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2026年10月

LEICA DG VARIO-SUMMILUX 10-25mm F1.7 ASPH

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 「VARIO」は「可変する」といった意味で使われるドイツ語です。日本語では「V」で始まる外国語にはカタカナで「バ」行や「ヴァ」行?の字を当てますので、「バリオ」ないし「ヴァリオ」となります。昨今は便利な世の中になったもので動画サイトでネイティブの発音を容易に確認することも出来ますから、本来はどんな発音なのか気になって聞いてみると思ったよりも濁点感を感じない、どちらかと言えば「ワリオ」に近い音の印象を受けました。某ゲームに登場するヒゲオジサンの目つきが悪い紫色版を想像してしまいがちなので、やはり表記は「ヴァリオ」のままで良いなと、そして「バ」より「ヴァ」の方が格好いいと思ってしまう「エヴァンゲリオン」ネイティブ厨二世代がお送りして参ります。「ヱヴァンゲリヲン」ではない方ね。
 
 さて、この「VARIO」がレンズの名称に使われる場合、聞きなれた言葉に置き換えれば「ZOOM」すなわちズームレンズを意味します。昨今では単に「レンズ」と表記しても、それは「ズームレンズ」の事を指しているケースがほとんどで、逆にズーム機構を持たないレンズの事を「単焦点レンズ」として区別するのが一般的と言えるでしょう。デジタルカメラの普及に伴って「フイルムカメラ」と言う言葉が生まれたり、電気自動車やハイブリット車が市場を席捲した事で、従来のガソリンエンジンを搭載した車の事を「純ガソリン車」なんて急に言いはじめているのも、「新しい呼称=主流の座の明け渡し」を意味する典型例なのでしょう。巷に溢れる生成画像の影響で、カメラで撮影した画像の事を「純写真」などと言い出しはしないかと、本気で危惧する今日この頃ではありませんか・・・・。
 
 話を戻しましょう。「VARIO」によって形容されるレンズの名称は、いずれもドイツを故郷とする、Zeiss と Leica の製品に見る事が出来ます。レンズ名に主としてその構成系の名を据えるZeiss からは、VARIO-SONNAR や VARIO-TESSER 等が、開放 F 値で呼称が決定される事が多い Leica には、VARIO-ELMAR や VARIO-ELMARIT といった名称が使用されています。ELMAR は開放が F4 、ELMARIT が F2.8レンズに通例使われる名称ですが、最近ではより明るい開放 F 値を持ったズームレンズも増えていますので VARIO-SUMMICRON も見られるようになりました。本レンズ VARIO-SUMMILUX に至ってはもともと開放 F1.4 の単焦点レンズに使用されていた SUMMILUX 名からの派生ですが、マイクロフォーサーズ用として DG SUMMILUX 9mm F1.7 や DG SUMMILUX 15mm F1.7 といったレンズが存在している事もあり、SUMMICRON (開放 F2)とNOCTILUX (開放 F0.95~1.2)の間に存在するレンズが SUMMILUX になる、というルールなのだろうと勝手に理解しています。しかし常識というものも年月で変化するようで、ほんの少し前までは SUMMICRON  や SUMMILUX がズーム化されるような世界線は想像もできなかったのです。
 
 常識と言えば写真と全く関係のない話ですが、学生の頃一般的なスキー板の適正サイズは身長プラス10~20cm と言われており、2m の板に憧れて無謀に購入する事が武勇伝にもなった程なのですが、現在は身長マイナス5~10cm が基本になっているらしく、しばらくぶりにのぞいたスポーツショップで当初「ここはキッズコーナーか?」と思った場所に並んでいたのは大人用のスキー板だった、という笑えない実体験もあったりします。もっとも、当時はスキー場で滑走制限されていた場所も少なくなかったスノーボードが、現在はすっかりメジャーな存在になっているって事にも時間の重みと常識の変遷をひしひしと感じたりします。ちなみに AI 先生によれば、年配者が楽しめるのは「体力的に」スノーボードよりもスキーがオススメだとの事。納戸に眠ったままの全長 187cm の SALOMON をちょっとだけ磨いてみたりする年配者がここにもおりますが、ゲレンデに出た途端にどこかの骨を折りそうなのでそっと戻しておきますね。
 
 話を戻しましょう。(二度目)マイクロフォーサーズ規格のカメラ・レンズの大きなメリットは、過去ログでも幾度かお伝えしている通り「小型化」と「軽量化」である事は周知の事実。ですが、本レンズ VARIO-SUMMILUX 10-25mm F1.7 は、「大きさ」「重さ」をある程度許容できるなら、フルサイズでは制作が難しくなるスペックのレンズを作ることができるのではないか?という逆のロジックによって開発されたある種の異端児とも言えるでしょう。画角をフルサイズに換算するなら超広角域の 20mm から標準域 50mm までをカバーする本レンズは、数値の差以上に画角変化が大きく、加えて開放 F値は 1.7 と単焦点レンズに匹敵する明るさを与えられたことで、絞りの変化に対する映像表現の幅も相当に広く取れるのです。画角変化のみで考えるなら、マイクロフォーサーズには、8-25mm・9-18mm (OMDS) や 8-18mm(Panasonic) と言った近似焦点距離のズームレンズが存在していますが、いずれも開放 F値は 2.8 や 4 であり、ズームレンズとしては平均的。一本で得られる表現の幅で考えれば本レンズの存在感は相当に大きな物と言えます。メーカー希望小売価格は税込みで297,000円と堂々としたもので、690gの重量とフィルター径 77mm というスペックもマイクロフォーサーズの標準系ズームでは群を抜きますが、同一シリーズの VARIO-SUMMILUX 25-50mm  F1.7 とのセットでフルサイズ換算 20-100mm の画角変化を F1.7通しで得られるというシステムが完成します。定価では 50万円を超える贅沢システムになりますが、こういうマイクロフォーサーズの使い方もちょっと夢があって楽しそうではありませんか。いずれのレンズも中古での入荷頻度は相当低いのが難点ですけどね。
 
 
 

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10-25mm という画角変化はお散歩スナップにとても相性がいい感じ。100mmクラスのマクロを合わせて携行すれば、殆どの被写体にアプロ―チできます。ノイズ耐性が気になる小型センサー機だからこそ、余裕のある開放 F 値は真価を発揮します。焦点距離・絞りを変えても描写の均質性は高く状況に応じたフットワークの軽い撮影が可能です。

 

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焦点距離10mm (フルサイズ換算画角 20mm 相当)と言えば、少し前まではF2.8 辺りの開放値が常。F2 を超えた明るさ、しかもズームレンズで実現とは正直信じられないのです。ワイド端、近接、開放でもこの立体感と素直なボケ味とくればなおさらの事。比較的大型のレンズになりますから、最短撮影距離の 28cm は被写体との接触を警戒する必要が発生するほどです。

 

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こちらはテレ端25mm (フルサイズ換算画角 50mm 相当)での開放描写。マイクロフォーサーズでも近接+ F1.7 でタップリとボケてくれます。それにしても単焦点顔負けの素直なボケ味に、本レンズがズームである事を忘れてしまいそうです。
 

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高周波成分となる小石のボケ像はほんの僅かチリチリとした感じにもなりますが、総じて周辺まで癖の少ない良好な画像を形成。F1.7 という短焦点顔負けの明るさを誇るズームレンズでこれだけの画質。当初はここまでの写りは想像していなかっただけに驚きを隠せません。

 

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建築の内装撮影等、カメラアングルが限定されるシチュエーションではやはりームレンズが圧倒的に便利だと実感。設計の古い建築の為か、廊下も部屋もかなり狭いと感じる建物ですが、ワイドズームの利点を生かしリズム良く撮影ができました。

 

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様々な方向にパースが発生するのがワイドレンズによる室内撮影の面白さ。少しのアングルの変化で全く違う映像に出くわします。ズームさせることでさらにバリエーションが増えるのが、普段単焦点しか持ち歩かない筆者にとっては新鮮でした。これはヤミツキになるレンズかもしれませんね。

 

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この被写体は、以前に OLYMPUS の 25mm F1.2 PRO でも撮影。開放の差によるボケの大きさに違いこそありますが、このレンズの只者ではない感もなかなかのものです。いわゆる標準ズームをこれ一本で賄うシステムもアリですね。

 

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10mmの開放で、周辺減光を楽しんでみます。F1.7 でもある程度遠景になれば被写界深度に収まってしまうのが小型センサー機による写真の面白いところ。難しい条件ですが、周辺まで十分な解像度が保たれているのは嬉しいですね。
 

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本レンズは17枚ものガラスを有した光学系で成り立ちます。しかし極端な逆光下であってもゴーストやフレアに悩まされることはほぼありません。9枚羽根の絞りを搭載しますので、絞り込んだ際は18本の豪華は光芒が得られます。これだけ逆光耐性が高いと、太陽が入り込みやすい超広角の画角でも安心ですね。

 

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東京方面に直帰の出張があった際、余った時間でニコンミュージアムを見学。本社前のモニュメントに肉薄して 10mm時の近接描写チェックを。いわゆる退勤時間に重なったためか、ビルの中から社員と思しき方たちが次々と出てきたのですが、OMDS のボディーに Panasonic のレンズを付けて撮影していたため、ちょっとだけ視線が痛かった様な・・・・・。いや、機材ではなく、奇行が原因ですね・・・・・。
 
 
 

SONY FE 50mm F1.2 GM (SEL50F12GM)

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 写真・カメラの世界に興味を持ったきっかけは、間違いなく筆者が幼少の頃に父が購入してきた Nikon FE と、それに取り付けられた Ai Nikkor 50mm F1.4。我が家の父君からすれば、ラジオを瞬く間に鉄くずに変える異能に目覚めた少年に、高額なカメラを貸し出す義理はどこにも無かったハズですが、目を盗んでは 例え事後承諾であっても多少のお小言程度で使わせてくれていた事には感謝しかありません。愚息は立派にカメラで家族を養っておりますよ、めでたしめでたし。

 もっぱら近隣のターミナル駅へ出かけては鉄道写真を撮り漁っていた当時は、焦点距離がどうとか、開放 F 値がこうとか、描写傾向云々なんて事は理解はもとより興味すら無かった訳で、それよりも普段目にしない型式の車両がホームへ入線する事の方が重大であり、高鳴る鼓動でブレ写真を増産してしまう純朴な少年時代(想い出補正+2と2/3)を過ごしていたのです。自動でピントが合う「オートフォーカス」と言う夢の機構が実現する時代がまだやってきていない、標準レンズと言えばズームレンズよりも単焦点の 50mm が定番であった頃の話です。カメラメーカー各社は開放 F 値の違う数種類の 50mm を販売するのが通例で、開放 F2 クラスが定価にすれば 10,000円前後、F1.2 が 5万数千円前後で販売されていたと記憶しています。メーカ問わず明るい(F 値が小さい)レンズになるほど高額であり、そこには料亭の品書きで言えば、松・竹・梅 の様な分かり易く不動のヒエラルキーが存在していたので、ボディーのランクに併せて入門機・廉価機には F1.7~2、中級機には F1.4、上級機には F1.4もしくは1.2 を開放 F 値とするレンズが取り付けられて販売されるのが通例だったでしょうか。

 鉄道を始めとして機械物全般を好んだ少年は、青年になるにつれ撮影機材そのものへの興味を強く抱く様になり、結果自身が(本当は父が)所有する Ai Nikkor 50mm F1.4 とは別に Ai Nikkor 50mm F1.2s なるレンズが存在する事を知ります。鉄道という被写体への興味を完全に失った訳ではありませんが、写真とその機材へと興味の軸足が移っていった事で、カタログのより上段に存在する「F1.2」への憧れは増して行きました。入門者にありがち?な「価格が高い機材を使えば、より良い写真が撮れるに違いない」という短絡的な発想にもとらわれ、(高い機材にしかない魅力や特性、手に入れる事による満足感の充足等々を否定するつもりは無いですよ)自身の(本当はry)「F1.4」に劣等感のようなものを抱くことにも繋がっていきました。幸いに?写真部に在籍し本格的に写真撮影を行うようになると、明るさ半絞り分のアドバンテージよりも、画角すなわち焦点距離の変化を求める場面が増えたので、結果として「F1.2」 の購入は見送られる事となりましたが、抱いた「F1.2」への憧憬は、まるで初恋の思い人の如く魂の深いところに刻まれたまま青年は大人への階段を 踏み外して 登って行ったのです。

 時は流れ、壮年・中年を経て現在へと至ったかつての少年は、ついぞ 「F1.2」を入手する機会のないまま、初孫を抱いていても何ら不思議ではない年齢へと。ミラーレスデジタル一眼と高性能標準ズームレンズの時代となり、標準レンズという言葉の意味や立ち位置も随分と変化を遂げました。単焦点標準レンズ の再定義ともなった Zeiss Otus や SIGMA Art の登場に示される様に「F1.4」でさえ誰もが入手するレンズではなくなると共に「F1.2」の存在意義も大きく変化したと感じる時代となったのです。2026年現在、フルサイズミラーレス一眼の草分け SONY からはマクロレンズを除き「F2.5G」「F1.8」「F1.4ZA」「F1.4GM」「F1.2GM」と、フイルム時代を超え 5種もの 50mm がリリースされていますが、「F1.4GM」「F1.2GM」は、いずれも最高峰の光学(高額)性能を示す GM の称号を与えられた特別あつらえの一本であり、それぞれ20万円超・30万円超の直販価格が設定される至宝となりました。公表された各々の MTF からも尋常ではない性能が想像され、両者には単純な性能の上下関係ではなく「飛車・角」「金・銀」の様な関係性が相応しく思えます。半絞りに表れる被写界深度の差こそが「F1.2」最大の購入動機となるでしょうが、そこに+10万円を出すか否かと言われれば、差額どころか「F1.8」の購入すらもためらわねばならない身分を只々呪うしかないのでしょう。

 出会いから数十年を経て叶った、ちょっぴりグラマー※になった初恋の人とのランデブー(レンタル)、この束の間の逢瀬をしばし楽しみたいと思うのであります。余談ながら、SONY レンズに装備される「絞り環」の回転方向が往年のNikkor と同一方向なのは、控えめに言って最高かと。

※ウエスト:68.5mm→87mm 体重:360g→778g

 

 

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少し前に MINOLTA AF 50mm でも試写した被写体を GM の開放で一枚。口径食の影響による背景のグルグル感や周辺部の画質低下などで、もっと癖のある描写も「期待」していましたが、全く普通に(と言うか普通以上に)写してしまう GM。開放描写でこれですから、絞りの操作は純粋に被写界深度をコントロールしているだけだと言ってしまって良いんじゃないかと。しかし、なんともヌケの良い写りです。(ヌケ感とか言わないでください)
 

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近接撮影時の前後のボケも見事です。被写体・距離によっては僅かのエッジ感を見せる事はありますが、総じて柔らかく大きいボケが大口径レンズならではの魅力を発揮。極薄の被写界深度ですが、花弁一枚一枚も最高の解像度で描写されます。 

 
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意地悪く太陽の方向を向いてハイキーになるよう露出設定。明るさを追求する為に無理な設計を施したレンズでは、こうは写りませんよね。ミラーレス化により設計の自由度が増した事が、レンズの性能向上に与えた影響は大きいのだと実感します。

 

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ボケのクセが出やすい被写体です。接写で開放ともなると、さらにレンズの粗探しが出来るはずなのですが、涼しい顔(はありませんけど)してこの写り。フイルム時代の同スペックレンズとの圧倒的な描写の差には愕然とします。

 

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ハロウィーン(いつから「-」が入った?)の飾りつけで賑わう季節になりました。本来は少し絞って全体を深度に入れたくなる被写体ですが、レンズテストなのであえて F1.2 のままで。開放でもこのコントラストとシャープネスです。星条旗の縫い目やしわ、生地の質感も気味が悪い程ですね。

 

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凄く真面目な描写をするレンズだと、テストをしながら何度も思いました。SONYからは、マクロも含めると 6種類もの 50mm 単焦点レンズが揃っています。55mm のZeiss も加えれば 7種類にもなる「変態的」ラインナップ(失礼)。全部持ってる方っていらっしゃるのかしら?全部並べてテストしてみたい欲求が。


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なんて事ない被写体ですが、このレンズが欲しくなるポイントが山ほど感じられる一枚。現状自身のシステムの 50mm は DN 化される前の SIGMA Art の F1.4 なのですが、1.2GM も正直欲しい一本に。ただし、両方カメラバックに入れると軽い拷問じみた重さになりますよね。という言い訳で自重。自重。これがほんとの「自重」トレーニング。

 

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ショーウインドーの小物を、最短付近で。高い描写性能をウリにするレンズは、最短撮影距離をあまり欲張らない印象がありますが、本レンズは 40cm となかなか憎い数字を出してきます。開放ではさすがに口径食の影響もあって、点光源がレモン型に見えますが、一段も絞ってあげれば、殆ど気にならなくなるのは流石 GM といった処。

 

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標準画角の F1.2 と考えると、フイルム時代からカメラ扱ってる人間にとっては Noct-Nikkor の事を意識せずにはいられません。主に画面周辺で目立つサジタルコマフレアを効果的に除去する為、職人研磨の非球面レンズを導入した Noct は、当時通常の 50mm の2倍以上の定価が付けられ、流通量の少なさから中古品はプレミア価格になってしまいました。2026年現在40万円以上の値がつけられる事もあり、それはFE 50mm F1.2 GM の新品売価を上回ります。1.2GM には超高度非球面レンズが3枚採用され開放での夜景描写もこの通り。どっちを買うのが正解か、なんて考えるのは野暮ってもんですかねぇ。

 

 

プロフィール

フォトアルバム

戦争写真家として著名な「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る辺境写真人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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