M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8

 

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 35mmフルサイズ換算で150mmの画角を持つ、異色の中望遠大口径レンズ。300mmの半分と考えればキリの良い数字ではありますが、実際は135mmと200mmという望遠レンズの代表選手に挟まれ、存在感の薄さは否めません。記憶を辿ればフイルム時代の純正ズームレンズや、現行品でも社外品に一部でその存在を確認できますが、単焦点レンズともなると、僅か数本が頭に浮かぶ程度ですから、その画角に馴染みがあるのは少数派なのかもしれません。

 実は私自身その少数派の一人で、生まれて初めて手にした望遠レンズ(ホントは父の所有物)が75-150mmf3.5というニコンのシリーズE(Nikkorという名称を持たない不遇なレンズです・・・)に属するレンズでした。鉄道写真を主に撮影していた当時、連れ立って撮影に出掛ける友人のレンズの望遠端が250mmだったので、子供ながらに、いつも劣等感のようなものにさいなまれていたのを記憶していますが、とにかく自分にとっての望遠レンズは長い間150mmだったのです。

 そして、写真部に在籍した高校時代、その描写力の洗礼を受けたのが大口径の中望遠単焦点レンズでした。以来、単焦点レンズにのめり込んだ自分ですから、この手のレンズには目がありません。まして、これまで数本試したオリンパスのマイクロフォーサーズ用レンズの、確かな性能を実感していた自分にとっては、試さない訳にはいかないのです。格別な思い入れこそないのですが、幼少期から望遠レンズとして馴染んでいた150mmの画角での単焦点。鉄道やポートレートといった被写体との縁は薄くなった昨今ですが、自ずと期待で胸が躍ります。

 解放f1.8という、焦点距離からすれば非常に明るいレンズとなり、マイクロフォーサーズ用の単焦点レンズとしては少し大柄に感じるかもしれません。PENシリーズやパナソニックのGXといった小型のボディーよりは、グリップの大きなE-M1系やパナソニックGH系やG9がバランスが良いようです。金属製の質感のよい鏡筒と、大きな口径を持った前玉を見ると、いかにも「写る」レンズの風格を漂わせます。そしてその雰囲気に違わず、非常に質の高い映像を提供してくれます。合焦面のシャープさはもとより、それを引き立てる前後のボケは非常に癖がなく、ヌケの良いクリアな画像は良い意味での緊張感を与えてくれます。画面周辺までスキのない描写は、オリンパスというメーカーに対し、個人的に感じている「生真面目さ」を体現してるかのようです。専用の大型金属フードの質感も高く、割高感はありますが一緒に手に入れておきたいところです。鏡筒もブラックとシルバー、二色が用意される贅沢。ボディーとのマッチングで、是非お好みをチョイスしてみてください。

 

 

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非常に精緻な描写を見せる合焦部と大きなボケが対照的な「大口径中望遠レンズ」の特徴が良く表れた一枚。滲んだり、溶けたりといった情緒的なボケにならないのが、本レンズ最大の特徴でしょうか。本当に「真面目」な一本です。クリアで色ノリがよく、とても現代的な写りに好感がもてます。

 

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しっかりとしたボケ像を作ってくれるので、こういった被写体を写すと素性の良さが感じられます。「味」などと曖昧な表現を受け付けない、これが「ボケ」の真のあり方なのだと、設計者の論文を読まされているような気分になります。

 

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解放から相当にシャープなレンズですが、被写界深度を稼ぐ為少しだけ絞ります。ピント面は非常に線が細く、素材の違う金属それぞれの質感を非常に上手く描き分けてくれます。中望遠レンズはポートレートレンズの代表とされていますが、適度に緩和されたパースがこんな被写体にも非常にマッチします。

 

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圧縮された遠近感と特筆するべき素直なボケ。画角故に万能選手とはいきませんが、ズーム一本で間に合わせることが多い望遠撮影において、存在感の非常に大きいレンズです。料理人は種類の違う何本もの包丁を使い分けると言いますが、特定の表現の為に拘りの「一本」用意する、そんな撮影者になりたいものです。

 

 

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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 「サンニッパ」という響きに、ある種の郷愁を覚えてしまう昭和生まれの私。焦点距離300mmの画角は望遠レンズの代表格であり、解放f値2.8はASA感度(あえてISOではなく)を自在に操れなかったフイルム時代には何物にも代えがたく、100mmを超えるレンズ口径がもたらす圧倒的存在感は写真少年達の憧れでした。また、鉄道・航空・ポートレート・スポーツ・野鳥など、様々な分野のプロカメラマン達が必ずといって所有していたのが「サンニッパ」であり、メーカー純正で30万円を超える高額なレンズでもあったため、その存在とともに、所有者にも羨望の眼差しが向けられました。

 オリンパスが放つ本ズームレンズのテレ端は、焦点距離に依存するボケの大きさを除けば、まさに「サンニッパ」。しかも、マイクロフォーサーズが採用する小型センサーの恩恵を最大限に生かし、最短撮影距離70cm・フィルター径72mm・重量880g(三脚座含む)と、フルサイズ対応の「サンニッパ」と比較し、超小型・超軽量と言って差し支えないスペックを誇ります。加えてズームレンズであることによる汎用性の拡大、全域に及ぶ恐ろしいまでの解像感を誇る描写性能、防塵防滴機構や、小型・軽量な本体+ボディー内手振れ補正による撮影フィールドの拡大と、レンズネームに「PRO」を冠するのは伊達ではありません。基本的にレンズはカメラのアクセサリーと考えらますが、本レンズは、レンズを使うためにボディーを選んでもいいと考えるレベルです。

 本レンズ購入の直接的動機となったのは、依頼されたミュージカルの撮影なのですが、今ではすっかり主要機材の仲間入りです。暗がりでの解放値f2.8は、被写体ブレを抑え込むためいたずらにISOを上げずに済み、AF合焦の歩留まりも上げてくれます。加えてズームレンズとは到底考えられない解像感・質感描写は、被写体となった演者からも非常に好評を得られました。加えて、3時間に及ぶミュージカル全編を機動性を上げるため手持ち撮影で臨んだのですが、疲労感も少なく翌日僅かに腕にだるさを覚える程度で済みました。当初フルサイズ一眼を持ち込んでの撮影も考えましたが、当然今後も本レンズがメインウエポンの座を譲ることはないでしょう。

 フルサイズ換算で80-300mmと、非常に使用頻度の高い画角をf2.8という明るさで実現した本レンズは、ボケ味だけはさらなる大口径の単焦点に譲りますが、画質劣化のほとんど感じられない1.4倍の純正テレコンを含めれば、420mmという超望遠域まで撮影領域を広げられますので、マイクロフォーサーズ用望遠レンズでの真のマストバイアイテムと言えるのではないでしょうか。

  

 

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全域でズームレンズであることを忘れさせる、圧倒的な解像感を誇る本レンズは、ボケ味はやや「固め」な印象。五月蠅く感じるギリギリ手前のボケでしょうか。それにしてもヌケがよく、コントラストの高い映像です。10群16枚のガラス、本当に入っているのでしょうか?

 

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周辺まで乱れの少ない良質なボケ像。9枚の円形絞りを採用し、ボケが大きくなる望遠レンズの長所をうまく引き出します。口径食の影響も軽微で、きれいな「丸ボケ」が堪能できます。

 

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風景を切り取ることができる、望遠レンズならではの表現。都市景観(と言っても田舎ですが・・・)をスナップするのに、このズーム域はとても重宝します。遠景であれば全域がシャープに結像するのも150mmならでは。小型センサーの恩恵を感じる一枚です。

 

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最短撮影距離はズーム全域で、驚きの70センチ。それにしてもこの解像感。絞りは解放に近いところですが、葉脈の一本一本が間近に存在するようです。落ちたてなのか、まだ瑞々しいその質感も見事に描写。オリンパスといえばマクロ撮影に強いイメージがフイルム時代からありますが、その血統を確かに感じます。

 

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夕暮れの遠景。ボディー内の強力な手振れ補正・軽量なレンズのおかげで、日没後・テレ端の撮影にもかかわらず、手振れの心配をしなくて済みます。街灯上のカラス(?)の足まで完全に解像しています。強烈な光源による悪影響もなく、コーティングも非常に優秀だと感じます。

 

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非常に凝った作りの大型レンズフードが付属しますので、逆光気味の条件でも安心して撮影に臨めます。クリア&シャープな描写は少しも揺るぎません。そのギミック故か、ネット上には故障報告も散見されるフードですが、一度使うと他社も採用して欲しいと感じる絶妙な仕掛けです。

 

 

 

Leica DG Summilux 12mm f1.4 ASPH

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 少年時代に鉄道撮影から写真の世界に入った自分にとっては、当時の「交換レンズ」は、ほぼイコール「望遠レンズ」であり、見た目より被写体が小さく写ってしまう「広角レンズ」は、まったくもって興味の対象外でした。写真部に入り、暗室生活を始めた頃にはポートレート撮影にのめり込んだため、パースの影響で人物の顔が変形しやすく、大きなボケを作りにくい「広角レンズ」への興味はさらに薄れていきました。無論、まったく無縁というわけはなく、高校時代には400ミリと抱き合わせ的に購入した明るさf2.8の社外製の24ミリを、大学時代は明るさf2の純正24ミリを所有していましたが、正直なところ、両者の描写に満足することはなく、軽い苦手意識を持つようになってしまいました。

 しかし、ヤシカ・コンタックスマウントのDistagon25ミリを使用してからは、その「写り」の虜となったのは勿論のこと、カメラを構える位置や角度によって、仕上がる映像が激変する「広角レンズ」の個性的な描写特性に引き込まれ、18ミリ・21ミリ・28ミリ・35ミリと手あたり次第に入手する「広角レンズ」マニアへと変貌してしまいました。結果、使用期間が長くなった24ミリ(25ミリ)は、その画角が感覚的に馴染んだこともあり、自分の中での広角レンズのスタンダードとして定着しました。

 ときに、現在は28ミリや24ミリの画角をスタートとする標準ズームレンズが一般的となり、デジタルカメラを購入する際、多くの方がそのレンズで写真ライフを始めることが当たり前となりました。結果として、24ミリ画角の単焦点レンズは以前と比べ地味な立ち位置のレンズとなり、f1.4・2・2.8といったように解放絞り別に3種類も用意していたメーカーも存在していたフイルム時代とは異なり、各社ともスペシャルな一本を用意する特殊な画角のレンズとなっています。例にもれずM4/3マウントにおいても、オリンパスから金属鏡筒を採用した12ミリf2・パナソニックにおいてはLeicaからお墨付きをもらった解放f値1.4を誇る本Summiluxがラインナップされています。

 マイクロフォーサーズのミラーレス一眼には、「同一画角のレンズで比較すれば、大型センサー機に比べ大きなボケを作りにくい」という小型センサー機の特徴があります。さらに、焦点距離が短くなる広角レンズにおいては被写界深度がより深くなるため、その特徴は顕著となります。スナップ撮影等では、ピント位置に神経質にならずにシャープな映像を手にいれることができるため非常に優位な反面、ポートレートや、接写等で大きなボケを演出したい場合などは、欠点と感じる事もあります。もし、ボケを利用したいのであれば,よりf値の明るいレンズが必要となってくるのです。

 パナソニックが、この画角のレンズにあえてLeicaブランドのSummiluxをラインナップした理由は、まさにそこに存在するのでしょう。過去、短い焦点のレンズでは「ボケにくい」事に加え、設計的に難しかったのか「美しいボケ」を演出するレンズになかなか出会えず、買ってはみたものの手放した経験も多いのですが、本レンズは完全に「使える・明るい広角レンズ」を具現化してくれました。12ミリという短い焦点距離を利用したパンフォーカスはf5.6あたりで簡単に手に入れる事ができ、暗い場面では強力なボディー内手振れ補正とf1.4の明るさで高感度に頼ることなく手持ち撮影が可能です。特筆されるべきボケの美しさは、「広角レンズ」であることを完全に忘れられるほどで、近接能力の高さも利用すれば今までにない新しい表現も可能でしょう。合焦面も非常に繊細で、ディテールを見事に描ききります。ミラーレス構造に由来するショートフランジバックは最新設計技術を得て、広角レンズの性能を数段上のステージへ押し上げた様です。お気に入りの画角での最高の描写。性能の高い12-60ミリも持ち合わせますが、やはり本気の撮影はSummiluxになりそうです。

 

 

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カメラから1メートルに満たない床面から窓の外まで、少し絞れば簡単にパンフォーカスの世界が手に入ります。広角レンズ特融の強調されたパースを生かせば、あっという間に非日常の世界が展開します。さすがのデジタル最新レンズです、歪曲収差も皆無と言って差し支えないですね。

 

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こちらも、パースとパンフォーカスを生かした、「広角」らしい表現。錆びたブレードや赤い塗装面の質感も高く、ラッセル車特有の重厚感を見事に記録してくれます。

 

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ここまで素直に美しくボケる広角レンズに初めて遭遇しました。近年「ぐるぐるボケ」「バブルボケ」などと、残存収差の特徴が色濃く残ったオールドレンズのボケ味に人気があるようですが、個人的には主張しすぎるボケよりも、「名脇役」を演じてくれる、こういったボケが好ましいと感じます。

 

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広角レンズを手に入れると、訳も無く上を向いてしまう自分に気が付きます。誇張された遠近感が、空へと連れて行ってくれそうで、いつまでもファインダーを眺めてしまいます。コーティングも優秀ですので、安心して上を向くことができるレンズですね。

 

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フイルム時代のライカレンズには、個人的に「映り物」の描写に特徴を感じていましたが、パナソニック製の本レンズにも、確かにそれを感じます。夕暮れ間近の夏空に季節の移り変わりが感じられます。パンフォーカスの遠景描写も雑なところがなく、きっちりと解像しますので、モノクロ風景写真の独特の緊張感を損ないません。

 

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近接能力も高いマイクロフォーサーズ。パースとボケが共存する、いままでの広角レンズとは一味違う接写の使い方ができます。前後とも実像感を徐々に薄めていく極上のボケ味が本レンズ最大の魅力。今までにない「手札」を切れることは、今後ますます表現の幅を広げてくれるでしょう。

 

 

 

Leica DR-Summicron M 50mm f2

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通称メガネと称される近接撮影用のアタッチメントを備え、ライカならではの外観と機能美を持ったレンズです。

 本来接写を苦手とするレンジファインダーカメラですが、このレンズは近接専用のアタッチメントによって、その弱点を巧みに克服し、約50センチという一眼レフ用標準レンズ並の近接撮影を可能としています。しかも、その近接アタッチメントの脱着は「誤装着」と「誤使用」を避ける巧みな連動機構を持ち合わせ、その描写力以外にも及ぶライカレンズの魅力が所有欲をかき立てます。

 アタッチメントとの整合性から、製造されたSummicronのうち、特に焦点距離に関しての厳密な検査がされていることから「特に優れたSummiron」であるとの噂がまことしやかに巷に溢れていますが、その真意はいかなる物でしょうか?しかし、御多分に漏れずその描写性能の高さは、ライカレンズならではの独特な空気間、緻密な立体感描写に非常に良く現れ、その発表年代を考えると、近年までのレンズ進歩の歴史に少々の疑念を抱くほどであります。

 

 

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解放からしっかりと実用になる画質です。バリバリにシャープという印象はありませんが、ルーペで拡大すれば、合焦部はしっかりと解像されています。前後のボケも均質で嫌味な収差による影響はあまり無いと言えます。同時期の解放1.4のズミルックスは、条件によると後ボケがやや煩く感じる場合もあったかと記憶しますが、その辺の優等生らしさがSummicronの持ち味でしょうか。

 

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これはあくまで私的な感想なのですが、ライカのレンズは「映り物」が得意です。雨上りの水たまりに夏空が写り込み、秋の気配を感じます。エッジのはっきりしない雲や、同じ模様が連続する被写体はレンジファインダーではピントを合わせ難い被写体ですが、非常に見やすいM型ライカの距離計は、そんなシチュエーションでもなんとかなる場合が多いです。

 

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日没後の厳しい状況。線の細い緻密な描写で電線の僅かな隙間もしっかりと解像しています。通常感度のフィルムでは解放絞りでも1/15程度のシャッタースピードとなりますが、シャッターショックの少ないM型ライカのお蔭で三脚を持ちださずにすみました。

 

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歪曲収差少なく、絞れば周辺の光量も十分です。現代のデジタルカメラではほとんどの場合レンズの歪曲収差はカメラ側で補正がされてしまいますが、フイルム時代のレンズにはそんな特効薬はありません。これぞ設計者の腕の見せ所でしょうか・・・。近接ズミクロンと言われる本レンズですが、無論遠距離の描写も通常のSummicronと変わりません。

 


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これも「映り物」が被写体です。まだ湿っている空気の感じ、夕立後の少しヒンヤリとした風。そんなものもしっかりと写し込んでくれている気がしませんか?

 

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DR-Summicronに付属する近接アタッチメントが被写体。写真を撮るための「道具」ですが、その佇まいには「工芸品」としての風格も。年月を経ても色あせないライカの魅力は描写だけではなく、カメラそのものにも宿ります。好みのフイルムをチョイスして・・・・なんてのは過去の話になりつつありますが、やはりライカはフイルムで使いたいものです。

 

 

 

Voigtlander NOKTON 25mm f0.95

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 35ミリフルサイズフォーマットでの50ミリ相当にあたるレンズを、一般的には標準レンズと呼んでいます。AFカメラやズームレンズが一般化する以前は、決まったように50ミリの単焦点レンズがセットで販売されていましたから、フイルム時代からカメラに触れていた我々の頭の中には、レンズの描写上の特徴云々以前に「標準レンズ=50ミリレンズ」という図式が染みついています。

 しかしここ十数年来、その「標準」の座はすっかり「標準ズームレンズ」に明け渡し、50ミリの単焦点レンズは、むしろ特別なレンズという意味さえ持ち始めているようです。そしてデジタル一眼の革命児、マイクロフォーサーズマウント向けレンズの中で、35ミリフルサイズフォーマット50ミリ相当の画角となる25ミリのレンズラインナップにおいては、標準単焦点レンズに与えられた存在意義の特殊性を改めて実感することになります。それは、Leica-Summiluxの名を冠したPanasonic製の25mmF1.4と、このCOSINA製NOCTON25mmF0.95が存在しているからです。

 マイクロフォーサーズ用、しかも標準域のレンズと考えれば、決して小型・軽量とはいえない仕上がりかもしれませんが、類似スペックの旧Canon7用の0.95やM型ライカ用のNoctiluxを比較対象とするなら、その小ささ・軽さにマイクロフォーサーズ化の恩恵は十二分に感じることが出来るでしょう。金属製のフードも作りがよく、レンズ・フード各々にレンズキャップが装着可能な点などにも作り手の心意気を感じられます。ヘリコイドや絞りの操作フィーリングも非常に好感が持て、ライブビューでのマニュアルフォーカスが必須となる本レンズの操作フィーリングを極上のものとしています。短い焦点距離を生かした0.17mという最短撮影距離は、今までのハイスピード標準レンズでは不可能だった撮影を可能にし、新たな表現方法を与えてくれるでしょう。

 肝心の描写には、絞りの数値毎に刻々と変化する往年のハイスピードレンズの特徴がよく現れていますが、その描写の変化をライブビューで実感しながら撮影できるという手法がとれるマイクロフォーサーズでは、新たなアプローチで作画に望めます。解放0.95ではさすがにコントラストは低く、全体にハロをまとった独特の描写となりますが、中心部はすでに相当の解像度を持っており、しっかりと合焦部を意識すれば、大きな破綻はしないでしょう。むしろ周辺に向け徐々に下がる解像度と周辺光量によって、観る者の視点を自然に主要被写体へ誘います。後ボケは被写体によっては若干クセのあるものとなりますが、絞りの形状も良く、口径食も比較的少ない為に、開け気味の絞りを積極的に使いたくなります。1.4~2あたりへ絞りを操作すると、コントラストが改善され、色が乗ってくるのがモニター上でも確認できます。さらに5.6辺りまで解像感もみるみる増し4~5.6~8あたりは周辺まで均一に高解像となるようです。それ以上になると段々と回折の影響で解像感を損ね始めますが、本レンズの存在意義を考えれば些末な問題でしょう。

 撮像素子へ、より正確に画像を結像させる事を大前提とされる近年のカメラ用レンズは、「味」などという曖昧な物を排除しつつ進化させてきたイメージがあり、実際、レンズ毎の描写が画一化されつつある印象を持ちますが、純国産でこのようなレンズがリリースされている事を知ると、歓びと同時にある種の安堵を感じてしまいます。

 ノスタルジーを語るには未だ若輩なつもりではいますが、近い将来こんな描写のレンズ一本だけを携えて旅に出てみたい、そんな妄想を抱かせてくれる危険な一本です。

 

 

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0.95という解放f値がもたらす極浅の被写界深度。最短撮影距離も被写体とレンズが接触するかと思うような0.17mと、ボケを大きくする要素がてんこ盛りの本レンズ。段階的にピントをずらして数枚連写しても、狙った位置になかなか合焦していない事もしばしば。そんな解放の描写は少しコントラストが低めの、近年では珍しい個性的な写り。ボケの味は「溶ける」というより「滲む」といった言葉が雰囲気には合っているでしょうか。

 

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絞りを5.6辺りまで絞ると、解像感・コントラスと共に非常に高くなります。ヘリコイドの操作感も非常に良く、マニュアルでのピント合わせは苦になりません。普段はAF任せの撮影がほとんどですが、絞りによって変化する描写特性とマニュアルによるピント合わせは、写真撮影に没頭していた高校生~大学生の時代へタイムスリップさせてくれるかの様です。

 

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これだけの大口径です。1:1に切り取っても口径食の影響は多少感じる場面があります。しかしいわゆるオールドレンズのように画面全体に大きく影響するような、画像の変質は上手く押さえられています。最新の設計と光学素材の恩恵でしょうか。これならレンズの癖を恐れず、解放付近の絞りを躊躇なく使用できます。

 

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前ボケも変に硬くならず積極的に使えます。何気ない風景でも前後を大きくぼかすと、なんだかフォトジェニックに変化。お散歩に同行させると見知った風景でもチョットお洒落に切り取ってくれますから、ハイスピードレンズはやめられません。

 


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f0.95の解放絞りを与えられたコシナ製マイクロフォーサーズ用のNoctonシリーズは、合計で4種の焦点距離がラインナップ。10.5・17.5・25・42.5㎜は、フルサイズ換算画角で21・35・50・85㎜。物理特性から、ボケを演出し難い小型センサー機にとって、とても心強いラインナップ。機会があれば他のレンズも是非使ってみたいものです。

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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