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Lumix G Vario 7-14mm f4 ASPH

 広角域のレンズは焦点距離1ミリ当たりの画角変化が大きく、わずか数ミリの差によって与えられる映像が驚くほど変化します。それ故に、広角ズームレンズは2倍程度の焦点距離の変化があれば、画角のみでの比較で単焦点レンズ4~5本程度の役割を担うことができます。

 しかしながら、焦点距離の短い広角レンズは倍率色収差や歪曲収差を主とした、描写上問題となる各収差の発生や周辺光量の不足を起こしやすいといった問題があるため、ズーム化するには多くの困難が伴います。また、一眼レフにおいては、レンズ後短と結像面の間にミラーが存在するため、バックフォーカスを長く取らなければいけないという、設計上の大きな制約があります。その為に一眼レフ用の広角ズームレンズでは、低分散ガラスや非球面ガラスをはじめとした高額なガラス材を用いたり、周辺光量不足を補いバックフォーカスを長く取る為の設計故、レンズが大型化・高額化する傾向にあります。

 発売当初、マイクロフォーサーズ規格におけるパナソニック唯一の広角ズームレンズであった本レンズは、35ミリ判換算で14ミリという超広角域までをカバーする特殊レンズながら、バックフォーカスの呪縛から解放されたマイクロフォーサーズシステムの特性を生かし、非常に小柄な筺体を手に入れ、300グラムという驚異的な軽量化を達成しました。また、デジタル専用設計のアドバンテージを生かし、歪曲・色収差・周辺光量の不足といった欠点は画像データー作成時に見事に補正されます。これら新時代の補正技術により、解放から画面全域に渡り滲みの少ないクリアな画像を提供してくれます。f5.6~8あたりですでに解像感は頂点に達し、むしろ絞り過ぎによる回折への注意が必要な様です。

 ここまでの広角域を過去に記憶が無いと言っても良いほどの解像度で再現するこのズームレンズは、最前面に保護フィルターの装着が出来ず、またゴーストの抑制に若干の気を使いこそしますが、非常にコストパフォーマンスに優れた、マイクロフォーサーズシステムならではの一本となります。

 

 

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フルサイズ換算14mmという超広角レンズ。頭上の枝まで写し込む脅威の画角ですので、慣れないうちはどこまで写り込むのか全く見当がつかず、ついつい散漫なフレーミングをしがちになってしまいます。

 

P1000952

太陽を画面に入れたフレーミング。「一眼レフ」では眩しさだけではなく目を傷める可能性もある危険な行為。ミラーレス+超広角という事もあって可能になった撮影方法ですが、無論短時間で撮影をすまさなければセンサー部にダメージを残しかねない危険行為には違いありません。しかし高い逆光性能とこの条件下での解像感の高さには驚きました。ローパスフィルター付きのセンサーでも工事現場の安全ネットの網の目がきっちり分解されています。

 

P1020181

元々半球形にデザインされたガラス張りの昆虫展示館。画角の広いレンズで撮影すると何とも不思議な映像になります。デジタル補正によって歪曲収差もほぼ感じられませんので、こういった被写体にも安心してカメラを向けられます。

 

P1000288_3

7-14と数値変化以上に画面の変化が大きい超広角ズーム。結局はワイド端側で使ってしまう事が多い気がします。

 

Pc070295

真上を向くと、超広角ならではの素敵な世界が広がります。意味もなく上を向いてしまう時間が増えるのですが、撮影が終わってPCに画像を取り込むと似たような映像ばかりになってしまい反省することしきりです・・・。

 

P1002053

農耕地の液体農薬の貯蔵庫。父の実家周辺は全国的にも有名な葉物野菜の産地ですので、こういった見慣れない建造物が点在しています。建築物の撮影では非常に重宝する焦点距離になります。

 

P1010490

強烈なパースとデフォルメが超広角レンズの真骨頂。標識にへばりついて撮影していますが、通行人からしてみたらさぞかし「不審人物」に見えるんでしょうねぇ。

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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