CONTAX Distagon 15mm f3.5 AE-G

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 定価70万円。

 今の職場にいなければ、手にするどころか実物を目にすることも叶わぬ、そんな幻のレンズです。500ミリや600ミリなどの超望遠レンズには同価格帯の物や、それ以上の物も多く存在しますが、これらに比べ超広角レンズという特異性のため、圧倒的に市場への流出数が少ないこのレンズを、自らが購入せずにテスト撮影を許されるというのは、まさに役得以外の何物でもないでしょう。

 画角のあまりの広さと、突き出た前玉故、自分の真横にある太陽さえゴースト発生の要因としてしまい、少しでもカメラを傾けよう物なら、あらゆる被写体をデフォルメしてしまいます。使いこなすどころか、普通に写真を撮ることさえ難しく感じます。しかしながら、この画角にしては十分に補正された歪曲収差により不自然な歪みは全く感じられず、発色もクリアそのものです。特筆すべきはシャドーの階調の豊富さで、画面周辺まで像の流れを見せない良好な解像力と相まって、映像の強烈な印象だけにとらわれない非常に端整な映像を描き出します。

 残念ながらたった一日の試用でしたので、次回は違う季節に店頭に並んでいることを願いたいのですが、ちょっとズルイやり方ですかね(^^; 

 

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高速道路を側道から見上げて撮影。相手が巨大な被写体だと超広角レンズらしさってあまり感じないものですね。実際この場所で見上げると、この写りと相当かけ離れた被写体に驚くかもしれません。

 

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寺社境内の竹林です。ほぼ真上を向いても地面が写り込むほどの画角の広さに驚きます。さすがに画面周辺部には若干像に流れを感じますが、この強烈な遠近感と逆光耐性の高さは癖になります。

 

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被写体として空が似合います。ハイライト基準でかなり露出を切り詰めましたので、藍で染めたような美しい色調になりました。構成枚数は少なくはありませんが、濁りの無いクリアな発色です。

 

 

CONTAX Leica-M改造 Hologon 16mm f8

 僅か3枚のガラスが作り出す焦点距離15ミリの超広角レンズHologonのオリジナル。

 その圧倒的に広い画角を、皆無と言って良いほどの少ない歪曲収差で結像させるこのレンズはライカ用レンズとしては希なZeiss-Madeという素性の特異性と不明な製造本数、そしてその代え難い描写性能故、何時の頃からか「悪魔に魂を売りわたしてでも手にしたいレンズ・・・」と言う形容が付いて回るようになったと言います。

 また、有名オークションや大規模な中古市場では必ずその目玉として出品され、常に数十万から時には百数十万円での取引が行われるコレクターズアイテムとしてもその名はあまりにも有名です。ですから、オリジナルに若干の設計変更を加え、CONTAX-Gマウント用超広角レンズとして本レンズが登場、さらに、比較的安価でのライカMマウントへの改造を引き受けるサービスが存在することは、いったい何人のフォトグラファーの魂を救ったことになるのでしょうか?

 特異な光学系のため絞り機構を組み込めず、さらに画面に均一な露光を与えるためには専用のグラデーションフィルターを取り付ける必要があり、また距離計には連動しないため目測でのピント調節が必要となるなど、使用方法にも非常に制約が多いレンズではありますが、広角レンズ中、肩を並べる者のない歪曲収差の少なさと、強烈なパースペクティブの誇張、少ない構成枚数がもたらすクリア且つ素晴らしい発色の映像は、見る物を摩訶不思議な世界へと誘います。

 噂通りの魔性のレンズ、このHologonの魔法にかかったら、魂とは言わなくてもボーナスの一回分くらいは覚悟した方が良いのかもしれません・・・。

 

 

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電柱の真下から撮影しました。歪曲の少なさが分かる一枚。周辺光量が極端に落ちる設計の為、中央部とのバランスをとる目的でセンターNDフィルターが付属するのですが、「らしさ」を強調するため、あえて未使用で。

 

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日没の瞬間。撮影当時住んでいたアパートから撮影しました。真冬の澄んだ空気感を漆黒へと変化して行く空のグラデーションが見事に描き出します。撮影時は外付けの専用ファインダーで画角をチェックするだけですので、現像が上がるまで結果は分からないのですが、想像以上の仕上がりになりました。

 

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こちらも調整用のNDフィルターは未使用です。このくらいドスンと四隅が落ちてくれると、これはこれで素的な個性となりますね。オリジナルのHOLOGON ULTRA WIDEはいったいどんな写りをするんでしょうか。ちょっと危険な好奇心が湧いてきました。

 

CONTAX Leica-L改造 Biogon 28mm f2.8

 俗に、必要は発明の母と言います。
 また、単なる無い物ねだりが時として優秀な発明の大きな原動力となってきたことが、人類史上では珍しいことではありません。
 

 何時の頃からでしょうか、その独創的な機構と工芸美溢れるデザイン故、ライカは 「ボディーのライカ」と言われ、対して、優秀な数学・物理学者による優れた設計と世界屈指の光学ガラスを用い優れた写真用レンズを供給してきたツァイスは「レンズのツァイス」と呼ばれています。両者が、お互いをライバル関係としていた背景もあり、ライカのボディーにツァイスのレンズを付けて撮影するという行為は、多くの写真愛好家にとって、それはある種の夢とも言える「無いものねだり」の典型でありました。

 過去には、ライカスクリューマウント(L-マウント)用に供給されたツァイスレンズが数種類存在していましたが、いかんせん何れも製造が古く、試しで購入するにはその価格面から見ても余りにリスキーでありました。ですから、最新の光学設計でCONTAX-Gマウント用に、ツァイスがBiogon28ミリを発表した時に、それをライカマウントに改造できないかと考えた人物が、決して少数でないことは想像に難くありません。

 しかしながら、かたやオートフォーカス専用に設計され、ヘリコイドや距離計に連動させるカムを持たないレンズを、ライカボディーで完全互換作動させることは、おそらく大変な試行錯誤の連続であったでしょう。それは、ライカ用レンズを設計し続けてきた「アベノン」だからこそできた、改造の域をこえた一つの発明と言っても過言では無いはずです。

 おいそれと中古市場には出現しないこの改造レンズを所有し、ライカのレンジファインダーを通して撮影できる一瞬は、愛好家にとって至福の時間となりましょう。ちなみに、その素晴らしい描写性能に関するコメントは「CONTAX G Biogon」の欄に譲るといたします。 

 

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非常に繊細で緻密な描写が周辺まで続きます。かといってこれ見よがしに高いシャープネスを見せつけるタイプの描写ではないのが良いところ。青空の発色も良い塩梅ではないでしょうか。 

 

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対称の光学設計は、歪曲収差の補正に効果的です。建築物の撮影などでも歪みを気にせず撮影できるので、M型ライカを携えての街中スナップに好適です。

 

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変わり種のレンズですので、街頭で撮影しているとカメラに興味のある御仁から時折話しかけられる事もあります。本来ありえない組み合わせなので、話に驚く御仁の顔を見ると自分の手柄でもないのに、なんとなく鼻が高くなった気がするのは、まだまだ人間出来ていない証拠ですかね。

 

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真冬の西日が射し込む公衆トイレの中です。被写体としてはちょっとアレですけど、光と舞い込んだ落ち葉が美しかったので休憩ついでに一枚。あ、ちゃんと手は洗いましたよ。

 

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廃校を控えた山間の小学校。児童の声が独特の反響を伴って聞こえる、あの懐かしい音。今でも目を閉じれば耳の奥にはっきりと残っています。近年では部外者がカメラを持って学校に入るには、なにか相応の理由がなければ難しくなってしまいましたが、機会があれば、こういった優しい描写のレンズを携えて母校を訪ねたいものです。

 

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小型のM型ライカと本レンズの相性は非常に良く、純正のElmaritよりも厚みがないので、肩から下げっぱなしにしても邪魔になりません。AF・モータードライブ付きCONTAX-Gシリーズを使いスピーディーに撮影するのも良いのですが、ピントリングや絞りをあれこれいじり、時にシャッターチャンスを逃したりもしながら撮影するのも案外楽しいものです。

 

CONTAX Fish-Eye Distagon 16mm f2.8 AE-G

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 写真レンズには、実際には実現困難で、それはある種の理想でしかないのかもしれませんが、「直線は直線に」「点は点に」「平面は平面に」写さねばならないという設計上の大前提があります。

 しかしながら、その最前レンズが大きな弧を描く独特のスタイルと描写特性から「魚眼レンズ(Fish-Eye)」と呼ばれ、180度以上という画角をフィルム上に納めるために、あえて直線を直線として写さない設計を施されているものがあります。

 天頂を向けると、360度全ての地平線が画角に収まる円形の画像を形成し、主に天体観測や気象観測などの分野で利用されるいわゆる円周魚眼は、あまり一般用途とは言い難いのですが、このレンズのように、一般レンズと同じ24x36ミリの長方形画像を形成する焦点距離15ミリや16ミリの通称,「対角線魚眼」と呼ばれるこの種のレンズは、その画像の強烈なイメージから特殊用途ではありながらも作風に変化を付けるめ、その的確な利用法を見いだす愛用者も多い様です。

 特殊レンズ故、描写性能には余り期待を持っていなかったのですが、恐ろしいほどのシャープネスとクリアな発色が、180度という未知な画角とともに、鮮烈なイメージを描き出し、画角上太陽が直接画面内に入る事態が多いのにも関わらず、ゴースト、フレアの発生は非常に少なく、Tスターコーティングの実力を改めて思い知らされました。

 極度に強調された遠近感と、大きく湾曲した地平線等、その画像の強烈な印象に捕らわれがちですが、この「味の素」臭さを脱却する事が出来れば、このレンズの魅力は、もっと計り知れないものになるでしょう。持ち手の技量を量る、そんなFish-Eye Distagonです。 

 

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極端に画角が広いレンズですから屋外で使用する場合、晴天であれば多くの条件で太陽が画面内に入り込みます。ゴーストやフレアの発生が危ぶまれる状況ですが、多少の工夫でそれらを排除できるのはやはりコーティングの優秀さがあってのことでしょう。

 

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真夏のピーカンでしたので、もっとコントラストの強い映像を想像していたのですが、思った以上にあっさりした描写となりました。頭上の樹木まで写り込む広大な画角はファインダーを覗いてみるまでどんな風に写るか分からないビックリ箱の様な楽しみがあります。

 

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カメラ位置を変化させると、想像以上に摩訶不思議な画像が得られるのが対角線魚眼レンズの特徴。なんだかミニチュアの地球の上に乗っているかのようなトリッキーな映像に出会えました。

 

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タイミング良く飛行機雲が現れました。見上げた空が湾曲した地平線の影響で宇宙から見た地球の様にも見えてきます。映像の癖の強さ故に飽きを感じてしまうこともあるのですが、確実に映像のバリエーションを増やしてくれるので、とても悩ましいのが対角線魚眼です。

 

 

 

CONTAX Distagon 21mm f2.8 MM-J

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 「禁断のレンズ」Distagon21ミリ。

 一般的には長焦点レンズで問題となる色収差。それを低減させる為に用いられる低分散ガラスをその光学系に用いたため、書籍「Only Zeiss2」中では「APO Distagon」と詠われ他メーカーの同クラスのレンズと比較して、大きさ、重量では約2倍。価格に至っては3倍近くをカタログ値でマークします。

 フィルターサイズも82ミリと巨大で、外見からは超広角レンズというより,むしろ望遠レンズの風格さえ感じさせ、その存在感も一級の物を持ちます。設計の上で、携帯性や、価格よりまず第一に描写性能を求める、Zissの設計思想を改めて思い知らされるこのレンズの描写は、一度味わってしまったら最後。あとは、手持ちの不要機材を全て処分してしまで購入しなければないほどの、強烈な所有欲をかきたてます。

 開放から凄まじいピントのキレを見せ、周辺部まで均一な画像を形成します。広角レンズでは形を崩しがちな前後のボケも、近距離から文句無く、美しく合焦部を引き立てます。f2.8のもたらす眩しいほどのファインダー像は1/4秒を切らねばならぬような室内撮影でも確かなピントを約束してくれます。構成枚数の多さと、どうしても写り込みやすい太陽の為の逆光時のゴーストは、ほんの愛嬌と言えるでしょう。

 

 

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21mmといえども、至近距離では案外ピント合わせがシビアになります。フイルムの特性もありますが、こってりとした色のノリを感じる「らしい」写りです。

 

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歪曲収差も抑え込まれており、直線的な被写体への対応も文句はありません。同社18mmはファインダーでのピント合わせに少々戸惑う場面も多かったのですが、本レンズはf2.8の明るさもあって、ピント合わせが非常にやりやすい印象がありました。

 

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広角レンズで問題となりがちな倍率色収差。デジタルではあらかじめレンズプロファイルの登録によって画像修正で影響を抑え込むのが現在のセオリーでしょうか。周辺まで細かい被写体が連続するシチュエーションでは、光学系の補正のみで倍率色収差を解決する「APO Distagn」の実力が試されます。

 

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構成枚数の多い広角レンズでの逆光撮影とは俄かに信じがたいヌケの良さ。ゴースト・フレアの発生は皆無とは言いませんが、それに悩まされる事は案外多くはありません。

 

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f2.8と比較的明るいレンズですので、日没間際の時間帯でもファインダーでのピント合わせには苦労しません。低速のシャッタースピードを使う時は、大柄のレンズであることがかえってホールディングの安定に寄与してくれる場面もありました。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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