For SONY FE Feed

SONY FE 100mm F2.8 STF GM OSS (SEL100F28GM)

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 当ブログのタイトルは、戦場カメラマンとして歴史に名を残すロバート・キャパの著書「ちょっとピンぼけ」にあやかっています。この書籍タイトルは、原題「Slightly Out Of Focus」からのとてもセンスが光る和訳なのですが、そう感じる理由として「Out Of Focus」を一言で表現する「ボケ」という日本語の存在がとても大きいのだと感じています。画面全体にピントが合っていると感じられる、いわゆるパンフォーカスで撮影された写真を除けば、写真の中には「ピントの合った部分」と「ピントの合っていない部分」が存在しています。当然の事ながら作者は最も注視して欲しい被写体の部分にピントを合わせるのが一般的であり、ピントが合っていない部分は作画上の脇役であったり、場合によっては全く必要のない部分と考えられることさえあるでしょう。俗に言う「ピンぼけ」が失敗写真の代名詞になっている事からも、写真においてピントが合っている事は一種の大前提と言えなくもないのです。だからこそ、あえて「ピントの合っていない部分」に英語圏には存在しない特定の呼称を与えた、かつての日本人の感覚には尊敬の念さえ抱けるではありませんか。「KOBAN(交番)」や「KARAOKE(カラオケ)」の様に、それまで海外にはなかった日本独自の文化・風習が受け入れられる際、いわば輸出された日本語としてこれらの言葉が定着していった訳ですが、「ピントの合っていない部分」を表す言葉が、現在英語圏で「BOCHE」と日本語の発音そのままに表記される事が、なんだか誇らしいではありませんか。

 さて、レンズに話を移しましょう。写真レンズに求められる性能を考えた時、個人的な感覚や作風などにも影響されますから、答えを一つにまとめる事は出来ないのだろうとは思います。しかし、「ピントを合わせた部分がしっかりと結像・解像する」という点に関しては、議論以前にレンズという商品の性格上当たり前の事だと考えても良いでしょう。だからこそ、本レンズ「STF」のようにピントの合っていいない部分、すなわち「ボケ」にスポットを当てて設計をされたレンズが存在する意義とは何か、自然と興味が湧いてしまうのです。非合焦部への明確な名称「ボケ」を有する言語を用い、さらにその「味」にまで言及する「ボケフェチ」とも言える日本民族が拘った一本、その実力とはいったいどんな物なのでしょう。

 「STF(Smooth Trans Focus)」と銘打たれた本レンズは、アポダイゼーションと呼ばれる特殊な光学系を採用しています。ものすごくざっくり言えば、周辺に向かって濃度を増すNDフィルターの様な物なのですが、この効果でボケ像に発生するエッジを弱め、俗に言う「硬いボケ」や「二線ボケ」などを抑制する効果が期待できるのです。同様の構造・発想は富士フイルムのXF56mm F1.2 R APD(アポダイゼーションの略)やCanonのRF85mm F1.2L USM DSにも存在しますが、両レンズ共にその効果を持たせないノーマルなレンズも併売しています(した)。描写特性の違いを選択肢としてユーザーに与えるという面もありますが、前述した通りNDフィルター的効果の発生で、センサー面に到達する光量が落ちてしまうと言うデメリットが存在する事も理由にはなるでしょう。実際本レンズも解放F値は2.8としていますが、実際にセンサーへ到達する光量を表記するT値5.6を併記しています。単純計算で絞り解放の状態でもシャッタースピードにして2段分の光量ロスが発生している事になりますが、その辺りはレンズ内手振れ補正に自信もあるのか、SONYからはノーマルバージョンのレンズが発売されていないのが興味深いところです。 

 別のアプローチでは、過去にNikonからも105mmと135mmに「DC(Defocus-image Control)機構」を持たせた2種のレンズが存在していました。この機構はレンズに発生する収差(主に球面収差)を搭載されたDCリングの操作で意図的にコントロールし、ボケ像の柔らかさを変化させるという手法で、アポダイゼーション光学系のような減光は発生せず、調整の量によってはソフトレンズ的な応用もできる半面、効果は前ボケ・後ボケどちらかを選択する必要(後ボケを柔らかくすると逆に前ボケは硬くうるさく感じ、逆もまた然り)があり、さらに絞りの変化に応じたDCリングの操作が都度必要になるなど、使用には若干の慣れと工夫が不可欠なものでした。

 いずれにしましても、フルサイズ換算での85mm~135mm近辺の焦点距離で尚且つ明るい単焦点レンズへの実装が殆どな「ボケ」を意識したこれらの機構や構造ですが、やはりそれらのレンズはポートレート撮影などでの利用頻度が高く、メインとなる被写体を浮かび上がらせるためのより魅惑的な「ボケ」を演出できるレンズが求められているという事なのでしょう。物語の行間であったり、役者の三枚目、あるいは酒の肴といった様に、「ボケ」も本来は主要被写体を引き立てる役回りでありますが、時に主役以上に重要な立ち回りを見せる名脇役のごとく、上手く使いこなせばきっと作品の深みも増してくれるのでしょう。

 これは、本当に余談に過ぎない事なのですが、先ごろ映像に関わる若い世代の方たちから「ボケ感」という言葉を目や耳にするようになりました。恐らくはボケ像の様子(いわゆるボケ味)やボケの大きさの程度を指した言葉なのだと想像はできるのですが、個人的な感覚としては、「ボケ」という言葉には「ピントが合っていない感じ」のように「感」がすでに内包されているイメージがあるので、結果としては「ボケ感」という言葉にはどこか「頭痛が痛い」同様つまりは「ピントが合っていない感じの感じ」の様に素直に呑み込めない違和感が伴ってしまうのです。こんなことを公言すると「老害認定」を受けてしまいそうな恐怖もあるのですが、お客様からスマホの画像を見せられて、「こんな「ボケ感」が出せる単焦点のオールドレンズってありますかぁ?」なんて聞かれた時の、あの肩甲骨と背骨の間の筋肉がぞわぞわっとする感覚がどうあっても馴染めないのも事実なのです。

 

 

Dsc02759並んだ中央の駐禁の看板にフォーカス。合焦部から前後に綺麗に広がる「ボケ空間」を見る事が出来ます。アウトフォーカス部にある手前の看板の文字や背景の電信柱など、レンズによっては悪目立ちすることもあるハイライトを含んだボケ像のエッジが、どちらもとても緩やかに描写されています。

 

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こういった細い枝葉なども、二線ボケなどの影響で遠近の判断がつきにくくなる描写をしてしまいがちな被写体ですが、STFの効果でご覧の通り。安心して作画に取り入れることができます。

 

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水面の蓮の葉と写り込んだ薔薇の枝。水底に沈んだ枯れ葉もかすかに見えるでしょうか。非合焦部が非常に穏やかな反面、合焦部の先鋭な描写はさすがSONYレンズ最高峰の証GMの銘を冠するだけの事はあります。本レンズの祖先はMINOLTA時代のAF 135mm F2.8 STFと想像できますが、Eマウント化にあたって焦点距離を100mmとしたのはFE 135mm F1.8GMとのバッティングを避けるためなのでしょうか?

 

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口径食の影響が抑えられ画面周辺まで均質なボケ像を描く事も本レンズの特徴。もともとボケのエッジが綺麗に滲んでいる為に目立ちにくいのですが、水面の反射がボケた玉ボケの像も、周辺まで綺麗な円形を保っています。かなりの逆光条件でしたが、懐の深い大型レンズフードがしっかりと仕事をしてくれました。レンズ内の反射防止性能が高いのも言うまでもありません。

 

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テスト撮影を行ったのは丁度紅葉の入り頃でした。背景との距離はそこそこありますが、100mmにしてはボケ方が大きいと感じるのは、アポダイゼーションの効果でぼけの輪郭部がきれいに滲むからなのでしょう。200mm程度の望遠レンズを使った描写に近い印象にも感じます。

 

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ボケにだけ拘ったとするなら「GM」レンズとはならなかったでしょう。ちょっと絞り込んで庭園の片隅にまとめられた剪定用具をスナップ。合焦部の解像度と質感描写がすさまじく、拡大画像を見ると織物の繊維が一本ずつ確認できる程です。高い解像力と美しいボケの共存、まさに理想のレンズの形その一つなのでしょう。

 

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専門のマクロレンズ同等とはいきませんが、本レンズには切替によって、最短撮影距離を57cm(撮影倍率0.25倍)にするマクロ機構が内蔵されており、人物撮影だけでなくこういった植物などの撮影で重宝します。本来であればシームレスなのが一番ですが、恐らく画質を最善に保つための手段なのでしょう。MINOLTA時代の100mmマクロもボケ味には定評がありますが、ポートレートや遠景での利用が多ければ、STF一択で良いと思います。(資金があればの話ですが・・・)

 

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撮影前日の大雨が上がり霧が立ち込めた庭園。濃霧+アポダイゼーションの合わせ技なのでしょうか、とても幻想的な雰囲気に仕上がりました。所在なく溶けてしまうタイプのボケ像ではないので、木道の存在感がなんともリアルで良い塩梅に。

 

Dsc02709ポートレートなどでは、立体感を表現するために多用する半逆光のシチュエーション。ハイライト部分にのみ、わずかに紗をかけたかのような絶妙なボケ像と、合焦部のリアルな彫像の質感がその場の空気感を見事に演出。本レンズならではの絵作りと言えるでしょう。背景には印刷された段ボールが写りこんでおり、レンズによっては煩わしく見えてくる部分ですが、全く気になりませんね。

 

 

 

Voigtlander NOKTON classic 35mm F1.4

 

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 Voigtlanderと聞いて「VITO」や「VITESSA」というフイルムカメラ、あるいはスチルカメラ用ズームレンズの元祖「Zoomer」などを連想する方は、わりかしディープなクラシックカメラファンということになるでしょうか?日本のカメラ・レンズメーカー「コシナ」がその名をブランドとして使い始めてからもそれなりに時間が経過していますから、今となってはこちらの方が馴染み深いと感じる方も多いのでしょう。しかし、デジタルカメラが登場する以前の「コシナ」を知っていた者からすれば、その変貌ぶりには驚きを隠せないのが事実です。当時は主にペンタックスKマウントのマニュアルフォーカス一眼レフや、各種マウントでのレンズ製造、あるいはOEM供給などを行っていましたが、どちらかと言えば低コスト重視の製品が多く、「シグマ」・「タムロン」・「トキナー」といったサードパーティー御三家(?)の陰に隠れた存在であったと記憶しているからです。

 

 コシナがVoigtlanderブランドによる商品展開を始めたのは、確かカメラの主流がフイルムからデジタルへと移行を始める直前のあたりです。L39ライカスクリューマウントを採用したマニュアルフイルムカメラ「BESSA-L」とその交換レンズ群を皮切りに、レンジファインダーカメラ「BESSA-R」を発売したかと思えば、即座にライカMマウント互換のVMマウントを採用した「R2」へと進化、レンズ群もVMマウントを採用し「NOCTON」や「HELIAR」といったVoigtlander往年の名称を与えられた銘レンズ群を次々と充実させて行きました。価格も比較的低廉に抑えられていたことから、「プアマンズライカ」などと評される場面もありましたが、お客様曰くの「良く撮れんだー」が真理であり、やがてはZF、ZE、ZKマウントの一眼レフレンズ用レンズ群やレンジファインダー機Zeiss-IkonとZMマウントレンズ群、果ては中判カメラ・ハッセルブラッド用の交換レンズ、つまりは、あの「Zeiss」製品製造元の一つへと大躍進したのです。もちろん、コシナがこの下剋上的ブランディングに成功したのは、時代の変化やそれに伴う流行の影響もあったでしょうが、モノ作りメーカーとしての確固たるビジョンとその実現を支える確かな技術力が備わったメーカーだった、ただそれだけの事なのかもしれません。

 

 そんなVoigtlanderブランドの製品、ブランド名が持つ長い歴史から、安易に「伝統」や「レトロ」といった言葉を連想してしまいますが、現在のラインナップには、F値1.0を超える明るさを実現したレンズや、35mmフルサイズフォーマット用の焦点距離10mmの超広角レンズなどを筆頭に、非常に挑戦的かつ魅力的な最新鋭のレンズがゴロゴロしている事に驚きます。また、かなり早い段階でM4/3用の解放 F0.95シリーズレンズ群をリリースするなど、ミラーレス機への順応スピードも特筆に値します。考えてみますと、「BESSA」以降始まったレンジファインダー用の交換レンズ作成のノウハウが、デジタル一眼のミラーレス化という時代の流れに見事に呼応したのかもしれません。2023年現在では、フルサイズミラーレスの先駆者であるSONY-α用の交換レンズだけでなく、最新ミラーレスNikon-ZやCanon-RFへの対応も着々と進行中。特筆すべきは、利便性追求が当たり前の世の中で、その全てがマニュアルフォーカス専用の単焦点レンズで占められている点で、それには「拘り」といった表現よりは「矜持」という言葉が相応しいと感じています。

 

 さて、魅力溢れる製品が多い中で取り上げたNOKTON classic 35mm F1.4 は、その美しい対称配置のレンズ構成から、ライカ製オールドレンズ代表の一角「Summilux-m 35mm F1.4」を想像します。現在は非球面レンズを採用して光学的性能を飛躍的に向上させた新型Summiluxへとバトンを渡していますが、設計当時の技術・光学素材では抑え込めなかった収差の大きさから、独特の描写特性を持つに至ったオリジナルのSummiluxの現市場人気は高く、可能であればフイルム時代に所有していた私に売却を留まるよう進言したいと思うほどに価格が高騰してしまいました。「味」と言えば聞こえは良いのですが、やはりそれなりに「癖」の多かったオリジナルSummilux。あえて非球面レンズを採用せず、現代の設計技術と光学素材によってその美点のみを追求し「Classic」の銘を付与されたNOKTONは、すでに高い評価を得ているそのVMマウント版をミラーレスデジタル向けにファインチューンした逸品で、最短撮影距離の短縮化、電子マウント装備によるボディー内手振れ補正機構の最適化仕様となりますから、焦点距離35mm好きαユーザーであるならマストバイなレンズの一本ではないでしょうか。

 

 

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Summilux35mmをオリジナルとし、その描写を現代風にリファインしたと各所で評されていますが、なるほど言い得て妙。f1.4解放での描写にその特徴は色濃く表れます。解像度は十分ですが、全体的に紗をかけたような独特なソフトトーンが持ち味。ボケ(特に後ろ側)はややザワつく感じですが、全体的な柔らかい描写によってあまりガチャガチャと感じない印象です。周辺光量もしっかりと落ちますので、画面中心の良像域に自ずと視点が向けられる、美しい立体感を持った描写をしてくれます。

 

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大きなセンサーを使うメリットとして「広いダイナミックレンジが得られる」なんて言葉をよく目にしますが、ざっくり日本語化させてもらえれば、明るさ(暗さ)に対しての「懐が深い」って事ですかね。ヒストグラムの横軸が延びて分割数が増える印象です。調子こいてゴリゴリとアンダー側に露出を振る持病が発症したのは、シャドー部の軟調化に苦戦した元T-MAX100派のささやかな反撃なのでしょうか。。。(意味わからないですね、スミマセン)

 

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一見解像度が不足しているかの様な画像ですが、拡大すると合焦部の解像度は決して低くない点に気づきます。全体的にソフトに感じるのは残存収差による画像の僅かな滲み(ハイライト部で顕著)がその正体なのでしょう。現代では非球面レンズの導入がこういった収差補正のトレンドですが、Classicを名乗る本レンズはあえて球面レンズのみで構成し、設計とガラス素材の選定で本家Summiluxの「強すぎた癖」を抑え込んだようです。

 

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窓一つ無く、「雨どい」だけが存在する特徴的なビルの外壁。強烈な西日によって「雨どい」の固定金具が奇妙なほどに長い影を落とします。絞りf4での撮影ですが、僅かに残る周辺光量落ちとハイライト部の滲みが映像に独特の風合いをプラスしてくれました。純正レンズではない為にデジタル歪曲収差補正の恩恵はありませんが、対照型配置のメリットもあって光学的にかなり良質に補正されていると感じます。


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西日の射し込んだビルの隙間にある空調の室外機。かなり輝度差のある被写体ですが、ハイライト基準で露出を決定してもシャドーにまだ余裕を感じます。開放絞りでの撮影ですが、合焦部の室外機に貼られたラベルの文字もしっかり確認ができます。良いレンズと良いセンサーがあれば、これまで仕上がりに満足いかなかった被写体へのリベンジもできるという事でしょうか。ある程度の出費増は覚悟しなければなりませんが、フイルム時代に比べ大幅に上昇した機材の価格はいかんともしがたいですねぇ。比べてサラリーマンの給料って・・・・・(以下お察し)

 

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絞りをf4まで絞れば、画面の良像域は広がります。合焦部のシャープネスは非常に高く高密度センサーとの相性も良いようです。諧調も丁寧に描かれますので、排気用と思われる金属管の光沢感も素晴らしく、その硬さや冷たさが伝わってきます。

 

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開放での独特なふわっと感はやはりクセになります。画面中央部のシャープネスは必要十分で、周辺に向かってなだらかに解像度と光量が落ちて行きます。この緩やかな崩れ方が現代的に解釈したSummiluxの「味」なのでしょう。是非ポートレートでも使ってみたい一本ですね。

 

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この公園を訪れるとかなりの頻度で撮影してしまう被写体が、この道路上の指標。またもや、相当アンダーに露出振ってますが、この豊富なシャドー部諧調の為だけにでもフルサイズを購入する意味はありそうです。

 

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恥を忍んで「ヤラカシ」を。仕上がり設定をモノクロにして撮影していたため、知らないうちにホワイトバランスの設定が変更されていた事に気づいていませんでした。色温度2900Kで撮影されていた事に気づいたのはPCへのRAWデータ取り込み作業中という始末。しかし、瓢箪から駒とでも言いましょうか、これはこれで味わい深い仕上がりだったので、あえてWBを戻さずに現像してみました。フイルム時代のコダクローム40(タングステンタイプ)を思い起こさせる渋い発色ですね。そういえば学生時代このフイルムを使い、デイライト下のポートレートを撮るマイブームがありました。

 

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恥の上塗りでもう一つ。やはり同じホワイトバランス設定で撮影された1枚。こちらは富士クローム64Tを彷彿とさせる仕上がりに。揺れる水面に映った樹木と太陽ですが、異世界感がより増幅されたようです。オリジナルのSummiluxは強い光源があると派手にゴーストが入る場面にも遭遇しましたが、本レンズ、逆光耐性も悪くは無いようです。

 

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強い光源下であると、本レンズの解放絞りでの特徴ある描写が際立ちます。強い日差しを浴びた新緑の反射によって、合焦部にも盛大にハロが発生しかなりソフトな描写に。ライブビューでの撮影は、こういった撮影結果が予想しにくいレンズを利用するのにはとても都合が良く、表現方法としてレンズの癖を活用しやすいと言えます。盛大に落ち込む四隅の光量は、初代Summiluxをオマージュした本レンズならではの特徴でしょう。

 

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上の写真と似た条件下で、しっかりと絞って撮影。ハロは消え、近代的でシャープな印象の映像となります。頑固に残る周辺光量の低下(というか、むしろケラレに近い?)は、やっぱりSummilux譲りなのでしょう。

 

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Summiluxはレンジファインダー機用のレンズでしたから、最短撮影距離は長めの1m。あと一歩が寄れずにやきもきした記憶も蘇ります。本レンズは一眼レフ用と同等の30cmと大幅にスペックアップしたので、街角のスナップでも大胆に被写体との距離を詰め表現の幅が広げられるのは嬉しい改良です。

 

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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