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Leica Summicron M 35/2(8Elements)

 基本的には下落傾向のある中古商品の相場のうち、僅かではありますがその商品が通常流通していた頃と比べて明らかに高い相場を形成する商品があります。そして、その殆どの場合は流通数の少なさが原因となっています。

 不人気故に早期に生産を中止した物などは、流通数の少なさがかえって人気を呼ぶという一見矛盾ともとれる不可思議な現象を呼び起こし、価格の高騰を招きます。そして、希なパターンではありますが、十分な流通量があるにも関わらずその流通量を上回る絶大な人気を得た商品の場合も、価格は常に高値で安定します。

 そのレンズ構成から、通称「8枚玉」と呼ばれるLEITZの初代Summicronの35ミリは、後者の理由故十分な流通数を確保しているにもかかわらず、常に高値相場で取引されています。レンズの魔力か、はたまたマスコミの影響力か、このレンズの魅力を語る記述は至る所で目にすることが出来るのですが、それにしても、ここ日本での中古相場は少々高すぎるようです。

 その真意を確かめるべく借用した個体は、数十年の時を経たレンズとは思われないほどのクリアな発色と線の細い中版カメラの画像を思わせる繊細な画質を持った素晴らしい物でした。若干のハイライト部の滲みは、少々ブルー味を帯びた旧LEITZ独特の渋みのある発色と相まってオールドレンズ独特の風合いを上品に醸し出します。現代の解像度の高いレンズと比較しても、決して見劣りしない素晴らしいシャープネスと、オールドレンズ独特の優雅な描写をバランス良く持ちあわせたこのレンズの形成する画像は語り継がれる伝説に相応しいもので、所有欲をかき立てるのに十分な結果をもたらしました。

 ここで酷評でもして、万が一にも相場が下落するのであれば、どんな罵詈雑言をも私の口は惜しまずに発することでしょう・・・・。

 昔は、もう少し手の届きやすい価格だったんですけどねー。

 

 

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雨上がりの雑木林。湿気を帯びた空気の印象が良く伝わってきます。曇天下のフイルム撮影でしたので、いわゆるホワイトバランスの崩れを警戒しましたが、案外ニュートラルな発色をしてくれました。当時は確かE-100VSという赤系の原色がやや強調されるフイルムを愛用していましたので、その影響もあるのかもしれませんね。

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直線の多い被写体で構成すると、若干の樽型収差を感じます。デジタルカメラではいとも簡単に内包される補正データで「キッチリ」写し留めてしまうのでしょうが、そこはフイルム時代のレンズですので如何ともしがたいところ。被写体によっては注意も必要です。

 

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桜のベストシーズンを外してしまいましたが、被写体はいたるところにあるものです。散った桜もなかなか味わい深いものですね。一眼レフだと「フレーミング」に逐一神経を尖らせがちなのですが、その辺が適度に曖昧なレンジファインダーの方が被写体そのものに集中できる、そんな気もするのです。

 

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桜色(マゼンタ)と葉の緑(グリーン)は、色彩的には補色関係にあるので同一画面に存在すると、お互いを上手く高めあってくれる効果も期待できます。しかしフイルム時代、ましてレンジファインダーですから、撮影時に結果の「色」を正確に判断するのは「経験」「知識」が相当に必要だった筈。プロカメラマン、現在よりもフイルム時代の方が神格化されていたと感じるのは自分だけでしょうか?

 

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雨上がりにベンチの下で雨宿り?をしていた蒲公英を発見。絞りを開けた際の周辺減光を警戒していましたが、欠点と言うより丁度良い塩梅の落ちかたで安心しました。

 


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f5.6程度まで絞ってあげると、画面全体の画質が均質化しスッキリした画像を提供してくれます。古い設計のレンズですから、強い光源だとゴーストやフレアへの対策(しかもレンジファインダー上では撮影時には気づけない)が必須ですが、この程度の逆光ならば無問題ってことですね。 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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