NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena

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 Nikonがフルサイズデジタル一眼カメラのミラーレス化を図った際、そのマウント(ボディーとレンズの接合規格)を変更し「Zマウント」としたことは、当然の事だったとは言え大きなニュースとなりました。日本光学工業時代に開発された、レンズ交換式フイルム一眼レフその第一号機 Nikon F の発売と同時に産声をあげた 「Fマウント」は、カメラ・レンズの進歩に合わせた細かなアップデートを重ねつつも、その基本的な規格を維持したまま60年以上の長きに渡り関連製品が販売され続けていたからです。過去にはオートフォーカス化を機にマウント変更を行ったメーカーも存在する中で「不変」を貫けたのは、メーカーの姿勢や哲学のような物の影響も否定はしませんが、基本設計の優秀さや先見性がそれを可能にしたと考えるのが妥当でしょう。そして「Nikon F」がその高い完成度と揺るぎない堅牢性、レンズを中心とした撮影システムとしての高い汎用性を持って、日本の光学製品を世界へと羽ばたかせる立役者となった事実は「Fマウント」の存在を抜いて考えることなどできないのです。
 
 主流がデジタルとなり、やがて各社が開発の主力をミラーレス機へとシフトする中、35ミリフルサイズデジタルカメラのミラーレス化と「Zマウント」の採用をNikonが発表したのは、SONYのα7(フルサイズミラーレス機の先駆)の発表から5年後(2018年)の事。すでに完成の域に達していたFマウントデジタル一眼レフのシステムを置き換える為に、そしてなによりミラーレス化の恩恵を最大限に享受する為の規格策定に相当の時間がかかったのであろう事が想像できます。こうして誕生した「Zマウント」はミラーレス構造によって許された短いフランジバックを手に入れたと共に、Fマウントよりも11mmも広い55mmのマウント径を採用しました。この二点の大胆な変更はレンズ設計の自由度を飛躍的に高める事になる訳ですが、同時に「Fマウント」では物理的に不可能であったレンズの設計を可能とする事を意味しました。言い換えるならFマウントでは設計を断念したレンズに挑戦する事が「Zマウント」に与えられた使命の一つだったとも言えるかもしれません。
 
 それを裏付けたのは、Zマウントレンズの第一弾に名を連ねたNIKKOR Z 58mm f 0.95  S Noct の存在です。長年のライバルでもあるキヤノンは、レンジファインダー機時代に50mm f0.95、フィルム一眼レフの時代に50mm f1.0といったスペックのレンズを販売していましたが、Nikonからはついぞ f1.0 を超える明るさのレンズは登場しませんでした。Nikkor 銘に恥じぬ性能を持たせるためのハードルも相当に高かったとは思いますが、他社の製品を横目に物理的限界に挑戦しつつも辛酸をなめ続けた設計陣には同情を禁じ得ません。フイルム時代のNocto Nikkor 58mm f 1.2を礎とし、Zマウント発表とともに公表されたf0.95 Noct にはその目立つスペックや描写性能の裏に真のレゾンデートルを感じるのです。Nocto Nikkor というシリーズ的呼称ではなく、あえてレンズ名の最後に「Noct」という個別の名称を与えた理由にもそれは表れているのでしょう。
 
 そして「Noct」と同様に特別なアイデンティティを与えられたレンズ、それが 固有名称を持つ第二のレンズ NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena です。「Plena」の字面から初見では Zeiss の「Planar」と語源を共にする( Plan:平坦 <歪曲収差や像面湾曲を抑えた優れた設計を意味>)のかと早合点したのですが、実際はラテン語「Plenaum」(空間が満たされているの意)が由来であり、気圧が外部よりも高い状態にある密閉空間を示す用語として、工学・建築の分野などでも利用されているとの事ですが、二次元映像である写真と三次元的な要素をイメージする密度に関する言葉との関連性とはいったい何なのでしょうか。
 
 一見ミスマッチにも感じるその言葉と、女神を想起するようなミステリアスな響きを与えられた本レンズは、ミラーレス化以降活発に開発されている各社の最新大口径135mmレンズの一本に数えられます。主要スペックを見るに、手振れ補正機構を内蔵している為かCanonがレンズ使用枚数でトップとなる他は、レンズ構成群、全長、重量ともに最大となるのが「Plena」であり、価格に至っては頭二つほど飛びぬけた印象です。平均年収近辺でうろうろしている凡庸なサラリーマンには、もう簡単には手にできる価格ではありません。ここにもメーカーのただならぬ力の入れようが表れている訳ですが、もちろんレンズ枚数の多さが画質を上げるための必要条件ではなく、価格が上がったからとして、その描写性能も上がるとは限らないでしょう。まして個人的感情が多分に入り込む「描写性」に関する評価を絶対的な数値では示す事は出来ないのです。
 
 一通りのテスト撮影を終えた本レンズへの評価に際し、色々と思うところはあったのですが、果たして私自身はこのレンズが欲しいのか?とシンプルに考えることにしました。その答えは実写映像をみながら想像していただきたいのです。
 
【参考資料】<2025・10 現在>
SONY FE 135mm F1.8 GM【10群13枚 全長127mm 重量950g 直販298,100円】
Canon RF 135mm F1.8L IS USM【12群17枚 全長130.3mm 重量935g 直販338,800円】
NIKKOR Z 135mm f/1.8 S Plena 【14群16枚 全長139.5mm 重量995g 直販399,300】
  
 
 

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撮影可能だった博物館の展示スぺースにて。ガラスケース奥にあるクラシックな電話機を解放で一枚。うす暗い展示場でもf1.8 という明るさと、ボディー内手振れ補正のアシストを受けて余裕の一枚。本レンズ、画面全体に解放から文句のない解像度を示し、それは実写映像からもはっきりと感じられます。ガラスへの写り込みが効果的な前ボケに。

 

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展示されていたクリスマスツリーの飾りを、解放による近距離撮影。レンズの癖が出やすいシチュエーションですが、合焦部はもちろん、周辺の背景まで少しも乱れが見られません。口径食にもかなり気を使って設計されているようで、周辺のボケた光源もしっかり形状を保っています。

 

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エッジを少しも感じさせないボケ像ですが、かといって所在なく崩れてしまわずに、被写体の実像感を残しているのは見事。大口径レンズの解放にありがちな像の滲みもほぼ認められず、生地の糸一本一本が綺麗に描写されます。開放から使えるのではなく、とにかく解放で使いたいという欲求を抑えられません。

 

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合焦部から前後ボケ像への繋がり方が異常な程にスムーズ、と言ってしまえばそれだけなのですが、この映像からは合焦部・非合焦部全てを含んだ、全描写範囲における膨大な枚数のレイヤーを統合したかのような印象を受けるのです。CTスキャン画像を元に3Dプリンターで立体を制作する過程と言えば近いのかもしれません。この濃密な情報が一平面上に集積されて表されたかのような描写による被写体の質感、それはもう鳥肌もの。「Plena」それが意味するところに、私なりの結論を導いた一枚となりました。

 

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硬質な床面に反射する室内灯とそれによって生み出された家具の影。なんの変哲もない被写体ではありますが、映像から感じるそのリアリティーの凄まじさは特筆もの。レンズを通して生成された画像を見ていると言うより、実際にそこで目にしているような感覚に陥ります。

 

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ポートレートを主眼に置いて設計されているであろう本レンズですが、絞り込んで遠景を描写するという、真逆とも思えるシチュエーションでさえ強烈な印象を与えてくれます。望遠レンズの特徴である遠近感の圧縮を受けた画像ですが、屋根瓦の重なり、針葉樹の葉や樹皮、スタッコ壁面に宿る一つ一つの立体感が、写真=平面であることを忘れさせます。

 

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決して極端な接写を可能とするレンズではありませんが、薔薇の花のような比較的大きな被写体であれば、大きなボケを生かしてマクロレンズの様な撮影も可能です。大きくボケた背景の葉にさえも確かな前後感が宿り、結果被写体周辺の空気感がとても良く伝わってきます。

 

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中学校時代に技術家庭科室(今は違う呼称でしょうか?)で使っていた事を思い出した、特徴ある木製の椅子。撮影に訪れたガーデンの屋外休憩所で再利用がされていました。賑わう教室、カーテン越しの日差し、すこし埃っぽい匂い、そんな懐かしい記憶が次々に想い出されます。

 

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最短撮影距離付近での撮影。まだまだ暑い9月の下旬、高原では赤とんぼが羽根を休めていました。被写界深度を稼ぐ為、少しだけ絞っての撮影です。トンボの複眼や翅脈、体毛や棘、そのどれもが超高精細に記録されているのが圧縮された画像からでも伝わります。

 

 

 

LUMIX G MACRO 30mm / F2.8 ASPH.

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 小型センサーを採用するマイクロフォーサーズ機は、そのデメリットを語られる場面に多く遭遇するようなイメージがあって、メイン機材として登場初期の段階から愛用している自分としては少々やるせない思いをする事もあったりします。大型センサー機と比べ、同一画角においては使用するレンズの焦点距離が短く、その被写界深度も深く大きなボケを得られる条件が限られる事や、センサー1画素当りの面積が狭くなることによりダイナミックレンジが狭くなったり、ノイズの影響を受けやすくなる点がある事、などがデメリットとして取り上げられる事が多い印象です。しかしながら登場から15年以上の時間経過と共に、センサーの基本性能が上がった事や、映像エンジン・ソフトウエア等の進歩によってノイズを始めとした画質面での悪影響を感じる場面は非常に少なくなったという実感も大いにあります。レンズを中心としたシステム全体の容積・重量を大きく抑えられる点や、センサーシフト方式のボディー内手振れ補正が高い効果を発揮しやすい点など、利用場面によっては大きなアドバンテージを持っている事も周知ですから、改めて小型センサー機の魅力を再精査する時期に来ているのでは?とも思っています。

 ところで、欠点として挙げられることの多い「大きなボケを得にくい」という特性は、逆説的には被写界深度を活用した「ボケ過ぎない映像を手に入れ易い」という長所として考える事ができるとも言えます。特にマクロレンズを利用した接写撮影においては、被写界深度が極端に浅くなってしまう事を防げるという意味を持ちます。加えて同一画角を得るために使用するレンズの焦点距離が短くなった結果、最短撮影距離も短くなると言う特性も併せ持ちますから、結果、接写撮影は小型センサー機が最も得意とするフィールドの一つと言えるのです。実際、ほぼライフワークともなっている植物の撮影を日頃行っている筆者のメインシステムがマイクロフォーサーズシステムなのは、決して「カメラバックが軽くて済む」という年寄りじみた理由だけではないのです。

 さて、そんな接写撮影を得意とするマイクロフォーサーズ機ですが、販売されるマクロレンズラインナップからもメーカーの力の入れようを見て取る事ができます。フイルム時代から接写関連のレンズ・アクセサリーを幅広く展開していたOLYMPUS(現OMDS)からは、30/3.5・60/2.8・90/2.8の3本が、また、盟友Panasonicからは、30/2.8・45/2.8の2本が発売され、マウント互換の強みを生かした豪華な顔ぶれです。中でもOMDSの90mmは、フルサイズ比での単体撮影倍率が驚異の4倍を誇り、panasonicの45mmはLeicaのMacro-Elmaritを冠するなど、いずれもスペシャルモデルとしての立ち位置が明確な事に加え、OMDSの30mmは、初心者でも接写の世界に触れやすいよう直販サイトでも3万円以下で販売され、いわゆる「撒餌レンズ」としての側面を持ったモデルとなっています。

 今回テストを行ったPanasonicの30mmは、解放f値を3.5と控えめにしたOMDS製30mmと比較して、半絞り明るい f 2.8としたことに加えてレンズ内手振れ補正機構を搭載しています。販売価格的には若干高めとなりますが、シャッター速度の落ちやすい近接撮影(フルサイズでの撮影倍率1/2倍時で約1絞り)においては幾分有利となります。ボディー内手振れ補正との協調は純正同士の組み合わせでしか有効になりませんから、Panasonic製ボディをお使いなら本レンズを選択するメリットが大きいでしょう。Macro-Elmaritの45mmとは焦点距離上15mmの差しかありませんが、被写界深度や背景の写り込み範囲の変化を考えると、作画的に両方ともに入手したくなるのが頭の痛い話。比較的安価なレンズではありますが、しっかりと円形絞りを採用するなど描写への配慮も行き届いているのも好印象。スペック上限である等倍撮影時の最短撮影距離は0.105mとなるため専用のレンズフードは存在しませんが、フィルター径46mm・全長約63mm・重量180gと、カメラバックどころかシャツのポケットにも入ってしまうほどの小柄な躯体には驚嘆。そして何よりその描写性能にもしっかりと驚かされる事に。手持ちのフルサイズ関連機材も最近徐々に増えつつありますが、これからもマクロはマイクロフォーサーズで、というスタイルにやっぱり落ち着きそうなのです。

 

 

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キノコのように見えるのは瓦を留めている釘。腐食して浮き出してしまっているところに年月の重みを感じます。焦点距離30mmとは言っても最短撮影距離付近ではご覧の被写界深度。ボケには癖が少なく、周辺まで大きく乱れていないのは立派です。マクロレンズとしての性能は申し分無しですね。

 

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マクロ域でも被写界深度が稼げる30mmは、こういった厚みのある被写体でその力を発揮します。ボケボケにならずに適度に被写体の情報が残ってくれるので、背景の情報を作画に取り入れたい場合はとても重宝します。かなり強い日差しの下で撮影しましたが、トーンも上手く残ってくれました。

 

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フルサイズ換算で60mmとなる本レンズ、フイルム時代のAFニッコールやZeiss、Leicaの標準マクロレンズと同じ画角になりますね。ちょっと長めな標準レンズとして、マイクロフォーサーズの機動力の高さを生かした街頭スナップ等にも案外ハマります。気になった被写体に大胆に近づいても撮影範囲外にならないのはマクロレンズの特権です。

 

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近寄ってもパースのつき方が緩やかなので、攻撃的な絵面にならないのがこの辺りの画角のレンズの特徴でしょうか。それにしても1時間限りの時間猶予、ちゃんと調べると違反者続出してるんじゃないかと心配になります。

 

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二階の壁面に存在する鉄製の扉、一種のトマソン物件でしょうか。もしかしたらトラックの荷台に直接荷下ろししたりできる専用の搬出口なのかもしれません。絞り込んでもあまりカリカリ・キチキチの描写にはならないタイプのレンズの様です。やはり、こういった被写体よりは花などの接写を意識して設計されているのでしょう。

 

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反射する被写体を見つけると、これまた反射的にカメラを向けてしまいます。やはり、シャープネスの高さでごり押ししてくるタイプとは無縁の優しい描写をするレンズですね。画角的には標準ズームに内包されてしまう焦点距離なので、誰にでもお勧めとは言えませんが、一本加えて持っていると表現の幅を広げてくれるレンズなんじゃないかと思います。


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構成枚数も比較的少なくコーティングも優秀なのでしょう。いじわるな被写体ですがフレアコントロールも問題ないと思われます。トイレ付近でカメラをもってうろうろしていると不審者認定されてしまいそうです。絵的には「赤色のイラスト」が欲しかったのですが、ぐっとこらえて「Gentleman」を被写体に。かなり暗い室内でしたが、手振れ補正も良く効いてくれました。

 
 
 
 
 

M.ZUIKO DIGITAL ED 17mm F1.2 PRO

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 「マイクロフォーサーズってボケないって言うじゃないですかぁー」

 初めてカメラを購入するというお客様に、軽く、小さく、比較的懐にも優しいマイクロフォーサーズのカメラを選択肢として提案すると、結構な確率でこう否定されてしまいます。十二分に写りの良いスマートフォンを持ちながらも、あえてカメラを購入したいのだという動機の一つには「ボケを生かしたた写真を撮りたい」という目的がしっかりと存在しているのだという事を改めて強く感じますし、むしろスマホの画像とカメラの画像の決定的な違いは「ボケ」にあると思っている方も相当に多いのでしょう。「ボケないカメラだったらいらない」そういった結論が存在するのもなるほど頷けます。

 この「マイクロフォーサーズ=ボケない」は言葉として分かり易い反面、重要な前提条件や枕詞が隠されている事に、カメラや写真の事を少し勉強すると気が付きます。「ピントを合わせた被写体までの距離が同じであり、且つ同一の画角・絞り値で撮影した場合」が前提であり、「より大型のセンサーを搭載した機種と比べると」という枕詞が続きます。仮に35ミリフルサイズ機で焦点距離50mmのレンズと同じ画角で撮影する為には、マイクロフォーサーズ機では25mmのレンズを用いる事になるのですが、「被写界深度」についての知識があれば、25mmは50mmよりも背景や前景がボケにくい事に気づくはず。(もちろん前述の通り被写体までの距離が同じで、且つ絞りが同じであれば・・・です)

 なるほど「マイクロフォーサーズ=ボケない」は確かに正しい一面を表していますが、それは絶対的な事象ではなく、あくまで大型センサー機との比較による相対値。それがちゃんと伝えられていないが故、初心の方にさえバッサリと切り捨てられてしまうのは、なんだかもったいないなぁと思うのです。被写界深度に関する知識を身に着け、それなりの条件を揃えることができれば、「マイクロフォーサーズもボケる」のだという事を、我々のような販売に従事する者がしっかりと啓蒙していかなければならないなぁ、と改めて反省したりしなかったり・・・・・。

 さて、被写界深度についての理解が進めば、マイクロフォーサーズの様な小型センサー機であっても、ボケを生かした撮影が可能となる条件をいくつか挙げることができるでしょう。「長い焦点距離のレンズ(いわゆる望遠レンズ)を使う」「被写体に近寄る」「ピントを合わせる被写体と背景や前景との距離を離す」そして「絞りを開けて撮影する」事です。前者の3条件は知識として持っていて損はありませんが、撮影条件や被写体の種類によって制限を受けますし、なんと言ってもフレーミングとの兼ね合いで実践できない場面も多いでしょう。結果、実際ボケを活用するには「絞りを開けて撮影する」事になるでしょう。これは解放f値の数字が小さいレンズを利用することでいつでも可能となる有効な手段ですから、小型センサーを採用している機種こそ、ズームレンズよりも明るいf値を持った単焦点レンズを入手することに大きな意味があるとも言えます。少々古い話になりますが、Panasonicが初期のマイクロフォーサーズ機GF1にキットレンズとして20mm f1.7という明るい単焦点レンズを採用していたのは、そういったメッセージも込められていたのでしょう。

 当然、メーカー側もそれを意識しているハズ。OMDS(旧オリンパス)からは、描写性能・防塵防滴性能に力を入れたPROシリーズに属するレンズとして、解放f値を1.2とした17mm・25mm・45mmの3レンズを堂々ラインナップしています。1.4ではなく1.2としているのは、やはりボケへの拘りも相当に大きいのだろうと想像できます。とても興味深かったのは、焦点距離が違うこの3本の基本的な描写傾向がとても似通っている事です。当然画角は大きく違う訳ですが、仕上がった画像から共通の雰囲気が漂ってくるのです。デジタルに特化した新しい性能基準のレンズですから、解放から極めて解像度が高く繊細な描写を見せる反面、その解放では僅かにハロを伴う絶妙な柔らかさを持った優しい写りを見せます。一段絞るだけでこのハロは解消し、透明感の高いスッキリとした描写へ変化。f2.8辺りですでに解像度のピークへ達し回折の影響が出始めるf8辺りまで極上の解像感をともなったキレの良い画像を提供してくれます。肝心のボケ味もエッジ感の少ないとても素直なものとなり好印象です。被写界深度が深くなる17mmは、さすがにボケ自体は控えめになりますが、広角レンズにありがちなエッジが目立つガチャついたボケになる様子も無く率先して絞りを開けられます。

 今回17mmを試用したことで、三兄弟、もとい三つ子のような印象を強く受けた1.2PROの三本。直販価格も全くの同価格(2025年現在税込み176,000円)と、決して安価とはいきませんが、全てを入手する価値もまた相当に大きいモノになるでしょう。冒頭、懐に(比較的)優しいと言った事を既に忘れているような発言ですが、OMDS製品としては、17mm・25mm・45mmのf1.8 (直販合計131,560円)シリーズが1.2PRO 一本分でお釣りも頂けますので、先ずはその辺から「決してボケないわけではないマイクロフォーサーズ」を是非とも体感してみて欲しいのです。

 

 

 

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雨に濡れたクラシックカー。ハロを纏う独特の解放描写が高い湿度の空気と好マッチング。17mmという短い焦点距離なので、本来被写界深度はそれなりの広さ。しかし被写体にしっかりと寄り1.2という絞りを生かす事でボケを伴った一味違うスナップが可能になります。最短撮影距離は20cmと驚異的な数値。寄る事でさらに大きなボケを手に入れる事もできます。

 

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解像度の高いレンズですが、無機質にならず程よい柔らかさを残した品のある描写をします。この辺りの雰囲気や素直なボケ味は25mmや45mmの1.2PROも同様の感想を抱きます。カメラ任せだとオートフォーカスの合焦点が思い通りになりにくい被写体ですが、フォーカスクラッチ機構を内蔵しているので、フォールディングをほぼ変えぬまま瞬時にマニュアルフォーカスへ切り替えが可能なのもシリーズ共通の利点。

 

 

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1.2という解放を実現する為に、15枚ものガラスを組み合わせた非常に凝ったレンズ構成を持つ本レンズですが、前後のボケ方にも差異や癖が感じられないのでその解放描写を多くのシチュエーションで楽しめます。ボカす事にこだわった設計、そんなメッセージさえ受け取れるのです。

 

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歳のせいか、最近はライカ判(24x35)や3:4の長方形フレーミングだと、この画角のレンズは少々広いと思う事が多くなった気がします。1:1にするとしっくりと来るので、17mmをカメラに付けた時は、スクエアフォーマットを多用しがちです。

 

 

  

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1.2PROシリーズは、3本共に解放では少し柔らかめな描写をしますが、17mmにはその傾向がより顕著に表れている気がします。解像度は十分に高いながらも、湿度を伴った様な妖艶な描写です。周辺まで解像感は保たれるので、描写性能が落ちていると言うより、紗や弱いディフューズ系のフィルターを掛けたような印象になります。

 
 
  
 
 

SONY FE 135mm f1.8 GM (SEL135F18GM)

 

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 デジタル一眼レフ市場へ参入する際、一部高級レンズの看板として「Carl-Zeiss」を掲げたSONY。事業引継ぎ元のKonica-MINOLTA時代から、一部の交換レンズには「G」の称号を用いシステム内での差別化を図っていましたが、デジタル一眼レフへの本格参入に合わせてリリースされた数本のレンズには「Zeiss」のブルーバッチが付与されました。参入当初から「高性能」である事を端的にPRする為、不動の評価を持つ「Zeiss」の看板を巧みに利用した恰好ではありますが、京セラのカメラ事業撤退で先行きに黄信号が灯った「Zeiss」の写真用レンズを存分に利用できるシステムが存続したことは、ユーザーサイドからしても大きなメリットとなったはずです。
 
 登場レンズ中、もちろん単焦点レンズに注目しましたが、CONTAX-N シリーズ用で既にAF化を達成していたPlanarの50mm・85mmよりも、知る限り初のオートフォーカスレンズとなったSonnar 135mm f 1.8 ZA への期待が膨らみました。加齢による劣化が進む自身の視力に自信が持てなくなっている事もあって、極薄となる f 1.8 解放時の被写界深度下ではマニュアルでのピント合わせは難航必至。ここは素直に文明の利器に頼るのが最適解だと考えたからなのです。実際同レンズを初めて手に取る事になったのは製造中止後になってしまったのですが、フイルム時代のCONTAX Planar 135mm f 2 やZF.2マウントのAPO-Sonnar 135mm f 2 の試写を行った時と同様、その描写に何とも言えないため息の混じりの感想を抱く事となりました。マウントアダプター併用による試写でこそありますが、ミラーレス一眼のその高いAF精度の恩恵は計り知れないものがあったのです。
 
 さて、その後SONYは他社に先駆けてフルサイズデジタル一眼のミラーレス化へ舵を切り、その際に投入されるレンズにも過去同様にZeiss製レンズのラインナップを展開した訳ですが、Sonnar 135mm f 1.8 ZA はミラーレス用のEマウントレンズとして生まれ変わる事は無く、SONYブランドの本レンズ FE 135mm f1.8 GM にバトンを渡す事となりました。同様に、当初Zeissネームで登場した多くのレンズが、現在SONYブランドへ粛々と置き換えられている様にも見えるのですが、「Gレンズ」や「G Master」レンズを中心としたSONYレンズへの高い評価が定着した事で、「Zeiss」という看板に固執する必要がなくなってきた事を意味しているのかもしれません。(本当の理由は知りませんが・・・・)良い機会ですので「G」や「G Master」そして「Zeiss」について、SONYが語るコンセプトをメーカーサイトから拝借してご案内させて頂くとしましょう。

「Gレンズ」

 ハイレベルな写真表現のために、ソニーの光学技術を結集して設計された「Gレンズ」。レンズ性能を大幅に向上させる高精度な非球面レンズをはじめ、色収差を徹底補正するためのED(特殊低分散)ガラス、なめらかで美しいぼけ味を実現する円形絞り、ゴーストやフレアを限りなく抑えるナノARコーティング技術。さらに、操作性に優れたボディデザインや形状など、使い心地も徹底的に吟味。描写性も信頼性もワンランク上の品質基準を目指した、光学テクノロジーの粋を集めたGレンズの描写性能が、高度な写真表現を可能にします。

「G Master」

 画像処理の高速化とデジタル化により進化を続けるカメラの表現力を最大限に引き出すために開発された「G Master」。諸収差を効果的に補正する超高度非球面XA(extreme aspherical)レンズの採用や、従来よりも高い周波数の性能基準などにより、圧倒的な解像性能を追求。Gレンズでこだわってきたぼけをさらに進化させ、とろけるようにぼけていく理想的なぼけ味を実現。細部まで精緻に捉える解像力と、美しいぼけ味、精度とスピードを兼ね備えたAF性能を高次元で融合させたG Masterが、表現者の創造力をさらなる高みへと誘います。

 「Zeiss」

理想的なレンズ性能を求めてソニーとツァイスが共同開発した高性能レンズが「ツァイスレンズ」。光学性能に徹底的にこだわり設計されたツァイスのレンズは、情感まで描写すると言われ、階調、色再現、透明感、立体感、ぼけ味など、被写体の微細な質感までを再現します。また、光の透過率が極めて高い独自の「 T*(ティースター)コーティング」により、画質低下の原因ともなるフレアやゴーストを最小限に抑え、忠実な色再現とヌケの良い卓越した描写を実現します。

 

 新たに「G Master」となった135mm、標榜する美しいボケと究極的な解像度を引っ提げ、さらにAマウントのSonnarと比較して若干ながら軽量化を達成。ほぼ同一のスペックで存在するSIGMAのArtも加えればまさに三つ巴の競演。もう全部購入して日替わりで持ち出したくなる粒ぞろいですから、防湿庫に並べれば、さしずめ後宮を従えた帝にもなった気分にもなるのでしょう。まずは、買うとしたら何れの一本からか?これも究極の選択を迫られそうです。

 

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合焦面の前後に美しいボケの空間が広がる明るい中望遠レンズ。その圧縮された空気感が、被写体との距離感を絶妙な印象で伝えてくれます。85mmや100mmクラスのいわゆるポートレートレンズとは少し違った表情を捉えてくれるので、どちらか一本とは言わずやはり両方持っておきたくなるのが悲しい性。

 

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後ボケを確認する為にわざわざ悪目立ちしやすい駐車場の白線(文字)をフレーム内に。エッジが目立つと合焦部よりも気になってしまう事もありますが、さすがはGMレンズと言った所でしょうか。被写体の情報を適度に残しつつも嫌なエッジの発生は無く、気兼ねなく大きなボケを生かせそうです。

 

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梅雨時の晴れ間でしたが、初秋を思わせる高原の雲。少しばかり絞り込んで塔(避雷針?)全体が被写界深度内に収まるように一枚。後日、日焼け跡がヒリつくような強い日差しでしたが、きつくなり過ぎないコントラストがとても好印象でした。

 

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大柄なレンズですから市街地で振り回すには躊躇しますが、こんな街角のスナップにはとても重宝します。大きなボケが被写体を浮かび上がらせ、繊細なピント面が主題をキッチリとアピール。何処に向けてもいい映像を捉えてくれるので、メモリーカードの残量がみるみる減って行くのを覚えます。

 

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訪れた日は休業だった古書店の軒先。圧縮されたデータからは分かりずらいですが、本の手触りや紙の匂いまでが思い出せそうなのは、緻密に解像されている証。緩い描写で雰囲気を醸し出すタイプの描写も好みですが、高い解像度によるリアリティーによって、物の存在感が濃密に伝わってくるこういった描写ももちろんアリでしょう。

 

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画面全域にとても高い解像度を誇る本レンズですが、絞り込んでも線が太くならず精細な描写を維持します。ダムという巨大建造物が放つ独特の重量感を望遠レンズの圧縮効果で強調。この地元「八ッ場ダム」は完成まで紆余曲折があり話題の尽きなかった事を思い出しますが、現在は観光地としても人気スポットになっています。

 

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前日の豪雨の為か、放水の迫力が半端ではありませんでした。轟音と飛沫が飛び交う中で1/8000秒のメカシャッターによる撮影です。シャープネスが肝となる被写体は感度を上げる事がためらわれるので、思い切って絞りを開けられるのは大口径レンズならではの武器。解放付近でも高い描写力を発揮するGMレンズですから遠慮なく絞りを開けていけます。

 

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ダムの下流には、景勝地として有名な吾妻渓谷が存在します。ダムの放水によってあまりお目にかかれない水嵩となった渓谷は、独特なエメラルドグリーンの流れに満たされとても幻想的でした。

 

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かつて鉄山のあった地域にある駅の遺構。離れた場所の貨車にピントを合わせ、絞りは解放に設定。遠景の被写体でも合焦部のキレによどみがなく、綺麗に結像しているのは見事です。すこし緩目の解放描写を売りとする大口径レンズも多いですが、本レンズは距離や絞りに関わらず高い結像性能をみせてくれる頼もしいレンズです。

 

 

 

SIGMA 135mm F1.8 DG | Art (SONY-E)

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 交換レンズの主流が「単焦点レンズ」だった時代、35mm一眼レフ用の135mm単焦点レンズは望遠レンズの代表格だったと言えます。まだまだ一眼レフカメラが高嶺(高値)の花だった頃に、手の届きやすい価格展開でベストセラーとなったPENTAX SPシリーズなどは、現在買取品として持ち込まれる際、標準レンズと共に28mm f 3.5・135mm f 3.5 (f 2.5) がセットになっているケースが非常に多い事からもその一端は伺えます。現在のデジタル一眼入門セットで言えば、ダブルズームキットの望遠側を担っていたと言い換える事もできるでしょう。被写体の引き寄せ効果、浅い被写界深度、大きなボケ、遠近感の圧縮といった標準レンズとは違う「望遠レンズらしい」表現効果がしっかりと感じる事ができる135mm。さらに効果の大きな200mmクラスとなれば画角を含めて標準レンズとの差が大き過ぎて被写体を選ぶきらいもありますから、汎用性を考えれば妥当な着地点だったのでしょう。

 総じてフイルム当時のカメラメーカーは、そのレンズラインナップに135mm f2.8 もしくは f3.5スペックのレンズを必ずと言って良いほど加えていましたが、本格的にズームレンズが浸透し始めた頃からは、135mmは35-135mmといった標準ズームレンズのテレ端の焦点距離として我々の眼に触れる事が増えました。一方、70-200mmや100-300mmといった望遠ズームレンズにその焦点距離が内包された事で、その存在感は以前に比べると薄まった印象もありました。やがてオートフォーカス化が進み、カメラメーカー各社から明るさ f 2.8クラスの80-200mmズームレンズがリリースされ始めると、短焦点の135mmは、誰もが購入する普及価格帯のレンズではなく、明るさ f 2 クラスのプレミアムレンズが中心となる、「大口径中望遠レンズ」としての立ち位置を明確化させました。加えて、ソフトフォーカス(Canon EF 135mm f2.8 ソフトフォーカス)やボケにこだわり、主にポートレート撮影に特化したと思われる特殊な肩書を持つレンズ( Nikon Ai AF DC-Nikkor 135mm f2 ・MINOLTA STF 135mm f2.8 [T4.5])が多いのも135mmの特徴となったのです。(上記3レンズは、残念ながら現在は全て製造を終了しています。)

 そしてデジタル化を迎えた現在では、f 2 クラスの135mmは、各社で明るさに磨きをかけた f 1.8 クラスへと進化し、価格も含めたプレミア感はさらに増しています。フルサイズミラーレス用としては、Canon・SONY・Nikon 何れのメーカーも135mmには f 1.8 を展開。特にNikonは「Plena」という固有愛称を与える力の入れようですから、一週回ってメーカーの看板レンズとしての側面を持ち始めたと言っても良いのかもしれません。本レンズもカメラメーカー各社がミラーレス化を果たす以前にSIGMAを代表するArtシリーズの一本としてリリースされたのですが、フィルター口径82mm・全長約140mm・重量約1.2キロ(Sony-Eマウント)という弩級仕様。機材の重さが気になりだした初老の筆者などにとっては弩M級の重量。小型のカメラバックであれば、本レンズを取り付けたカメラ一台で飽和状態になります。残念ながら、ミラーレス専用設計モデルのアナウンスを待たず、現在全マウントの生産が完了しましたが、驚愕の描写性能を保持しつつ小型軽量化の期待できるDG-DNシリーズへの転生を期待しようではありませんか。

 

 

Dsc05060

写り込む被写体全ての情報を望遠レンズ独特の圧縮された遠近感の中に閉じ込めます。繊維の種類毎によって変化する衣類の質感、ハンガーやイーゼルの木目の調子、ファスナーの金属部品の光沢感、素材の持ち味を容赦・遠慮・手抜き無く結像させることで、街角のスナップに極上のリアリティーを生み出します。紛れもなく「良レンズ」。

 

Dsc05032

似た様な被写体が混在する中ですが、合焦部が綺麗に浮かび上がります。ある程度離れた距離からの撮影ですが、135mm の被写界深度の浅さからくる合焦点後ろのボケと本レンズのキレの良さが上手くマッチしました。

 

Dsc04650

生命の神秘ってやつでしょうか。なぜか一本だけが別の方を向くチューリップに、どことなく親近感を覚えるから不思議です。小雨交じりで厳しい条件下でしたが、こういった状況でなければ得られない映像があるのも事実。せっかくの休日が雨天だと気分も滅入りがちですが、強行して撮影に出かけた事でご褒美にあり付けた気分です。

 

Dsc04738

すこしトリッキーな映像です。ウッドデッキにたまった雨水と池の水面、それぞれに対岸の樹木が反射し写り込んでいます。風がほとんどなく水面が凪いでいたためにまるで鏡を覗いているかのような描写になりました。

 

Dsc04985

遠近感が圧縮されたことも手伝い、鎖の重量感が良く伝わってきます。ボケ方の癖が出やすいタイプの被写体であっても上品な描写です。硬すぎず、柔らかすぎずの好印象。これなら存分に開放絞りを堪能できます。

 

Dsc05042

ショッピングモールでウインドーショッピングがてらの撮影。口径82mmとかなり目立つ外観ですから、人込みでの振り回しは神経を使うのではないでしょうか。おそらくは都会だと速攻「不審者」扱い。こんな時は田舎住まいも悪くは無いと思う瞬間です。

 

Dsc04760

繊細な、という表現がが似つかわしい合焦部の描写。しかしながら頼りなさや儚さではなく、凛とした力強さを感じます。こういった小さな被写体を相手にする際、ミラーレス機のAFはとても頼もしく、被写界深度の浅い望遠レンズであっても解放絞りを躊躇なく使えます。
 

Dsc04785

少々悪ふざけ。合焦部の先鋭度が高いから許される映像でしょうか。当たり前ですが、水面の波紋は刻々と変化し、たとえ秒間10コマ以上の連写であっても同一カットは存在しません。20枚ほどのデータからお気に入りをチョイスするのですが、時間を置いてから選択すると、また違ったカットを選んだり・・・・。こういうのもまた写真の楽しみなんですよね。

 

 

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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