CONTAX Fish-Eye Distagon 16mm f2.8 AE-G

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 写真レンズには、実際には実現困難で、それはある種の理想でしかないのかもしれませんが、「直線は直線に」「点は点に」「平面は平面に」写さねばならないという設計上の大前提があります。

 しかしながら、その最前レンズが大きな弧を描く独特のスタイルと描写特性から「魚眼レンズ(Fish-Eye)」と呼ばれ、180度以上という画角をフィルム上に納めるために、あえて直線を直線として写さない設計を施されているものがあります。

 天頂を向けると、360度全ての地平線が画角に収まる円形の画像を形成し、主に天体観測や気象観測などの分野で利用されるいわゆる円周魚眼は、あまり一般用途とは言い難いのですが、このレンズのように、一般レンズと同じ24x36ミリの長方形画像を形成する焦点距離15ミリや16ミリの通称,「対角線魚眼」と呼ばれるこの種のレンズは、その画像の強烈なイメージから特殊用途ではありながらも作風に変化を付けるめ、その的確な利用法を見いだす愛用者も多い様です。

 特殊レンズ故、描写性能には余り期待を持っていなかったのですが、恐ろしいほどのシャープネスとクリアな発色が、180度という未知な画角とともに、鮮烈なイメージを描き出し、画角上太陽が直接画面内に入る事態が多いのにも関わらず、ゴースト、フレアの発生は非常に少なく、Tスターコーティングの実力を改めて思い知らされました。

 極度に強調された遠近感と、大きく湾曲した地平線等、その画像の強烈な印象に捕らわれがちですが、この「味の素」臭さを脱却する事が出来れば、このレンズの魅力は、もっと計り知れないものになるでしょう。持ち手の技量を量る、そんなFish-Eye Distagonです。 

 

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極端に画角が広いレンズですから屋外で使用する場合、晴天であれば多くの条件で太陽が画面内に入り込みます。ゴーストやフレアの発生が危ぶまれる状況ですが、多少の工夫でそれらを排除できるのはやはりコーティングの優秀さがあってのことでしょう。

 

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真夏のピーカンでしたので、もっとコントラストの強い映像を想像していたのですが、思った以上にあっさりした描写となりました。頭上の樹木まで写り込む広大な画角はファインダーを覗いてみるまでどんな風に写るか分からないビックリ箱の様な楽しみがあります。

 

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カメラ位置を変化させると、想像以上に摩訶不思議な画像が得られるのが対角線魚眼レンズの特徴。なんだかミニチュアの地球の上に乗っているかのようなトリッキーな映像に出会えました。

 

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タイミング良く飛行機雲が現れました。見上げた空が湾曲した地平線の影響で宇宙から見た地球の様にも見えてきます。映像の癖の強さ故に飽きを感じてしまうこともあるのですが、確実に映像のバリエーションを増やしてくれるので、とても悩ましいのが対角線魚眼です。

 

 

 

CONTAX Distagon 21mm f2.8 MM-J

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 「禁断のレンズ」Distagon21ミリ。

 一般的には長焦点レンズで問題となる色収差。それを低減させる為に用いられる低分散ガラスをその光学系に用いたため、書籍「Only Zeiss2」中では「APO Distagon」と詠われ他メーカーの同クラスのレンズと比較して、大きさ、重量では約2倍。価格に至っては3倍近くをカタログ値でマークします。

 フィルターサイズも82ミリと巨大で、外見からは超広角レンズというより,むしろ望遠レンズの風格さえ感じさせ、その存在感も一級の物を持ちます。設計の上で、携帯性や、価格よりまず第一に描写性能を求める、Zissの設計思想を改めて思い知らされるこのレンズの描写は、一度味わってしまったら最後。あとは、手持ちの不要機材を全て処分してしまで購入しなければないほどの、強烈な所有欲をかきたてます。

 開放から凄まじいピントのキレを見せ、周辺部まで均一な画像を形成します。広角レンズでは形を崩しがちな前後のボケも、近距離から文句無く、美しく合焦部を引き立てます。f2.8のもたらす眩しいほどのファインダー像は1/4秒を切らねばならぬような室内撮影でも確かなピントを約束してくれます。構成枚数の多さと、どうしても写り込みやすい太陽の為の逆光時のゴーストは、ほんの愛嬌と言えるでしょう。

 

 

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21mmといえども、至近距離では案外ピント合わせがシビアになります。フイルムの特性もありますが、こってりとした色のノリを感じる「らしい」写りです。

 

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歪曲収差も抑え込まれており、直線的な被写体への対応も文句はありません。同社18mmはファインダーでのピント合わせに少々戸惑う場面も多かったのですが、本レンズはf2.8の明るさもあって、ピント合わせが非常にやりやすい印象がありました。

 

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広角レンズで問題となりがちな倍率色収差。デジタルではあらかじめレンズプロファイルの登録によって画像修正で影響を抑え込むのが現在のセオリーでしょうか。周辺まで細かい被写体が連続するシチュエーションでは、光学系の補正のみで倍率色収差を解決する「APO Distagn」の実力が試されます。

 

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構成枚数の多い広角レンズでの逆光撮影とは俄かに信じがたいヌケの良さ。ゴースト・フレアの発生は皆無とは言いませんが、それに悩まされる事は案外多くはありません。

 

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f2.8と比較的明るいレンズですので、日没間際の時間帯でもファインダーでのピント合わせには苦労しません。低速のシャッタースピードを使う時は、大柄のレンズであることがかえってホールディングの安定に寄与してくれる場面もありました。

 

 

CONTAX Distagon 25mm f2.8 MM-J

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 Distagon21ミリほどの強烈な印象があるわけではなく、35ミリほどの万能性があるわけでもありません。比較的古い設計にあたるためか、開放付近では周辺光量も真面目に落ち、発色もどちらかといえば渋い方でしょう。f2.8という明るさも、とりわけ明るい部類ではなく、他メーカー製品と比べ約二倍の8万円超の価格設定は、購入するのに少々勇気が必要かも知れません。

 しかしながら、どういう訳か撮影時には迷うことなくこのレンズを携行している自分に、実は最近気がついたのです。

 カタログ値には現れない、描写上の底力とでも言いましょうか、25ミリでモノにした作品に、共通するある種の安堵感のような物を感じるのは、私だけでしょうか?その焦点距離が自分にとって使い慣れ、親しんできた時間が長いという理由だけでは到底説明の出来ないこのレンズへの信頼感は、やはりZeissレンズならではのものではないでしょうか。

 

 

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もともと澄んだ流れの梓川(上高地)ですが、フイルム上にも一切の濁りなくその姿を記録してくれました。スペック上には尖った部分の無いレンズですが、その仕事は一流です。

 

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逆光でも大きな画質の乱れはありません。Tスターコーティングの優秀さが実感されます。地面に張り付いて撮影した一コマですが、周囲からは完全に「不審者」ですよね。

 

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普段はあまり保護フィルター以外のフィルターは使いませんが、青空があまりに美しかったので偏光フィルターを使用。効きすぎて嫌味が出ないよう回転を調整して数カット撮影した中の一枚です。

 

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現在は鉄道遺構として綺麗に整備されてしまった変電所跡。学生時代はいわゆる「廃墟」化しており、地元に戻った際には時折赴く撮影スポットでした。目につく際立った描写特性の無いレンズですが、その仕上がりに落胆することのない不思議なレンズでした。

 

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廃線後の碓氷峠。少年時代はまだ運行中だった列車を撮影するため、鉄道写真好きだった知人の父上に同行して何度か訪れた懐かしい場所です。あの時は必死で車両写真を撮りまくっていましたが、時間とともに好みの被写体がずいぶんと様変わりしたものです。

 

 

CONTAX Distagon 35mm f1.4 MM-J

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 フィルムでの撮影がメインだった頃にもしレンズを一本だけ持って行くのだったら、そんな質問をされたなら、迷わずこの35ミリを答えていたのでしょう。

 f1.4の明るさは大抵のシチュエーションでの手持ち撮影を可能にし、ずば抜けた近接撮影時の能力は、簡単なマクロ撮影までこなします。開放付近では微妙な甘さを残した 合焦部分と、なだらかにつながるボケが人物を美しく捉え、f5.6まで絞ればレンズを交換したかのように素晴らしい色のノリとピントのキレを見せてくれます。フローティング機構の影響からか、撮影距離によっては若干背景のボケがうるさく感じられ る場面もありますが、そんな些細な欠点を補って余りある魅力を持つ、私にとっての万能レンズです。

 開発当時疑問視されたと言われる非球面レンズの導入ですが、今日高級レンズだけにとどまらず、多くの写真用レンズに非球面が導入されていることから考えても、Zeissの設計理念が決して間違いではなかった事が証明されたと言えます。

 常用携行レンズにするには、大柄の鏡筒と、ややもするとボディーよりも高額出費になりやすい価格設定は、決して万人にお勧めできるレンズとは言い難いのですが、デジタルが主流になり、中古相場が非常に下がっている今、Zeissの魅力を実感してみたい方は、まずこの一本をお使いになってはいかがでしょうか。

 

 

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条件によっては後ボケに多少のクセを感じる事もありますが、近距離から合焦面のキレの良さは一級品。大きさ・重量からすれば普段使いとは言い難いレンズなのですが、長らく私の「標準レンズ」となりました。

 

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逆光時の性能も高く、いじわるな条件下でもゴーストやフレアに困る事の少ないレンズでした。函館に旅行した際の一枚ですが、本レンズ、21mm・マクロ100mm・85mmのPlanar、そして予備のボディーと、なかなかのヘビー級機材でした。今ならちょっと躊躇う重さです。

 

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標準レンズとして随時携行していましたので、街頭スナップにも重宝しました。MFではありましたが、f1.4の明るさはファインダーでのピント合わせがとても楽に行える為、小気味よく撮影が可能です。当時は同じ描写傾向を持ったf2クラスの小型レンズを望んでいましたが、結局はZFマウントの登場までお預けとなりました。

 

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シャッタースピードが落ち込む状況でf1.4の明るさは大きな武器になります。咄嗟に感度を上げられないフイルムカメラにおいては、高い性能を維持したまま躊躇なく絞りを開けられる本レンズの存在は大きな保険になりました。

 

 


CONTAX Macro Planar 100mm f2.8 AE-J

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このレンズの購入前には、名高い60ミリのマクロを所有していたものですから、 当初は購入の候補にすら入っていなかった100ミリのマクロプラナー。

 依頼された撮影でどうしても中望遠が必要となり、勤め先の売り物を借用したのですが、その個体をそのまま買い上げてしまったほどに、その描写性能には驚愕しました。

 開放から完全に実用になるか、もしくは開放の描写に何かしらの代え難い魅力を感じるか・・・ それが、私個人のレンズ購入時の大きな選択理由となるのですが、マクロの名に恥じず開放から完全に実用となる画面全域の均一な精密描写、しかも、アウトフォーカス部分は、まるで溶けるようなマクロレンズらしからぬ描写を見せ 背景にハイライトを含む線状の物体があっても2線ボケとは無縁。色のヌケやカラーバランスも最高で、私が過去に抱いたマクロレンズに対しての悪いイメージを 一気に払拭してくれました。

 等倍撮影時の異様なまでの鏡筒の繰り出し量にはやや 閉口するものの、60ミリとはまた違った魅力を放つZeissの傑作レンズです。

 

 

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60mmと比較して大きなボケが得られるのは望遠マクロの大きな利点。ボケ像の質も60mmより柔らかい印象がありました。ワーキングディスタンスも長く撮れるので、山野草などの撮影には非常に重宝します。ブレ防止にはすこしばかり神経質になりますが・・・。

 

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透過する光に浮き立つ水芭蕉。足元は湿原ですからこんな時も望遠マクロの出番です。60mmと比較して大柄で重量もそれなりですが、どちらか1本を、と考えると100mmの方が有力候補になるでしょうか。

 

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中景~遠景でもシャープネスを存分に発揮してくれるので、こんな被写体もお手の物。周辺まで破綻の無い描写はさすがのマクロプラナーといったところでしょうか。

 

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前後のボケ像が極めて均質なのも本レンズの美点。マクロ域での被写界深度は相当シビアになりますが前後共にボケ像が邪魔になる事はなく、合焦部を美しく引き立ててくれます。

 

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当然、遠景を切り取るのも当レンズの出番。CONTAXには同じく100mmにf2のプラナーも存在しますが、最短撮影距離の短さで当レンズのメリットが勝り、私の周りにも85mmプラナーと100mmマクロプラナーの二刀流に落ち着くユーザーが多かった印象があります。

 

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前後のボケ像の美しさがとても良く伝わる1枚ではないかと。フォーカスヘリコイドはマクロ撮影での利便性を考慮してどちらかと言えば重めの操作感で、かつ作動範囲も余裕があるため俊敏なピント合わせは苦手になります。このボケ味をポーレートで・・・・とも思いましたが、マニュアルフォーカスではなかなかの苦行となるので覚悟が必要です。

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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