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Leica DG Summilux 12mm f1.4 ASPH

 少年時代に鉄道撮影から写真の世界に入った自分にとっては、当時の「交換レンズ」は、ほぼイコール「望遠レンズ」であり、見た目より被写体が小さく写ってしまう「広角レンズ」は、まったくもって興味の対象外でした。写真部に入り、暗室生活を始めた頃にはポートレート撮影にのめり込んだため、パースの影響で人物の顔が変形しやすく、大きなボケを作りにくい「広角レンズ」への興味はさらに薄れていきました。無論、まったく無縁というわけはなく、高校時代には400ミリと抱き合わせ的に購入した明るさf2.8の社外製の24ミリを、大学時代は明るさf2の純正24ミリを所有していましたが、正直なところ、両者の描写に満足することはなく、軽い苦手意識を持つようになってしまいました。

 しかし、ヤシカ・コンタックスマウントのDistagon25ミリを使用してからは、その「写り」の虜となったのは勿論のこと、カメラを構える位置や角度によって、仕上がる映像が激変する「広角レンズ」の個性的な描写特性に引き込まれ、18ミリ・21ミリ・28ミリ・35ミリと手あたり次第に入手する「広角レンズ」マニアへと変貌してしまいました。結果、使用期間が長くなった24ミリ(25ミリ)は、その画角が感覚的に馴染んだこともあり、自分の中での広角レンズのスタンダードとして定着しました。

 ときに、現在は28ミリや24ミリの画角をスタートとする標準ズームレンズが一般的となり、デジタルカメラを購入する際、多くの方がそのレンズで写真ライフを始めることが当たり前となりました。結果として、24ミリ画角の単焦点レンズは以前と比べ地味な立ち位置のレンズとなり、f1.4・2・2.8といったように解放絞り別に3種類も用意していたメーカーも存在していたフイルム時代とは異なり、各社ともスペシャルな一本を用意する特殊な画角のレンズとなっています。例にもれずM4/3マウントにおいても、オリンパスから金属鏡筒を採用した12ミリf2・パナソニックにおいてはLeicaからお墨付きをもらった解放f値1.4を誇る本Summiluxがラインナップされています。

 マイクロフォーサーズのミラーレス一眼には、「同一画角のレンズで比較すれば、大型センサー機に比べ大きなボケを作りにくい」という小型センサー機の特徴があります。さらに、焦点距離が短くなる広角レンズにおいては被写界深度がより深くなるため、その特徴は顕著となります。スナップ撮影等では、ピント位置に神経質にならずにシャープな映像を手にいれることができるため非常に優位な反面、ポートレートや、接写等で大きなボケを演出したい場合などは、欠点と感じる事もあります。もし、ボケを利用したいのであれば,よりf値の明るいレンズが必要となってくるのです。

 パナソニックが、この画角のレンズにあえてLeicaブランドのSummiluxをラインナップした理由は、まさにそこに存在するのでしょう。過去、短い焦点のレンズでは「ボケにくい」事に加え、設計的に難しかったのか「美しいボケ」を演出するレンズになかなか出会えず、買ってはみたものの手放した経験も多いのですが、本レンズは完全に「使える・明るい広角レンズ」を具現化してくれました。12ミリという短い焦点距離を利用したパンフォーカスはf5.6あたりで簡単に手に入れる事ができ、暗い場面では強力なボディー内手振れ補正とf1.4の明るさで高感度に頼ることなく手持ち撮影が可能です。特筆されるべきボケの美しさは、「広角レンズ」であることを完全に忘れられるほどで、近接能力の高さも利用すれば今までにない新しい表現も可能でしょう。合焦面も非常に繊細で、ディテールを見事に描ききります。ミラーレス構造に由来するショートフランジバックは最新設計技術を得て、広角レンズの性能を数段上のステージへ押し上げた様です。お気に入りの画角での最高の描写。性能の高い12-60ミリも持ち合わせますが、やはり本気の撮影はSummiluxになりそうです。

 

 

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カメラから1メートルに満たない床面から窓の外まで、少し絞れば簡単にパンフォーカスの世界が手に入ります。広角レンズ特融の強調されたパースを生かせば、あっという間に非日常の世界が展開します。さすがのデジタル最新レンズです、歪曲収差も皆無と言って差し支えないですね。

 

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こちらも、パースとパンフォーカスを生かした、「広角」らしい表現。錆びたブレードや赤い塗装面の質感も高く、ラッセル車特有の重厚感を見事に記録してくれます。

 

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ここまで素直に美しくボケる広角レンズに初めて遭遇しました。近年「ぐるぐるボケ」「バブルボケ」などと、残存収差の特徴が色濃く残ったオールドレンズのボケ味に人気があるようですが、個人的には主張しすぎるボケよりも、「名脇役」を演じてくれる、こういったボケが好ましいと感じます。

 

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広角レンズを手に入れると、訳も無く上を向いてしまう自分に気が付きます。誇張された遠近感が、空へと連れて行ってくれそうで、いつまでもファインダーを眺めてしまいます。コーティングも優秀ですので、安心して上を向くことができるレンズですね。

 

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フイルム時代のライカレンズには、個人的に「映り物」の描写に特徴を感じていましたが、パナソニック製の本レンズにも、確かにそれを感じます。夕暮れ間近の夏空に季節の移り変わりが感じられます。パンフォーカスの遠景描写も雑なところがなく、きっちりと解像しますので、モノクロ風景写真の独特の緊張感を損ないません。

 

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近接能力も高いマイクロフォーサーズ。パースとボケが共存する、いままでの広角レンズとは一味違う接写の使い方ができます。前後とも実像感を徐々に薄めていく極上のボケ味が本レンズ最大の魅力。今までにない「手札」を切れることは、今後ますます表現の幅を広げてくれるでしょう。

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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