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SIGMA 50mm F1.4 DG HSM | Art (Sony-A)

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 自動車用のエンジンオイルだったりすると、あえて「非純正」を使用することに一つのステータスを感じるといった場面もあったりしますが、カメラ+レンズの使用時は「純正」同士の組み合わせを至上とするという考え方が少し前までは一般的だったと記憶しています。マウントアダプターの利用が広まった昨今では、メーカーを跨いだカメラ+レンズの利用も選択肢の一つとして積極的に活用される様になってはいますが、フイルムカメラ全盛の頃は、カメラボディーには同じカメラメーカー製のレンズを装着するのが言わば定石だったのです。少し汚い言葉を使うならば、メーカー純正ではない、いわゆる社外レンズにはどこか「二流品」のイメージさえ付き纏っていたものなのです。

 機能の互換性や精度・性能の担保といった面を考えれば、純正レンズを選択する事が無難となるのは自明の理。社外レンズには純正レンズと比べた価格の安さや、ズーム比・明るさを欲張るといった分かり易い購入メリットを打ち出すことが必須となり、結果として描写性能面では不利な立場に置かれていたのも頷ける話です。加えて、外装パーツ・仕上げ等といった部分にはコストダウンの影響が色濃く残る製品も多く、それらが総じて社外レンズへのマイナスイメージ定着を助長してしまったのでしょう。さりとて財布の紐が自由にならなかった高校生時代の自身(今もですけど)の様に、廉価な社外レンズには随分とお世話になり、生涯会津方面には足を向けて寝られなくなってしまったと言う元写真少年も決して少なくはない、これもまた本当のところなのでしょう。

  だからこそ、なのです。本レンズの土台となった SIGMA 50mm f1.4 EX DG HSMが発売された当初は、自分の眼と耳を相当に疑いました。なぜなら発表された当時(2008年頃)は、すでにズームレンズが標準レンズの大本命だったとはいえ、フイルム時代には標準レンズの代表格でもあった50mmの単焦点レンズを社外レンズメーカーが発売したとして、いったいだれが食指を伸ばすのか想像も及ばなかったのです。さらに、77mmというf1.4クラスの50mm単焦点レンズではお目にかかった事がない巨大なフィルター径、長年一種のセオリーでもあった6群7枚のダブルガウスタイプとは大きく異なる光学系、当時のカメラメーカー純正の同クラスレンズと肩を並べる税別60,000円という価格設定、その全てが、それまでの私が持つ「社外レンズ」へのイメージとは随分とかけ離れたものだったのです。

 今になって思うのは、それがSIGMAの実に巧妙な戦略であったのだろうという事です。誰もが知る「標準レンズ」にあえて挑戦し、高い性能をアピールした事によって、同社が純正レンズに対抗・凌駕しうる製品を製造する技術力を持つと言う事実が、この一本で実に痛快に証明されたのです。想定外に巨大な口径を有した余裕からか、画面端まで絞り解放から十分以上の解像性能を見せ、周辺光量の低下や口径食といったハイスピードレンズに付きものの欠点も極僅かに感じられる程度です。これだけの高い解像度の大口径レンズですから、高輝度被写体のボケ像に僅かエッジを見せる場面もありますが、嫌味と感じる事は希でしょう。基本性能が異常なまでに高く、レンズの「味」などといった誤魔化しが存在しないその映像は、撮影者にとっての試金石ともなりえるでしょう。

 そして、それらをさらに一段と高めた本レンズは、自ら「圧倒的な描写性能。表現者の為のレンズ。」を標榜する同社「Art」シリーズに属する一本。その描写に引けを取らない美しい外観の仕上げと、金属パーツを多用した905g(Lマウント公表値)という規格外の重量で、これまた「社外レンズ」のイメージを大きく変えた「新世代標準レンズ」を具現化しました。この「描写」を手にするには111,833円(2024年9月時点のメーカー直販サイト価格)が必要との事。Artシリーズレンズの登場は、社外レンズ=廉価品、この図式も完全に過去の物としてしまったのです。その描写性能を求めて「非純正」を指名買い、彼の日の自分には全く想像もつかなかった事です。

 

 

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フイルム時代から数々の50mmf1.4を使用した経験から、解放での描写には単純にもっと「エモい」描写を想像していました。しかし、それはまんまと(良い方向で)裏切られます。画面周辺での減光や解像感の低下、合焦部にも生じるハロや画面全体のコントラストの落ち込みなど、いわゆる「クセ」「味」とも評される描写上の特徴はごく僅か。歪曲収差もほぼ感じられず、極めて端正な「映像」を提供してくれます。絞り開放の描写ですから、もちろん合焦部以外には「ボケ像」が存在していますが、絞り込んで撮影することが多い「大判写真」に近い印象を受けるのが何とも不思議。

 

  

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変わり易い夏の高原の天候。遠雷の音とにわか雨で急遽撮影を中断。慌てて車内に逃げ帰る途中での1枚です。収差の少ない物理的性能が高いレンズは、残された収差が生み出す奇跡を作画に生かしにくいという面があるかもしれませんが、だからと言って「面白みに欠ける」とはならない事を本レンズが証明してくれるかもしれません。「Art」とは、なかなかに心憎いネーミングを冠されたものです。

 

 

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何者かが住んでいそうな木のうろ。開放から十分に高い解像度を誇る本レンズではありますが、少し絞ったf5.6辺りでは、被写界深度に余裕が出る事で合焦部の映像に説得力が増します。樹木の表皮や陽光を照り返す葉の質感は一種不気味さを感じるほどで、縮小画像で存分にお伝え出来ないのが心残りです。

 


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50mmとは言え、解放絞り付近で被写体に接近すれば大胆にボケを利用した作画も可能です。ボケ像の癖が少なく、画面周辺まで解像感の高い本レンズであれば、近接描写であっても大胆に開放絞りが利用できるのは大きな利点。被写体が小さく分かりづらいのですが、合焦部のトンボの翅、拡大するとそこに存在する細かな網目模様(翅脈と言うそうです)が元画像ではクッキリと解像されていて唖然としました。

 

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詳しく見て行くと、後ボケ像には若干のエッジがみられますが、嫌味を感じるほどではないでしょう。本レンズ、SONY(MINOLTA)一眼レフ用のAマウント仕様を安価で見つけたのが入手のきっかけですが、結局メーカーの有料サービスによるマウント変更でEマウント化してしまいました。現行品はすでにミラーレス専用に特化したDG-DNタイプへと移行しているため、ちょっとしたレアアイテム誕生という訳です。作動時のノイズ低下やAF作動の俊敏化など、Eマウント化の費用対効果が思いの他高い事を実感。有料とは言えレンズメーカーにしかできないサービス体制に関心しました。

 

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実際に周辺減光はどの程度あるのか白壁の被写体で確認。画面左側に窓があるシチュエーションでの試写です。開放でもここまで周辺減光が少ないのは見事。映像のアクセントとしてこの程度の減光は好印象に繋がるでしょうか。画面周辺部の解像度の高さや、ほぼ感じられない歪曲収差も人工物の撮影ではさらに際立ちます。合焦部(椅子の背もたれ)のテクスチャーは手触りが感じられるほど細密に描写されており、その性能の高さ故なんだか持ち出すこちらも緊張感を強いられそうです。

 
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

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     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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