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MINOLTA AF APO TELE MACRO 200mm F4G

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 スマートフォンに搭載されたカメラ機能が著しい進化を遂げた現在では、あえてカメラを単独で購入しないという方も結構な割合で存在していると思いますし、そもそも単独機能のカメラが必要なのか、といった様な議論も度々発生します。勿論、スマートフォンには「薄さ」「重さ」「大きさ」等の物理的な縛りがありますから、全てのカメラを不要と考えてしまう事には、まだまだ議論の余地が相当に残されているのが現状と言えるのでしょう。もっとも、スマートフォンに搭載されるカメラの進歩は、レンズやセンサーの進化以上に、画像生成に関わるソフトウェア部分での変革に因る部分が多く、画面上での見栄えを良くする為の画像修正やボケの生成、被写体の変形や不要物の除去などを半ば自動で行う事が当たり前となった昨今、その映像を「写真」と呼ぶことへの議論もあって然りでしょう。各収差を始めとしたレンズの物理的欠点を補う、いわゆるデジタル補正の恩恵をいまさら否定するつもりもない私などは、ダブルスタンダードとも思われかねませんが、写真へのデジタル技術の関与については、自分なりのポリシーを常に確認、アップデートする必要があるとは感じています。(他人からすればどうでも良いことなんでしょうが・・・・・)ともあれスマートフォンの爆発的な普及によって、いわゆるコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)に関しては、多くのメーカーで販売終了や販売規模の縮小をせざるを得なかった事実は揺るがないのですから、あえてコストをかけてまで、単独の「カメラ」を手にして行う「撮影」という行為が可能な今は、それを存分に楽しんでいたいと只々思うのです。

 さて望遠撮影は、レンズの「長さ」という物理的な特性が現状では不可欠となりますから、スマートフォンに比較して単体としてのカメラ、とりわけレンズ交換式カメラのアドバンテージが光る場面です。一般的に望遠レンズは遠方の被写体をより大きく写す事を目的として利用されますが、反面、最短撮影距離は長く被写体への接近は難しくなってしまうのが通例です。最新のレンズでは随分と最短撮影距離も短くなってはいますが、それでも2~ 300mm 程度の望遠レンズでは 1.5mから 2m 程度、600mm や 800mm の超望遠レンズともなれば、4m から 5m 前後が一般的なスペックとなります。

 ですがそんな望遠レンズの中に、本来不得手な「接写」という目的を与えられた異端児、「望遠マクロ」レンズが存在します。「望遠マクロ」と言うと、焦点距離 90mm や 100mm の「中望遠マクロ」を思い起こす事が多いのですが、本項で取り上げるのはさらに長い焦点距離を持ったマクロレンズになります。現在ミラーレス一眼用の交換レンズ拡充を続けるカメラメーカー各社ですが、2026年現在該当スペックの現行品としては唯一 OMDS より発売される 90mm F3.5 MACRO(フルサイズ換算180mm)の一本のみ。撮影倍率1/2のハーフマクロまで加えて SONY FE 70-200mm F4 GⅡがやっと候補に挙がるだけという寂しい状況です。フイルム時代には 180mm や 200mm のマクロレンズがカメラメーカー・サードパーティーの多くからリリースされていた事を考えると、現在はあまり需要が見込まれないレンズになってしまったのかもしれません。しかしながら、ライフワーク的に植物の撮影をしている筆者からすれば、浅い被写界深度、長く取れるワーキングディスタンス、強めに現れる圧縮効果など、作画に生かせる特徴てんこ盛りの 200mm マクロは是非とも手に入れたい一本と感じています。フルサイズミラーレスの Nikon Z5Ⅱを入手した今となっては、Zマウントでの Micro-Nikkor 200mm 再臨を期待しているのです。(めっちゃ高くて買えない予感しかないですが)

 フイルムカメラ晩年にMINOLTA AF一眼レフ用にリリースされた本レンズは、20万円を超える定価とその特殊性も相まって販売本数は決して多くは無かったのか、結果現在中古市場で安価に取引される事が多いMINOLTA-Aマウントのレンズ中では、比較的高値で取引される珍品に。今後、近似スペックのレンズがSONY-FEマウントでリリースされれば話は変わるのでしょうが、光学系を含め状態の良い中古品を探すのは案外骨が折れるのが現状です。マウントアダプター併用前提ながら、幾分か入手性の良いAF Micro-Nikkor 200mm F4 (公言されてはいないでしょうが、公表データから察するに恐らく同一光学系)を狙ってみるのも面白いかもしれません。(と言うか、試写・比較する気満々)AF性能の向上した現在のフルサイズミラーレス専用の200mm マクロ、Art シリーズでいかがでしょう、SIGMAさん?

 

 

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200mmともなると、F4 の絞りでもご覧の様な大きなボケを造ります。グラーデ―ションと化した背景はまるでスタジオ撮影をしたかの様な雰囲気を醸し出します。恐れ多いですが花写真の大家、故・秋山庄太郎先生の作風を思い出してしまいました。フイルム時代から存在しているレンズですが、APO の名は伊達ではなくエッジへの色付きもほとんど感じないスッキリとした映像。開放から中心部の解像は文句の付け処は無く、丁寧なコントラストの出し方、線の細い優しい描写が持ち味の様です。

 

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平面的に被写体を切り取れば画面周辺まで破綻を見せず、遠近感の圧縮を伴った重厚なイメージを見せます。枯れた古木を抱え守るように新しい外皮が覆っています。声を出したり、自ら移動したりする事の無い植物ですが、こういった個体を目にする度、確かに「生物」なのだと教えられるような気がします。 

 

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細い枝が幾度も折れ曲がり高い密度で存在する「梅」は、背景の処理に手間取る事が多く、個人的には苦手とする被写体なのですが、200mm の浅い被写界深度と狭い画角を武器にすれば、ご覧の通り。薄日の差す曇天下、柔らかいトーンを上手く表現してくれました。元画像は拡大すれば雄しべに付いた花粉の粒まで解像する高性能。対する柔らかなボケとの協調も見事です。

 

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最短撮影距離は50cm と、まるで標準レンズの様な数値。レンズ先端からは約 25cm ですから、フードを取り付ければ被写体スレスレ。長いレンズを取り付けて被写体に肉薄する様は、あたかも変質者のソレですが、本来はワーキングディスタンスを稼いで、離れてた位置から昆虫などを撮影するのが持ち味なのでしょう。それにしても、高い解像感と柔らかなボケが同居する美しい映像にうっとりします。

 

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公園の水遊び場に取り付けられたスプリンクラー。前後のボケの様子を確認するのに好適な被写体となりました。均質で乱れも少なく、合焦部をとても良く引き出しています。開放から安定描写で、「絞り」が単純に明るさのコントロールをする為だけに存在していると言って良いでしょう。Aマウントレンズの為、AF・絞りの作動音はやや耳障りですが、コントラストのはっきりした被写体相手だと AF も非常に俊敏な動作をしてくれます。

 

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線の細い高精細な描写は遠距離の被写体を撮影しても健在です。和風造形が施されたランプシェードの細かな細工を鮮明に映し出し、且つ背景のボケ具合もとても好ましく感じます。一般望遠レンズとしてのポテンシャルも高く、遠景スナップもそつなくこなす頼もしい一本だと感じました。

 

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50mm や 100mm であれば、窮屈な姿勢で被写体に肉薄しなければならない状況ですが、ある程度離れた場所から被写体を狙えるので、最近体の硬くなってきた初老の筆者には、多少の重さを我慢してでも手に入れる価値は高いと思えてしまいました。開放絞りは F4 と控えめでシャッタースピード的に厳しい状況でしたが、内蔵手振れ補正が強力な武器となりました。
 

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地面に気になる被写体を見つけた際、通常のレンズではしゃがみ込む必要がありますが、機材を入れたカメラバックを背負った状況では、これがなかなか重労働。ところが200mmマクロでは、立ったままの姿勢で撮影ができ、地味に嬉しかったのと同時に自身の体力の衰えを感じて少し寂しくもなったりしました。この被写体の様に、美しく枯れて行けたら本望ですね。

 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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