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SONY Sonnar T* 135mm f1.8 ZA (SAL135F18Z)

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 カメラメーカー各社が発売するデジタル一眼レフが、APS-Cサイズ600万画素クラスのセンサー搭載機から徐々に1000万画素機に置き換えられ始めた頃、Konica-MINOLTAからカメラ事業を引き継いたSONYは、APS-Cサイズ1000万画素のセンサーを搭載したα100で華々しくデビューを飾りました。こうして始まったデジタル「一眼レフ」事業は、最終的にトランスルーセントミラーを採用した機種の投入によって、高速連写とトラッキングAFという、現在のミラーレス一眼のトレンド機能の礎を築きました。それでも、フイルム時代からの2強Canon・Nikonの後塵を拝す場面も多く、大成功だったとは言えないのかもしれません。しかしながら、NEXシリーズによって参入を果たしたミラーレス一眼事業では、α7シリーズの投入によるいち早いフルサイズ化を果たし他社から大きなアドバンテージを取って以降、ミラーレスデジタル一眼進化の牽引役としてその名を轟かせ続けている事実に異論をはさむ余地などないでしょう。 

 さて一方、システムとしてのレンズ交換式カメラを語る上で不可欠なのは、何と言っても交換レンズの存在です。α100が登場した際、APS-Cサイズのセンサーに合わせたデジタル専用交換レンズのDTシリーズが登場したと共に、MINOLTA時代からのレンズも、その多くがいわゆるデジタル補正(歪曲収差や周辺減光の自動補正等)への対応を含むリファイン・リニューアルを果たし再編されました。当然それらは、35mmフルサイズセンサーをカバーするイメージサークルを持っていましたから、フルサイズセンサーを搭載した一眼レフの投入は、α100の登場時からすでにロードマップに織り込み済みであったことが想像できます。さらに、新たに加えられたZeiss製レンズの存在も大きな注目を浴びました。SONYは以前よりムービーカメラにZeiss製のレンズを搭載していたため、この協業に特段の驚きこそありませんでしたが、京セラのカメラ事業撤退で先行きが見えなかったZeissレンズのAF化・デジタル対応を待望していたファンにとっては福音ともなったことでしょう。

 こうして新たにお目見えしたSONY-Aマウント用のZeissレンズですが、個人的注目株はやはり2本の望遠単焦点レンズ。Planar 85mm f1.4 ZAは、伝説とも言えるヤシカ・コンタックス マウントの看板レンズの基本設計に順じた構成をベースにしてデジタルセンサーへの対応を果たした、チューニングモデルと言って差し支えない印象。一方で135mmは、ヤシカ・コンタックス時代に、5枚という非常に少ないレンズ構成でクリアな描写を売りとした解放f 2のPlanarとは全く違う新設計、8群11枚構成のSonnarタイプとなりました。本レンズよりも後発となったコシナ製のマニュアルフォーカスレンズ APO-Sonnar 135mm f2に比べ、解放f値(1.8)・最短撮影距離(0.72m)と数値上のスペックが僅かに上回っているのが興味深いところ。想像の域は脱しませんが、極端に浅くなる被写界深度を考慮した上で、精度の高いオートフォーカスによるピント合わせを前提とした本レンズならではの仕様なのかもしれません。

 素人目にレンズ構成の差異は多分に感じますが、描写の方向性ははヤシカ・コンタックス時代のPlanarに近い印象を受けました。当然デジタル時代に合わせた高い解像度を持ったレンズですが、シャープネスを押し付けるような描写ではなく、豊かなボケの中から非常に繊細なピント面が浮かび上がってくるような、そんなイメージを受けます。撮影は曇天下に行いましたが、それを差し引いて考えても、優しいコントラストで描く優雅な中間調が印象的でした。焦点距離と明るさがもたらすとても豊かなボケ像は、被写体によってはエッジを感じる部分もありますが二線ボケのような煩わしいものでは無く、被写体の情報を上手く残すタイプ。マウントアダプターLA-EA5を介した利用では、フォーカスや絞りの作動に伴うメカノイズがやや趣に欠ける部分もありますが、定価から考えると現在ではバーゲンと言って差し支えない金額で入手できるのも魅力です。

 2025年時点でミラーレス版にはZeiss製ではない「GM」を名乗るSONY純正とSIGMAのArtシリーズにも同一スペックの135mmが存在しています。この3種で贅沢な利き酒ならぬ利き撮りができたら、と妄想が止まらないのです。

 

 

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曇天下の撮影ではありましたが、絞り解放ではゴリゴリにコントラストが乗って来るタイプの描写ではなく、水彩画を想起させる自然で優しい描写を見せます。85mmと並び、ポートレートでの活躍が期待できます。背景のボケは多少のエッジ感は残りますが、望遠レンズらしい大きなボケが自然と合焦部を引き立ててくれます。さすがに周辺では若干口径食の影響が残っているようです。
 
 

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合焦部の解像感も解放から全く持って心配はありません。最新レンズの様なガチガチなキレを見せるタイプではなく、ボケの中から、ピント面が浮かび上がてくるような印象で、ヤシカ・コンタックス時代のPlanar135mmの描写を思い出します。レンズ構成は大きく異なっていますが、求める描写のベクトルは近いのかもしれません。

 

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開放絞りでの近接撮影となれば、さらにダイナミックにボケが発生します。しかしながら適度に被写体の存在感を残したボケ像のおかげでしょうか、圧縮された遠近感の中でも自然な立体感を感じる映像となりました。スクエアフォーマットで長辺部を整理すると、丁度、口径食・周辺減光の欠点部分がカットされるので、とても端正な画像となりますね。

 

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ヤシカ・コンタックスのPlanarは、最短撮影距離1.5mと135mmレンズの中でも長い部類に属し、近接能力は決して高くはありませんでした。同じく最短撮影距離1mのPlanar 85mmと共に、「もう少し寄れれば・・・・」ともどかしく思う事も。しかしながら本レンズは0.72mと、Planarの約半分まで接写が可能です。当然被写界深度は極薄となりますが、ピントを固定し微妙な体の前後とカメラの連写に依存しての1枚です。水滴のハイライトを生かす為、かなりアンダーに振った露出ですが、周辺減光が良い仕事をしてくれました。

  

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被写体の厚みを考えて、被写界深度を稼ぐべく少しだけ絞って撮影。ボケ像に感じるエッジ感が少しだけやわらぐ感じがしないでもないですね。絞りの羽根は9枚の円形絞りを採用していますので、玉ボケも綺麗な形を保ってくれます。こういった被写体を仰々しい機材で撮影していると、通りすがりの観光客と思しき方たちが、「あの人はいったい何を撮ってたんだろう?」と興味深げに私の去った後の被写体をのぞき込む場面に結構な確率で遭遇します。案外大したものは撮っていないんですけどね。スミマセン。。。

 

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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