SONY FE 50mm F1.2 GM (SEL50F12GM)

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 写真・カメラの世界に興味を持ったきっかけは、間違いなく筆者が幼少の頃に父が購入してきた Nikon FE と、それに取り付けられた Ai Nikkor 50mm F1.4。我が家の父君からすれば、ラジオを瞬く間に鉄くずに変える異能に目覚めた少年に、高額なカメラを貸し出す義理はどこにも無かったハズですが、目を盗んでは 例え事後承諾であっても多少のお小言程度で使わせてくれていた事には感謝しかありません。愚息は立派にカメラで家族を養っておりますよ、めでたしめでたし。

 もっぱら近隣のターミナル駅へ出かけては鉄道写真を撮り漁っていた当時は、焦点距離がどうとか、開放 F 値がこうとか、描写傾向云々なんて事は理解はもとより興味すら無かった訳で、それよりも普段目にしない型式の車両がホームへ入線する事の方が重大であり、高鳴る鼓動でブレ写真を増産してしまう純朴な少年時代(想い出補正+2と2/3)を過ごしていたのです。自動でピントが合う「オートフォーカス」と言う夢の機構が実現する時代がまだやってきていない、標準レンズと言えばズームレンズよりも単焦点の 50mm が定番であった頃の話です。カメラメーカー各社は開放 F 値の違う数種類の 50mm を販売するのが通例で、開放 F2 クラスが定価にすれば 10,000円前後、F1.2 が 5万数千円前後で販売されていたと記憶しています。メーカ問わず明るい(F 値が小さい)レンズになるほど高額であり、そこには料亭の品書きで言えば、松・竹・梅 の様な分かり易く不動のヒエラルキーが存在していたので、ボディーのランクに併せて入門機・廉価機には F1.7~2、中級機には F1.4、上級機には F1.4もしくは1.2 を開放 F 値とするレンズが取り付けられて販売されるのが通例だったでしょうか。

 鉄道を始めとして機械物全般を好んだ少年は、青年になるにつれ撮影機材そのものへの興味を強く抱く様になり、結果自身が(本当は父が)所有する Ai Nikkor 50mm F1.4 とは別に Ai Nikkor 50mm F1.2s なるレンズが存在する事を知ります。鉄道という被写体への興味を完全に失った訳ではありませんが、写真とその機材へと興味の軸足が移っていった事で、カタログのより上段に存在する「F1.2」への憧れは増して行きました。入門者にありがち?な「価格が高い機材を使えば、より良い写真が撮れるに違いない」という短絡的な発想にもとらわれ、(高い機材にしかない魅力や特性、手に入れる事による満足感の充足等々を否定するつもりは無いですよ)自身の(本当はry)「F1.4」に劣等感のようなものを抱くことにも繋がっていきました。幸いに?写真部に在籍し本格的に写真撮影を行うようになると、明るさ半絞り分のアドバンテージよりも、画角すなわち焦点距離の変化を求める場面が増えたので、結果として「F1.2」 の購入は見送られる事となりましたが、抱いた「F1.2」への憧憬は、まるで初恋の思い人の如く魂の深いところに刻まれたまま青年は大人への階段を 踏み外して 登って行ったのです。

 時は流れ、壮年・中年を経て現在へと至ったかつての少年は、ついぞ 「F1.2」を入手する機会のないまま、初孫を抱いていても何ら不思議ではない年齢へと。ミラーレスデジタル一眼と高性能標準ズームレンズの時代となり、標準レンズという言葉の意味や立ち位置も随分と変化を遂げました。単焦点標準レンズ の再定義ともなった Zeiss Otus や SIGMA Art の登場に示される様に「F1.4」でさえ誰もが入手するレンズではなくなると共に「F1.2」の存在意義も大きく変化したと感じる時代となったのです。2026年現在、フルサイズミラーレス一眼の草分け SONY からはマクロレンズを除き「F2.5G」「F1.8」「F1.4ZA」「F1.4GM」「F1.2GM」と、フイルム時代を超え 5種もの 50mm がリリースされていますが、「F1.4GM」「F1.2GM」は、いずれも最高峰の光学(高額)性能を示す GM の称号を与えられた特別あつらえの一本であり、それぞれ20万円超・30万円超の直販価格が設定される至宝となりました。公表された各々の MTF からも尋常ではない性能が想像され、両者には単純な性能の上下関係ではなく「飛車・角」「金・銀」の様な関係性が相応しく思えます。半絞りに表れる被写界深度の差こそが「F1.2」最大の購入動機となるでしょうが、そこに+10万円を出すか否かと言われれば、差額どころか「F1.8」の購入すらもためらわねばならない身分を只々呪うしかないのでしょう。

 出会いから数十年を経て叶った、ちょっぴりグラマー※になった初恋の人とのランデブー(レンタル)、この束の間の逢瀬をしばし楽しみたいと思うのであります。余談ながら、SONY レンズに装備される「絞り環」の回転方向が往年のNikkor と同一方向なのは、控えめに言って最高かと。

※ウエスト:68.5mm→87mm 体重:360g→778g

 

 

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少し前に MINOLTA AF 50mm でも試写した被写体を GM の開放で一枚。口径食の影響による背景のグルグル感や周辺部の画質低下などで、もっと癖のある描写も「期待」していましたが、全く普通に(と言うか普通以上に)写してしまう GM。開放描写でこれですから、絞りの操作は純粋に被写界深度をコントロールしているだけだと言ってしまって良いんじゃないかと。しかし、なんともヌケの良い写りです。(ヌケ感とか言わないでください)
 

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近接撮影時の前後のボケも見事です。被写体・距離によっては僅かのエッジ感を見せる事はありますが、総じて柔らかく大きいボケが大口径レンズならではの魅力を発揮。極薄の被写界深度ですが、花弁一枚一枚も最高の解像度で描写されます。 

 
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意地悪く太陽の方向を向いてハイキーになるよう露出設定。明るさを追求する為に無理な設計を施したレンズでは、こうは写りませんよね。ミラーレス化により設計の自由度が増した事が、レンズの性能向上に与えた影響は大きいのだと実感します。

 

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ボケのクセが出やすい被写体です。接写で開放ともなると、さらにレンズの粗探しが出来るはずなのですが、涼しい顔(はありませんけど)してこの写り。フイルム時代の同スペックレンズとの圧倒的な描写の差には愕然とします。

 

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ハロウィーン(いつから「-」が入った?)の飾りつけで賑わう季節になりました。本来は少し絞って全体を深度に入れたくなる被写体ですが、レンズテストなのであえて F1.2 のままで。開放でもこのコントラストとシャープネスです。星条旗の縫い目やしわ、生地の質感も気味が悪い程ですね。

 

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凄く真面目な描写をするレンズだと、テストをしながら何度も思いました。SONYからは、マクロも含めると 6種類もの 50mm 単焦点レンズが揃っています。55mm のZeiss も加えれば 7種類にもなる「変態的」ラインナップ(失礼)。全部持ってる方っていらっしゃるのかしら?全部並べてテストしてみたい欲求が。


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なんて事ない被写体ですが、このレンズが欲しくなるポイントが山ほど感じられる一枚。現状自身のシステムの 50mm は DN 化される前の SIGMA Art の F1.4 なのですが、1.2GM も正直欲しい一本に。ただし、両方カメラバックに入れると軽い拷問じみた重さになりますよね。という言い訳で自重。自重。これがほんとの「自重」トレーニング。

 

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ショーウインドーの小物を、最短付近で。高い描写性能をウリにするレンズは、最短撮影距離をあまり欲張らない印象がありますが、本レンズは 40cm となかなか憎い数字を出してきます。開放ではさすがに口径食の影響もあって、点光源がレモン型に見えますが、一段も絞ってあげれば、殆ど気にならなくなるのは流石 GM といった処。

 

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標準画角の F1.2 と考えると、フイルム時代からカメラ扱ってる人間にとっては Noct-Nikkor の事を意識せずにはいられません。主に画面周辺で目立つサジタルコマフレアを効果的に除去する為、職人研磨の非球面レンズを導入した Noct は、当時通常の 50mm の2倍以上の定価が付けられ、流通量の少なさから中古品はプレミア価格になってしまいました。2026年現在40万円以上の値がつけられる事もあり、それはFE 50mm F1.2 GM の新品売価を上回ります。1.2GM には超高度非球面レンズが3枚採用され開放での夜景描写もこの通り。どっちを買うのが正解か、なんて考えるのは野暮ってもんですかねぇ。

 

 

50mm F3.5 L39 Mount (Elmar-Copy?)

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 シリアルナンバー・製造番号(以降シリアルと表記します)と呼ばれている数字・文字の羅列は、カメラやレンズの殆どに打刻や記載、あるいはシール等で貼り付けられている「その個体だけに」与えられた特別な数値・記号の事です。一般の方には馴染みが薄いかもしれませんが、我々業界の人間からすればそれを目にする事が無い日は無いといっても過言ではないでしょう。シリアルは商品名とセットになることで個体識別の働き(マイナンバーの様なモノですね)をしてくれますから、入庫・出庫の伝票には必ず記載しますし、販売時の保証書や修理品の預かり票などにも必須です。近年は新品購入時にメーカーサイトでシリアルを登録する事によって保証書の効力が有効化や延長されたり、時にはキャッシュバック等の特典が受けられるといった場面で利用することもあるかと思います。筆者の勤め先の様に中古カメラを買い取る業種においては、買い取ったカメラ・レンズに関する情報として、シリアルを「古物台帳」に記載する事が、盗品の流通防止や被害の回復を目的とした「古物営業法」で定められているため、その扱いには結構神経を使ったりもするのです。

 シリアルを書き写す際は、0・6・9 や 1・7 と言った数字は雑に記載すると間違えて判読されてしまう事もありますし、アルファベットを併用したナンバーでは、2・Z や、0(ゼロ)・D・P・O(オー)・Qさらに、1 (アラビア数字のイチ)と I(アルファベットのアイ)、B と13 なども気を付けて判別・記録しなければならないので随分と厄介なのです。ですから、製品の優劣や好みなどとは全く関係なく、シリアルに数字とアルファベットを併用する Pナソニック様と Oエムデジタル( Oリンパス)様および Fジフイルム様にRコー様・突如シリアルの桁数を爆増した Cヤノン様・販売する Zeiss 製品には何故かレンズと鏡筒に違うシリアルが記載されている Sニー様・刻印が異常に小さくしかも薄く、老眼スレイヤーの二つ名を持つ Sグマ様・且つ、製品ごとに記載する場所をコロコロと変更しては我々を おちょくる 悩ませる Tムロン様に比べると、7桁程度のスマートな数字のみのシリアルを利用し続けてくれている、 Pンタックス様(現:Rコー様のブランド名)と Nコン様(合唱コンクールではありません)、さらに忘れてはいけません、 Lイカ様の事がとても、とても愛おしいと思えてくるのです。(私だけ?)

 ところで、このシリアルは製造された順に番号を増やして行くスタイルが基本でしょうから、例えば7桁の場合は一番最初の一台が「0000001」、4649台目は「0004649」といった具合に表記されます。上位1~2桁に製造数と無関係な特定の数字を入れる「100001」や「3004649」というパターンも多くみられるでしょうか。極端に若い番号の個体やキリ番、ゾロ目等の個体は、展示品や贈答品として利用される事もあるようですし、市場にある中古品にプレミアが付く事もめずらしくありません。Leica においては、最初期の3桁シリアルの時代から連綿と受け継がれ、重複がないシリアルからモデル名と製造年が特定できるため、自分と同じ生まれ年のボディーを手に入れるというマニアックな購入方法が存在する程です。「Nikon」の名を広く世界に知らしめたフイルム一眼レフカメラ「Nikon F」はそれまで製造されていたレンジファインダー機の製造番号に続き、キリの良い「6400001」からシリアルを打ってあるという事ですが、その極最初のモデルのおよそ1000台程は「640万台」の中でも特別なコレクターズアイテムとなっています。たかが番号の羅列ではありますが、シリアルにはこういった側面も存在しているのです。

 昨今では、前述したようにシリアルの桁数を増やしたり、アルファベットを併用するケースも増えていますが、これにはシリアルに別の新たな情報を加えていることが容易に想像できます。国内外に多数の生産拠点を持ち、一製品当たりの製造数も格段に増えた現在では、シリアルに生産年や製造した工場の場所、そのラインやロット、加えて製品のサイレントアップデート(告知されないない製品の途中改良)といった情報をあらかじめ内包できれば、流通後の様々なサービス面において精度とスピードを上げるといった利用法が生まれるからです。製品に特定の不具合が発生した場合なども、その原因特定やリコール情報の速やかな告知といった場面で活用されているのも近年良く見る光景です。さらに進めれば、文字の羅列ではなくQRコード化等によって固有のサイトと連携させることで、対応アクセサリーの情報案内や購入への誘導、ファームウエアのアップデートチェック等々、利便性向上や新たなビジネスチャンスといった発展も見込めるかもしれません。

 さてこのように、普段からシリアルと深く付き合っている?ものですから、その表記にいつもと違う雰囲気を感じ取ると、思わず仕事の手を留めてしまうのも我々中古業界に身を置く人間の性と言えるかもしれません。ごく初期の Leitz Elmar の様に一体型のボディー用に制作されたたレンズを流用したため元々シリアルが付けられていないという特例もありますが、例えば他の製品が数字のみの表記なのに、ある個体だけ先頭や末尾にアルファベットが追加されていたり、桁数が不自然に多い、また少なかったり、刻印の色が通常品と異なるといったような個体に遭遇すると、その素性・正体が気になってしまい、目覚ましを待たずに毎朝5時30分には目が覚めてしまうという日々が延々と続く事になるのです。(老化ではなく)

 本項で紹介するレンズも、そんなシリアルへの違和感から過去に販売を一時保留していた一本。(現在は無事に嫁ぎ先へ・・・)戦前の Leitz 製品を手本(模倣)にしたと容易に推察される外観を持ちながら、銘板には見知った国内ブランドの掘り込みを有していたため、当初はロシア製のインダスターのようなコピーライカレンズを想像したのです。ところが一方で、作り込みの精度や文字の掘り込みの緻密さから安易な模造品とは思えなかったのも事実。結局のところその正体を完全に暴く情報の入手には至らなかったものの、その製造年代から本レンズの登場背景はおおよそ以下の通りと想像されます。

 大戦前夜の日本、国際社会からの孤立に伴い輸入に頼っていた物資や機器の国産化が急務となります。とりわけ偵察や記録といった軍務で利用される光学機器はその筆頭で、国や軍が主導となって新たな会社が興され、様々な製品の開発・製造が行われました。外貨獲得の目的からも民生品としてカメラ製造が本格化したのもこの時期からで、耳馴染みのある光学機器メーカーが多数誕生することになります。「技術の基本は模倣から」とも言われますから、軍需、民需問わずに、当時すでに世界で高い評価を受けていた「Leica」「CONTAX」といったドイツ製のカメラ・レンズは最優先で研究対象となったのでしょうし、それらを手本としたサンプルやコピーが数多作られては消えていったはず。シリアルへの違和感から出会ったこの和製 Elmar も、おそらくはそんな一本だったのでしょう。もし想像通りに当時の設計者・技術者の見た夢の片鱗を時代を超えて覗く事ができたのであれば、それは僥倖以外の何物でもないのです。

 

 

参考画像は、最後の一枚を除いてカメラデフォルトのモノクロ設定 JPEG撮って出し。カラー画像はRAWデータにノイズ除去のみ施した物になります。

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完成後、すっかり地元の景勝地となった「八ッ場ダム」、「やんばダム」と読みます。政権交代の影響で建設工事が凍結され、ダム建設に伴い整備された橋梁の「脚」だけが完成した状態で放置された映像を記憶しておられる方もいらっしゃるでしょう。画面右に写る橋がその完成形です。絞りはおよそ f 12.5 のあたり。(レンズ本体は大陸表記なので、見慣れた 8 や 11 ではない)パンフォーカスを狙っての設定ですが、被写界深度には入っているハズの手前のブイや右奥の山肌部分(画面周辺)の解像度は思った程上がらず望んだパンフォーカスとはなっていません。(最新レンズと比較した等倍確認での話で、実使用では問題ないレベルかと)

ノンコートのレンズですから、全体のコントラストも実際の様子から見ればかなり低く、真夏の晴天下とは思えない程。この辺りには設計・製造の古さといった部分が影響しているのでしょう。しかし、順光線下においても、湖岸や水面の描写には奇妙な立体感が宿り、映像全体からは極上のリアリティの高さを感じます。学生時代には過去に撮影・プリントされた「古いモノクロ銀塩写真」に触れる機会が沢山ありましたが、その時に感じた映像への「古さ」の理由の一つに当時の感光材料の性質よりも、レンズが持つ描写特性が大きく関わっていたのでは?と妙に納得。「オールドレンズ」と言うざっくりとした括りはあまり好みませんが、こういった傾向の描写を求めるのであれば、なるほど「いにしえのレンズ」を購入する意味もあるのだなぁと思ってみたり。

 

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ダムの壁面に奥行を伴って解像力をテストするのに都合が良い階段が取り付けられていました。絞り込んでの撮影ですが、思った程に周辺の描写力が向上しないのは、手すりの描写から判別できます。しかし、中央部は鋭い解像力を発揮し、現代の2000万画素を超えるセンサーに引けをとりません。僅か3群4枚のレンズ構成ながら、鷹の眼と呼ばれた Tessar (Zeiss) と並び数多のレンズの手本となった Elmar (Leitz) を模とした事を裏付けることになるのでしょう。(分解した訳ではないので、あくまで推測ですけどね) 

 

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雲のディーテールが出せるよう、思い切って露出を切り詰めます。コントラストは元々低いレンズですが、シャドーがここまで落ちるとしっかりと重厚なイメージを作ってくれます。絞りは f 8 辺りまで絞っていますので良像域の解像度は相当高く、ダム上部の手すりやコンクリートの継ぎ目といった細かい部分の描写はとても気持ちいいですね。

 
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古いレンズには、古い被写体を引き付ける力でも付与されているのでしょうか。撮影に訪れた避暑地に、オジサマには妙に刺さる懐かしの旧車が。きちんと整備されれば現在では非常に高値で取引されることもあるレア物件です。お約束の赤x黒ツートンではなく、銀x黒ツートンの塗装も渋くて素敵でした。コレ乗って帰れれば、道中の信号全部「青」になってくれるからさぞかし楽なんでしょうねー。描写の事何も語ってないですけど。

 

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ヘリコイドによる繰り出し機構を持ったマウントアダプターを併用しましたので、本来1メートルである本レンズの最短撮影距離を超えた接写も可能となりました。良像域を出ないぎりぎりのラインに被写体を入れましたが、近接でも中心部の高い解像力は維持されています。

 

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カラーでの実写も極端な色の偏りを感じない素直な物となります。カラーフィルムの存在しない時代のレンズですが、コーティングがされていないという事は、こういう面ではプラスに働くのでしょうか?全体的には発色はおとなしく緩いコントラストで描かれますので、一般的なネガフイルムでの撮影に似た結果となります。

 

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ボケ描写は、ややグルグルとしたものになります。極端に形状が歪むほどではないですが、個人的には苦手とする傾向。まぁこのレンズ本来の使用目的とは外れているかもしれませんが、背景の描写には少し気を使うでしょう。って、殆ど資料らしい資料に巡り合えなかった様なこんな謎レンズが、再び手元にやって来ることは無いと断言できますが・・・。

 

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歪曲収差も実用上問題ないレベルに収まっています。こういった平面的な被写体を撮影すると、周辺部へ向けての解像度低下はとてもなだらかなのがお分かりいただけるでしょう。そもそも人間の視界も周辺部の認識は曖昧でしょうから、むしろこちらが自然体と言えるのかもしれないですね。

 

Dsc_5184明暗差が大きい状況ですと、ノンコートレンズらしいハレーションとコントラスト低下が際立ち独特の描写に。食堂の使い古された調度品との相性は最高で、いわゆる「昭和レトロ」感モリモリの描写を楽しめます。原色の発色も渋く引き締まらないシャドー部に郷愁が漂います。

 

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最後に少し悪戯をして画像処理ソフトで微修正を。「かすみの除去」メインに多少コントラストを整え色調の偏りを直しただけで、現代的なスッキリとした画像となります。周辺部の解像度低下に目くじらを立てなければ必要十分でしょう。なんだったら、高倍率ズームのコンデジクラスであれば蹴散らせるほどに高い画質と言えます。素性が良いとはこういう事を言うのでしょう。

 

 

SIGMA 85mm F1.4 DG | Art (SONY-E)

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 「写真はレンズで決まる」そのレンズ群にドイツの光学メーカー「Carl Zeiss」の製品をラインナップした YASHICA / CONTAX が過去に広告で謳った言葉です。また「なぜならレンズがとても良いから」という文句でその製品を人々に広めたのは、同じくドイツのカメラメーカー「フォクトレンダー」(現在は日本の「コシナ」がブランド名として使用)でした。カメラ内部の内面反射処理や、シャッター機構の作動精度などの影響も無視はできませんが、銀塩写真においてレンズは結果として残される映像の仕上がりを左右するほぼ唯一無二の存在でありましたから、こういったキャッチコピーが利用されたのも頷ける話です。現在のデジタル写真においては、撮像センサーの特性や映像エンジンの性能、仕上がり設定やレンズ補正といったアフターエフェクトの有無等、映像に影響を与える要素が多岐にわたるため、レンズ単体の性能だけで映像の優劣を語る事にあまり意味が無くなってしまったと言えるのかもしれません。

 と、自らのブログの存在意義を揺るがす様な危険な書き出しになってしまった本項ですが、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申しあげます。ペコリ。

 とは言え、被写体が持つ光の情報をより正確にセンサーへ届けるというレンズ本来の役割に関しては、センサーの進化が著しい昨今その性能にフイルム時代より遥かに高い要求が出されている事は明らか。結果、高性能に設計されたレンズは高度な収差補正を施されたことでその個性を薄められ、やや画一的な進化の道を進んでいるような傾向が強まっているとも言われています。まだまだ発展途上で、癖や隙の大きかった銀塩写真時代のレンズが改めて見直され、その個性が「オールドレンズブーム」のような形でもてはやされているのは、ある種デジタル時代へのアンチテーゼと考えられなくもありません。近年急速に普及している「AI」(Automatic Maximum Aperture Indexing ・ウソです。ウソです。大事なので2回言います)も、時が経てば間違いや無駄もあったけど「人間の思考」の方が良かったなぁ~。なんて思い返される日が来るのではないかと、結構真剣に思ったりもします。

 良い機会ですので、レンズについての「性能」とは何かを少し考えてみたいと思います。先ずは撮影に際して「焦点距離」「明るさ( F値 )」「最短撮影距離」「最大撮影倍率」などは必ず把握しておかなければならない「性能」でしょう。記録という観点から写真を考えれば、どれだけ被写体の情報を正確にトレースするかの判断材料となる「解像度」や「MTF 値」「残存収差値」は重要な指標となります。表現的側面から見れば、感覚や好みが判断基準を占めるため数量的に表す事はできませんが、非合焦部の描写特性を表す「ボケ味」も重要なレンズ性能の一つと言えるでしょう。(ちなみに筆者は「塩味」を「しおあじ」と読む派なので、「ボケ味」は「ぼけあじ」と読む派でもあり、昨今にわかに耳にするようになった「ボケ感」には鳥肌が立つ派です。(苦笑))また、加えて車や時計などに比べれば重要度は低いとは思いますが、「デザイン」や「操作感」と言った要素も一つの「性能」と考えられる事もあるでしょうし、コスパといった言葉が示すように「価格」も、ある種の「性能」と考えられる場面が想像できます。

 そして、「全長」「口径」「重量」といった、大きさ(ちいささ)・重さ(軽さ)に関わる数値もまた重要な「性能」として考えられる訳ですが、レンズは実際に手に持って使用される物でありますから、他の性能が同等であるならば、使用・操作に差し障りがあるような極端な場合を除き「小さく」「軽い」物の方がが良しとされるのが一般的です。改良モデルが発売される際、先代比で減った堆積や重量を訴求ポイントとして宣伝したり、設計の自由度が増す事でレンズの小型化・軽量化を実現出来るのがミラーレス化のメリットの一つだと、至る所で耳にすることからもそれが証明されています。

 それでは実際に SIGMA によって至高の描写性能を与えられた Art シリーズ、その 85mm F1.4 においてミラーレス化の前後を比較してみましょう。本項で扱う 85mm F1.4 DG HSM | Art の SONY-E マウント対応レンズは 2018年にお目見えします。2016年に一眼レフ用の交換レンズとして登場した製品の基本設計を引き継ぐので、同一マウントでミラーレス専用設計か否かを比較できる恰好の素材となります。その堂々たるいでたち、全長152.2mm:フィルター径86:重量1210gは、空こそ飛びませんが唸る巨体で登場時相当な話題となったのですが、参考までにコン・バトラーVの身長は 57m:体重550t、もとい、過去デジタル一眼レフ用としてカメラメーカーが販売していたレンズ(全長:フィルター径:重量)を羅列すると、

Canon EF85mm F1.4L (105.4mm : 77 : 950g)

SONY Planar 85mm F1.4 ZA (75mm : 72:640g)

Nikon AF-S Nikkor 85mm F1.4G (84mm : 77 : 595g )

と、シグマ製品のその異常なまでの大きさが浮き彫りになります。

さらに、フイルム時代にポートレートレンズの代名詞的存在であったマニュアルフォーカスレンズ

CONTAX Planar 85mm F1.4 MM (64mm : 67 : 595g )

と比べるならば、SIGMA が頭一つどころか、二馬身ほども突き抜けていることに只々唖然とするばかり。隣に並べれば同じ焦点距離・明るさのレンズなのかどうか、業界に身を置く筆者からしても疑いを持ってしまうほどで、往年の「小錦 VS 舞の海」を思い出すばかりです(古)。

 そして、満を持してミラーレス専用設計となった後継 85mm F1.4 DG DN | Art が2020年にリリースされる事となりますが、全長 96.1mm(マイナス 56.1mm) : フィルター径 77 (2サイズダウン) : 重量 625g (マイナス 585g )と、ライ〇ップの CM に出演できるかと思えるようなスーパーダイエットを成し遂げます。他社製一眼レフ用レンズとの比較で、最小・最軽量とは言いきれませんが、描写性能向上の為にあれほどの巨大化をも辞さなかった Art シリーズにおいても、ミラーレス化の恩恵は額面通りに受け取れる事を分かり易く示したのです。

 さて、後継の登場と、販売されるレンズ交換式デジタルカメラがほぼミラーレス一色となった事で、本レンズは製造していた全てのマウントで販売を終了する事になりますが、いざ自由に手に入れる事が出来なくなると、改めてその存在が気になるのが人間の業とでも言いましょうか・・・・・。カメラに取り付けてフードを展開すると、中型クラスのカメラバックでは収まりきらない程の躯体、ボディーを合わせると 2Kg に迫る重量を半日も携行すれば、「小さい事・軽い事は正義」と言わんばかりにマイクロフォーサーズ機を愛用する筆者などには、ほぼ苦行。重量や大きさに関わる以外のあらゆる性能を、見事に後継機が引き継ぐ中で、あえて本レンズを所有したいというこの欲求の源にはなにやらマニアックな香りが。写真を単なる映像ではなく作品と考えるなら、それを決めるのはレンズではなく何なのでしょうか?そもそも、その生成映像にレンズはおろか、撮影者、被写体すらも必要としない「AI様」が何と返答するのか、機会があったら是非とも尋ねてみたいものです。

 

 

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前後の美しい玉ボケ、高い解像度の合焦部、逆光をものともしないヌケの良い画像。合成か、はたまた生成かと疑いをかけられても仕方のない「絵に描いた様な」映像とでも言いましょうか。開放からこれですから、とんでもないレンズであることはビシビシと伝わります。

 

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少し離れた位置から中央の樹皮にフォーカスを。焦点距離85mm程度であっても解放 F1.4 の被写界深度は思った以上に浅く、拡大すると合焦している部分は本当に僅かなのに驚きます。しかしながら、全体が大げさにボケた印象を受けないのは、合焦部から美しく連なる非合焦部の描写が優秀な証だと感じています。手前から奥まで映像の密度の様なものを感じます。

 

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近接側の描写も、乱れらしい乱れを微塵も感じさせません。事務用椅子をストックした什器を開放で撮影しましたが、こんなに端正な描写を見せるとは素直に驚きです。ミラーレス専用設計のDNタイプの方はさらにコントラストが高く、スッキリとしたボケ像を形成していたような記憶はありますが、僅かに滲みを感じられるこちらの描写も捨てがたいモノがあります。

 

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絞った時に映像の説得力やリアリティーが暴力的に増すのは、他の「 Art 」同様。壁面の落書きやボール痕など、そこに残された情報を何一つ漏らさない勢いでコピーします。扉の奥に存在する電気メーターと思われる部品が刻む数値までも完璧に視認できるほど強烈な解像度を見せつけます。

 

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大学生ともなると、誰からともなく煙草に手を出すのは昭和生まれ男子の記憶あるあるでしょうか。卒業後スタジオアシスタントを辞めるまでは筆者も喫煙派でした。喫煙所なるものが普及したのは自分が煙草を止めた後の話なので、その風景はガラス越しにしか撮影した事がないんですよね。
 

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かわいらしく並んだ2本のスコップを見つけスナップ。ちょうど背景に黄色の建材が写り込んだため信号機の様にカラフルな一枚となりました。人物のバストアップを撮るような距離感ですから、このレンズの背景描写がそれに好適なのは一目瞭然ですね。135mmに比べれば背景の情報も伝わりやすく、その場の雰囲気を残すのが85mm。上手く使い分けられたら言う事無しです。

 

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近接・開放絞りといった条件でも葉脈を描き切るほどの鋭さを持った合焦面。半面、大きくボケた背景はとても柔らかでトーンに満ちた優しい描写。F1.4クラスともなれば、中心解像度を保つため、その他の部分に多少のクセや欠点が出ても仕方ないとあきらめたのは、もはや過去の話なのですね。

 

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ハイライト基準で露出を決めると合焦部分はシャドーへと沈みました。夕刻とは言え初夏の強い日差しによる高コントラスト下でもこれだけ豊かな諧調が得られ、デフォルト設定のままで「眼福」とも言える美しいトーンが再現されます。敷き詰められたウッドチップが徐々にボケて行く様子や、シャドーに沈みつつも手触りを感じられるようなウッドチェアーの描写が、少し湿って青臭いその場の空気の匂いまで思い出させてくれます。

 

 

SAMYANG AF 135mm F1.8 FE

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 実力が拮抗した者同士が激しく争う様子を「鎬(しのぎ)を削る」「鍔迫り合い(つばぜりあい)」なんて表現をしますよね。どちらも日本刀を持った侍同士の戦闘シーンにその語源がありますが、転じてビジネスの現場などではシェア争いだったり、近似スペック製品の比較といった場面でもよく使われています。レンズの話となれば「蛍石を削る」「マウント迫り合い」とでも言えばより分かり易い・・・・・訳ないですね。ハイ・・・。実際に、同一焦点距離・開放F値を持ったレンズなどは、その物理特性の優劣や描写傾向の違いなどを比較される事も多く、数多のカメラ雑誌が書店の棚を賑わせていたフイルム時代には、「各社サンニッパの実力を斬る」だとか「レンズメーカー最新高倍率ズーム、どれを買うのが正解か?」と言った様な文言とともに、解像力チャートや実写サンプルを掲載した特集が組まれては人気を博していました。写真少年だった頃の自分も、手持ちのメーカーのレンズが賞賛されれば自分の事の様に喜んだり、買えもしないくせに数十万円もする高級レンズの比較記事を穴が開くほど見返したりと、想い出は尽きないものなのです。

 さて、日本のカメラメーカーが発売するデジタル一眼カメラ、その殆どがミラーレス機となってからそれなりに時間が経ちました。レンズ開発も各社一段落し、昨今では人気レンズのアップデート(Ⅱ型の登場)も盛んに行われるようになってきましたが、その商品構成はフイルムカメラやデジタル一眼レフ時代と少々異っていると感じています。過去のカタログが示す様に、当時はメーカーは違えど発売されるレンズのスペックは一部を除きとても似通っていたのですが、最新のカタログには、今までお目にかかる事のなかった焦点距離・画角範囲をもったレンズがメーカーを跨いだ共通点を持たずに多数展開されているのが確認できるのです。無論、設計技術の進歩やミラーレス化による設計自由度の拡大による恩恵もあるのでしょうが、対象とする撮影シチュエーションやターゲットユーザーの好みが細分化した事により、メーカーとしては共通スペックで他社と「鎬を削る」のではなく、システム全体で個々の特色を出す方が効率良く訴求ポイントをユーザーに提示できるような時代に変わってきたのではないか?と感じているのです。もっとも、基本性能が爆上がりし、且つレンズ単体よりもボディー側の性能によっても描写性能に差が生じるデジタル時代では、レンズ単体での性能比較は以前に比べ意味を持たなくなったという側面もあるのでしょう。(個人の想像の域を脱しませんが・・・)

 一方で、そういった流れを感じつつも「定番」と言われるようなレンズでは、依然として各社がバチバチの「鍔迫り合い」を行っているという現状も存在します。いわゆる大三元、開放 F 値が 2.8 クラスの 24-70・70-200mm や、ヨンニッパと呼ばれる 400mm F2.8 の大口径望遠レンズ(フイルム時代の看板はサンニッパ 300mm F2.8 でした)などは、各社の看板としての役割もあり鮮烈な競争を繰り広げていると言って良いのでしょう。そしてここからが本題なのですが、上記のレンズほど注目度は高くないにせよ、近年の開放値 F2 以上の明るさを持った135mm 大口径単焦点レンズへの各社の力の入れように、筆者はただならぬ熱量を感じています。固有名称までも与えられた Nikon の Plena を筆頭に、SONYも最高峰レンズの称号 GM 付き、Canonも高性能レンズの代名詞でもある「L」シリーズとするなど、いずれも開放 F1.8 の純正レンズは言わば群雄割拠。一眼レフ時代に Art シリーズで同じく F1.8 を投入していた SIGMA は、なんとミラーレス用として世界最高の明るさとなる F1.4 モデルへと刷新しています。サードパーティー製で言えば、開放 F2 のマニュアルフォーカスながら Zeiss の Otus の存在も忘れてはいけないでしょう。今後は、ミラーレス化が始動した Otus ML シリーズとしての投入も期待できるかもしれません。

 さらに注目しなければならないのは、本レンズを始めとした海外メーカーの参入ではないでしょうか。お隣り韓国の Lk SAMYANG が SAMYANG (カナ表記:サムヤン)ブランドで展開、日本国内では2013年頃からケンコー・トキナーが販売を開始したレンズ群は、当初はマイクロフォーサーズや一眼レフのキヤノンEF・ニコンFといったマウントに対応したマニュアルフォーカスレンズの拡販が中心だったと記憶します。魚眼や超広角レンズなど、カメラメーカーが純正品でカバーしない焦点距離のレンズや、大口径単焦点レンズなどを廉価販売する手法で徐々に認知度を上げて行きましたが、現在では SONY-E マウントを筆頭にミラーレスに対応した AF レンズを次々とリリース、本年は国内の見本市 CP+ でドイツの伝統的光学メーカー Schneider-Kreuznach と協業生産したズームレンズを発表するなど、精力的な活動に注目が集まります。

 国内カメラメーカー渾身の製品がひしめく大口径135mm の戦場へ送り込まれた本レンズは、絞り解放下でも揺るがないコントラストや強烈な解像度、さらには俊敏なフォーカススピードを発揮するカメラメーカー純正レンズと比較すれば、ややおとなしい性能ながらも必要十分な結像性能を誇り、癖が少なく柔らかなボケ味や口径食対策は被写体・シチュエーションを選ばない良好なもので、69cm の最短撮影距離は焦点距離を考えれば十二分な撮影倍率を誇ります。何より、純正品からすれば7割程度となる重量は取り回しの自由度を上げ、価格に至っては1/2~1/3となるなど驚愕のコストパフォーマンスを見せつけます。全体的に樹脂を多用したややチープな外観ではありますが、控えめながらも「L」レンズを彷彿とさせる赤色リングが装飾される心憎い演出も。Viltrox や 7Artisan と言った中国のメーカーからも次々と同様の新製品が発表される今となっては、135mm大口径レンズの市場は「鍔迫り合い」どころではなく、光学戦線の最前線となっていると言っても過言ではないでしょう。

 

 

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大口径望遠レンズの場合は状況にかかわらず大きなボケが発生するため、個人的には癖の強いボケ方をされるレンズだったりすると、利用が限定されてしまうと感じます。本レンズにはその心配はなく、前ボケ・後ボケが混在する場面でも、とてもスッキリとした描写をしてくれます。口径食の悪影響もあまり感じられず、大きなボケが生み出す立体感を堪能させてくれます。

 

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ボケのエッジも非常に緩やかで、奥行きのある被写体でもボケ像によってそれを邪魔される事はありません。遠近の圧縮感を強く感じ始める焦点距離のレンズですが、淡いトーンも加わってそれぞれの距離感を美しく再現してくれました。

 


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大胆に前ボケを入れてみましたが、こちらもエッジ感は少なくきれいにボケてくれました。前後の美しいボケによって、合焦部が自然に引き立てられるので、ボケ像の処理に困る事は無く大胆なフレーミングが出来るのは有難いですね。

 

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レンズ先端からのぞき込むと、大きな曲率を持った前群ガラスの縁が、まるでアポダイゼーション光学系を採用するレンズの如く暗く着色されたように見える事があります。そういった特殊な光学設計をされているといったアナウンスはされていませんが、柔らかいボケのエッジと控えめな口径食によって形づくられる美しい背景描写はSTFレンズのそれを思い出します。

 

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135mm という焦点距離を考えると、最短撮影距離 69cm はとても優秀な数値。あ、この距離でもイケるのか、というラッキーシチュエーションが案外多いものです。当然被写界深度は激浅になりますがら、画面の殆どをボケ像が占めるといった大口径望遠レンズならではの描写も楽しめます。

 

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2段程絞れば、画面全域が解像度の高い良像域で満たされます。コントラストも上がり、説得力の高い描写となります。絞るのであれば高性能ズームで事足りるのでは?と自問自答したりもしますが、「単焦点レンズ」を使っている、という感覚に浸るのも決して悪くはないものです。所有欲を満たすほどの高いビルドクオリティーを誇る製品ではないのですが、純正の同スペックレンズに比べ非常に軽量に仕上がっている点は、大柄になりがちな望遠レンズではポイントが高いと思います。

 

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日没間近のかなり強烈な斜光線で、逆光耐性を見てみます。さすがにエッジ部には色付いたゴーストの様な物も確認できますが、大きなコントラストの低下や画質的に破綻を感じる部分も無く、総じて好印象。近距離の撮影ですと背景の玉ボケも豪華になり、いかにも大口径レンズって感じがいいですね。

 


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日没にはまだ間がありましたが、周辺を山に囲まれた高原では早々に直射日光が届かなくなり、柔らかい天空光によって照らされた一輪のバラに目が留まります。本レンズは開放では解像力が少しだけ落ちる印象(それでも必要十分ですヨ)がありますが、花びらの柔らかな質感を表現するのには、むしろ好都合。積極的に絞りを開けて使いたいと思う瞬間も少なくはないのです。

 

 

AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED

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 mm(ミリメートル)で表記される事の多い写真レンズの焦点距離ですが、レンズの特性を把握する為の重要な指標の一つであるため、明るさを示す解放 F 値(もしくは T 値)と共に、恐らくほぼ全てのレンズに記載がされているのではないかと思います。フイルム時代には、35mmフイルム(135規格)を利用し24×36mmの元画像を得る通称「ライカ判」すなわち「35mm(フル)サイズ」と呼ばれる規格が広く一般に浸透したため、(すでに、焦点距離・フイルム幅・画面寸と3種の「mm」が表記されてややこしい・・・・・) 多くの方が基本的に焦点距離から画角を判断してしまう習慣に知らず知らず慣らされていたのだろうと思います。結果、本来「画角」を表す数値ではなかった焦点距離が、「○○○mmの画角」といった表記で利用される事が一般化してしまった歴史が存在します。

 この「焦点距離が画角を代弁してしまっていた歴史」は、数々のサイズや縦横比率を有するセンサーがカメラの撮像素子として利用・普及するデジタルカメラの時代となった事で、同じ焦点距離のレンズであっても、センサーサイズ・比率が変われば画角が変化するという事実をフルサイズに換算して常に伝える必要性を発生させました。例えば35mmという焦点距離のレンズであれば、その画角はフルサイズセンサーで利用する際は広角レンズ(35mm)、APS-Cサイズセンサーであれば標準レンズ(換算50mm)、フォーサーズセンサーサイズであれば中望遠レンズ(換算70mm)といった具合です。当方のブログでも時折そういった但し書きを利用しているのはこういった背景が存在しているからなのです。加えて、焦点距離や画角への意識を持たずに扱える撮影機材=スマートフォンを誰しもが利用するようになった事で、この紛らわしい状況が「焦点距離」と「画角」に関してのあらぬ誤解や、時には誤った情報が流布されてしまう原因にもなってしまいました。

 「焦点距離」に留まらず、カメラや写真の用語に全く触れて来なかった世代のお客様が、突如フイルム一眼レフを所望する、そんな時代でもあります。時にその接客は「ひのきのぼう」と「ぬののふく」でロンダルキアの洞窟に挑むような心境に陥る事だってあります。若いお客様から「撮影済みフイルムからのデジタルデータ作成」の依頼を受け、「現像代+CD書き込み代」の費用を説明すると「データだけ欲しいので、現像は不要です。(キリッ!)」(本人に全く悪気はない)と言われる事もあったと同業者から耳にすれば、写真術の祖、ダゲールやニエプスはいったいどんな心持ちになるのだろうと、余計な心配もしてしまうというものです。

 さて、一通りの戯言を吐き出し終えたところで本題に入りましょう。本レンズが冠する105mmという焦点距離は、ズームレンズや大判用レンズ、引き伸ばし用レンズを見ると、メーカー問わず目にする機会がありますが、単焦点レンズとなるとカメラメーカーではNikon製品以外ではめっきり遭遇率が下がる不思議な現象があります。例えば、24-105mm のズームレンズをラインナップする Canon や SONY も単焦点レンズでは 105mm ではなく 100mm が採用されているのです。いまさらながらグーグル先生に相談したところ、焦点距離は数値としての区切りよりも、画角変化率に従う方が理にかなっているという Nikon のレジェンド設計者の見解が「社の伝統」となって、100mm ではなく 105mmを採用、それが最新のミラーレス用 NIKKOR Z MC 105mm f/2.8 VR S になってもしっかりと受け継がれているのだそうです。(マクロレンズを Micro-Nikkor <マイクロニッコール>と表記した方の伝統は受け継がれなかったみたいですが・・・。)加えるなら、本レンズも当初は Nikon 100周年を記念した 100mm が設計の出発点だったようですが、伝統を重んじて 105mm になったというエピソードもあるそうで、改めて Nikon と言う会社の神髄に触れたような気持ちがしました。(実際の100周年記念モデルには、特別外装を施された大三元レンズとD5・D500が登場)

 そんな Nikon の 105mmには、マニュアルフォーカス時代に伝統を紡いできた 105mm F2.5、同クラスでは当時匹敵する明るさのレンズが他社に存在しなかった 105mm F1.8、そして Micro-Nikkor に 105mm f2.8 が存在しましたが、変わり種として、特殊フィルターを併用することで紫外線領域の撮影を可能とした UV Nikkor 105mm F4.5 と言ったレンズも存在していました。学術や研究用途の他、警察鑑識や美術品鑑定などに用いられる超がつく特殊レンズですが、こういったレンズの生産を行っていた事も、同社が元々は国の軍需に応えるえる為に設立された会社であったことが影響しているのでしょう。オートフォーカス時代となり Micro-Nikkor は順当にAF化を受けましたが、ついに F2.5 のモデルは終売となり、F1.8と統合されたような恰好で、AF DC-Nikkor 105mm F2D が登場しました。この DC-Nikkor は球面収差の補正を任意に調整することで描写(主に非合焦部)をコントロールし、状況によってはソフトフォーカスレンズにもなると言う少々実験的な製品でした。このように、過去様々なレンズが存在したことも、105mm の伝統をより鮮やかに彩っていいると言えるのかもしれません。

 デジタル時代となって、多くのレンズが駆動モーターを内蔵した AF-S シリーズへ置き換えられますが、AF-S Micro-Nikkor 105mm F2.8G VR の登場以降、105mm には新製品が登場しない沈黙の時間が流れます。それを破るのは2016年発売の本レンズとなる訳ですが、105mm 初の開放 F1.4 の実現、電気駆動による絞り羽根を搭載する完全電子マウント化を果たし、且つ同社が提唱する「三次元的ハイファイ」による設計を施された華々しい登場となりました。後に登場する同スペックレンズ SIGMA のボケマスターこと 105mm F1.4 DG HSM|Art の化け物じみた外観から比べれば大人しいものの、レンズ正面から除くと口径 82mmの鏡筒縁ギリギリまでレンズエレメントが存在し、巨大なガラスの塊を手にしているような感覚があります。後端を見れば、発表当時としては口径の大きかったはずの F マウントが、相対的に非常に小さく感じます。アダプターFTZを併用し軽量な Z5Ⅱ に装着すると重心は完全にレンズ側へと移るため、撮影中はこの 1.5kg超のダンベルで左手の筋トレを強要されることになります。

 レンズ群の本格的なミラーレス化への対応が進む中、F マウントレンズのラインナップは徐々に縮小される未来が容易に想像されます。135mm Plena の存在が光る中、本レンズの Zマウント化に大きな期待は出来ないでしょう。SIGMA の F1.4 が生産完了となった今、孤高の存在となった本レンズも、新品を入手できる期間は今後それほど長くはないのかもしれません。

 

 

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ボケ「味」と言った曖昧な表現は、本レンズのアウトフォーカス部には安易に使わない方が良いのかもしれません。開放から四隅まで形を崩すことなく解像感だけを緩やかに失ってゆくボケ像。135mm Plena の使用時にも感じた、膨大な枚数のレイヤーを統合したような画像の密度感の正体には、ひょっとして「三次元的ハイファイ」の設計思想も内包されているのでしょうか。

 

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写真画像と言うよりむしろ、脳内の電気信号をそのまま取り出して画像化したかの印象を受けます。質感ではなく、完全なモノとしての存在感が圧倒的情報量で画面上に再生されます。開放での近距離描写、合焦部の面積はわずかですが、非合焦部との調和がとても素直なことが、こういった感想を抱く事に繋がるのでしょう。

 

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最短撮影距離は 1m 。新しい設計のレンズとしては意外なほどに長めな数値と言えます。もちろん、機構的にはさらに接近して撮影することは可能だと思いますが、設計者が目論んだ描写を担保できるのがきっとこの数値なのでしょう。もっとも、Micro-Nikkor の 105mm にはVR機構も搭載されていますから、接写なら素直にそちらを使うのが正解ですね。

 

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近隣の公園に展示されているSLの動輪部分は、展示物として「美しく」見える様な塗装を施されていました。本レンズによってあまりにもリアルに記録された事で、むしろそのチープさの方が際立つという結果に。もう人や物を運ぶために動くことは決してないのだと言う悲しい事実までもが克明に記録されてしまいました。

 

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被写体が少々暗くてわかりにくいですが、合焦部である標識付近から後方へ離れるに従い、少しずつボケて行く様子を確かめてみます。金属製の柵や細かな枝など、醜いボケに感じることもある被写体も自然に描かれます。硬質の金属パイプや芽吹いて間もない若枝の葉の柔らかさといった素材の違いも、とても良く伝わってきます。

 

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解放ですと、バストアップ程に接近すると被写界深度はごくごく薄い面となります。しかしながら、前後のボケた空間があまりに自然に描写されるため、不思議とそこまで大きくボケているという印象はありません。合焦部の解像度には微塵の不安もなく、より高画素のカメラに持ち替えたかのような切れ味の良い描写を併せ持つのも本レンズの特徴。紛れもなくこのレンズ以外では手に入れられない映像が存在しています。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

戦争写真家として著名な「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る辺境写真人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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