CONTAX Planar 85mm f1.4 MM-J

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 伝説・信仰・崇拝といった言葉が常につきまとうCONTAX/Carl-Zeissの看板レンズと言えば、本レンズの事を想像する方が多いのでしょう。

 CONTAXを使うなら必ずと言って良い程購入候補に入るレンズですから、逆に言えばユーザー数も多く、結果中古市場でも比較的容易に探すことができたりもします。コレクション目的での入手が多いためなのか、はたまた使いこなす事が難しかったのか、新品同様品の出現確率が案外高いレンズでもありますから、根気よく探せば、コンディションの良い状態の中古が手に入ることもあるのも面白い所。しかし、フルサイズのミラーレス一眼も出揃ってきましたから、アダプター撮影用にと、良品の中古相場が上がってしまうかもしれませんね。

 開放絞りでの何とも言えない甘い描写は、ややもすると単にピント外れの印象しかあたえず、極端に浅い被写界深度とあいまって、ピリッとした画面を作るのに一苦労します。また、85ミリにしては1メートルと少々長めの最短撮影距離は、しばしば撮影者の足手まといとなることもあるでしょう。そういった理由もあって、存分に使いこなさずに手放してしまう方も案外多かったのかもしれません。

 使い手と被写体を常にレンズが選ぶところがあるように思える、このジャジャ馬レンズで傑作を物にするのは至難の業なのでしょうか?。しかしながら、このレンズでモノにした作品は、明らかに代え難い魅力を放ちます。それはあたかも、こちらがどんなに惚れこんでも決して振り向いてはもらえないくせに、垣間見せるその微笑みからは決して逃れられない・・・そんな初恋の相手を思い起こさせる、もどかしいレンズです。 

 

 

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ヤシカ/コンタックス時代を代表する85㎜のプラナー。レンズ内周を埋め尽くすガラスの塊を覗き込むと、異世界へ誘われているような錯覚に陥ります。繊細な合焦部と前後になだらかに広がる美しいボケは、数多の大口径中望遠レンズの中でもやはり特筆するべき一本なのでしょう。

 

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唯一の欠点といえるでしょうか?最短撮影距離は約1メートルと、85㎜レンズとしてはやや長めです。この美しいボケをもう少し寄って使用するために7.5㎜という極薄の中間リングを挟み、無限側を捨てて使用。自動絞りに連動しないこの純正中間リングは、やはり特殊な為かオート接写リングセットとは別扱いで単品販売されていました。ひょっとしてこの85㎜の為に用意していたのでしょうか?

 


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遠景を少し切り取って撮影するのにもこの焦点距離は重宝しました。絞るとピント面はさらに精緻となり、引き締まった画像を提供してくれます。

 

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適度な遠近感の圧縮は中望遠ならではの特性。解放付近の柔らかな描写と合わされば、やはりポートレートなどがベストマッチですが、絞った端正な絵作りは、ご覧の様に風景撮影にもピッタリです。

 

 

 

CONTAX Planar 135mm f2 AE-G

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 明るい開放f値を持つ高性能望遠ズームレンズの台頭により、望遠レンズの主役としての役目をそれらズームレンズに明け渡してしまうまで、135ミリという焦点距離のレンズは望遠レンズの花形でありました。  

 中でも、開放f値を2とする大口径レンズは、望遠レンズラインナップのフラッグシップとして各メーカーの心血を注いだ傑作レンズが多く、それぞれが数多くの伝説を生んでいます。それは、CONTAXブランドにおいても例外ではなく、このPlanar135mmf2も様々な逸話に溢れています。販売本数の減少でコンタックスレンズの販売終了を待つまでもなく、ラインナップからは削除されこそしましたが、CONTAX60周年記念販売品として限定発売されたモデルは、デジタルカメラ用レンズ全盛の現在でもかなりの高値で取り引きされることも少なくない、幻のレンズとなっています。

 開放では、適度な解像感とやわらかな質感が絶妙なバランスを見せ、薄いベールをまとったかのような美しい前後のボケとともに、主要被写体を美しく浮き立たせます。絞り込めば、一段と先鋭度と色のノリを増し、針の穴をも通す様な繊細で切れ味鋭い画像を提供してくれます。伝説の中に閉じこめておくのは余りに惜しい、このレンズの本当の所有権を得ることができるのは、いったい何時の日になるのでしょう。

 

 

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ピントの合った部分のシャープネスは解放から十分に高く、それでいて少しソフトフォーカス気味に弱い滲みが発生します。かといって、完全なソフトフォーカスと言う訳ではなく、絹のベールを纏ったかの様な独特の描写が非常に心地良く、とにかく解放で撮影したくなります。

 

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ボケがうるさくなりがちな小枝の後ボケですが、ボケるというよりは、コントラストを下げて滲んで溶けていくようなイメージです。水彩画の手法のような独特なボケは85㎜のプラナーのボケ+αの繊細なタッチです。

 

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絞り込んでゆくと、みるみるコントラストが上がり、周辺まで非常にシャープな結像をします。最新の高性能ズームレンズには無い二面性が、この手のレンズが現代でも人気が高い理由でしょうか。普段持ち歩くには大柄で重量もかさみますが、レンズ2本分の仕事をしてくれると思えば多少は我慢できるということで・・・。

 

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遠景の描写も、やはり独特です。枝一本一本がきっちり解像されながらも、バリバリのシャープネスという訳ではありません。f2という明るさも、日没後の薄暗い状況ですが手持ち撮影を可能にしてくれました。

  

 

Leica Summar L 50mm f2 Solid(固定鏡筒)

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 バルナックライカ用標準レンズSummarは、当時ライバルであったContaxの標準ハイスピードレンズ「ゾナー」に対抗して、ライツ社が開発した初期のハイスピードレンズです。
 Summarといえば、沈胴タイプが一般的ですが、初期製品の一部は沈胴機構を持たない固定鏡筒で、その独特な先太りのシルエットから日本では「ひょっとこズマール」というニックネームで呼ばれています。製造開始からほどなくして沈胴式へと変更されたために、製造本数が少ない固定鏡筒タイプは、最盛期には数十万円の高値で取引をされた事もあるコレクターズアイテムとなっているようです。
 半逆光~逆光では画面全体がフレアで覆われ、常にマイナス側に露出を補正してあげる必要がありますが、比較的優秀なシャープネスによって、画像が破綻してしまう事はありません。日陰に入れば誇張のないコントラストで、被写体の持つ質感をやさしさく伝えてくれます。M4/3フォーマットでの1:1撮影では100㎜相当と、丁度中望遠レン ズの画角となり、ポートレートにベストマッチするかもしれません。
 発達したコンピューターと整備された設計理論、そして優れたガラス素材や工作機械のなかった1930年代の製品に、最新レンズと比較できる物理特性は望む べくもありませんが、設計者のセンスと努力、そして試行錯誤によって生み出されたこのレンズには、ある種の畏敬の念を抱かずにはいられません。
 コレクターズアイテムとなっている固定鏡胴に比べ、多くが市場に溢れる沈胴式Summarで、ちょっとしたタイムスリップを安価に楽しむ。ライカレンズには時代を超えてなお、我々を惹きつける魅力が宿っているようです。
 

 

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2次大戦よりも前から存在していたことを考えると、手に取っただけで不思議な感覚を覚えます。このレンズは今までどれほど多くの映像を定着させてきたのでしょう。マルチコーティングなど存在しない時代のレンズですので、光源の位置には気を使いますが、時代を感じさせないシャープネスに関心します。

 

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ヌケの良い現代のレンズと比較すると、どことなく優しく、派手さを抑えた描写をします。古いレンズで撮影された映像は、それ自身がなぜかノスタルジーを感じさせるから不思議ですね。

 

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日陰で撮影すると、ご覧の通りかなり眠い写りになります。デジタル撮影ですので、仕上がり設定でコントラストを上げてしまえばそれまでですが、あえて無補正で。様々な古いレンズも気軽にアダプター撮影が出来るのはミラーレス機の特権ですが、さすがに固定鏡筒のズマールともなると、「おもちゃ」感覚という訳にはまいりませんね。

  
 

Leica DG VARIO-ELMARIT 12-60mmf2.8-4.0 ASPH

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 長年カメラ店に勤務していますが、初めてカメラを購入するというお客様に「単焦点レンズ」をセットでお勧めすることは現在ではほとんどありません。基本的に多くのお客様がカメラを購入する際には、様々な被写体・シチュエーションでの撮影を希望しており、画角を連続的に変化させられるズームレンズがその目的に合致しているというのがもっともな理由ですが、メーカーがボディーとセット販売されることを想定して製造している「キットレンズ」はどれも、小型・軽量・安価の三拍子で、描写性能も決して低くない為に誰にでも安心して勧められるというのも理由の一つです。

 ところが、自分自身でズームレンズを購入するケースは極めて稀であると言わざるを得ません。高性能なズームレンズが身近になった昨今であっても、解放f値や、描写性能においてはまだ単焦点レンズが一枚上手と感じる場面が少なくなく、自分の撮影スタイルでは小型・軽量な単焦点レンズを数本持ち歩いた方が、結果として荷物が少なくなる事が実際多いものなのです。また、ズームを購入する積極的理由が見当たらない事にプラスして、「○○㎜のレンズで撮った」という自分にとって撮影上の重要な分部が曖昧になってしまうのが、どうにも「嫌」なのです。どんな道具を使用しても結果としての写真が良ければ、それで良いはずなのですがどうにも困った性分です。

 しかし、実際問題「依頼された撮影」ともなれば、そうも言ってはいられません。レンズ交換に割く時間でシャッターチャンスを逃す訳にはいきませんし、決められた足場から様々な画角での映像を記録しなければなりません。フレーミングを変えるためにその都度移動しているカメラマンなんて周囲には一人もいないのですから、ここは好き嫌いなどと言ってはいられません。

 幸いなことに、数社が共通のマウントを利用するマイクロフォーサーズには多種多様な標準ズームレンズが存在しています。低価格の普及クラスから、携帯性を考慮した沈胴タイプ、描写性能を高めたプレミアムモデルなど、10を超えるレンズが選択肢に上がります。その中で選んだのが本レンズとなります。フイルム時代にやはり仕事で使っていたNikkorの24-120㎜と画角が同じである点、メインボディーとの協調で高い手振れ補正機構を利用できる点、ワイド端での解放f値が2.8と実用的である点、スペックからすれば非常に軽量である点など、その理由は多岐に渡りますが、やはり決定的だったのは過去に手にしたPanasonic-LeicaによるDGシリーズの描写性能に惚れ込んでいたという点が大きかったでしょう。

 最新のレンズらしく、どの焦点域でも非常に満足度の高い描写性能を発揮。単焦点レンズにあるような固有の特徴こそ感じませんが、それこそが「標準ズームレンズ」としての存在意義と受け取れるほど曖昧さのない画質を提供してくれます。5倍と昨今のズームレンズからすれば、決して大きい倍率ではありませんが、画角変化は非常に大きく、日常の撮影であればこれ1本で事足りるでしょう。細かい被写体ではボケの硬さを感じる場面もありますが、ズームレンズである事を考えれば十分合格点を付けられます。ズームリングやピントリング、フードや切り替えスイッチなどの作りこみも手を抜かずにされており、プレミアムレンズの名に恥じる点は感じられません。薄型の入門機ボディーとはやや不釣り合いですが、大型のグリップを持ったボディーとのマッチングは最高で、フットワークの良い撮影を可能にしてくれます。あえて苦言を呈するとすれば、標準添付のフロントレンズキャップが商品として販売されておらず、消耗部品として取り寄せると案外「高額」な点です。レンズ本体も安価な部類ではありませんが、無くした月の昼定食には、「みそ汁」を付けられなくのでサラリーマン諸氏はご注意あれ。

 安易にズームになじんでしまうと、移動することをせずにズームリングだけでフレーミングをしてしまい、被写体との対峙に積極性がなくなってしまう恐れがあります。動き回りながら、被写体との距離や角度を変化させることで新たな一面を発見することが撮影の醍醐味の一つですから、性能が高いからと言って、このレンズに頼り過ぎないよう少し自分を戒めています。もし、自分が写真を始めた時にこれほどのレンズを最初に所有してしまっていたら、ここまで写真にのめりこんでいなかったかもしれないと・・・。

 

 

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撮影が主目的でなければ、最近はカメラに本レンズだけ付けておでかけ。それで事が足ります。発色・質感描写、解像感、少し前ならズームレンズでは得られなかった映像が簡単に手に入ります。AF動作も非常に俊敏。シャッターボタンに軽く触れればすでに合焦済み。カメラマンの苦労は減る一方です。

 

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周辺まで破綻をみせない端正な絵作りは見事。絞りすぎによる回折に気を付ければ、簡単にパンフォーカス的な撮影ができる小型センサー機は日常の記録に最適です。

 

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タイルの目が細かくなる遠景の分部もきっちり解像しています。なんとなく写っていればいい、といった曖昧さは微塵も感じられません。「標準」ズームレンズの仕事は決して簡単ではありませんが、完璧にこなしていいます。

 

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デジタル補正の効果もありますが、歪曲収差はきっちり補正されています。薄曇りではありますが、完全逆光で、太陽光はかなり強烈な状況でした。嫌味なコントラストの低下もなく逆光性能も優秀です。

 

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とろけるような「ボケ」ではありませんが、印象は決して悪くないボケ味。リアリティーを求められる記録的な撮影には、これくらいの固さがむしろ好都合かと。

 

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ワイド端のフルサイズ24㎜相当の画角は、個人的に好きな広さ。超広角臭さを感じないギリギリの広さ。これも意地悪な逆光ですが、ゴースト・フレアの発生は感じられません。空にカメラを向けるとどうしてもワイドレンズでは太陽がフレームの中に入りやすくなりますが、安心して望めます。

 

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遠景の為分かりにくいのですが、写真の中に旅客機が2機写っています。拡大すると主翼に取り付けられたエンジンや尾翼の形状まではっきりと写しこまれています。あきれるほどの解像度。シャープなレンズが多いパナソニック製のDGシリーズですが、ズームでもその特徴が良く出ています。

 

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望遠端フルサイズ換算で120㎜は、ちょっとした望遠レンズです。電球一灯の明かり。解放f4の状態で1/15秒のシャッター。セオリーからすれば1/125秒が安全圏のシャッタースピードとなりますが、公称値以内とはいえ手持ち1/15秒で撮影した5カットすべてにブレが確認されないのは、驚きしかありません。

 

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標準ズームには「マクロ」的な撮影も必須。もともと近接能力が高い小型センサー機ではありますが、簡単な接写ならご覧の通り。決してオマケ的マクロではありません。どうですか?この質感。

 

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4-5.6

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 カメラをこの手に持って、すでに30年という時間を過ごしてきましたが、これまでOLYMPUSのレンズで写真を撮ったことはほとんどありませんでした。高校・大学と、もっとも写真に明け暮れた時間にそのユーザーが周りに少なかった事もありますが、小振りなボディーデザインが、無骨なNikonに慣れ親しんだ私の手には少々なじまなかったというのが本当の理由だったのかもしれません。

 さて、現在のOLYMPUSといえば、往年の銘機「PEN」シリーズをデジタルカメラとして復活させたマイクロフォーサーズ陣営の一角として、人気を二分するPanasonicとともに多くのレンズをラインナップしています。面白いことに標準系ズームレンズである14-45(42)mm以外は、双方に同一スペックのレンズが存在しないので、その事がレンズを選ぶ我々にとっては楽しみでもあり、また悩みの種ともなっています。

 実際、マイクロフォーサーズシステムの超広角レンズを購入する際は、Panasonic製の7-14mmとどちらにするか、かなりの時間悩みました。結果として2ミリ短い焦点距離とズームによってf値の可変しない点を重視して7-14mmを購入したのですが、今回試用した9-18mmの描写は、スペック上の小さな差には決して現れない確固たる個性を備えており、再び購入候補のレンズに上がってしまいました。

 広角側の焦点距離2ミリ分の譲歩とf値を可変方式としたことにより、本レンズは非常に小型・軽量となり、格納時の沈胴機構を作動させると標準ズームである14-42とほとんど変わらない外観になります。AF作動も非常に静穏かつ機敏で、レンズ前面に保護フィルターが装着可能な点からも広角スナップシューターとして存分に機動力を発揮してくれるでしょう。結像性能もズームレンズであることを忘れさせるほどで、画像エンジンとの連携でシステムとして描写力を高められるデジタル一眼の強みを感じることができます。絞りによる画質の変化も緩やかで、解放での素直な描写が、絞り込んでもあまり堅くならずに維持されます。極端なシャープネスの誇張が無く、質感の描写にも優れた本レンズは、解像度重視で画面に緊張感が走る7-14mmと比較して、広角域でのポートレートなどにも好適かもしれません。単純な比較はできませんが、あえて7-14mmを新世代のズミクロンとたとえるなら、9-18mmの写りは往年のズマロンを思い起こさせる、そんな所があるような気がします。

 あまりに小型で取り回しが簡便なために超広角レンズであることを忘れると、うっかり自身の指を写し込んでしまいます。別売りで定価5,000円と高価ではありますが、レンズフードは必携アイテムとなりそうです。

 

 

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日常の風景を一瞬で異世界へと変えてくれる超広角レンズ。その強烈な遠近感描写と肉眼を遥かに超えた広い画角は、写真ならではの独特の表現を与えてくれます。使い慣れないと癖ばかりが目立ってしまいますが、水平・垂直に気を付ければ案外自然な描写もしてくれるものです。

 

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広い画角を利用すれば、頭上を広く覆う空・雲・太陽を美しく捉えてくれます。何気なく見上げた空ですが、同じ風景は二度と撮影することはできないのですから、写真って本当に不思議ですね。ポケットにも入ってしまう超小型といって言いレンズですから、いつでも持ち歩いてそんな二度とない瞬間の記録に備えられます。

 

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9-18㎜という焦点距離は35ミリサイズでの画角に換算すると18-36㎜相当となります。数字の上では僅かな差ですが、画角は強烈に変化します。比較的自然な描写をする18㎜側から非現実的な描写をする9㎜。この変化を標準ズームレンズ同等の大きさのレンズで実現していることに、このレンズの本当の存在意義が隠れています。

 

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焦点距離が非常に短いレンズですから、屋外では簡単に深い被写界深度を利用したパンフォーカス撮影が可能です。パナソニックの7-14はカミソリでそぎ落としたような鋭利なピント面を見せますが、本レンズはどちらかといえば合焦部を彫刻刀で削りだして行くようなイメージでしょうか。許されるならばどちらも所有しイメージに合わせて使い分けをしたいものです。

 

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コーティングも新しいレンズらしく優秀です。逆光でも濁りの無い発色。ゴースト・フレアの類も通常の撮影では問題にはなりません。歪曲収差もデジタル補正の恩恵で気になるケースは稀でしょう。これほどの超広角ズームレンズを手のひらサイズで入手できるのですから良い時代になったものです。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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