For M4/3 with Mount Adapter Feed

Leica Summilux M 50mm f1.4 1st

 「写真は何時発明されたのか」という問の答えには諸説あるのですが、研究室レベルの発見ではなく、カメラと感材を含めた体系的な「写真術」として広く発表された「ダゲレオタイプ」を「最初の写真」とする考え方が一般的でしょうか。年表に1839年と記されるダゲールによるこの発明を発端とすると、写真の歴史は2020年の現時点でざっと180年余りという事になります。

 ところで、日本がカメラ製造の大先輩であるドイツのライカ社に先んじて、クイックリターンミラーを搭載した「一眼レフカメラ」の量産に成功し、カメラ王国としての地位を固めるきっかけとなったのが、ざっくりと1960年頃とすると、ミラーを撮影光学系に取り込んだいわゆる「一眼レフ」がカメラの代表を務めたのはここ最近の60年。写真・カメラの歴史からするとおおよそ1/3の時間ということになります。そして近年、ハロゲン化銀の感光性を利用した「銀塩(フイルム)写真」から半導体の光電効果を応用した「デジタル写真」へと写真術が急速に変貌して行く中で、我々は再びカメラからミラーを取り外した「ミラーレス・一眼」を誕生させました。無論しばらくはクイックリターンミラーを用いたデジタル一眼レフも生産されるでしょうが、主流が「ミラーレス」へとシフトして行くことに疑う余地はないでしょう。現在、旧来のカメラを「フイルムカメラ」と呼んでいるがごとく、「一眼レフカメラ」に別の呼称が与えられる日が来るのかもしれません。

 いわゆる「写真愛好家」の中ではかなり早い段階からミラーレスユーザーとなっていた私ですが、購入に至った大きな理由の一つにマウントアダプターを介してM型ライカ用のレンズで撮影が出来た事が挙げられます。機構上短いフランジバックでの設計が可能なミラーレス一眼は、アダプターを挿入する物理的余裕に恵まれており、これまでアダプター併用が難しかったライカを代表とするレンジファインダー機(そもそもミラーを持たないショートフランジバック機なので)のレンズが簡単に使用できるようになったのです。今でこそアダプター併用による世代やメーカーを跨いだ撮影は当たり前となりましたが、以降、レンジファインダー用ライカレンズの中古相場が跳ね上がったのも、同じ結論に達した同朋がいかに多かったかを物語っています。

 さて、本題に入りましょう。入手した個体はシリアルから判断するに、それまで長きに渡りハイスピード標準レンズを務めたSummaritからバトンを受け継いだ、初期のSummiluxとなります。Summaritはテイラー&ホブソン社特許・シュナイダー製のXenonを祖としますから、ちょっとヲタク的視点から見れば、最初のライカ純血ハイスピード標準レンズという事になりましょう。マイナーチェンジで光学系に「空気レンズ」の理論を取り入れ描写性能の向上を図る前のモデルですから、現代まで続く50ミリSummiluxの原点という事になります。解放時は画面全体のコントラストが低く、やや硬さと癖の残る後ろボケなどオールドハイスピードレンズらしい特徴をもっていますが、それを補って余りある画面中央部の解像度の高さは目を見張るほどで、それによってフレアをまとった解放描写には独特の品格が漂います。画面中心部を切り取る撮影となるマイクロ4/3機では、実にこのオイシイ部分だけをうまく利用する事が出来ます。そして絞り込めばフレアは消滅し、中心部の解像度はさらに上がって最新のデジタル用レンズに引けをとらないレベルに達します。仕上げの美しい金属外装は「貴婦人」と称えられることもあり、絞りやヘリコイドの操作感も衰えを見せないあたり、往年のライカ製品の作り込みの確かさを実感できます。フイルム時代は総じて優等生な描写特性を持つSummicronに比べやや人気が薄かったSummiluxですが、近年のオールドレンズブームも手伝い、今では倍近い相場で取引がされています。学生時代に買っておけば一儲けできたかも・・・・なんて思っているうちは真のライカユーザーになる日はやってこないのかもしれませんね。

 

 

P1111757_2

ちょっとタイムスリップしたかのような画像に出会えるのがオールドレンズの醍醐味のひとつでしょうか。スマートフォンの高精細・高彩度画像に慣れた若年層にはむしろこれが「新しい写り方」に見えるのかもしれません。淡いコントラスト、ハレーションによる滲み、ややシフトしたカラーバランスなど、被写体とマッチすると独特の世界が広がります。開放の為、盛大なハレーションが確認できますが、中心部の解像度は相当高く、拡大すれば葉脈までしっかり確認できます。

 

P1111948

カラー映像で見られたハレーションは、モノクロ映像ではトーンの柔らかさを醸し出すようです。古い集合住宅は解体を控えてひっそりと佇んでいますが、考えてみますと、撮影したSummilixの方がもっと古くから存在しているのですから、なんとも不思議な感覚です。

 

P1169260

ハイライト重視で露出を切り詰めましたが、案外と眠いトーンになりました。シャドーがバッサリと落ちてしまわないのもこのレンズの特徴でしょうか。凡人には理解ができない不思議な曲面をもった発電用風車のプロペラの「ぬるり」とした質感をうまく出してくれました。f8程度に絞っての撮影ですが、解像感が非常に高く、偶然被写界深度内に写り込んでいる「トンボ」の羽が4枚なのもしっかり判別できました。

 

P1111980

ボケの様子を確認するべく、庭の花壇を撮影。記憶にあったSummiluxのボケのイメージよりは思ったよりも暴れませんでしたが、やはり後ボケはやや癖のある二線ボケ傾向のものとなります。昨今はこういった「ボケ」を好む方たちも少なくないと聞きます。ブームとは不思議なものですね。

 

P1111864

移転後の総合病院の解体風景。絞り込んだ際は画面全域(といってもマイクロ4/3なんですケド)がシャープに結像。歪曲収差もほとんど感じられず設計の優秀さを感じられます。防音シートに印刷された「防音」の文字もくっきりと確認できます。

 

Nikon Ai Nikkor 50mm f1.4

 手持ちレンズの最古参になるのが、このAi Nikkorの50mm。と言いましても本来の所有者は父なのですから、「手持ち」という形容も誤りということになるのでしょう。私が幼少時代に父が奮発・・・したかどうかは定かではありませんが、Nikon FEのボディーとともに購入してきたのが本レンズです。以来、当時趣味だった鉄道の駅撮り写真の撮影に欠かせない相棒となり、高校時代にはテレコンを併用したポートレート用の中望遠レンズとしても随分と活躍しました。また、クラスメイトを撮影したモノクロ写真で当時開催されていた「GEKKOフォトコンテスト 」に入賞するなど、思い出にも事欠かないレンズとなっています。

 しかし、大学に入ってからは家財を持ち出すうしろめたさ(?)もあって、後継のAi-sタイプをバイト代にて別途購入。その後はコンタックスへとメイン機材を変更したため本レンズを使用する機会は殆どなくなってしまいました。そして時が過ぎ、デジタルカメラがメイン機材となってからも既に15年という時間が流れ、あえて持ち出す機会も少ないまますっかり防湿庫の留守番をまかせっきりにして今日に至ります。

 何をもって「オールド」という称号を与えるかは議論の余地を残しますが、昨今ではフイルム時代に生産されていたレンズは大概「オールドレンズ」と呼ばれています。自分の半生以上を共に過ごしてきたレンズが年寄り呼ばわりされることに少々イラつきを覚えてしまうのですが、出番をすっかり減らしてしまった張本人のダブルススタンダードっぷりに呆れたりもしています。そんな私でさえ「お兄さん」と呼ばれなくなって久しいのですから、年を取ったことに恨み節を吐くのではなく、重ねた齢に誇りを持って「オールド」の称号を受け取れたらどんなにか素晴らしいことでしょう。

 本レンズは内部清掃・グリス交換・ピントリングのゴム交換と三度の修繕を経てこそいますが、非常にクリアな光学系を保ったままの現役バリバリで、私にとって、改めてマニュアルフォーカスレンズの堅牢さとNikonブランドのモノ作りの確かさを裏付ける存在となっています。学生時代はその描写に悪態をついたこともあったり、なかったりなのですが、Super-Takumar同様、デジタルの息吹を与える事で、新たな発見がいくつもありました。恐らくはこの先も「最古参」でありつづけるのでしょう。

 

 

P1168484

1.4の解放では、わずかハイライトに滲みを伴う画質となります。かといってコントラスト全体が極端に下がっているほどではありません。この辺はSuper-Takumar比で考えますと、新しいレンズという事になるのでしょうか。古いAuto-Nikkorだとどんな描写になるのか、興味がででしまいました。

 

P1168409

シミュラクラ現象を利用した装飾でしょうか。農薬散布用の小型自動車に小動物をモチーフにしたかのような髭の装飾がおしゃれです。かなり古いもののようで、背景の自動車の「顔」デザインとの対比も面白いです。フイルムで使用していた時はややボケに硬さを感じて気にしていたのですが、こうして見ると存外素直で良い感じですねぇ。これも1.4解放時の描写です。

 

P1168491

昔の記憶が気になったので、よりボケの質を確認しやすい被写体をチョイス。後ボケはやや硬めで、二線ボケ傾向にあります。前ボケは柔らかい印象でしょうか。被写体によっては目立つかもしれませんが、「目の敵」にするほどでもないでしょうか?うーむ。なんで昔は毛嫌いしたのでしょうか?

 

P1168448

という事で、逆に少しざわついたボケを生かそうと、こんな被写体を撮影。これも解放なのですが、合焦部の解像感はなかなかです。真夏の炎天下の撮影だったのですが、どっしりと落ちたシャドー部と線の太さを感じる「Nikkor」らしい描写に満足満足。こういった被写体、フイルム時代はつきすぎるコントラストに手を焼いて現像方法やプリント調整を試行錯誤したものですが、JPEGの撮って出しでコレですからねぇ。しかも1/32000の電子シャッターを利用していますので、フイルム時代にはできなかった撮影という事になるのでしょう。(あ、テクニカルパンという手もあったか・・・・)

 

P1168457

45センチの最短撮影距離付近。フルサイズ換算で100mm相当の望遠レンズですから、マクロ的な撮影も可能になります。絞りはf5.6あたりですが、立体感を見事に描写。ボケの癖もおとなしくなっていい感じです。なかなかに多才なレンズだなぁ、と正直驚いています。防湿庫からの出動回数、少し増えるかもしれません。

 

P1168518

一枚位はカラーで。画面中央部をトリミングするマイクロ4/3だと、歪曲収差もほぼ皆無と言っていいでしょう。炎天下、芝生の照り返しで画面全体がグリーンにかぶっていますが、そのへん含めて季節感ということであえて無補正で。幼いころ近所の薬局に備え付けてあった有料の遊具、母親にせがんでは断られていた事をちょっと思い出しました。そういえばあの頃からこのレンズは我が家に存在していたのですね。

 

ASAHI PENTAX Super-Takumar 50mm f1.4

 「オールドレンズありますか?」

 中古カメラ店で、にわかに耳にするようになった比較的若いお客様からの要望。あまりに漠然としていますから、「古いレンズでしたら色々とありますが、メーカーや焦点距離はどういった物が希望ですか?」と問いかけると「カメラの事はわからないんですが、こういうの撮れるヤツです」とスマートフォンを取り出します。そこには、インスタグラムやTwitter等のSNSにアップされた、「ちょっと解像力が不足したモノクロの風景」や、「激しく口径食を伴い渦を巻いたような見苦しいボケとともに写されたアンニュイな表情の少女のポートレート」、また「カラーバランスが著しく狂い、加えて粒子感がやたら際立ったセルフィー」(個人の感想です)などが並んでいます。

 デジタル技術の驚異的な進歩により、昨今では映像を高い精度で正確に記録する事ができる機器を誰もが当たり前に手にするようになりましたが、どうやら反面「正確に写る」事よりも「写り過ぎない」独特の個性を持った描写に惹きつけられる写真ファンが誕生しているようなのです。検索サイトに調べたい語句を入力すれば、たちまちに正しい答えが手に入る時代だからこそ、彼らには「曖昧な結果」や、「読み切れない行間」、「予想と違う反応」、そういった物が新鮮で魅力的であり、むしろそこに真のリアリティーを感じているのかもしれません。

 一方で、ミラーレス一眼の普及により、近年はマウントアダプターを介してフイルム時代の膨大なレンズが簡単に楽しめるようになりました。そして、上記のような理由が全てとは言えませんが、現代のレンズに比べ、その描写に独特の個性を持つ個体が少なくないオールドレンズは「独自の映像表現」を求める層に爆発的に広まっていったのです。中でも国産オールドレンズの雄、PENTAX製のスクリューマウント(通称M42マウント)レンズは、販売当時庶民の一眼レフとしてカメラ王国日本の礎を築いた大ヒットカメラの交換レンズであったため、市場に豊富に存在(結果として安価で販売)していた事や、ねじ込むだけの簡単な取り付け方法なので、マウントアダプターも多くの種類が製造されていた事など、「とりあえず試してみる」のに最適な環境が揃っていました。その結果多くのオールドレンズファンの目に留まる事となり、中古カメラ屋視点から見ても「異例」なほどの人気商品となりました。これまでは、光学素材の経年劣化、カビの発生、グリスの劣化などがあれば即「ジャンク品」のレッテルが貼られた「タクマー」の標準レンズが、堂々とネットオークションの花型商材となっているのですから、驚きを隠せません。

 流行だからといって、鼻で笑ってしまえばそれまでです。そのままでは「今の若い者は・・・」といったジェネレーションギャップに埋もれてしまいそうな「オールドレンズ」の魅力とはいったいどんな物なのでしょう。私より少し先輩の「Super-Taumar」の描写、マウントアダプターを介した最新のミラーレスでその実力を拝見して見たいと思います。

 

 

P1044004

マイクロフォーサーズでは35㎜フイルム用の50㎜レンズは、フルサイズ換算で100㎜の中望遠レンズの画角となります。最短撮影距離は45センチですので、これはちょっとしたマクロレンズ。レンズの描写性能は中央部から周辺にかけて低下をするのが一般的ですから、結果として中央部を切り取る使用法となる4/3センサーでは、解放絞りとはいえ十分に解像感の高い描写となります。拡大すると、光沢分部に微妙なハロ見えますが、それがかえって使い古された金属の鈍い輝きを巧みに描いてくれます。

 

P1044007

古いモノはオールドレンズで。正規の役目を終えて久しい電気機関車のナンバープレート。これが実際に走行していたのを撮影したのは自分が小学生の頃。展示館に安置されている姿を再び撮影するようになるとは、何とも不思議な感覚です。f4あたりまで絞ると、前述のハロは消え非常に端正な写りに。もともと性能は高いレンズですから、いわゆるオールドレンズ的ではなくなってしまいますね。

 

P1044044

屋外では、光の強く当たった部分は若干滲みをともなう、いかにもオールドレンズらしい描写に。それでも妙な破綻は無く、歪曲も少ないのは優秀な設計の賜物でしょう。

 

P1044047

初期の「Super-Takumar」には、放射能を持つ元素「トリウム」を含むガラスを使用していた物が存在します。もちろん、人体に影響を及ぼすほどの放射線は出していないとの事ですが、この素材は経年劣化で茶褐色に変質してしまうことが多く、入手した個体もかなり変色したガラスが光学系に存在していました。デジタルカメラではホワイトバランスの調整で影響を押さえ込むこともできますが、あえて日中5500ケルビンに固定して、アンバーに偏った発色を楽しんでみました。何とも言えないノスタルジーを感じる色です。これぞ、オールドレンズ。

 

P1044055

シャープさと柔らかさが同居した素敵な描写ですね。被写体がマッチすれば、代えがたい魅力を放ちます。近年はブームに乗って、これらのレンズは中古相場が高騰しています。かつてどこの中古カメラ店にも必ずと言って存在していたM42のタクマー。今はちょっとしたレアアイテムの仲間入り。まぁ、もう少し時間がたてば・・・・ね。

 

P1044002

同時に入手したマウントアダプターは、ヘリコイドを搭載し、中間リングの仕事もしてくれます。最短45センチをさらに割り込んだ接写ですが、性能の落ちる周辺を使用しないため十分な性能を発揮。やはり、金属部分の独特の光沢がいい味をだしています。劣化したHゴムや木製の窓枠などの質感も、とても味わい深く描写されています。

 

P1044042

電子シャターを使用すると、超高速のシャッタースピードが利用できるため、なんとか屋外でも1.4という解放絞りを堪能することができました。しかし、解放の描写が面白いとやたらと絞りを開ける癖が出てしまいますので、オールドレンズを使うときはNDフィルターが必携ですね。

 

P1043997

初めは、流行に乗ってちょっと作例を・・・なんて簡単に考えていましたが、この描写は捨てがたくなってしまいました。実はPENTAXのレンズで本格的に撮影したのは今回が初めて。もしかしたら、いけない沼に足を入れてしまったのかも。

 

P1110323

ポートレート撮影に持ち出す機会があったので、久々のMFでポートレート。最近はG9の瞳認識に頼った撮影ばかりしていたのでちょっと心配でしたが、そこは昔取ったなんとやらでしょうか、ちゃんとピント合ってました(^^;;解放での微妙なハロが女性の優しい雰囲気をうまく引き立ててくれます。換算100㎜となる点もポートレートにジャストミート(古)でした。

 

P1110536

ややアッパー気味に強めのレフを当て、アンニュイな表情で一枚。一枚一枚ピントを調整しながらの撮影は久々でしたが、適度な間と、オールドレンズならではの独特の柔らかな描写で、非常に心地よい撮影となりました。もちろん、モデルさんの技量に相当助けられましたが・・・

【モデルは地元「エトワールモデルエージェンシィ」所属の「ともか」さんでした】

 

Leica Summar L 50mm f2 Solid(固定鏡筒)

 バルナックライカ用標準レンズSummarは、当時ライバルであったContaxの標準ハイスピードレンズ「ゾナー」に対抗して、ライツ社が開発した初期のハイスピードレンズです。
 Summarといえば、沈胴タイプが一般的ですが、初期製品の一部は沈胴機構を持たない固定鏡筒で、その独特な先太りのシルエットから日本では「ひょっとこズマール」というニックネームで呼ばれています。製造開始からほどなくして沈胴式へと変更されたために、製造本数が少ない固定鏡筒タイプは、最盛期には数十万円の高値で取引をされた事もあるコレクターズアイテムとなっているようです。
 半逆光~逆光では画面全体がフレアで覆われ、常にマイナス側に露出を補正してあげる必要がありますが、比較的優秀なシャープネスによって、画像が破綻してしまう事はありません。日陰に入れば誇張のないコントラストで、被写体の持つ質感をやさしさく伝えてくれます。M4/3フォーマットでの1:1撮影では100㎜相当と、丁度中望遠レン ズの画角となり、ポートレートにベストマッチするかもしれません。
 発達したコンピューターと整備された設計理論、そして優れたガラス素材や工作機械のなかった1930年代の製品に、最新レンズと比較できる物理特性は望む べくもありませんが、設計者のセンスと努力、そして試行錯誤によって生み出されたこのレンズには、ある種の畏敬の念を抱かずにはいられません。
 コレクターズアイテムとなっている固定鏡胴に比べ、多くが市場に溢れる沈胴式Summarで、ちょっとしたタイムスリップを安価に楽しむ。ライカレンズには時代を超えてなお、我々を惹きつける魅力が宿っているようです。
 

 

P1010930

2次大戦よりも前から存在していたことを考えると、手に取っただけで不思議な感覚を覚えます。このレンズは今までどれほど多くの映像を定着させてきたのでしょう。マルチコーティングなど存在しない時代のレンズですので、光源の位置には気を使いますが、時代を感じさせないシャープネスに関心します。

 

P1010937

ヌケの良い現代のレンズと比較すると、どことなく優しく、派手さを抑えた描写をします。古いレンズで撮影された映像は、それ自身がなぜかノスタルジーを感じさせるから不思議ですね。

 

P1010940

日陰で撮影すると、ご覧の通りかなり眠い写りになります。デジタル撮影ですので、仕上がり設定でコントラストを上げてしまえばそれまでですが、あえて無補正で。様々な古いレンズも気軽にアダプター撮影が出来るのはミラーレス機の特権ですが、さすがに固定鏡筒のズマールともなると、「おもちゃ」感覚という訳にはまいりませんね。

 

CONTAX Planar 85mm f1.4 AE-G

 フイルムカメラ時代のレンズを「オールドレンズ」と称して、マウントアダプターを介しデジタル一眼で撮影するスタイルは、ミラーレス登場初期から存在していましたが、フルサイズミラーレス一眼SONY-α7シリーズの登場でそのブームに一気に火が付きました。ミラーレス一眼はその構造上、レンズマウント面からセンサーまでの距離(フランジバック)が短く設計できるために、マウントアダプターを挿入する物理的余裕があり、登場当初からその撮影スタイルが存在していましたが、オリンパス・パナソニック陣営のM4/3フォーマットを始め、ミラーレス機は35ミリフイルムのフルサイズより小型のセンサーを採用した機種ばかりで、マスターレンズの画角を100パーセント利用できる環境はα7の登場までお預けだったからです。2018年後半になり、キヤノン・ニコン・パナソニックといったメーカーからも相次いでフルサイズデジタル一眼が発表になり、このアダプター撮影は一過性のブームではなく、今後は撮影ジャンルとして、確固たる地位を持つものとなるでしょう。

 そんな中で、最も脚光浴びている「オールドレンズ」の一つがヤシカ/コンタックス時代のZeiss製交換レンズです。フイルム時代から数々の名作や伝説を作ってきたそのレンズの描写を、ぜひともデジタルで楽しんでみたいというのは、多くのカメラマンの夢であることでしょう。事実、フイルムカメラボディーの中古相場がほぼ壊滅的状況となる現在も、一部のレンズにはフイルム時代と同じか場合によってはそれ以上の高値を付けるレンズが散見されるのです。本レンズも、フイルム時代から高い人気を誇り、京セラ・コンタックスがカメラ事業から撤退した現在でもZeissを代表する銘レンズとして、常に安定した相場で取引が続けられています。

 Planarといえば、そのレンズが持つ像面の平坦性と画面全体における画質の均一性から「平坦を意味するドイツ語Planを語源に持ち、長きに渡りローライフレックスやハッセルブラッドなどドイツを代表するカメラの標準レンズとしてその人気を不動のものとし、35ミリフイルムを使う日本製コンタックス一眼レフにおいても、「Planar」を使うためにボディーを購入するユーザーが存在するほどの看板レンズとなりました。とりわけ本85㎜は中望遠独特の緩い遠近感の圧縮、浅い被写界深度と適度なボケ量、被写体との絶妙な距離感といった物理的なレンズの特徴と、特有の合焦面の繊細な解像感と絹のベールを纏ったかのような解放付近の独特な描写、前後の溶けるような美しいボケ味から至高の「ポートレートレンズ」として、多くのカメラマンが愛用しました。

 長期に渡る製造のため、製造国・対応撮影モードの違いによって3種のバリエーションが存在する中で、最初期モデルをマウントアダプターを介し、M4/3フォーマットで170㎜相当の画角で試写しました。この括りはあまり好きではありませんが、時代を超えた「オールドレンズ」ならではのその特徴ある描写をご覧ください。

 

 

P1000048_2

実像感を残しながら、なだらかに溶けてゆく後ボケ。プラナー85の最大の特徴です。近代レンズのような切れ味はありませんが、合焦部の解像感も及第点です。

 

P1000092

撮影時は薄曇りでしたが、微妙な色彩の違いを綺麗に描き分けます。AEタイプのバージョンは絞りf2.8付近では羽の形状が風車状になり、条件によってはボケが乱れる原因になりますが、割り切ってその辺りの絞りを使わず、解放で撮影してしまえば問題ナシです。

 

P1000063

お手本のようなプラナーの玉ボケ。高解像度レンズではボケのエッジがもうすこし目立ってくるケースもありますが、絶妙なボケ具合です。

 

P1000068

前ボケは特徴的な滲みを伴う独特の美しいボケ。こんな冒険的な構図もその魔法でモノにしてくれます。余談ですが、85㎜f1.4は、初期のマニュアル露出・絞り優先AEに対応したドイツ製(通称AE-G)、のちプログラムAEなどのマルチモードAEに対応した(MM-G)、製造国を日本へ移した(MM-J)の3タイプ。絞り羽根の形状を改善したMMタイプ(最少絞りf16がグリーンに塗装)のドイツ製が市場では一番人気です。(ただし生産本数も多くはありません)

 

KIYOHARA VK50R 50mm f4.5 SOFT

 マウントアダプターを併用することによって、古今東西・新旧のレンズを使用できるというマイクロ4/3マウントの利点は、初代Panasonic G1が登場した当初から注目されていました。もっとも、焦点距離から判断される画角は、35ミリフルサイズカメラのそれと比較しおよそ2倍となってしまうというデメリットも含んではいますが、それでも現像やフイルムに関わるコストがかからないデジタル撮影では「とりあえず撮ってみる」というスタンスが有効なため、おそらくはカメラメーカーがもくろんだ以上にカメラファンの間で日常化した感があります。

 事実、歴史上名を馳せた名レンズのマウントや最新AFレンズのマウントだけでなく、対応するレンズを探すのがかえって難しいようなマウントのアダプターまで登場し、アダプター市場は大変な賑わいを見せています。それに伴って、フィルムカメラの市場衰退から一時は底値をつけていたレンズに中古市場では思わぬ高値がつけられるような場合もあったりしますから、流行というのは本当におもしろいものです。

 ソフトレンズという特殊性から需要が限定的だった本レンズも、マウントアダプターによって再び人気を取り戻したレンズの一本となるでしょう。ライブビューにより、拡大画像で納得いくまでピント合わせに集中でき、絞り値によって大きく変化する描写もリアルタイムで把握しながら撮影が可能になるなど、フイルム時代では考えられないほどに使い勝手が向上し、100ミリ相当となる画角も本レンズの描写にマッチします。フイルムの撮影では、ソフト効果によってトーンが均一化され粒子が荒れたように感じてしまう事が多かったため、むしろ素粒子効果をねらって高感度フイルムで作品を作っていたのですが、デジタル撮影では粒状感のない美しいソフトフォーカスを堪能させてくれました。

 製造本数が決して多くは無いため、昨今の人気上昇に伴って中古相場が今より上がらないうちに、再び手元に置いておこうかと真剣に悩む一本となりました。

  

 

P1020352

ソフトレンズによる描写は、コントラストが下がってトーンがある程度均一化されるため、フイルムで撮影すると被写体によっては粒状感が目立ってしまいました。ところがデジタル画像ではその影響が無いため、よりシルキーな描写になります。50㎜レンズはマイクロフォーサーズのセンサーではフルサイズで100㎜相当の中望遠の画角になりますので、気になった部分を切り取るスナップレンズに好適です。

 

P1020354

モノクロ画像になると、艶っぽいといいましょうか、瑞々しいといいましょうか、独特の湿度を感じる画像になります。

 

P1020350

被写体は西日が当たり、かなりコントラストの高い状態でしたが、ソフトレンズの効果で軟調な仕上がりになりました。ピント合わせは相変わらず難しいですが、ファインダー像の拡大が簡単なEVFを利用すると、フイルム時代とは比較にならない簡便さに。絞り込んで画像が暗くなる条件でも、自動でゲインを上げてくれますので、明るいファインダー像を見ながら撮影できます。ミラーレスでのアダプター撮影はこんな部分にも恩恵があるのですね。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

PR



  • デル株式会社



    デル株式会社

    ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ

    EIZOロゴ