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LEICA DG SUMMILUX 9mm / F1.7 ASPH.

 レンズは、標準画角(マイクロ4/3では25mm前後の焦点距離)の製品に最も明るい解放f値を与えられて設計されるのが一般的です。そして、近年ではf1.0やf0.95といった、非常に明るい標準レンズのスペックも、フイルム時代に比べれば珍しくは無くなっている印象が強いでしょう。望遠レンズであれば、焦点距離と有効口径、伴う重量や設定売価の関係もあり、フルサイズ画角の300~400mm近辺ではf2.8、800mmともなればf5.6辺りが実用的な最も明るいレンズとなりましょう。また、解放f値は描写性能を左右する光学的な収差にも影響(闇雲に明るくすると描写が悪化)しますので、超広角レンズやズームレンズなどではf2.8クラスが長い間定番化していました。しかし近年では素材研究や設計・加工技術の進歩に加え、デジタルによる画像補正の恩恵を受ける事が出来る為に、これまで想像もできないほどに明るい超広角レンズやズームレンズを目にする事も多くなりました。

 Panasonicが2022年に突如リリースした本レンズも、9mm(フルサイズ換算18mm画角)という超広角レンズでありながらも、Summilux名を与えられた解放f値1.7を誇るハイスピードレンズに仕上がっています。Panasonicでは近似焦点距離に7-1mm/f4や8-18mm/f2.8-4といった描写力に優れた超広角ズームレンズがすでにラインナップされておりますので、このタイミングにあえてLeica-DGブランド単焦点レンズを投入した姿勢に、「Micro4/3」を切り捨てていないという明確な意思表示を感じたのは私だけではないと思います。

 さて、そんな意思があったのかなかったのかは想像の域を脱しませんので、このレンズの存在価値について少々掘り下げてみましょう。何を隠そう、登場時一番驚いたのは実はその価格。スペックとLeica-DGネームから勝手に15万円コースを想像していたのですが、なんと税別6万円を切るという超が付くお買い得。これならサラリーマンのポケットマネー(全財産)で何とかなりそうな予感。フイルム時代に愛用していたCONTAXの18mm/f4は、この明るさ(暗さ)でも確か10万円以上の定価だった筈なので、良い時代になったものだとしみじみと実感しております。レンズ内手振れ補正の未搭載や、DGレンズのトレードマーク「絞り環」の不在等、コストダウンの影も見え隠れしますが、ブレに神経質になる必要性が低い超広角レンズですし、私の様に「絞り環」の誤作動を嫌うユーザーからすればむしろ英断かと。すでに8-18㎜を所有する身ではありましたが、1.7の解放f値と標榜するハーフマクロに期待を寄せて、近年では珍しく発売日に入手してしまった次第です。

 少し前では想像もできなかったスペック(価格含め)のレンズですが、その性能はさすがにLeica名を与えられただけあって隙が無く、解放から全画面に渡り非常に解像感が高く、深い被写界深度も手伝って「シャープなレンズだなぁ」というのが第一印象。よほどの接写でもなけれな絞りはf2.8程度でもパンフォーカスになります。単焦点だけあって構成枚数も比較的少ない為、逆光でもクリアな描写を実感できます。最短撮影9.5cmはレンズの全長5.2cmを考慮すれば、レンズ前面が被写体にぶつかりそうな勢いで、明るい解放f値を併用すれば、パースとボケを利用したこれまでにない表現を利用できるなど、その廉価に見合わない活躍をしてくれそうです。

 あまりに使い勝手が良いと8-18mmの去就問題に発展しかねないので、褒めるのはこの位にしておきますけどね。

 

 

P1178864

広角レンズ作例のおあつらえ向きな被写体。街灯上にウミネコらしき鳥がとまっているのですが、拡大するとくっきりと写っている事に驚き。解像度的には回折の影響が出ないf5.6辺りがピークでしょうか。無論被写界深度は相当に深いので、背景の入道雲までとてもシャープに写し取ります。

 

P1178858

ホタルイカ漁で有名な港町、シーズンオフでしたのでちょっと寂しい感じに。炎天下でしたが、機材全体が軽めなマイクロ4/3ですので足取りは思ったほど重くはならないものです。カメラバックのサイドポケットにも入ってしまいそうな小型レンズですので、置忘れには注意しないといけませんね。

 

P1178936

真夏の太陽光が降り注ぎますが、逆光耐性もなかなか高いレンズかと。直接太陽を画面に入れればゴーストの発生を確認できますが、画面全体のコントラストが下がるようなフレアが発生する気配はまるでありません。

 

P1178991

曇天のこういった状況も、逆光性能が低いレンズですとハイライトからの滲みが悪さをする事があるのですが、心配はありませんね。朽ちたコンクリートの質感も良い感じで出ています。

 

P1179072

超広角レンズでの接写。しかも解放とくれば、もっと荒れた映像を想像していましたが、超絶普通に写ってしまいました。さすがにf1.7ともなると、9㎜であってもかなりのボケ量になります。線路上のバラストはもう少し乱れたボケになると思ったのですが、これなら完全に実用になります。

 


P1178957

超広角レンズを持っている時にこういった被写体に出会うと、異常にテンションが上がるのですが、総じて当たり前な写真を撮ってしまいがちなのは如何ともしがたいですね・・・。しかし、非常に細かく写る遠景の被写体も、拡大してもビクともしない圧巻の解像度。

 

P1179077

レンズ内手振れ補正は非搭載ですが、この焦点域でこの明るさですから、多少薄暗い室内でもブレた写真を量産する心配は無用。超広角、しかもf1.7という明るさのレンズとは思えない緻密な描写に惚れ惚れします。

 

P1179080

ボケに癖が感じられそうな被写体を選んでみましたが、自然なボケ像にちょっと拍子抜け。最新設計のレンズだけあって、安易な欠点探し程度ではアラを見つけだせないようです。

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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