For M4/3 Mount Feed

Voigtlander NOKTON 25mm f0.95

 35ミリフルサイズフォーマットでの50ミリ相当にあたるレンズを、一般的には標準レンズと呼んでいます。AFカメラやズームレンズが一般化する以前は、決まったように50ミリの単焦点レンズがセットで販売されていましたから、フイルム時代からカメラに触れていた我々の頭の中には、レンズの描写上の特徴云々以前に「標準レンズ=50ミリレンズ」という図式が染みついています。

 しかしここ十数年来、その「標準」の座はすっかり「標準ズームレンズ」に明け渡し、50ミリの単焦点レンズは、むしろ特別なレンズという意味さえ持ち始めているようです。そしてデジタル一眼の革命児、マイクロフォーサーズマウント向けレンズの中で、35ミリフルサイズフォーマット50ミリ相当の画角となる25ミリのレンズラインナップにおいては、標準単焦点レンズに与えられた存在意義の特殊性を改めて実感することになります。それは、Leica-Summiluxの名を冠したPanasonic製の25mmF1.4と、このCOSINA製NOCTON25mmF0.95が存在しているからです。

 マイクロフォーサーズ用、しかも標準域のレンズと考えれば、決して小型・軽量とはいえない仕上がりかもしれませんが、類似スペックの旧Canon7用の0.95やM型ライカ用のNoctiluxを比較対象とするなら、その小ささ・軽さにマイクロフォーサーズ化の恩恵は十二分に感じることが出来るでしょう。金属製のフードも作りがよく、レンズ・フード各々にレンズキャップが装着可能な点などにも作り手の心意気を感じられます。ヘリコイドや絞りの操作フィーリングも非常に好感が持て、ライブビューでのマニュアルフォーカスが必須となる本レンズの操作フィーリングを極上のものとしています。短い焦点距離を生かした0.17mという最短撮影距離は、今までのハイスピード標準レンズでは不可能だった撮影を可能にし、新たな表現方法を与えてくれるでしょう。

 肝心の描写には、絞りの数値毎に刻々と変化する往年のハイスピードレンズの特徴がよく現れていますが、その描写の変化をライブビューで実感しながら撮影できるという手法がとれるマイクロフォーサーズでは、新たなアプローチで作画に望めます。解放0.95ではさすがにコントラストは低く、全体にハロをまとった独特の描写となりますが、中心部はすでに相当の解像度を持っており、しっかりと合焦部を意識すれば、大きな破綻はしないでしょう。むしろ周辺に向け徐々に下がる解像度と周辺光量によって、観る者の視点を自然に主要被写体へ誘います。後ボケは被写体によっては若干クセのあるものとなりますが、絞りの形状も良く、口径食も比較的少ない為に、開け気味の絞りを積極的に使いたくなります。1.4~2あたりへ絞りを操作すると、コントラストが改善され、色が乗ってくるのがモニター上でも確認できます。さらに5.6辺りまで解像感もみるみる増し4~5.6~8あたりは周辺まで均一に高解像となるようです。それ以上になると段々と回折の影響で解像感を損ね始めますが、本レンズの存在意義を考えれば些末な問題でしょう。

 撮像素子へ、より正確に画像を結像させる事を大前提とされる近年のカメラ用レンズは、「味」などという曖昧な物を排除しつつ進化させてきたイメージがあり、実際、レンズ毎の描写が画一化されつつある印象を持ちますが、純国産でこのようなレンズがリリースされている事を知ると、歓びと同時にある種の安堵を感じてしまいます。

 ノスタルジーを語るには未だ若輩なつもりではいますが、近い将来こんな描写のレンズ一本だけを携えて旅に出てみたい、そんな妄想を抱かせてくれる危険な一本です。

 

 

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0.95という解放f値がもたらす極浅の被写界深度。最短撮影距離も被写体とレンズが接触するかと思うような0.17mと、ボケを大きくする要素がてんこ盛りの本レンズ。段階的にピントをずらして数枚連写しても、狙った位置になかなか合焦していない事もしばしば。そんな解放の描写は少しコントラストが低めの、近年では珍しい個性的な写り。ボケの味は「溶ける」というより「滲む」といった言葉が雰囲気には合っているでしょうか。

 

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絞りを5.6辺りまで絞ると、解像感・コントラスと共に非常に高くなります。ヘリコイドの操作感も非常に良く、マニュアルでのピント合わせは苦になりません。普段はAF任せの撮影がほとんどですが、絞りによって変化する描写特性とマニュアルによるピント合わせは、写真撮影に没頭していた高校生~大学生の時代へタイムスリップさせてくれるかの様です。

 

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これだけの大口径です。1:1に切り取っても口径食の影響は多少感じる場面があります。しかしいわゆるオールドレンズのように画面全体に大きく影響するような、画像の変質は上手く押さえられています。最新の設計と光学素材の恩恵でしょうか。これならレンズの癖を恐れず、解放付近の絞りを躊躇なく使用できます。

 

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前ボケも変に硬くならず積極的に使えます。何気ない風景でも前後を大きくぼかすと、なんだかフォトジェニックに変化。お散歩に同行させると見知った風景でもチョットお洒落に切り取ってくれますから、ハイスピードレンズはやめられません。

 


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f0.95の解放絞りを与えられたコシナ製マイクロフォーサーズ用のNoctonシリーズは、合計で4種の焦点距離がラインナップ。10.5・17.5・25・42.5㎜は、フルサイズ換算画角で21・35・50・85㎜。物理特性から、ボケを演出し難い小型センサー機にとって、とても心強いラインナップ。機会があれば他のレンズも是非使ってみたいものです。

 

中一光学 (ZHONG YI OPTICS) SPEEDMASTER 25mm F0.95

 解放f値0.95と言えば、フイルム時代のキヤノン7用標準レンズ50mm f0.95やマイクロ4/3規格ではコシナ製フォクトレンダーブランドのノクトンシリーズが既に有名ですが、海を隔てた隣国、中国の中一光学から発売されている25mm f0.95という本製品も、ひっそりと、でも確実に注目を浴びはじめているようです。廉売が常套手段の中国製サードパーティーレンズの中では、比較的高額な(とは言え、ノクトンの半値程度ではありますが)レンズであるといえる本レンズを、お店からちょいと拝借(ちゃんと買ってますケドね)してその実力を試してみました。

 手にして、真っ先に驚くのはレンズの大きさと重量です。ライカMマウントのズミクロン50mmにも似たその金属製の鏡筒は43ミリのフィルター径を持ち、当然前玉の直径はさらに小型になります。キヤノン製の0.95を知っている身からすれば、いかにM4/3用とは言えこれで0.95の解放F値を実現しているとはにわかに信じがたい程です。そして実写後、その描写に改めて驚かされることになります。正直、カメラ大国日本においては決して有名とは言えない製造元と、無謀なチャレンジともとれるスペックや価格から、私自身も相当な「色物」だろう事を想像していたのですが、それは良い意味で裏切られる結果となりました。

 中心付近の解像度が非常に高い事が本レンズの最大の特徴となりますが、それは解放絞りから発揮されます。ノクトン25mmでは解像感やコントラストの出方は解放f値に於いては控え目であったと記憶しますが、本レンズは、コントラストや色の出方も解放から比較的しっかりしており、解放絞りの描写をしっかりと楽しむ事ができます。無論、解像度の高さと引き換えに、撮影距離によっては二線ボケが目立つ場合や、画面周辺の色収差や樽型の歪曲収差などが条件によっては気になることがあるでしょう。しかし、電子マウントを採用せず、デジタル補正の恩恵を受けられないマニュアルフォーカスのレンズとして考えれば、十分に高い画質であると割り切れるレベルです。

 動画撮影時を考えてか、絞り環にクリックが存在せず不用意に絞りが変化していたり、(しかもバルナックライカ時代にタイムスリップしたかのような不等間隔の刻み)個体差なのか、ピントリングの回転と同一方向に存在するマウントのガタのため、厳密なピント合わせには若干のストレスが伴います。さらにレンズ後端の形状の為、一部使用できないボディーやレンズキャップがあるなど、機械的には改善を望みたい部分も存在しますが、欠点が気になりだすのは、長所に惚れ込んだ証でしょう。価格・重量・描写性能を考えれば、個性と割り切る懐の広さも必要なのです。

 決して万能選手ではありませんが、得意な被写体をファインダーに収めると、他のレンズでは味わえない眼福の瞬間が訪れます。現在の日本で造られることが少なくなったであろう個性豊かな中一光学製のレンズ。ラインナップされる他の焦点距離も気になり始めた私は、もはや「中一病」に冒されているのかもしれません。

  

 

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ハイライトのボケに少々二線ボケ傾向がありますが、このくらい大きくボケればあまり気にはなりませんね。中央の合焦部がとても繊細かつシャープな印象です。

 

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同一画角では、どうしても大きなセンサーのカメラに比べボケ量が少ないM4/3ですが、近接でf0.95ならこの通り。ここまでボケれば癖は目立たないです。超大口径なので、もっとボケが乱れるかと思いましたが、心配無用でした。

 

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これも、解放描写。前ボケが素直なので、手前の「ヒゲ」もウルサクなりません。毛のふわっとした感触もきちんと描写。

 

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f4~5.6になると、全画面均一な描写になります。コーティングが純正の最新レンズなどと比べるとやや心もとないですが、このくらいの光源なら問題ないですね。

 

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樽型の歪曲収差が残っていますので、被写体によっては少し注意が必要です。デジタル補正に頼れないマニュアルの社外レンズですので、この程度の欠点はご愛嬌ということで。

 

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オールドレンズ、と言うワードが当てはまらない最新のレンズではありますが、ゴリゴリに色が乗ってこないので、被写体によっては上手くイメージを膨らませてくれます。

 

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個性の強すぎる描写は、時間が経つと飽きがきてしまったりするのですが、ほのかに感じる程度の癖はある時から「愛おしさ」に変わる事が多いと感じます。オートホワイトバランスoffで、今風のレンズとは少し違った発色を覗かせてくれます。

 

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後ボケはやはり固めで二線化傾向があるので、苦手な被写体もあるかと思います。でも、合焦部の先鋭度は本当に見事。中央部の解像度レースなら、いわゆる高級レンズもカモれるかもしれませんね。

 

SIGMA Art 60mm f2.8 DN

 

 一度抱いてしまったイメージを後から変えるのはなかなか難しいと、齢をそれなりに重ねてきた最近ではよく思います。SIGMAというメーカの製品に対しても、実はこのレンズに出会うまでの印象というのは、「ちょっと変わった焦点距離」「メーカ純正比較でちょっぴり明るいレンズ」「異様なまでに倍率の高いズームレンズ」「廉価な製品が多い」そして、「写りの質は・・・・」といった様なものでした。あくまで主観の占める割合が多いかと思いますが、フイルム時代から同社の製品を知っているカメラユーザーに、同様の印象を持たれる方は少なくないのではないか、とも思っています。

 しかし、純正品への拘りが強いいユーザーが多いカメラ市場において、サードパーティー製品が、カメラメーカー純正品と肩を並べて商売をするには製品に絶対的な特長を持たせる必要があり、そういった背景から「すこし無理をした(性能的・価格的・特徴的)製品」が多かったのは、仕方のないことだったのかもしれません。

 さて、ミラーレス一眼が登場し、古今東西のレンズがレンズマウント規格(主にフランジバック・バックフォーカス)という制約を受けずに利用できるようになった現在、過去に例をみないほど「レンズ」に注目が集まっています。併せて、イメージセンサーの高精細化が進むにつれ、レンズの描写性能もより高いものが望まれるようになっています。

 そして、それを意識してのことなのでしょうか、SIGMAから「Art」と呼ばれる製品群が登場しました。

曰く「圧倒的な光学性能の実現と芸術的表現の追求を同時に叶える」

とするこの製品群は、驚くことに、純正品にも存在するありふれた焦点距離や解放f値の製品が多く、さらに設定売価が純正品を超えているものも存在するなど、これまでのサードパーティー製品の概念を大きく覆すものとなっています。

 この60mmにしても、焦点距離こそなじみの少ないものですが、解放f値がf2.8と、あえて今単焦点レンズとして発売するにはあまりに平凡なスペックとなっています。しかし控え目な明るさがもたらすレンズの軽さはフットワークを損ねず画質的にも有利に働き、またAPS-Cサイズのセンサーを補う十分なイメージサークルは、マイクロフォーサーズサイズのセンサーではさらに中央部の極上な映像のみを切り取って利用できます。このよく写ることが当たり前のスペックを、あえてサードパーティーが販売するとは、これはこれでなんと挑戦的な姿勢でしょう。

 記録ではなく記憶に・・・・なんだか使い古された言葉かもしれませんが、スペックに現れない性能が、モニター上には確かに現れる。選択肢として「Art」シリーズは「アリ」なのか?と、不惑を迎えての新たな惑いを抱かずにはいられないのです。

  

 

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フルサイズ換算120㎜というと、Nikonがフイルムの時代に24-120㎜という標準ズームを製品化する以前は、あまり馴染みのない画角でした。現在ではM4/3のオリンパスにも同一焦点距離にマクロレンズが存在し、パナソニックからも12-60(換算24-120)のズームレンズがラインナップされます。この画角、慣れてくると少し離れた距離からのスナップに案外便利な画角ではないでしょうか?

 

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M4/3のレンズは、同一画角であるなら、大型センサー機のレンズと比較して最短撮影距離が短い傾向にありますので、本品も十分マクロレンズ的な使い方ができます。

 

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オートフォーカスの作動も機敏で、とても静かですので、音に敏感な我が家の飼い猫にも気づかれずに撮影ができました。ちなみに、AF駆動部のレンズエレメントはカメラ本体の電源が入っていないと、レンズを振った際、鏡筒内でコトコトと音を立てます。故障と勘違いして慌てるお客様もいらっしゃいますが、これは「仕様」なのでご安心を。ただし、面白がってむやみにレンズを振るのはお勧めしませんが。。。

 

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ボケ味は、実体感を残しながらもあまり硬くならずに良い感じです。合焦部の解像度も高く、シダ植物特有の髭のような部分もとても繊細に記録されています。

 

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APS-Cサイズにも対応するレンズですので、M4/3ではレンズのスイートスポットだけを使う贅沢な使用法になります。少し絞ると背景のボケがやや硬調なイメージですが、画面全体の先鋭度は素晴らしいの一言。

 

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圧縮効果の出始める焦点距離ですが、被写界深度に余裕のあるM4/3は極端に絞り込まずにこういった画をモノにできます。小型センサー機については「ボケない」と悪口のように言われる事もありますが、「ボケすぎない」事の利点をもっと宣伝してもいいのではないかと感じる今日この頃。

 

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高い解像感とボケの美しさが同居すると、自と立体的な映像になります。日陰ですが、近代的なレンズらしくコントラスト・発色も良いので、癖を感じない端正な映像を提供してくれます。

 

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歴史を重ねた植物は好みの被写体の一つ。被写体のもつ存在感をストレートに記録してくれるレンズはとても頼りになります。スペック表に現れない不思議な魅力を持ったこのレンズは、きっと素敵な懐刀になってくれます。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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