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SIGMA 20mm F1.4 DG DN | Art (SONY-E)

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 人生も50年を過ぎました。戦国時代ではないですから「終着点」だとは考えていませんが、「折り返し地点」はとっくに過ぎたと思っておくのが、まぁ妥当でしょう。孔子曰くの「天命」はいまだ悟れずじまいですが、「これまでの常識が変わる」といった体験に遭遇する事もそれなりにあった50年です。そして現在、自分の中の「超広角レンズにおける常識」が絶賛変更中なのだ、というのが今回の本題なのです。
 「【超】広角」レンズ。35ミリ・フルサイズでは20(21)mm以下の短い焦点距離のレンズの事をこう呼んだりします。その名の通り、非常に広い画角や強烈な遠近感の誇張という描写上の特徴を持ち、視覚とかけ離れた写真ならではのダイナミックな映像を手に入れる事が出来るのが魅力でしょう。焦点距離の短さからくる被写界深度の深さはパンフォーカス撮影を容易にし、スナップや風景の撮影でも存在感を光らせます。「一眼レフ」時代は、レンズ後端とフイルム面との間にクイックリターンミラーを配置すると言う設計上の足枷があったため、主に10mm台の短焦点レンズでは「出目金」などとも呼ばれる巨大な前玉を配した設計を採用するケースが多く、外観にもその「特殊性」がよく表れていました。現在では、新たな光学素材の実用化、様々なレンズ成型や設計技術の向上に加え、デジタル補正の併用やカメラ本体のミラーレス化が設計の自由度を増したことで、外観上の特殊性はかなり薄まったと実感できますし、単焦点よりも設計が困難であるはずのズームレンズでさえ14mmや16mmといった短い焦点距離をワイド端に持つレンズも随分と増えていますから、「短」焦点レンズと言えば「単」焦点が当たり前(ややこしい・・・)だった1980年代に写真を始めた筆者の常識はすっかり過去のものになったと言えます。
 スペックや描写性能についても然り。前述の通り、一眼レフ用の超広角レンズには設計上の制約から、主に画面周辺での画質や光量確保といった性能面での課題が残った物も多く、その為描写に「癖」が残ったレンズが多い印象でした。ボケ味を犠牲として解像度を確保したと想像できるようなレンズや、絞り込んでも周辺部の解像度が一向に向上しない物、解放 f 値を3.5や4と控えめに設計(描写を損ねる収差の多くは、絞りを小さく(f値は大きく)すると改善される)されたレンズが多くを占めるというのも言わば「常識」だったのです。一眼レフ用Nikkorの20mmを例とすると、登場時は解放 f 4だったレンズが後に f 3.5 となり、最終的には f 2.8 へ到達するなど、そこに光学設計の進歩を見る事が出来るのも特徴の一つと言えるかもしれません。
 さて、35mm f 1.4 や 50mm f 1.4など、これまでカメラメーカー純正の独壇場だった製品へ真っ向から挑戦することで、その歴史を刻み始めたSIGMAのArtシリーズレンズですが、20mmレンズへは「世界初」の明るさを冠して「SIGMA 20mm F1.4 DG」を投入しました。「一眼レフ」用設計の為、出目金スタイル(レンズ前面へのフィルター装着ができない)での登場ではありましたが、設計上の制約も多く描写性能の確保が難しい事を歴史が証明している焦点距離の製品へ、f1.4 というスペックでの降臨ですからその衝撃はなかななの物でした。周辺部での残存コマ収差など幾ばくかの欠点は指摘されるものの、旧製品群とは一線を画す描写性能に再度驚かされたのです。
 そして、カメラ本体の本格的ミラーレス化を受け、DNシリーズへの改修を受けた本レンズは、口径82mmのフロントフィルター装着へ対応しただけでなく、外観も大幅に小型化。重量にいたっては400g弱のダイエット(ソニーEマウント対応製品で比較)を果たすなど、ミラーレス化の恩恵を最大限に生かす近代化改修が施されました。描写性能のみならず、フォーカスリングの無効化を設定するスイッチや、結露・凍結防止用の保温装置装着を意識した意匠を採用するなど、曰くの「究極の星景レンズ」として愛好家からの評価を不動のものとしています。無限遠に存在する点光源は写真レンズにとっては最大の難敵とも言えますから、それを制したと言っても良い本レンズへのレビューは一種の不敬罪に当たるのではないかと心配にもなります。直販サイトでの価格137,500円(2025年5月現在)は、スペック・描写性能を考えると、これもまた「常識」外のバーゲンプライスという事になるのかもしれません。
 
 
 

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画角の広いレンズを手にすると、とりあえず空を見上げてしまう単純な筆者。雲のディテールを残したいので、かなり暗めな露出値を選びます。少し絞れば周辺部まで全域が超高解像度となる優秀なレンズです。星空を撮影する機会は殆どありませんが、本レンズが星空を撮影する為の究極の一本である事は、日中の撮影であっても存分に証明されていると感じます。

  

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20mmという焦点距離でボケを意識した撮影ができるのは、1.4と言う解放f値最大の恩恵。「超広角+解放絞り=欠点や癖の見本市」という図式は完全に過去の物に。合焦部の解像度は解放から十分な実用性を誇り、奥行きを増すごとに大きくなるボケ像も非常に素直です。隔世の感という言葉は、こんな時に使うのだなぁと実感。

 

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薄暗がりでも頑なにISO感度を上げないのは、フイルム時代に写真を撮りすぎた古い人間の性なんですかねぇ。1.4の解放絞りがとても有難く感じるのです。20mmとはいえ、解放ではさすがに被写界深度が浅くなりますから、雑なピント合わせはご法度ですね。

 

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ほぼ最短に近づいての解放描写。胸像の眼の部分にフォーカス。背景部分は細かな凹凸を含んだレリーフ、さすがに乱れたボケ像を覚悟したのですが。。。。。

 

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塗装修繕中の電気機関車です。塗料の飛沫が外部へ飛散しないよう目の細かい防護ネットが張ってありますが、その微細な編み目を周辺まできっちりと解像しているのはもはや脅威に感じます。開放から十分に実用になるシャープネスを誇りますが、絞り込めばさらに先鋭度を増します。

 

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ボケ像が想像を超えて素直なので、なんとか欠点を見つけてやろうと悪意を持って撮影した倉庫のカゴ車です。なんでこんなに普通に写ってしまうんでしょうか。完敗です。

 

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水準器も三脚も使わず、ファインダーの映像とカンに頼っての撮影です。デジタルでの歪曲収差自動補正を利用していますが、20mmレンズの描写として、かつては想像もできなかった様な端正な画像が入手できます。最近は三脚の出番がめっきり減りましたが、ここまでレンズの素性が良いと、しっかりと三脚を使用して、水平・垂直を追い込みたくなります。学生時代の建築写真の講義を思い出しました。

 

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通常の撮影では、小型のセンサーを採用したマイクロフォーサーズの画像に不満を抱く事はありませんが、遠景の被写体が小さく写ってしまう超広角レンズでは、フルサイズセンサーの大きさに由来する「ゆとり」の様な物がアドバンテージとして確かに存在するのだろうと感じています。遥か遠くの高圧線鉄塔も、非常にリアルに描写されます。

 

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ボケを効果的に利用出来ることで、今まで向き合えなかった被写体に出会えることができます。撮影の幅を広げ、表現の引き出しを増やしてくれるてくれるレンズとの出会いは、何とも言えない高揚感を与えてくれます。

  
 
 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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