MINOLTA AF SOFT FOCUS 100mm F2.8

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 少し古い話になりますが、Nikon がフイルム一眼レフの「Nikon F」を発売したのが1959年。その後継モデルの最終版と考えられる「Nikon F6」を発売したのが2004年。ざっくりとした判断ですが、フイルム一眼レフがカメラの代名詞であったのはざっと50年ほどという計算になるでしょうか。デジタルカメラへも引き継がれた一眼レフ50年間の大きな技術の変革は、露出計の内蔵・自動露出(オートモード)の実装とシャッターの電子制御化・多分割方式測光の導入・モーター内蔵による連続撮影の高速化・ピント合わせの自動化(オートフォーカス)・その測距点の多点化などが挙げられます。

 同社はデジタル一眼レフの草分け「D1」を1999年に発売し、その歴史は2026年現在でほどなく30年を迎えるえる事になるのですが、思った以上に時が経っている事に今更ながら驚いてしまいます。その初期の進化は撮像素子と映像エンジンの改良をベースにした画質面での向上とボディー内手振れ補正機構の搭載・強化が主となりましたが、やがてはミラーレス化によって連写速度の劇的向上や、像面位相差AF+被写体認識+トラッキング技術による、対動体撮影性能の著しい進化がもたらされました。写真のデジタル化は、カメラのツールとしての性能向上だけでなく、その特性によって我々の撮影スタイルや人気撮影対象の変遷をも生み出していると言え、それによってカメラ店や写真店で扱う写真機材やアクセサリーの類いも随分と様変わりを見せる様になりました。以前は撮影機材の花形としてボディーと必ずと言っても良いほどにセット販売されていた「フラッシュ」と「三脚」は、昨今めっきり販売数を減らしたアクセサリーと言えます。高いISO感度下であっても画質が保たれるようになった事と、手振れ補正機構によってスローシャッター時の失敗原因が取り除かれたことで、光量を補う必要性とカメラを固定する必要性がフイルム時代に比べて極端に下がった事がその要因の一つに挙げられます。

 そういった点で考えると、本レンズの様な「ソフトフォーカスレンズ(以降:ソフトレンズ)」が徐々に姿を消していったのもデジタル化による影響の一つと言えるかもしれません。PC上でPhotoshopに代表される画像加工アプリを活用し、モニターで確認しながら撮影画像に対して細かな調整を時間の許す限り・何度も自由に・失敗のリスクもなしに行えるデジタル写真は、当然ソフトフォーカス画像を作成するのもお手の物。さらに言えば、撮影時に結果の排他的選択を迫られたフイルム時代と違い、通常の画像からソフトフォーカスの画像を生成するのですから、「通常」「ソフト」いずれの画像も手に入る訳です。結果「ソフトレンズ」は当然の事ながら、過去ポートレートや花の撮影などで愛用者の多かった「ソフトフィルター」も、現在ではあまり声のかからなくなったアクセサリーとなっているは自然の流れと言えましょう。(天体写真の分野では今も一定数需要がありますが)

 ところで、筆者自身の大学の卒業制作がソフトフォーカスと素粒子を表現に利用した風景写真がテーマであったため、様々なソフトレンズや軟焦点効果を付与するフィルターを利用した経験があります。モノクロでは、暗室でのプリント時点でソフトフィルターをかける手法を多用してポートレート作品を作っていましたし、ソフトフォーカスに関しては一家言ある・・・・と言えなくもない人生を送っているのかもしれません(単に、めんどくさいヤツという話も)。ソフトレンズに関しては、生活費の為に売却してしまった物が殆どですが、フィルターに関しては、相当数が現在も防湿庫のスペースを圧迫しています。この先これらを使用するケースは全くと言っていいほど想像できませんが、この世から引退する際には是非とも手荷物に加えていただきたいと思う大切なコレクションだったりします。ついでに御国までの道のりを「昇天距離」と呼ぶのかどうかは、是非ともその時に確認したいと思います。

 さて、筆者のソフトレンズとの出会いは、ポートレート撮影に明け暮れた高校生時代へと遡ります。当時お世話になっていた写真店で知り合った方に、Canon EF135mm F2.8 SOFT というソフトレンズを使い、とても素敵なポートレートを撮っておられる壮年男性がおられました。その方の作品に心奪われた事に加え、ソフト写真の撮影で難儀する事の多かったピント合わせをカメラに任せる事が出来る点にも惹かれ、あっという間に中古品の購入を決定してしまいました。発売から間もなかった富士フイルムのVeiviaの高濃度・高コントラストな画像特性が、ソフトレンズを使用してもリッチな発色をしてくれるという利点に繋がった事も加わり、フイルム代と現像代で両親を随分と悩ませた(と、50歳過ぎて確信)のも良い?思い出となっています。このレンズはEOSシステム・EFマウントでは最古参に分類されますが、FDマウント時代にもNew FD 85mm F2.8 SOFTなるレンズが存在する事から、それなりの需要をCanonも見込んでいたことが伺えます。

 本題へと進みましょう。MINOLTAが本 AF SOFT FOCUS 100mm F2.8 をラインナップへ加えたのは、1994年と記録されています。α7000の発売から見れば9年後ですから、大げさに話せば、マニュアルフォーカス時代の Varisoft Rokkor 85mm F2.8 の販売終了からはソフトレンズの不在期間が随分とある事になります。ソフトレンズ好きを自認する私がこれまで本レンズに触れた記憶がないのは、卒業制作を開始する間際の段階が丁度この端境期だった事と、卒業制作の為に新システムへ移行(当時はNikon主体)する事などは、到底考えられなかったからなのでしょう。そのままであれば関わる事の無かったであろうレンズの一つでですが、α7RⅣ+LA-EA5 の入手と共に Aマウント資産(遺産?)に興味が湧いた事で、過去のソフトフォーカス熱が再発したのかもしれません。

 他のソフトレンズと同様に、本レンズは発生する球面収差を逆手にとって、ソフトフォーカス画像を得られるような設計を施されています。ソフト量調整の操作リング上「0」の位置では、球面収差を良好に補正した通常の撮影をする事ができ、「1」「2」「3」と大きな数字になるほど増加する収差によって画像の滲みが大きく、ソフト効果が増して行きます。球面収差は絞りの影響も受け、絞り込むと収差が少なくなると言う特性がありますから、ボケの量、ソフトの量を、操作リングと絞り値双方の組み合わせで調整しながら好みの映像を導き出すのが、本レンズ活用の肝と言えます。絞り羽根は9枚と贅沢で、少ない口径食と相まって美しいボケ像にも期待できます。ソフト「0」での美麗描写は、「特殊レンズだから」と当初期待しなかった分、嬉しい誤算となりました。「ライカの90mmにハズレ無し」なんて巷ではよく耳にしますが、マクロと言い、F2と言い、MINOLTA の 100mm は大当たり揃いと言えるのかも。FEマウントであれば STFを冠したSONYの100mm GM も加えられ、もう4等分の花嫁状態。本レンズは経年劣化で内部レンズにクモリの発生する個体が多いですから、状態の良い物を見つけたら迷わず即確保が「吉」でしょう。何と言っても現状ではソフトフォーカスレンズ再販の可能性は低いのです。スープラ好きな T 総理による自動車税撤廃、是非とも実現して欲しいものです。

 

 

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卒業制作用にKIYOHARA SOFT VK50R を使って撮影した被写体が、ほぼ当時のまま残されていました。当時はコニカクローム3200と言う超高感度リバーサルフイルムを利用し素粒子表現を試みていました。高感度フイルムは総じて高コントラストですから、外の風景は完全に白飛びをしてしまっていたと記憶しています。そのプリントは大学の倉庫に提出作品として保管されているはずですが、同学の先輩でもある著名な写真作家の方々はじめ、卒業生で俳優の大塚寧々さんなどの作品も一緒に保管されているかと思うと、あらためてちょっと胸熱。

 

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開放付近ではほぼ円形となる9枚羽根の絞りによって、美しい後ボケを形成します。ソフト効果によって玉ボケのエッジも滲み美しいグラデーションに。半面、前ボケはガサガサとうるさくなりがちなのは、この種のレンズの特徴ですから使い方には多少のコツが必要です。

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薄暗いトンネル内での撮影。フイルム時代は三脚とスローシャッターに頼るか、超高感度フイルムを利用するかしないといけない条件ですが、感度変更と手振れ補正機構の恩恵を利用できるデジタルカメラでは手持ちでも十分撮影が可能に。さすがに俊敏なAFとはいきませんが、迷いながらもなんとか合焦に持ち込むカメラ性能に助けられます。トンネル内部を照らしていたのは無骨な照明器具だったのですが、ソフトを掛けた事で器具の形状がぼやけ、雰囲気にマッチしてくれました。

 


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ソフト量「0」、すなわち通常レンズ状態での高い描写性能が本レンズのもう一つの魅力。特殊レンズと侮る事なかれ。高画素センサーに負い目を見せない高い解像力もさることながら、老齢機関車が放つ重ねた時間の重みが伝わるような金属の質感描写、背景の枝葉や遠景の山肌の描写も良い感じです。

 


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ソフト時にざわつきがちな手前のボケですが、ソフト「0」では非常にきれいな前ボケを得られます。奥行のあるプレート部を被写界深度に納める為に少し絞っていますが、100mmという焦点距離も手伝って、量感豊かなボケを得られます。

 

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一番最初のカットに写っていた金属製の扉を建物裏側から接写。最短撮影距離は80cmと標準的な数値ですが、解像度・ボケ味ともにその描写性能は一級品。これ以上の接写は、これまた高性能な同社100mmのマクロレンズに譲りますが、ソフトの有り無しによる「二刀流」の存在感はなかなかのものです。
 
 
 

CONTAX Planar 85mm F1.2 AE-G 50Years

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 少々前の話になりますが、筆者、生誕50周年を迎えました。「人間50年」と言えば戦国武将の織田信長が好んで舞ったと言われる「敦盛」の一説がよく引き合いに出されますが、幸いにこれまで大きな事故や大病を患うと言った経験もなく人生を歩んでこれた事に感謝の念は尽きません。しかしながら、寄せては返せない年波にもまれ「健康体」とは縁遠くなってきたと感じる昨今、体重を筆頭に本気でいろいろ絞って行きたい(と、一応は思っている)辺境サラリーマンを今後もどうかご贔屓に。

 50年と言えば半世紀。カメラメーカーにとっても大きな節目となりますから、それを記念としたいわゆる「限定品」が作られるきっかけになったりもします。日本のカメラメーカーの多くが先の世界大戦前後に立ち上がっていましたから、1980年~1990年近辺を中心として様々な「50周年記念モデル」が誕生しました。銀塩一眼レフ全盛、マニュアルフォーカスからオートフォーカスに切り替わる時代とリンクするイメージでしょうか。中古カメラ店に勤務していると、しばしばこれらの記念モデルを目にする機会がありますが、フイルム時代のカメラの多くが流通相場を下落させた今日でも、それなりの金額で取引される事もあって驚きます。もっとも、高値が付くのは状態の良い品物に限りますので、使ってなんぼのカメラからすれば、明らかに存在理由を否定されているようでかける言葉もありません。逆に、これでもかと使い倒された記念モデルを持ち込まれたりすると、持ち主の漢っぷりが爆上がりしたりするから面白いものです。(容赦なく買取金額は下がるんですけど)

 これら記念モデル中でも創業50周年を記念したのCanon New F-1 や、NikonのI型販売50周年を記念した F5 あたりは、比較的メジャーな限定品として中古カメラの催事でウインドーをしばしば飾ります。付属する Planar 50mm f1.4 も含めた外装全てが金メッキとトカゲ皮で架装された CONTAX RTS 50周年記念セットあたりになると、明らかに使用する事を前提とされていない事もあって、時には未使用品の出品を目にする事もあるほどです。桐製の箱に格納される同製品は、ゴールドメッキ部分に非常にキズが付きやすい点や、説明書や鑑定書の有無に加え、輸送時の保護用に封入される発泡スチロールの球体2個(ゴルフボール大で二種)の有無さえその価値に影響したりと、その取り扱い時は細心の注意を払う場面となります。

 さて、ボディーほど多くは無いにせよ、レンズにも記念モデルが存在しています。前述の RTS 同様 CONTAX ブランドの誕生(CONTAXⅠ型の発表)50周年を記念して発売されたのが、本レンズ「CONTAX Planar 85mm F1.2 AE-G 50Years」になります。Planar 85mm といえば、開放 F1.4 のモデルが押しも押されもしない鉄板ポートレートレンズとして確固たる人気・地位を誇っていましたが、Zeiss が技術の粋を注入しさらに半絞り明るいプレミアムモデルとして投入されました。数字の上では僅か半絞りとは言え、増大する収差を抑え込みつつ性能を担保するため、同社139やAriaといった小型のボディーであれば本レンズの陰に隠れてしまうほどグラマラスなレンズでありました。F1.4モデルから2サイズアップのフィルター径77mmを採用し、そのガラス塊は覗き込む者を取り込んでしまう水晶玉の如く怪しい輝きを放ちます。価格は282,500円と当時発売されていた Canon New FD 85mm F1.2L (定価113,000)の2倍強を記録した事でもZeissの本気度を伺えますが、後の60周年モデルではさらに420,000円へと大幅な価格改定が行われた事から見れば、それでも良心的な価格設定であったと言えるのかもしれません。

 統計を取れるほどの個体数に遭遇した訳ではありませんので、これはあくまで個人的な感覚にすぎませんが、こういった限定レンズは、同様の限定品ボディーに比べ「しっかりと使用されていた」と思われる個体に遭遇する機会が多い気がしています。だからこそ、今回のような実地検品?という名目での借用も可能となるのですが、該当個体も50周年記念を記す印字が、実使用によって削れた中古品の様相を呈していました。この事は、レンズというものの存在意義がレンズ個体そのものより「描写」にこそ見出されると考えるユーザーが多いと言う事実を示しているのではないかと考えられます。限定品ゆえに持ち出す勇気も必要ですが、やはりそこは「どんな写り方をするのだろうか」という好奇心が勝るのでしょう。そう言えば 以前に GOLD 仕上げの Leica R3 の限定品をバリバリに屋外で使用していた御仁を一人存じておりますが、漢である以前に、盗まれやしないか周囲の人間が気を使って冷や冷やしていたのを思い出しました。付属していた金ピカのSummilux、写りは通常モデルとなにか違ったのでしょうか、気になるところではあります。

 

 


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「あれ?発色渋いなー」というのが第一印象。手前の門扉が大きくボケ、大口径中望遠ならではの描写にうっとり。もともとは真っ白だったと思われる金属椅子の座面には一部に白い塗料が残っていますが、RAWデータ上にはその周囲に派手なフリンジが確認できます。なかなかに盛大なフリンジなので、Lightroom上での修正が必須となりますが、それを自動化させるレンズプロファイルが2026年現在用意されていないのが残念なところ。もっとも、国内でたった500本しか販売されなかった限定レンズですから、仕方ないのですけど。

 

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最短撮影距離はちょっと長めと感じる1mジャスト。F1.4 モデル同様、あと一歩欲しいと思う処ではありますが、性能低下する部分は潔く切り捨てる Zeiss の哲学だと思って納得することとしましょう。当然ですが、開放での被写界深度は極薄となり、僅かの距離差で大きなボケ像を造ります。遠距離の被写体で感じたボケ像のクセも、ボケ自体が大きくなる近距離での撮影ではご覧の通り。機会があれば人物撮影に是非とも挑戦したいところ。

 

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遠景をちょっと切り取るのに、85mmという焦点距離の画角はお気に入り。普段使いで持ち歩くのに875gは少々キツイですが、少し絞り気味にした時の繊細な描写は心地よく、病みつきになります。SONY αに取り付けての試写でしたが、GM 85mmとの比較は野暮ってものですかねぇ。

 

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ポートレートではウエストショットになる程度の距離感での撮影。滲みを含みつつしっかりと解像する合焦部と、被写体の形状をわずかに残すボケ味によって絶妙な奥行感が得られました。独特なタッチと柔らかく豊富なトーンによって印象派絵画を思い起こされます。当時発売されていた他社の85mm はどんな写りをするのでしょうか・・・・いけないスイッチを押された気分になります。

 

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85mmともなると、これくらいの撮影距離では2つほど絞ってもそれほど被写界深度は期待できないですね。縮小画像だと分かりにくいのですが、ピントを合わせた薔薇の鋳造オブジェだけ、不気味な立体感が宿ります。デジタル歪曲補正は働いていませんが、歪曲収差や像面の湾曲もほぼ感じられないのは「Planar」の名に恥じません。

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相当に意地の悪い被写体を開放で撮影してみます。未補正のRAWデータでは画像全体がマゼンタに転んだようなカラーバランスと感じるほどに壮大なフリンジの影響がありました。デジタル対応の最新レンズではお目にかかれないほどの見事なフリンジでしたが、現像時に除去を行う事によって、新緑ならではの明るい緑色や空の青みが復元。手間はかかりますが、線の細い独特な描写によってこのレンズならではの世界が広がります。嫌なゴーストの発生が無いのは、伝家の宝刀 T* コーティングのお蔭でしょうね。
 

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撮影者自身の足が写り込むセルフポートレート?。古いアメリカ製のキャンピングカーを再利用した屋台の後部です。これくらい大きな被写体ですとEVFで拡大表示をしなくともピント合わせに不自由はありません。最近視力の衰えを隠せなくなった50周年記念の限定 My Body からすると、ミラーレス機のEVF拡大機能は天の恵み。OVFでの85mm開放撮影ともなれば、おそらくミスカットを大量生成することになったでしょう。それにしても春先とは言え、ピーカン状態でもこのしっとりとした画質です。

 

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ポートレートに置き換えれば全身ショットを撮影するような距離にフォーカスを合わせます。開放絞りではまるでゴッホ絵画のような独特な描写となりました。発色の渋さ、周辺光量落ち、ざわついた背景描写が混ざりあう事で独特な世界を造り上げたようです。販売価格が大幅に上昇した60周年モデルの描写との違いが気になってしまったので、どなたか私の勤め先へ持ち込んでは頂けないでしょうか。(苦笑)

 

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フイルム全盛時代にも一度だけ本レンズを借用した経験があります。焦点距離・明るさから考えて、当然ポートレート撮影を意識した設計を施されていたと想像できますが、遠景描写での確かな性能に当時驚いた記憶があります。撮影時にEVFの拡大画像で、飛行機雲を作りながら飛翔するジェット機の機体をしっかりと解像していた事で当時の記憶がよみがえりました。
 

 

CONTAX Planar 100mm F2 MM-G

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 欧米諸国のサブスクリプションサービス(サブスク)を利用する場面が増えてきたのですが、利用時に表示されるアカウント表記が日本の習慣である「姓>名(例:赤城 太郎)」ではなく、「名>姓(太郎 赤城)」となっている場合があって、私のようなグローバリズムから程遠い昭和人間は面を食らったような感覚を受ける事があります。さらに「Hello 太郎」 などといった書き出しで登録メールが届いたりすると、「こいつ、初対面で馴れ馴れしいヤツだな!!、そこは赤城 様だろ」と、自動返信メールと知りつつも悪態をついてしまったりする事もあったり(心の中だけですヨ)・・・。そもそも、全日本国民が苗字を名乗るようになったのが文明開化以降の割と最近の話ですから単純な比較はできないのですが、どういった経緯でこの違いが生じたのか、歴史や文化的背景を深堀してみるのも面白いかもしれません。「姓>名」の順が慣例になっているのは国際的には日本を含め少数派なようですが、過去さらにパスポート上のローマ字表記を多数派に合わせた「名>姓(TARO AKAGI)」としていたのはなんと日本だけだったとの事。2020年以降にようやくパスポート上の表記を国内表記に合わせた「姓>名(AKAGI TARO)」になったらしいのですが、これまたパスポートとは縁の無い生活を送っておりますので、知らなかった事実でした。

 以前に他レンズの記事で触れましたが、こういった姓名表記についての慣習と関係があるのかは定かではないながらも、欧州発祥のレンズにはレンズ毎に固有の名称(「名」に相当)が与えられるケースが多く、日本のカメラメーカー・レンズメーカーが販売するレンズには、その殆どでシリーズ全体を統括する一つのネーミング(「姓」に相当)が与えられているという事実が存在しています。Leica・Rodenstock・Schneider・Voigtländer・Zeiss といった名だたる欧州のメーカーが生産したレンズには、レンズ構成や、その特徴や役割、設計者や時にその愛犬の名前などに由来するユニーク且つ様々な名前が付けられていますが、日本製のレンズには過去多くのメーカーで、FUJI【FUJINON】・Konica【Hexanon】・MINOLTA【ROKKOR】・Nikon【Nikkor】・OLYMPUS【ZUIKO】・PENTAX【Takumar】 といった具合に、シリーズ全体を示す呼称が与えられていました。昨今では簡素化が進んで、各社でマウントの名称がそのままレンズ名に組み込まれるケースが殆どになっています。少々味気ないですが、分類の効率や誤伝達を防止には、単純な記号の羅列にしてしまうのが、現状では得策という事なのでしょう。

 さて、レンズに与えられた固有名称の中で最も有名な物の一つが Zeiss の「Planar」ではないでしょうか。ドイツ語で平坦「Plan」を由来とするその名の通り、像面湾曲・歪曲収差を抑え画面全域で高い結像性能を実現した「Planar」は、フイルム時代にプロカメラマン御用達だった  Hasselblad や二眼レフカメラの頂点に君臨する Rolleiflex 用レンズとしてだけではなく、大判カメラ用の交換レンズにもその名を見る事が出来ます。そして、35mmサイズ・フイルムカメラの YASHICA/CONTAX マウント用としてラインナップされたレンズ群では、標準 50・55mm と中望遠レンズの 85・100・135mm、接写用の 60・100mm と、開放F値を加えて分類すれば10種類もの「Planar」が供給されていました。とりわけ、Planar 85mm F1.4 はポートレートレンズの代表格として、その特徴的な描写が「Planar」信仰を不動のものとする一因ともなっています。

 そして、本レンズ Planar 100mm F2 は、役割的にも 85mm の陰に隠れがちだったことや、同一焦点距離には開放を F2.8 としながらも、近接撮影も可能な Macro-Planar が存在していた為に購入対象から外れるケースも多かったのでしょう。生産を完了した現在ではそこそこのレアアイテムとなっています。中古相場も高値で安定し、新品当時の定価が2万円ほど高額だった Macro-Planar と中古相場が逆転するに至ります。さらに、年代・機能・製造国別に4つに分類されるYASHICA/CONTAXのレンズ中、MM-G という識別符号が表記される Planar 100mm F2 MM-G は限定品顔負けの垂涎アイテムと言っても良いでしょう。Planar100mmに存在する AE-G・MM-G・MM-J 3種の中で、絞り値によっては光彩絞りの形状が正多角形ではなく、かざ車状となりボケ像が乱れる場合もある AE タイプの欠点を改善したマルチモード対応の「MM」である点、加えて「G」の文字が示す通りドイツ製(東西統合前の West Germany) である事などが、実用性・希少性両面で高い人気を生み出したのです。

 ガラス + 金属塊で670グラム、回転角に余裕を持たせた重厚なヘリコイドの作動、浅い被写界深度下でのマニュアルフォーカスによって、意識せずともじっくりと構える撮影スタイルに。撮影結果では、設計の古さ故に発生するフリンジ修正が現像時の大前提となりますが、最新デジタルでも基本性能の高さを実感できる優等性。豊富なトーンと粘るハイライトがネガフイルムでの撮影を思い出させてくれるようで、過去 Zeiss レンズで撮影していたブライダルフォトが脳裏に蘇ってきました。オールドレンズという括りはあまり好まないのですが、「古き良き・・・」を確かに感じ、その名に恥じない名レンズであることを実感できましょう。

 

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圧縮された遠近感や大きなボケ像によって「望遠レンズ」らしさが際立ちはじめる100mm。85/1.4 の様な滲みをともなった溶けるようなボケとは違い、非常に素直で周辺まで崩れない均質なボケ像を造るのが特徴。その語源から、より「Planar」らしいのはこの 100mmという事になりますね。解像度や高コントラストを押し付けるような現代のレンズとは明らかに違う描写からは、ほのかに銀塩テイストを感じます。

 

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Macro ではない Planar 100mm の最短撮影距離は1mなので、接写好きの自分からするとやはりもう一歩寄れれば・・・という場面に案外多く遭遇します。ピント面の立ち方・ボケの素直さも好みで、使い勝手にも好印象を持ちましたが、コシナ製Zeiss に存在する 100mm は Macro でありながらも開放 F2 のチート仕様だったことを思い出しました。MM-G のプレミア相場を考えれば、素直にそちらを選ぶのが最適解なのでしょう。

 

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良質かつ大きなボケと合焦部分の高い解像感がモノクロ映像で際立ちます。開放では滲みを伴う若干ソフトで特徴的な映像を見せる 85mm の Planar と比べ、絞りの変化を感じさせずに開放から隙の無い映像を造ります。冷涼な湧き水に例えられる様に、凛とした緊張感のようなものが映像から感じられます。

 

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前後のボケも均質でその発生もなだらかな為、浅い被写界深度下でも、非合焦部が醜くなりません。本来なら絞り込んで撮影する方が好ましい被写体かもしれませんが、せっかくなので気持ちの良い開放描写を楽しむことにしました。

 

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恐らくは、再塗装前の防錆処置だと思うのですが、ドット絵で表現されたレトロゲームのキャラクターを思い出しました。本レンズ、執筆時点ではLightroomでの現像時に適応するレンズプロファイルが存在しない為、解放絞りで発生するフリンジなどは、個別にマニュアルで除去する必要があります。歪曲収差や周辺減光がほとんど気にならないレベルなのは、世代を超えてもさすがの「Planar」といったところです。

 

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せっかくのポートレートレンズですから、一応はポートレートっぽい撮影を。ちょっと相手が大柄ですが、デフォルトのカラー設定でも極上の仕上がをみせてくれました。車体の赤と背景の新緑のコントラストがとても気持ち良く描かれます。やはりどことなくフイルムライクに感じるこの写りが、被写体である旧型車両のポートレートにベストマッチしたのかと。
 

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フイルム時代、自身の撮影ではISO800を超える感度は、どうしてもシャッタースピードを必要とする撮影で緊急的に止む無く利用する程度でした。それほどに画質の低下も顕著だったのですが、最新のデジタル機器では、この程度の設定で画質面での心配はほぼ無くなったのでは?と感じています。撮影領域が広がった事は、旧世代のレンズにとっても、新たな活躍の場が増えていると言えるのかもしれませんね。開放 F2 との合わせ技でうす暗い機関車の運転席でも余裕の撮影となりました。

 

 

ELICAR V-HQ MACRO MC 55mm F2.8 (Nikon-F)

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 現職場に勤めて足掛け30年ほどになるでしょうか。おそらくこの業界に携わっていなければ、数量的・内容的に触れる事はなかったであろうカメラ・レンズ達が日々目の前を通り過ぎて行きます。一台で数百万円という価格で取引されるようなレアアイテムを取り扱ったり、コレクターの終活に携わりトラック満載のカメラや撮影機材を引き取るといった経験をしたりと、なかなかに想い出が尽きないと、時折感慨にふけったりもします。直接見たり、手に取る事は無いにせよ、お客様や業界の様々な方との交流の中で知識として知りえた機材なども加えれば、一般の方々の想像を遥かに超える数のカメラ・レンズに関して何かしらの知見を持っている事にはなるのでしょう。まあ、昨今話題のAIに頼めばあっという間に収集・整理が出来てしまう類いの情報ですから、さしたる自慢にもならないのですが、それでも個人的には自分の半生以上をかけて集めた宝物である事に変わりはないのです。

 さてそんな筆者ではありますが、今でも時折「何これ?」という機材に遭遇しては、改めてカメラの歴史の長さや重さに驚く事もあるのですが、本項で扱う「ELICAR」もそんな一本でした。妖艶な女性を(勝手に)イメージするような特徴的な名称の本レンズは、調べによると過去にタパック・インターナショナルが設計・企画し海外へ輸出販売された商品の一つで、同一光学系で「Vivitar」「Panagor」のブランドでも展開がされていたようです。これらの名称は、廉価品のズームレンズなどで過去に何度かお目にかかった事はあったのですが、「ELICAR」との邂逅は本レンズが初めて。恐らく当時は国内での流通は殆どなかったと思われますが、現在はeBay等の普及で中古カメラ・レンズの個人輸入に関するハードルが大きく下がった事や、オールドレンズへの関心が高まった事などが重なって、国内のオークション・フリマサイトでもチラホラと目にする機会が増えてきたようです。本レンズよりも先に「ELICAR」では 90mm F2.5のマクロレンズが注目されたようですが、こちらは、そのスペックからMF時代の「タムQ」との違いも気になる所ではあります。

 ところで、マクロ(接写)レンズは、その用途から「性能」が重視される事が多く、サードパーティー製レンズには分が悪い印象が強くあります。薄利多売が常套であるため「性能」を担保するためのコストをかけにくいのが、ある種の宿命だったとも言えるからです。ですから、当時メーカ純正品がひしめいていた「標準マクロ」の市場へ投入された「ELICAR」には、何か特別な自信があったのではないかと勘ぐってしまうのです。初見でその珍しさに目を引かれただけの「ELICAR」、考えれば考えるほど、別に隠された魅力が眠っているに違い無いと思い始めたのです。

 改めて依頼品を見てみよう。(CV:銀河万丈さん)恐らくそれこそが最大の特徴と言えるのは「レンズ単体での等倍撮影」が可能な事です。AF化を果たす以前の 50mm クラスのマクロレンズは、メーカー純正品においては大多数1/2倍が最大の撮影倍率であり、等倍撮影の為には、専用に用意された中間リングの装着が不可欠でした。つまり無限遠から最短撮影距離までシームレスな撮影ができない事が、標準マクロの「当り前」だったのです。単体での等倍撮影が可能だった唯一の存在と言っても良い YASHICA/CONTAX マウント用の Zeiss製 Macro-Planar 60mm 2.8 AE の定価が128,000円であった事を考えれば、ELICAR 55mm の特殊性は際立つでしょう。鏡筒への細かな距離・倍率・被写界深度の指標は丁寧な彫り込みによるもので、絞り設定にも1/2絞毎のクリックが設けられているという徹底ぶり。自重落下を避ける目的で重めに調整されたヘリコイドは、無限遠から最短までの移動に約2回転を要するという本格派で、近距離撮影時の厳密なピント合わせと保持を可能としています。エレメントの直径からすればやや大柄となる 62mm のフィルター枠は、恐らくはマクロリングライト等のアタッチメントを前述の 90mm マクロと共通化するための配慮に違いないでしょう。入手した Nikon F マウント用の露出計連動用のツメ(カニ爪)がビス1本で止められていというコストダウンの跡も見て取れますが、総じて当時のサードパーティー製とは思えない質実剛健なビルトクオリティーを見せてくれます。

 勿論、設計年代の古さもあって、微細なフリンジや収差が原因と思われる像の滲みなどを感じる場面はありますが、むしろそれらが描写の美しさを増幅する場面にも多々遭遇します。画面全域における解像度の高さ、歪曲収差や周辺減光の少なさなどは一級品のマクロレンズと評するに十分に値し、基本性能の高さは名だたる純正マクロレンズに勝るとも劣らないでしょう。僅か半日の試用でしたが、その描写には関心を通り超え感動する場面も多く、特に近接撮影時におけるボケの美しさは誇張ではなく特筆に値。その存在の特殊性から、今後状態の優れた個体に巡り合う可能性は高くは無いでしょう。手元に残る極上の個体、勤め先の倉庫へ戻るのではなく、しばし我家の防湿庫でくつろいでもらおうと決意するのです。

 

 

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正直聞き馴染みのないメーカーの製品だったので、当初はその性能を侮って当Blogで記事にするつもりはなかったのですが、試写一枚目から目を疑いました。拡大すれば非合焦部のハイライトエッジに若干の色付きを認めますが、画面周辺まで開放からとても分解能の高さを感じる「マクロレンズ」然とした写り。周辺減光も極周辺に僅か存在する程度。ボケのエッジは少し滲みを見せる様子が感じ取れるので、柔らかなボケ像が期待できます。

 

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想像した通り、ボケは前後共にエッジ感の少ないとても柔らかい様子です。解像度を優先して設計するマクロレンズにおいては、特に後ろ側のボケが硬くなるイメージがありますので、これは相当に意外な結果です。同社製品では兄弟レンズである90mmのマクロレンズが、欧州中心になかなかの評判らしいのですが、50mmのポテンシャルも相当に高いのではないかと思う次第。

 

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さらにボケの様子を確認するために丁度良い被写体を発見。間違いなくこのボケ像は「好き」なヤツです。まさかマクロレンズでこれを得られるとは驚き。たとえEVFであっても、ボケ像の中から合焦部が浮かび上がってくるのを確認するMFでのピント合わせには一種の快感を覚えます。ヘリコイドの回転角はかなり大きく操作に時間はかかりますが、開放での厳密なピント位置の調整には不可欠な機構でしょう。作り込みに手ヌキが無いのも好印象。

 

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合焦部から外れると、若干ハイライト中心に滲みが現れるのが柔らかいボケ像の正体なのでしょう。55mm F2.8 のマクロレンズと言えば真っ先に Micro Nikkor を想像するのですが、比較して検証してみる必要がありそうですね。あちらは定番レンズで在庫も潤沢ですから、陳列棚からちょいと拝借してみましょう。

 

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絞り込んだ時にどんなボケ味になるのか F8 で検証。意地の悪い被写体ですが、悪目立ちしやすい枝葉がとても素直に描写されておりこれにも驚き。レンズ型式の MC は恐らくマルチコーティングの意でしょう。さすがにコーティングの仕上がりには世代を感じますが、逆光性能も特に問題は無いようで安心しました。

 

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全域が被写界深度に収まる被写体・絞りを選ぶと、引き締まったマクロレンズらしい映像が手に入ります。線の細い緻密な描写で、細かい部分まで非常に高精細な映像を手に入れられます。開けて良し、絞って良しの優等生。純正メーカー品がひしめくカテゴリーで光る個性を持った一本に違いありません。

 

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開放から周辺減光をあまり感じないレンズですが、白い壁面を撮影するとその優秀さは一目瞭然。F4.5 あたりの絞りですが、収差による他の影響も影を潜めます。半絞り毎にクリックが用意されているのにも強い拘りが感じられますし、複写等の学術的な使用目的でも実力を発揮できると確信できます。

 

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高い解像度を実感できる一方で、絞りを開け気味で使えばシャープネスと適度な柔らかさを併せ持た持った描写を見せます。春の日差しを浴びたウッドチェアや壁材の柔らかな手触りが伝わってくるような印象を受けます。覗き穴?の先、遠景のボケには若干エッジが見られますが、この程度は無視できる範囲。方眼紙を撮影した訳ではないですが、問題になりそうな歪曲収差は感じられませんね。

 

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F8の描写。開放から2~3段絞ったいわゆる「オイシイ」ところ。開放でも十分な解像度を持っていますが、さらに鋭さを増し最新デジタル対応レンズの様なパキっとした描写を見せます。金属部品や籐の座面の質感も申し分ありません。高周波成分となる芝生も周辺まできっちりと描写します。

 

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公園にある水飲み場。見かける度についついカメラを向けてしまう被写体の一つです。小さい頃、指で穴を塞いで悪ガキ仲間と水を掛け合って遊んでいたのを思い出します。今だと、安全面・衛生面やらなんやらで問題視されてしまいますかね・・・・。こういった懐かしい思い出に写欲を掻き立てられるのは、やはり年齢のせいなのでしょうか?。

 


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最短撮影距離での等倍撮影。収差が大きくなる為か若干ハロの影響もあって、通常距離での映像に比べややソフトに描写される印象。枯れた袋果のモノクロ写真が、レントゲンやCT画像のような不思議な画になりました。合焦部の解像感、柔らかな後ボケは維持されており、総じて優秀な画を造り上げてくれます。

 

 

MINOLTA AF APO TELE MACRO 200mm F4G

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 スマートフォンに搭載されたカメラ機能が著しい進化を遂げた現在では、あえてカメラを単独で購入しないという方も結構な割合で存在していると思いますし、そもそも単独機能のカメラが必要なのか、といった様な議論も度々発生します。勿論、スマートフォンには「薄さ」「重さ」「大きさ」等の物理的な縛りがありますから、全てのカメラを不要と考えてしまう事には、まだまだ議論の余地が相当に残されているのが現状と言えるのでしょう。もっとも、スマートフォンに搭載されるカメラの進歩は、レンズやセンサーの進化以上に、画像生成に関わるソフトウェア部分での変革に因る部分が多く、画面上での見栄えを良くする為の画像修正やボケの生成、被写体の変形や不要物の除去などを半ば自動で行う事が当たり前となった昨今、その映像を「写真」と呼ぶことへの議論もあって然りでしょう。各収差を始めとしたレンズの物理的欠点を補う、いわゆるデジタル補正の恩恵をいまさら否定するつもりもない私などは、ダブルスタンダードとも思われかねませんが、写真へのデジタル技術の関与については、自分なりのポリシーを常に確認、アップデートする必要があるとは感じています。(他人からすればどうでも良いことなんでしょうが・・・・・)ともあれスマートフォンの爆発的な普及によって、いわゆるコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)に関しては、多くのメーカーで販売終了や販売規模の縮小をせざるを得なかった事実は揺るがないのですから、あえてコストをかけてまで、単独の「カメラ」を手にして行う「撮影」という行為が可能な今は、それを存分に楽しんでいたいと只々思うのです。

 さて望遠撮影は、レンズの「長さ」という物理的な特性が現状では不可欠となりますから、スマートフォンに比較して単体としてのカメラ、とりわけレンズ交換式カメラのアドバンテージが光る場面です。一般的に望遠レンズは遠方の被写体をより大きく写す事を目的として利用されますが、反面、最短撮影距離は長く被写体への接近は難しくなってしまうのが通例です。最新のレンズでは随分と最短撮影距離も短くなってはいますが、それでも200 ~ 300mm 程度の望遠レンズでは 1.5mから 2m 程度、600mm や 800mm の超望遠レンズともなれば、4m から 5m 前後が一般的なスペックとなります。

 ですがそんな望遠レンズの中に、本来不得手な「接写」という目的を与えられた異端児、「望遠マクロ」レンズが存在します。「望遠マクロ」と言うと、焦点距離 90mm や 100mm の「中望遠マクロ」を思い起こす事が多いのですが、本項で取り上げるのはさらに長い焦点距離を持ったマクロレンズになります。現在ミラーレス一眼用の交換レンズ拡充を続けるカメラメーカー各社ですが、2026年現在該当スペックの現行品としては唯一 OMDS より発売される 90mm F3.5 MACRO(フルサイズ換算画角180mm)の一本のみ。撮影倍率1/2のハーフマクロまで加えて SONY FE 70-200mm F4 GⅡがやっと候補に挙がるだけという寂しい状況です。フイルム時代には 180mm や 200mm のマクロレンズがカメラメーカー・サードパーティーの多くからリリースされていた事を考えると、現在はあまり需要が見込まれないレンズになってしまったのかもしれません。しかしながら、ライフワーク的に植物の撮影をしている筆者からすれば、浅い被写界深度、長く取れるワーキングディスタンス、強めに現れる圧縮効果など、作画に生かせる特徴てんこ盛りの 200mm マクロは是非とも手に入れたい一本と感じています。フルサイズミラーレスの Nikon Z5Ⅱを入手した今となっては、Zマウントでの Micro-Nikkor 200mm 再臨を期待しているのです。(めっちゃ高くて買えない予感しかないですが)

 フイルムカメラ晩年にMINOLTA AF一眼レフ用にリリースされた本レンズは、20万円を超える定価とその特殊性も相まって販売本数は決して多くは無かったのか、結果現在中古市場で安価に取引される事が多いMINOLTA-Aマウントのレンズ中では、比較的高値で取引される珍品に。今後、近似スペックのレンズがSONY-FEマウントでリリースされれば話は変わるのでしょうが、光学系を含め状態の良い中古品を探すのは案外骨が折れるのが現状です。マウントアダプター併用前提ながら、幾分か入手性の良いAF Micro-Nikkor 200mm F4 (公言されてはいないでしょうが、公表データから察するに恐らく同一光学系)を狙ってみるのも面白いかもしれません。(と言うか、試写・比較する気満々)AF性能の向上した現在のフルサイズミラーレス専用の200mm マクロ、Art シリーズでいかがでしょう、SIGMAさん?

 

 

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200mmともなると、F4 の絞りでもご覧の様な大きなボケを造ります。グラーデ―ションと化した背景はまるでスタジオ撮影をしたかの様な雰囲気を醸し出します。恐れ多いですが花写真の大家、故・秋山庄太郎先生の作風を思い出してしまいました。フイルム時代から存在しているレンズですが、APO の名は伊達ではなくエッジへの色付きもほとんど感じないスッキリとした映像。開放から中心部の解像は文句の付け処は無く、丁寧なコントラストの出し方、線の細い優しい描写が持ち味の様です。

 

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平面的に被写体を切り取れば画面周辺まで破綻を見せず、遠近感の圧縮を伴った重厚なイメージを見せます。枯れた古木を抱え守るように新しい外皮が覆っています。声を出したり、自ら移動したりする事の無い植物ですが、こういった個体を目にする度、確かに「生物」なのだと教えられるような気がします。 

 

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細い枝が幾度も折れ曲がり高い密度で存在する「梅」は、背景の処理に手間取る事が多く、個人的には苦手とする被写体なのですが、200mm の浅い被写界深度と狭い画角を武器にすれば、ご覧の通り。薄日の差す曇天下、柔らかいトーンを上手く表現してくれました。元画像は拡大すれば雄しべに付いた花粉の粒まで解像する高性能。対する柔らかなボケとの協調も見事です。

 

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最短撮影距離は50cm と、まるで標準レンズの様な数値。レンズ先端からは約 25cm ですから、フードを取り付ければ被写体スレスレ。長いレンズを取り付けて被写体に肉薄する様は、あたかも変質者のソレですが、本来はワーキングディスタンスを稼いで、離れてた位置から昆虫などを撮影するのが持ち味なのでしょう。それにしても、高い解像感と柔らかなボケが同居する美しい映像にうっとりします。

 

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公園の水遊び場に取り付けられたスプリンクラー。前後のボケの様子を確認するのに好適な被写体となりました。均質で乱れも少なく、合焦部をとても良く引き出しています。開放から安定描写で、「絞り」が単純に明るさのコントロールをする為だけに存在していると言って良いでしょう。Aマウントレンズの為、AF・絞りの作動音はやや耳障りですが、コントラストのはっきりした被写体相手だと AF も非常に俊敏な動作をしてくれます。

 

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線の細い高精細な描写は遠距離の被写体を撮影しても健在です。和風造形が施されたランプシェードの細かな細工を鮮明に映し出し、且つ背景のボケ具合もとても好ましく感じます。一般望遠レンズとしてのポテンシャルも高く、遠景スナップもそつなくこなす頼もしい一本だと感じました。

 

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50mm や 100mm であれば、窮屈な姿勢で被写体に肉薄しなければならない状況ですが、ある程度離れた場所から被写体を狙えるので、最近体の硬くなってきた初老の筆者には、多少の重さを我慢してでも手に入れる価値は高いと思えてしまいました。開放絞りは F4 と控えめでシャッタースピード的に厳しい状況でしたが、内蔵手振れ補正が強力な武器となりました。
 

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地面に気になる被写体を見つけた際、通常のレンズではしゃがみ込む必要がありますが、機材を入れたカメラバックを背負った状況では、これがなかなか重労働。ところが200mmマクロでは、立ったままの姿勢で撮影ができ、地味に嬉しかったのと同時に自身の体力の衰えを感じて少し寂しくもなったりしました。この被写体の様に、美しく枯れて行けたら本望ですね。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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