SONY FE 50mm F2.8 Macro (SEL50M28)

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 来客者の女性比率が上がっていたり、平均年齢が下がっていると肌で感じることで、中古カメラ店の敷居は以前に比べれば随分と低くなったのかな?という印象を抱いています。インターネット上のフリマサイト・ネットオークションの広まりや、買取り・リユースショップチェーンの相次ぐ出店などもあって、これまで抱かれていた中古品・リユース品などへの抵抗感が随分と和らいだ事と、昭和レトロといった言葉に代表される、若年層を中心とした「古い物」を逆に「新しい物」として捉えるようなムーブ(ブーム?)によって、中古品に新たな価値が見出されていることなども理由になるのでしょう。オールドレンズという言葉が耳に馴染んで随分と経ちましたが、加えてオールドコンデジ、オールドデジイチ等、黎明期・発展途上期のデジタルカメラを指す言葉も頻繁に目にするようになりました。辺境に存在する我が勤務先でさえも、週末ともなれば若いカップルやカメラ女子がM42マウントの交換レンズや200万画素程度の初期コンデジ、フイルムコンパクトカメラといった商品をお求めに結構な頻度でお見えになるのですから、都市部では尚更強く感じられるのだろうと推察されます。

 中古店の暖簾をくぐる理由としては、上記のように「中古でしか入手できないもの」を求める他に現行品を「新品に比べ安価に購入できる」事も挙げられます。近年は転売ビズネスの横行で、品薄商品が「新品よりも高い値段で中古販売される」なんてケースも珍しくはなくなりましたが、程度の差こそあれど、中古品は新品に比べれば安価に販売されるのが一般的と言えます。量販店やネットショップで新品を購入し一眼カメラデビューを果たした若者が、思っていた以上に写真にハマった結果、さらなる交換レンズを安価に購入する為に「中古店」を訪れるといったパターン、これが経験的にきっかけの上位にランクインするのではないかと思っています。もちろん望むレンズは人それぞれなのですが、撮影する被写体によってある程度の傾向も見えてきます。日常スナップ・ポートレート派は「明るい単焦点」、アイドル・コスプレ派は「明るい望遠ズームレンズ」、飛行機・鉄道・野鳥・お子様お孫様運動会派は「超望遠ズームレンズ」、インスタ映えを目指す派は「Super-Takumar」といった具合でしょうか。

 そして、忘れてはいけないのがネイチャーフォト派が希望する「マクロ(接写)レンズ」(本題)なのです。日常の記録用途であればスマートフォンがその殆どを賄ってしまう現在でも、接写の様な特殊な条件となると、まだまだレンズ交換式カメラの存在意義は明確で、肉眼を大きく超える倍率で草花や昆虫などを捉える事ができる「マクロレンズ」は、時代を超えて高い人気を誇る交換レンズだと言えます。今現在はフイルム時代ほど多種多用なレンズが投入されている訳ではありませんが、フルサイズ換算で焦点距離50mm前後の画角を持った「標準マクロ」と100mm前後の「望遠マクロ」の最低2種類は殆どのメーカーから発売されていることからもその人気の高さは窺えます。

 さて、お嫁さんにするなら「快活な幼馴染」か「清楚なお金持ち」かという、某国民的RPG5作目の難題に比べればはるかに簡単なのでしょうが、「標準マクロ」「望遠マクロ」の「どっちを買えばいいのか問題」は、中古カメラ店においての頻発あるある相談と言えます。この質問を受ける際にユーザーの既存システムを確認すると、大抵は標準ズームレンズ1本(望遠域までの高倍率含む)や、標準ズームレンズ+望遠ズームレンズ(F値が明るくないタイプ)のいわゆるダブルズームキットである事が多いので、我々店員からすれば「幼馴染」「望遠マクロ」の方をお勧めするのがセオリーになっています。「望遠マクロ」は高倍率・キット系ズームレンズに比べ F 値が2.8と明るく、キットレンズよりも大きなボケ像を得やすい「単焦点望遠レンズ」としても活用できるため、いわゆるコスパの良い選択肢となるからです。通称タムQ(TAMRON製90mmマクロ)がポートレートマクロなどとも言われる様に、複数の使用目的が存在する事が価格差(標準マクロより望遠マクロの方が購入価格は高くなる)のデメリットを上回っていると考える方が多いのでしょう。また、ワーキングディスタンス(被写体とレンズ先端の距離)が標準マクロ比で長く、接写デビューに勧め易いという点も無視できません。実際の体感でも販売するマクロレンズの7~8割が「望遠マクロ」になるのは、多くの方がそのメリットに納得しているからなのでしょう。それでも、イオナズンは捨て難い。

 逆に考えると本レンズの様な「標準マクロ」の購入には、より明確な理由や強固な意志が介在していると言えるのかもしれません。「望遠マクロ」に比べ、広い画角・極端に浅くならない被写界深度といった物理特性が備わり、それらが必須となる撮影現場も少なからず存在します。昆虫や草花等ある程度の厚みを持った被写体を被写界深度を生かしてぼかさずに撮影する場合や、広い画角を生かして背景を取り入れたフレーミングを用いたいシチュエーションは当然起こり得るでしょう。文献や絵画の複写、標本の撮影といった学術記録用途であれば、これらの特性から「標準マクロ一択」となる場面さえもあるでしょう。そう言えば、過去 モデルスカウト 受験勉強で度々利用していた公立図書館の資料区画の複写台には Nikon F3 が備え付けられていましたが、装着されていたレンズは Micro-Nikkor 55mmだった事を記憶しています。当時は、それほど明るくはない標準画角のレンズにこれといった魅力を感じなかったのですが、今ではあえての「標準マクロ」、なかなかに興味深い一品と思っています。

 さて、SONYが一眼レフ用の Aマウントに用意した標準マクロレンズ AF 50mm F2.8 MACRO は、MINOLTA α 時代から基本設計が踏襲されロングセラーとなりました。フイルム時代には、標準マクロの撮影倍率は1/2倍止まりの物が多い中、等倍撮影まで対応した優等性でした。また解像度を優先した設計の為ボケ味が硬く感じる製品も多いマクロレンズ中、同社の発売する100mm同様に、素直で柔らかめなボケ味を持った稀有な存在であったと記憶しています。ミラーレス FE マウントへの刷新時、等倍撮影を引き継ぎつつ設計変更が行われた本レンズ FE 50mm F2.8 Macro は、高性能レンズの証「G」「G Master」の称号を与えられてはいませんが、非球面レンズ・EDレンズ・円形絞りを採用した意欲作で、鏡筒への撮影倍率表記など手を抜かない実直な作りにも好感が持てます。フィルター径55mmを採用する小型軽量な躯体は、感度が自由に操れる時代の寄れる標準レンズとしても、新たな存在感を光らせる一本に仕上がっているのではないでしょうか。「100mm」ではない方、ではなく「50mm」の指名買い、イイと思います。

 

 

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ある程度の厚みを持った被写体でも、比較的深い被写界深度を持つ50mmであればそのディテール描写を維持したままで接写が可能です。周辺部まで収差の悪影響を感じない端正な映像もマクロレンズの真骨頂と言えます。

 

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少し距離を取ってあげると、背景が広く入って来るのも望遠マクロとの違い。画面構成やボケの様子などを加味したフレーミングを気にする必要がありますが、そういったテクニカルな楽しみも撮影の醍醐味ではないかと。簡単に背景が溶けてくれる望遠マクロの撮影がサボリって訳でもないんですけどね。
 
 

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 標準マクロは本レンズも含め、レンズ一枚目のガラスが鏡筒先端からかなりカメラ側へ引っ込んだ構造(すり鉢とか蟻地獄なんて言われてます)をしている物が多数派。この部分がレンズフードの役割も兼ねてくれますが、最短撮影距離付近での被写体とレンズとの接触を避けるという目的もあるのでしょう。結果、保護フィルターを付けるべきか否か、某国民的RPG5作目の難・・・ry
  

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望遠に比べ、ワーキングディスタンスが短い標準マクロでは、やや不得手となる昆虫の接写。飼育用温室育ちの蝶は多少の来客には慣れているのか、近接での撮影を許してくれました。逆光気味な条件でしたが、濁りの無いクリアな描写を得られました。

 

Dsc_3025竹を割ったようなシャープな合焦部で切った竹を撮影。背景には落ちた小枝や竹の根など、うるさいボケの原因となる被写体が多い為、50mmのボケ量では若干ザワついた印象になります。この辺りは、撮影距離や被写体の大きさによるボケ方の印象を把握しておいた方が良いのかもしれません。

 

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葉の先端が爬虫類のシッポの様なかわいらしい造形をしていたのが目に留まりました。葉脈の一つ一つを克明に描写しつつ、若芽らしい柔らかさも伝わって来る質感描写が好印象。ここまでの接写になると被写界深度もさすがに浅く、ボケ像のクセにはあまり気を使わなくて良さそうですね。

 

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本レンズ、等倍接写もこなすマクロレンズにしてはとても小型軽量。当然遠景の描写も文句はありませんので、文字通りマクロもイケる「標準レンズ」として常用するのもアリでしょう。昨今大型化する傾向が強い標準ズームの代わりに「標準マクロ」、良いんじゃないでしょうか?

 
 
 

SONY FE 35mm F1.4 GM (SEL35F14GM)

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レンズ構成(群-枚):8-12 > 10-14

フィルター口径:72mm > 67mm

絞り羽根枚数:9枚 > 11枚 

最短撮影距離:0.3m > 0.27m(AF時)

重量:630g > 524g

長さ:112mm > 96mm

 

 何の一覧かと申しますと本レンズ FE 35mm F1.4 GM が、先行発売されていた Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA と比べて変更になった主な諸元です。左側が Distagon > 右側が G master の物です。

加えて申し上げるならば、

希望小売価格(税別・2026年時点で併売):164,000円 > 216,000円

といった、価格差も存在しています。

 数値上から判断されるスペック向上分の価格差はもちろん、加えて描写性能向上が見られるかどうかがやはり気になる所。元々220,000円(税別)という価格で販売され、G Master の登場によって実質的には下位機種扱いとしての値下げが行われた Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA の心中を代弁して、とは言いませんが、なんとなくモヤモヤしている自分(@デジタル移行直前までCONTAXやHasselbladで、Zeiss製レンズにはさんざんお世話になった)がここに居るのです。「見せてもらおうか、SONY製 G Master レンズの性能とやらを」と、ツノと赤色が大好きな御仁がおっしゃったとか、おっしゃっていないとか・・・。

 さて、フルサイズにおける35mmという焦点距離のレンズは「広角レンズ」中では、その描写に顕著な癖が存在しない為に「準標準レンズ」のような表記もされたり、「標準レンズ」として考えている事を公表する写真家も存在しています。かく言う私も、モータドライブ付きの Nikon F3 に Ai Nikkorの35mm F2 を装着し通学の友としていた学生時代などは、視覚の延長としてこの画角を好んで、課題制作の多くをこなしていた事を記憶しています。

 単焦点として初めて購入した35mmは、上記のレンズよりもさらに一段明るい Ai Nikkor の35mm F1.4 。当時はポートレート作品のバリエーションを増やす目的で広角レンズの必要性を感じ、できるだけボケが大きくなるレンズを選びたかったのがその購入動機でした。高校生時代にお世話になっていた写真店主に「前玉に少しキズあるから、安くするよ」と見せられた中古の個体をお迎えをしたのですが、現在では「クセ玉の代表格」として語られる事も多い、そのとてもエモい描写(注釈:収差により強烈な個性を発揮する)が後に軽くトラウマとなったのも良い思い出です。目的であった解放絞りの映像は、中心部の解像度は十分ながらもフレア・ハロが競演する軟調ソフト描写で、加えて顕著な二線ボケが背景を乱雑化するじゃじゃ馬っぷりでしたので、乗り手として圧倒的に経験・技量不足であった若かりし筆者などは、幾度となく落馬させられたのです。先人の残した作例や貴重な経験談を簡単に入手する手段の無かったインターネット未発達時代の逸話として「明るい広角レンズには気を付けろ」という家訓とともに、後世まで語り継がれたのです。なんだこれ。

 Nikkor の面目の為に申し上げますが、35mm F1.4 のオリジナルは1971年発売の、押しも押されもしないオールドレンズ。一眼レフ用としては世界初・無二の存在でありました。レフレックスミラーの存在や、Nikon 伝統のフィルター径52mm縛りという足枷の中、コンピューター設計も未発達であり、非球面や低分散ガラスなどが贅沢に使用できない設計環境下で達成されたスペックであることを理解しておかなければなりません。後発となる Leica  SUMMILUX-R や YASHICA/CONTAX 用の Zeiss Distagon のフィルター径は67mm。オートフォーカスに世界で初対応した MINOLTA の非球面レンズ採用 35mm F1.4 でさえ55mm だったのですから、一眼レフ黎明期に設計されたフィルター径52mmの Nikkor 誕生は、さぞかし難産であった事が容易に想像できます。1絞りの明るさの価値が、現在よりも数段は重かったフイルム時代、本レンズにのみ許された撮影ステージは決して少なくはなかったはずであり、多くのマニュアルフォーカスレンズの製造が中止されていく中、本レンズはシリーズ末期までラインナップに残り続けていたという事実もここでしっかりと加えておこうと思うのです。

 さて、Nikkor の発売から40年以上が経ち、SIGMAの Art シリーズ第一弾として登場した35mm F1.4 DG Art(2013) は、これまで持っていた「レンズメーカー」・「35mm F1.4」への個人的イメージを根底から覆し、 歴史上 Art 以前と以降という明確な区切りを感じるほどに衝撃的な描写性能を持っていました。無論デジタル一眼のミラーレス化以降に発売された Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA(2015)、Art 自身のミラーレス対応レンズである 35mm F1.4 DG DN Art(2021) といった高性能レンズ達にも、少なからぬ影響を与えた事でしょう。当然、本レンズ(2021)へも然り。開放絞りから画面全域を満たす繊細な良像域とデジタル補正のアシストを受け丁寧に補正された歪曲・色収差。6000万画素を使い切るであろう高い解像度は、広角レンズである事を完全に忘れさせる極めて滑らかな前後のボケ像によって一層際立ちます。「ええぃ! SONY 製の G Master は化け物か!」と、かの御仁が(以下略)。この値千金ならぬ、差額52,000円以上の働きを心に刻みつつ、なんだか Nikkor と SIGMA Art の紹介記事になってやしないか?との反省と共に、新しい家訓と購入費用の必要性をひしひしと感じているのです。余談ながら、執筆中に訪れたCP+2026の会場では、35mm F1.4 DG DN Art の後継レンズがこっそり置かれていたのは気付かなかった事にしておくとしましょう。

 

 

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前日の夜中に降り始めた雪は早朝には止みましたが、出勤時間にはまだ所々積雪があり、歩道橋の上からは日常とは違う景色が広がり写欲をそそります。開放での描写ですが、自然なボケ、信号機上の雪の質感、重く湿った路面の描写、良い感じです。

 

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ボケの様子をもう少し観察したくて、路地から住宅の隙間を一枚。侵入を防ぐための柵を手前に大きく入れてみましたが、とても自然にボケているのには驚きです。広角レンズのF1.4描写が、これほどまでとは脱帽するしかありませんね。合焦部の地面部分は砂の粒子がしっかり感じられるほど解像されており、G Master の高い実力が感じられます。

 

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昨年に続き、CP+の会場へ赴いて情報収集を。田舎に隠居する身ですから、しばらくぶりの都会のスケール感に圧倒されます。相手が大きい為なのか、近頃持て余し気味に感じる35mmの画角がとてもしっくりと来たのがちょっと新鮮でした。Nikon Z5Ⅱへ装着しての撮影でしたが、オリジナルでは若干残る樽型の収差も、Lighiroomのレンズプロファイルを適用するとご覧の通りスッキリと。絞り込めば遠景まで圧倒的な解像度で記録します。

 

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雑居ビルの隙間に取り残された電気メーターが時代の変遷を物語り、すでに居住者が居ない物件に繋がれた古いタイプのメーターに時間の重さが滲みます。周辺光量落ちを期待つつ、さらに露出をマイナスへシフト、開放であっても周辺まで高い解像力を維持してくれるので、安心して暗い被写体に挑めます。

 

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モノクロームの映像に着色を施したかのような映像になりました。なかなか田舎では道路を真上から見下ろす機会は少ないので、こういった状況に出会うとほぼ無意識にカメラを向けてしまいますねぇ。赤い自動車でも通ってくれたら色彩的に面白くなったんですが、しばらく待っても一向に通らなかったので諦めました・・・。最近試用したどの35/1.4よりも軽い本レンズ。比較的軽量なZ5Ⅱに装着すると、ハンドリングも良く長時間ぶら下げていても苦にならないのはいいですね。

 

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海なし県出身なので、波の音を聞いただけで無暗にテンションが上がってしまいます。そういえば大学生時代(校舎は内陸に存在)に瀬戸内出身の同級生が、時折海を見られない事の禁断症状を訴えては湘南方面に出かけていたのを思い出しました。現在都会に住んでいる娘は、時折山や星空が見えない事に対して禁断症状があるみたいです。ノスタルジーってのは自身に刷り込まれた源風景への禁断症状が引き金になるのかもしれないですね。それにしても開放で、この色ノリは反則ではないでしょうか?

 

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ホテルの外壁(ミラーガラス?)に映った向かいのビルや空模様が、なんとも不思議な都市景観を作り上げていました。雲の流れが速く、写り込む風景が刻々と変化をして行きますので、連写を使って後から映像をチョイス。絞り込めばさらに解像度が上がり、外壁の小さなタイル一枚一枚が克明に描写されます。本当に化け物の様な性能を発揮してくれます。

 

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CP+会場、パシフィコ横浜の二階入り口前。まだ閉場まで時間がありましたが、チョットした偶然なのか通行人が全く居ない瞬間に出会いました。長時間露光やGoogleピクセル加工したかの如く、蒸発したかのように人影がありません。パンフォーカスを得る為、F11まで絞り込んでの撮影。Z5Ⅱは極端な高画素機ではありませんが、手前から奥まで気持ちの良い画質でレンズの高性能を受け止めてくれました。

 

 

 

Voigtlander NOKTON 42.5mm F0.95

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 レンズの明るさが F1.0、もしくはそれ以上に明るい(F値は小さい)レンズが新たに発売されると、高い確率で「人の眼の明るさ」とか「人の眼より明るい」といった表現をセットで目にします。結果「人間の眼の F値 は 1.0」なのだと反射的に思ってしまう方も多いでしょう。キリの良い数字ですので、むしろ人間の眼を1.0として F値というものが定められているのか?なんて誤解をしてしまう可能性だってあります。実際にはレンズの明るさを表す F値は「焦点距離÷有効口径」によって求められる値ですから、解剖学的に?網膜=撮像面・水晶体=レンズと考えて導き出された数字(おおよそF2.8ぐらい)が、本来の眼の F値という事になります。網膜が捉えた光は、カメラで言うところの色補正やISO感度の調整といった処理を脳内で行い映像情報として認識されますが、つまるところ人間はF2.8のレンズを通して入ってきた光を脳内で8倍増感し(イメージとしてはISO100を800に)、F1.0のレンズを通して入った光と同じ明るさとして受け取っている、が「人の眼の明るさ」の正体だったという話です。「君の瞳は一万ボルトだけど、俺の瞳は Elmarit なんだぜ」とでも言えば昭和のカメラ女子は一コロなんだとか・・・。

 人間の眼の F値の話はそれとして、レンズが明るくなると言う事には大きなメリットが存在してます。同一条件下で暗い(F値が大きい)レンズと比べ「大きなボケを使う事ができる」「早いシャッタースピードが利用できる」「ISO感度を下げる(上げなくてすむ)事ができる=ノイズの発生が抑制される」などが代表的で、これらは表現の幅を広げたり仕上がる映像の品質を上げることができる可能性を意味します。ミラーレス機以前の一眼レフ機では、ファインダー像が明るくなる事でピント合わせやフレーミング時の精度も上がり、撮影時の余分なストレスを軽減するといった効果も期待できますし、撮影途中に感度を自由に変更できないフイルム撮影であれば、レンズの明るさがそもそも撮影の可否を握る場面さえあるでしょう。

 さて、システム全体のダウンサイジングや軽量化といったメリットが望める筆者愛用のマイクロフォーサーズ規格のカメラですが、反面小型であるセンサーに起因する物理特性がデメリットとして現れる場面も存在します。大型センサー機に比べ、同一画角に於いて大きなボケが得にくい点、高感度撮影時におけるノイズ発生量の増加がそれに当りますが、これらに対して、前段で解説した「明るいレンズ」のメリットが有効に作用する事をお分かりいただけると思います。大型化しやすい明るいレンズも小さく軽く設計可能である点を含め、マイクロフォーサーズは、明るいレンズがその存在価値を存分に発揮できるフォーマットであるとも言えるのではないでしょうか。

 かつて世界のカメラ市場に君臨した Voigtlander を、現在自社が展開する交換レンズ群のブランド名として採用する COSINA は、こういった明るいレンズ+マイクロ4/3フォーマットの特性にいち早く着目してか、マイクロ4/3規格の第一弾ミラーレス一眼、 Panasonic DMC-G1登場から二年後には NOKTON 25mm F0.95 を発売しています。以降10.5mmから60mmまで6種全ての単焦点レンズをF1.0を超える明るさでラインナップしましたが、中でも SUPER NOKTON 29mm は、F0.8という写真用レンズとして例を見ない驚異的な明るさを全長88.9mm 重量703gという諸元で達成しています。設計思想も目指す描写のベクトルも別物なのであくまで参考ながら、共に「夜」を想起する語源を持った、フルサイズ用で近似スペックのモンスターレンズ  Nikkor Z58mm F0.95 S Noct の全長は153mm で、かつ重量は2000g!! を誇るのに、です。

 それでは、NOKTON F0.95 ファミリー中、フルサイズ換算で85mmの画角を与えられたNOKTON 42.5mm F0.95 すなわち本項の主人公へ話を移しましょう。標準レンズよりもやや狭い画角を持ち、F0.95 がもたらす豊かなボケが情緒ある空気感と共に被写体を浮かび上がらせるこの一本は、まさにポートレートレンズの王道。焦点距離をあえてキリの良い43や45とせず、42.5を採用した設計者にはやはり「85mm」への強いこだわりがあったのだろうと思います。被写体認識AFによって瞬時に瞳への合焦を決める同一焦点距離の Panasonic NOCTICRON と違い、優れた操作感をもったピントリングの前後によってじっくりピント面を追い込んで行く作業は、懐かしさと同時に写真撮影の楽しさを再認識させてくれます。マイクロフォーサーズ規格準拠とは言え、電子接点を持たずにデジタル補正をアテにしない姿勢にも素直に敬意を払います。最短撮影距離は、システムとしての長所を生かし0.23mを達成。なんと1/4倍での接写を可能にし、浅い被写界深度を生かした近距離撮影では最短0.5mのNOCTICRONに対し若干ですがアドバンテージを発揮します。高コントラスト・高解像度を売りにする現代のデジタル専用レンズの中においては、異質ともとれる緩さを持った独特な解放描写はNOKTON 25mm 試用の際に感じたイメージと共通する心地の良い物となりました。全長約75cm・重量571g・フィルター径58mmの躯体は上着のポケットにすっぽりと入る程。視野の狭くなった近年ではお気に入りの画角ですから、文字通りの「味変」に味を占めて店舗のストックにすんなりと戻せない自分を許したいと思います。

 

 

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ハイスピードレンズといえば、やっぱりアベイラブルライト下での撮影が似合います。すっかり日の落ちた繁華街での一枚。開放描写ですが、F0.95という極めて明るいレンズながら、前後のとても素直なボケ像には好感が持てます。正直もっとイカレタ画像を想像していただけに嬉しい誤算。ピント面はカリカリにシャープな結像をするタイプではないようですが、こういった被写体にはジャストマッチ。周辺光量の落ち方も自然で品の良い物です。

 

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開放時は特に感じるのですが、収差の影響からか、合焦面から外れた部分は思った以上に像が滲んで写る印象があります。結果として被写界深度は数値感覚以上に薄くなっている印象です。EVF+マニュアルフォーカスでこの極薄ピントピークを操るのは至難の業ではありますが、ボケの中にスッキリと合焦部が浮かび上がってくるような描写はクセになります。

 

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搬出作業でごった返すイベントホールのトラックヤード。中望遠ならではの遠近感圧縮や切り抜きによる画面整理で、映像に凝縮感が漂うのがこの辺りの画角レンズを好む理由。感度やコントラストを上げて画面に迫力を出す手法もありますが、せっかくのハイスピードレンズなので標準感度のままシャドー部のトーン変化を楽しみます。一見オールドレンズのような柔らかなコントラスト描写ではありますが、ディープシャドーが曖昧にならないのは、良好なフレアコントロールのおかげでしょうか。

 

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派手にゴーストが出るかと思いきや、スッキリと写って拍子抜け。開放時は特にオールドレンズ的な味わいを持った緩い描写のレンズではありますが、強い光源であっても上手にいなしてくれる辺りは、やはり最新のレンズなのだと再認識。

 

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F1.2や1.0さらに0.95といった極端に明るいレンズはフイルム時代から存在していましたが、開放時の画質やボケ味といった部分まで考えると、率先して使いたくなるレンズかどうかは疑問符が付き纏うのも本音。本レンズは0.95という最高レベルの明るいレンズですが、解放を積極的に使いたくなる一本と感じています。それにしても F1.0と F0.95のEV値上の差は、おおよそ1/6段程。感度が比較的自由になるデジタル時代にこの差を削ってくる設計者の魂、ナイスですねぇ。

 

 

 

SONY Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA (SEL35F14Z)

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 Aマウント時代のSONY製デジタル一眼レフには、24mm F2 ・ 85mm F1.4 ・135mm F1.8 と3本のZeiss製大口径単焦点レンズが用意されていました。フルサイズミラーレスα7の登場によりモデルチェンジも当然予想された訳ですが、ボディーの登場に合わせて登場したZeiss製の単焦点レンズは FE 55 mm F1.8および FE 35mm F2.8 でした。新システムへの移行初期ですから、市場で高い訴求力を発揮する高性能・高倍率ズームレンズや廉価製品に率先して開発リソースを割かねばならならないのも道理。本レンズ、Distagon T* FE 35mm F1.4 ZAのような趣味性の高い大口径単焦点レンズが登場するのには、指折り3年の月日を要しました。翌年に Planar T* FE 50mm F1.4 ZA も発売となるのですが、意外なことに頭書の 24・85・135 の3レンズはZeiss製レンズとしてではなく、24mm F1.4GM ・ 85mm F1.4GM ・ 135mm F1.8GM と 純正 G Masterとして刷新されました。メーカー内でのブランディングや販売戦略に関しては、単なる一消費者に過ぎない辺境中古カメラ店員にその真意は計りかねますが、Aマウント時代に存在した35mm と 50mmの F1.4レンズは共にフイルム時代に設計の端を発する、言わばセミオールドレンズでしたから、完全なる新設計であることを分かり易く伝える為「Zeiss」という看板の影響力に頼ったという側面があったのかもしれません。

 ところで、Zeiss の35mm F1.4と言えば、フイルム時代にヤシカ・コンタックスマウント用に供給された、Distagon 35mm F1.4 を思い起こす方も相当数おられるかと思います。かく言う私も、大学卒業後に現職場とブライダルの出張撮影で二足のワラジを履く中、メイン機材の、それもほぼ標準レンズとして愛用していたのがそのレンズでありました。高い逆光耐性、解放からの実用的な解像度、若干の癖を感じる事はあっても大きく破綻をしないボケ像が得られる万能優等性であり、なによりデジタル機材の様に安易な感度変更を行えないフイルム撮影ではF1.4 の明るさは何物にも代えがたく、手振れ補正の恩恵も受けられない時代に幾度も助けられた事を思い出します。ですからデジタル時代となって、Distagon 35 1.4 T* の刻印をAF化という強力なオマケを付けて再び手にできるというこの事実は、体内のあらゆる液体の栓が緩くなり始めたお年頃の筆者にとっては、いったい幾晩枕を濡らしたらよいのやら・・・と思うほどの吉報だったのです。

 加えてDistagon T* FE 35mm F1.4 ZA に関しては、後にとても数奇な運命が待っているのですが、それは同一スペックの純正レンズ FE 35mm F1.4 GMの登場によってもたらされます。ボディー性能が爆発的スピードで進歩する昨今は、レンズ側においてもボディー側の各種演算スピードへの対応や、AF、絞り作動といった機械動作の高速化、動画撮影への対応強化などが求められる事態にもなっているのですが、シリーズの比較的初期段階で投入されたこのDistagonも例外ではなかったのでしょう。発売開始から6年後の2021年にバトンを渡した後進は、約100gの軽量化、最短撮影距離3cmの短縮、フィルター径含めたレンズ全体の小型化を果たしただけでなく、公表MTFからも明らかなる高画質化が窺える仕様を達成していました。さらにこの新レンズは当初198,530円(税別)という希望小売価格を設定(2026年現在は216,000円)しており、これはDistagonの価格(220,000円)を下回る、まさに下克上を絵に描いたような登場でした。

 当然、誰もがDistagonに引退の二文字を意識した訳ですが、ここでSONYによるDistagonの価格改定(すなわち販売継続)が発表され、我々は2度驚かされることになりました。Distagonの希望小売価格は140,080円(2026年現在は164,000円)へと、なんと8万円近くも値下げが行われたのです。意味の乏しい比較ではありますが、ヤシカ・コンタックス時代のDistagonの販売終了時の価格168,000円より、さらに安価に最新のDistagonが手に入るようになったのです。それとなく大人の事情も見え隠れしますが、SONY曰くの「ソニーEマウントレンズにおける広角単焦点域のラインアップ拡充に伴う価格ポジションの見直し」を額面通りに受け取るとすれば、最高画質を求める方は「G Master」を、「Zeiss」が安価に入手できる事に意味を見いだせる方はDistagonを、といった落し処なのでしょう。いずれにしても35mm F1.4 に選択肢が増えた事を素直に喜んでおくのが、きっと幸せなのかもしれません。

 

 

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準広角レンズといってもやはり解放 F1.4の被写界深度の浅さはあなどれませんね。なんとなく合焦範囲が広がっていると思いきや、キリッと解像しているのは極一部分のみです。かなり暗い日陰での撮影ですが、解放からしっかりとコントラストが立ち上がる描写です。僅かの周辺減光や四隅でやや像の流れが見られますが、大きな欠点とは感じないレベルでしょうか。
 

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フィルム時代のDistagonは、フローティング機構の影響なのか近接時に二線ボケがやや目立ったと記憶しています。ミラーレス化への対応を果たした本レンズは、いじわるな被写体であっても破綻を感じさせないボケ味へと進化。これなら近接でも安心して絞りを開けられそうですね。
 

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縮小画像ではお伝えきれませんが、木漏れ日の当ったハイライト部の煌めきが非常に美しい一枚。僅か残った収差の影響か、輝度の高い部分のみにうっすらと発生するハロがその場の空気感を増幅して捉えます。

 

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曇天の夕刻、寺の片隅にあった清掃用具置き場。年季の入った道具達が見事なバランスで配置されているのに感心して一枚。実際はかなり暗い状況でしたがボディー内手振れ補正の力を借りて事なきを得ました。Z5Ⅱのフォールディングバランスが良い事もありますが、作動ブレを起こしにくいミラーレス構造+電子シャッターの恩恵も計り知れません。

 

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Lightroomのレンズプロファイルを利用した歪曲補正を行っていますので、画面上部に感じる糸巻き収差状の湾曲は、おそらく被写体自身の経年による変形かと。フルサイズでの35mm画角は、テーブルフォトなどにも好適。意地の悪い被写体でなければ、ご覧の通り近接能時にもボケ味含めて極めて優秀な活躍。お世辞にもスマートな機材では無いので、飲食店ではバックにしまっておいた方が良とは思いますが。

 

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開放時のボケ像には多少グルグルとした印象もありまが、細かな被写体をボカしても極端に乱れていないのは、35mmという焦点距離で考えれば優秀と言って良いでしょう。鉄道好きは、こういった写真をネタに5分でも10分でも話せたりしちゃうのが不思議。私は違いますよ。

 

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上の清掃用具を撮影した同じ場所に干してあったタオル。とても几帳面な方が管理されているのだなぁと感心してしまいました。まさか見知らぬ他人のネット上で紹介されているとは想像もしていないと思いますが、だからこそ人目に付かない部分でも手を抜かないその姿勢を見習いたいと感じてしまいました。まだ湿気の残った印象の繊維の質感、いいですね。

 

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少し絞るだけで、画面全域が隙を感じない良像域で満たされます。雨滴が作る波紋が、好みのバランスで写り込むタイミングを狙っての撮影です。同じ場所で結構な時間を費やしていましたが、価格高騰が続くフイルムでは真似のできない撮影になってしまいました。そういえば、なにやらメモリーカードも高騰しはじめてるとか。(2025~2026年、一部半導体の高騰が影響)

 

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レンズの性能かフルサイズセンサーの恩恵か、豊富なシャドーの諧調あっての被写体と言えるでしょう。植物から放たれた湿気や酸素まで写り込み、その場の匂いも思い出せるような映像となりました。被写体はしばしば訪れるガーデンの雑木林。G Master を借用する機会があったら、ぜひとも同じ場所で試してみたいと思っています。

 

 

SONY FE 85mm F1.4 GM (SEL85F14GM)

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 85mmという焦点距離を持つ俗にポートレートレンズとも呼ばれるレンズは、自身にとって想い出に事欠かないレンズの一つです。実際は途中から路線?の変更がありましたが、将来「写真」に関係した仕事で飯を食っていきたいと本気で考え始めたきっかけが人物撮影だった事もその主な理由なのだろうと思っています。

 写真部に在籍し本格的に写真撮影を始めた高校時代はアイドル写真全盛の頃。部の先輩が地元百貨店の屋上イベントで撮影したアイドル写真を半切サイズに伸ばし、部室入口に飾ったりしていたのも懐かしい思い出。師事していた写真店主の勧めもあって、当時県内で盛んに開催されていたモデル撮影会に顔を出したり、小・中学校時代の同級生やその妹にまでモデルを依頼(男子校出身なので止むを得なかったのですが、今の時代で考えると軽く通報案件ですよねぇ・・・)するうち、徐々にポートレート撮影の世界にのめり込んでいきました。それ以前は、学校行事でのスナップや風景、部活動の記録などが写真部員としての主要被写体でしたから、使用する機材は広角系の標準ズームや望遠ズーム、それに400mm程度の超望遠といったものでしたが、主要被写体の変化に伴いポートレート撮影に適したレンズへと興味が移っていったのは当然の流れでした。

 当時「も」決して自由になるお金が多かったわけではありませんので、当初は自前の Ai Nikkor 50mm F1.4 に、マニュアルフォーカスレンズをAF化するTC-16ASという純正テレコンを装着し、80mm 約F2.3 のポートレートレンズ(仮)で他校の文化祭へ出向いてナンパモデルスカウトなどもしていましたが、やはり F2 よりも明るいレンズの大きなボケや、フィルター径52mmよりも大きな前玉を持ったレンズへの憧れは捨てきれず、幾ばくかの機材を下取りに出してAF Nikkor 85mm F1.8 の購入へと至りました。この人生初となる85mmの単焦点レンズは、解放から目の覚めるような合焦部のキレの良さ、焦点距離と解放 F値の相乗効果による大きなボケによって、それまでズームレンズやテレコン併用によって得られた物とは次元の違う写真の世界を見せてくれました。引き伸ばし時のピント確認をする際、ルーペ像に浮かんだ被写体の瞳の中に撮影している自身の姿がはっきりと写り込んでいたのを目撃したのがあまりに衝撃的で、後の私を単焦点レンズ偏愛者へと改宗させる大きな原動力?の一つとなりました。

 このNikkorは高校時代と大学の4年間、かけがえのない知人・友人の肖像を記録や、課題作成の相棒として苦楽を共にしたりと、自分の写真人生においてとても重要な時間傍らに存在していました。大学卒業以降このレンズは徐々に出番を減らし、システム変更とともに私の手元から離れることになるのですが、就職・結婚・育児・引っ越しと日々目まぐるしく変化する生活環境の中で、被写体として真剣に人物に向き合える時間を随分と減らしてしまった事も、少なからず影響していたのだろうと感じています。

 想い出はさておき、デジタルミラーレスの時代、ちょっとした偶然の重なりから手元にやってきたのが本レンズ FE 85mm F1.4 GM (Ⅰ型)となります。マウント径を大幅に拡大したCanonやNikonには、さらに明るい F 1.2 のレンズも存在していますが、小型なAPS-Cフォーマットで出発しながらもマウントを変更せずにフルサイズ化を果たしたSONY FEマウントでは、いたずらに F 1.2 へのチャレンジをするのではなく、最高の F 1.4 を造る事の方が重要と言わんばかりに、市場には最新高性能ボディや動画撮影への対応を果たすべく、AFの高速化や軽量化、各収差の補正強化を与えられたⅡ型がすでに投入されています。結果MINOLTA時代から数えれば、初代 AF 85mm F1.4・AF 85mm F1.4G・AF 85mm F1.4G(D)・AF 85 mm F1.4G(D)Limited、SONY時代となって Planar 85mm F1.4 ZA、ミラーレス化以降の FE 85mm F1.4 GM・同 GMⅡと、実に7種もの85mm F1.4 が存在するという奇妙な歴史が浮き彫りになるのですが、執着とも受け取れかねない 85mm F1.4 への愛が脈々と引き継がれている印象さえ受けます。近年急激に視野の狭くなり始めた自身にとっては、ポートレートレンズというよりむしろ「標準」的にさえ感じ始めているフルサイズ85mmの心地よい画角。学生時代を支えてくれた想い出のNikkor、フリー時代に代えがたい一枚一枚を提供してくれた伝説のCONTAX Planarに続き、3本目の伴侶としてどんな写真に出会わせてくれるのか、今からワクワクが止まらないのです。

 

 

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開放で被写体に接近すると量感たっぷりのボケが発生します。これぞポートレートレンズの醍醐味です。さすがに口径食の影響もあるので、周辺では玉ボケ像がレモン状に変形することで若干のグルグル感も出てきます。これを嫌うのであれば1~2絞ほど絞り込んであげるとスッキリした背景になる印象です。
 
 


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ベンチの水平線を基準とするか壁面の垂直線を基準とするか、フレーミングを迷っている際に突風が吹き、上方の枝葉から水滴が飛んでくるというハプニングに遭遇しました。こんな時にカメラを水滴から守らずに迷わずシャッターを切るのはある種の職業病でしょうか。本レンズ一応防塵防滴を謳っているのですが、過信は禁物ですよね。
 

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画面中央部だけをトリムする1:1の画面比では、さらに口径食の影響も感じなくなり綺麗な玉ボケが現れます。ボケ周辺のエッジを強く感じない柔らかな後ボケはGMレンズを名乗るなら当然でしょうか。前後の大きなボケを使える大口径単焦点は、その重さ・大きさに目をつむる事ができれば優秀なスナップシューターになってくれます。

 

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ピントはベンチの座面に。日陰での撮影ですが明快なコントラストが凛とした空気の感じを良く伝えてくれます。開放1.4ともなれば、多少の緩さを伴う映像も覚悟しましたが、最新設計のミラーレス単焦点にそれは杞憂というものでした。中望遠レンズは望遠レンズとは違い、例え解放であっても距離の開いた被写体は背景がさほど大きくボケない事を再認識。フレーミングにはもう少し気を遣うべきでしたね。反省反省。

 

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最短撮影距離近くであれば、大きなボケを活用したマクロレンズ的な撮影もできます。AF時の最短撮影距離85cmでも合焦部の解像感に一切の不満はありません。シャドーをしっかり落とす為、露出を切り詰めてもシャドー部にしっかり諧調が残ってくれるのは有難いです。
 

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G Masterシーズは、そのボケ味にも注力して設計されています。前後のボケ方に大きな差が無く自然。それでいて被写体の情報を無暗に溶かしてしまわない良質のボケ。合焦部のシャープネスも当然文句の付け処がありません。
 

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ボケの繋がりを見たくて、公園に設置された遊歩道を撮影。傾きかけた夕刻の日差しが印象的な影を落としてくれます。遠近感の圧縮を見せ始める中望遠レンズ独特の描写でしょうか。昨今スマートフォンなどでは見かけのボケを大きくして小型センサーの欠点をカバーするといった機能も一般化しましたが、「写真」とはなんぞや?とデジタルデータ時代の映像に自分自身の基準を改めて考え直すタイミングに来ているのだと痛感しています。

 

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木道と水面の僅かな高低差によってもしっかりとボケが発生するのが大口径+中望遠の魅力の一つ。作例の数枚には電子マウントアダプターを併用しNikonのZ5Ⅱを使用。RAW現像の際にLightroom上でレンズプロファイルを対応させることで、色収差・歪曲収差の自動補正を加えます。操作やハンドリングフィールは長年馴染んでいることもあるので、Sony FEレンズの母艦としてNikonボディが選択できるのが存外の喜び。α7RⅣの圧倒的高画素も魅力ですが、Z5Ⅱの小気味よさもまた快適です。

 

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モニター上で像を拡大すると、ハイライト部分にはごくわずかのハロが発生していて、全体的な柔らかな印象を醸し出すのに一役買っているようです。昨今の高性能ズームレンズには「大吟醸」的な隙の無い高性能を感じますが、大口径単焦点に感じる「純米酒」かの如く旨味成分もまた、とても心地良いのです。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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