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2026年7月

SAMYANG AF 135mm F1.8 FE

P6180039

 

 

 実力が拮抗した者同士が激しく争う様子を「鎬(しのぎ)を削る」「鍔迫り合い(つばぜりあい)」なんて表現をしますよね。どちらも日本刀を持った侍同士の戦闘シーンにその語源がありますが、転じてビジネスの現場などではシェア争いだったり、近似スペック製品の比較といった場面でもよく使われています。レンズの話となれば「蛍石を削る」「マウント迫り合い」とでも言えばより分かり易い・・・・・訳ないですね。ハイ・・・。実際に、同一焦点距離・開放F値を持ったレンズなどは、その物理特性の優劣や描写傾向の違いなどを比較される事も多く、数多のカメラ雑誌が書店の棚を賑わせていたフイルム時代には、「各社サンニッパの実力を斬る」だとか「レンズメーカー最新高倍率ズーム、どれを買うのが正解か?」と言った様な文言とともに、解像力チャートや実写サンプルを掲載した特集が組まれては人気を博していました。写真少年だった頃の自分も、手持ちのメーカーのレンズが賞賛されれば自分の事の様に喜んだり、買えもしないくせに数十万円もする高級レンズの比較記事を穴が開くほど見返したりと、想い出は尽きないものなのです。

 さて、日本のカメラメーカーが発売するデジタル一眼カメラ、その殆どがミラーレス機となってからそれなりに時間が経ちました。レンズ開発も各社一段落し、昨今では人気レンズのアップデート(Ⅱ型の登場)も盛んに行われるようになってきましたが、その商品構成はフイルムカメラやデジタル一眼レフ時代と少々異っていると感じています。過去のカタログが示す様に、当時はメーカーは違えど発売されるレンズのスペックは一部を除きとても似通っていたのですが、最新のカタログには、今までお目にかかる事のなかった焦点距離・画角範囲をもったレンズがメーカーを跨いだ共通点を持たずに多数展開されているのが確認できるのです。無論、設計技術の進歩やミラーレス化による設計自由度の拡大による恩恵もあるのでしょうが、対象とする撮影シチュエーションやターゲットユーザーの好みが細分化した事により、メーカーとしては共通スペックで他社と「鎬を削る」のではなく、システム全体で個々の特色を出す方が効率良く訴求ポイントをユーザーに提示できるような時代に変わってきたのではないか?と感じているのです。もっとも、基本性能が爆上がりし、且つレンズ単体よりもボディー側の性能によっても描写性能に差が生じるデジタル時代では、レンズ単体での性能比較は以前に比べ意味を持たなくなったという側面もあるのでしょう。(個人の想像の域を脱しませんが・・・)

 一方で、そういった流れを感じつつも「定番」と言われるようなレンズでは、依然として各社がバチバチの「鍔迫り合い」を行っているという現状も存在します。いわゆる大三元、開放 F 値が 2.8 クラスの 24-70・70-200mm や、ヨンニッパと呼ばれる 400mm F2.8 の大口径望遠レンズ(フイルム時代の看板はサンニッパ 300mm F2.8 でした)などは、各社の看板としての役割もあり鮮烈な競争を繰り広げていると言って良いのでしょう。そしてここからが本題なのですが、上記のレンズほど注目度は高くないにせよ、近年の開放値 F2 以上の明るさを持った135mm 大口径単焦点レンズへの各社の力の入れように、筆者はただならぬ熱量を感じています。固有名称までも与えられた Nikon の Plena を筆頭に、SONYも最高峰レンズの称号 GM 付き、Canonも高性能レンズの代名詞でもある「L」シリーズとするなど、いずれも開放 F1.8 の純正レンズは言わば群雄割拠。一眼レフ時代に Art シリーズで同じく F1.8 を投入していた SIGMA は、なんとミラーレス用として世界最高の明るさとなる F1.4 モデルへと刷新しています。サードパーティー製で言えば、開放 F2 のマニュアルフォーカスながら Zeiss の Otus の存在も忘れてはいけないでしょう。今後は、ミラーレス化が始動した Otus ML シリーズとしての投入も期待できるかもしれません。

 さらに注目しなければならないのは、本レンズを始めとした海外メーカーの参入ではないでしょうか。お隣り韓国の Lk SAMYANG が SAMYANG (カナ表記:サムヤン)ブランドで展開、日本国内では2013年頃からケンコー・トキナーが販売を開始したレンズ群は、当初はマイクロフォーサーズや一眼レフのキヤノンEF・ニコンFといったマウントに対応したマニュアルフォーカスレンズの拡販が中心だったと記憶します。魚眼や超広角レンズなど、カメラメーカーが純正品でカバーしない焦点距離のレンズや、大口径単焦点レンズなどを廉価販売する手法で徐々に認知度を上げて行きましたが、現在では SONY-E マウントを筆頭にミラーレスに対応した AF レンズを次々とリリース、本年は国内の見本市 CP+ でドイツの伝統的光学メーカー Schneider-Kreuznach と協業生産したズームレンズを発表するなど、精力的な活動に注目が集まります。

 国内カメラメーカー渾身の製品がひしめく大口径135mm の戦場へ送り込まれた本レンズは、絞り解放下でも揺るがないコントラストや強烈な解像度、さらには俊敏なフォーカススピードを発揮するカメラメーカー純正レンズと比較すれば、ややおとなしい性能ながらも必要十分な結像性能を誇り、癖が少なく柔らかなボケ味や口径食対策は被写体・シチュエーションを選ばない良好なもので、69cm の最短撮影距離は焦点距離を考えれば十二分な撮影倍率を誇ります。何より、純正品からすれば7割程度となる重量は取り回しの自由度を上げ、価格に至っては1/2~1/3となるなど驚愕のコストパフォーマンスを見せつけます。全体的に樹脂を多用したややチープな外観ではありますが、控えめながらも「L」レンズを彷彿とさせる赤色リングが装飾される心憎い演出も。Viltrox や 7Artisan と言った中国のメーカーからも次々と同様の新製品が発表される今となっては、135mm大口径レンズの市場は「鍔迫り合い」どころではなく、光学戦線の最前線となっていると言っても過言ではないでしょう。

 

 

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大口径望遠レンズの場合は状況にかかわらず大きなボケが発生するため、個人的には癖の強いボケ方をされるレンズだったりすると、利用が限定されてしまうと感じます。本レンズにはその心配はなく、前ボケ・後ボケが混在する場面でも、とてもスッキリとした描写をしてくれます。口径食の悪影響もあまり感じられず、大きなボケが生み出す立体感を堪能させてくれます。

 

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ボケのエッジも非常に緩やかで、奥行きのある被写体でもボケ像によってそれを邪魔される事はありません。遠近の圧縮感を強く感じ始める焦点距離のレンズですが、淡いトーンも加わってそれぞれの距離感を美しく再現してくれました。

 


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大胆に前ボケを入れてみましたが、こちらもエッジ感は少なくきれいにボケてくれました。前後の美しいボケによって、合焦部が自然に引き立てられるので、ボケ像の処理に困る事は無く大胆なフレーミングが出来るのは有難いですね。

 

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レンズ先端からのぞき込むと、大きな曲率を持った前群ガラスの縁が、まるでアポダイゼーション光学系を採用するレンズの如く暗く着色されたように見える事があります。そういった特殊な光学設計をされているといったアナウンスはされていませんが、柔らかいボケのエッジと控えめな口径食によって形づくられる美しい背景描写はSTFレンズのそれを思い出します。

 

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135mm という焦点距離を考えると、最短撮影距離 69cm はとても優秀な数値。あ、この距離でもイケるのか、というラッキーシチュエーションが案外多いものです。当然被写界深度は激浅になりますがら、画面の殆どをボケ像が占めるといった大口径望遠レンズならではの描写も楽しめます。

 

Dsc078182

2段程絞れば、画面全域が解像度の高い良像域で満たされます。コントラストも上がり、説得力の高い描写となります。絞るのであれば高性能ズームで事足りるのでは?と自問自答したりもしますが、「単焦点レンズ」を使っている、という感覚に浸るのも決して悪くはないものです。所有欲を満たすほどの高いビルドクオリティーを誇る製品ではないのですが、純正の同スペックレンズに比べ非常に軽量に仕上がっている点は、大柄になりがちな望遠レンズではポイントが高いと思います。

 

Dsc078682

日没間近のかなり強烈な斜光線で、逆光耐性を見てみます。さすがにエッジ部には色付いたゴーストの様な物も確認できますが、大きなコントラストの低下や画質的に破綻を感じる部分も無く、総じて好印象。近距離の撮影ですと背景の玉ボケも豪華になり、いかにも大口径レンズって感じがいいですね。

 


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日没にはまだ間がありましたが、周辺を山に囲まれた高原では早々に直射日光が届かなくなり、柔らかい天空光によって照らされた一輪のバラに目が留まります。本レンズは開放では解像力が少しだけ落ちる印象(それでも必要十分ですヨ)がありますが、花びらの柔らかな質感を表現するのには、むしろ好都合。積極的に絞りを開けて使いたいと思う瞬間も少なくはないのです。

 

 

AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED

P4250103

 

 

 mm(ミリメートル)で表記される事の多い写真レンズの焦点距離ですが、レンズの特性を把握する為の重要な指標の一つであるため、明るさを示す解放 F 値(もしくは T 値)と共に、恐らくほぼ全てのレンズに記載がされているのではないかと思います。フイルム時代には、35mmフイルム(135規格)を利用し24×36mmの元画像を得る通称「ライカ判」すなわち「35mm(フル)サイズ」と呼ばれる規格が広く一般に浸透したため、(すでに、焦点距離・フイルム幅・画面寸と3種の「mm」が表記されてややこしい・・・・・) 多くの方が基本的に焦点距離から画角を判断してしまう習慣に知らず知らず慣らされていたのだろうと思います。結果、本来「画角」を表す数値ではなかった焦点距離が、「○○○mmの画角」といった表記で利用される事が一般化してしまった歴史が存在します。

 この「焦点距離が画角を代弁してしまっていた歴史」は、数々のサイズや縦横比率を有するセンサーがカメラの撮像素子として利用・普及するデジタルカメラの時代となった事で、同じ焦点距離のレンズであっても、センサーサイズ・比率が変われば画角が変化するという事実をフルサイズに換算して常に伝える必要性を発生させました。例えば35mmという焦点距離のレンズであれば、その画角はフルサイズセンサーで利用する際は広角レンズ(35mm)、APS-Cサイズセンサーであれば標準レンズ(換算50mm)、フォーサーズセンサーサイズであれば中望遠レンズ(換算70mm)といった具合です。当方のブログでも時折そういった但し書きを利用しているのはこういった背景が存在しているからなのです。加えて、焦点距離や画角への意識を持たずに扱える撮影機材=スマートフォンを誰しもが利用するようになった事で、この紛らわしい状況が「焦点距離」と「画角」に関してのあらぬ誤解や、時には誤った情報が流布されてしまう原因にもなってしまいました。

 「焦点距離」に留まらず、カメラや写真の用語に全く触れて来なかった世代のお客様が、突如フイルム一眼レフを所望する、そんな時代でもあります。時にその接客は「ひのきのぼう」と「ぬののふく」でロンダルキアの洞窟に挑むような心境に陥る事だってあります。若いお客様から「撮影済みフイルムからのデジタルデータ作成」の依頼を受け、「現像代+CD書き込み代」の費用を説明すると「データだけ欲しいので、現像は不要です。(キリッ!)」(本人に全く悪気はない)と言われる事もあったと同業者から耳にすれば、写真術の祖、ダゲールやニエプスはいったいどんな心持ちになるのだろうと、余計な心配もしてしまうというものです。

 さて、一通りの戯言を吐き出し終えたところで本題に入りましょう。本レンズが冠する105mmという焦点距離は、ズームレンズや大判用レンズ、引き伸ばし用レンズを見ると、メーカー問わず目にする機会がありますが、単焦点レンズとなるとカメラメーカーではNikon製品以外ではめっきり遭遇率が下がる不思議な現象があります。例えば、24-105mm のズームレンズをラインナップする Canon や SONY も単焦点レンズでは 105mm ではなく 100mm が採用されているのです。いまさらながらグーグル先生に相談したところ、焦点距離は数値としての区切りよりも、画角変化率に従う方が理にかなっているという Nikon のレジェンド設計者の見解が「社の伝統」となって、100mm ではなく 105mmを採用、それが最新のミラーレス用 NIKKOR Z MC 105mm f/2.8 VR S になってもしっかりと受け継がれているのだそうです。(マクロレンズを Micro-Nikkor <マイクロニッコール>と表記した方の伝統は受け継がれなかったみたいですが・・・。)加えるなら、本レンズも当初は Nikon 100周年を記念した 100mm が設計の出発点だったようですが、伝統を重んじて 105mm になったというエピソードもあるそうで、改めて Nikon と言う会社の神髄に触れたような気持ちがしました。(実際の100周年記念モデルには、特別外装を施された大三元レンズとD5・D500が登場)

 そんな Nikon の 105mmには、マニュアルフォーカス時代に伝統を紡いできた 105mm F2.5、同クラスでは当時匹敵する明るさのレンズが他社に存在しなかった 105mm F1.8、そして Micro-Nikkor に 105mm f2.8 が存在しましたが、変わり種として、特殊フィルターを併用することで紫外線領域の撮影を可能とした UV Nikkor 105mm F4.5 と言ったレンズも存在していました。学術や研究用途の他、警察鑑識や美術品鑑定などに用いられる超がつく特殊レンズですが、こういったレンズの生産を行っていた事も、同社が元々は国の軍需に応えるえる為に設立された会社であったことが影響しているのでしょう。オートフォーカス時代となり Micro-Nikkor は順当にAF化を受けましたが、ついに F2.5 のモデルは終売となり、F1.8と統合されたような恰好で、AF DC-Nikkor 105mm F2D が登場しました。この DC-Nikkor は球面収差の補正を任意に調整することで描写(主に非合焦部)をコントロールし、状況によってはソフトフォーカスレンズにもなると言う少々実験的な製品でした。このように、過去様々なレンズが存在したことも、105mm の伝統をより鮮やかに彩っていいると言えるのかもしれません。

 デジタル時代となって、多くのレンズが駆動モーターを内蔵した AF-S シリーズへ置き換えられますが、AF-S Micro-Nikkor 105mm F2.8G VR の登場以降、105mm には新製品が登場しない沈黙の時間が流れます。それを破るのは2016年発売の本レンズとなる訳ですが、105mm 初の開放 F1.4 の実現、電気駆動による絞り羽根を搭載する完全電子マウント化を果たし、且つ同社が提唱する「三次元的ハイファイ」による設計を施された華々しい登場となりました。後に登場する同スペックレンズ SIGMA のボケマスターこと 105mm F1.4 DG HSM|Art の化け物じみた外観から比べれば大人しいものの、レンズ正面から除くと口径 82mmの鏡筒縁ギリギリまでレンズエレメントが存在し、巨大なガラスの塊を手にしているような感覚があります。後端を見れば、発表当時としては口径の大きかったはずの F マウントが、相対的に非常に小さく感じます。アダプターFTZを併用し軽量な Z5Ⅱ に装着すると重心は完全にレンズ側へと移るため、撮影中はこの 1.5kg超のダンベルで左手の筋トレを強要されることになります。

 レンズ群の本格的なミラーレス化への対応が進む中、F マウントレンズのラインナップは徐々に縮小される未来が容易に想像されます。135mm Plena の存在が光る中、本レンズの Zマウント化に大きな期待は出来ないでしょう。SIGMA の F1.4 が生産完了となった今、孤高の存在となった本レンズも、新品を入手できる期間は今後それほど長くはないのかもしれません。

 

 

Dsc_4951

ボケ「味」と言った曖昧な表現は、本レンズのアウトフォーカス部には安易に使わない方が良いのかもしれません。開放から四隅まで形を崩すことなく解像感だけを緩やかに失ってゆくボケ像。135mm Plena の使用時にも感じた、膨大な枚数のレイヤーを統合したような画像の密度感の正体には、ひょっとして「三次元的ハイファイ」の設計思想も内包されているのでしょうか。

 

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写真画像と言うよりむしろ、脳内の電気信号をそのまま取り出して画像化したかの印象を受けます。質感ではなく、完全なモノとしての存在感が圧倒的情報量で画面上に再生されます。開放での近距離描写、合焦部の面積はわずかですが、非合焦部との調和がとても素直なことが、こういった感想を抱く事に繋がるのでしょう。

 

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最短撮影距離は 1m 。新しい設計のレンズとしては意外なほどに長めな数値と言えます。もちろん、機構的にはさらに接近して撮影することは可能だと思いますが、設計者が目論んだ描写を担保できるのがきっとこの数値なのでしょう。もっとも、Micro-Nikkor の 105mm にはVR機構も搭載されていますから、接写なら素直にそちらを使うのが正解ですね。

 

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近隣の公園に展示されているSLの動輪部分は、展示物として「美しく」見える様な塗装を施されていました。本レンズによってあまりにもリアルに記録された事で、むしろそのチープさの方が際立つという結果に。もう人や物を運ぶために動くことは決してないのだと言う悲しい事実までもが克明に記録されてしまいました。

 

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被写体が少々暗くてわかりにくいですが、合焦部である標識付近から後方へ離れるに従い、少しずつボケて行く様子を確かめてみます。金属製の柵や細かな枝など、醜いボケに感じることもある被写体も自然に描かれます。硬質の金属パイプや芽吹いて間もない若枝の葉の柔らかさといった素材の違いも、とても良く伝わってきます。

 

Dsc_3800
解放ですと、バストアップ程に接近すると被写界深度はごくごく薄い面となります。しかしながら、前後のボケた空間があまりに自然に描写されるため、不思議とそこまで大きくボケているという印象はありません。合焦部の解像度には微塵の不安もなく、より高画素のカメラに持ち替えたかのような切れ味の良い描写を併せ持つのも本レンズの特徴。紛れもなくこのレンズ以外では手に入れられない映像が存在しています。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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