For Nikon SLR Feed

Nikon Ai Nikkor 35mm f2s

 写真を撮ることに興味を抱き始めた頃は、自分ではカメラなんて高額な買い物ができる年齢ではなかったので、撮影には必然的に自宅にあった父のカメラを持ち出す事が前提でした。そのカメラが「NikonFE」で、レンズは50ミリの標準と75-150ミリの望遠ズームレンズでした。わずかな機材でしたが、学校内でのスナップや趣味の鉄道写真を撮るには十分で、以来自身のメイン撮影機材は長年「Nikon」でした。

 その後、プロカメラマンへの憧れから写真系の大学に進学し、卒業後にブライダルの仕事を始めるまで、ずっとこの手には「Nikon」が存在していました。そして、この35ミリは、プロカメラマンを目指し写真に明け暮れた大学時代にもっとも活躍したレンズの一つです。今までの写真人生の中で一番ショット数が多かった大学時代に、もっとも信頼していた一本という事になります。

 一般的にNikkorは、やや高めのコントラストと力強い合焦部の描写を見せますが、反面、繊細なイメージを持たず、ボケも堅くなるイメージがあります。ところがこのレンズはそんなニコンレンズ中異色な存在なのか、開放付近では優しいコントラストと繊細なピントの切れを見せ、最短撮影30センチでも美しい描写をします。とあるエッセイでsummicron35ミリに勝るとも劣らないという記述を見たことがありますが、それは、単なるお世辞では無いでしょう。少々残るタル型の歪曲と開放付近での若干の二線ボケも、経験的に感じるsummicronの描写特性によく似ています。

 フルサイズデジタル一眼が普及した今日、今一度ニコンのレンズシステムを組む機会に恵まれたなら、真っ先に購入する一本となるでしょう。

 

 

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「いいな」と思った情景をストレートに再現してくれる35mmの画角。80~90年代、ニッコールには解放f値別に1.4・2・2.8と3種類がラインナップされていました。1.4を所有していた時期もありますが、解放時のヤンチャな描写とボケ像になじめず、結果f2の本モデルが長期間「標準」として手元に残りました。

 

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解放では少々の周辺減光、若干のボケ像の硬さがありますが、近接能力も高くオールマイティーに活躍。合焦部のキレも良く、絞り値・撮影距離によらず満足度の高い映像を提供してくれました。ファインダー像も明るく、ヘリコイドの操作感も上々と撮影していて楽しいレンズでした。

 

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早朝、まだ肌寒さの残る桜の季節。自宅近くのため池で凪いだ水面を眺めていると、不思議とこちらの気持ちまで静まって行きます。フイルムを詰め、マニュアルフォーカスでピントを合わせ、露出計の表示を睨みながらシャッタースピードを定め、一枚一枚レリーズボタンを押し込み・・・・随分とご無沙汰になった一連の儀式ではありますが、ひょっとして自分にとってはある種の「健康法」だったのかもしれませんね。

 

KIYOHARA VK50R 50mm f4.5 SOFT

 黎明期の写真レンズや海外製のレンズには、設計者自身の名前や設計者自身が与えた特定の名前を冠するレンズが多く存在しています。

 一方、世界屈指の光学製品の製造国である日本製のレンズには、メーカーやブランド、あるいは型式を冠してはいるものの、レンズ固有の名前を与えられている製品は決して多くはありません。これが、「察し」と「思いやり」、そして人の半歩後を歩む「奥ゆかしさ」を美徳としてきた国民性の表れの一つなのかどうかは憶測の域を出ませんが、非常に興味深い事実と言えます。

 そんな日本製レンズの中にあって、設計者の名前を与えらた数少ないレンズの一つが、このKIYOHARA VK50Rです。名称だけではなく、その描写の特異性も相当なもので、製造を中止した現在ではなかなかのレアアイテムとなっています。ルーツは業界の雄、コダック社のスプリングカメラ「ベスト・ポケット・コダック」に搭載されていたレンズ(通称:ベス単<ベスト・ポケット・コダック搭載の単玉レンズ>)と言われ、そのフードを外したときに得られる独特のソフトフォーカス描写(ベス単フード外し)の熱狂的なファンが多かったことから、清原光学において1群2枚の張り合わせレンズを用いた一眼レフ用交換レンズとして登場したのが、オリジナルのVK70Rというソフトレンズでした。そして、より短い焦点距離レンズへの要望が高まり発売されたのが、この焦点距離50ミリのソフトレンズです。中古市場でも稀な存在ですが、ペンタックス645や6x7といった中判フォーマット用のレンズも発売するなど、販売当時はそこそこに人気を博したようです。

 主に残存する球面収差を利用し、絞りによってソフトの量を変化させる設計の為、ソフト量の多い解放付近ではピントの山が無く、ソフト量を控えるため絞り込んだ状態では暗くなったファインダー像で、これまたピント合わせに苦労するという、ピント合わせに非常に難儀するレンズでした。しかしながら段階露出ならぬ段階ピントを多用して、ようやく得られる摩訶不思議な画像はなかなかに情緒的で、特に高感度フイルムの併用で得られる粒子感の際立った画像は、他レンズやフィルターを使ったソフト描写では得難い物がありました。単玉故にゴーストの発生は少なく、逆光でもシャドーの引き締まった画を提供してくれました。

 「性能」という観点でのレビューは難しいレンズではありますが、私個人の大学卒業の大きな力となってくれたこの一本に敬意を表して、ここで紹介させていただきたいと思います。

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現在は観光・資料用としてすっかり整備がされてしまった碓氷峠の鉄道遺構。撮影当時は現在のような廃墟ブームもなく、ひっそりと佇んでいました。撮影に使用したコニカクローム1000と言う高感度リバーサルフイルムは、デジタルでのISO1000とは比較にならないほど「粒状感」が目立ち、いわゆる「素粒子」写真となりました。高輝度部のハレーションが独特のソフト描写をひきたてますが、構成枚数が少ない為、ゴーストの発生に悩まされることはありません。

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このレンズを持ち出すと、不思議と古いものに目が行きます。地元に保存されるデゴイチの愛称で親しまれるD51型蒸気機関車。その運転台の圧力メーターが被写体です。ソフトレンズとは言え合焦部はそれなりの解像感がありますので、文字などはしっかり読み取れます。元からなのか、誰かの悪戯か、ガラスや指針が無くなっているのが残念です。

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廃墟の明り取り窓。過ぎ去った時間が空気の粒となって記録されているような、そんな不思議な感覚が癖になり、「ソフトレンズ+高感度フイルム」が当時私の常用となりました。

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これは、本当にたまたまの話。誕生日が自分と同じ8月27日ということもあって、詩人・作家の宮沢賢治の世界に興味が湧き、岩手の花巻を訪れた際の一枚。f11程度に絞りこむと、収差の影響が少なくなり、ハレーションやソフト感は無くなります。おそらく、通常感度のフイルムであれば、普通の写りをするはずです。デジタル技術が進み、現在ではISO1000程度では「素粒子」効果は得られず、もっぱらデジタルエフェクトの出番となるのでしょう。

 

Zeiss Planar 50mm f1.4ZF

 オスカー・バルナックによって完成され、その後世界を代表する35ミリサイズカメラとなった「ライカ」には焦点距離50ミリのレンズが取り付けられていました。

 以来、遠近感の極度な誇張や圧縮がないこの焦点距離は、35ミリカメラにおけるスタンダードレンズとして定着しました。写真に興味をもった方なら、どこかで必ず耳にするエピソードでしょう。今日の様なズームレンズが一般化するまでの長い間、カメラといえば50ミリを付けて買うのが一種当たり前で、実際、私が幼少期に借り出しては注意された父親のカメラにも、ニッコールの50ミリがり付けられていたのを記憶しています。それ故、50ミリレンズの設計、製造には多くのメーカーが心血を注ぎ、結果として「銘レンズ」とよばれるものが多く存在する結果となっています。ライカのエルマーやズミクロンにはそれぞれ熱狂的な信者とも言えるユーザーがいますし、国産のニッコールやロッコールなどを愛用するカメラマンも多いことでしょう。マニュアルフォーカス時代のキヤノンには、明るさ・レンズ構成別に5種類もの50ミリが存在していた時代もあるほどですから、標準というより、むしろ特殊レンズといった名称が似つかわしいほどです。

 そして、一眼レフカメラ用標準レンズの帝王として、やはり多くのフォトグラファーが愛用する50ミリにZeissのプラナーが掲げられます。開放付近では十分にシャープな合焦部にベールのようにまとわりつく柔らかなフレアがとても神秘的な印象をもたらし、f2.8あたりからは、ほぼ画面全域にわたり最高の解像感が得られます。また、実像感を残しつつ、なだらかに消え行く非合焦部の描写は、このレンズでしか味わえない至高の立体感を演出します。

 Y/C時代のMMレンズでは、開放付近のボケにややエッジが強調されてしまうという欠点がありましたが新生Zeissでは枚数を増やした絞り羽根との相乗効果で、「少しだけ絞った」プラナーの一番美味しいトコロを存分に堪能させてくれました。目隠しをしてでも操作が出来るほど、この手に馴染んだニコンのボディーに取り付けられたこのレンズは、文字通り、これから私の新しいスタンダードとなるでしょう。

 

 

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結婚式リハーサル前の会堂です。静まり返りどことなく漂う緊張感のようなものが伝わってきます。室内撮影による色温度の高い色調がそれを助長します。プラナーは解放付近の大きなボケやソフトなイメージが持ち味ですが、絞り込んだ時のスッキリとした写りも非常に好印象です。

 

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開放では、やや甘くなる描写と大きなボケがプラナーの真骨頂。基本描写はCONTAX時代のPlanarのそれと変わりありませんが、絞り羽根の枚数が増えている為、少し絞った際の背景の形状がより柔らかい印象を受けます。

 

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光源などは、若干エッジの立ったボケ像となるのも50mmの特徴。時に煩わしさも伴いますが、距離によってその表情を変えるので、遠近感の表現に一役買う場面もあったりします。

 

Zeiss Distagon 25mm f2.8 ZF

 大学時代に愛用していたNikonからCONTAXへと、手持ちの機材を全て変更したのは、 ブライダルのカメラマンとしての仕事をしていた当時、職場の先輩の写真を目にした事がきっかけでした。

 それほどまでにZeissレンズの描写との出会いは鮮烈でした。反面、その後度重なり仕事中のボディートラブルに泣かされることとなり、やがて、叶わない願いとは知りつつ、 NikonのボディーでZeissのレンズを使用することが、ある種の夢となっていました。

 カメラマンとしての活動を辞め、現在の仕事についてから早十年以上。京セラのカメラ事業撤退から数年たったある日、夢は突如現実となりました。 コシナによるZeissレンズの再生産とNikon-Fマウント化。何の因果か・・・新生Zeissの25mmをテストする機会に恵まれたのは、親類のブライダル撮影でした。

 一生一度、妹の大舞台でのレンズ「試用」。プロフェッショナルの現場では考えられない奇行を可能にしたのは、私自身のZeissというメーカーへの、そしてDistagonというブランドへの圧倒的な信頼にほかなりません。 Y/C時代から受け継がれる、ディープシャドーからハイライトまで、きわめてなだらかにつながる トーンの描写がもたらす、画面全体にわたる重厚感。そして画面中心部から周辺まで続く、隙のない解像感の高さ。冬の澄んだ空から差し込む強烈な西日を物ともしない逆光性能。これらを高次元でリファインし、新たなDistagon25ミリへと昇華させた、メーカーの信念と技術力には脱帽せざるをえないでしょう。

 21世紀、新たに蘇ったZeissのDNAは、妹の門出に最高の一枚をプレゼントしてくれました。

 

 

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西日が射し込み強烈な逆光ですが、ゴースト・フレア共に最小限。シャドーまで綺麗に諧調が繋がり、ドレスの質感も見事です。デジタルカメラと違い、現像するまで結果の分からないフイルム撮影でしたが、期待を裏切らない結果に一安心。

 

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リハーサルで式場への入場タイミングを確認する新婦。テラスのガラス面に写り込んだ空が新婦の所だけ青空になってくれた奇跡で、ドレスと被ることがなく撮影ができました。今回の撮影での一番のお気に入りショットはこの25mmが届けてくれました。

 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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