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2019年2月

Leica DG VARIO-ELMARIT 12-60mmf2.8-4.0 ASPH

 長年カメラ店に勤務していますが、初めてカメラを購入するというお客様に「単焦点レンズ」をセットでお勧めすることは現在ではほとんどありません。基本的に多くのお客様がカメラを購入する際には、様々な被写体・シチュエーションでの撮影を希望しており、画角を連続的に変化させられるズームレンズがその目的に合致しているというのがもっともな理由ですが、メーカーがボディーとセット販売されることを想定して製造している「キットレンズ」はどれも、小型・軽量・安価の三拍子で、描写性能も決して低くない為に誰にでも安心して勧められるというのも理由の一つです。

 ところが、自分自身でズームレンズを購入するケースは極めて稀であると言わざるを得ません。高性能なズームレンズが身近になった昨今であっても、解放f値や、描写性能においてはまだ単焦点レンズが一枚上手と感じる場面が少なくなく、自分の撮影スタイルでは小型・軽量な単焦点レンズを数本持ち歩いた方が、結果として荷物が少なくなる事が実際多いものなのです。また、ズームを購入する積極的理由が見当たらない事にプラスして、「○○㎜のレンズで撮った」という自分にとって撮影上の重要な分部が曖昧になってしまうのが、どうにも「嫌」なのです。どんな道具を使用しても結果としての写真が良ければ、それで良いはずなのですがどうにも困った性分です。

 しかし、実際問題「依頼された撮影」ともなれば、そうも言ってはいられません。レンズ交換に割く時間でシャッターチャンスを逃す訳にはいきませんし、決められた足場から様々な画角での映像を記録しなければなりません。フレーミングを変えるためにその都度移動しているカメラマンなんて周囲には一人もいないのですから、ここは好き嫌いなどと言ってはいられません。

 幸いなことに、数社が共通のマウントを利用するマイクロフォーサーズには多種多様な標準ズームレンズが存在しています。低価格の普及クラスから、携帯性を考慮した沈胴タイプ、描写性能を高めたプレミアムモデルなど、10を超えるレンズが選択肢に上がります。その中で選んだのが本レンズとなります。フイルム時代にやはり仕事で使っていたNikkorの24-120㎜と画角が同じである点、メインボディーとの協調で高い手振れ補正機構を利用できる点、ワイド端での解放f値が2.8と実用的である点、スペックからすれば非常に軽量である点など、その理由は多岐に渡りますが、やはり決定的だったのは過去に手にしたPanasonic-LeicaによるDGシリーズの描写性能に惚れ込んでいたという点が大きかったでしょう。

 最新のレンズらしく、どの焦点域でも非常に満足度の高い描写性能を発揮。単焦点レンズにあるような固有の特徴こそ感じませんが、それこそが「標準ズームレンズ」としての存在意義と受け取れるほど曖昧さのない画質を提供してくれます。5倍と昨今のズームレンズからすれば、決して大きい倍率ではありませんが、画角変化は非常に大きく、日常の撮影であればこれ1本で事足りるでしょう。細かい被写体ではボケの硬さを感じる場面もありますが、ズームレンズである事を考えれば十分合格点を付けられます。ズームリングやピントリング、フードや切り替えスイッチなどの作りこみも手を抜かずにされており、プレミアムレンズの名に恥じる点は感じられません。薄型の入門機ボディーとはやや不釣り合いですが、大型のグリップを持ったボディーとのマッチングは最高で、フットワークの良い撮影を可能にしてくれます。あえて苦言を呈するとすれば、標準添付のフロントレンズキャップが商品として販売されておらず、消耗部品として取り寄せると案外「高額」な点です。レンズ本体も安価な部類ではありませんが、無くした月の昼定食には、「みそ汁」を付けられなくのでサラリーマン諸氏はご注意あれ。

 安易にズームになじんでしまうと、移動することをせずにズームリングだけでフレーミングをしてしまい、被写体との対峙に積極性がなくなってしまう恐れがあります。動き回りながら、被写体との距離や角度を変化させることで新たな一面を発見することが撮影の醍醐味の一つですから、性能が高いからと言って、このレンズに頼り過ぎないよう少し自分を戒めています。もし、自分が写真を始めた時にこれほどのレンズを最初に所有してしまっていたら、ここまで写真にのめりこんでいなかったかもしれないと・・・。

 

 

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撮影が主目的でなければ、最近はカメラに本レンズだけ付けておでかけ。それで事が足ります。発色・質感描写、解像感、少し前ならズームレンズでは得られなかった映像が簡単に手に入ります。AF動作も非常に俊敏。シャッターボタンに軽く触れればすでに合焦済み。カメラマンの苦労は減る一方です。

 

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周辺まで破綻をみせない端正な絵作りは見事。絞りすぎによる回折に気を付ければ、簡単にパンフォーカス的な撮影ができる小型センサー機は日常の記録に最適です。

 

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タイルの目が細かくなる遠景の分部もきっちり解像しています。なんとなく写っていればいい、といった曖昧さは微塵も感じられません。「標準」ズームレンズの仕事は決して簡単ではありませんが、完璧にこなしていいます。

 

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デジタル補正の効果もありますが、歪曲収差はきっちり補正されています。薄曇りではありますが、完全逆光で、太陽光はかなり強烈な状況でした。嫌味なコントラストの低下もなく逆光性能も優秀です。

 

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とろけるような「ボケ」ではありませんが、印象は決して悪くないボケ味。リアリティーを求められる記録的な撮影には、これくらいの固さがむしろ好都合かと。

 

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ワイド端のフルサイズ24㎜相当の画角は、個人的に好きな広さ。超広角臭さを感じないギリギリの広さ。これも意地悪な逆光ですが、ゴースト・フレアの発生は感じられません。空にカメラを向けるとどうしてもワイドレンズでは太陽がフレームの中に入りやすくなりますが、安心して望めます。

 

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遠景の為分かりにくいのですが、写真の中に旅客機が2機写っています。拡大すると主翼に取り付けられたエンジンや尾翼の形状まではっきりと写しこまれています。あきれるほどの解像度。シャープなレンズが多いパナソニック製のDGシリーズですが、ズームでもその特徴が良く出ています。

 

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望遠端フルサイズ換算で120㎜は、ちょっとした望遠レンズです。電球一灯の明かり。解放f4の状態で1/15秒のシャッター。セオリーからすれば1/125秒が安全圏のシャッタースピードとなりますが、公称値以内とはいえ手持ち1/15秒で撮影した5カットすべてにブレが確認されないのは、驚きしかありません。

 

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標準ズームには「マクロ」的な撮影も必須。もともと近接能力が高い小型センサー機ではありますが、簡単な接写ならご覧の通り。決してオマケ的マクロではありません。どうですか?この質感。

 

M.ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4-5.6

 カメラをこの手に持って、すでに30年という時間を過ごしてきましたが、これまでOLYMPUSのレンズで写真を撮ったことはほとんどありませんでした。高校・大学と、もっとも写真に明け暮れた時間にそのユーザーが周りに少なかった事もありますが、小振りなボディーデザインが、無骨なNikonに慣れ親しんだ私の手には少々なじまなかったというのが本当の理由だったのかもしれません。

 さて、現在のOLYMPUSといえば、往年の銘機「PEN」シリーズをデジタルカメラとして復活させたマイクロフォーサーズ陣営の一角として、人気を二分するPanasonicとともに多くのレンズをラインナップしています。面白いことに標準系ズームレンズである14-45(42)mm以外は、双方に同一スペックのレンズが存在しないので、その事がレンズを選ぶ我々にとっては楽しみでもあり、また悩みの種ともなっています。

 実際、マイクロフォーサーズシステムの超広角レンズを購入する際は、Panasonic製の7-14mmとどちらにするか、かなりの時間悩みました。結果として2ミリ短い焦点距離とズームによってf値の可変しない点を重視して7-14mmを購入したのですが、今回試用した9-18mmの描写は、スペック上の小さな差には決して現れない確固たる個性を備えており、再び購入候補のレンズに上がってしまいました。

 広角側の焦点距離2ミリ分の譲歩とf値を可変方式としたことにより、本レンズは非常に小型・軽量となり、格納時の沈胴機構を作動させると標準ズームである14-42とほとんど変わらない外観になります。AF作動も非常に静穏かつ機敏で、レンズ前面に保護フィルターが装着可能な点からも広角スナップシューターとして存分に機動力を発揮してくれるでしょう。結像性能もズームレンズであることを忘れさせるほどで、画像エンジンとの連携でシステムとして描写力を高められるデジタル一眼の強みを感じることができます。絞りによる画質の変化も緩やかで、解放での素直な描写が、絞り込んでもあまり堅くならずに維持されます。極端なシャープネスの誇張が無く、質感の描写にも優れた本レンズは、解像度重視で画面に緊張感が走る7-14mmと比較して、広角域でのポートレートなどにも好適かもしれません。単純な比較はできませんが、あえて7-14mmを新世代のズミクロンとたとえるなら、9-18mmの写りは往年のズマロンを思い起こさせる、そんな所があるような気がします。

 あまりに小型で取り回しが簡便なために超広角レンズであることを忘れると、うっかり自身の指を写し込んでしまいます。別売りで定価5,000円と高価ではありますが、レンズフードは必携アイテムとなりそうです。

 

 

P1020480

日常の風景を一瞬で異世界へと変えてくれる超広角レンズ。その強烈な遠近感描写と肉眼を遥かに超えた広い画角は、写真ならではの独特の表現を与えてくれます。使い慣れないと癖ばかりが目立ってしまいますが、水平・垂直に気を付ければ案外自然な描写もしてくれるものです。

 

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広い画角を利用すれば、頭上を広く覆う空・雲・太陽を美しく捉えてくれます。何気なく見上げた空ですが、同じ風景は二度と撮影することはできないのですから、写真って本当に不思議ですね。ポケットにも入ってしまう超小型といって言いレンズですから、いつでも持ち歩いてそんな二度とない瞬間の記録に備えられます。

 

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9-18㎜という焦点距離は35ミリサイズでの画角に換算すると18-36㎜相当となります。数字の上では僅かな差ですが、画角は強烈に変化します。比較的自然な描写をする18㎜側から非現実的な描写をする9㎜。この変化を標準ズームレンズ同等の大きさのレンズで実現していることに、このレンズの本当の存在意義が隠れています。

 

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焦点距離が非常に短いレンズですから、屋外では簡単に深い被写界深度を利用したパンフォーカス撮影が可能です。パナソニックの7-14はカミソリでそぎ落としたような鋭利なピント面を見せますが、本レンズはどちらかといえば合焦部を彫刻刀で削りだして行くようなイメージでしょうか。許されるならばどちらも所有しイメージに合わせて使い分けをしたいものです。

 

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コーティングも新しいレンズらしく優秀です。逆光でも濁りの無い発色。ゴースト・フレアの類も通常の撮影では問題にはなりません。歪曲収差もデジタル補正の恩恵で気になるケースは稀でしょう。これほどの超広角ズームレンズを手のひらサイズで入手できるのですから良い時代になったものです。

 

Leica DG Summilux 25mm f1.4 ASPH


 

 フイルムカメラ時代、とりわけズームレンズが廉売されるようになるまで、カメラ購入時にセット販売されていたのは、「標準」レンズの代表格であった解放f値1.4クラスの50㎜レンズでした。誰もがこの画角で写真をスタートする、それが当たり前の時代でした。

 しかし、固定された画角ではズームレンズの様にフレーミングを自在に操ることは難しく、また、同じ画角は標準ズームにも内包されていますから、廉売される高倍率ズームレンズが、「標準」レンズの座を確固たものにした現在では、この種のレンズの存在理由に気が付くには、それなりの経験を積む必要があるのでしょう。昨今、本レンズを初めとして、35ミリフルフレームでの50㎜レンズの画角を有する単焦点レンズが、一種の特殊レンズとしてのポジションを与えられてるのは、ある種、当たり前の流れなのかもしれません。

 では、そういった時代背景の中、なぜいまだに多くのメーカーがこの旧世代の「標準レンズ」を作り続けているのでしょうか。しかも最近では、過去には想像もできなかった高額商品をラインに加えるメーカーさえあります。その答えの一つは、何といってもその「明るさ」でしょう。ズームレンズ比で2~3絞り程度余裕のある解放値は、多くの場面でシャッター速度の束縛から表現者を解き放ってくれますし、解放付近での浅い被写界深度を利用すれば、ズームレンズでは到底真似ができない表現を手にすることができます。また解放での描写性能に拘りをもった製品が多く存在しているのも、近年では大きな特徴となっています。Panasonicが、マイクロフォーサーズシステムにおいて、25ミリというレンズにあえて「SUMMILUX」の名を冠したLeicaブランドのレンズをラインナップしているのも、そういった一種のメッセージなのでしょう。

 解放f値によって命名規則(規則と言い切るには例外も多いですが)のあるLeica製レンズにおいて「SUMMILUX」といえば、解放f値1.4を与えられた「至高のレンズ群」ですが、本レンズも、フイルム時代のそれと光学系は全く別の新設計ながら、そのエスプリを十分に引き継いだ、やはり「究極のレンズ」となりましょう。解放から中心部の解像度は高く、前後のボケは非常に自然で美しく、本レンズ最大の魅力です。周辺画質・光量はそれなりに落ち込みますが破綻はなく、「味」と言い切れる程度です。f2.8あたりから全画面で均質な高解像描写となり、f8程度がピークです。絞りによって描写それぞれの顔を持ち、色のノリもよく重厚な表現に向く本レンズは、やはり「標準レンズ」の枠に収まらないスペシャルな一本となるでしょう。

 

 

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碓氷峠にある鉄道文化村に展示・保存されている機関車の運転台です。車両倉庫内のため日中でも非常に暗い場所なのですが、f1.4の明るさで手持ち撮影可能なシャッター速度が稼げます。なるべく感度を上げたくない場合にはこの明るさは代えがたい武器になります。

 

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フルサイズ50㎜の画角であっても、25㎜の被写界深度。ボケすぎないというM4/3の利点を生かした撮影スタイルは街中のスナップに好適です。

 

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合焦部からなだらかに続く後ボケが非常に美しいひとコマ。解像感とボケのバランスが良く、人物撮影などにもきっとマッチします。ボケの発生が急激すぎて、解放絞りが使いにくいレンズなどもありますが、M4/3のSUMMILUXは心配無用です。

 

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少し絞ってあげれば、25㎜というレンズはパンフォーカス撮影も可能です。(よく言われるのが、「28㎜レンズ」「f8」「3メートルにピント」)手前の草から遠景の雲まで、きっちり解像。フルサイズでは広角レンズの専売特許でしたが、標準画角でも簡単にパンフォーカスが体験できるのは小型センサー機の強みではないでしょうか。歪曲収差も少ないので直線的な被写体も大胆にフレーミングできます。

 

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前ボケも素直で美しいので、積極的に利用できます。前後のボケはどちらかを重視すると、もう一方が汚くなりがちなのですが、本レンズは前後のボケがとても均質で美しく、その点でも1.4と言う絞りを存分に堪能できます。

 

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現代的と言えばそれまでですが、発色も美しく、とてもクリアです。フイルム時代のズミルックスは、やや癖のある描写が「味」として取り上げられましたが、新時代のズミルックスは癖や曖昧さのない端正な画を作ります。ナノサーフェースコーティングも有効に働き、ゴーストやフレアーに悩まされることは無いでしょう。

 

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遠景の枝。ボケが乱れるレンズだと、途端に汚く感じる被写体ですが、本レンズでは心配無用でした。

 

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思いっきり露出を切り詰めたローキー調の撮影。モニターではなかなか伝わりませんが、シャドーの中のシャドーもきっちり描いてくれます。ミラーレスに撮影機材の主軸を移した最大の理由が、モノクロを見ながらモノクロを撮影できる事。機材の変化が撮影スタイルを大きく変えました。

 

バレンタインデーなにがし。

オリンパスさんから、嬉しいバレンタインのお知らせ。

E-M1 ファームウェアアップデートサービス再開のお知らせ(Ver.4.6)

Ver.4.5で長秒時露光の不具合があった新ファームの更新が思ったより早くはじまりました。

オリンパスさん素早い対応、ありがとうございます。

これで、初代E-M1も、あと3年は戦えそうです。(苦笑)

CONTAX Planar 85mm f1.4 AE-G

 フイルムカメラ時代のレンズを「オールドレンズ」と称して、マウントアダプターを介しデジタル一眼で撮影するスタイルは、ミラーレス登場初期から存在していましたが、フルサイズミラーレス一眼SONY-α7シリーズの登場でそのブームに一気に火が付きました。ミラーレス一眼はその構造上、レンズマウント面からセンサーまでの距離(フランジバック)が短く設計できるために、マウントアダプターを挿入する物理的余裕があり、登場当初からその撮影スタイルが存在していましたが、オリンパス・パナソニック陣営のM4/3フォーマットを始め、ミラーレス機は35ミリフイルムのフルサイズより小型のセンサーを採用した機種ばかりで、マスターレンズの画角を100パーセント利用できる環境はα7の登場までお預けだったからです。2018年後半になり、キヤノン・ニコン・パナソニックといったメーカーからも相次いでフルサイズデジタル一眼が発表になり、このアダプター撮影は一過性のブームではなく、今後は撮影ジャンルとして、確固たる地位を持つものとなるでしょう。

 そんな中で、最も脚光浴びている「オールドレンズ」の一つがヤシカ/コンタックス時代のZeiss製交換レンズです。フイルム時代から数々の名作や伝説を作ってきたそのレンズの描写を、ぜひともデジタルで楽しんでみたいというのは、多くのカメラマンの夢であることでしょう。事実、フイルムカメラボディーの中古相場がほぼ壊滅的状況となる現在も、一部のレンズにはフイルム時代と同じか場合によってはそれ以上の高値を付けるレンズが散見されるのです。本レンズも、フイルム時代から高い人気を誇り、京セラ・コンタックスがカメラ事業から撤退した現在でもZeissを代表する銘レンズとして、常に安定した相場で取引が続けられています。

 Planarといえば、そのレンズが持つ像面の平坦性と画面全体における画質の均一性から「平坦を意味するドイツ語Planを語源に持ち、長きに渡りローライフレックスやハッセルブラッドなどドイツを代表するカメラの標準レンズとしてその人気を不動のものとし、35ミリフイルムを使う日本製コンタックス一眼レフにおいても、「Planar」を使うためにボディーを購入するユーザーが存在するほどの看板レンズとなりました。とりわけ本85㎜は中望遠独特の緩い遠近感の圧縮、浅い被写界深度と適度なボケ量、被写体との絶妙な距離感といった物理的なレンズの特徴と、特有の合焦面の繊細な解像感と絹のベールを纏ったかのような解放付近の独特な描写、前後の溶けるような美しいボケ味から至高の「ポートレートレンズ」として、多くのカメラマンが愛用しました。

 長期に渡る製造のため、製造国・対応撮影モードの違いによって3種のバリエーションが存在する中で、最初期モデルをマウントアダプターを介し、M4/3フォーマットで170㎜相当の画角で試写しました。この括りはあまり好きではありませんが、時代を超えた「オールドレンズ」ならではのその特徴ある描写をご覧ください。

 

 

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実像感を残しながら、なだらかに溶けてゆく後ボケ。プラナー85の最大の特徴です。近代レンズのような切れ味はありませんが、合焦部の解像感も及第点です。

 

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撮影時は薄曇りでしたが、微妙な色彩の違いを綺麗に描き分けます。AEタイプのバージョンは絞りf2.8付近では羽の形状が風車状になり、条件によってはボケが乱れる原因になりますが、割り切ってその辺りの絞りを使わず、解放で撮影してしまえば問題ナシです。

 

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お手本のようなプラナーの玉ボケ。高解像度レンズではボケのエッジがもうすこし目立ってくるケースもありますが、絶妙なボケ具合です。

 

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前ボケは特徴的な滲みを伴う独特の美しいボケ。こんな冒険的な構図もその魔法でモノにしてくれます。余談ですが、85㎜f1.4は、初期のマニュアル露出・絞り優先AEに対応したドイツ製(通称AE-G)、のちプログラムAEなどのマルチモードAEに対応した(MM-G)、製造国を日本へ移した(MM-J)の3タイプ。絞り羽根の形状を改善したMMタイプ(最少絞りf16がグリーンに塗装)のドイツ製が市場では一番人気です。(ただし生産本数も多くはありません)

 

ファームウェアと畳

ドライバとか、ファームウェアの類の更新、皆さんどうしてますか?

OSとかアンチウイルスソフトの定義ファイルなどは、もちろん最新にしておいた方が、新種のウイルスソフトやマルウエアなんかに対しての防衛という観点からして、それが正解なのでしょうが、実際問題、Windows10とiTunesのアップデートは、過去に何度かアップデート後の不具合に見舞われ、対策・復旧に半日潰された記憶なんかもあるので、

「公開直後のアップデートはネットでの不具合報告をチェックしてから」

というのが、最近のスタイルになってます。

 

さてさてカメラのお話。

オリンパスからE-M1xなる、とんでもない新機種の発売に合わせ、無線で発光をコントロールするコマンダーが同時発表されました。

で、その無線のコマンダーに対応するべく、既存の機種向けに最新のファームが配られました。

何を隠そう、私め初代のE-M1のユーザーでして、この少しばかり古い機種にも、しっかりと最新ファームが配布されました。

おー。こんな古い機種もアップデートがあるなんて、オリンパスさんマジリスペクト!!

ってんで、さくっとアップデートいたしました。

まあ、そのコマンダー使うつもりもないんですけどね。。。

過去に、アップデートで反則とも言えるぐらいの機能強化をしているボディーでしたので、

「なんか、アップデートでまたスゲー良くなるかも」

というあらぬ期待をしてしまったのですが、

E-M1:Ver.4.5ファームウェアアップデート 一時中断のお知らせ

なんだが、不具合出たらしい(^^;;;;

「長秒時ノイズ低減機能が作動した際に誤動作する不具合」があるらしく、アップデートしちゃった場合にはメニューでOFFが推奨されてます。

ファームアップは、タイムリープ効かないので改ファームでるまで静観ですねー。。。

 

勝手な憶測なんですが、高感度と長秒時でのノイズが弱点なE-M1初代だったので、もしかしてその部分にもこっそり手が入ってたりして―。だったら嬉しいな・・・・・と。

新しければイイってものでもないんですね。

追記:2月14日に修正された新ファームが公開されました。

E-M1 ファームウェアアップデートサービス再開のお知らせ(Ver.4.6)

Carl Zeiss Distagon 35mm f2 ZF.2

 写真の世界においては、「標準レンズ」という言葉に含まれる「標準」は絶対的な指標にならず、とても「曖昧」だと言えます。野鳥や飛行機などを撮影する事の多いカメラマンからすれば、300mmクラスかそれ以上の焦点距離を持つレンズが「標準」となるでしょうし、オーロラなどをメインの被写体とする場合は、20mm以下の超広角レンズや180度以上の画角を持つ魚眼レンズが「標準」だとするフォトグラファーもいるでしょう。現在では28-300mmなどといった高倍率のズームレンズで写真を始める方も少なくないでしょうし、そうなると、「標準」を考える事にはすでに意味は無いのかもしれません。

 諸説はありますが、35ミリサイズのフイルムを利用し最初に成功を収めた「ライカ」に最初に取り付けられていた焦点距離50mmのレンズは、画角・被写体との距離も扱いやすく、その描写に遠近感の誇張・圧縮が少なく、写真特有の癖が出にくい点、さらに当時の技術でも比較的明るい解放f値を持った製品を開発し易かった事などもあり、その後も多くの製品に採用され、長きに渡って50mmは一般的「標準レンズ」として君臨しました。私自身も写真に興味を持った幼少期、父から渡されたニコンには50mmが取り付けてあり、それを「標準」として写真人生をスタートさせました。

 写真を学ぶ大学に入り課題をこなしながら、手持ちに幾つかのレンズが揃うようになった頃、目的を持たずに出かける際にカメラに付いているのは50mmではなく、35mmのレンズであることに気が付きました。少しだけ広い画角、少しだけ強調されるパース、少しだけ広い被写界深度。これらが自分の好む被写体や撮影スタイルにマッチしたのでしょう。以来、新しいカメラのシステムを考える時には、必ず35ミリフルサイズにおける35mmの画角を起点として考えるようになったのです。

 そして、Nikon Dfの購入に至った際、標準レンズの候補として真っ先に思い立ったのが本レンズだったのです。純正品にも35mmは存在していましたが、最新のNikkorはプラスチック感の目立つ外装とマニュアルフォーカス時の操作感がどうしてもなじめず、なによりZeissのレンズを絶対的に信頼していたこともあり、Nikonフルサイズシステムの「標準レンズ」として本レンズを購入しました。非球面レンズや贅沢な光学系を惜しみなく投入した解放f1.4のDistagonも存在するZeissの35mmですが、解放f2の本レンズは比較的に小型で取り回ししやすく、フィルター径も58mmと、小型の部類に入ります。マニュアル専用設計のため、抜群のヘリコイドの操作感が余裕をもたせた回転角も手伝って、非常に気持ちの良いピント合わせが行えます。写真を撮らない時には、このヘリコイドを肴に一杯やってもいいと思うほどです。

 近代のレンズらしく解像感が非常に高く、発色も非常にクリアで心地よく、いかなる条件でも破綻をみせないその描写はまさに「標準」に相応しく、自分の視覚の延長として思うがままに被写体を切り取ります。そして何よりZeissらしさをのぞかせるのが、美しく残された収差が見せる魔法の解放描写です。ヨーロッパに起源をもつレンズではよく引き合いに出される「空気が写る」という表現。無色透明ではあっても、被写体との間に確かに存在するその物体を、瑞々しく記録するドイツのエスプリは、日本製造となった最新のレンズにも確かに残っているのでしょう。すでに最新ラインのMilvusシリーズへとバトンを渡してはいますが、外装デザインをどうにも好きになれない自分は、やはりこの世代のZeissを使い続けていくのでしょう。

  

 

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自転車を模した金属製のカゴに盛られたジャックオーランタン。解放では浅くなる被写界深度ですが、35㎜ということもあり、被写体の形はしっかり残ります。微妙な周辺光量の落ち方が合焦部へ視点を運んでくれます。この独特の空気感が何ともいえない味だと思いませんか?

 

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この、すこし出始める「パース」が35mmが好きな理由。「写真」っぽさって大事だと思います。

 

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西日に照らされた壁面のオブジェ。空気感・立体感・透明感。少し絞ってあげると、欠点という欠点がなくなる優秀なレンズ。撮り手の実力が嫌でも試されますね。

 

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天候が悪くても、非常にクリアな発色。傷んだ塗装の表面質感も非常に良く描写されます。f値も明るめなので、薄暗い状況でも高ISOに頼らずに済むのが単焦点レンズの強みですよね。

 

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モノクロに変換しても被写体の質感は見事に再現。銀塩フイルム・印画紙で撮影する機会はほぼなくなってしまいましたが、暗室作業には今でも思い入れがありますね。

 

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露出をすこし切り詰めるとZeissの本領発揮です。鳥居の円柱の質感、上々です。朱の発色も効いてます。

 


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マクロ域での質感描写も見事です。ボケも美しく、適度に被写体の情報を残してくれる。この辺が35mmを使う醍醐味ではないでしょうか。

 

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夕刻、かなり強めの西日が差し込む列車の側面。とても階調が豊富で、ハイライトからシャドーまでしっかり写しこんでくれます。

 

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一見、モノクロの画像処理かと見まがう被写体。保護シートを掛けられたディーゼル機関車です。金属の車体・アルミシート・ビニール製の虎縄。素材の違いが手に取るように分かります。絞り込んだ本レンズの描写には一切の曖昧さがありませんね。

 

中一光学 (ZHONG YI OPTICS) SPEEDMASTER 25mm F0.95

 解放f値0.95と言えば、フイルム時代のキヤノン7用標準レンズ50mm f0.95やマイクロ4/3規格ではコシナ製フォクトレンダーブランドのノクトンシリーズが既に有名ですが、海を隔てた隣国、中国の中一光学から発売されている25mm f0.95という本製品も、ひっそりと、でも確実に注目を浴びはじめているようです。廉売が常套手段の中国製サードパーティーレンズの中では、比較的高額な(とは言え、ノクトンの半値程度ではありますが)レンズであるといえる本レンズを、お店からちょいと拝借(ちゃんと買ってますケドね)してその実力を試してみました。

 手にして、真っ先に驚くのはレンズの大きさと重量です。ライカMマウントのズミクロン50mmにも似たその金属製の鏡筒は43ミリのフィルター径を持ち、当然前玉の直径はさらに小型になります。キヤノン製の0.95を知っている身からすれば、いかにM4/3用とは言えこれで0.95の解放F値を実現しているとはにわかに信じがたい程です。そして実写後、その描写に改めて驚かされることになります。正直、カメラ大国日本においては決して有名とは言えない製造元と、無謀なチャレンジともとれるスペックや価格から、私自身も相当な「色物」だろう事を想像していたのですが、それは良い意味で裏切られる結果となりました。

 中心付近の解像度が非常に高い事が本レンズの最大の特徴となりますが、それは解放絞りから発揮されます。ノクトン25mmでは解像感やコントラストの出方は解放f値に於いては控え目であったと記憶しますが、本レンズは、コントラストや色の出方も解放から比較的しっかりしており、解放絞りの描写をしっかりと楽しむ事ができます。無論、解像度の高さと引き換えに、撮影距離によっては二線ボケが目立つ場合や、画面周辺の色収差や樽型の歪曲収差などが条件によっては気になることがあるでしょう。しかし、電子マウントを採用せず、デジタル補正の恩恵を受けられないマニュアルフォーカスのレンズとして考えれば、十分に高い画質であると割り切れるレベルです。

 動画撮影時を考えてか、絞り環にクリックが存在せず不用意に絞りが変化していたり、(しかもバルナックライカ時代にタイムスリップしたかのような不等間隔の刻み)個体差なのか、ピントリングの回転と同一方向に存在するマウントのガタのため、厳密なピント合わせには若干のストレスが伴います。さらにレンズ後端の形状の為、一部使用できないボディーやレンズキャップがあるなど、機械的には改善を望みたい部分も存在しますが、欠点が気になりだすのは、長所に惚れ込んだ証でしょう。価格・重量・描写性能を考えれば、個性と割り切る懐の広さも必要なのです。

 決して万能選手ではありませんが、得意な被写体をファインダーに収めると、他のレンズでは味わえない眼福の瞬間が訪れます。現在の日本で造られることが少なくなったであろう個性豊かな中一光学製のレンズ。ラインナップされる他の焦点距離も気になり始めた私は、もはや「中一病」に冒されているのかもしれません。

  

 

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ハイライトのボケに少々二線ボケ傾向がありますが、このくらい大きくボケればあまり気にはなりませんね。中央の合焦部がとても繊細かつシャープな印象です。

 

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同一画角では、どうしても大きなセンサーのカメラに比べボケ量が少ないM4/3ですが、近接でf0.95ならこの通り。ここまでボケれば癖は目立たないです。超大口径なので、もっとボケが乱れるかと思いましたが、心配無用でした。

 

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これも、解放描写。前ボケが素直なので、手前の「ヒゲ」もウルサクなりません。毛のふわっとした感触もきちんと描写。

 

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f4~5.6になると、全画面均一な描写になります。コーティングが純正の最新レンズなどと比べるとやや心もとないですが、このくらいの光源なら問題ないですね。

 

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樽型の歪曲収差が残っていますので、被写体によっては少し注意が必要です。デジタル補正に頼れないマニュアルの社外レンズですので、この程度の欠点はご愛嬌ということで。

 

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オールドレンズ、と言うワードが当てはまらない最新のレンズではありますが、ゴリゴリに色が乗ってこないので、被写体によっては上手くイメージを膨らませてくれます。

 

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個性の強すぎる描写は、時間が経つと飽きがきてしまったりするのですが、ほのかに感じる程度の癖はある時から「愛おしさ」に変わる事が多いと感じます。オートホワイトバランスoffで、今風のレンズとは少し違った発色を覗かせてくれます。

 

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後ボケはやはり固めで二線化傾向があるので、苦手な被写体もあるかと思います。でも、合焦部の先鋭度は本当に見事。中央部の解像度レースなら、いわゆる高級レンズもカモれるかもしれませんね。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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