M.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PRO

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 いわゆる標準画角を持つ焦点距離のレンズ(35ミリフルサイズにおいては50㎜付近)は、歴史的に見ても各メーカーの「最も明るいレンズ」が存在するケースがほとんどで、ライカのノクチルックスや、キヤノン7用のf0.95、ニコンSマウントのf1.1など、レンジファインダー機が主流だった時代から、そのメーカーを代表するレンズが存在しています。また、登場時いずれも高額で販売本数も決して多くなかったこともあり、現在ではその多くがプレミア価格で取引されるのが常です。無論、メーカーは中古相場の高騰などに興味は無いのでしょうが、現在でもその傾向は色濃く残っています。ニコンにおいてはFマウントの口径に起因する制限によって、長年f1.0以上の明るさを持つレンズが開発できなかったとがある種トラウマだったようで、大口径の新生Zマウントでは、開発発表と同時に解放f値を0.95とする58㎜レンズの発売がアナウンスされたのがとても印象的だったのを記憶していいます。(注:売価は100万円を超えてきましたが・・・)

 御多分に漏れず解放f値を1.2とする本レンズも、オリンパスが発売するM4/3フォーマット用に用意されたレンズ中で最高の明るさを誇りますが、レンズ構成枚数19枚、メーカー小売価格165,000円と、実に「標準」らしからぬ佇まいを見せます。しかしながらフィルター径62㎜・重量420グラムと、小型センサー機の特徴を生かした非常にハンドリングの良いレンズになります。名称にPROを掲げるだけあって、描写性能も「標準」以上で、f1.2の解放から非常に切れのよい合焦部と、その前後になだらかに、そして美しく広がる極上のボケを見せます。ボケ味は実体のエッジ部を距離ごとに徐々に滲ませて行くタイプで、前後のボケ方に差が少ないので、極めて自然に合焦部が引き立てられます。同社からは解放をf1.8とした25mmレンズも発売され、こちらも相当に質の高い描写をしてくれますが、この約1絞り分の明るさと定価ベースで10万円以上の差を惜しむ理由が当方には見当たりませんでした。(差額を捻出できる根拠も見当たらなかったのですが・・・・・・)勤務先に入荷したものを借用してテスト撮影をしましたが、結局在庫棚に戻ることは無く、我が家の防湿庫を住処としてしまいました。オリンパスには17㎜と45㎜にもf1.2のPROレンズがラインナップされていますが、懐を直撃するので暫くは入荷しないでほしいと願っております。

 

 

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25mmとはいえ、やはり解放付近では被写界深度激薄です。特筆するべきは合焦部からなだらかに始まる美しいボケ。収差の加減によっては汚く見えそうなワンピースの細かい柄ですが、とても自然に溶けています。眉毛一本までしっかりと解像する合焦部、手の丸さ、柔らかさを見事に表現する質感描写。なだらかで少しの嫌味もないボケ味。ポートレートレンズとして文句の付け所がありません。

 

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意地悪に造花を前ボケとして入れてみました。後ボケが綺麗なレンズには、前ボケに硬さが残る物も多く存在しますが、本レンズは前ボケの描写も見事。それにしても合焦部のシャープネスには脱帽します。オリジナルデータでは瞳に映り込んだステンドグラスまでもしっかりと描写されています。最近はあまり人物の撮影をする機会は多くないのですが、こんなレンズを手にしてしまうと、ポートレートを撮りまくっていた高校時代に戻りたくなってしまいます。

【モデルは地元「エトワールモデルエージェンシィ」所属の「ともか」さんでした】

 

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こういったスナップに最適な標準画角。目に入った物を素直にフレーミングできます。とても暗い室内だったのですが、f1.2という明るさは最大の武器。「明るいレンズ=大きく重いレンズ」はマイクロフォーサーズでは気にならないレベル。写真が上手くなったと、勘違いさせてくれる「有能」なレンズです。

 

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テストで借用した際にこの絵が撮れてしまったので、結局はそのまま購入となりました。解放でこのピント+自然なボケ方は、もはや異常と呼べるレベル。

 

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これも、おそらくはこのレンズでなければ撮れなかった絵。路地裏に咲いた小さな花を撮影した一枚が、ここ最近で一番のお気に入りとなりました。

 

 

ASAHI PENTAX Super-Takumar 50mm f1.4

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 「オールドレンズありますか?」

 中古カメラ店で、にわかに耳にするようになった比較的若いお客様からの要望。あまりに漠然としていますから、「古いレンズでしたら色々とありますが、メーカーや焦点距離はどういった物が希望ですか?」と問いかけると「カメラの事はわからないんですが、こういうの撮れるヤツです」とスマートフォンを取り出します。そこには、インスタグラムやTwitter等のSNSにアップされた、「ちょっと解像力が不足したモノクロの風景」や、「激しく口径食を伴い渦を巻いたような見苦しいボケとともに写されたアンニュイな表情の少女のポートレート」、また「カラーバランスが著しく狂い、加えて粒子感がやたら際立ったセルフィー」(個人の感想です)などが並んでいます。

 デジタル技術の驚異的な進歩により、昨今では映像を高い精度で正確に記録する事ができる機器を誰もが当たり前に手にするようになりましたが、どうやら反面「正確に写る」事よりも「写り過ぎない」独特の個性を持った描写に惹きつけられる写真ファンが誕生しているようなのです。検索サイトに調べたい語句を入力すれば、たちまちに正しい答えが手に入る時代だからこそ、彼らには「曖昧な結果」や、「読み切れない行間」、「予想と違う反応」、そういった物が新鮮で魅力的であり、むしろそこに真のリアリティーを感じているのかもしれません。

 一方で、ミラーレス一眼の普及により、近年はマウントアダプターを介してフイルム時代の膨大なレンズが簡単に楽しめるようになりました。そして、上記のような理由が全てとは言えませんが、現代のレンズに比べ、その描写に独特の個性を持つ個体が少なくないオールドレンズは「独自の映像表現」を求める層に爆発的に広まっていったのです。中でも国産オールドレンズの雄、PENTAX製のスクリューマウント(通称M42マウント)レンズは、販売当時庶民の一眼レフとしてカメラ王国日本の礎を築いた大ヒットカメラの交換レンズであったため、市場に豊富に存在(結果として安価で販売)していた事や、ねじ込むだけの簡単な取り付け方法なので、マウントアダプターも多くの種類が製造されていた事など、「とりあえず試してみる」のに最適な環境が揃っていました。その結果多くのオールドレンズファンの目に留まる事となり、中古カメラ屋視点から見ても「異例」なほどの人気商品となりました。これまでは、光学素材の経年劣化、カビの発生、グリスの劣化などがあれば即「ジャンク品」のレッテルが貼られた「タクマー」の標準レンズが、堂々とネットオークションの花型商材となっているのですから、驚きを隠せません。

 流行だからといって、鼻で笑ってしまえばそれまでです。そのままでは「今の若い者は・・・」といったジェネレーションギャップに埋もれてしまいそうな「オールドレンズ」の魅力とはいったいどんな物なのでしょう。私より少し先輩の「Super-Taumar」の描写、マウントアダプターを介した最新のミラーレスでその実力を拝見して見たいと思います。

 

 

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マイクロフォーサーズでは35㎜フイルム用の50㎜レンズは、フルサイズ換算で100㎜の中望遠レンズの画角となります。最短撮影距離は45センチですので、これはちょっとしたマクロレンズ。レンズの描写性能は中央部から周辺にかけて低下をするのが一般的ですから、結果として中央部を切り取る使用法となる4/3センサーでは、解放絞りとはいえ十分に解像感の高い描写となります。拡大すると、光沢分部に微妙なハロ見えますが、それがかえって使い古された金属の鈍い輝きを巧みに描いてくれます。

 

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古いモノはオールドレンズで。正規の役目を終えて久しい電気機関車のナンバープレート。これが実際に走行していたのを撮影したのは自分が小学生の頃。展示館に安置されている姿を再び撮影するようになるとは、何とも不思議な感覚です。f4あたりまで絞ると、前述のハロは消え非常に端正な写りに。もともと性能は高いレンズですから、いわゆるオールドレンズ的ではなくなってしまいますね。

 

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屋外では、光の強く当たった部分は若干滲みをともなう、いかにもオールドレンズらしい描写に。それでも妙な破綻は無く、歪曲も少ないのは優秀な設計の賜物でしょう。

 

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初期の「Super-Takumar」には、放射能を持つ元素「トリウム」を含むガラスを使用していた物が存在します。もちろん、人体に影響を及ぼすほどの放射線は出していないとの事ですが、この素材は経年劣化で茶褐色に変質してしまうことが多く、入手した個体もかなり変色したガラスが光学系に存在していました。デジタルカメラではホワイトバランスの調整で影響を押さえ込むこともできますが、あえて日中5500ケルビンに固定して、アンバーに偏った発色を楽しんでみました。何とも言えないノスタルジーを感じる色です。これぞ、オールドレンズ。

 

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シャープさと柔らかさが同居した素敵な描写ですね。被写体がマッチすれば、代えがたい魅力を放ちます。近年はブームに乗って、これらのレンズは中古相場が高騰しています。かつてどこの中古カメラ店にも必ずと言って存在していたM42のタクマー。今はちょっとしたレアアイテムの仲間入り。まぁ、もう少し時間がたてば・・・・ね。

 

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同時に入手したマウントアダプターは、ヘリコイドを搭載し、中間リングの仕事もしてくれます。最短45センチをさらに割り込んだ接写ですが、性能の落ちる周辺を使用しないため十分な性能を発揮。やはり、金属部分の独特の光沢がいい味をだしています。劣化したHゴムや木製の窓枠などの質感も、とても味わい深く描写されています。

 

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電子シャターを使用すると、超高速のシャッタースピードが利用できるため、なんとか屋外でも1.4という解放絞りを堪能することができました。しかし、解放の描写が面白いとやたらと絞りを開ける癖が出てしまいますので、オールドレンズを使うときはNDフィルターが必携ですね。

 

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初めは、流行に乗ってちょっと作例を・・・なんて簡単に考えていましたが、この描写は捨てがたくなってしまいました。実はPENTAXのレンズで本格的に撮影したのは今回が初めて。もしかしたら、いけない沼に足を入れてしまったのかも。

 

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ポートレート撮影に持ち出す機会があったので、久々のMFでポートレート。最近はG9の瞳認識に頼った撮影ばかりしていたのでちょっと心配でしたが、そこは昔取ったなんとやらでしょうか、ちゃんとピント合ってました(^^;;解放での微妙なハロが女性の優しい雰囲気をうまく引き立ててくれます。換算100㎜となる点もポートレートにジャストミート(古)でした。

 

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ややアッパー気味に強めのレフを当て、アンニュイな表情で一枚。一枚一枚ピントを調整しながらの撮影は久々でしたが、適度な間と、オールドレンズならではの独特の柔らかな描写で、非常に心地よい撮影となりました。もちろん、モデルさんの技量に相当助けられましたが・・・

【モデルは地元「エトワールモデルエージェンシィ」所属の「ともか」さんでした】

 

 

犯人の特定

 パソコンの自作を始めてから、20年という月日を裕に数えるでしょうか。ペンティアム4(ノースウッドコア)から始めたPC自作は、ペンティアム4(プレスコットコア)、ペンティアムD、コア2Duo、コア2Quad、アスロンX4、フェノムX4、AMD-FX8350、Core-i7(3770)、Ryzen2600X等と、CPUのメーカーを跨ぎつつ、自分のPCに収まらず、親族や知人、会社のPCを含めると作成したPCは、すでに両手・両足では数えきれない程になりました。

 おかげ様で?、ソフト・ハードともにそれなりの知識を得て、大概のトラブルは自分で解決できるスキルは身に着けてきたのですが、現在のシステムへ変更してからどうしても解決できない謎のトラブルに遭遇していました。

それは、

Windows10の起動に、思った以上に時間がかかる。

といったものです。

OSをインストールしてある起動ディスクは、RAID運用を除けば、現状速度重視の最適解と思われるM2.(PCI-e)インターフェイスのNMVeのSSDですので、スペック的に遅くなるとは考えられません。

無論、メインで活用しているPCですので、メインメモリは8Gx4の32GB、スクラッチ用とライトルームのカタログ用にSATAのSSDを各一台。データ用に2TBのHDDを2台接続というなかなかにヘビーな運用をしていますが、多分これは常識?の範囲内。メモリーチェックに多少の時間がかかるとはいえ、PC-98の頃とは時代がちがいますので、それも無視できる範囲かと。

ネット上の記事では20秒程で起動する報告の多いSSDにかかわらず、当マシンは40-60秒程度、起動の度に待たされておりました。20秒程度の差なんて、オトナシク待ってれば良いのでしょうが、そこは、自作派のゴーストが囁くのです。

何かがおかしい。

で、SSDのファームやら、アライメントの不整合やら、チェックディスクやら、Windowsのアップデートやら、思いつく原因をシラミ潰しに消していったのですが、結果変わらず暗礁に乗り上げ、まあ、起動が遅いだけなので(ベンチの結果は正常)このまま使えばいいやと思っていたのですが・・・・

別件でネットサーフィンをたしなんでいたところ、「SATAのケーブルが原因」で起動が遅くなっていた事があるというブログの記事を発見。慌てて、接続してある各ドライブの接続を確認したところ、とある一台のHDDの接続を外すと起動が早くなることを突き止めました。

幸い、自作派の自宅には余ったSATAのケーブルなんて当たり前に転がっていますので、すぐさま交換して起動。

「遅いじゃん・・・・・」

SATAのコネクタが原因かとも思い、マザー上の接続コネクタを別の所へ変更。

「遅いじゃん・・・・・・・・・」

こうなると、犯人はケーブルではなく、HDD自体ということに。結果、どうやら起動を遅くしていたのは写真データを保存していたHDD「WDのWD20EFRX」という、NAS向けのREDシリーズに属するHDDにあったようです。もちろん、調査環境が限定されているので、HDD自体が原因なのか、チップセットが原因なのが、故障なのか、各々の相性なのか、呪いなのか、血中コレステロールなのか、、、、真相は今一つなのですがHDDを一般モデルへ変更したら、問題は解決しました。 WDのHDDといえば、数年前に「低速病」という、パフォーマンスが異常に低下する事象がネットを騒がせましたが、今回の関連性は不明。 HDDはメーカーや品番を問わず、事故が発生すると大事なデータの損失など、その影響があまりにも大きいので、特定メーカーの不買運動などにも発展しかねませんが、所詮機械ものですので、どんなメーカーのどんな製品であっても、突然のトラブルに備えるよう日々のバックアップが重要なのでしょうね。 今回の事象がどなたかの役に立つこともあるでしょう。

もし、同じ悩みの方がいましたら、何かの参考になれば幸いなのです。

今回の犯人?はNAS向けということで、24時間連続運用を想定したHDDですので、起動時のシークエンスが通常の製品となにかしら違ったりするんでしょうかねぇ。

HDD自体に問題はないようなので、換装後はフォーマットして外付けのデータ用ディスクとして活用することにしますです。

Leica DG Macro-Elmarit 45mm f2.8 ASPH

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 「接写用レンズ」いわゆるマクロレンズは、文献複写や資料記録といった学術・研究用途での需要があります。直線を直線に、立体を立体に、色のにじみ無く高解像度で記録することを宿命づけられたこれらのレンズは、結像上問題となる各収差を極限まで補正し、一般レンズでは到底不可能な接写領域から通常撮影距離まで、絞り値の影響を受けずに破綻のない画像を提供しなければなりません。それ故に設計者が心血を注ぎ、傑作レンズと呼ばれる製品が多く輩出される事になります。

 そして、Micro-NikkorやMacro-Planarとならび接写用レンズの代表ブランドとして、このMacro-Elmaritが存在します。Leicaといえば、距離計連動カメラであるM型ライカが有名ですが、接写領域での使い勝手は一眼レフであるR型ライカに軍配が上がります。しかし、優秀な自動機構を備え堅牢で安価な国産一眼レフの前では、R型ライカの人気は今ひとつで、定価も非常に高額であったR用Macro-Elmaritは、中古市場でも非常に貴重な存在となっていました。従って、Panasonicが販売するデジタルカメラ交換レンズ中、マイクロフォーサーズマウントで最初にライカ名を与えられたのがこのMacro-Elmaritだったのは、なかなかに見事な販売戦略であったと思います。

 決してPanasonicブランドレンズの品質が低い訳ではないのにもかかわらず、カタログ中あえて「Leica社の品質基準をクリア」している事を謳う本レンズの描写には、メーカーの自信と確かにそれを裏付ける何かが存在しているようです。解放絞りから完全に実用になり、合焦部の解像感・ボケの美しさ:コントラストはどれも素晴らしく、小気味よいAFの作動速度と手ブレ補正機構は、35ミリ判相当で90ミリともなる中望遠レンズであることを完全に忘れさせてくれます。

 今の時代にオスカー・バルナックが甦ったのなら、マイクロフォーサーズ規格を立ち上げたのは彼だったのかもしれない、そんな無粋な妄想を抱かせてくれる現代の名レンズです。

 

 

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まずはマクロレンズらしい被写体を。咲き始めのアジサイの下、日差しをよけて雨を待つアマガエル。インナーフォーカスによる俊敏なAF・手振れ補正の搭載により、マクロ域においても非常に快適な撮影のリズムが築けます。

 

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画角はフルサイズでの90mm。いわゆる中望遠の画角となり、日常のスナップやポートレートでも活躍してくれます。小雨交じりの天候でしたが、少し湿った空気の感じが見事に伝わってきます。

 

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仕事で出かけた新潟・瀬波の夕景。ほぼ無限域の被写体も解像感高く記録してくれます。最短から無限まで、隙の無い描写はやはりLeicaクオリティー。

 

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マクロ域での撮影は、マイクロフォーサーズとはいえ被写界深度が激薄になります。手振れ補正を頼りにし、カメラ本体をわずか前後させながらピント位置を変えて連写。フイルム時代は多少の運頼みも必要だった撮影ですが、デジタルではその場で納得いくまでリトライができます。

 

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解像感の高いレンズですが、ボケはとても滑らかです。センサーがフルサイズの1/2となるマイクロフォーサーズでは、等倍撮影が可能な本レンズはフルサイズ比2倍の撮影倍率となります。あまり大きく謳われていないのですが、これって結構なメリットですよね。

  

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8

 

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 35mmフルサイズ換算で150mmの画角を持つ、異色の中望遠大口径レンズ。300mmの半分と考えればキリの良い数字ではありますが、実際は135mmと200mmという望遠レンズの代表選手に挟まれ、存在感の薄さは否めません。記憶を辿ればフイルム時代の純正ズームレンズや、現行品でも社外品に一部でその存在を確認できますが、単焦点レンズともなると、僅か数本が頭に浮かぶ程度ですから、その画角に馴染みがあるのは少数派なのかもしれません。

 実は私自身その少数派の一人で、生まれて初めて手にした望遠レンズ(ホントは父の所有物)が75-150mmf3.5というニコンのシリーズE(Nikkorという名称を持たない不遇なレンズです・・・)に属するレンズでした。鉄道写真を主に撮影していた当時、連れ立って撮影に出掛ける友人のレンズの望遠端が250mmだったので、子供ながらに、いつも劣等感のようなものにさいなまれていたのを記憶していますが、とにかく自分にとっての望遠レンズは長い間150mmだったのです。

 そして、写真部に在籍した高校時代、その描写力の洗礼を受けたのが大口径の中望遠単焦点レンズでした。以来、単焦点レンズにのめり込んだ自分ですから、この手のレンズには目がありません。まして、これまで数本試したオリンパスのマイクロフォーサーズ用レンズの、確かな性能を実感していた自分にとっては、試さない訳にはいかないのです。格別な思い入れこそないのですが、幼少期から望遠レンズとして馴染んでいた150mmの画角での単焦点。鉄道やポートレートといった被写体との縁は薄くなった昨今ですが、自ずと期待で胸が躍ります。

 解放f1.8という、焦点距離からすれば非常に明るいレンズとなり、マイクロフォーサーズ用の単焦点レンズとしては少し大柄に感じるかもしれません。PENシリーズやパナソニックのGXといった小型のボディーよりは、グリップの大きなE-M1系やパナソニックGH系やG9がバランスが良いようです。金属製の質感のよい鏡筒と、大きな口径を持った前玉を見ると、いかにも「写る」レンズの風格を漂わせます。そしてその雰囲気に違わず、非常に質の高い映像を提供してくれます。合焦面のシャープさはもとより、それを引き立てる前後のボケは非常に癖がなく、ヌケの良いクリアな画像は良い意味での緊張感を与えてくれます。画面周辺までスキのない描写は、オリンパスというメーカーに対し、個人的に感じている「生真面目さ」を体現してるかのようです。専用の大型金属フードの質感も高く、割高感はありますが一緒に手に入れておきたいところです。鏡筒もブラックとシルバー、二色が用意される贅沢。ボディーとのマッチングで、是非お好みをチョイスしてみてください。

 

 

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非常に精緻な描写を見せる合焦部と大きなボケが対照的な「大口径中望遠レンズ」の特徴が良く表れた一枚。滲んだり、溶けたりといった情緒的なボケにならないのが、本レンズ最大の特徴でしょうか。本当に「真面目」な一本です。クリアで色ノリがよく、とても現代的な写りに好感がもてます。

 

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しっかりとしたボケ像を作ってくれるので、こういった被写体を写すと素性の良さが感じられます。「味」などと曖昧な表現を受け付けない、これが「ボケ」の真のあり方なのだと、設計者の論文を読まされているような気分になります。

 

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解放から相当にシャープなレンズですが、被写界深度を稼ぐ為少しだけ絞ります。ピント面は非常に線が細く、素材の違う金属それぞれの質感を非常に上手く描き分けてくれます。中望遠レンズはポートレートレンズの代表とされていますが、適度に緩和されたパースがこんな被写体にも非常にマッチします。

 

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圧縮された遠近感と特筆するべき素直なボケ。画角故に万能選手とはいきませんが、ズーム一本で間に合わせることが多い望遠撮影において、存在感の非常に大きいレンズです。料理人は種類の違う何本もの包丁を使い分けると言いますが、特定の表現の為に拘りの「一本」用意する、そんな撮影者になりたいものです。

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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