ご報告

今回の震災における、被災地の方々に心から御見舞を申し上げ、また行方不明の方や救護が必要な方への一刻も早い救援・救助の手が差し伸べられますことを、そして現地の復興を心よりお祈り申し上げます。

当方も、地震の被害が比較的少ない本州内陸にありながら震度5強という未体験の地震に直面し、震源に近い場所に住まわれていた方たちが、いったいどんな恐怖を味わったかと想像すると、大変に心が痛みます。

このブログに関しまして、ここしばらくの更新を停止させていただくことをご報告させていただくとともに、右下Linkより、旧HP時代から利用しておりました掲示板へのリンクを張らせていただきました。このブログ及び旧HPをご利用いただいた方々(とりわけ、同窓の皆様)の情報伝達の場としてご利用いただければと思います。

取り急ぎ、ご報告まで。

KIYOHARA VK50R 50mm f4.5 SOFT

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 黎明期の写真レンズや海外製のレンズには、設計者自身の名前や設計者自身が与えた特定の名前を冠するレンズが多く存在しています。

 一方、世界屈指の光学製品の製造国である日本製のレンズには、メーカーやブランド、あるいは型式を冠してはいるものの、レンズ固有の名前を与えられている製品は決して多くはありません。これが、「察し」と「思いやり」、そして人の半歩後を歩む「奥ゆかしさ」を美徳としてきた国民性の表れの一つなのかどうかは憶測の域を出ませんが、非常に興味深い事実と言えます。

 そんな日本製レンズの中にあって、設計者の名前を与えらた数少ないレンズの一つが、このKIYOHARA VK50Rです。名称だけではなく、その描写の特異性も相当なもので、製造を中止した現在ではなかなかのレアアイテムとなっています。ルーツは業界の雄、コダック社のスプリングカメラ「ベスト・ポケット・コダック」に搭載されていたレンズ(通称:ベス単<ベスト・ポケット・コダック搭載の単玉レンズ>)と言われ、そのフードを外したときに得られる独特のソフトフォーカス描写(ベス単フード外し)の熱狂的なファンが多かったことから、清原光学において1群2枚の張り合わせレンズを用いた一眼レフ用交換レンズとして登場したのが、オリジナルのVK70Rというソフトレンズでした。そして、より短い焦点距離レンズへの要望が高まり発売されたのが、この焦点距離50ミリのソフトレンズです。中古市場でも稀な存在ですが、ペンタックス645や6x7といった中判フォーマット用のレンズも発売するなど、販売当時はそこそこに人気を博したようです。

 主に残存する球面収差を利用し、絞りによってソフトの量を変化させる設計の為、ソフト量の多い解放付近ではピントの山が無く、ソフト量を控えるため絞り込んだ状態では暗くなったファインダー像で、これまたピント合わせに苦労するという、ピント合わせに非常に難儀するレンズでした。しかしながら段階露出ならぬ段階ピントを多用して、ようやく得られる摩訶不思議な画像はなかなかに情緒的で、特に高感度フイルムの併用で得られる粒子感の際立った画像は、他レンズやフィルターを使ったソフト描写では得難い物がありました。単玉故にゴーストの発生は少なく、逆光でもシャドーの引き締まった画を提供してくれました。

 「性能」という観点でのレビューは難しいレンズではありますが、私個人の大学卒業の大きな力となってくれたこの一本に敬意を表して、ここで紹介させていただきたいと思います。

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現在は観光・資料用としてすっかり整備がされてしまった碓氷峠の鉄道遺構。撮影当時は現在のような廃墟ブームもなく、ひっそりと佇んでいました。撮影に使用したコニカクローム1000と言う高感度リバーサルフイルムは、デジタルでのISO1000とは比較にならないほど「粒状感」が目立ち、いわゆる「素粒子」写真となりました。高輝度部のハレーションが独特のソフト描写をひきたてますが、構成枚数が少ない為、ゴーストの発生に悩まされることはありません。

 

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このレンズを持ち出すと、不思議と古いものに目が行きます。地元に保存されるデゴイチの愛称で親しまれるD51型蒸気機関車。その運転台の圧力メーターが被写体です。ソフトレンズとは言え合焦部はそれなりの解像感がありますので、文字などはしっかり読み取れます。元からなのか、誰かの悪戯か、ガラスや指針が無くなっているのが残念です。

 

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廃墟の明り取り窓。過ぎ去った時間が空気の粒となって記録されているような、そんな不思議な感覚が癖になり、「ソフトレンズ+高感度フイルム」が当時私の常用となりました。

 

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これは、本当にたまたまの話。誕生日が自分と同じ8月27日ということもあって、詩人・作家の宮沢賢治の世界に興味が湧き、岩手の花巻を訪れた際の一枚。f11程度に絞りこむと、収差の影響が少なくなり、ハレーションやソフト感は無くなります。おそらく、通常感度のフイルムであれば、普通の写りをするはずです。デジタル技術が進み、現在ではISO1000程度では「素粒子」効果は得られず、もっぱらデジタルエフェクトの出番となるのでしょう。

 

 

 

Lumix G 14mm f2.5 ASPH

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 35mm判で言うところの28mmという焦点距離は、今日のような標準ズームレンズが一般に広まるまで長い間「広角レンズ」の代表格でした。登場初期は広角域が35mm止まりの製品が多かった標準ズームレンズも、いまや28mmは当たり前の焦点距離となり、パナソニックのマイクロフォーサーズ用のレンズラインナップにおいても、14-45mmや14-140mmといった様に、標準域をカバーするズームレンズは14mmすなわち28mm相当をワイド端としています。また同システムには広角ズームレンズとして7-14mmがラインナップされており、あえて14mmという焦点距離の製品を後発でラインに加えてくるというメーカーの姿勢、これには自ずと興味が湧いてきます。

 前述の通り、標準域の焦点距離はズームレンズ一本で済ますスタイルが定着している昨今、定石を破り20mm F1.7といういわば前時代的な単焦点標準レンズをキット販売したことで、逆転の大成功を収めたのがパナソニックのGF1ですが、単焦点レンズならではの明るさや描写性能、また絞りを変化させた時の描写の違いが、ズームレンズで育った現代のカメラ入門層にとても新鮮に映ったことが、その成功のカギの一つだったようです。

 そして、その20mmの成功がこの14mm登場の大きな伏線であったかの如く、発表当時から発売を待ちわびていたユーザーが多かったようです。5群6枚という少ないレンズ構成中その3枚を非球面レンズが占め、本レンズ最大の特徴である小型・軽量化そしてAFの高速化を実現しています。0.18mという最短撮影距離はパースペクティブを強調する広角レンズの特徴をいかした接写撮影を可能にし、絞り、撮影距離による表現の変化という単焦点レンズならではの楽しみを存分に味わうことができます。画面全域での解像感は高性能ズームレンズである7-14mmに譲りこそしますが、周辺に向けなだらかに落ちてゆくシャープネスや強い光源部に纏うハロによって、中央の被写体が優しく、そして自然にひきたてられます。

 最新の光学設計によって描き出された最新の映像はどこかノスタルジックで、それこそがこの14mmの存在理由だとするならば、画一的と思わずにいられなかったデジタルカメラ専用レンズにも、まだ十分に楽しむ余地がのこされているという事になるのでしょう。

 

 

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フルサイズで28mmの画角レンズは、スナップ写真の代表格と言われる事も。全長の短い本レンズは、マイクロ4/3ボディーに装着するとコンパクトカメラと言っても差し支えない位の様相。コートであればポケットに余裕で収まるサイズですので、散歩に持ち出して、街中を気軽にスナップできます。

 

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度重なる増税と受動喫煙を始めとした健康被害への懸念、電子タバコの普及などで、こういいった「吸い殻」を見かける機会も随分と減った気がします。写真は時代の写し鏡などとも評されますが、日常のなにげない記録も時間とともに意味を持ち始める事があるのですね。

 

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レンズテストなどで頻繁に訪れる県内の公園。中学生の頃は友人と自転車で1時間ほどかけて遊びに来ていたのが良い思い出です。当時はこのベンチやアスレチックの遊具なども真新しく、週末などは家族連れでにぎわっていましたが、今ではひっそりと「終活」でもしているかの様です。

 

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女心と秋の空・・・・こういったコメントは近年ご法度になる動きでしょうか。なんだか息苦しい世の中にならないといいんですが。

 

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Fマウントニッコールの28mmは、当時25cmという近接能力の高さがウリでしたが、本レンズの最短撮影距離は18cmとさらに驚異的。拡大率は高くないので「マクロ」とは言い難いですが、レンズ交換不要で、ググっと寄れるのはスナップ中で大きな武器になりますね。

 

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十分にシャープなレンズですが、そのシャープさが嫌味な自慢になっていないのが、本レンズ最大の魅力なんじゃないかと感じています。小柄な躯体とリーズナブルな価格は、たとえ同一焦点距離が内包されるズームレンズをお持ちの方にも十分に魅力的かと。

 

 

CONTAX Distagon 18mm f4 MM-J

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 このレンズは、国産メーカーと比較して高価な価格設定が多かったコンタックスレンズの中にあって、珍しく「バカ高い」といったイメージがなかった貴重なレンズです。

 コンタックス・ヤシカマウントの中では、比較的古参の部類に入り、新設計のDistagon21ミリが投入されるまでは、超広角レンズの中堅を担う代表レンズでした。それ故に、過去に数多の写真家が優れた作品を残した名レンズであり、日本においてZeissレンズの評価を不動のものとした立役者であったとも言えます。

 設計の古さ故、開放f値が4と控えめで、フィルターやフードの取り回しにも若干の制約を受けますが、その古さを感じさせないヌケのよい画像が印象的でした。そして、絞っても適度なウエット感を残し「カリカリ」にならないその描写はモノクロ向きのレンズなのかもしれません。良く補正されたディストーションは、超広角特有の強烈なクセを感じさせず、ひたすらに只、広さだけを感じさせる広角レンズといった感覚で、ファインダーに写り込む全てを優しく包み込んでいました。

 残念ながら、最新の21ミリと比較すると解放f値や解像度の差からファインダーでのピントの山がややわかりずらく、低照度時のシャッタースピードに制約が生じる為、21ミリ購入と同時に手放してしまいましたので、この手元にあった時間がごくわずかでした。もし可能であるならば、デジタルでこの優しい描写を再び味わって見たいものです。

 

 


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現在ではフルサイズでの18mmの画角は大三元の広角ズームでは至極当たり前になっていますが、本レンズの登場時点ではどちらかと言えば特殊なレンズでした。明るさをf4としたことで、ファインダー画像はお世辞にも明るくはなかったのですが、歪曲収差や周辺光量落ちなどの欠点も少なく、癖を感じない素性の良さを感じるレンズでした。

 

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カリカリの描写にならず独特のやさしさを持った描写。当時は21mmのあまりに鮮烈な描写にアテられて売却をしてしまったのですが、齢を経た現在ではこのちょっと懐かしい感じの描写に再び惹きつけられていたりもします。

 

 

Leica Summicron M 35/2(8Elements)

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 基本的には下落傾向のある中古商品の相場のうち、僅かではありますがその商品が通常流通していた頃と比べて明らかに高い相場を形成する商品があります。そして、その殆どの場合は流通数の少なさが原因となっています。

 不人気故に早期に生産を中止した物などは、流通数の少なさがかえって人気を呼ぶという一見矛盾ともとれる不可思議な現象を呼び起こし、価格の高騰を招きます。そして、希なパターンではありますが、十分な流通量があるにも関わらずその流通量を上回る絶大な人気を得た商品の場合も、価格は常に高値で安定します。

 そのレンズ構成から、通称「8枚玉」と呼ばれるLEITZの初代Summicronの35ミリは、後者の理由故十分な流通数を確保しているにもかかわらず、常に高値相場で取引されています。レンズの魔力か、はたまたマスコミの影響力か、このレンズの魅力を語る記述は至る所で目にすることが出来るのですが、それにしても、ここ日本での中古相場は少々高すぎるようです。

 その真意を確かめるべく借用した個体は、数十年の時を経たレンズとは思われないほどのクリアな発色と線の細い中版カメラの画像を思わせる繊細な画質を持った素晴らしい物でした。若干のハイライト部の滲みは、少々ブルー味を帯びた旧LEITZ独特の渋みのある発色と相まってオールドレンズ独特の風合いを上品に醸し出します。現代の解像度の高いレンズと比較しても、決して見劣りしない素晴らしいシャープネスと、オールドレンズ独特の優雅な描写をバランス良く持ちあわせたこのレンズの形成する画像は語り継がれる伝説に相応しいもので、所有欲をかき立てるのに十分な結果をもたらしました。

 ここで酷評でもして、万が一にも相場が下落するのであれば、どんな罵詈雑言をも私の口は惜しまずに発することでしょう・・・・。

 昔は、もう少し手の届きやすい価格だったんですけどねー。

 

 

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雨上がりの雑木林。湿気を帯びた空気の印象が良く伝わってきます。曇天下のフイルム撮影でしたので、いわゆるホワイトバランスの崩れを警戒しましたが、案外ニュートラルな発色をしてくれました。当時は確かE-100VSという赤系の原色がやや強調されるフイルムを愛用していましたので、その影響もあるのかもしれませんね。

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直線の多い被写体で構成すると、若干の樽型収差を感じます。デジタルカメラではいとも簡単に内包される補正データで「キッチリ」写し留めてしまうのでしょうが、そこはフイルム時代のレンズですので如何ともしがたいところ。被写体によっては注意も必要です。

 

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桜のベストシーズンを外してしまいましたが、被写体はいたるところにあるものです。散った桜もなかなか味わい深いものですね。一眼レフだと「フレーミング」に逐一神経を尖らせがちなのですが、その辺が適度に曖昧なレンジファインダーの方が被写体そのものに集中できる、そんな気もするのです。

 

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桜色(マゼンタ)と葉の緑(グリーン)は、色彩的には補色関係にあるので同一画面に存在すると、お互いを上手く高めあってくれる効果も期待できます。しかしフイルム時代、ましてレンジファインダーですから、撮影時に結果の「色」を正確に判断するのは「経験」「知識」が相当に必要だった筈。プロカメラマン、現在よりもフイルム時代の方が神格化されていたと感じるのは自分だけでしょうか?

 

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雨上がりにベンチの下で雨宿り?をしていた蒲公英を発見。絞りを開けた際の周辺減光を警戒していましたが、欠点と言うより丁度良い塩梅の落ちかたで安心しました。

 


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f5.6程度まで絞ってあげると、画面全体の画質が均質化しスッキリした画像を提供してくれます。古い設計のレンズですから、強い光源だとゴーストやフレアへの対策(しかもレンジファインダー上では撮影時には気づけない)が必須ですが、この程度の逆光ならば無問題ってことですね。 

 

 

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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