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2022年1月

Lumix G X VARIO 35-100mm/F2.8 II

 いつの頃からでしょうか、f2.8という比較的明るい解放値で設計され、広角域・標準域・望遠域それぞれの画角を持つ3本のズームレンズを巷では「大三元」という麻雀の役になぞらえて呼んでいます。中でも望遠域を担当するフルサイズ換算で70-200ミリ相当の画角を持つレンズは、ポートレート・スポーツ・鉄道・風景など、対応する被写体も多いため人気が高く、メーカー渾身の高性能レンズがひしめき合っています。大口径レンズ故の大型フードや三脚座、メーカーによっては白色の外装が用意されるなど、そのスペシャル感も高くなっていることから、入門者にはいつかは手に入れたい憧れの機材、ベテラン勢からすれば一種のステータスシンボルとして、レンズ界のスーパースター的存在となっています。

 さて、パナソニックからリリースされる本レンズは、35-100ミリという、フイルム時代の標準ズームレンズのような焦点距離で、前述の大三元望遠ズームに相当する画角域を担当しています。小型センサー機を利用する最大のメリットが機材全体の小型軽量化にあることは、幾度となく触れてきましたが、その特徴は本レンズにも顕著に表れています。フルサイズミラーレスであるニコンZシリーズ用のNIKKOR Z 70-200mm f/2.8 VR Sの重量1440グラム・全長220ミリ・フィルター口径77ミリと比べると、本レンズは重量357グラム・全長99.9ミリ・フィルター口径58ミリとその差は明らかで、全長で半分以下、重量に至っては1/3以下というダウンサイジングになります。これにはフルサイズ用では小三元などとも言われている解放f4クラスのレンズであっても到底かないません。フードを付けたままでも上着のポケットに十分収まってくれるので、レンズ交換時のハンドリングも良好で、そのあまりに軽さ故に、カメラバックのサイドポケットに仕舞ったたことを忘れてしまい、何処かに置き忘れてしまったのかと、撮影中に焦った事もあるほどです。以来、撮影中のカメラバックの中では、常時フードを付けたまま保存する癖がついてしまい、小型であるというせっかくの長所を台無しにするという本末転倒な事態を招いています。

 あまりに外観が小柄であることと、小型のペットボトル飲料ほどしかない重量の為、なんだか描写性能も軽く見てしまいがちですが、やはりそこは大三元の一翼、なかなかに侮れない魅力を放ちます。ライバルとして頭に浮かぶのは、オリンパスのMZD40-150/2.8PROとなるでしょうが、強烈なシャープネスは同レンズに譲るとしても、本レンズは独特の雰囲気をまとった個性的な描写をします。もちろん高性能レンズとして、絞り解放から十分なシャープネス発揮してはいますが、前後に広がるやわらかいボケ像が加わることで、とても優しい映像を提供してくれます。カミソリのようなエッジを見せる40-150/2.8PROは、若干ボケ像にも硬さを感じる場面もあって背景処理に気を遣う事もありますが、本レンズ(特にテレ側)ではその心配は無いようです。とりわけ、植物や人物など「柔らかさ」や「しなやかさ」といった質感を求める撮影の場合には、本レンズの方がマッチする事も多いのでしょう。普段は三徳包丁で間に合わせる調理も、時折菜切り包丁を手にすると、その存在意義を確かに感じるかの様に、ライカブランドレンズの中で埋もれてしまいがちなパナソニックレンズの確かな実力を感じる一本です。決してバーゲンプライスとは申しませんが、フルサイズ用の他社レンズと比較すれば十分に「お買い得」な一本。40-150/2.8PROを所有していても、無駄な防湿庫の肥やしとはならないでしょう。

 

 

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湖面に点在するのは、水温む前のヒツジ草の一種でしょうか。凪いだ水面に映った樹の枝に桜が咲いているようです。このレンズの映像を見ていると、なんとなくこちらの気分までほこっりしてくるような気がします。

 

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こういった被写体は本レンズが得意とする所。葉の柔らかさ、含んだ水分の重さが伝わってくるような優しい質感を見事に表現してくれます。

 

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偏見かもしれませんが、なんとなく「日陰」の被写体がマッチする本レンズ。ズームであることは日常の撮影での利便性を上げてくれます。ワイド側の35ミリはフルサイズでいえば中望遠の画角。気になった風景をちょっと切り取るのにとても便利です。

 

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前後のボケはとても柔らかで、質も等しく好感度高め。立体感、空気感を絶妙の塩梅で描き出してくれます。

 

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シャープネスの高さを誇るレンズでは天敵となる事もある「猫じゃらし」のボケ。ガチャガチャとうるさくなって合焦部の邪魔をしてくれる事も多いのですが、見事な「いなし技」。撮影に出かける際は焦点距離が被っていても40-150・35-100の二刀流が理想かもしれません。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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