なのですが、本レンズは他のZeissレンズと比べ、どことなく発色があっさりとして水彩画の様な印象を受けます。撮影地の足尾では、かつて銅で栄えた町の歴史を閉山後の現在でも所々で目にすることができます。

 

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建物の変形は決してレンズの歪曲収差ではありません。この物件近くの古い木造の建物は3.11の震災で大きく破損したために取り壊されてしまったようです。銅山時代の遺構の多くは、老朽化が進み、近年取り壊されたり整地化されて別の目的に使用されたりしています。

 

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足尾駅構内に保存されている気動車の床下部品。解放時の描写は本レンズでしか味わえない独特の「味」を醸し出します。比較的明るい望遠ズームがあると、出番の少ない135mmではありますが、このレンズでしか味わえない描写もあったりするので、困ったものです。

 

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被写体まで距離がとれる135mm。お昼寝を邪魔することなくこっそり一枚。解放付近の被写界深度は非常に浅くなります。幼い猫の毛質とマッチした柔らかなボケ味も本レンズの魅力の一つ。前・後ともに癖がなく美しいボケ像を作ります。

 

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遠景といっても135mmクラスとなればそれなりに被写界深度は浅くなります。合焦部、ボケ像ともに、レンズの繊細さが際立ちます。

 

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0

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 現像の終わったモノクロフイルムを水洗浴から取り出した際、経験したことのない明らかな異質感を覚えたのは、職場の売り物をレンタルしたLeicaのM-Summilux35/1.4(球面)のテスト撮影の時でした。OLYMPUSがM4/3マウント向けに発売する広角単焦点レンズである12ミリ(35ミリフルサイズ換算で24ミリ相当の画角)の本レンズで撮影した画像をPCのモニターで確認した時、実はよく似た感覚を覚えました。的確に表現する言葉を上手く選択できずにいますが、このレンズは「何かが違う・・・」確かにそう感じたのです。

 デジタルカメラ用の最新レンズですから、当然ながら歪曲・色・等の収差はカメラ内で補正され、良好に施されたレンズコーティングと優れた光学素材の採用・設計によって、絞り開放から全画面に渡り非常に均整のとれた高解像度の画像を提供してくれます。しかし、その解像度・コントラストの高い描写と一転、中間調はとても豊かな階調をもち、ややもすると鑑賞者に緊張感を強いてしまう「いわゆる現代的な描写」とは無縁です。被写体をその広い画角とともに優しく包む包容力の様な物をこのレンズは持っているかのようです。

 写真を本格的に撮るようになって、最初に購入した広角レンズは24ミリでした。以来シグマ24/2.8・ニコンAi-s24/2・ニコンAF24/2.8D・コンタックスDistagon25/2.8・コシナZF25/2.8と数多くの近似焦点距離のレンズを愛用しましたが、本レンズはその中でも最高峰のお気に入りとなりました。描写性能だけでなく、金属鏡筒の美しい仕上げと、マニュアルフォーカス時の節度あるトルク感など、所有・使用に際する感覚にも細かく配慮が行き届き、可能であるなら一眼レフの光学ファインダーを透して撮影してみたいと、極めて矛盾に満ちた欲望に駆られる自分を発見するでしょう。

 入手以来、M4/3のシステムでの最少携行レンズは、本レンズ・Summilux25/1.4・Macro-Elmarit45/2.8となっています。気づけば残り2本はライカのネームとエッセンスを受け継いだパナソニックのレンズ。私が過去、Leicaの描写に感じた異質感への、この共感を裏付けているかのようです。

 そういえば・・・・この小型レンズにはやはり必携の、素晴らしい仕上げの純正レンズフードが存在していますが、価格もライカ純正品相当だったりするのは何かの偶然なのでしょうか?

 

  

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前述しましたが24ミリの画角は使用歴が長く、自分にとって「広角レンズ」の代表です。誇張されたパースとマイクロフォーサーズマウントでのより深い被写界深度を利用し、写真ならではの表現方法を。レンズ本体も非常に小型なので、スナップシューティングには最高の相棒となります。

 

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最新の設計レンズですが、コントラストが高すぎる事もなく、逆光でも中間調の豊かな描写を見せてくれます。どことなく古いライカレンズのテイストを感じる仕上がりが写欲を誘います。

 

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強い日差しを浴びる工事現場用の防音シートです。もっとガチガチな映像を想像していたのですが、ことのほかアッサリ描写。なんだか不思議なレンズです。

 

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日陰に入るとご覧の通り。ゆったり、まったりとなんともスローな写り。EVFをアングルファインダー的に使用すると、ローライの二眼レフで撮影しているかのような感覚にもなります。

 

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諧調が豊富なので、露出を思いっきり切り詰めてもシャドーにしっかり諧調が残ります。シャープネスも高く、デジタル補正の恩恵でディストーションも気にならないので、建築物の撮影にも好適かと。(画面が微妙に傾いいているのは私の不徳の至すところです・・・)

 

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日没後の日本海。130グラムと非常に小型・軽量なレンズですから、ボディー内臓の手振れ補正機構を生かせば、フイルム時代には三脚必須であった低速シャッターでも余裕で手持ち撮影が可能です。デジタルになって出番がめっきり減ったアクセサリーといえば「三脚」と「フラッシュ」ですね。

 

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12mmという焦点距離の為、ボケを生かして撮影することは多くはありませんが、前後のボケもご覧の通り。後ボケに若干の二線ボケが感じられますが広角レンズとしては優秀でしょう。マイクロフォーサーズの交換レンズは最短撮影距離が短いものも多く、0.2mとなる本レンズも例外ではありません。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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