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Leica Summarit M 50mm f1.5

 Zeiss社が発表したかの有名なSonnar50mm-f1.5に対抗すべく、バルナックライカ用の 当時もっとも明るいレンズとして1949年に誕生したのが、このズマリットです。もともとはシュナイダー製のクセノンを母体とし、以降M型ライカ用のSummilux50/1.4へとバトンを渡すまで、約10年の間ライカのハイスピード標準レンズの座をつとめました。

 黎明期のハイスピードレンズにありがちな開放時の甘い描写故、クセ玉の代表格とされ、評価する人間の主観によっては「悪玉」とも「銘玉」とも、その評価は極端で、中古相場も世相を反映して乱高下する非常に奇特なレンズです。

 また、製造時期により多数のバリエーションが存在し、各々の保存条件や製造時のばらつきによっても描写性能が変化し、購入にはそれなりの覚悟を必要とします。 私の入手した個体も、購入時は中玉のコーティングが完全に劣化し、それによるフレアの オンパレードで、劣化が原因と解るまでは「う~ん、これがクセ玉の描写か」と 誤った見解を持ったほどでした。

 しかしながら、大変優秀な技術を持っておられる某有名レンズ研究所にて、新たな命を吹き込まれたSummaritは当初の想像を遙かに超えた性能を発揮し、掛け替えのない一本へと復活したのです。

 開放~f2.8程度までは微妙なソフト感をのこした独特の柔らかな描写をし、絹のベールを被せたかのような艶のある美しい画像を形成。f4以降急激に増す先鋭度は8あたりから、仕上がった原版をルーペで覗く目が痛むほどのシャープネスを発揮します。 開放から破綻のない優秀な性能を誇るSummicronを秀才に例えるなら、特定の条件における、撮影者の予測の範疇を越えた描写性能を持つこのSummaritはまさに「天才」の名を冠するレンズなのかもしれません。

 

 

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ズマリットの所有欲を増す危険な描写。全体的にハロが目立つ独特なソフト描写になります。しかし、ルーペでポジを拡大するとしっかりと合焦部分は細部まで解像されています。ボケ像はややざわついた感じもありますが、この年代のハイスピードレンズとしてはまとまりの良い描写と感じます。

 

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解放ではややソフト感が強いながらも、f4辺りから柔らかさと高いシャープネスが同居する独特の描写となります。再研磨+再コーティングのおかげでこの程度の光源ならばフレア・ゴーストの発生は見られません。

 


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屋外でかなり強い太陽の反射をいれましたが、特に問題は無いようです。絞り込むと非常にシャープで繊細な描写となります。解放描写とのギャップが何とも言えず、オールドレンズならではの楽しみとなります。

 

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M2以降のM型ライカで使用すると、50ミリのブライトフレームはフレームアウト部も確認しながらの撮影となります。M型ライカがスナップ撮影に好適とされる所以ともなります。同一被写体で同時に確認する術がないのですが、やはり、一眼レフとは一味違うフレーミングになるなぁ。と、感じています。

 

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絞り込んだ時の、非常に高いシャープネスを実感できる一枚。画面全体に写る芝生の一本一本が綺麗に解像されています。逆光気味ですが、レンズフードの効果もあってコントラストの高い映像となりました。ちなみに純正フード「XOONS」はチリメン塗装された角形の美しい造形で、単体で一万円以上の値が付く人気アイテムの一つです。

 

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35mmの画角が馴染んでいる自分にとって、50mmの画角はちょっとした望遠レンズ。気になった被写体を少しだけクローズアップする感覚は、M型ライカのブライトフレーム越しだとさらに強調されます。

 

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バブル期に賑わったリゾート施設。現在では民家の倉庫となっていました。写真の「記録」という特性だけを考えればスマートフォンの存在は偉大ですが、自分がいまだカメラを手放していないのは、きっと写真の「それ以外の何か」に囚われているからなのでしょう。


Leica DR-Summicron M 50mm f2

 通称メガネと称される近接撮影用のアタッチメントを備え、ライカならではの外観と機能美を持ったレンズです。

 本来接写を苦手とするレンジファインダーカメラですが、このレンズは近接専用のアタッチメントによって、その弱点を巧みに克服し、約50センチという一眼レフ用標準レンズ並の近接撮影を可能としています。しかも、その近接アタッチメントの脱着は「誤装着」と「誤使用」を避ける巧みな連動機構を持ち合わせ、その描写力以外にも及ぶライカレンズの魅力が所有欲をかき立てます。

 アタッチメントとの整合性から、製造されたSummicronのうち、特に焦点距離に関しての厳密な検査がされていることから「特に優れたSummiron」であるとの噂がまことしやかに巷に溢れていますが、その真意はいかなる物でしょうか?しかし、御多分に漏れずその描写性能の高さは、ライカレンズならではの独特な空気間、緻密な立体感描写に非常に良く現れ、その発表年代を考えると、近年までのレンズ進歩の歴史に少々の疑念を抱くほどであります。

 

 

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解放からしっかりと実用になる画質です。バリバリにシャープという印象はありませんが、ルーペで拡大すれば、合焦部はしっかりと解像されています。前後のボケも均質で嫌味な収差による影響はあまり無いと言えます。同時期の解放1.4のズミルックスは、条件によると後ボケがやや煩く感じる場合もあったかと記憶しますが、その辺の優等生らしさがSummicronの持ち味でしょうか。

 

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これはあくまで私的な感想なのですが、ライカのレンズは「映り物」が得意です。雨上りの水たまりに夏空が写り込み、秋の気配を感じます。エッジのはっきりしない雲や、同じ模様が連続する被写体はレンジファインダーではピントを合わせ難い被写体ですが、非常に見やすいM型ライカの距離計は、そんなシチュエーションでもなんとかなる場合が多いです。

 

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日没後の厳しい状況。線の細い緻密な描写で電線の僅かな隙間もしっかりと解像しています。通常感度のフィルムでは解放絞りでも1/15程度のシャッタースピードとなりますが、シャッターショックの少ないM型ライカのお蔭で三脚を持ちださずにすみました。

 

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歪曲収差少なく、絞れば周辺の光量も十分です。現代のデジタルカメラではほとんどの場合レンズの歪曲収差はカメラ側で補正がされてしまいますが、フイルム時代のレンズにはそんな特効薬はありません。これぞ設計者の腕の見せ所でしょうか・・・。近接ズミクロンと言われる本レンズですが、無論遠距離の描写も通常のSummicronと変わりません。

 


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これも「映り物」が被写体です。まだ湿っている空気の感じ、夕立後の少しヒンヤリとした風。そんなものもしっかりと写し込んでくれている気がしませんか?

 

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DR-Summicronに付属する近接アタッチメントが被写体。写真を撮るための「道具」ですが、その佇まいには「工芸品」としての風格も。年月を経ても色あせないライカの魅力は描写だけではなく、カメラそのものにも宿ります。好みのフイルムをチョイスして・・・・なんてのは過去の話になりつつありますが、やはりライカはフイルムで使いたいものです。

 

Leica Summicron M 35/2(8Elements)

 基本的には下落傾向のある中古商品の相場のうち、僅かではありますがその商品が通常流通していた頃と比べて明らかに高い相場を形成する商品があります。そして、その殆どの場合は流通数の少なさが原因となっています。

 不人気故に早期に生産を中止した物などは、流通数の少なさがかえって人気を呼ぶという一見矛盾ともとれる不可思議な現象を呼び起こし、価格の高騰を招きます。そして、希なパターンではありますが、十分な流通量があるにも関わらずその流通量を上回る絶大な人気を得た商品の場合も、価格は常に高値で安定します。

 そのレンズ構成から、通称「8枚玉」と呼ばれるLEITZの初代Summicronの35ミリは、後者の理由故十分な流通数を確保しているにもかかわらず、常に高値相場で取引されています。レンズの魔力か、はたまたマスコミの影響力か、このレンズの魅力を語る記述は至る所で目にすることが出来るのですが、それにしても、ここ日本での中古相場は少々高すぎるようです。

 その真意を確かめるべく借用した個体は、数十年の時を経たレンズとは思われないほどのクリアな発色と線の細い中版カメラの画像を思わせる繊細な画質を持った素晴らしい物でした。若干のハイライト部の滲みは、少々ブルー味を帯びた旧LEITZ独特の渋みのある発色と相まってオールドレンズ独特の風合いを上品に醸し出します。現代の解像度の高いレンズと比較しても、決して見劣りしない素晴らしいシャープネスと、オールドレンズ独特の優雅な描写をバランス良く持ちあわせたこのレンズの形成する画像は語り継がれる伝説に相応しいもので、所有欲をかき立てるのに十分な結果をもたらしました。

 ここで酷評でもして、万が一にも相場が下落するのであれば、どんな罵詈雑言をも私の口は惜しまずに発することでしょう・・・・。

 昔は、もう少し手の届きやすい価格だったんですけどねー。

 

 

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雨上がりの雑木林。湿気を帯びた空気の印象が良く伝わってきます。曇天下のフイルム撮影でしたので、いわゆるホワイトバランスの崩れを警戒しましたが、案外ニュートラルな発色をしてくれました。当時は確かE-100VSという赤系の原色がやや強調されるフイルムを愛用していましたので、その影響もあるのかもしれませんね。

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直線の多い被写体で構成すると、若干の樽型収差を感じます。デジタルカメラではいとも簡単に内包される補正データで「キッチリ」写し留めてしまうのでしょうが、そこはフイルム時代のレンズですので如何ともしがたいところ。被写体によっては注意も必要です。

 

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桜のベストシーズンを外してしまいましたが、被写体はいたるところにあるものです。散った桜もなかなか味わい深いものですね。一眼レフだと「フレーミング」に逐一神経を尖らせがちなのですが、その辺が適度に曖昧なレンジファインダーの方が被写体そのものに集中できる、そんな気もするのです。

 

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桜色(マゼンタ)と葉の緑(グリーン)は、色彩的には補色関係にあるので同一画面に存在すると、お互いを上手く高めあってくれる効果も期待できます。しかしフイルム時代、ましてレンジファインダーですから、撮影時に結果の「色」を正確に判断するのは「経験」「知識」が相当に必要だった筈。プロカメラマン、現在よりもフイルム時代の方が神格化されていたと感じるのは自分だけでしょうか?

 

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雨上がりにベンチの下で雨宿り?をしていた蒲公英を発見。絞りを開けた際の周辺減光を警戒していましたが、欠点と言うより丁度良い塩梅の落ちかたで安心しました。

 


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f5.6程度まで絞ってあげると、画面全体の画質が均質化しスッキリした画像を提供してくれます。古い設計のレンズですから、強い光源だとゴーストやフレアへの対策(しかもレンジファインダー上では撮影時には気づけない)が必須ですが、この程度の逆光ならば無問題ってことですね。 

 

CONTAX Leica-M改造 Hologon 16mm f8

 僅か3枚のガラスが作り出す焦点距離15ミリの超広角レンズHologonのオリジナル。

 その圧倒的に広い画角を、皆無と言って良いほどの少ない歪曲収差で結像させるこのレンズはライカ用レンズとしては希なZeiss-Madeという素性の特異性と不明な製造本数、そしてその代え難い描写性能故、何時の頃からか「悪魔に魂を売りわたしてでも手にしたいレンズ・・・」と言う形容が付いて回るようになったと言います。

 また、有名オークションや大規模な中古市場では必ずその目玉として出品され、常に数十万から時には百数十万円での取引が行われるコレクターズアイテムとしてもその名はあまりにも有名です。ですから、オリジナルに若干の設計変更を加え、CONTAX-Gマウント用超広角レンズとして本レンズが登場、さらに、比較的安価でのライカMマウントへの改造を引き受けるサービスが存在することは、いったい何人のフォトグラファーの魂を救ったことになるのでしょうか?

 特異な光学系のため絞り機構を組み込めず、さらに画面に均一な露光を与えるためには専用のグラデーションフィルターを取り付ける必要があり、また距離計には連動しないため目測でのピント調節が必要となるなど、使用方法にも非常に制約が多いレンズではありますが、広角レンズ中、肩を並べる者のない歪曲収差の少なさと、強烈なパースペクティブの誇張、少ない構成枚数がもたらすクリア且つ素晴らしい発色の映像は、見る物を摩訶不思議な世界へと誘います。

 噂通りの魔性のレンズ、このHologonの魔法にかかったら、魂とは言わなくてもボーナスの一回分くらいは覚悟した方が良いのかもしれません・・・。

 

 

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電柱の真下から撮影しました。歪曲の少なさが分かる一枚。周辺光量が極端に落ちる設計の為、中央部とのバランスをとる目的でセンターNDフィルターが付属するのですが、「らしさ」を強調するため、あえて未使用で。

 

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日没の瞬間。撮影当時住んでいたアパートから撮影しました。真冬の澄んだ空気感を漆黒へと変化して行く空のグラデーションが見事に描き出します。撮影時は外付けの専用ファインダーで画角をチェックするだけですので、現像が上がるまで結果は分からないのですが、想像以上の仕上がりになりました。

 

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こちらも調整用のNDフィルターは未使用です。このくらいドスンと四隅が落ちてくれると、これはこれで素的な個性となりますね。オリジナルのHOLOGON ULTRA WIDEはいったいどんな写りをするんでしょうか。ちょっと危険な好奇心が湧いてきました。

 

Leica Summilux M 35mm f1.4

 「ライカってずいぶん高いけど・・・なにが違うのだろうか?」

 こんな疑問が私の心に沸き上がったのは、写真学生時代の後半、 自身の作風のマンネリ化に悩んだ頃であります。

 水洗浴から上がったフィルムを初めて見たときから、その結像の特異性は ある種の衝撃を私の心与え、その後のライカとの付き合いを決定づけました。 この旧式のズミルックスは、非球面が導入され、圧倒的なまでの高性能を謳った 最新のズミルックスの登場まで、「その場の空気まで写し込む」といった評価に代表される 古き良きオールドライカレンズの薫りを、新品で楽しむ事のできる数少ないレンズとして、 ほぼ登場初期の設計のまま、比較的長期間製造を続けられていました。

 ズマリット50ミリとともに「クセ玉」と良く称されるこのレンズは、 主に、開放付近では各収差の影響からくる意味不明なまでのハレーションとゴースト、 そして像のにじみを発生し、直接結像画面をファインダーで確認できないM型ライカでは、 被写体や光線状態を十分考慮しないと、結果が予測と一致しないフォトグラファー泣かせのレンズです。ところが、その独特な丸みを帯びた描写は何物にも代えがたい特徴的なもので、さらにf値5.6あたりから徐々に絞り込むと描写は一変。 まるで大判で撮影したかのような高い解像度を見せ、しかも像の潤いを損なわない 素晴らしい描写を見せてくれます。高性能化した新型が登場しつつも、昨今では中古相場が高値で安定してしまっているのも、単なる希少性に起因するものでは無いようです。

 諸般の事情からすでに手元には残っていませんが、今一度この手に納める日を夢に見る 愛すべきレンズの一本であります。 

 

 

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大学の卒業制作の為、宮沢賢治の故郷でもある岩手県花巻に何度か訪れました。所沢のアパートから高速道路を使っても6時間以上の道のり。午前中に出発しても到着するのは決まって日没間際でした。現地の空気を取り込み、絞り込んでも硬くなりすぎずに精密感だけが増してゆく独特の遠景描写の虜になりました。

 

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真夏の小岩井農場。東北の空にはどことなく秋の気配も。距離計ではピント合わせが難しい被写体ですが、焦点距離35mmですのでアバウトでもなんとかなるものです。

 

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古い建造物+ツタ系の植物は大好物な被写体です。修復を重ねた古いサイロの壁面と緑盛んな植物のコントラストが良い感じです。被写体、光線状態ともにフラットな状況ですが、絶妙な立体感が宿りました。

 

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花巻の帰路、芭蕉の句で有名な中尊寺に足を延ばしました。にわか雨が上がった後の湿った空気感が良く伝わってきますね。絞りを開けた際の僅かなハロが木の根の丸みをうまく引き出してくれました。 

 

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ズミルックス35mm最大の特徴は、やはり絞りを開けた状態での何とも言えない甘い描写ではないでしょうか。賢治ゆかりの地「羅須地人協会」での一枚です。実際にこの床の上を賢治が歩いていた姿を想像すると不思議な気持ちになります。木の丸みや温度、湿度といった状況を記録する際のマッチングは最高でした。

 

Leica Summicron M 35mm f2 ASPH

 とある雑誌記事で目にした、ライカ設計技術者の言葉です。
「日本のライカユーザーは変わっている。我々の新製品は、過去の製品を凌駕する性能を持たせている。しかし、どういう訳か古いモデルを好むのだ。本当に理解出来ない。」

 昨今、M型ライカ用の広角レンズに次々と非球面レンズの採用が行われています。 以前は高精度の非球面レンズを、安価に大量生産する事が困難であったので、 それらを採用するのはごく一部の高価な特殊レンズにすぎませんでした。 しかしながら、近年の光学技術の進歩により、描写力の向上のための選択肢の一つとして 設計者は、非球面レンズの採用を積極的に行う事が出来るようになりました。

 ところが、ライカの看板レンズSummicron35mmの非球面化は、殊に日本ではあまり良い印象を与えなかったようです。伝説と化し、プレミアを伴う相場が30万円を超えていた時分もある初代8枚玉のSummicronへの根強い信仰が、日本には残っているためでしょう。確かに旧式のライカレンズは独特の描写をし、それがある種のライカファンのハートを捕らえてはなさいのも、もっともな事だと理解はしているつもりですが、「重い」「デカイ」「ボケが堅い」「写りに味がない」などと、重箱の隅をつつくようなマネはせず、素直にこの最新レンズの性能の高さを評価して欲しいものです。

 その、恐ろしいまでの画像の先鋭さから、一切の妥協をせずに性能向上に努める、ライカエンジニアの魂を、痛いほどに感じる事が出来るはずです。

 

 

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レンジファインダーカメラであるライカのファインダーは、実際に撮影される範囲の外側を同時に見ながらフレーミングができるという特徴があります。画面の外への繋がりを意識したフレーミングの感覚を掴むのにとても好適です。

 

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湿度を失った枯れ枝と、湿度そのものである池の水。質感の違いを見事にフイルム上に定着させてくれます。同系統の物体が連続する被写体はレンジファインダーでピント合わせるのが一苦労。ま、その苦労も楽しんでこそのライカでしょうか。

 

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35mmレンズが持つ遠近感と画角は自分にとっての「標準レンズ」。そして、そんな35mmと相性のよいライカは日常を記録する最高の相棒でした。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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