SONY Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA (SEL35F14Z)

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 Aマウント時代のSONY製デジタル一眼レフには、24mm F2 ・ 85mm F1.4 ・135mm F1.8 と3本のZeiss製大口径単焦点レンズが用意されていました。フルサイズミラーレスα7の登場によりモデルチェンジも当然予想された訳ですが、ボディーの登場に合わせて登場したZeiss製の単焦点レンズは FE 55 mm F1.8および FE 35mm F2.8 でした。新システムへの移行初期ですから、市場で高い訴求力を発揮する高性能・高倍率ズームレンズや廉価製品に率先して開発リソースを割かねばならならないのも道理。本レンズ、Distagon T* FE 35mm F1.4 ZAのような趣味性の高い大口径単焦点レンズが登場するのには、指折り3年の月日を要しました。翌年に Planar T* FE 50mm F1.4 ZA も発売となるのですが、意外なことに頭書の 24・85・135 の3レンズはZeiss製レンズとしてではなく、24mm F1.4GM ・ 85mm F1.4GM ・ 135mm F1.8GM と 純正 G Masterとして刷新されました。メーカー内でのブランディングや販売戦略に関しては、単なる一消費者に過ぎない辺境中古カメラ店員にその真意は計りかねますが、Aマウント時代に存在した35mm と 50mmの F1.4レンズは共にフイルム時代に設計の端を発する、言わばセミオールドレンズでしたから、完全なる新設計であることを分かり易く伝える為「Zeiss」という看板の影響力に頼ったという側面があったのかもしれません。

 ところで、Zeiss の35mm F1.4と言えば、フイルム時代にヤシカ・コンタックスマウント用に供給された、Distagon 35mm F1.4 を思い起こす方も相当数おられるかと思います。かく言う私も、大学卒業後に現職場とブライダルの出張撮影で二足のワラジを履く中、メイン機材の、それもほぼ標準レンズとして愛用していたのがそのレンズでありました。高い逆光耐性、解放からの実用的な解像度、若干の癖を感じる事はあっても大きく破綻をしないボケ像が得られる万能優等性であり、なによりデジタル機材の様に安易な感度変更を行えないフイルム撮影ではF1.4 の明るさは何物にも代えがたく、手振れ補正の恩恵も受けられない時代に幾度も助けられた事を思い出します。ですからデジタル時代となって、Distagon 35 1.4 T* の刻印をAF化という強力なオマケを付けて再び手にできるというこの事実は、体内のあらゆる液体の栓が緩くなり始めたお年頃の筆者にとっては、いったい幾晩枕を濡らしたらよいのやら・・・と思うほどの吉報だったのです。

 加えてDistagon T* FE 35mm F1.4 ZA に関しては、後にとても数奇な運命が待っているのですが、それは同一スペックの純正レンズ FE 35mm F1.4 GMの登場によってもたらされます。ボディー性能が爆発的スピードで進歩する昨今は、レンズ側においてもボディー側の各種演算スピードへの対応や、AF、絞り作動といった機械動作の高速化、動画撮影への対応強化などが求められる事態にもなっているのですが、シリーズの比較的初期段階で投入されたこのDistagonも例外ではなかったのでしょう。発売開始から6年後の2021年にバトンを渡した後進は、約100gの軽量化、最短撮影距離3cmの短縮、フィルター径含めたレンズ全体の小型化を果たしただけでなく、公表MTFからも明らかなる高画質化が窺える仕様を達成していました。さらにこの新レンズは当初198,530円(税別)という希望小売価格を設定(2026年現在は216,000円)しており、これはDistagonの価格(220,000円)を下回る、まさに下克上を絵に描いたような登場でした。

 当然、誰もがDistagonに引退の二文字を意識した訳ですが、ここでSONYによるDistagonの価格改定(すなわち販売継続)が発表され、我々は2度驚かされることになりました。Distagonの希望小売価格は140,080円(2026年現在は164,000円)へと、なんと8万円近くも値下げが行われたのです。意味の乏しい比較ではありますが、ヤシカ・コンタックス時代のDistagonの販売終了時の価格168,000円より、さらに安価に最新のDistagonが手に入るようになったのです。それとなく大人の事情も見え隠れしますが、SONY曰くの「ソニーEマウントレンズにおける広角単焦点域のラインアップ拡充に伴う価格ポジションの見直し」を額面通りに受け取るとすれば、最高画質を求める方は「G Master」を、「Zeiss」が安価に入手できる事に意味を見いだせる方はDistagonを、といった落し処なのでしょう。いずれにしても35mm F1.4 に選択肢が増えた事を素直に喜んでおくのが、きっと幸せなのかもしれません。

 

 

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準広角レンズといってもやはり解放1.4の被写界深度の浅さはあなどれませんね。なんとなく合焦範囲が広がっていると思いきや、キリッと解像しているのは極一部分のみです。かなり暗い日陰での撮影ですが、解放からしっかりとコントラストが立ち上がる描写です。僅かの周辺減光や四隅でやや像の流れが見られますが、大きな欠点とは感じないレベルでしょうか。
 

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フィルム時代のDistagonは、フローティング機構の影響なのか近接時に二線ボケがやや目立ったと記憶しています。ミラーレス化への対応を果たした本レンズは、いじわるな被写体であっても破綻を感じさせないボケ味へと進化。これなら近接でも安心して絞りを開けられそうですね。
 

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縮小画像ではお伝えきれませんが、木漏れ日の当ったハイライト部の煌めきが非常に美しい一枚。僅か残った収差の影響か、輝度の高い部分のみにうっすらと発生するハロがその場の空気感を増幅して捉えます。

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曇天の夕刻、寺の片隅にあった清掃用具置き場。年季の入った道具達が見事なバランスで配置されているのに感心して一枚。実際はかなり暗い状況でしたがボディー内手振れ補正の力を借りて事なきを得ました。Z5Ⅱのフォールディングバランスが良い事もありますが、作動ブレを起こしにくいミラーレス構造+電子シャッターの恩恵も計り知れません。

 

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Lightroomのレンズプロファイルを利用した歪曲補正を行っていますので、画面上部に感じる糸巻き収差状の湾曲は、おそらく被写体自身の経年による変形かと。フルサイズでの35mm画角は、テーブルフォトなどにも好適。意地の悪い被写体でなければ、ご覧の通り近接能時にもボケ味含めて極めて優秀な活躍。お世辞にもスマートな機材では無いので、飲食店ではバックにしまっておいた方が良とは思いますが。

 

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開放時のボケ像には多少グルグルとした印象もありまが、細かな被写体をボカしても極端に乱れていないのは、35mmという焦点距離で考えれば優秀と言って良いでしょう。鉄道好きは、こういった写真をネタに5分でも10分でも話せたりしちゃうのが不思議。私は違いますよ。

 

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上の清掃用具を撮影した同じ場所に干してあったタオル。とても几帳面な方が管理されているのだなぁと感心してしまいました。まさか見知らぬ他人のネット上で紹介されているとは想像もしていないと思いますが、だからこそ人目に付かない部分でも手を抜かないその姿勢を見習いたいと感じてしまいました。まだ湿気の残った印象の繊維の質感、いいですね。

 

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少し絞るだけで、画面全域が隙を感じない良像域で満たされます。雨滴が作る波紋が、好みのバランスで写り込むタイミングを狙っての撮影です。同じ場所で結構な時間を費やしていましたが、価格高騰が続くフイルムでは真似のできない撮影になってしまいました。そういえば、なにやらメモリーカードも高騰しはじめてるとか。(2025~2026年、一部半導体の高騰が影響)

 

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レンズの性能かフルサイズセンサーの恩恵か、豊富なシャドーの諧調あっての被写体と言えるでしょう。植物から放たれた湿気や酸素まで写り込み、その場の匂いも思い出せるような映像となりました。被写体はしばしば訪れるガーデンの雑木林。G Master を借用する機会があったら、ぜひとも同じ場所で試してみたいと思っています。

 

 

SONY FE 85mm F1.4 GM (SEL85F14GM)

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 85mmという焦点距離を持つ俗にポートレートレンズとも呼ばれるレンズは、自身にとって想い出に事欠かないレンズの一つです。実際は途中から路線?の変更がありましたが、将来「写真」に関係した仕事で飯を食っていきたいと本気で考え始めたきっかけが人物撮影だった事もその主な理由なのだろうと思っています。

 写真部に在籍し本格的に写真撮影を始めた高校時代はアイドル写真全盛の頃。部の先輩が地元百貨店の屋上イベントで撮影したアイドル写真を半切サイズに伸ばし、部室入口に飾ったりしていたのも懐かしい思い出。師事していた写真店主の勧めもあって、当時県内で盛んに開催されていたモデル撮影会に顔を出したり、小・中学校時代の同級生やその妹にまでモデルを依頼(男子校出身なので止むを得なかったのですが、今の時代で考えると軽く通報案件ですよねぇ・・・)するうち、徐々にポートレート撮影の世界にのめり込んでいきました。それ以前は、学校行事でのスナップや風景、部活動の記録などが写真部員としての主要被写体でしたから、使用する機材は広角系の標準ズームや望遠ズーム、それに400mm程度の超望遠といったものでしたが、主要被写体の変化に伴いポートレート撮影に適したレンズへと興味が移っていったのは当然の流れでした。

 当時「も」決して自由になるお金が多かったわけではありませんので、当初は自前の Ai Nikkor 50mm F1.4 に、マニュアルフォーカスレンズをAF化するTC-16ASという純正テレコンを装着し、80mm 約F2.3 のポートレートレンズ(仮)で他校の文化祭へ出向いてナンパモデルスカウトなどもしていましたが、やはり F2 よりも明るいレンズの大きなボケや、フィルター径52mmよりも大きな前玉を持ったレンズへの憧れは捨てきれず、幾ばくかの機材を下取りに出してAF Nikkor 85mm F1.8 の購入へと至りました。この人生初となる85mmの単焦点レンズは、解放から目の覚めるような合焦部のキレの良さ、焦点距離と解放 F値の相乗効果による大きなボケによって、それまでズームレンズやテレコン併用によって得られた物とは次元の違う写真の世界を見せてくれました。引き伸ばし時のピント確認をする際、ルーペ像に浮かんだ被写体の瞳の中に撮影している自身の姿がはっきりと写り込んでいたのを目撃したのがあまりに衝撃的で、後の私を単焦点レンズ偏愛者へと改宗させる大きな原動力?の一つとなりました。

 このNikkorは高校時代と大学の4年間、かけがえのない知人・友人の肖像を記録や、課題作成の相棒として苦楽を共にしたりと、自分の写真人生においてとても重要な時間傍らに存在していました。大学卒業以降このレンズは徐々に出番を減らし、システム変更とともに私の手元から離れることになるのですが、就職・結婚・育児・引っ越しと日々目まぐるしく変化する生活環境の中で、被写体として真剣に人物に向き合える時間を随分と減らしてしまった事も、少なからず影響していたのだろうと感じています。

 想い出はさておき、デジタルミラーレスの時代、ちょっとした偶然の重なりから手元にやってきたのが本レンズ FE 85mm F1.4 GM (Ⅰ型)となります。マウント径を大幅に拡大したCanonやNikonには、さらに明るい F 1.2 のレンズも存在していますが、小型なAPS-Cフォーマットで出発しながらもマウントを変更せずにフルサイズ化を果たしたSONY FEマウントでは、いたずらに F 1.2 へのチャレンジをするのではなく、最高の F 1.4 を造る事の方が重要と言わんばかりに、市場には最新高性能ボディや動画撮影への対応を果たすべく、AFの高速化や軽量化、各収差の補正強化を与えられたⅡ型がすでに投入されています。結果MINOLTA時代から数えれば、初代 AF 85mm F1.4・AF 85mm F1.4G・AF 85mm F1.4G(D)・AF 85 mm F1.4G(D)Limited、SONY時代となって Planar 85mm F1.4 ZA、ミラーレス化以降の FE 85mm F1.4 GM・同 GMⅡと、実に7種もの85mm F1.4 が存在するという奇妙な歴史が浮き彫りになるのですが、執着とも受け取れかねない 85mm F1.4 への愛が脈々と引き継がれている印象さえ受けます。近年急激に視野の狭くなり始めた自身にとっては、ポートレートレンズというよりむしろ「標準」的にさえ感じ始めているフルサイズ85mmの心地よい画角。学生時代を支えてくれた想い出のNikkor、フリー時代に代えがたい一枚一枚を提供してくれた伝説のCONTAX Planarに続き、3本目の伴侶としてどんな写真に出会わせてくれるのか、今からワクワクが止まらないのです。

 

 

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開放で被写体に接近すると量感たっぷりのボケが発生します。これぞポートレートレンズの醍醐味です。さすがに口径食の影響もあるので、周辺では玉ボケ像がレモン状に変形することで若干のグルグル感も出てきます。これを嫌うのであれば1~2絞ほど絞り込んであげるとスッキリした背景になる印象です。
 
 


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ベンチの水平線を基準とするか壁面の垂直線を基準とするか、フレーミングを迷っている際に突風が吹き、上方の枝葉から水滴が飛んでくるというハプニングに遭遇しました。こんな時にカメラを水滴から守らずに迷わずシャッターを切るのはある種の職業病でしょうか。本レンズ一応防塵防滴を謳っているのですが、過信は禁物ですよね。
 

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画面中央部だけをトリムする1:1の画面比では、さらに口径食の影響も感じなくなり綺麗な玉ボケが現れます。ボケ周辺のエッジを強く感じない柔らかな後ボケはGMレンズを名乗るなら当然でしょうか。前後の大きなボケを使える大口径単焦点は、その重さ・大きさに目をつむる事ができれば優秀なスナップシューターになってくれます。

 

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ピントはベンチの座面に。日陰での撮影ですが明快なコントラストが凛とした空気の感じを良く伝えてくれます。開放1.4ともなれば、多少の緩さを伴う映像も覚悟しましたが、最新設計のミラーレス単焦点にそれは杞憂というものでした。中望遠レンズは望遠レンズとは違い、例え解放であっても距離の開いた被写体は背景がさほど大きくボケない事を再認識。フレーミングにはもう少し気を遣うべきでしたね。反省反省。

 

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最短撮影距離近くであれば、大きなボケを活用したマクロレンズ的な撮影もできます。AF時の最短撮影距離85cmでも合焦部の解像感に一切の不満はありません。シャドーをしっかり落とす為、露出を切り詰めてもシャドー部にしっかり諧調が残ってくれるのは有難いです。
 

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G Masterシーズは、そのボケ味にも注力して設計されています。前後のボケ方に大きな差が無く自然。それでいて被写体の情報を無暗に溶かしてしまわない良質のボケ。合焦部のシャープネスも当然文句の付け処がありません。
 

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ボケの繋がりを見たくて、公園に設置された遊歩道を撮影。傾きかけた夕刻の日差しが印象的な影を落としてくれます。遠近感の圧縮を見せ始める中望遠レンズ独特の描写でしょうか。昨今スマートフォンなどでは見かけのボケを大きくして小型センサーの欠点をカバーするといった機能も一般化しましたが、「写真」とはなんぞや?とデジタルデータ時代の映像に自分自身の基準を改めて考え直すタイミングに来ているのだと痛感しています。

 

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木道と水面の僅かな高低差によってもしっかりとボケが発生するのが大口径+中望遠の魅力の一つ。作例の数枚には電子マウントアダプターを併用しNikonのZ5Ⅱを使用。RAW現像の際にLightroom上でレンズプロファイルを対応させることで、色収差・歪曲収差の自動補正を加えます。操作やハンドリングフィールは長年馴染んでいることもあるので、Sony FEレンズの母艦としてNikonボディが選択できるのが存外の喜び。α7RⅣの圧倒的高画素も魅力ですが、Z5Ⅱの小気味よさもまた快適です。

 

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モニター上で像を拡大すると、ハイライト部分にはごくわずかのハロが発生していて、全体的な柔らかな印象を醸し出すのに一役買っているようです。昨今の高性能ズームレンズには「大吟醸」的な隙の無い高性能を感じますが、大口径単焦点に感じる「純米酒」かの如く旨味成分もまた、とても心地良いのです。

 

 

Voigtländer APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical II

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オリジナル APO-LANTHAR へのリスペクト「APOを示す三色の飾り」が意匠に

 

 

 

 気象現象としてだけでなく、滝の周辺や庭の水まきといった場面でお目にかかる事もある「虹」ですが、自分自身の体験では、中学校時代に科学の授業でのプリズムを使った分光実験がとても印象に残っています。遮光した教室内でスリットを通過した太陽光が、三角プリズムを透過した後、綺麗に7色に分離するのを始めてみた時は素直に感動したものです。太陽光は様々な波長の光が混ざっている為に無色であると普段は感じていますが、プリズムを透過する際に波長による屈折率の違いから分離し、まるで手品の様に「虹」が現れた事で「光」と「色」にまつわる科学の神秘に触れた気分がしたものです。

 さて、波長による屈折率の違いによって現れた「虹」は、私個人としては美しい思い出である事に間違いはないのですが、この光の性質が写真レンズの設計においては大変な厄介者となる事をも意味します。「分光」する事を目的として製造された実験用のプリズムの様な極端な色分解は発生しないとは言っても、少なくて3枚程度から多いものですと20枚以上(屈折の回数は最大でその倍)のレンズが組み込まれている写真用レンズにおいて、屈折時に発生する色分解を無視する訳にいかないのは想像に難くないでしょう。この色分解を原因とする撮影結果状の悪影響は「残存色収差」と呼ばれていますが、主として広角レンズにおいては、倍率色収差として画面周辺などでの色ズレや像の乱れの発生・望遠レンズでは軸上色収差としてピント面やボケ像の輪郭などでの色付き、解像度低下などの原因となります。それらを抑制する効果が望める蛍石やEDガラスに代表されるような特殊な屈折特性を持った光学素材の発見・発明、精密な非球面レンズの作成や、それらを複合的にシミュレートできるコンピューターを利用した設計技術の発展も加わった現代であっても、設計上の大きな大きなハードルであることは変わりないでしょう。

 当然、レンズ設計の黎明期から色収差を補正する試みは続けられており、その過程で発明・設計されたレンズが「色消しレンズ」とも呼ばれる「アクロマート」・「アポクロマート」となります。波長の離れた2色の光(例えば赤と青)について補正された光学系を「アクロマート」、同様に3色(例えば赤・緑・青)について補正された光学系を「アポクロマート」と呼称(厳密には色収差以外の収差も補正されている事が併せて必須となりますが、細かい説明は割愛)しますが、「アポクロマート」の頭部分のアポ「APO」は、長い間高性能レンズの代名詞としても活用される様になりました。フイルム時代にはミノルタやシグマの特殊低分散ガラスを採用した製品には「APO」の名称が利用されていましたし、近年ではライカ製レンズの多くに「APO」が付与されています。撮像センサーの高画素化が進み、フイルム時代よりもさらに厳しい色収差への対応が必要となっている昨今、高性能レンズは実質的「アポクロマート」である事がほぼ必然となったからなのか、国内メーカーのレンズからは「APO」の文字を見る事は殆どなくなっていますが、逆にライカやツァイスといった海外メーカーの製品が近年率先して「APO」を記載するようになっているのが、摩訶不思議。

 「APO」と言えば外せないエピソードとして、かつてのスプリングカメラ「Voigtländer BESSAⅡ」の存在があります。Voigtländerと言えば、かつては欧州を代表した光学機器・カメラメーカーですが、120フィルム(ブローニー判)を使用するスプリングカメラシリーズは、現代でも実際に撮影可能なクラシックカメラとして、ツァイスのイコンタシリーズと共に人気があります。1950年頃に登場した「BESSAⅡ」にはVoigtländerの看板レンズ、COLOR-SKOPAR(カラースコパー)やCOLOR-HELIAR(カラーヘリアー)の105mmレンズが装着されていましたが、APO-LANTHER(アポ・ランター) 105mm F4.5が搭載された高級モデルも極少数生産されました。レンズ鏡筒の先端には「三色・色消しレンズ」搭載である事をアピールする「赤・緑・黒(濃紺?)」のライン装飾が施される本機は、その希少性からマニア垂涎のコレクターアイテムともなりました。

 APO-LANTHERの名前が出たところで、いよいよ本レンズについて。現在のVoigtländerは、日本の光学機器メーカーCOSINAが製造するカメラ・レンズに冠されるブランド名です。フイルム時代にライカ互換性を持たせたレンジファインダーカメラ・レンズを同ブランド下で展開を始めた同社は、当初からミラーレス構造に対応した交換レンズ設計のノウハウを蓄積した事もあってか、マイクロフォーサーズやソニーEマウント登場の初期段階から対応交換レンズを率先して開発。今やZeiss製品の製造も引き受ける同社は、光学設計の高い技術と、高精度に製造された金属パーツを武器に、描写性・操作性共に優れたマニュアルフォーカスレンズを数多く手がけ、交換レンズメーカーの中でも特殊な立ち位置と評価を獲得したと言えます。往年の銘レンズ APO-LANTHER は、2017年ソニーEマウント用マクロレンズ MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 に採用されて以降ラインナップを順当に拡充し、NikonZマウントに対応した本レンズ APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical IIでも「フォクトレンダー史上最高性能の標準レンズ」を謳います。メーカー純正には F1.2と言うハイスピードレンズだけでなく、F1.4・1.8さらにマクロを加えて4本もの50mmがひしめくNikon Zマウントですが、そこへ解放 F 値 「2」という現代では控えめなスペックで登場。収差補正を有利にするべく解放 F 値を欲張らず、デジタル補正の恩恵も受けずに最高性能を目指した新生APO-LANTHAR。評判の良いZシリーズのEVFを覗き、滑らかなフォーカスリングや絞り操作を楽しみながら写真を造る楽しみをもう一度思い出させてくれる貴重な一本に仕上がっています。マニュアルフォーカス専用でありながらも希望小売価格143,000円という価格設定ですが、各社のレンズ価格が高騰を続ける現在、その描写を見れば十分リーズナブルにも感じるでしょう。近似スペックで販売される某社のAPO-SUMMICRONとの価格差は実に約10倍なのです。

 

 

 

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公表MTFからも判断ができますが、解放時から周辺まで均一な高い高解像力を誇ります。極周辺においても像の流れや解像感不足は微塵も感じられません。幅広い波長で色収差が補正されるアポクロマート設計の恩恵か、濁りの無い凛とした描写が印象的です。湿度が低く、透明感のある冬の空気感を見事に演出してくれました。 

 

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デジタル補正に頼らず、開放時は周辺光量が素直に落ち込むので、それを作画に生かすのが吉。周辺減光や口径食を抑えるのであれば、本レンズは絞りを F 2.8 に設定するのがオススメ。解放以外に F 2.8・16で絞りが円形になるというこだわりの設計を施された絞り羽根を搭載しています。

 

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残存収差はアウトフォーカス部にもボケの癖として現れます。絞りを開けると、思ったよりも被写界深度が深くならない50mmですが、ピントピークからなだらかに解像度が落ちて行く様子が極めて自然で美しく癖がないのは、その残存収差の少なさ故なのでしょう。

 

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最短撮影距離は45cmと、これまた欲張らない標準仕様。あえて美味しいところだけを提供するかのような紳士的なスペックと評しましょうか。輝点を含む背景のボケも、嫌味なエッジ感の無い自然体で好ましいですね。

 

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冬の斜光線で浮かび上がる遊具とその陰。標準設定のJPEG撮って出しでもグリーンの発色が目に刺さるほどクリアに感じるのは、光線の質もさることながら、アポクロマートによって各色の焦点が綺麗に揃った結果なのでしょうか。

 

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前日に付けられた砂場のフットプリントが湿った土壌に美しく描かれます。土の柔らかさが伝わって来る優れた質感描写も高性能の証なのでしょう。微細な凹凸の為、優秀なZシリーズのEVFであってもピント合わせには結構気を使います。ピントリング・絞りリング共に往年のマニュアルフォーカスNikkorと回転方向が一致しているのが、いにしえ?のニコンユーザーには地味に嬉しい仕様です。

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クリスマス用に靴下のデザインをとりいれた壁飾り。繊維の質感、背景のレースの細かな編み目も周辺まで少しの澱みも感じません。同一焦点距離においてSIGMAのArt 50mm F 1.4 を使用していますが、ハンドリングの良さは圧倒的に本レンズに軍配が上がります。大型化し重量もかさみがちな高性能レンズの中にあって、やはり本レンズの立ち位置はかなり特殊になります。 

 

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完全な逆光状態ですが、フレアコントロールも上々。強烈な石畳の反射を受けても、描写への悪影響は感じません。単純な筒形の形状ですが、しっかりとした造りの金属製レンズフードが標準で付属するのでさらに安心。対してコシナ製のレンズキャップは、少々プラスチックの厚みが足りず、スプリングのテンションもやや弱い印象なので、紛失しないようにニコン製レンズキャップに交換してみるのも良いかもしれません。(2025年末時点ではZマウントには58mm径のレンズが無いので、Fマウントレンズ用のLC-58が好適でしょうか)
 
 
 

NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena

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 Nikonがフルサイズデジタル一眼カメラのミラーレス化を図った際、そのマウント(ボディーとレンズの接合規格)を変更し「Zマウント」としたことは、当然の事だったとは言え大きなニュースとなりました。日本光学工業時代に開発された、レンズ交換式フイルム一眼レフその第一号機 Nikon F の発売と同時に産声をあげた 「Fマウント」は、カメラ・レンズの進歩に合わせた細かなアップデートを重ねつつも、その基本的な規格を維持したまま60年以上の長きに渡り関連製品が販売され続けていたからです。過去にはオートフォーカス化を機にマウント変更を行ったメーカーも存在する中で「不変」を貫けたのは、メーカーの姿勢や哲学のような物の影響も否定はしませんが、基本設計の優秀さや先見性がそれを可能にしたと考えるのが妥当でしょう。そして「Nikon F」がその高い完成度と揺るぎない堅牢性、レンズを中心とした撮影システムとしての高い汎用性を持って、日本の光学製品を世界へと羽ばたかせる立役者となった事実は「Fマウント」の存在を抜いて考えることなどできないのです。
 
 主流がデジタルとなり、やがて各社が開発の主力をミラーレス機へとシフトする中、35ミリフルサイズデジタルカメラのミラーレス化と「Zマウント」の採用をNikonが発表したのは、SONYのα7(フルサイズミラーレス機の先駆)の発表から5年後(2018年)の事。すでに完成の域に達していたFマウントデジタル一眼レフのシステムを置き換える為に、そしてなによりミラーレス化の恩恵を最大限に享受する為の規格策定に相当の時間がかかったのであろう事が想像できます。こうして誕生した「Zマウント」はミラーレス構造によって許された短いフランジバックを手に入れたと共に、Fマウントよりも11mmも広い55mmのマウント径を採用しました。この二点の大胆な変更はレンズ設計の自由度を飛躍的に高める事になる訳ですが、同時に「Fマウント」では物理的に不可能であったレンズの設計を可能とする事を意味しました。言い換えるならFマウントでは設計を断念したレンズに挑戦する事が「Zマウント」に与えられた使命の一つだったとも言えるかもしれません。
 
 それを裏付けたのは、Zマウントレンズの第一弾に名を連ねたNIKKOR Z 58mm f 0.95  S Noct の存在です。長年のライバルでもあるキヤノンは、レンジファインダー機時代に50mm f0.95、フィルム一眼レフの時代に50mm f1.0といったスペックのレンズを販売していましたが、Nikonからはついぞ f1.0 を超える明るさのレンズは登場しませんでした。Nikkor 銘に恥じぬ性能を持たせるためのハードルも相当に高かったとは思いますが、他社の製品を横目に物理的限界に挑戦しつつも辛酸をなめ続けた設計陣には同情を禁じ得ません。フイルム時代のNocto Nikkor 58mm f 1.2を礎とし、Zマウント発表とともに公表されたf0.95 Noct にはその目立つスペックや描写性能の裏に真のレゾンデートルを感じるのです。Nocto Nikkor というシリーズ的呼称ではなく、あえてレンズ名の最後に「Noct」という個別の名称を与えた理由にもそれは表れているのでしょう。
 
 そして「Noct」と同様に特別なアイデンティティを与えられたレンズ、それが 固有名称を持つ第二のレンズ NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena です。「Plena」の字面から初見では Zeiss の「Planar」と語源を共にする( Plan:平坦 <歪曲収差や像面湾曲を抑えた優れた設計を意味>)のかと早合点したのですが、実際はラテン語「Plenaum」(空間が満たされているの意)が由来であり、気圧が外部よりも高い状態にある密閉空間を示す用語として、工学・建築の分野などでも利用されているとの事ですが、二次元映像である写真と三次元的な要素をイメージする密度に関する言葉との関連性とはいったい何なのでしょうか。
 
 一見ミスマッチにも感じるその言葉と、女神を想起するようなミステリアスな響きを与えられた本レンズは、ミラーレス化以降活発に開発されている各社の最新大口径135mmレンズの一本に数えられます。主要スペックを見るに、手振れ補正機構を内蔵している為かCanonがレンズ使用枚数でトップとなる他は、レンズ構成群、全長、重量ともに最大となるのが「Plena」であり、価格に至っては頭二つほど飛びぬけた印象です。平均年収近辺でうろうろしている凡庸なサラリーマンには、もう簡単には手にできる価格ではありません。ここにもメーカーのただならぬ力の入れようが表れている訳ですが、もちろんレンズ枚数の多さが画質を上げるための必要条件ではなく、価格が上がったからとして、その描写性能も上がるとは限らないでしょう。まして個人的感情が多分に入り込む「描写性」に関する評価を絶対的な数値では示す事は出来ないのです。
 
 一通りのテスト撮影を終えた本レンズへの評価に際し、色々と思うところはあったのですが、果たして私自身はこのレンズが欲しいのか?とシンプルに考えることにしました。その答えは実写映像をみながら想像していただきたいのです。
 
【参考資料】<2025・10 現在>
SONY FE 135mm F1.8 GM【10群13枚 全長127mm 重量950g 直販298,100円】
Canon RF 135mm F1.8L IS USM【12群17枚 全長130.3mm 重量935g 直販338,800円】
NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena 【14群16枚 全長139.5mm 重量995g 直販399,300】
  
 
 

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撮影可能だった博物館の展示スぺースにて。ガラスケース奥にあるクラシックな電話機を解放で一枚。うす暗い展示場でもf1.8 という明るさと、ボディー内手振れ補正のアシストを受けて余裕の一枚。本レンズ、画面全体に解放から文句のない解像度を示し、それは実写映像からもはっきりと感じられます。ガラスへの写り込みが効果的な前ボケに。

 

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展示されていたクリスマスツリーの飾りを、解放による近距離撮影。レンズの癖が出やすいシチュエーションですが、合焦部はもちろん、周辺の背景まで少しも乱れが見られません。口径食にもかなり気を使って設計されているようで、周辺のボケた光源もしっかり形状を保っています。

 

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エッジを少しも感じさせないボケ像ですが、かといって所在なく崩れてしまわずに、被写体の実像感を残しているのは見事。大口径レンズの解放にありがちな像の滲みもほぼ認められず、生地の糸一本一本が綺麗に描写されます。開放から使えるのではなく、とにかく解放で使いたいという欲求を抑えられません。

 

Dsc_0325

合焦部から前後ボケ像への繋がり方が異常な程にスムーズ、と言ってしまえばそれだけなのですが、この映像からは合焦部・非合焦部全てを含んだ、全描写範囲における膨大な枚数のレイヤーを統合したかのような印象を受けるのです。CTスキャン画像を元に3Dプリンターで立体を制作する過程と言えば近いのかもしれません。この濃密な情報が一平面上に集積されて表されたかのような描写による被写体の質感、それはもう鳥肌もの。「Plena」それが意味するところに、私なりの結論を導いた一枚となりました。

 

Dsc_0508

硬質な床面に反射する室内灯とそれによって生み出された家具の影。なんの変哲もない被写体ではありますが、映像から感じるそのリアリティーの凄まじさは特筆もの。レンズを通して生成された画像を見ていると言うより、実際にそこで目にしているような感覚に陥ります。

 

Dsc_0382

ポートレートを主眼に置いて設計されているであろう本レンズですが、絞り込んで遠景を描写するという、真逆とも思えるシチュエーションでさえ強烈な印象を与えてくれます。望遠レンズの特徴である遠近感の圧縮を受けた画像ですが、屋根瓦の重なり、針葉樹の葉や樹皮、スタッコ壁面に宿る一つ一つの立体感が、写真=平面であることを忘れさせます。

 

Dsc_0960

決して極端な接写を可能とするレンズではありませんが、薔薇の花のような比較的大きな被写体であれば、大きなボケを生かしてマクロレンズの様な撮影も可能です。大きくボケた背景の葉にさえも確かな前後感が宿り、結果被写体周辺の空気感がとても良く伝わってきます。

 

Dsc_0930

中学校時代に技術家庭科室(今は違う呼称でしょうか?)で使っていた事を思い出した、特徴ある木製の椅子。撮影に訪れたガーデンの屋外休憩所で再利用がされていました。賑わう教室、カーテン越しの日差し、すこし埃っぽい匂い、そんな懐かしい記憶が次々に想い出されます。

 

Dsc_0920

最短撮影距離付近での撮影。まだまだ暑い9月の下旬、高原では赤とんぼが羽根を休めていました。被写界深度を稼ぐ為、少しだけ絞っての撮影です。トンボの複眼や翅脈、体毛や棘、そのどれもが超高精細に記録されているのが圧縮された画像からでも伝わります。

 

 

 

LUMIX G MACRO 30mm / F2.8 ASPH.

P9120024



 

 

 小型センサーを採用するマイクロフォーサーズ機は、そのデメリットを語られる場面に多く遭遇するようなイメージがあって、メイン機材として登場初期の段階から愛用している自分としては少々やるせない思いをする事もあったりします。大型センサー機と比べ、同一画角においては使用するレンズの焦点距離が短く、その被写界深度も深く大きなボケを得られる条件が限られる事や、センサー1画素当りの面積が狭くなることによりダイナミックレンジが狭くなったり、ノイズの影響を受けやすくなる点がある事、などがデメリットとして取り上げられる事が多い印象です。しかしながら登場から15年以上の時間経過と共に、センサーの基本性能が上がった事や、映像エンジン・ソフトウエア等の進歩によってノイズを始めとした画質面での悪影響を感じる場面は非常に少なくなったという実感も大いにあります。レンズを中心としたシステム全体の容積・重量を大きく抑えられる点や、センサーシフト方式のボディー内手振れ補正が高い効果を発揮しやすい点など、利用場面によっては大きなアドバンテージを持っている事も周知ですから、改めて小型センサー機の魅力を再精査する時期に来ているのでは?とも思っています。

 ところで、欠点として挙げられることの多い「大きなボケを得にくい」という特性は、逆説的には被写界深度を活用した「ボケ過ぎない映像を手に入れ易い」という長所として考える事ができるとも言えます。特にマクロレンズを利用した接写撮影においては、被写界深度が極端に浅くなってしまう事を防げるという意味を持ちます。加えて同一画角を得るために使用するレンズの焦点距離が短くなった結果、最短撮影距離も短くなると言う特性も併せ持ちますから、結果、接写撮影は小型センサー機が最も得意とするフィールドの一つと言えるのです。実際、ほぼライフワークともなっている植物の撮影を日頃行っている筆者のメインシステムがマイクロフォーサーズシステムなのは、決して「カメラバックが軽くて済む」という年寄りじみた理由だけではないのです。

 さて、そんな接写撮影を得意とするマイクロフォーサーズ機ですが、販売されるマクロレンズラインナップからもメーカーの力の入れようを見て取る事ができます。フイルム時代から接写関連のレンズ・アクセサリーを幅広く展開していたOLYMPUS(現OMDS)からは、30/3.5・60/2.8・90/2.8の3本が、また、盟友Panasonicからは、30/2.8・45/2.8の2本が発売され、マウント互換の強みを生かした豪華な顔ぶれです。中でもOMDSの90mmは、フルサイズ比での単体撮影倍率が驚異の4倍を誇り、panasonicの45mmはLeicaのMacro-Elmaritを冠するなど、いずれもスペシャルモデルとしての立ち位置が明確な事に加え、OMDSの30mmは、初心者でも接写の世界に触れやすいよう直販サイトでも3万円以下で販売され、いわゆる「撒餌レンズ」としての側面を持ったモデルとなっています。

 今回テストを行ったPanasonicの30mmは、解放f値を3.5と控えめにしたOMDS製30mmと比較して、半絞り明るい f 2.8としたことに加えてレンズ内手振れ補正機構を搭載しています。販売価格的には若干高めとなりますが、シャッター速度の落ちやすい近接撮影(フルサイズでの撮影倍率1/2倍時で約1絞り)においては幾分有利となります。ボディー内手振れ補正との協調は純正同士の組み合わせでしか有効になりませんから、Panasonic製ボディをお使いなら本レンズを選択するメリットが大きいでしょう。Macro-Elmaritの45mmとは焦点距離上15mmの差しかありませんが、被写界深度や背景の写り込み範囲の変化を考えると、作画的に両方ともに入手したくなるのが頭の痛い話。比較的安価なレンズではありますが、しっかりと円形絞りを採用するなど描写への配慮も行き届いているのも好印象。スペック上限である等倍撮影時の最短撮影距離は0.105mとなるため専用のレンズフードは存在しませんが、フィルター径46mm・全長約63mm・重量180gと、カメラバックどころかシャツのポケットにも入ってしまうほどの小柄な躯体には驚嘆。そして何よりその描写性能にもしっかりと驚かされる事に。手持ちのフルサイズ関連機材も最近徐々に増えつつありますが、これからもマクロはマイクロフォーサーズで、というスタイルにやっぱり落ち着きそうなのです。

 

 

P1029313

キノコのように見えるのは瓦を留めている釘。腐食して浮き出してしまっているところに年月の重みを感じます。焦点距離30mmとは言っても最短撮影距離付近ではご覧の被写界深度。ボケには癖が少なく、周辺まで大きく乱れていないのは立派です。マクロレンズとしての性能は申し分無しですね。

 

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マクロ域でも被写界深度が稼げる30mmは、こういった厚みのある被写体でその力を発揮します。ボケボケにならずに適度に被写体の情報が残ってくれるので、背景の情報を作画に取り入れたい場合はとても重宝します。かなり強い日差しの下で撮影しましたが、トーンも上手く残ってくれました。

 

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フルサイズ換算で60mmとなる本レンズ、フイルム時代のAFニッコールやZeiss、Leicaの標準マクロレンズと同じ画角になりますね。ちょっと長めな標準レンズとして、マイクロフォーサーズの機動力の高さを生かした街頭スナップ等にも案外ハマります。気になった被写体に大胆に近づいても撮影範囲外にならないのはマクロレンズの特権です。

 

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近寄ってもパースのつき方が緩やかなので、攻撃的な絵面にならないのがこの辺りの画角のレンズの特徴でしょうか。それにしても1時間限りの時間猶予、ちゃんと調べると違反者続出してるんじゃないかと心配になります。

 

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二階の壁面に存在する鉄製の扉、一種のトマソン物件でしょうか。もしかしたらトラックの荷台に直接荷下ろししたりできる専用の搬出口なのかもしれません。絞り込んでもあまりカリカリ・キチキチの描写にはならないタイプのレンズの様です。やはり、こういった被写体よりは花などの接写を意識して設計されているのでしょう。

 

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反射する被写体を見つけると、これまた反射的にカメラを向けてしまいます。やはり、シャープネスの高さでごり押ししてくるタイプとは無縁の優しい描写をするレンズですね。画角的には標準ズームに内包されてしまう焦点距離なので、誰にでもお勧めとは言えませんが、一本加えて持っていると表現の幅を広げてくれるレンズなんじゃないかと思います。


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構成枚数も比較的少なくコーティングも優秀なのでしょう。いじわるな被写体ですがフレアコントロールも問題ないと思われます。トイレ付近でカメラをもってうろうろしていると不審者認定されてしまいそうです。絵的には「赤色のイラスト」が欲しかったのですが、ぐっとこらえて「Gentleman」を被写体に。かなり暗い室内でしたが、手振れ補正も良く効いてくれました。

 
 
 
 
 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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