« SONY FE 50mm F1.2 GM (SEL50F12GM) | メイン

LEICA DG VARIO-SUMMILUX 10-25mm F1.7 ASPH

P3140006

  
 
 「VARIO」は「可変する」といった意味で使われるドイツ語です。日本語では「V」で始まる外国語にはカタカナで「バ」行や「ヴァ」行?の字を当てますので、「バリオ」ないし「ヴァリオ」となります。昨今は便利な世の中になったもので動画サイトでネイティブの発音を容易に確認することも出来ますから、本来はどんな発音なのか気になって聞いてみると思ったよりも濁点感を感じない、どちらかと言えば「ワリオ」に近い音の印象を受けました。某ゲームに登場するヒゲオジサンの目つきが悪い紫色版を想像してしまいがちなので、やはり表記は「ヴァリオ」のままで良いなと、そして「バ」より「ヴァ」の方が格好いいと思ってしまう「エヴァンゲリオン」ネイティブ厨二世代がお送りして参ります。「ヱヴァンゲリヲン」ではない方ね。
 
 さて、この「VARIO」がレンズの名称に使われる場合、聞きなれた言葉に置き換えれば「ZOOM」すなわちズームレンズを意味します。昨今では単に「レンズ」と表記しても、それは「ズームレンズ」の事を指しているケースがほとんどですから、逆にズーム機構を持たないレンズの事を「単焦点レンズ」として区別するようになっていますよね。デジタルカメラの普及に伴って「フイルムカメラ」と言う言葉が生まれたのも同じ理由でしょうし、自動車の世界でも電気自動車やハイブリット車が市場を席捲し、従来のガソリンエンジンを搭載した車の事を「純ガソリン車」なんて急に言いはじめているのも、「新しい呼称=主流の座の明け渡し」を意味する典型例なのでしょう。巷に溢れる生成画像の影響で、カメラで撮影した画像の事を「純写真」などと言い出しはしないかと、本気で危惧する今日この頃ではありませんか・・・・。
 
 話を戻しましょう。「VARIO」によって形容されるレンズの名称は、いずれもドイツを故郷とする、Zeiss と Leica の製品に見る事が出来ます。レンズ名に主としてその構成系の名を据えるZeiss からは、VARIO-SONNAR や VARIO-TESSER 等が、開放 F 値で呼称が決定される事が多い Leica には、VARIO-ELMAR や VARIO-ELMARIT といった名称が使用されています。ELMAR は開放が F4 、ELMARIT が F2.8レンズに通例使われる名称ですが、最近ではより明るい開放 F 値を持ったズームレンズも増えていますので VARIO-SUMMICRON も見られるようになりました。本レンズ VARIO-SUMMILUX に至ってはもともと開放 F1.4 の単焦点レンズに使用されていた SUMMILUX 名からの派生ですが、マイクロフォーサーズ用として DG SUMMILUX 9mm F1.7 や DG SUMMILUX 15mm F1.7 といったレンズが存在している事もあり、SUMMICRON (開放 F2)とNOCTILUX (開放 F0.95~1.2)の間に存在するレンズが SUMMILUX になる、というルールなのだろうと勝手に理解しています。しかし常識というものも年月で変化するようで、ほんの少し前までは SUMMICRON  や SUMMILUX がズーム化されるような世界線は想像もできなかったのです。
 
 常識と言えば写真と全く関係のない話ですが、学生の頃一般的なスキー板の適正サイズは身長プラス10~20cm と言われており、2m の板に憧れて無謀に購入する事が武勇伝にもなった程なのですが、現在は身長マイナス5~10cm が基本になっているらしく、しばらくぶりにのぞいたスポーツショップで当初「ここはキッズコーナーか?」と思った場所に並んでいたのは大人用のスキー板だった、という笑えない実体験もあったりします。もっとも、当時はスキー場で滑走制限されていた場所も少なくなかったスノーボードが、現在はすっかりメジャーな存在になっているって事にも時間の重みと常識の変遷をひしひしと感じたりします。ちなみに AI 先生によれば、年配者が楽しめるのは「体力的に」スノーボードよりもスキーがオススメだとの事。納戸に眠ったままの全長 187cm の SALOMON をちょっとだけ磨いてみたりする年配者がここにもおりますが、ゲレンデに出た途端にどこかの骨を折りそうなのでそっと戻しておきますね。
 
 話を戻しましょう。(二度目)マイクロフォーサーズ規格のカメラ・レンズの大きなメリットは、過去ログでも幾度かお伝えしている通り「小型化」と「軽量化」である事は周知の事実。ですが、本レンズ VARIO-SUMMILUX 10-25mm F1.7 は、「大きさ」「重さ」をある程度許容できるなら、フルサイズでは制作が難しくなるスペックのレンズを作ることができるのではないか?という逆のロジックによって開発されたある種の異端児とも言えるでしょう。画角をフルサイズに換算するなら超広角域の 20mm から標準域 50mm までをカバーする本レンズは、数値の差以上に画角変化が大きく、加えて開放 F値は 1.7 と単焦点レンズに匹敵する明るさを与えられたことで、絞りの変化に対する映像表現の幅も相当に広く取れるのです。画角変化のみで考えるなら、マイクロフォーサーズには、8-25mm・9-18mm (OMDS) や 8-18mm(Panasonic) と言った近似焦点距離のズームレンズが存在していますが、いずれも開放 F値は 2.8 や 4 であり、ズームレンズとしては平均的。一本で得られる表現の幅で考えれば本レンズの存在感は相当に大きな物と言えます。メーカー希望小売価格は税込みで297,000円と堂々としたもので、690gの重量とフィルター径 77mm というスペックもマイクロフォーサーズの標準系ズームでは群を抜きますが、同一シリーズの VARIO-SUMMILUX 25-50mm  F1.7 とのセットでフルサイズ換算 20-100mm の画角変化を F1.7通しで得られるというシステムが完成します。定価では 50万円を超える贅沢システムになりますが、こういうマイクロフォーサーズの使い方もちょっと夢があって楽しそうではありませんか。いずれのレンズも中古での入荷頻度は相当低いのが難点ですけどね。
 
 
 

Pa070407

10-25mm という画角変化はお散歩スナップにとても相性がいい感じ。100mmクラスのマクロを合わせて携行すれば、殆どの被写体にアプロ―チできます。ノイズ耐性が気になる小型センサー機だからこそ、余裕のある開放 F 値は真価を発揮します。焦点距離・絞りを変えても描写の均質性は高く状況に応じたフットワークの軽い撮影が可能です。

 

P7290222

焦点距離10mm (フルサイズ換算画角 20mm 相当)と言えば、少し前まではF2.8 辺りの開放値が常。F2 を超えた明るさ、しかもズームレンズで実現とは正直信じられないのです。ワイド端、近接、開放でもこの立体感と素直なボケ味とくればなおさらの事。比較的大型のレンズになりますから、最短撮影距離の 28cm は被写体との接触を警戒する必要が発生するほどです。

 

P7290287

こちらはテレ端25mm (フルサイズ換算画角 50mm 相当)での開放描写。マイクロフォーサーズでも近接+ F1.7 でタップリとボケてくれます。それにしても単焦点顔負けの素直なボケ味に、本レンズがズームである事を忘れてしまいそうです。
 

Pa070393

高周波成分となる小石のボケ像はほんの僅かチリチリとした感じにもなりますが、総じて周辺まで癖の少ない良好な画像を形成。F1.7 という短焦点顔負けの明るさを誇るズームレンズでこれだけの画質。当初はここまでの写りは想像していなかっただけに驚きを隠せません。

 

Pa070376

建築の内装撮影等、カメラアングルが限定されるシチュエーションではやはりームレンズが圧倒的に便利だと実感。設計の古い建築の為か、廊下も部屋もかなり狭いと感じる建物ですが、ワイドズームの利点を生かしリズム良く撮影ができました。

 

Pa070269

様々な方向にパースが発生するのがワイドレンズによる室内撮影の面白さ。少しのアングルの変化で全く違う映像に出くわします。ズームさせることでさらにバリエーションが増えるのが、普段単焦点しか持ち歩かない筆者にとっては新鮮でした。これはヤミツキになるレンズかもしれませんね。

 

Pa070303

この被写体は、以前に OLYMPUS の 25mm F1.2 PRO でも撮影。開放の差によるボケの大きさに違いこそありますが、このレンズの只者ではない感もなかなかのものです。いわゆる標準ズームをこれ一本で賄うシステムもアリですね。

 

P1031973

10mmの開放で、周辺減光を楽しんでみます。F1.7 でもある程度遠景になれば被写界深度に収まってしまうのが小型センサー機による写真の面白いところ。難しい条件ですが、周辺まで十分な解像度が保たれているのは嬉しいですね。
 

Pa070432

本レンズは17枚ものガラスを有した光学系で成り立ちます。しかし極端な逆光下であってもゴーストやフレアに悩まされることはほぼありません。9枚羽根の絞りを搭載しますので、絞り込んだ際は18本の豪華は光芒が得られます。これだけ逆光耐性が高いと、太陽が入り込みやすい超広角の画角でも安心ですね。

 

Pa080062

東京方面に直帰の出張があった際、余った時間でニコンミュージアムを見学。本社前のモニュメントに肉薄して 10mm時の近接描写チェックを。いわゆる退勤時間に重なったためか、ビルの中から社員と思しき方たちが次々と出てきたのですが、OMDS のボディーに Panasonic のレンズを付けて撮影していたため、ちょっとだけ視線が痛かった様な・・・・・。いや、機材ではなく、奇行が原因ですね・・・・・。
 
 
 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/457783/34286066

LEICA DG VARIO-SUMMILUX 10-25mm F1.7 ASPHを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

プロフィール

フォトアルバム

戦争写真家として著名な「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る辺境写真人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

PR



  • デル株式会社



    デル株式会社

    ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ

    EIZOロゴ