M.ZUIKO DIGITAL ED 17mm F1.2 PRO

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 「マイクロフォーサーズってボケないって言うじゃないですかぁー」

 初めてカメラを購入するというお客様に、軽く、小さく、比較的懐にも優しいマイクロフォーサーズのカメラを選択肢として提案すると、結構な確率でこう否定されてしまいます。十二分に写りの良いスマートフォンを持ちながらも、あえてカメラを購入したいのだという動機の一つには「ボケを生かしたた写真を撮りたい」という目的がしっかりと存在しているのだという事を改めて強く感じますし、むしろスマホの画像とカメラの画像の決定的な違いは「ボケ」にあると思っている方も相当に多いのでしょう。「ボケないカメラだったらいらない」そういった結論が存在するのもなるほど頷けます。

 この「マイクロフォーサーズ=ボケない」は言葉として分かり易い反面、重要な前提条件や枕詞が隠されている事に、カメラや写真の事を少し勉強すると気が付きます。「ピントを合わせた被写体までの距離が同じであり、且つ同一の画角・絞り値で撮影した場合」が前提であり、「より大型のセンサーを搭載した機種と比べると」という枕詞が続きます。仮に35ミリフルサイズ機で焦点距離50mmのレンズと同じ画角で撮影する為には、マイクロフォーサーズ機では25mmのレンズを用いる事になるのですが、「被写界深度」についての知識があれば、25mmは50mmよりも背景や前景がボケにくい事に気づくはず。(もちろん前述の通り被写体までの距離が同じで、且つ絞りが同じであれば・・・です)

 なるほど「マイクロフォーサーズ=ボケない」は確かに正しい一面を表していますが、それは絶対的な事象ではなく、あくまで大型センサー機との比較による相対値。それがちゃんと伝えられていないが故、初心の方にさえバッサリと切り捨てられてしまうのは、なんだかもったいないなぁと思うのです。被写界深度に関する知識を身に着け、それなりの条件を揃えることができれば、「マイクロフォーサーズもボケる」のだという事を、我々のような販売に従事する者がしっかりと啓蒙していかなければならないなぁ、と改めて反省したりしなかったり・・・・・。

 さて、被写界深度についての理解が進めば、マイクロフォーサーズの様な小型センサー機であっても、ボケを生かした撮影が可能となる条件をいくつか挙げることができるでしょう。「長い焦点距離のレンズ(いわゆる望遠レンズ)を使う」「被写体に近寄る」「ピントを合わせる被写体と背景や前景との距離を離す」そして「絞りを開けて撮影する」事です。前者の3条件は知識として持っていて損はありませんが、撮影条件や被写体の種類によって制限を受けますし、なんと言ってもフレーミングとの兼ね合いで実践できない場面も多いでしょう。結果、実際ボケを活用するには「絞りを開けて撮影する」事になるでしょう。これは解放f値の数字が小さいレンズを利用することでいつでも可能となる有効な手段ですから、小型センサーを採用している機種こそ、ズームレンズよりも明るいf値を持った単焦点レンズを入手することに大きな意味があるとも言えます。少々古い話になりますが、Panasonicが初期のマイクロフォーサーズ機GF1にキットレンズとして20mm f1.7という明るい単焦点レンズを採用していたのは、そういったメッセージも込められていたのでしょう。

 当然、メーカー側もそれを意識しているハズ。OMDS(旧オリンパス)からは、描写性能・防塵防滴性能に力を入れたPROシリーズに属するレンズとして、解放f値を1.2とした17mm・25mm・45mmの3レンズを堂々ラインナップしています。1.4ではなく1.2としているのは、やはりボケへの拘りも相当に大きいのだろうと想像できます。とても興味深かったのは、焦点距離が違うこの3本の基本的な描写傾向がとても似通っている事です。当然画角は大きく違う訳ですが、仕上がった画像から共通の雰囲気が漂ってくるのです。デジタルに特化した新しい性能基準のレンズですから、解放から極めて解像度が高く繊細な描写を見せる反面、その解放では僅かにハロを伴う絶妙な柔らかさを持った優しい写りを見せます。一段絞るだけでこのハロは解消し、透明感の高いスッキリとした描写へ変化。f2.8辺りですでに解像度のピークへ達し回折の影響が出始めるf8辺りまで極上の解像感をともなったキレの良い画像を提供してくれます。肝心のボケ味もエッジ感の少ないとても素直なものとなり好印象です。被写界深度が深くなる17mmは、さすがにボケ自体は控えめになりますが、広角レンズにありがちなエッジが目立つガチャついたボケになる様子も無く率先して絞りを開けられます。

 今回17mmを試用したことで、三兄弟、もとい三つ子のような印象を強く受けた1.2PROの三本。直販価格も全くの同価格(2025年現在税込み176,000円)と、決して安価とはいきませんが、全てを入手する価値もまた相当に大きいモノになるでしょう。冒頭、懐に(比較的)優しいと言った事を既に忘れているような発言ですが、OMDS製品としては、17mm・25mm・45mmのf1.8 (直販合計131,560円)シリーズが1.2PRO 一本分でお釣りも頂けますので、先ずはその辺から「決してボケないわけではないマイクロフォーサーズ」を是非とも体感してみて欲しいのです。

 

 

 

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雨に濡れたクラシックカー。ハロを纏う独特の解放描写が高い湿度の空気と好マッチング。17mmという短い焦点距離なので、本来被写界深度はそれなりの広さ。しかし被写体にしっかりと寄り1.2という絞りを生かす事でボケを伴った一味違うスナップが可能になります。最短撮影距離は20cmと驚異的な数値。寄る事でさらに大きなボケを手に入れる事もできます。

 

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解像度の高いレンズですが、無機質にならず程よい柔らかさを残した品のある描写をします。この辺りの雰囲気や素直なボケ味は25mmや45mmの1.2PROも同様の感想を抱きます。カメラ任せだとオートフォーカスの合焦点が思い通りになりにくい被写体ですが、フォーカスクラッチ機構を内蔵しているので、フォールディングをほぼ変えぬまま瞬時にマニュアルフォーカスへ切り替えが可能なのもシリーズ共通の利点。

 

 

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1.2という解放を実現する為に、15枚ものガラスを組み合わせた非常に凝ったレンズ構成を持つ本レンズですが、前後のボケ方にも差異や癖が感じられないのでその解放描写を多くのシチュエーションで楽しめます。ボカす事にこだわった設計、そんなメッセージさえ受け取れるのです。

 

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歳のせいか、最近はライカ判(24x35)や3:4の長方形フレーミングだと、この画角のレンズは少々広いと思う事が多くなった気がします。1:1にするとしっくりと来るので、17mmをカメラに付けた時は、スクエアフォーマットを多用しがちです。

 

 

  

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1.2PROシリーズは、3本共に解放では少し柔らかめな描写をしますが、17mmにはその傾向がより顕著に表れている気がします。解像度は十分に高いながらも、湿度を伴った様な妖艶な描写です。周辺まで解像感は保たれるので、描写性能が落ちていると言うより、紗や弱いディフューズ系のフィルターを掛けたような印象になります。

 
 
  
 
 

SONY FE 135mm f1.8 GM (SEL135F18GM)

 

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 デジタル一眼レフ市場へ参入する際、一部高級レンズの看板として「Carl-Zeiss」を掲げたSONY。事業引継ぎ元のKonica-MINOLTA時代から、一部の交換レンズには「G」の称号を用いシステム内での差別化を図っていましたが、デジタル一眼レフへの本格参入に合わせてリリースされた数本のレンズには「Zeiss」のブルーバッチが付与されました。参入当初から「高性能」である事を端的にPRする為、不動の評価を持つ「Zeiss」の看板を巧みに利用した恰好ではありますが、京セラのカメラ事業撤退で先行きに黄信号が灯った「Zeiss」の写真用レンズを存分に利用できるシステムが存続したことは、ユーザーサイドからしても大きなメリットとなったはずです。
 
 登場レンズ中、もちろん単焦点レンズに注目しましたが、CONTAX-N シリーズ用で既にAF化を達成していたPlanarの50mm・85mmよりも、知る限り初のオートフォーカスレンズとなったSonnar 135mm f 1.8 ZA への期待が膨らみました。加齢による劣化が進む自身の視力に自信が持てなくなっている事もあって、極薄となる f 1.8 解放時の被写界深度下ではマニュアルでのピント合わせは難航必至。ここは素直に文明の利器に頼るのが最適解だと考えたからなのです。実際同レンズを初めて手に取る事になったのは製造中止後になってしまったのですが、フイルム時代のCONTAX Planar 135mm f 2 やZF.2マウントのAPO-Sonnar 135mm f 2 の試写を行った時と同様、その描写に何とも言えないため息の混じりの感想を抱く事となりました。マウントアダプター併用による試写でこそありますが、ミラーレス一眼のその高いAF精度の恩恵は計り知れないものがあったのです。
 
 さて、その後SONYは他社に先駆けてフルサイズデジタル一眼のミラーレス化へ舵を切り、その際に投入されるレンズにも過去同様にZeiss製レンズのラインナップを展開した訳ですが、Sonnar 135mm f 1.8 ZA はミラーレス用のEマウントレンズとして生まれ変わる事は無く、SONYブランドの本レンズ FE 135mm f1.8 GM にバトンを渡す事となりました。同様に、当初Zeissネームで登場した多くのレンズが、現在SONYブランドへ粛々と置き換えられている様にも見えるのですが、「Gレンズ」や「G Master」レンズを中心としたSONYレンズへの高い評価が定着した事で、「Zeiss」という看板に固執する必要がなくなってきた事を意味しているのかもしれません。(本当の理由は知りませんが・・・・)良い機会ですので「G」や「G Master」そして「Zeiss」について、SONYが語るコンセプトをメーカーサイトから拝借してご案内させて頂くとしましょう。

「Gレンズ」

 ハイレベルな写真表現のために、ソニーの光学技術を結集して設計された「Gレンズ」。レンズ性能を大幅に向上させる高精度な非球面レンズをはじめ、色収差を徹底補正するためのED(特殊低分散)ガラス、なめらかで美しいぼけ味を実現する円形絞り、ゴーストやフレアを限りなく抑えるナノARコーティング技術。さらに、操作性に優れたボディデザインや形状など、使い心地も徹底的に吟味。描写性も信頼性もワンランク上の品質基準を目指した、光学テクノロジーの粋を集めたGレンズの描写性能が、高度な写真表現を可能にします。

「G Master」

 画像処理の高速化とデジタル化により進化を続けるカメラの表現力を最大限に引き出すために開発された「G Master」。諸収差を効果的に補正する超高度非球面XA(extreme aspherical)レンズの採用や、従来よりも高い周波数の性能基準などにより、圧倒的な解像性能を追求。Gレンズでこだわってきたぼけをさらに進化させ、とろけるようにぼけていく理想的なぼけ味を実現。細部まで精緻に捉える解像力と、美しいぼけ味、精度とスピードを兼ね備えたAF性能を高次元で融合させたG Masterが、表現者の創造力をさらなる高みへと誘います。

 「Zeiss」

理想的なレンズ性能を求めてソニーとツァイスが共同開発した高性能レンズが「ツァイスレンズ」。光学性能に徹底的にこだわり設計されたツァイスのレンズは、情感まで描写すると言われ、階調、色再現、透明感、立体感、ぼけ味など、被写体の微細な質感までを再現します。また、光の透過率が極めて高い独自の「 T*(ティースター)コーティング」により、画質低下の原因ともなるフレアやゴーストを最小限に抑え、忠実な色再現とヌケの良い卓越した描写を実現します。

 

 新たに「G Master」となった135mm、標榜する美しいボケと究極的な解像度を引っ提げ、さらにAマウントのSonnarと比較して若干ながら軽量化を達成。ほぼ同一のスペックで存在するSIGMAのArtも加えればまさに三つ巴の競演。もう全部購入して日替わりで持ち出したくなる粒ぞろいですから、防湿庫に並べれば、さしずめ後宮を従えた帝にもなった気分にもなるのでしょう。まずは、買うとしたら何れの一本からか?これも究極の選択を迫られそうです。

 

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合焦面の前後に美しいボケの空間が広がる明るい中望遠レンズ。その圧縮された空気感が、被写体との距離感を絶妙な印象で伝えてくれます。85mmや100mmクラスのいわゆるポートレートレンズとは少し違った表情を捉えてくれるので、どちらか一本とは言わずやはり両方持っておきたくなるのが悲しい性。

 

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後ボケを確認する為にわざわざ悪目立ちしやすい駐車場の白線(文字)をフレーム内に。エッジが目立つと合焦部よりも気になってしまう事もありますが、さすがはGMレンズと言った所でしょうか。被写体の情報を適度に残しつつも嫌なエッジの発生は無く、気兼ねなく大きなボケを生かせそうです。

 

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梅雨時の晴れ間でしたが、初秋を思わせる高原の雲。少しばかり絞り込んで塔(避雷針?)全体が被写界深度内に収まるように一枚。後日、日焼け跡がヒリつくような強い日差しでしたが、きつくなり過ぎないコントラストがとても好印象でした。

 

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大柄なレンズですから市街地で振り回すには躊躇しますが、こんな街角のスナップにはとても重宝します。大きなボケが被写体を浮かび上がらせ、繊細なピント面が主題をキッチリとアピール。何処に向けてもいい映像を捉えてくれるので、メモリーカードの残量がみるみる減って行くのを覚えます。

 

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訪れた日は休業だった古書店の軒先。圧縮されたデータからは分かりずらいですが、本の手触りや紙の匂いまでが思い出せそうなのは、緻密に解像されている証。緩い描写で雰囲気を醸し出すタイプの描写も好みですが、高い解像度によるリアリティーによって、物の存在感が濃密に伝わってくるこういった描写ももちろんアリでしょう。

 

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画面全域にとても高い解像度を誇る本レンズですが、絞り込んでも線が太くならず精細な描写を維持します。ダムという巨大建造物が放つ独特の重量感を望遠レンズの圧縮効果で強調。この地元「八ッ場ダム」は完成まで紆余曲折があり話題の尽きなかった事を思い出しますが、現在は観光地としても人気スポットになっています。

 

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前日の豪雨の為か、放水の迫力が半端ではありませんでした。轟音と飛沫が飛び交う中で1/8000秒のメカシャッターによる撮影です。シャープネスが肝となる被写体は感度を上げる事がためらわれるので、思い切って絞りを開けられるのは大口径レンズならではの武器。解放付近でも高い描写力を発揮するGMレンズですから遠慮なく絞りを開けていけます。

 

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ダムの下流には、景勝地として有名な吾妻渓谷が存在します。ダムの放水によってあまりお目にかかれない水嵩となった渓谷は、独特なエメラルドグリーンの流れに満たされとても幻想的でした。

 

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かつて鉄山のあった地域にある駅の遺構。離れた場所の貨車にピントを合わせ、絞りは解放に設定。遠景の被写体でも合焦部のキレによどみがなく、綺麗に結像しているのは見事です。すこし緩目の解放描写を売りとする大口径レンズも多いですが、本レンズは距離や絞りに関わらず高い結像性能をみせてくれる頼もしいレンズです。

 

 

 

SIGMA 135mm F1.8 DG | Art (SONY-E)

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 交換レンズの主流が「単焦点レンズ」だった時代、35mm一眼レフ用の135mm単焦点レンズは望遠レンズの代表格だったと言えます。まだまだ一眼レフカメラが高嶺(高値)の花だった頃に、手の届きやすい価格展開でベストセラーとなったPENTAX SPシリーズなどは、現在買取品として持ち込まれる際、標準レンズと共に28mm f 3.5・135mm f 3.5 (f 2.5) がセットになっているケースが非常に多い事からもその一端は伺えます。現在のデジタル一眼入門セットで言えば、ダブルズームキットの望遠側を担っていたと言い換える事もできるでしょう。被写体の引き寄せ効果、浅い被写界深度、大きなボケ、遠近感の圧縮といった標準レンズとは違う「望遠レンズらしい」表現効果がしっかりと感じる事ができる135mm。さらに効果の大きな200mmクラスとなれば画角を含めて標準レンズとの差が大き過ぎて被写体を選ぶきらいもありますから、汎用性を考えれば妥当な着地点だったのでしょう。

 総じてフイルム当時のカメラメーカーは、そのレンズラインナップに135mm f2.8 もしくは f3.5スペックのレンズを必ずと言って良いほど加えていましたが、本格的にズームレンズが浸透し始めた頃からは、135mmは35-135mmといった標準ズームレンズのテレ端の焦点距離として我々の眼に触れる事が増えました。一方、70-200mmや100-300mmといった望遠ズームレンズにその焦点距離が内包された事で、その存在感は以前に比べると薄まった印象もありました。やがてオートフォーカス化が進み、カメラメーカー各社から明るさ f 2.8クラスの80-200mmズームレンズがリリースされ始めると、短焦点の135mmは、誰もが購入する普及価格帯のレンズではなく、明るさ f 2 クラスのプレミアムレンズが中心となる、「大口径中望遠レンズ」としての立ち位置を明確化させました。加えて、ソフトフォーカス(Canon EF 135mm f2.8 ソフトフォーカス)やボケにこだわり、主にポートレート撮影に特化したと思われる特殊な肩書を持つレンズ( Nikon Ai AF DC-Nikkor 135mm f2 ・MINOLTA STF 135mm f2.8 [T4.5])が多いのも135mmの特徴となったのです。(上記3レンズは、残念ながら現在は全て製造を終了しています。)

 そしてデジタル化を迎えた現在では、f 2 クラスの135mmは、各社で明るさに磨きをかけた f 1.8 クラスへと進化し、価格も含めたプレミア感はさらに増しています。フルサイズミラーレス用としては、Canon・SONY・Nikon 何れのメーカーも135mmには f 1.8 を展開。特にNikonは「Plena」という固有愛称を与える力の入れようですから、一週回ってメーカーの看板レンズとしての側面を持ち始めたと言っても良いのかもしれません。本レンズもカメラメーカー各社がミラーレス化を果たす以前にSIGMAを代表するArtシリーズの一本としてリリースされたのですが、フィルター口径82mm・全長約140mm・重量約1.2キロ(Sony-Eマウント)という弩級仕様。機材の重さが気になりだした初老の筆者などにとっては弩M級の重量。小型のカメラバックであれば、本レンズを取り付けたカメラ一台で飽和状態になります。残念ながら、ミラーレス専用設計モデルのアナウンスを待たず、現在全マウントの生産が完了しましたが、驚愕の描写性能を保持しつつ小型軽量化の期待できるDG-DNシリーズへの転生を期待しようではありませんか。

 

 

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写り込む被写体全ての情報を望遠レンズ独特の圧縮された遠近感の中に閉じ込めます。繊維の種類毎によって変化する衣類の質感、ハンガーやイーゼルの木目の調子、ファスナーの金属部品の光沢感、素材の持ち味を容赦・遠慮・手抜き無く結像させることで、街角のスナップに極上のリアリティーを生み出します。紛れもなく「良レンズ」。

 

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似た様な被写体が混在する中ですが、合焦部が綺麗に浮かび上がります。ある程度離れた距離からの撮影ですが、135mm の被写界深度の浅さからくる合焦点後ろのボケと本レンズのキレの良さが上手くマッチしました。

 

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生命の神秘ってやつでしょうか。なぜか一本だけが別の方を向くチューリップに、どことなく親近感を覚えるから不思議です。小雨交じりで厳しい条件下でしたが、こういった状況でなければ得られない映像があるのも事実。せっかくの休日が雨天だと気分も滅入りがちですが、強行して撮影に出かけた事でご褒美にあり付けた気分です。

 

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すこしトリッキーな映像です。ウッドデッキにたまった雨水と池の水面、それぞれに対岸の樹木が反射し写り込んでいます。風がほとんどなく水面が凪いでいたためにまるで鏡を覗いているかのような描写になりました。

 

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遠近感が圧縮されたことも手伝い、鎖の重量感が良く伝わってきます。ボケ方の癖が出やすいタイプの被写体であっても上品な描写です。硬すぎず、柔らかすぎずの好印象。これなら存分に開放絞りを堪能できます。

 

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ショッピングモールでウインドーショッピングがてらの撮影。口径82mmとかなり目立つ外観ですから、人込みでの振り回しは神経を使うのではないでしょうか。おそらくは都会だと速攻「不審者」扱い。こんな時は田舎住まいも悪くは無いと思う瞬間です。

 

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繊細な、という表現がが似つかわしい合焦部の描写。しかしながら頼りなさや儚さではなく、凛とした力強さを感じます。こういった小さな被写体を相手にする際、ミラーレス機のAFはとても頼もしく、被写界深度の浅い望遠レンズであっても解放絞りを躊躇なく使えます。
 

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少々悪ふざけ。合焦部の先鋭度が高いから許される映像でしょうか。当たり前ですが、水面の波紋は刻々と変化し、たとえ秒間10コマ以上の連写であっても同一カットは存在しません。20枚ほどのデータからお気に入りをチョイスするのですが、時間を置いてから選択すると、また違ったカットを選んだり・・・・。こういうのもまた写真の楽しみなんですよね。

 

 

 

MINOLTA AF 35mm f1.4(G)

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MINOLTA製Aマウント用の交換レンズは、モデル中盤に多くのレンズがマイナーチェンジ。
モダンな外装と幅広のピントリングを装備しましたが、そのうち一部の高価なモデルは、
結晶塗装風の外観とレンズ先端部へ金帯が施されるなど、特別仕様(G)タイプへ進化しました。
 
 

 フルサイズで焦点距離35mmのレンズは、自身にとっては「標準画角」の感覚があって、過去から現在に渡り好んで利用している事を折に触れてはお伝えしてきました。著名な赤城センセー曰くのこの標準画角論?は年齢に伴って長焦点化する傾向があるのだそうで、年を重ねるごとに、より画角の狭い(年喰って視野が狭くなる、と自虐しておられます)長焦点のレンズに「標準」を感じる様になるとの事。実際自分に当てはめてみても、近頃は50mm、場合によっては85mm辺りの画角がしっくりする事も多かったりするので、なかなかに的を得ているような気もしています。もしかしてフルサイズでの焦点距離数と年齢がリンクしているのでは?なんて思うと、85mmがマッチするタイミングって相当体調悪かったのか?などど過去を振り返ったりもしてしまいます。

 さておき、「迷ったら明るい方」を信条?とする筆者としては、35mmの中ではf1.4 のレンズがお気に入りです。ごく最近は f 1.2 の製品もちらほら出始めていますが、まだまだ個体数も少ないのでここは 買えなかった 気付かなかった事にしておきます。2025年5月の段階でSONY-Eマウント(フルサイズ)に対応する解放 f 1.4 のレンズの話をすると、FE 35mm f1.4 GM・FE 35mm f1.4 ZA が純正の新旧モデル。正式なラインセンス下で製造されている SIGMA製の 35mm f1.4 DG Art とその最新ミラーレス対応版 35mm f1.4 DG DN Art も忘れてはいけません。さらにLA-EA5併用前提でAマウントの製品を含めると、MINOLTA製のAF 35mm f1.4、その後継 AF 35mm f1.4(G)・SONY製へと移行したSAL35F14G・の3本がありますから、なかなかに豪勢なラインナップに。改めてレンズ(B級)グルメにとってのEマウント有用性が浮き彫りになった恰好です。

 そんな数ある 35mm f1.4 ですが、少し前にMINOLTA時代の逸品 AF 35mm f1.4(G)を借用する機会に恵まれましたので、そちらを取り上げてみたいと思います。本レンズのオリジナルは、事実上、世界初のシステムAF一眼レフα7000(当然フイルムです)の登場から約2年後に、35mm f1.4 というスペックとしては、これもまた世界初のオートフォーカス対応レンズとしてお目見えしました。当時、35mmサイズ一眼レフ用の交換レンズとしてSummilux、Nikkor、Distagonなどが35mm f 1.4 マニュアルフォーカスレンズとして君臨する中、MINOLTA製品としてはこれまで f 1.8 止まりだった35mmレンズ待望の一本として披露されたのです。初代製品は研削非球面レンズを導入して光学的性能の向上を謳い、さらに広角レンズでありながらも、ボケ像へ配慮した9枚の絞り羽根による円形絞りを採用するなど、メーカー肝入りの一本でした。その後、他のMINOLTAレンズが新意匠とマニュアルフォーカス時の操作性を向上させる幅広のピントリングを採用した<New>タイプへと切り替えられる中で、本レンズも同様の刷新と非球面レンズの製造法の変更(研削>ガラスモールド)を受け、レンズラインナップ中で特別な一本である証(G)を授けられて誕生したのです。

 時は既にズームレンズが台頭し、高額な広角単焦点レンズにとっては販売数を伸ばすのは難しい状況だったのは想像に難くありません。初代を含めても新品の販売本数はなかなか増えなかったのか、現在でも中古市場への流出は少なく、業界に身を置く自身にしてもそう滅多にお目にかかれないレンズとなりました。SONY製のデジタル一眼レフ用として、各種デジタル補正への自動対応を果たし、コーティングの見直しも図ったとされる最終バージョンの SAL35F14Gに至っては、お恥ずかしい話ながら中古商品を手に取った事が一度も無いという始末。中古相場の大幅な下落という憂き目をみたAマウントレンズ中、現在でもそこそこの価格で取引されるちょっとしたプレミアモデルとなっています。そんなかつての「英雄」(なんて言ったら怒られるか・・・)がいったどんな実力をもっていたのか、狭くなりかけた視野を目いっぱい広げてお伝えしてみようかと思います。

 

 


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開放では、合焦中心部のシャープネスはそこそこ高い感じですが、ハイライト部分を中心にややフレアがかった柔らかい描写が特徴。画面周辺へ向けなだらかに光量・解像度共に落ち込む、いわゆるオールドレンズ然とした描写でしょうか。しかしながら破綻を感じるいやな癖ではなく、作風・作画意図によっては魅力的にも感じるでしょう。当時としては後発のレンズでしたのでその辺りのバランス取りが上手なのかもしれませんね。ちょっぴり樽型の歪曲が残っていますが、最新モデルだと自動で補正されるのか、機会があったら試してみたいですね。

 

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新しいデジタル時代の35mm は f1.4の解放であっても、解放から相当にシャープネスが高く、こういった近代建築では硬質で冷たいイメージを伴って描写さがちですが、本レンズはその描写の緩さから、どこかしら温かみを帯び、コンクリートと言うよりは石造りの地下迷宮を撮影したような雰囲気でとらえてくれます。

 

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にわか雨が止んだ後、戻った日差で濡れたアスファルトに落ちる街灯の影。開放では残存する色収差の影響で、本来グレーな筈のアスファルトに偽色らしきが色づきが見えます。恐らくはデジタル撮影の為により強調された結果なのだと思いますが、前ボケに赤・後ボケにブルーのフリンジが存在するのが、拡大画像からよくわかります。

 

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絞りを5.6以上に絞り込むと、全域にわたってシャープネスが向上して、全体的にカチッとした描写へ変化します。繊細な合焦面というよりは、男性的でどっしりとした印象のピントの結び方です。解放付近の描写とは全く違う印象を受けるのもフイルム時代のハイスピードレンズにはよくある特徴です。

 

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f2~4辺り、少しだけ絞った所が安心して柔らかい描写を楽しめる本レンズの「スイートスポット」といえるでしょうか。雨上がりの湿った空気感が心地よく描写されています。純正アダプターの併用でAFも作動しますが、作動音がせわしないAFより、じっくりとMFでピントを追い込むのがより相応しい使用法なのでは?なんて感じます。

 

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画角の好みとは別に35mmが描く遠近感はとても心地よく、好んで使用する大きな理由です。5.6 くらいの絞りでシャープネスは一気に鋭くなります。周辺光量落ちも改善され、画面全体が隙の無い両像域で満たされます。 

 

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本レンズ、広角レンズとしては美しいボケ像を見せる事で当時高い評価を得ていました。若干の二線ボケは認められますが、ボケ像がガチャガチャとするほどのものでは無く、合焦部前後の広がりも自然。こういった被写体には解放の柔らかい描写が非常にマッチすると感じます。

 

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フイルム時代の撮影感覚が忘れられない(新しい事を覚えない)ので、ホワイトバランスは太陽光に設定する事が殆ど。結果、「電球色」のLEDで照明された展示館では、色温度が低くアンバーに転んだ発色になります。本レンズ解放の柔らかな画質と色調の相乗効果もあって、全体的に優しい雰囲気を演出してくれます。

 

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最短撮影距離は30cm。f 1.4としては頑張っていると評して良いのかと。かなり接近して撮影した一輪挿しは、幾何学模様がデザインされたクロスの上に置かれています。もっと汚らしく歪んだボケ像を想像しましたが、思いのほかまとまりの良い映像になりました。

 

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開放では、短焦点とは言え少し離れたアウトフォーカス部の被写体に適度なボケが発生します。それによって独特の距離感・空気感が生まれてきますので、周囲の状況を取り入れるようなポートレートにも好適なのかもしれません。窓ガラスの格子部に少し揺らいだような特徴的なボケを形成しましたが、それもまた良いアクセントとなってくれました。
 
 
 

SONY FE 90mm f2.8 Macro G OSS (SEL90M28G)

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 車に興味がある方でしたら、トヨタ自動車が販売するGR86(先代名86)はSUBARUが生産するOEMだという事は良く知っておられるのではないでしょうか。分かり易い数字の車名ですから、ナンバープレートをお揃いの「86」番にしている個体にも良くお目にかかりますが、以前に一度だけ「86」ナンバーを付けたSUBARU BR-Zを見かけた事があり、オーナーさんはなかなかにトンチの効いた方だなぁ、と感心したのを覚えています。企業規模・車名の知名度ともに「86」が圧倒的なのでしょうが、なんとなくBR-Zの方を推したくなるのは個人的郷土愛ということでご容赦願えればと。

 カメラやレンズにも当然ながらOEMは存在していますが、販売会社・製造会社ともにその事実を公言する事は一般的には希です。しかしメーカーのホームページや製品のマニュアルで光学系の図面を公表するケースも多い「レンズ」の場合、双方を見比べれば一目瞭然ですからある種「公然の秘密」と言えなくもない場面もあります。少し前の話(と言ってもフイルム時代)になりますが、Leica社の一眼レフRシリーズ用の交換レンズとして発売された Vario-Elmar (バリオエルマー)R 28-70 mm F 3.5-4.5 が、日本のSIGMA製 UC ZOOM 28-70mm F3.5-4.5 のOEMなのではないかと言う噂にカメラファンはざわめきました。それもそのはず、定価20万円弱のLeica高級レンズの中身が、高校生のお年玉でも買えた我らがSIGMAのズームレンズ( 0 が一個消える程度のお値段)だと言うのですから。当時の月間カメラ雑誌にも比較の検証記事が載ったほどで、それによると両者の描写傾向は非常に似通ったものでありつつ、Vario-Elmarの方が、解像度や画面平坦性、収差の小ささなどの点で、より優秀な成績を示したという結論を出していたと記憶しています。勿論これはブランドへの過剰な忖度などではなく、使用する鏡筒の部材や品質、組み立て方法や精度にしっかりとコストをかける事によって、OEM元の設計技術の確かさが証明された事実を意味します。現在のSIGMAの礎を改めて確認できたとも言えるでしょうか。できることなら、過去に同レンズを「バリオシグマー」などと囃し立てていた自分に「黙ってSIGMAの株を買っておけ」と伝言する為のタイムスリップをしたいものだと心底思う今日この頃なのです。

 さて、なぜOEMについてスペースを割いたのかと言いますと、それはフルサイズSONY-Eマウント用の中望遠マクロレンズが 90mmという焦点距離でリリースされているからなのです。ご承知の通り、SONYのカメラ事業の源泉はMINOLTA。デジタル一眼レフのαシリーズをリリースするにあたり、当初MINOLTA ( Konika-MINOLTA ) 時代のレンズ資産の多くを引き継ぎました。当然ながらフイルム時代その性能に高い評価を与えられた100mmのマクロレンズも、型番 SAL100M28として継承されています。ミラーレス一眼αの時代へと移り行く中で、それらレンズ群はミラーレス専用設計の新レンズへと置き換えられることになりますが、中望遠マクロとして SAL100M28 を置き換えたのは SEL90M28G 。すなわち90mmへと焦点距離が変更されたのです。察しの良い諸兄であればピンときたかもしれませんが、この新しい90mmのマクロレンズはひょっとしてTAMRON SP 90mm F 2.8 マクロ(通称タムQ)のOEMではないか?と想像が働いたのです。TAMRONと言えばSIGMAと人気を分かつ老舗交換レンズメーカー。とりわけ90mmのマクロレンズは、フイルム時代からリファインを続け人気を集める同社の看板レンズですし、SONYはTAMRONの大株主でもあるという資本の繋がりもあるので、これはもう文春ばりの特ダネを掴んだ気にもなりましたとさ。まぁ、その得意気分は両社のホームページ上に公開された各々のレンズ構成図によって一瞬で木端微塵になったのですが・・・・。ちなみに本レンズの登場から遅れて、2024年にTAMRONからもミラーレス専用設計のタムQ(Model F072)が発売され、再び「これは!!!」と思わされたのですが、やっぱり違う光学系というオチ。

 こうして、SEL90M28G 出生の秘密はゾーン0漆黒の闇へと葬られた訳ですが、操作性の非常に良い幅広のピントリングと効果の高いレンズ内手振れ補正の搭載を果たした本レンズは、目下愛用中のMINOLTA 100mm マクロが座る椅子を虎視眈々と狙っているのかもしれないのです。(我家の洗濯機さえ壊れなければ・・・・・・)

 

 

Dsc03969

前後のボケの様子が分かるような被写体を選択。やはりマクロレンズはボケが硬いというのは、すっかり過去の常識になりました。前後均質で柔らかなボケ像は良い塩梅で合焦部を引き立て、金属部材の質感、合焦部の先鋭度も文句の付けようがありません。

  

Dsc03763

円形絞りを採用していますので、少し絞った辺りでも玉ボケが多角形になってしまうのが抑制されています。細かなおしべをキッチリと解像し花びらと葉の質感も見事に描き分けた上で、ボケ像の柔らかさも加わる隙の無い描写。世代交代を余儀なくされたMINOLTAの100mmもこれなら後輩に喜んで道を開けた事でしょう。

 

Dsc03987

最近ではマイクロ4/3用の45mm(画角的にはフルサイズの90mm)を使用する事が多かったので少々油断をしていたのですが、90mmともなると被写界深度は結構浅くなります。ピントを送りながら数カット撮影しましたが、フォーカス位置によって得られる映像がかなり変化する為、奥行きのある被写体の場合はどこに合焦させるか慎重に考えないといけません。フルサイズの撮影は、やはり難しいと実感。質感・立体感ともに美しく、SLならではの機能美をしっかり映像化してくれます。

 

Dsc04060

倉庫内に雑然と並べられた機械部品を俯瞰撮影。驚いたことに、オリジナル画像では部品の下に敷かれた新聞紙の文字を読み取る事が出来るほどに解像されています。6000万画素とそれを生かし切るレンズの性能に再度驚かされました。

 Dsc04049

大胆に前ボケを入れました。悪目立ちしやすい小枝ですが嫌な二線ボケにならないところは、さすが「G」レンズと言ったところでしょう。難しい光線状況ですが、すっきりと透明感のある描写です。

 Dsc04008

日陰に入るとカメラは少々不安になるシャッタースピードを表示してきます。こんな時は手振れ補正が本当に助かります。フイルム時代は現像後に三脚使用をためらった自分を呪ったりすることもありましたが、手振れ補正+現地での映像確認によって救われたカットが随分と増えました。そういった面でのストレスはデジタルカメラになってかなり軽減されたと実感しています。

 

Dsc03975

フードの内面に反射した斜光が悪さをしたのか、画面上部がちょっとハレっぽい感じになりました。大型のしっかりとしたフードが付属しますが、状況確認を怠った撮影者の非ですね。ハイコントラスト下の硬質被写体ですが、キレキレのガチガチにならないのは意外です。退役した老齢車両への労りさえも感じるような優しい描写です。ポートレート撮影でも「タムQ」の良き好敵手となるでしょう。
 
 
 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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